渡辺美里「ribbon」(88年)
2008年7月13日 渡辺美里
(1)センチメンタルカンガルー
(2)恋したっていいじゃない
(3)さくらの花の咲くころに
(4)Believe(Remix Version)
(5)シャララ
(6)19歳の秘かな欲望(The Lover Soul Version)
(7)彼女の彼
(8)ぼくでなくっちゃ
(9)Tokyo Calling
(10)悲しいね(Remix Version)
(11)10 years
先日のブログでこのアルバムについて述べているうちに、発売してから20年も経っていることに気づいてしまった。私が小学生だった80年代は遥か遠い昔である。
この「ribbon」はそんな80年代の邦楽を代表する1枚といえるかもしれない。なにしろ当時としては異例のミリオンセラーを記録したのだから。当時のキャッチコピーは、
「戦後最大のPOPアルバム」
というものだった。その大仰なフレーズにシラケた人もいただろう。しかし、このアルバムや当時の美里に対してそれだけの冠をつけてもおかしくはない、と私は今でも思っている。
91年に渡辺美里を本格的に聴き始めた私にとって「ribbon」は残念ながらリアルタイムで接したわけではない。それでもこのアルバムは彼女の作品の中で3指に入るものだ。それくらい強い思い入れを持っている。最高傑作は人によって好みは分かれるだろう。しかし彼女のファンで「ribbon」を否定する人はおそらくいない。なぜならば「ribbon」は「歌手」という枠を超えて「表現者」としての渡辺美里を確立した作品だからだ。このアルバムを抜きにして渡辺美里は語れない。
1枚目の「eyes」(85年)、そしてあの“My Revolution”が入っている2枚目の「Lovin you」(86年)の時点で彼女は表向きにはプロデューサーに入っていない。またこの時期はもっぱら他人の提供する歌詞を歌っていた。そのこと自体は否定するものではない。ただ、ここまでの彼女の役割はもっぱら「歌手」としてのものだったということを指摘したいだけである。
3枚目の「Breath」(87年)よりプロデューサーで彼女も名前を連ねる。そして歌詞は自身の作詞のみになった。つまり、歌だけでなく歌詞においても自身の個性を押し出していくように変化していったわけだ。美里の「表現者」としての出発といえよう。「Breath」は10代や20代の若者が持つ心情が鮮やかに刻み込まれた傑作ではある。しかし、ここでもまだ彼女の個性が全開したとはいえないだろう。作品の持つエネルギーは圧倒的なものの、そのベクトルは内に向かっている。それが魅力的であると思う時もあれば、痛々しく感じる瞬間もある。
これと比較してみると、「ribbon」も強いエネルギーの出ているアルバムであるけれどその方向は外へ広がっている。平たく言うと非常に開放的で風通しの良いアルバムに仕上がっているのだ。だからこそこれほどのセールスを記録したのだろう。
それでは「ribbon」をもって確立された彼女の個性とは何だろうか。それは私の言葉で「写実性」と表現したい。ここではこの「写実性」というものを軸にして渡辺美里と「ribbon」について書いてみたい。
いままで彼女について写実性という観点から述べた文章は見たことがない。けれど、私は10代の時から渡辺美里を写実的な表現者だと感じていた。いまもその印象は変わっていない。そして「ribbon」はその典型的な作品だと位置づけている。
論拠を示すため、「ribbon」の歌詞カードに載っている彼女の文章を取り上げたい。この21行の文章にアルバムの中身が見事に凝縮されている。
「私には手紙を通じての友だちがたくさんいます。
レコードを出す前からの友だち。
真夜中のラジオの生放送にハガキを送ってくれた友だち。
外国からのエアメイルをくれる友だち。
今もその頃の手紙を読み返したりすると
一緒にうれしくなったり時には悲しくなったり
また励まされたりします。
そんな人たちの現在を想いながら
いくつかの歌をつくってみました。
みんなとの結び目になればそしてありがとうの想いをこめて
このレコード「ribbon」を捧げます。
91匹のTinyカンガルー
右あがりの丸い文字の君、因数分解を教えてくれた君
やさしい目をしたティーンエイジママ
ファーストフードのレジ笑顔でたたいている君
彼女の彼、れんげ草をつんでくれた君
朝刊を運ぶ少年、よくにた瞳をした恋人
街を歩くピノキオ、歩はばをあわせて歩いてくれた君
汚れたシューズ、よれよれのシャツの君
屋上に腰かけて檸檬かじった君
そして、全てのセンチメンタルカンガルーへ」
アルバムを聴いている人には、この文章から音が聴こえてくる気がしてこないだろうか。たとえ聴いたことのない人でも、どんなアルバムかイメージが湧いてくるのではないか。
たわいものないことが書いてると思う人もいるかもしれない。しかしこうしたたわいもなさが「ribbon」の本質である。「Breath」は大人の世界を目の前にして苦悩している若者が主に描かれていたのに対し、「ribbon」の登場人物はどこにでもいる街の人たちだ。そんな何気ない光景が彼女の手によって普遍的で鮮やかな11編の歌に変わっている。前作と比べて彼女の視点がずっと細やかになったことがうかがえよう。
渡辺美里という人は非常に簡潔にわかりやすく情景を描くのが上手な表現者である(であった、という方が適切だろうか)。しかしこうした彼女の才能を指摘する人を見たことがない。それはファンもアンチも同じである。たとえば意識的な音楽ファンや音楽ライターといった人たちは芸術家くずれのような人が多く、意味不明なものをありがたがり、いわゆる「わかりやすい」作品は「単純」などとレッテルを貼り敬遠するきらいがある。さらにはライター自身も訳のわからない文章を書いて自己満足しているから余計にタチが悪い。「わかりやすい表現」を嫌うのは一向に構わない。それは各人の趣味の問題だから。ただそれが悪いとか駄目だとか言って批判するのは浅薄な話であるということだけは言いたい。
人にパッと伝わるような表現をするのは簡単なことではない。ましてや文章や言葉ではなく音楽をもってするのはいっそう困難な作業である。それを自覚している人は残念ながら本当に少ない。知名度も評価も得られぬまま一生を終わってしまうであろう音楽ライターの皆さんは果たして他人に伝達可能な文章を書いているだろうか。一度は振り返ってみることをお勧めしたい。
本題が外れてしまった。私が強調したいのは、渡辺美里は写実的で鮮やかな光景を提示できる数少ない表現者であるということだ。いや個人的には彼女以外に私は知らない。だから今でも彼女を追いかけざるをえないのだ。昔のようなライブや作品は望めないにしても、代わりになる人がいないのだから仕方ない。
せっかくの機会だから色々書いてみたい。実は、美里のCDを聴くたびに恐れていることがある。10代に心を振るわせた音楽が年を経るごとに色あせていくのではないだろうか、という不安だ。
正直に言うと、歌詞については10代の頃にもっと共感していたような気がする。年をくってしまった自分には縁遠くなった部分が多くなったからだろう。しかしそれは仕方ない話である。そもそもロックやポップスというのはもともと若者のために作られた音楽なのだから。年齢を重ねたため作品に共感できなくなるというのは当然の現象である。それを駄目だという輩は何か勘違いしている。おじさんおばさんの身になってもまだロックやポップスに異様な執着をしているほうがよほど世間ズレているのだから。
ただ、音や歌声は色あせていないのにはホッとする。彼女の声がもつ力強さややさしさ、“さくらの花の咲くころに”の美しい情景、“恋したっていいじゃない”の可愛らしさ、“10 years”を聴く時のなんともいえない心境などはいまだに力を失っていない。
せめて彼女の歌の力だけはこのまま失わないで欲しいと願う。そして、このまま自分の人生が終わるまで、アルバムの輝きは消えないでほしい。私としては渡辺美里の作品をずっと座右に置きたいのである。
今年は20周年ということでデラックス・エディションなど出てくれたら、という思いもある。昔のライブ音源なんて追加されたら感涙ものだろう。といっても、BOOK OFFあたりで二束三文で売られているような状態では望むだけ無理な話だ。それならせめて、このような音楽を求めている人の手に渡ってほしいと願う。
思い入れの強い作品なので、最後に1曲ずつ簡単な感想などを記したい。ちなみにアルバムは88年5月28日に発売され、初登場1位を記録しそのまま4週連続で首位にとどまった。
【曲目解説】
(1)センチメンタルカンガルー(作詞:渡辺美里、作曲・編曲:佐橋佳幸)
88年7月21日、11枚目のシングルとなった曲。最高順位9位、8万枚を売り上げる。缶コーヒー「UCC」のCMにも使われた。「センチメンタルカンガルー」という印象的な言葉は彼女の造語で特に意味はないようだ。こうした一つ一つのフレーズに彼女の言葉に対する感覚の鋭さを感じるけれど、皆さんはいかがだろうか。
(2)恋したっていいじゃない(作詞:渡辺美里、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
88年4月21日、10枚目のシングル。最高位2位、24万6千枚を売り上げる。この曲も缶コーヒー「UCC」のCMにも起用された。アルバムの中で最もスピード感がある曲だ。歌詞のテーマはタイトルの通りのものだ。しかし、サビの「D.A.T.E!」などの可愛いらしいフレーズが随所にあったり、
「ルーズな街のインチキに打ちのめされても
流行のスタイルに流されないよ」
といった登場人物の芯の強い部分が見え隠れしたりと、単にハードでポップな曲にとどまらぬ鮮やかな世界を築いている。いまでもライブで披露されれば盛り上がる。彼女の代表曲の一つといえよう。
(3)さくらの花の咲くころに(作詞:渡辺美里、作曲:木根尚登、編曲:清水信之)
シングル曲ではないけれどファンの間では人気が高い。さくらの花の咲くころには、風の強い日には自分を思い出してほしいと呼びかける。春の光景を美しくやさしい視点で描いていて、こうした曲は前作までにはなかった。また2曲目とはうって変わって、アコースティックギターを主体にしたゆったりした曲調なのも印象を強めているような気がする。
(4)Believe(Remix Version)(作詞:渡辺美里、作曲:小室哲哉、編曲:大村雅朗)
86年10月22日にはすでにシングルとして出ている。最高2位、20万6千枚を売り上げた。TBS系ドラマ「痛快!OL通り」の主題歌に使われた。時期的には「Breath」であるけれどなぜかこのアルバムに収録された。歌詞も曲調も「Breath」の世界に近い。さっきは春の歌だがこちらは冬、しかも張りつめたような寒さを感じる曲である。しかし、むしろ清々しい印象を与えるのは彼女のキャラクターによるものだろう。いま思ったが、彼女は四季というものも歌にきっちりと描いている傾向も強い。この曲もその一端を示す作品である。
(5)シャララ(作詞:渡辺美里、作曲:岡村靖幸、編曲:佐橋佳幸・西平彰)
冒頭の「ウォーウォー」やサビの「シャララララララ」などコーラス(クレジットに「荒川少年少女合唱隊」という名前もある)に力を入れている。歌詞については、これから新しい出発をしようとしている人に向けているようだ。ただ、それよりもコーラスを含めた楽しい雰囲気に浸ったほうが正解だろう。聴くたびに気持ちが高揚させられる。また、
「教室のだれより 大人びた girl friend
今はやさしい目をしてる teenage mama ね
路地裏のヒーロー 憧れた girl friend
ファーストフードのレジ 笑顔でたたいている」
という若者に対する彼女の柔らかい視点も魅力的だ。
(6)19歳の秘かな欲望(The Lover Soul Version)(作詞:戸沢暢美、作曲:岡村靖幸、編曲:佐橋佳幸)
アルバムで唯一、彼女の作詞ではない作品だ。もともとは2枚目のアルバム「Lovin you」(86年)に入っていたものを再録音している。なぜそうしたか理由はよくわからないけど、過剰なくらい大仰なアレンジに変化してしまった。92年までの彼女はこの曲をライブで歌うたび、マイクなしで会場に生声を披露し強烈な印象を与えてきた。ノドに負担がかかるパフォーマンスだったためか、今ではもうこの曲を歌っていない。かつての彼女のライブを観た人にはこの曲は忘れられないだろう。
(7)彼女の彼(作詞:渡辺美里、作曲・編曲:佐橋佳幸)
歌詞の中に「カセット(テープ)」というフレーズが出てくる。当時はまだCDが出始めている時代だったのを覚えている人はどれほどいるだろう。明日から「彼女の彼」になるという好きな人に、今日だけは恋人のふりをして歩いて、と願う曲。たぶん生で聴く機会はないと勝手に思っていたけれど、06年7月22日に山梨県の山中湖畔でおこなわれたライブで披露された。客席からワーッと歓声があがったのをいまでも覚えている。
(8)ぼくでなくっちゃ(作詞・作曲:渡辺美里、編曲:清水信之)
シングル“センチメンタルカンガルー”のカップリング曲で収録されている。これは作曲も彼女自身がしている。
歌詞は、
「夜明け前ひとり
歩道橋にすわり
朝刊を運ぶ
少年をみている」
という朝の光景で始まる。伴奏はキーボードとピアノだけという非常に簡素な編成だ。音も曲調もゆったりしていてやさしい雰囲気に包まれている。
(9)Tokyo Calling(作詞:渡辺美里、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
曲名はクラッシュ(The Clash)の「London Calling」をもじったものだろう。ただ2つの曲に関連性は全くない。強いて挙げるとすれば、歌詞に少し社会性のあるテーマを取り扱っている点くらいだろうか。
高速道路の建設のために自然が破壊されていく高尾山(東京都)のことテーマにしているそうだ。ロケットの発射音やサイレンが冒頭に入るなど異色な印象を与えるものの、メッセージ性という点では特に強く感じるものはない。メッセージソングと解するより、破壊されていく世界の美しさのようなものを淡々と描いた作品と捉えたい。
「自然だけが息をしていた土手の上にも
容赦のないセメントが流し込まれる」
という感傷的な歌詞よりも、
「あの頃 きみはぼくにれんげ草をつんでくれた」
といった1行がずっと自分には残っている。どこかのブログで、このフレーズが好きだ、という人がいて嬉しかった。それは私も大いに共感するところだ。この曲も再演されることはないと勝手に思っていたけれど、07年7月29日に横浜でおこなったライブで突如うたわれてファンを驚かせた。
(10)悲しいね(Remix Version)(作詞:MISATO、作曲・編曲:小室哲哉)
87年12月9日に9枚目のシングルとして発売された曲。最高順位2位、17万5千枚を記録している。“Believe”と同じく冬の歌で、これもライブで披露される機会はいまでも結構ある。人気は高いと思われるけれど、私はいまひとつ好きになれない。悲しい悲しい、と落ち込んでいくばかりで彼女らしい上向きな部分(歌詞ではなくて、歌い方や声などの点で)が希薄に感じるからだ。ただライブ、たとえば「スタジアム伝説」(92年)でバイオリンだけをバックにこの曲を歌う姿には圧倒された。
(11)10 years(作詞:渡辺美里、作曲:大江千里、編曲:有賀啓雄)
初出はこのアルバムであるけれど、88年10月21日に出た12枚目のシングル“君の弱さ”のカップリング曲としても収録されている。ファンには改めて説明するまでもないけれど、現在のライブではほぼ確実に歌われる、“My Revolution”と双璧をなす彼女の代表曲だ。また、作曲した大江千里もいつの頃か自分でも歌うようになった。
「10年」という時間をテーマにした曲で、
「あれから10年も
この先10年も」
というフレーズは年をつれて重みが増しているような気がする。「あれから」の10年を振り返り、「この先」の10年をどうするか、そんなことをあれこれ悩んだりするのを止めることはできそうにない。こうした人間の業のようなものがこの曲には含まれている。それが彼女の歌声と相まって多くの人の心に残る作品となったのであろう。おそらくこの曲を聴いて何も感じない人は渡辺美里に縁はない。彼女の全てではないにしろ、渡辺美里の核となる大事な部分が詰まっている。
(2)恋したっていいじゃない
(3)さくらの花の咲くころに
(4)Believe(Remix Version)
(5)シャララ
(6)19歳の秘かな欲望(The Lover Soul Version)
(7)彼女の彼
(8)ぼくでなくっちゃ
(9)Tokyo Calling
(10)悲しいね(Remix Version)
(11)10 years
先日のブログでこのアルバムについて述べているうちに、発売してから20年も経っていることに気づいてしまった。私が小学生だった80年代は遥か遠い昔である。
この「ribbon」はそんな80年代の邦楽を代表する1枚といえるかもしれない。なにしろ当時としては異例のミリオンセラーを記録したのだから。当時のキャッチコピーは、
「戦後最大のPOPアルバム」
というものだった。その大仰なフレーズにシラケた人もいただろう。しかし、このアルバムや当時の美里に対してそれだけの冠をつけてもおかしくはない、と私は今でも思っている。
91年に渡辺美里を本格的に聴き始めた私にとって「ribbon」は残念ながらリアルタイムで接したわけではない。それでもこのアルバムは彼女の作品の中で3指に入るものだ。それくらい強い思い入れを持っている。最高傑作は人によって好みは分かれるだろう。しかし彼女のファンで「ribbon」を否定する人はおそらくいない。なぜならば「ribbon」は「歌手」という枠を超えて「表現者」としての渡辺美里を確立した作品だからだ。このアルバムを抜きにして渡辺美里は語れない。
1枚目の「eyes」(85年)、そしてあの“My Revolution”が入っている2枚目の「Lovin you」(86年)の時点で彼女は表向きにはプロデューサーに入っていない。またこの時期はもっぱら他人の提供する歌詞を歌っていた。そのこと自体は否定するものではない。ただ、ここまでの彼女の役割はもっぱら「歌手」としてのものだったということを指摘したいだけである。
3枚目の「Breath」(87年)よりプロデューサーで彼女も名前を連ねる。そして歌詞は自身の作詞のみになった。つまり、歌だけでなく歌詞においても自身の個性を押し出していくように変化していったわけだ。美里の「表現者」としての出発といえよう。「Breath」は10代や20代の若者が持つ心情が鮮やかに刻み込まれた傑作ではある。しかし、ここでもまだ彼女の個性が全開したとはいえないだろう。作品の持つエネルギーは圧倒的なものの、そのベクトルは内に向かっている。それが魅力的であると思う時もあれば、痛々しく感じる瞬間もある。
これと比較してみると、「ribbon」も強いエネルギーの出ているアルバムであるけれどその方向は外へ広がっている。平たく言うと非常に開放的で風通しの良いアルバムに仕上がっているのだ。だからこそこれほどのセールスを記録したのだろう。
それでは「ribbon」をもって確立された彼女の個性とは何だろうか。それは私の言葉で「写実性」と表現したい。ここではこの「写実性」というものを軸にして渡辺美里と「ribbon」について書いてみたい。
いままで彼女について写実性という観点から述べた文章は見たことがない。けれど、私は10代の時から渡辺美里を写実的な表現者だと感じていた。いまもその印象は変わっていない。そして「ribbon」はその典型的な作品だと位置づけている。
論拠を示すため、「ribbon」の歌詞カードに載っている彼女の文章を取り上げたい。この21行の文章にアルバムの中身が見事に凝縮されている。
「私には手紙を通じての友だちがたくさんいます。
レコードを出す前からの友だち。
真夜中のラジオの生放送にハガキを送ってくれた友だち。
外国からのエアメイルをくれる友だち。
今もその頃の手紙を読み返したりすると
一緒にうれしくなったり時には悲しくなったり
また励まされたりします。
そんな人たちの現在を想いながら
いくつかの歌をつくってみました。
みんなとの結び目になればそしてありがとうの想いをこめて
このレコード「ribbon」を捧げます。
91匹のTinyカンガルー
右あがりの丸い文字の君、因数分解を教えてくれた君
やさしい目をしたティーンエイジママ
ファーストフードのレジ笑顔でたたいている君
彼女の彼、れんげ草をつんでくれた君
朝刊を運ぶ少年、よくにた瞳をした恋人
街を歩くピノキオ、歩はばをあわせて歩いてくれた君
汚れたシューズ、よれよれのシャツの君
屋上に腰かけて檸檬かじった君
そして、全てのセンチメンタルカンガルーへ」
アルバムを聴いている人には、この文章から音が聴こえてくる気がしてこないだろうか。たとえ聴いたことのない人でも、どんなアルバムかイメージが湧いてくるのではないか。
たわいものないことが書いてると思う人もいるかもしれない。しかしこうしたたわいもなさが「ribbon」の本質である。「Breath」は大人の世界を目の前にして苦悩している若者が主に描かれていたのに対し、「ribbon」の登場人物はどこにでもいる街の人たちだ。そんな何気ない光景が彼女の手によって普遍的で鮮やかな11編の歌に変わっている。前作と比べて彼女の視点がずっと細やかになったことがうかがえよう。
渡辺美里という人は非常に簡潔にわかりやすく情景を描くのが上手な表現者である(であった、という方が適切だろうか)。しかしこうした彼女の才能を指摘する人を見たことがない。それはファンもアンチも同じである。たとえば意識的な音楽ファンや音楽ライターといった人たちは芸術家くずれのような人が多く、意味不明なものをありがたがり、いわゆる「わかりやすい」作品は「単純」などとレッテルを貼り敬遠するきらいがある。さらにはライター自身も訳のわからない文章を書いて自己満足しているから余計にタチが悪い。「わかりやすい表現」を嫌うのは一向に構わない。それは各人の趣味の問題だから。ただそれが悪いとか駄目だとか言って批判するのは浅薄な話であるということだけは言いたい。
人にパッと伝わるような表現をするのは簡単なことではない。ましてや文章や言葉ではなく音楽をもってするのはいっそう困難な作業である。それを自覚している人は残念ながら本当に少ない。知名度も評価も得られぬまま一生を終わってしまうであろう音楽ライターの皆さんは果たして他人に伝達可能な文章を書いているだろうか。一度は振り返ってみることをお勧めしたい。
本題が外れてしまった。私が強調したいのは、渡辺美里は写実的で鮮やかな光景を提示できる数少ない表現者であるということだ。いや個人的には彼女以外に私は知らない。だから今でも彼女を追いかけざるをえないのだ。昔のようなライブや作品は望めないにしても、代わりになる人がいないのだから仕方ない。
せっかくの機会だから色々書いてみたい。実は、美里のCDを聴くたびに恐れていることがある。10代に心を振るわせた音楽が年を経るごとに色あせていくのではないだろうか、という不安だ。
正直に言うと、歌詞については10代の頃にもっと共感していたような気がする。年をくってしまった自分には縁遠くなった部分が多くなったからだろう。しかしそれは仕方ない話である。そもそもロックやポップスというのはもともと若者のために作られた音楽なのだから。年齢を重ねたため作品に共感できなくなるというのは当然の現象である。それを駄目だという輩は何か勘違いしている。おじさんおばさんの身になってもまだロックやポップスに異様な執着をしているほうがよほど世間ズレているのだから。
ただ、音や歌声は色あせていないのにはホッとする。彼女の声がもつ力強さややさしさ、“さくらの花の咲くころに”の美しい情景、“恋したっていいじゃない”の可愛らしさ、“10 years”を聴く時のなんともいえない心境などはいまだに力を失っていない。
せめて彼女の歌の力だけはこのまま失わないで欲しいと願う。そして、このまま自分の人生が終わるまで、アルバムの輝きは消えないでほしい。私としては渡辺美里の作品をずっと座右に置きたいのである。
今年は20周年ということでデラックス・エディションなど出てくれたら、という思いもある。昔のライブ音源なんて追加されたら感涙ものだろう。といっても、BOOK OFFあたりで二束三文で売られているような状態では望むだけ無理な話だ。それならせめて、このような音楽を求めている人の手に渡ってほしいと願う。
思い入れの強い作品なので、最後に1曲ずつ簡単な感想などを記したい。ちなみにアルバムは88年5月28日に発売され、初登場1位を記録しそのまま4週連続で首位にとどまった。
【曲目解説】
(1)センチメンタルカンガルー(作詞:渡辺美里、作曲・編曲:佐橋佳幸)
88年7月21日、11枚目のシングルとなった曲。最高順位9位、8万枚を売り上げる。缶コーヒー「UCC」のCMにも使われた。「センチメンタルカンガルー」という印象的な言葉は彼女の造語で特に意味はないようだ。こうした一つ一つのフレーズに彼女の言葉に対する感覚の鋭さを感じるけれど、皆さんはいかがだろうか。
(2)恋したっていいじゃない(作詞:渡辺美里、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
88年4月21日、10枚目のシングル。最高位2位、24万6千枚を売り上げる。この曲も缶コーヒー「UCC」のCMにも起用された。アルバムの中で最もスピード感がある曲だ。歌詞のテーマはタイトルの通りのものだ。しかし、サビの「D.A.T.E!」などの可愛いらしいフレーズが随所にあったり、
「ルーズな街のインチキに打ちのめされても
流行のスタイルに流されないよ」
といった登場人物の芯の強い部分が見え隠れしたりと、単にハードでポップな曲にとどまらぬ鮮やかな世界を築いている。いまでもライブで披露されれば盛り上がる。彼女の代表曲の一つといえよう。
(3)さくらの花の咲くころに(作詞:渡辺美里、作曲:木根尚登、編曲:清水信之)
シングル曲ではないけれどファンの間では人気が高い。さくらの花の咲くころには、風の強い日には自分を思い出してほしいと呼びかける。春の光景を美しくやさしい視点で描いていて、こうした曲は前作までにはなかった。また2曲目とはうって変わって、アコースティックギターを主体にしたゆったりした曲調なのも印象を強めているような気がする。
(4)Believe(Remix Version)(作詞:渡辺美里、作曲:小室哲哉、編曲:大村雅朗)
86年10月22日にはすでにシングルとして出ている。最高2位、20万6千枚を売り上げた。TBS系ドラマ「痛快!OL通り」の主題歌に使われた。時期的には「Breath」であるけれどなぜかこのアルバムに収録された。歌詞も曲調も「Breath」の世界に近い。さっきは春の歌だがこちらは冬、しかも張りつめたような寒さを感じる曲である。しかし、むしろ清々しい印象を与えるのは彼女のキャラクターによるものだろう。いま思ったが、彼女は四季というものも歌にきっちりと描いている傾向も強い。この曲もその一端を示す作品である。
(5)シャララ(作詞:渡辺美里、作曲:岡村靖幸、編曲:佐橋佳幸・西平彰)
冒頭の「ウォーウォー」やサビの「シャララララララ」などコーラス(クレジットに「荒川少年少女合唱隊」という名前もある)に力を入れている。歌詞については、これから新しい出発をしようとしている人に向けているようだ。ただ、それよりもコーラスを含めた楽しい雰囲気に浸ったほうが正解だろう。聴くたびに気持ちが高揚させられる。また、
「教室のだれより 大人びた girl friend
今はやさしい目をしてる teenage mama ね
路地裏のヒーロー 憧れた girl friend
ファーストフードのレジ 笑顔でたたいている」
という若者に対する彼女の柔らかい視点も魅力的だ。
(6)19歳の秘かな欲望(The Lover Soul Version)(作詞:戸沢暢美、作曲:岡村靖幸、編曲:佐橋佳幸)
アルバムで唯一、彼女の作詞ではない作品だ。もともとは2枚目のアルバム「Lovin you」(86年)に入っていたものを再録音している。なぜそうしたか理由はよくわからないけど、過剰なくらい大仰なアレンジに変化してしまった。92年までの彼女はこの曲をライブで歌うたび、マイクなしで会場に生声を披露し強烈な印象を与えてきた。ノドに負担がかかるパフォーマンスだったためか、今ではもうこの曲を歌っていない。かつての彼女のライブを観た人にはこの曲は忘れられないだろう。
(7)彼女の彼(作詞:渡辺美里、作曲・編曲:佐橋佳幸)
歌詞の中に「カセット(テープ)」というフレーズが出てくる。当時はまだCDが出始めている時代だったのを覚えている人はどれほどいるだろう。明日から「彼女の彼」になるという好きな人に、今日だけは恋人のふりをして歩いて、と願う曲。たぶん生で聴く機会はないと勝手に思っていたけれど、06年7月22日に山梨県の山中湖畔でおこなわれたライブで披露された。客席からワーッと歓声があがったのをいまでも覚えている。
(8)ぼくでなくっちゃ(作詞・作曲:渡辺美里、編曲:清水信之)
シングル“センチメンタルカンガルー”のカップリング曲で収録されている。これは作曲も彼女自身がしている。
歌詞は、
「夜明け前ひとり
歩道橋にすわり
朝刊を運ぶ
少年をみている」
という朝の光景で始まる。伴奏はキーボードとピアノだけという非常に簡素な編成だ。音も曲調もゆったりしていてやさしい雰囲気に包まれている。
(9)Tokyo Calling(作詞:渡辺美里、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
曲名はクラッシュ(The Clash)の「London Calling」をもじったものだろう。ただ2つの曲に関連性は全くない。強いて挙げるとすれば、歌詞に少し社会性のあるテーマを取り扱っている点くらいだろうか。
高速道路の建設のために自然が破壊されていく高尾山(東京都)のことテーマにしているそうだ。ロケットの発射音やサイレンが冒頭に入るなど異色な印象を与えるものの、メッセージ性という点では特に強く感じるものはない。メッセージソングと解するより、破壊されていく世界の美しさのようなものを淡々と描いた作品と捉えたい。
「自然だけが息をしていた土手の上にも
容赦のないセメントが流し込まれる」
という感傷的な歌詞よりも、
「あの頃 きみはぼくにれんげ草をつんでくれた」
といった1行がずっと自分には残っている。どこかのブログで、このフレーズが好きだ、という人がいて嬉しかった。それは私も大いに共感するところだ。この曲も再演されることはないと勝手に思っていたけれど、07年7月29日に横浜でおこなったライブで突如うたわれてファンを驚かせた。
(10)悲しいね(Remix Version)(作詞:MISATO、作曲・編曲:小室哲哉)
87年12月9日に9枚目のシングルとして発売された曲。最高順位2位、17万5千枚を記録している。“Believe”と同じく冬の歌で、これもライブで披露される機会はいまでも結構ある。人気は高いと思われるけれど、私はいまひとつ好きになれない。悲しい悲しい、と落ち込んでいくばかりで彼女らしい上向きな部分(歌詞ではなくて、歌い方や声などの点で)が希薄に感じるからだ。ただライブ、たとえば「スタジアム伝説」(92年)でバイオリンだけをバックにこの曲を歌う姿には圧倒された。
(11)10 years(作詞:渡辺美里、作曲:大江千里、編曲:有賀啓雄)
初出はこのアルバムであるけれど、88年10月21日に出た12枚目のシングル“君の弱さ”のカップリング曲としても収録されている。ファンには改めて説明するまでもないけれど、現在のライブではほぼ確実に歌われる、“My Revolution”と双璧をなす彼女の代表曲だ。また、作曲した大江千里もいつの頃か自分でも歌うようになった。
「10年」という時間をテーマにした曲で、
「あれから10年も
この先10年も」
というフレーズは年をつれて重みが増しているような気がする。「あれから」の10年を振り返り、「この先」の10年をどうするか、そんなことをあれこれ悩んだりするのを止めることはできそうにない。こうした人間の業のようなものがこの曲には含まれている。それが彼女の歌声と相まって多くの人の心に残る作品となったのであろう。おそらくこの曲を聴いて何も感じない人は渡辺美里に縁はない。彼女の全てではないにしろ、渡辺美里の核となる大事な部分が詰まっている。
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