昨日の勤務をもって21連勤の一区切りをつけたが、それは別に今日のライブへ行くためだけに仕事を休んだわけではない。昼過ぎから龍谷大学深草キャンパスにてTOEICの試験も受けることにしていたのだ。最初に試験を申し込んだのか、それともチケットを先に確保したのか、いまとなってはもう記憶に残っていない。いずれにせよ、休日の割には全く頭も体も落ち着くことができない一日となってしまった。
午後3時を少し回ったころに2時間ぶっ通しの試験が終わる。そこから休むことなく歩いて地下鉄に向かい、四条で阪急線に乗り換えて梅田に向かった。車中で音楽などを聴くこともできたが、そんなこともせずカバンに入れておいた「ヒストリエ」(アフタヌーンKC)9巻を3回ほど繰り返して読んだ。これは昨日到着したのだが、試験が終わるまでの楽しみにとっておこうと思っていたものだった。ライブについては正直もう京都公演で観ていたこともあり、今日のライブに関心はそれほど高くはなかった。ただ、もうこれで観る機会もないという事実もあって取ったというだけのことである。
そんな心境だったので、ライブ前に通常はちょっとあり得ないミスをしてしまった。会場前に着いたのは4時50分ごろだったか。そこから30分ほど周辺をうろついて5時20分あたりにエレベーターで建物の10階にあるクワトロに向かった。エレベーターが開いた瞬間に「SOLD OUT」という字がカウンターにあったのが目に飛び込んできた。久しぶりに大阪公演も完売になったのかと少し嬉しかった。私がライブを初めて観てた時(02年)から、大阪でチケットが完売した記憶はない。
しかし、なんだか会場の様子がおかしい。入場を待つ人の列ができていないのだ。そのまま言われるがままにチケットを提示してドリンクを交換したあたりで、開場時間をチケットで確認したら「午後5時」だったことに気付く。クワトロに行く機会もグッと減ってしまったためか、ここの開場から開演までの時間が1時間だったということをすっかり忘れていた。整理番号は「A20番」とかなり若い番号だったわけだが、もうすでに200人は入っていただろうか。しかし先日の京都公演では二宮氏の目の前という最高の場所で観ていたので、あまり残念だとかいったような気持ちは湧いてなかった。梅田のクワトロは上段・中段・下段とフロアが分かれているが、中段の後ろの方に陣取って壁にもたれるようにして開演を待つ。午後6時を5分ほど回って照明が落ちる。さすがに私のいる場所ではステージはほとんど見えない。背伸びすればメンバーの頭が見える程度である。
予想通り“街の底”から始めまる曲目は京都と全く同じだった。違っていたのは、京都ではあった田森氏のMCが無くなったことで、今回はこういうツアーだから必ずも何か喋るのかと思っていたのでそこは意外だった。私自身、田森氏がライブ中にMCをするというのは初めてのことだったからその点で京都は貴重だったといえる。今回で脱退する二宮氏にが”直に掴み取れ”の直前とアンコール登場時にMCをするのはどの会場でも同じようだ。
あまり音響が良いとはいえない磔磔よりも今夜の音はマシかと思っていたが、冒頭での印象はそれほど変わりない。そのままボーッと観ていた。しかし中盤の”青すぎる空”が始まった時に、
「ああ、この曲も生で聴くのが最後か・・・」
と気づき出す。大好きな”青すぎる空”も”踵鳴る”も、今夜で見納めである。そんなことを考えると多少は感傷的になった。ただ、確かに寂しいことは寂しいのだが「もっともっとライブを観たい!」という思いは自分の中には湧いてこなかった。それはもう13年ほど彼らを見続けていたわけだし、惰性でCDを買ってきたような部分も否定できない。つまり個人的にはもう彼らの音について十分に満たされたということなのだろう。
彼ら以外で活動を追いかけている日本のバンドがいない自分からすれば、こういうライブを観る機会はもう訪れないような気がする。会場の後方でステージから流れる演奏を聴きながら、もう自分の体はこのような音楽を欲していないのだなあ、としみじみと感じた。その点でも、今回のライブが幕引きでもう燃え尽きたかなという心境になっている。
何事も「終わり」というものがある。それは先方の都合もあるし、自分の事情もある。それだけのことなのだ。若い時分はそんなこともわからず泣いたり怒ったりと感情的になりがりだが、もはや私は来年40である。そんな年齢でもない。
“月影”から昔の曲を連発する中盤で会場が揺れるのが感じられた。しかし大半のお客は遠慮がちというか、むやみに声も出さずに神妙な調子でライブを観ていたのを後ろにいてすごく感じた。やはり、これが最後、という思いがお客の間にも共有されていたのだろう。
だが、その最後の最後のライブで非常に残念な話だが、今夜はダイブをしていたゴミが発生してしまった。かつて吉野氏があれだけ嫌がって、ライブ中にダイブが起きればいったん中断して観客を諭すようなことを繰り返してきたというのに・・・。今日は完売したということもあり、そうした経緯や事情も知らない連中も足を運んだのかもしれない。もしかしたら、これで最後なんだからやってしまえ、と確信犯がくだらない意図が出たのかもしれない。いずれにせよ、イースタンのライブに来るということは40歳前後の年齢だと思われるが、彼らはこれからもライブでこんな真似をし続けるのだろうか。無駄に体は頑丈なのかもしれないが、頭の中は虫が湧いているに違いない。
たまたま2ちゃんねるを見てみたら、やはりダイブへの非難が起きていた。ダイブが起きたし2回目のアンコールで出てくるか不安だった、というのもあった。
その中で、
<なんで金払ろて吉野のご機嫌伺いしなあかんねん
あほか >
といういかにもクズな書き込みを見かける。
吉野氏の機嫌うんぬんというのはあまり関係ない。ただ、ステージの人が気持ちよく絶好調でライブができれば結果として客の立場からも得をするとは思う。それよりも自己満足で迷惑行為や危険行為をするというのが根本的に間違っているのだ。しかも、金を払えば何をしてもいい、というのは成熟した社会人の態度ではない。自由をはき違えるなよゴミ、と改めて言っておきたい。
10年以上も観てきたバンドの最後がこういう感じで終わったのは少しスッキリしないが、煮え切らない心境でライブに臨んでいる自分もいたわけだし、終わりといのはこういうものなのかなあ、などと納得している。
とりあえず、これまでに幾度となく素晴らしいライブを見せてもらった3人には感謝の言葉しかない。また出会う日があるのかは、確約はできないが、とにかくお疲れさまでした。
最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)街の底
(2)鳴らせよ 鳴らせ
(3)沸点36℃
(4)イッテコイ カエッテコイ
(5)茫洋
(6)ナニクソ節
(7)月影
(8)男子畢生危機一髪
(9)青すぎる空
(10)雨曝しなら濡れるがいいさ
(11)テレビ塔
(12)踵鳴る
(13)直に掴み取れ
(14)グッドバイ
(15)万雷の拍手
(16)荒野に針路を取れ
(アンコール1)
(17)夏の日の午後
(18)砂塵の彼方
(アンコール2)
(19)夜明けの唄
午後3時を少し回ったころに2時間ぶっ通しの試験が終わる。そこから休むことなく歩いて地下鉄に向かい、四条で阪急線に乗り換えて梅田に向かった。車中で音楽などを聴くこともできたが、そんなこともせずカバンに入れておいた「ヒストリエ」(アフタヌーンKC)9巻を3回ほど繰り返して読んだ。これは昨日到着したのだが、試験が終わるまでの楽しみにとっておこうと思っていたものだった。ライブについては正直もう京都公演で観ていたこともあり、今日のライブに関心はそれほど高くはなかった。ただ、もうこれで観る機会もないという事実もあって取ったというだけのことである。
そんな心境だったので、ライブ前に通常はちょっとあり得ないミスをしてしまった。会場前に着いたのは4時50分ごろだったか。そこから30分ほど周辺をうろついて5時20分あたりにエレベーターで建物の10階にあるクワトロに向かった。エレベーターが開いた瞬間に「SOLD OUT」という字がカウンターにあったのが目に飛び込んできた。久しぶりに大阪公演も完売になったのかと少し嬉しかった。私がライブを初めて観てた時(02年)から、大阪でチケットが完売した記憶はない。
しかし、なんだか会場の様子がおかしい。入場を待つ人の列ができていないのだ。そのまま言われるがままにチケットを提示してドリンクを交換したあたりで、開場時間をチケットで確認したら「午後5時」だったことに気付く。クワトロに行く機会もグッと減ってしまったためか、ここの開場から開演までの時間が1時間だったということをすっかり忘れていた。整理番号は「A20番」とかなり若い番号だったわけだが、もうすでに200人は入っていただろうか。しかし先日の京都公演では二宮氏の目の前という最高の場所で観ていたので、あまり残念だとかいったような気持ちは湧いてなかった。梅田のクワトロは上段・中段・下段とフロアが分かれているが、中段の後ろの方に陣取って壁にもたれるようにして開演を待つ。午後6時を5分ほど回って照明が落ちる。さすがに私のいる場所ではステージはほとんど見えない。背伸びすればメンバーの頭が見える程度である。
予想通り“街の底”から始めまる曲目は京都と全く同じだった。違っていたのは、京都ではあった田森氏のMCが無くなったことで、今回はこういうツアーだから必ずも何か喋るのかと思っていたのでそこは意外だった。私自身、田森氏がライブ中にMCをするというのは初めてのことだったからその点で京都は貴重だったといえる。今回で脱退する二宮氏にが”直に掴み取れ”の直前とアンコール登場時にMCをするのはどの会場でも同じようだ。
あまり音響が良いとはいえない磔磔よりも今夜の音はマシかと思っていたが、冒頭での印象はそれほど変わりない。そのままボーッと観ていた。しかし中盤の”青すぎる空”が始まった時に、
「ああ、この曲も生で聴くのが最後か・・・」
と気づき出す。大好きな”青すぎる空”も”踵鳴る”も、今夜で見納めである。そんなことを考えると多少は感傷的になった。ただ、確かに寂しいことは寂しいのだが「もっともっとライブを観たい!」という思いは自分の中には湧いてこなかった。それはもう13年ほど彼らを見続けていたわけだし、惰性でCDを買ってきたような部分も否定できない。つまり個人的にはもう彼らの音について十分に満たされたということなのだろう。
彼ら以外で活動を追いかけている日本のバンドがいない自分からすれば、こういうライブを観る機会はもう訪れないような気がする。会場の後方でステージから流れる演奏を聴きながら、もう自分の体はこのような音楽を欲していないのだなあ、としみじみと感じた。その点でも、今回のライブが幕引きでもう燃え尽きたかなという心境になっている。
何事も「終わり」というものがある。それは先方の都合もあるし、自分の事情もある。それだけのことなのだ。若い時分はそんなこともわからず泣いたり怒ったりと感情的になりがりだが、もはや私は来年40である。そんな年齢でもない。
“月影”から昔の曲を連発する中盤で会場が揺れるのが感じられた。しかし大半のお客は遠慮がちというか、むやみに声も出さずに神妙な調子でライブを観ていたのを後ろにいてすごく感じた。やはり、これが最後、という思いがお客の間にも共有されていたのだろう。
だが、その最後の最後のライブで非常に残念な話だが、今夜はダイブをしていたゴミが発生してしまった。かつて吉野氏があれだけ嫌がって、ライブ中にダイブが起きればいったん中断して観客を諭すようなことを繰り返してきたというのに・・・。今日は完売したということもあり、そうした経緯や事情も知らない連中も足を運んだのかもしれない。もしかしたら、これで最後なんだからやってしまえ、と確信犯がくだらない意図が出たのかもしれない。いずれにせよ、イースタンのライブに来るということは40歳前後の年齢だと思われるが、彼らはこれからもライブでこんな真似をし続けるのだろうか。無駄に体は頑丈なのかもしれないが、頭の中は虫が湧いているに違いない。
たまたま2ちゃんねるを見てみたら、やはりダイブへの非難が起きていた。ダイブが起きたし2回目のアンコールで出てくるか不安だった、というのもあった。
その中で、
<なんで金払ろて吉野のご機嫌伺いしなあかんねん
あほか >
といういかにもクズな書き込みを見かける。
吉野氏の機嫌うんぬんというのはあまり関係ない。ただ、ステージの人が気持ちよく絶好調でライブができれば結果として客の立場からも得をするとは思う。それよりも自己満足で迷惑行為や危険行為をするというのが根本的に間違っているのだ。しかも、金を払えば何をしてもいい、というのは成熟した社会人の態度ではない。自由をはき違えるなよゴミ、と改めて言っておきたい。
10年以上も観てきたバンドの最後がこういう感じで終わったのは少しスッキリしないが、煮え切らない心境でライブに臨んでいる自分もいたわけだし、終わりといのはこういうものなのかなあ、などと納得している。
とりあえず、これまでに幾度となく素晴らしいライブを見せてもらった3人には感謝の言葉しかない。また出会う日があるのかは、確約はできないが、とにかくお疲れさまでした。
最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)街の底
(2)鳴らせよ 鳴らせ
(3)沸点36℃
(4)イッテコイ カエッテコイ
(5)茫洋
(6)ナニクソ節
(7)月影
(8)男子畢生危機一髪
(9)青すぎる空
(10)雨曝しなら濡れるがいいさ
(11)テレビ塔
(12)踵鳴る
(13)直に掴み取れ
(14)グッドバイ
(15)万雷の拍手
(16)荒野に針路を取れ
(アンコール1)
(17)夏の日の午後
(18)砂塵の彼方
(アンコール2)
(19)夜明けの唄
長い長い連勤は「20日」で一区切りにして、今日は休みをとった。題名の通りeastern youthのライブ、それも現在のメンバーとしては最後の京都公演だ。
開演が近づくごとに感傷的な気持ちも出てきたが、どうもいまいち気分がスッキリしない。理由はこの天気だろう。春の嵐というほどでもないが、ここ最近は不安的な気候が続いている。磔磔のサイトを覗いてみたら、いつの間にやらチケットは「sold out」となっていた。磔磔で彼らのライブが完売したというのは10年ぶりくらいではないだろうか。それはそれで嬉しいものの、しかしあの狭苦しい会場がすし詰めになると思うと正直気分は重たい。
午後5時20分、開場10分前に磔磔へ到着する。空は相変わらずどんよりとしていたが、幸い雨は降らなかった。私の整理番号は「A126番」とそれほど若い番号ではなかったものの、早くから待って入場して適当なところに陣取ったら前から2列目の左側を確保することができた。真っ平な磔磔なので前にいた方が断然観やすい(真ん中のより後ろだったら、もう演者の頭くらいしか見えない)。ドリンク代と引き換えた缶ビールを飲んでいたら、
「これで3人の京都ライブは最後かあ・・・」
とまた寂しさが高まってくる。そうしているうちに時計の針は午後6時を回り、開演である。田森氏、そして本ツアーをもって脱退する二宮氏が通る時に手を伸ばしたらタッチすることができた。そして目の前に陣取ってから、そういえばこちらから見て左が二宮サイドだったと気づく。今夜の私は実に良い場所に立てたと思う。
1曲目は予想通り新作「ボトムオブワールド」(15年)の“街の底”、そして“鳴らせよ 鳴らせ”と続く。以前に感想を書いたがこの3人の集大成ともいえる素晴らしいアルバムなのでお客の反応はすこぶる良い感じだ。久しぶりの完売公演なので暴れるバカが混じっているのではという一抹の不安があったが、後ろから強い圧力がかかるということもなく終始気持ちよくライブを観ることができた。このあたりはさすがeasternを長年観てきた人たちの姿勢であろう。ダイブやモッシュが起きれば「盛り上がる」という感覚は実に幼稚で単純なものがあると、こうしたライブに参加していると本当に思う。
よく言われることだが、磔磔という会場は特に音響が良いところではない。しかも私は前の方に陣取っていたため音自体にはそれほど素晴らしいとは感じられなかった。ただ、近距離で3人の演奏する姿を間近で観られたという事実は感慨深いものがある。
“ナニクソ節”が終わった後、
「お願いします」
と吉野氏が言うと、観客にとって実に驚くことが起きた。なんとドラムスの田森氏がマイクを手にとって話し始めたのでる。内容は先週誕生日を迎えましたという他愛もないことだが、おそらく始めて私が直に聞いた彼の生声である。このあたりが今回のツアーの位置づけを物語っているようでならない。
そして続いて演奏されたのは、なんと“月影”というだいぶ昔の曲である。間奏で「オー!オー!と」一緒になって歌っていて往年のファンたちは盛り上がっていたが、このあたりの作品をちゃんと聴きこんでいない私は少し取り残されたような感覚におちいった。
“踵鳴る”のあとにまた「お願いします」の合図で、二宮氏のMCだ。これもほとんど中身のない内容であり今回で脱退という雰囲気は一つもなかった。そしていつもは演奏前にいろいろとユーモアの交えたMCをする吉野氏はここまで全くしゃべっていない。ただ、花粉症か風邪なのかよくわからないが、やたらティッシュで鼻をかむ場面がありそれが笑いを誘った。普通の歌手なら歌える状態でもなかったかもしれないが、彼らの音楽には鼻の状態はそれほど影響がないようである。
私には音楽的知識がなくてeasternにしても何か音的に語る術はもっていなくて歯がゆい思いがするのだが、“万雷の拍手”などを観ていると、やはりこの3人が揃って鳴らさないとこの音は出ないのではと思ってしまう。最後は“荒野に針路を取れ”で終わる。「旅が続く」というフレーズが何度か出てくるこの曲で本編が締められたというのは何やら象徴的ではある。
アンコールが始まる前に、再び二宮氏のMCで、今回のツアーで卒業ということに、と切り出してきた。これからはアッちゃん(田森氏のこと)がセンターをやって、とふざけたことを言いながらも、
「・・・寂しいねえ・・・」
とこぼした時は、
「寂しいよ!」
と客席から叫び声が聞こえてきた。
ただ、
「バンドが解散するわけでもないし・・・」
と言っていたのには「え?そうなの?」と私には意外な話だった。そういうこともあってか最後の二度目のアンコールで“夜明けの唄”が終わり、
「ありがとう!またどこかで!」
と吉野氏が叫んで終演してもあまり会場は湿っぽい雰囲気にならなかったのは良かったと思う。ただ、終わってからステージの写真をさかんに撮影している人たちをちらほら見かけたのはいつもと違う光景だった。
演奏曲目は以下に記すが、全てが終わったのは午後8時10分ちかくだった。全19曲で実に2時間以上も演奏したのは彼らのこれまでのライブでも絶後だろう(いままでは1時間半かそこらだ)。少しでも多くの曲を最後のツアーで披露しようという彼らの姿勢に、14年ほど観てきた身としては胸を打つものがあった。
来月の梅田クラブクアトロの大阪公演が、私にとってはこの3人で最後のeastern youthのライブである。
【演奏曲目】
(1)街の底
(2)鳴らせよ 鳴らせ
(3)沸点36℃
(4)イッテコイ カエッテコイ
(5)茫洋
(6)ナニクソ節
(7)月影
(8)男子畢生危機一髪
(9)青すぎる空
(10)雨曝しなら濡れるがいいさ
(11)テレビ塔
(12)踵鳴る
(13)直に掴み取れ
(14)グッドバイ
(15)万雷の拍手
(16)荒野に針路を取れ
(アンコール1)
(17)夏の日の午後
(18)砂塵の彼方
(アンコール2)
(19)夜明けの唄
開演が近づくごとに感傷的な気持ちも出てきたが、どうもいまいち気分がスッキリしない。理由はこの天気だろう。春の嵐というほどでもないが、ここ最近は不安的な気候が続いている。磔磔のサイトを覗いてみたら、いつの間にやらチケットは「sold out」となっていた。磔磔で彼らのライブが完売したというのは10年ぶりくらいではないだろうか。それはそれで嬉しいものの、しかしあの狭苦しい会場がすし詰めになると思うと正直気分は重たい。
午後5時20分、開場10分前に磔磔へ到着する。空は相変わらずどんよりとしていたが、幸い雨は降らなかった。私の整理番号は「A126番」とそれほど若い番号ではなかったものの、早くから待って入場して適当なところに陣取ったら前から2列目の左側を確保することができた。真っ平な磔磔なので前にいた方が断然観やすい(真ん中のより後ろだったら、もう演者の頭くらいしか見えない)。ドリンク代と引き換えた缶ビールを飲んでいたら、
「これで3人の京都ライブは最後かあ・・・」
とまた寂しさが高まってくる。そうしているうちに時計の針は午後6時を回り、開演である。田森氏、そして本ツアーをもって脱退する二宮氏が通る時に手を伸ばしたらタッチすることができた。そして目の前に陣取ってから、そういえばこちらから見て左が二宮サイドだったと気づく。今夜の私は実に良い場所に立てたと思う。
1曲目は予想通り新作「ボトムオブワールド」(15年)の“街の底”、そして“鳴らせよ 鳴らせ”と続く。以前に感想を書いたがこの3人の集大成ともいえる素晴らしいアルバムなのでお客の反応はすこぶる良い感じだ。久しぶりの完売公演なので暴れるバカが混じっているのではという一抹の不安があったが、後ろから強い圧力がかかるということもなく終始気持ちよくライブを観ることができた。このあたりはさすがeasternを長年観てきた人たちの姿勢であろう。ダイブやモッシュが起きれば「盛り上がる」という感覚は実に幼稚で単純なものがあると、こうしたライブに参加していると本当に思う。
よく言われることだが、磔磔という会場は特に音響が良いところではない。しかも私は前の方に陣取っていたため音自体にはそれほど素晴らしいとは感じられなかった。ただ、近距離で3人の演奏する姿を間近で観られたという事実は感慨深いものがある。
“ナニクソ節”が終わった後、
「お願いします」
と吉野氏が言うと、観客にとって実に驚くことが起きた。なんとドラムスの田森氏がマイクを手にとって話し始めたのでる。内容は先週誕生日を迎えましたという他愛もないことだが、おそらく始めて私が直に聞いた彼の生声である。このあたりが今回のツアーの位置づけを物語っているようでならない。
そして続いて演奏されたのは、なんと“月影”というだいぶ昔の曲である。間奏で「オー!オー!と」一緒になって歌っていて往年のファンたちは盛り上がっていたが、このあたりの作品をちゃんと聴きこんでいない私は少し取り残されたような感覚におちいった。
“踵鳴る”のあとにまた「お願いします」の合図で、二宮氏のMCだ。これもほとんど中身のない内容であり今回で脱退という雰囲気は一つもなかった。そしていつもは演奏前にいろいろとユーモアの交えたMCをする吉野氏はここまで全くしゃべっていない。ただ、花粉症か風邪なのかよくわからないが、やたらティッシュで鼻をかむ場面がありそれが笑いを誘った。普通の歌手なら歌える状態でもなかったかもしれないが、彼らの音楽には鼻の状態はそれほど影響がないようである。
私には音楽的知識がなくてeasternにしても何か音的に語る術はもっていなくて歯がゆい思いがするのだが、“万雷の拍手”などを観ていると、やはりこの3人が揃って鳴らさないとこの音は出ないのではと思ってしまう。最後は“荒野に針路を取れ”で終わる。「旅が続く」というフレーズが何度か出てくるこの曲で本編が締められたというのは何やら象徴的ではある。
アンコールが始まる前に、再び二宮氏のMCで、今回のツアーで卒業ということに、と切り出してきた。これからはアッちゃん(田森氏のこと)がセンターをやって、とふざけたことを言いながらも、
「・・・寂しいねえ・・・」
とこぼした時は、
「寂しいよ!」
と客席から叫び声が聞こえてきた。
ただ、
「バンドが解散するわけでもないし・・・」
と言っていたのには「え?そうなの?」と私には意外な話だった。そういうこともあってか最後の二度目のアンコールで“夜明けの唄”が終わり、
「ありがとう!またどこかで!」
と吉野氏が叫んで終演してもあまり会場は湿っぽい雰囲気にならなかったのは良かったと思う。ただ、終わってからステージの写真をさかんに撮影している人たちをちらほら見かけたのはいつもと違う光景だった。
演奏曲目は以下に記すが、全てが終わったのは午後8時10分ちかくだった。全19曲で実に2時間以上も演奏したのは彼らのこれまでのライブでも絶後だろう(いままでは1時間半かそこらだ)。少しでも多くの曲を最後のツアーで披露しようという彼らの姿勢に、14年ほど観てきた身としては胸を打つものがあった。
来月の梅田クラブクアトロの大阪公演が、私にとってはこの3人で最後のeastern youthのライブである。
【演奏曲目】
(1)街の底
(2)鳴らせよ 鳴らせ
(3)沸点36℃
(4)イッテコイ カエッテコイ
(5)茫洋
(6)ナニクソ節
(7)月影
(8)男子畢生危機一髪
(9)青すぎる空
(10)雨曝しなら濡れるがいいさ
(11)テレビ塔
(12)踵鳴る
(13)直に掴み取れ
(14)グッドバイ
(15)万雷の拍手
(16)荒野に針路を取れ
(アンコール1)
(17)夏の日の午後
(18)砂塵の彼方
(アンコール2)
(19)夜明けの唄
この日の追加公演を買うかどうかは少し判断に迷った。先日に引き続き平日のライブだったからである。月曜日は大事をとって早めに仕事を終わらせてもらったけれど、またすぐ3日後になって、
「すいませーん。本日もお世話になりますう」
などと頼むことは小心な私にはできない芸当だ。また3月は年度末ということで職場も慌ただしい。今月に入ってから残業する日も増えている。そういうわけで周囲にはとりあえず黙って作業をすることにした。1時間半あれば淀屋橋までは充分に間に合うことは先日実証されている。ともかく定時に終わることを願うだけだ。
30分も残業すればもうアウトだったわけだが、またしても日頃のおこないのおかげもあってか定時ギリギリで終えることができた(そんなに余裕はなかったが)。すぐに阪急烏丸まで走っていくと5時41分発の快速急行に間に合うことができた。
「今日も開演に間に合うぞ」
と心の中で静かに喜んだ。電車は大きな遅延もなく大阪に到着し、フェスティバルホールの前には6時40分に行くことができた。
今回の追加公演は発売開始からしばらく経つまで気づかなかったしチケットの購入手続きをとったのも公演1週間前ということもあり、座席は2階の4列目だった。当日券も発売されていたが、2階席は後方3列が空いているくらいの状態だった。3階の状況は確認できなかったもののA席は完売していたようだし、8割くらいは埋まったかと思われる。
今夜特筆した点は“Late For The Sky”に加えて“The Pretender”も披露されたことだろうか。しかも、どちらも客席からのリクエストに応えてという形である。いずれのリクエストも1階席後方から声が聞こえたので「同一人物か?」と訝しく思ったけれど、何も声が上がらなければ2曲とも演奏されずじまい・・・という可能性もあったということを考えるとなんとも複雑な気がする。
また、ジャクソンはこうやってリクエストに応じてやってしまう人なので、そこに付け込まれたという感じもぬぐえない。個人的にはライブ全体の流れが崩れることになるリクエストなどしない方がいいという立場である。実際、今夜のジャクソンは“For A Dancer”で2度もトチッたし、“Standing In The Breach”の冒頭でも少ししくじっていたし、それが強引なリクエストの影響があった可能性も否定できないだろう(単に66歳という年齢の問題もあるかもしれないが)。
本編最後の合図である“Running On Empty”が始まった時は9時27分だった。
この時に、
「今夜はアンコール3曲分の時間は残っている!」
さらに日本公演最終日ということもあり、“Load Out”の登場を願いながらアンコールで拍手を送った。しかし1曲目は初日と同じ流れで、ここで10分以上は費やしてしまった。2回目のアンコールはあったものの、出てきたのは“Before The Deluge”である。洪水をテーマにした曲であり、「3・11」以後で初めての来日になるからジャクソンらしいといえばそうなのだが少し意表を突かれた。
この曲が終わってもう10時前だったので打ち止めと思ったら、ジャクソンが指1本を高く差し出し会場はさらに盛り上がる。そうして始まったのが“I Am A Patriot”である。これを喜ぶファンはどれほどいるのかよくわからないが、とりあえず目いっぱい最後まで演奏したジャクソンとバンドには感謝するほかはない。
今回の来日公演は5年ぶりである。さらに5年後のジャクソンは70歳を超えている。果たして次回また彼に出会える機会はあるのだろうか。ライブに行くとそんなことばかり考える今日この頃である。まあ、私が生きているかどうかもわからない話だから考えても仕方ないことか。
最後に曲目を記しておく。
【演奏曲目】
(1)The Barricades Of Heaven
(2)Looking Into You
(3)The Long Way Around
(4)Leaving Winslow
(5)These Days
(6)Shaky Town
(7)Late For The Sky
(8)I’m Alive
(9)Something Fine
(10)You Know The Night
(11)For A Dancer
(15分間の休憩)
(12)Your Bright Baby Blues
(13)The Pretender
(14)If I Could Be Anywhere
(15)Lives In The Balance
(16)Standing In The Breach
(17)Looking East
(18)Far From The Arms Of Hunger
(19)Doctor My Eyes
(20)Running On Empty
<アンコール1>
(21)Take It Easy ~Our Lady Of The Well
<アンコール2>
(22)Before The Deluge
(23)I Am A Patriot
「すいませーん。本日もお世話になりますう」
などと頼むことは小心な私にはできない芸当だ。また3月は年度末ということで職場も慌ただしい。今月に入ってから残業する日も増えている。そういうわけで周囲にはとりあえず黙って作業をすることにした。1時間半あれば淀屋橋までは充分に間に合うことは先日実証されている。ともかく定時に終わることを願うだけだ。
30分も残業すればもうアウトだったわけだが、またしても日頃のおこないのおかげもあってか定時ギリギリで終えることができた(そんなに余裕はなかったが)。すぐに阪急烏丸まで走っていくと5時41分発の快速急行に間に合うことができた。
「今日も開演に間に合うぞ」
と心の中で静かに喜んだ。電車は大きな遅延もなく大阪に到着し、フェスティバルホールの前には6時40分に行くことができた。
今回の追加公演は発売開始からしばらく経つまで気づかなかったしチケットの購入手続きをとったのも公演1週間前ということもあり、座席は2階の4列目だった。当日券も発売されていたが、2階席は後方3列が空いているくらいの状態だった。3階の状況は確認できなかったもののA席は完売していたようだし、8割くらいは埋まったかと思われる。
今夜特筆した点は“Late For The Sky”に加えて“The Pretender”も披露されたことだろうか。しかも、どちらも客席からのリクエストに応えてという形である。いずれのリクエストも1階席後方から声が聞こえたので「同一人物か?」と訝しく思ったけれど、何も声が上がらなければ2曲とも演奏されずじまい・・・という可能性もあったということを考えるとなんとも複雑な気がする。
また、ジャクソンはこうやってリクエストに応じてやってしまう人なので、そこに付け込まれたという感じもぬぐえない。個人的にはライブ全体の流れが崩れることになるリクエストなどしない方がいいという立場である。実際、今夜のジャクソンは“For A Dancer”で2度もトチッたし、“Standing In The Breach”の冒頭でも少ししくじっていたし、それが強引なリクエストの影響があった可能性も否定できないだろう(単に66歳という年齢の問題もあるかもしれないが)。
本編最後の合図である“Running On Empty”が始まった時は9時27分だった。
この時に、
「今夜はアンコール3曲分の時間は残っている!」
さらに日本公演最終日ということもあり、“Load Out”の登場を願いながらアンコールで拍手を送った。しかし1曲目は初日と同じ流れで、ここで10分以上は費やしてしまった。2回目のアンコールはあったものの、出てきたのは“Before The Deluge”である。洪水をテーマにした曲であり、「3・11」以後で初めての来日になるからジャクソンらしいといえばそうなのだが少し意表を突かれた。
この曲が終わってもう10時前だったので打ち止めと思ったら、ジャクソンが指1本を高く差し出し会場はさらに盛り上がる。そうして始まったのが“I Am A Patriot”である。これを喜ぶファンはどれほどいるのかよくわからないが、とりあえず目いっぱい最後まで演奏したジャクソンとバンドには感謝するほかはない。
今回の来日公演は5年ぶりである。さらに5年後のジャクソンは70歳を超えている。果たして次回また彼に出会える機会はあるのだろうか。ライブに行くとそんなことばかり考える今日この頃である。まあ、私が生きているかどうかもわからない話だから考えても仕方ないことか。
最後に曲目を記しておく。
【演奏曲目】
(1)The Barricades Of Heaven
(2)Looking Into You
(3)The Long Way Around
(4)Leaving Winslow
(5)These Days
(6)Shaky Town
(7)Late For The Sky
(8)I’m Alive
(9)Something Fine
(10)You Know The Night
(11)For A Dancer
(15分間の休憩)
(12)Your Bright Baby Blues
(13)The Pretender
(14)If I Could Be Anywhere
(15)Lives In The Balance
(16)Standing In The Breach
(17)Looking East
(18)Far From The Arms Of Hunger
(19)Doctor My Eyes
(20)Running On Empty
<アンコール1>
(21)Take It Easy ~Our Lady Of The Well
<アンコール2>
(22)Before The Deluge
(23)I Am A Patriot
今日はいつもより25分早く仕事を切り上げさせてもらい、勤務先から阪急烏丸駅へと向かった。2時間もあれば会場のフェスティバルホールまでは余裕と思っていたものの、6時20分に着いた時にはけっこう驚いた。遅延がなければ移動に1時間半もかからないことになる。本当は休みが取れたら一番よかったのだが、それはまあ仕方ない。
入口前でパンフレット(2000円)を買って入場し、しばらくはロビーで携帯をいじって一休みしてから席についた。今回は1階席の前から8列目の右端という良席で、ステージがもう目の前にある。しかも驚いたことに、フラッシュを使用しないという条件で携帯撮影もOKというアナウンスが流れている(高機能のカメラや動画撮影は不可)。それを聞いてさっそくステージや会場を開演前から撮っているうちに7時が回って開演となった。本日は完売御礼である。
ジャクソン・ブラウンの5年ぶりの来日公演、個人的には6度目のライブである。海外ミュージシャンで一番多く観ているのは彼に間違いない。「なぜ同じミュージシャンを何度も観に行くのか?」と訝しがる人もいるかもしれないが、これはお金に代えられるものではないのだ、と答えるほかはない。3000人収容のフェスティバルホールが完売した理由も私と同じような思いを抱いている人が一定数存在することの証明である
今回のツアーに関する情報は全く入れずに臨んだものの、一発目の“Barricades Of Heaven”のイントロが始まった時に、そういえばこの曲が1曲目だとネットのどこかで見たなあ、といまさらながら思い出してしまった。3曲目の“Long Way Around”の冒頭で不自然な歓声が起きていたが、たぶんコード進行が一緒の“These Days”と勘違いした人が何人かいたのだと思われる。
バンドはジャクソンがギターもしくはピアノ、他はベース、ドラムス、キーボード、ギターが2人、黒人女性コーラスが2人という布陣だ。技術的なことは正直わからないけれど、演奏は手堅く無駄がないという感じだ。いや、上手いとか下手とかという次元ではなく、ジャクソンの音楽だけが持つ憂いを含んだような音を見事に演出しているところが素晴らしい。1曲目からもうグングンと引き付けられていった。
曲目は最後に記しているけれど、大傑作である最新作「Standing In The Breach」(14年)を軸に、旧作からも名曲が惜しみなく披露された充実した内容となった。“Late For The Sky”は観客のリクエストに応えて出てきたもので、何もなければ演奏されなかったらしい。そのリクエストしていたのは私の2列くらい後方にいたうるさいジジイで、東京では俺の知り合いが“Late For The Sky”をお願いしたから演奏されたなどと、開演前にグチャグチャ言っていた輩である。終演してからも、
「俺がリクエストしたから“Late For The Sky”を聴けたんや!」
などと自慢げに話していた。しかし、果たしてこれがベストの選択だったかどうかは疑わしい。確かに“Late For The Sky”は披露されたけれど、その代わりに1曲何か別の曲が無くなったわけである。それが“The Pretender”だったかもしれないし、他の会場のアンコールで披露された“Before The Deluge”だった可能性もある。
そう、今回の大阪公演は“The Pretender”が出てこなかったのだ。これがもっとも好きな自分としては少々残念な思いもある。さらに、もしジジイのリクエストがなければ“Late For The Sky”も演奏されなかったことになる。私はもう何度も彼のライブを観ているからそれでもまあいいやと諦められるけれど、初めて観に来た方にとってはどうなのかなあというモヤモヤした思いが残った。
そんな些末なことはあったものの、極東の島国のライブとて手抜きのしないジャクソンなので午後10時の手前まで演奏して大阪公演1日目は無事に終了した。広島公演を挟んで、またこの場所で追加公演がおこなわれる。人生7度目のジャクソン・ブラウンは、もう間近である。
【演奏曲目】
(1)Barricades Of Heaven
(2)Something Fine
(3)The Long Way Around
(4)Leaving Winslow
(5)These Days
(6)Late For The Sky
(7)Shaky Town
(8)I’m Alive
(9)You Know The Night
(10)For a Dancer
(11)Fountain Of Sorrow
(15分間の休憩)
(12)Your Bright Baby Blues
(13)Rock Me On The Water
(14)If I Could Be Anywhere
(15)Which Side?
(16)Standing In The Breach
(17)Looking East
(18)The Birds Of St. Marks
(19)The Late Show
(20)Doctor My Eyes
(21)Running On Empty
<アンコール>
(22)Take It Easy~Our Lady of The Well
入口前でパンフレット(2000円)を買って入場し、しばらくはロビーで携帯をいじって一休みしてから席についた。今回は1階席の前から8列目の右端という良席で、ステージがもう目の前にある。しかも驚いたことに、フラッシュを使用しないという条件で携帯撮影もOKというアナウンスが流れている(高機能のカメラや動画撮影は不可)。それを聞いてさっそくステージや会場を開演前から撮っているうちに7時が回って開演となった。本日は完売御礼である。
ジャクソン・ブラウンの5年ぶりの来日公演、個人的には6度目のライブである。海外ミュージシャンで一番多く観ているのは彼に間違いない。「なぜ同じミュージシャンを何度も観に行くのか?」と訝しがる人もいるかもしれないが、これはお金に代えられるものではないのだ、と答えるほかはない。3000人収容のフェスティバルホールが完売した理由も私と同じような思いを抱いている人が一定数存在することの証明である
今回のツアーに関する情報は全く入れずに臨んだものの、一発目の“Barricades Of Heaven”のイントロが始まった時に、そういえばこの曲が1曲目だとネットのどこかで見たなあ、といまさらながら思い出してしまった。3曲目の“Long Way Around”の冒頭で不自然な歓声が起きていたが、たぶんコード進行が一緒の“These Days”と勘違いした人が何人かいたのだと思われる。
バンドはジャクソンがギターもしくはピアノ、他はベース、ドラムス、キーボード、ギターが2人、黒人女性コーラスが2人という布陣だ。技術的なことは正直わからないけれど、演奏は手堅く無駄がないという感じだ。いや、上手いとか下手とかという次元ではなく、ジャクソンの音楽だけが持つ憂いを含んだような音を見事に演出しているところが素晴らしい。1曲目からもうグングンと引き付けられていった。
曲目は最後に記しているけれど、大傑作である最新作「Standing In The Breach」(14年)を軸に、旧作からも名曲が惜しみなく披露された充実した内容となった。“Late For The Sky”は観客のリクエストに応えて出てきたもので、何もなければ演奏されなかったらしい。そのリクエストしていたのは私の2列くらい後方にいたうるさいジジイで、東京では俺の知り合いが“Late For The Sky”をお願いしたから演奏されたなどと、開演前にグチャグチャ言っていた輩である。終演してからも、
「俺がリクエストしたから“Late For The Sky”を聴けたんや!」
などと自慢げに話していた。しかし、果たしてこれがベストの選択だったかどうかは疑わしい。確かに“Late For The Sky”は披露されたけれど、その代わりに1曲何か別の曲が無くなったわけである。それが“The Pretender”だったかもしれないし、他の会場のアンコールで披露された“Before The Deluge”だった可能性もある。
そう、今回の大阪公演は“The Pretender”が出てこなかったのだ。これがもっとも好きな自分としては少々残念な思いもある。さらに、もしジジイのリクエストがなければ“Late For The Sky”も演奏されなかったことになる。私はもう何度も彼のライブを観ているからそれでもまあいいやと諦められるけれど、初めて観に来た方にとってはどうなのかなあというモヤモヤした思いが残った。
そんな些末なことはあったものの、極東の島国のライブとて手抜きのしないジャクソンなので午後10時の手前まで演奏して大阪公演1日目は無事に終了した。広島公演を挟んで、またこの場所で追加公演がおこなわれる。人生7度目のジャクソン・ブラウンは、もう間近である。
【演奏曲目】
(1)Barricades Of Heaven
(2)Something Fine
(3)The Long Way Around
(4)Leaving Winslow
(5)These Days
(6)Late For The Sky
(7)Shaky Town
(8)I’m Alive
(9)You Know The Night
(10)For a Dancer
(11)Fountain Of Sorrow
(15分間の休憩)
(12)Your Bright Baby Blues
(13)Rock Me On The Water
(14)If I Could Be Anywhere
(15)Which Side?
(16)Standing In The Breach
(17)Looking East
(18)The Birds Of St. Marks
(19)The Late Show
(20)Doctor My Eyes
(21)Running On Empty
<アンコール>
(22)Take It Easy~Our Lady of The Well
ボブ・ディランの来日公演のチケットが発売されたとき気になったのは、その売れ行きの鈍さだった。前回(2010年)は発売するやいなや完売し、出遅れた私は後で発表された追加公演を申し込んでなんとかライブを観ることができたのである。しかし今回は一般発売が開始してからもしばらくはチケットが「発売中」のままだった。札幌から福岡まで合わせて17公演は結果としてほぼ完売したけれど、大阪の初日(私が取った日)と2日目は当日券が売り出される。
人気が落ちただけだろう、と多くの方は思うに違いない。しかし、私はむしろファンの高齢化がまず頭に浮かんだ。mixiのコミュニティでは、Zepp(ディランが回るライブハウス)は嫌だ、という書き込みも見かける。ディラン自身も今年で73歳になるのだ。それを観る人の年齢層を考えると、ずっと立ち見をするライブハウスはかなり厳しい環境に違いない。実際、開演前や休憩中に気分が悪くなる人も出て係員が呼ばれている場面も何回かあった。
そこまでして行かなくても・・・と訝しがる人もいるだろう。だが、ディランがまた来日する保証などあるわけがないのだ。私としても、これが動くディランを観る最後の機会かもしれない、という思いで会場に臨んだ。
午後7時きっかりに会場が暗くなり開演である。整理番号は855番という半端な数字だったため適当に真ん中あたりに陣取っていたけれど、私のほぼ正面にディランが立っていた。表情もなんとか確認できるくらいの距離で、思いもよらず絶好の位置にいられたようである。
全国公演を回っている菅野ヘッケルさんのレポートを事前に読んでいたので、もう全体像はわかっていた。1曲目は”Things Have Changed”である。ライブ盤で聴いたことのある曲だが、アレンジも歌い方もそれとは全く異なるものに変化していた。事前に情報を知らなければ、にわかファンにはとても判別できないほどだ。
ディランは中央マイクスタンドと舞台右手のグランドピアノを曲によって行った来たりして歌うという具合である。前回(2010年)はまだギターを持つ場面もあったけれど、今回はついに一度も手にすることがなかった。マイクスタンドに右手を添えて仁王立ちで歌いハーモニカを時おり吹くという感じだが、動きは前より少なくなった気がする。
しかしその一方、歌に集中しているというか、ものすごく丁寧に歌っていると感じた。
「え?丁寧?あのガラガラ声で、お経のようにダラダラと歌っていて、どこに飛んでいくかわからないような歌い方のどこが丁寧なの?」
初めてライブを観た方はそう感じたかもしれない。確かに表面上はあんな声をしているもの、真面目に聴いてみればそんなに不明瞭で崩れた歌い方はしていないことはわかるはずだ。多種多様な歌詞や歌い方を組み合わせて複雑な世界を構築していくのがディランの真骨頂といえる。その辺りに私が気づいたのは最近のことだけれど。
演奏についてもロックやポップスのライブとしては控えめな印象を受けたが、それもディランの歌を際立たせる配慮をしてのものだろう。
ライブの冒頭でパッと感じた印象は、
「大阪にしては、お客がそんなに盛り上がってないなあ」
というものだった。01年や10年の時は1曲ごとに歓声が上がっていたような気もするが、私の周りではそれほどでもなかった。昔の曲を演奏する比率もかなり減ったとかその辺の事情もあるのかと勘ぐったけれど、実はそんなことではなかったとすぐに気づく。
とにかく、ディランを観る観客のまなざしが真剣なのである。
ムダに奇声を発したり安易に手拍子を送ったりはしない。今回設けられた途中の休憩時間でも誰一人動こうとしない。ディランの一挙手一投足を見逃すまいとするその姿勢は胸を打たれるものがあった。
私自身も、
「そうだよな・・・自分にとっても生で観る最後のディランになるかもしれないしな」
と心を改めて、集中力を切らさない限りずっとステージを観ていた。ここまで真面目にライブを観るのも久しぶりな気がする。
演奏曲目については、ほとんどが90年代後半以降のものである。60年代および70年代の曲はあわせて5曲しか披露していない。またアンコールは”見張り塔からずっと”と”風に吹かれて”だが、この2曲もまた凄まじいくらいにまでアレンジが変化している。そんな状態なので、過去の作品を予習してきたような方は思いっきり期待を裏切られる内容に違いない。
しかし、かつての楽曲を安易に再生産するような姿勢だったら、ディランはとっくの昔に過去の遺物と化していただろう。そんな真似をしなかったからこそ、デビュー50年を超えた現在でもライブで極東の地でこれだけお客が集まるというわけだ。
全てのライブが終わった時は、午後9時を回っていた.実に2時間のライブである。ヘッケルさんのレポートによればディランはだいぶ機嫌が良かったようで、観客に向かって6度もお辞儀をしてから去っていったらしい(最後の方はステージが見えずそのあたりは確認できなかった)。
今夜観られたのは、まぎれもなく2014年の最前線に立つミュージシャンの一人であった。次があるという保証など何もない。無いのだけれど、また最新型のボブ・ディランを観る機会が欲しい。会場で買ったパンフレットを抱えながら、そんな思いをともに家路に着いた。最後にヘッケルさんのページにあった曲目を載せておく。
【演奏曲目】
1.Things Have Changed シングス・ハヴ・チェンジド (Bob center stage)
(『Wonder Boys"(OST)』 2001/『DYLAN(2007)』他)
2.She Belongs to Me シー・ビロングズ・トゥ・ミー (Bob center stage with harp)
(『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム/Bringing It All Back Home』 1965)
3.Beyond Here Lies Nothin’ ビヨンド・ヒア・ライズ・ナッシング(Bob on grand piano)
(『トゥゲザー・スルー・ライフ/Together Through Life』2009)
4.Workinman’s Blues #2 ワーキングマンズ・ブルース #2 (bob center stage)(『モダン・タイムス/Modern Times』2006)
5.Waiting For You ウェイティング・フォー・ユー (Bob on grand piano)
(『ヤァヤァ・シスターズの聖 なる秘密 Divine Secrets of the Ya-Ya Sisterhood』 2003)
6.Duquesne Whistle デューケイン・ホイッスル(Bob on grand piano)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
7.Pay in Blood ペイ・イン・ブラッド (Bob center stage)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
8.Tangled Up in Blue ブルーにこんがらがって (Bob center stage then on grand piano)
(『血の轍/Blood on the Tracks』1975)
9.Love Sick ラヴ・シック (Bob on center stage with harp)
(『タイム・アウト・オブ・マインド/Time Out of Mind』 1997)
(20分の休憩)
10.High Water (For Charley Patton) ハイ・ウォーター(フォー・チャーリー・パットン)(Bob center stage)
(『ラヴ・アンド・セフト/Love and Theft』2001)
11.Simple Twist of Fate 運命のひとひねり(Bob center stage with harp)
(『血の轍/Blood on the Tracks』1975)
12.Early Roman Kings アーリー・ローマン・キングズ (Bob on grand piano)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
13.Forgetful Heart フォゲットフル・ハート (Bob center stage with harp)
(『トゥゲザー・スルー・ライフ/Together Through Life』2009)
14.Spirit on the Water スピリット・オン・ザ・ウォーター (Bob on grand piano)
(『モダン・タイムス/Modern Times』2006)
15.Scarlet Town スカーレット・タウン (Bob center stage)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
16.Soon after Midnight スーン・アフター・ミッドナイト (Bob on grand piano)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
17.Long and Wasted Years ロング・アンド・ウェイステッド・イヤーズ(Bob center stage)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
(アンコール)
18.All Along the Watchtower 見張塔からずっと
(『ジョン・ウェズリー・ ハーディング/John Wesley Harding』1967年)
19.Blowin in the wind/風に吹 かれて
(『フリーホイーリン・ボ ブ・ディラン/The Freewheelin’ Bob Dylan』1963年)
人気が落ちただけだろう、と多くの方は思うに違いない。しかし、私はむしろファンの高齢化がまず頭に浮かんだ。mixiのコミュニティでは、Zepp(ディランが回るライブハウス)は嫌だ、という書き込みも見かける。ディラン自身も今年で73歳になるのだ。それを観る人の年齢層を考えると、ずっと立ち見をするライブハウスはかなり厳しい環境に違いない。実際、開演前や休憩中に気分が悪くなる人も出て係員が呼ばれている場面も何回かあった。
そこまでして行かなくても・・・と訝しがる人もいるだろう。だが、ディランがまた来日する保証などあるわけがないのだ。私としても、これが動くディランを観る最後の機会かもしれない、という思いで会場に臨んだ。
午後7時きっかりに会場が暗くなり開演である。整理番号は855番という半端な数字だったため適当に真ん中あたりに陣取っていたけれど、私のほぼ正面にディランが立っていた。表情もなんとか確認できるくらいの距離で、思いもよらず絶好の位置にいられたようである。
全国公演を回っている菅野ヘッケルさんのレポートを事前に読んでいたので、もう全体像はわかっていた。1曲目は”Things Have Changed”である。ライブ盤で聴いたことのある曲だが、アレンジも歌い方もそれとは全く異なるものに変化していた。事前に情報を知らなければ、にわかファンにはとても判別できないほどだ。
ディランは中央マイクスタンドと舞台右手のグランドピアノを曲によって行った来たりして歌うという具合である。前回(2010年)はまだギターを持つ場面もあったけれど、今回はついに一度も手にすることがなかった。マイクスタンドに右手を添えて仁王立ちで歌いハーモニカを時おり吹くという感じだが、動きは前より少なくなった気がする。
しかしその一方、歌に集中しているというか、ものすごく丁寧に歌っていると感じた。
「え?丁寧?あのガラガラ声で、お経のようにダラダラと歌っていて、どこに飛んでいくかわからないような歌い方のどこが丁寧なの?」
初めてライブを観た方はそう感じたかもしれない。確かに表面上はあんな声をしているもの、真面目に聴いてみればそんなに不明瞭で崩れた歌い方はしていないことはわかるはずだ。多種多様な歌詞や歌い方を組み合わせて複雑な世界を構築していくのがディランの真骨頂といえる。その辺りに私が気づいたのは最近のことだけれど。
演奏についてもロックやポップスのライブとしては控えめな印象を受けたが、それもディランの歌を際立たせる配慮をしてのものだろう。
ライブの冒頭でパッと感じた印象は、
「大阪にしては、お客がそんなに盛り上がってないなあ」
というものだった。01年や10年の時は1曲ごとに歓声が上がっていたような気もするが、私の周りではそれほどでもなかった。昔の曲を演奏する比率もかなり減ったとかその辺の事情もあるのかと勘ぐったけれど、実はそんなことではなかったとすぐに気づく。
とにかく、ディランを観る観客のまなざしが真剣なのである。
ムダに奇声を発したり安易に手拍子を送ったりはしない。今回設けられた途中の休憩時間でも誰一人動こうとしない。ディランの一挙手一投足を見逃すまいとするその姿勢は胸を打たれるものがあった。
私自身も、
「そうだよな・・・自分にとっても生で観る最後のディランになるかもしれないしな」
と心を改めて、集中力を切らさない限りずっとステージを観ていた。ここまで真面目にライブを観るのも久しぶりな気がする。
演奏曲目については、ほとんどが90年代後半以降のものである。60年代および70年代の曲はあわせて5曲しか披露していない。またアンコールは”見張り塔からずっと”と”風に吹かれて”だが、この2曲もまた凄まじいくらいにまでアレンジが変化している。そんな状態なので、過去の作品を予習してきたような方は思いっきり期待を裏切られる内容に違いない。
しかし、かつての楽曲を安易に再生産するような姿勢だったら、ディランはとっくの昔に過去の遺物と化していただろう。そんな真似をしなかったからこそ、デビュー50年を超えた現在でもライブで極東の地でこれだけお客が集まるというわけだ。
全てのライブが終わった時は、午後9時を回っていた.実に2時間のライブである。ヘッケルさんのレポートによればディランはだいぶ機嫌が良かったようで、観客に向かって6度もお辞儀をしてから去っていったらしい(最後の方はステージが見えずそのあたりは確認できなかった)。
今夜観られたのは、まぎれもなく2014年の最前線に立つミュージシャンの一人であった。次があるという保証など何もない。無いのだけれど、また最新型のボブ・ディランを観る機会が欲しい。会場で買ったパンフレットを抱えながら、そんな思いをともに家路に着いた。最後にヘッケルさんのページにあった曲目を載せておく。
【演奏曲目】
1.Things Have Changed シングス・ハヴ・チェンジド (Bob center stage)
(『Wonder Boys"(OST)』 2001/『DYLAN(2007)』他)
2.She Belongs to Me シー・ビロングズ・トゥ・ミー (Bob center stage with harp)
(『ブリンギング・イット・オール・バック・ホーム/Bringing It All Back Home』 1965)
3.Beyond Here Lies Nothin’ ビヨンド・ヒア・ライズ・ナッシング(Bob on grand piano)
(『トゥゲザー・スルー・ライフ/Together Through Life』2009)
4.Workinman’s Blues #2 ワーキングマンズ・ブルース #2 (bob center stage)(『モダン・タイムス/Modern Times』2006)
5.Waiting For You ウェイティング・フォー・ユー (Bob on grand piano)
(『ヤァヤァ・シスターズの聖 なる秘密 Divine Secrets of the Ya-Ya Sisterhood』 2003)
6.Duquesne Whistle デューケイン・ホイッスル(Bob on grand piano)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
7.Pay in Blood ペイ・イン・ブラッド (Bob center stage)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
8.Tangled Up in Blue ブルーにこんがらがって (Bob center stage then on grand piano)
(『血の轍/Blood on the Tracks』1975)
9.Love Sick ラヴ・シック (Bob on center stage with harp)
(『タイム・アウト・オブ・マインド/Time Out of Mind』 1997)
(20分の休憩)
10.High Water (For Charley Patton) ハイ・ウォーター(フォー・チャーリー・パットン)(Bob center stage)
(『ラヴ・アンド・セフト/Love and Theft』2001)
11.Simple Twist of Fate 運命のひとひねり(Bob center stage with harp)
(『血の轍/Blood on the Tracks』1975)
12.Early Roman Kings アーリー・ローマン・キングズ (Bob on grand piano)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
13.Forgetful Heart フォゲットフル・ハート (Bob center stage with harp)
(『トゥゲザー・スルー・ライフ/Together Through Life』2009)
14.Spirit on the Water スピリット・オン・ザ・ウォーター (Bob on grand piano)
(『モダン・タイムス/Modern Times』2006)
15.Scarlet Town スカーレット・タウン (Bob center stage)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
16.Soon after Midnight スーン・アフター・ミッドナイト (Bob on grand piano)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
17.Long and Wasted Years ロング・アンド・ウェイステッド・イヤーズ(Bob center stage)
(『テンペスト/Tempest』 2012)
(アンコール)
18.All Along the Watchtower 見張塔からずっと
(『ジョン・ウェズリー・ ハーディング/John Wesley Harding』1967年)
19.Blowin in the wind/風に吹 かれて
(『フリーホイーリン・ボ ブ・ディラン/The Freewheelin’ Bob Dylan』1963年)
今日は20日ぶりの純粋な休日である。もう平日の仕事を辞めてしまうために予定を色々と詰め込んだ結果だが、もしこのライブがなかったとしたら30連勤とか40連勤に延びていたかもしれない。それゆえ、うまい具合に休みがはまったといえる。
今夜のライブは「ライブ・ビューイング」という形で、Perfumeの初海外公演の最終日であるシンガポール公演を全国のシネコンなどで同時生中継をするという試みであった。もちろんチケットはすぐ完売してしまうが、ネットで色々と探していたら譲ってもらえる方を見つけたのでお世話になることになった。
ただ当日はチケットを手渡しだったので、実際に受け取るまで無事に入場できるかどうかもわからない。開演30分前の19時30分ごろに先方と合流してチケットを受け取ることができた。これでまずはひと安心である。
しかし私が抱えていた不安はこれで終わりではない。ライブの中継とはいえ、にわかファン(というほどでもないか)が入っても浮いてしまわないだろうか、という怖さが少なからずあった。会場であるMOVIX京都のシアター10はわずか422席である。P.T.A会員(Perfumeのファンクラブ会員)がギューッと凝縮して集まるに違いない。
その辺りを心配したのであろうか。かつてPerfumeの東京ドーム公演を観たことのある友人が予習用にと「Liveの楽しみ方」とかいうYouTubeの動画URLをメールで送ってくれた。付け焼き刃とはいえ観ておいた方がいいかと思い、当日の朝に1回だけ確認してみる。それは彼女たちのライブのポイントを15分ほどに要約したものだった。しかし一通り見て率直に至った結論は、
「俺のキャラではこんな真似は・・・絶対にできん」
である。
「あー、周りがこんな動きする人たちばっかりだったらどうなるんだろう?」
という思いもあるにはあったが、いまさらどうにもできるはずがない。もう自分のやり方で楽しむしかないだろう。実際この20年、自分はそうやってライブ会場に行ってきたのだから。そんなことを考えながら、2階で生ビールを買って席に座る。P.T.A会員の方に譲ってもらったチケットは「Q列9番」と、かなり後方だった。この辺りの席はみなP.T.A会員なのだろう。左隣に座っていた女性2人組は、
「台湾公演を申し込んだけど、外れてしまって」
などと喋っている。チケットを確保できていたら台湾まで足を運ぶつもりだったのか。凄いなあ。なんだか圧倒されてしまう。
そうしているうちに開演の2分くらい前にプロモーション・ビデオなどが流れていたスクリーンが切り替わり、ライブ会場を正面から捉えた映像に切り替わる。しかし、何かおかしい。開演前に諸注意がアナウンスされているが、
「気分が悪くなったら言ってくださいねー」
と日本語だったのだ。
それに対して、
「はーい!」
と、これまた立派な日本語の返事がかえってくる。撮影しているところは本当にシンガポールなんだろうか。別の意味で不安になってきたが、
「まもなく開演です」
というアナウンスに、シアター10内からも拍手と歓声が起きはじめる。スクリーンの向こうから手拍子が出てくると、シアター10でも手拍子がされる。なんとも不思議な光景だ。そして20時を少し回ってライブが始まる。
1曲目の”NIGHT FLIGHT ”から会場は総立ちし最後まで歌い踊りまくり、一方それについていかない私はポツンと孤立して「なに、こいつ?」という白い目に見られる・・・というような状況には幸運にも陥ることはなかった。さすがに最初は全員立ち上がっていたものの、1発目のMCが始まったらバタバタと座りだしそのまま最後までその状態、という人もちらほら見かけた。それは私の予測とはかなり違った光景ではあったものの、それはそれで合点はいく。
衛星生中継とはいえ、やはりスクリーンを通して観る映像である。実際に会場にいるのとは全く空気感が異なるのだ。これでライブと同じような盛り上がりができるわけがない。考えてみれば当然のことだったが、実際に始まってようやくそうした平凡な事実に私は気がついたのである。
そういえば佐野元春がどこかのラジオ番組で、これだけ技術が発達した時代でもライブの空気というのは再現できないもんだな、というような発言をしたことが頭に浮かんできた。昨今はCDなど音楽ソフトの売上げは下降に一途をたどっているものの、ライブにおける興行収入は増加している。デジタル化によって音楽データやライブ映像などが無料で観られるようになった一方で、ライブというアナログなものの価値が上がっているということなのだろう。
そういう理由もあり個人的には、大画面で動くPerfumeの3人を観るのはなかなか感動的ではあるもの、「ライブを体験した」というのにはほど遠い感覚であった。日本全国(台湾でも放送されていたという)でおよそ3万人が観ていたというこのライブ・ビューイングはかなり周到な準備をしてライブ中継をしたとは感じる。しかしそうした編集作業によって余計に、出来たライブ映像もしくはプロモーション映像を観ているような気分にさせられた。いやこれはただの録画ではなく生中継だと自分に言い聞かせてみても、冷静になってみれば「テレビで生の歌番組を観るのと何が違うでは?」という気になってくる。
そんなことを思っているうちに、「ロック・クロニクルVol.1 1985-1997」(97年。音楽出版社)というロック系のCDガイド・ブックにて、大鷹俊一さんが音楽映像についてルー・リードにインタビューした時のことが書かれている。それを思い出した。
<ルー・リードは、ディレクターたちに何もさせないことが大変だ、と言う。たしかにこれはさんざん数え切れないほどの映像ソフトを観ていて痛感していたことで、むやみにカメラを切り替え、編集をしていていくことでリズムが生まれると勘違いしている場合が本当に多いのだ。観る側は別に編集技術やカメラワークを楽しみたいワケじゃないのに、カメラを固定しただけの映像やブレたものはダメだとしてしまう感覚が、ずいぶん映像作品の表現枠を狭めてきたと思う。>(P.173)
今回のライブ・ビューイングを観てさきほどの佐野元春が発言したことの意味、また山下達郎が客席からミュージシャンが米粒大くらいにしか見えないような大きな会場でライブをしない理由がよくわかった。どう頑張ってみても映像は本物のライブに代わることができないのである。
しかしながらP.T.A会員の方々は、実際のライブさながらに立ち上がって声を出している。そのテンションの高さには感心する。門外漢の私には絶対真似のできない芸当だ。もしライブ中継を見せられただけでそこまで高揚する存在があるとすれば、ニール・ヤング&ザ・クレイジー・ホースかヴァン・モリソン、あとは(観たことはないけれど)レナード・コーエンくらいだろう。観ようと思えば観られる国内アーティストではそこまで振り切ることはできそうにない。
そんなわけで私は、予想通りというべきか、終始座って静かにスクリーンを観ていた。前方ではドカッと腰掛けたまま腕だけ振り上げている人たちが何人かいた。その光景はライブ・ビューイングというどうにも半端な形式には実に似つかわしい気がした。
愚痴ばかりになってきたので、ライブの光景について印象に残っていることをいくつか記したい。まずライブ会場の収容人数はパッと見て1000人とかその程度だったと思う。段差のないフラットなライブハウスという感じで、ただ会場いっぱいにお客が入っていた。mixiを見たら現地でライブを見た人の書き込みがあり、それによると日本人が6割でそれ以外が4割くらいだったという。比率の正否はともかく、思いのほか日本人客が多かったということなのだろう。
面白かったのは本編が終わったあとで、最初は、
「アンコール!アンコール!」
と言っていたのがいつの間やら、
「モウイッカイ!モウイッカイ!」
と変わっていたのである。「モウイッカイ」って「もう1回」ということか。誰かが会場でこの日本語を伝えたのか。そして最後の最後が終わってもお客は帰らず、どこからともなく野太い声で”ポリリズム”の合唱が始まったのはもなかなか感動的な光景であった。
しかし私がこの日に最も心を動かされたのは、アンコールで出てきた「あーちゃん」が海外公演に至った経緯を話した時である。自分は日本が好きだから外国に行くのがあまり好きではないこと、しかし映画「カーズ2」で”ポリリズム”が起用されてハリウッドに行った時に熱心なファンに出会って気持ちが変わってきたこと、これまで在籍した徳間ジャパンが日本しか音楽を流通できなかったのでユニバーサルにレコード会社へ移ったことなどを、目に涙を溜めながら語り出したのである。
そうした前段は全く承知してなかったけれど、この海外公演をおこなうまでの道はちっとも平板でなかったことだけは伝わった。そんなあーちゃんの姿を見てこちらも涙が出そうになった・・・などというのはまあ冗談である。冗談と思ってください。
しかしながら、果たして彼女たちが選んだ道は吉と出るか凶と出るのか。これはまだわからない。しかし、もしまた彼女たちを観る機会があるとしたら、こうした不完全燃焼な形ではなく実際のライブ会場が良いなとだけは強く思った。
最後にネットで拾った曲目を記す。
【演奏曲目】
0.Perfume Global Site
1.NIGHT FLIGHT
2.コンピューターシティ
3.エレクトロ・ワールド
-MC1
4.レーザービーム
5.Spending all my time
6.love the world
7.Butterfly (着替え曲・短縮)
8.edge (⊿-Mix)
9.シークレットシークレット
-MC2
10.Dream Fighter
-P.T.A.のコーナー
11.FAKE IT
12.ねぇ
13.チョコレイト・ディスコ (一部2012-Mix)
14.ポリリズム
-アンコール
15.Spring of Life
16.心のスポーツ
-重大発表
17.MY COLOR
今夜のライブは「ライブ・ビューイング」という形で、Perfumeの初海外公演の最終日であるシンガポール公演を全国のシネコンなどで同時生中継をするという試みであった。もちろんチケットはすぐ完売してしまうが、ネットで色々と探していたら譲ってもらえる方を見つけたのでお世話になることになった。
ただ当日はチケットを手渡しだったので、実際に受け取るまで無事に入場できるかどうかもわからない。開演30分前の19時30分ごろに先方と合流してチケットを受け取ることができた。これでまずはひと安心である。
しかし私が抱えていた不安はこれで終わりではない。ライブの中継とはいえ、にわかファン(というほどでもないか)が入っても浮いてしまわないだろうか、という怖さが少なからずあった。会場であるMOVIX京都のシアター10はわずか422席である。P.T.A会員(Perfumeのファンクラブ会員)がギューッと凝縮して集まるに違いない。
その辺りを心配したのであろうか。かつてPerfumeの東京ドーム公演を観たことのある友人が予習用にと「Liveの楽しみ方」とかいうYouTubeの動画URLをメールで送ってくれた。付け焼き刃とはいえ観ておいた方がいいかと思い、当日の朝に1回だけ確認してみる。それは彼女たちのライブのポイントを15分ほどに要約したものだった。しかし一通り見て率直に至った結論は、
「俺のキャラではこんな真似は・・・絶対にできん」
である。
「あー、周りがこんな動きする人たちばっかりだったらどうなるんだろう?」
という思いもあるにはあったが、いまさらどうにもできるはずがない。もう自分のやり方で楽しむしかないだろう。実際この20年、自分はそうやってライブ会場に行ってきたのだから。そんなことを考えながら、2階で生ビールを買って席に座る。P.T.A会員の方に譲ってもらったチケットは「Q列9番」と、かなり後方だった。この辺りの席はみなP.T.A会員なのだろう。左隣に座っていた女性2人組は、
「台湾公演を申し込んだけど、外れてしまって」
などと喋っている。チケットを確保できていたら台湾まで足を運ぶつもりだったのか。凄いなあ。なんだか圧倒されてしまう。
そうしているうちに開演の2分くらい前にプロモーション・ビデオなどが流れていたスクリーンが切り替わり、ライブ会場を正面から捉えた映像に切り替わる。しかし、何かおかしい。開演前に諸注意がアナウンスされているが、
「気分が悪くなったら言ってくださいねー」
と日本語だったのだ。
それに対して、
「はーい!」
と、これまた立派な日本語の返事がかえってくる。撮影しているところは本当にシンガポールなんだろうか。別の意味で不安になってきたが、
「まもなく開演です」
というアナウンスに、シアター10内からも拍手と歓声が起きはじめる。スクリーンの向こうから手拍子が出てくると、シアター10でも手拍子がされる。なんとも不思議な光景だ。そして20時を少し回ってライブが始まる。
1曲目の”NIGHT FLIGHT ”から会場は総立ちし最後まで歌い踊りまくり、一方それについていかない私はポツンと孤立して「なに、こいつ?」という白い目に見られる・・・というような状況には幸運にも陥ることはなかった。さすがに最初は全員立ち上がっていたものの、1発目のMCが始まったらバタバタと座りだしそのまま最後までその状態、という人もちらほら見かけた。それは私の予測とはかなり違った光景ではあったものの、それはそれで合点はいく。
衛星生中継とはいえ、やはりスクリーンを通して観る映像である。実際に会場にいるのとは全く空気感が異なるのだ。これでライブと同じような盛り上がりができるわけがない。考えてみれば当然のことだったが、実際に始まってようやくそうした平凡な事実に私は気がついたのである。
そういえば佐野元春がどこかのラジオ番組で、これだけ技術が発達した時代でもライブの空気というのは再現できないもんだな、というような発言をしたことが頭に浮かんできた。昨今はCDなど音楽ソフトの売上げは下降に一途をたどっているものの、ライブにおける興行収入は増加している。デジタル化によって音楽データやライブ映像などが無料で観られるようになった一方で、ライブというアナログなものの価値が上がっているということなのだろう。
そういう理由もあり個人的には、大画面で動くPerfumeの3人を観るのはなかなか感動的ではあるもの、「ライブを体験した」というのにはほど遠い感覚であった。日本全国(台湾でも放送されていたという)でおよそ3万人が観ていたというこのライブ・ビューイングはかなり周到な準備をしてライブ中継をしたとは感じる。しかしそうした編集作業によって余計に、出来たライブ映像もしくはプロモーション映像を観ているような気分にさせられた。いやこれはただの録画ではなく生中継だと自分に言い聞かせてみても、冷静になってみれば「テレビで生の歌番組を観るのと何が違うでは?」という気になってくる。
そんなことを思っているうちに、「ロック・クロニクルVol.1 1985-1997」(97年。音楽出版社)というロック系のCDガイド・ブックにて、大鷹俊一さんが音楽映像についてルー・リードにインタビューした時のことが書かれている。それを思い出した。
<ルー・リードは、ディレクターたちに何もさせないことが大変だ、と言う。たしかにこれはさんざん数え切れないほどの映像ソフトを観ていて痛感していたことで、むやみにカメラを切り替え、編集をしていていくことでリズムが生まれると勘違いしている場合が本当に多いのだ。観る側は別に編集技術やカメラワークを楽しみたいワケじゃないのに、カメラを固定しただけの映像やブレたものはダメだとしてしまう感覚が、ずいぶん映像作品の表現枠を狭めてきたと思う。>(P.173)
今回のライブ・ビューイングを観てさきほどの佐野元春が発言したことの意味、また山下達郎が客席からミュージシャンが米粒大くらいにしか見えないような大きな会場でライブをしない理由がよくわかった。どう頑張ってみても映像は本物のライブに代わることができないのである。
しかしながらP.T.A会員の方々は、実際のライブさながらに立ち上がって声を出している。そのテンションの高さには感心する。門外漢の私には絶対真似のできない芸当だ。もしライブ中継を見せられただけでそこまで高揚する存在があるとすれば、ニール・ヤング&ザ・クレイジー・ホースかヴァン・モリソン、あとは(観たことはないけれど)レナード・コーエンくらいだろう。観ようと思えば観られる国内アーティストではそこまで振り切ることはできそうにない。
そんなわけで私は、予想通りというべきか、終始座って静かにスクリーンを観ていた。前方ではドカッと腰掛けたまま腕だけ振り上げている人たちが何人かいた。その光景はライブ・ビューイングというどうにも半端な形式には実に似つかわしい気がした。
愚痴ばかりになってきたので、ライブの光景について印象に残っていることをいくつか記したい。まずライブ会場の収容人数はパッと見て1000人とかその程度だったと思う。段差のないフラットなライブハウスという感じで、ただ会場いっぱいにお客が入っていた。mixiを見たら現地でライブを見た人の書き込みがあり、それによると日本人が6割でそれ以外が4割くらいだったという。比率の正否はともかく、思いのほか日本人客が多かったということなのだろう。
面白かったのは本編が終わったあとで、最初は、
「アンコール!アンコール!」
と言っていたのがいつの間やら、
「モウイッカイ!モウイッカイ!」
と変わっていたのである。「モウイッカイ」って「もう1回」ということか。誰かが会場でこの日本語を伝えたのか。そして最後の最後が終わってもお客は帰らず、どこからともなく野太い声で”ポリリズム”の合唱が始まったのはもなかなか感動的な光景であった。
しかし私がこの日に最も心を動かされたのは、アンコールで出てきた「あーちゃん」が海外公演に至った経緯を話した時である。自分は日本が好きだから外国に行くのがあまり好きではないこと、しかし映画「カーズ2」で”ポリリズム”が起用されてハリウッドに行った時に熱心なファンに出会って気持ちが変わってきたこと、これまで在籍した徳間ジャパンが日本しか音楽を流通できなかったのでユニバーサルにレコード会社へ移ったことなどを、目に涙を溜めながら語り出したのである。
そうした前段は全く承知してなかったけれど、この海外公演をおこなうまでの道はちっとも平板でなかったことだけは伝わった。そんなあーちゃんの姿を見てこちらも涙が出そうになった・・・などというのはまあ冗談である。冗談と思ってください。
しかしながら、果たして彼女たちが選んだ道は吉と出るか凶と出るのか。これはまだわからない。しかし、もしまた彼女たちを観る機会があるとしたら、こうした不完全燃焼な形ではなく実際のライブ会場が良いなとだけは強く思った。
最後にネットで拾った曲目を記す。
【演奏曲目】
0.Perfume Global Site
1.NIGHT FLIGHT
2.コンピューターシティ
3.エレクトロ・ワールド
-MC1
4.レーザービーム
5.Spending all my time
6.love the world
7.Butterfly (着替え曲・短縮)
8.edge (⊿-Mix)
9.シークレットシークレット
-MC2
10.Dream Fighter
-P.T.A.のコーナー
11.FAKE IT
12.ねぇ
13.チョコレイト・ディスコ (一部2012-Mix)
14.ポリリズム
-アンコール
15.Spring of Life
16.心のスポーツ
-重大発表
17.MY COLOR
先週末に引き続き、今夜も仕事の日にライブである。といっても今日は市内にあるライブハウスなので焦りはほとんどなかった(もともと行くつもりがなかったという理由もあるだろうが)。定時に職場を出て自転車で磔磔のそばまで来た時は18時30分、開演までまだ30分ほど余裕がある。うっかり入場してしまったが、パン1個くらい食べる余裕があったと後悔した。
お客の入りは、ひいき目に見ても6割くらいだろうか。初めてここでeastern youthを観た時(03年4月19日)にはもはや完売はしてなかった気がするが、それでもほぼ満員という感じだった。それは仕方ないことだけれど、スタンディングで300人の会場でこの状態はやはり寂しいものがある。
それにしても背広姿でカバンを持って開演を待つのはなんだか違和感を覚えてしかない。周囲を見回してもスーツを着ている人は自分以外の一人いるだけだ。やはりライブに行く日は休みたいな。この会場は後ろだとかなり見づらいが、もう前に行く元気もないし静かに立ち会おうと思う。そうして19時を2分くらい過ぎたくらいに照明が消えて開演である。見通しはかなり悪い。吉野氏の坊主頭がちらほら見えるくらいだ。
最初は最新アルバム「叙景ゼロ番地」(12年)の1曲目”グッドバイ”なのは想定内とはいえ、新作から立て続けに5曲を演奏するのはちょっと意外だった。そしてその時点でまた午後7時半になるかならないかだったので、
「アルバム全部を演奏するつもりか?」
とこの時は思ったが、それはさすがになかった。といっても収録曲10曲のうち8曲も演奏したからかなりの比率には違いない。
MCで吉野氏は、eastern youthとは名ばかりでこんなオッサンですが心は「せぶんちーん」(セブンティーン)のまま、などと自嘲気味に言っていた。
アンコールでは二宮氏も、昨日京都に来て美味しい酒を飲んでましたが店を出ると寒くてお腹が痛くなってホテルに急いだんですが・・・間に合いませんでした、という酷い話を披露しながら、
「youth(若者)とは名ばかりで・・・」
とこちらも同じようなことを言っていたのが可笑しいというか悲しいというか・・・。しかしながら3人とももはや40代半ばである。メンバー同士が会った時は頭髪の話題が多い、インタビューで語っていたのを思い出した。
インタビューはこちら。「OTOTOY」より。
http://ototoy.jp/feature/index.php/20120929
曲目は下に記すけれど、新作8曲に並んで「感受性応答セヨ」(01年)から5曲が演奏されたのも不思議といえば不思議な選曲である。このアルバムは彼らと私の出会いの作品で愛着はあるけれど、アンコールの3曲も全てここからというのは何か意図があるのか。ただ、最後の最後が”夜明けの歌”になると、いつもの新作をともなったツアーと印象が変わらなくなるなあ、という思いにはなる(長年ライブを観ていたから同意いただけるだろう)。
ここ数年の作品はもうライブ直前に聴くだけの状態だったので、そこから演奏されたらセット・リストも書き留められないなあと不安だった。しかしそれは幸か不幸か杞憂に終わり、新作よりちょっと前の作品などは全く演奏されていない。新作からが半分近く、他の曲で意外なものというのは皆無だろう。しかしライブで17曲も演奏したことはおそらくなかったと思う。
今回について特別印象に残ったことは無い。別にメンバーが衰えた様子もなかったけれど、音響などが良い会場でもないし、私自身も仕事でけっこう精神をやられているためテンションも高いわけではなかった。とりあえず3人の動いてる姿が観れて良かったかな、とそのくらいである。
ただ、二度目のアンコールの時にメンバーがステージに出てきてから、
「もうちょっと頑張って!」
という客席からの声に吉野が苦笑に近い笑顔を見せたのが印象的だった。「朝までやって!」というような無茶な要望でなく「もうちょっと頑張って」という表現は実に良い。
リンクしたインタビューにも書いているが、今回のアルバムを出してからはしばらく制作活動は休むという。となるとライブ活動に重点をおくということだろうが、これからは新作中心の曲目から一歩離れた内容になってくるのか。ともかく次の機会もあればやはり足を運びたい。最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)グッドバイ
(2)目眩の街
(3)空に三日月 帰り道
(4)ひなげしが咲いている
(5)呼んでいるのは誰なんだ?
(6)男子畢生危機一髪
(7)青すぎる空
(8)静寂が燃える
(9)残像都市と私
(10)踵鳴る
(11)地図のない旅
(12)矯正視力〇・六
(13)荒野に針路を取れ
(14)ゼロから全てが始まる
<アンコール1>
(15)ズッコケ問答
(16)素晴らしい世界
<アンコール2>
(17)夜明けの歌
お客の入りは、ひいき目に見ても6割くらいだろうか。初めてここでeastern youthを観た時(03年4月19日)にはもはや完売はしてなかった気がするが、それでもほぼ満員という感じだった。それは仕方ないことだけれど、スタンディングで300人の会場でこの状態はやはり寂しいものがある。
それにしても背広姿でカバンを持って開演を待つのはなんだか違和感を覚えてしかない。周囲を見回してもスーツを着ている人は自分以外の一人いるだけだ。やはりライブに行く日は休みたいな。この会場は後ろだとかなり見づらいが、もう前に行く元気もないし静かに立ち会おうと思う。そうして19時を2分くらい過ぎたくらいに照明が消えて開演である。見通しはかなり悪い。吉野氏の坊主頭がちらほら見えるくらいだ。
最初は最新アルバム「叙景ゼロ番地」(12年)の1曲目”グッドバイ”なのは想定内とはいえ、新作から立て続けに5曲を演奏するのはちょっと意外だった。そしてその時点でまた午後7時半になるかならないかだったので、
「アルバム全部を演奏するつもりか?」
とこの時は思ったが、それはさすがになかった。といっても収録曲10曲のうち8曲も演奏したからかなりの比率には違いない。
MCで吉野氏は、eastern youthとは名ばかりでこんなオッサンですが心は「せぶんちーん」(セブンティーン)のまま、などと自嘲気味に言っていた。
アンコールでは二宮氏も、昨日京都に来て美味しい酒を飲んでましたが店を出ると寒くてお腹が痛くなってホテルに急いだんですが・・・間に合いませんでした、という酷い話を披露しながら、
「youth(若者)とは名ばかりで・・・」
とこちらも同じようなことを言っていたのが可笑しいというか悲しいというか・・・。しかしながら3人とももはや40代半ばである。メンバー同士が会った時は頭髪の話題が多い、インタビューで語っていたのを思い出した。
インタビューはこちら。「OTOTOY」より。
http://ototoy.jp/feature/index.php/20120929
曲目は下に記すけれど、新作8曲に並んで「感受性応答セヨ」(01年)から5曲が演奏されたのも不思議といえば不思議な選曲である。このアルバムは彼らと私の出会いの作品で愛着はあるけれど、アンコールの3曲も全てここからというのは何か意図があるのか。ただ、最後の最後が”夜明けの歌”になると、いつもの新作をともなったツアーと印象が変わらなくなるなあ、という思いにはなる(長年ライブを観ていたから同意いただけるだろう)。
ここ数年の作品はもうライブ直前に聴くだけの状態だったので、そこから演奏されたらセット・リストも書き留められないなあと不安だった。しかしそれは幸か不幸か杞憂に終わり、新作よりちょっと前の作品などは全く演奏されていない。新作からが半分近く、他の曲で意外なものというのは皆無だろう。しかしライブで17曲も演奏したことはおそらくなかったと思う。
今回について特別印象に残ったことは無い。別にメンバーが衰えた様子もなかったけれど、音響などが良い会場でもないし、私自身も仕事でけっこう精神をやられているためテンションも高いわけではなかった。とりあえず3人の動いてる姿が観れて良かったかな、とそのくらいである。
ただ、二度目のアンコールの時にメンバーがステージに出てきてから、
「もうちょっと頑張って!」
という客席からの声に吉野が苦笑に近い笑顔を見せたのが印象的だった。「朝までやって!」というような無茶な要望でなく「もうちょっと頑張って」という表現は実に良い。
リンクしたインタビューにも書いているが、今回のアルバムを出してからはしばらく制作活動は休むという。となるとライブ活動に重点をおくということだろうが、これからは新作中心の曲目から一歩離れた内容になってくるのか。ともかく次の機会もあればやはり足を運びたい。最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)グッドバイ
(2)目眩の街
(3)空に三日月 帰り道
(4)ひなげしが咲いている
(5)呼んでいるのは誰なんだ?
(6)男子畢生危機一髪
(7)青すぎる空
(8)静寂が燃える
(9)残像都市と私
(10)踵鳴る
(11)地図のない旅
(12)矯正視力〇・六
(13)荒野に針路を取れ
(14)ゼロから全てが始まる
<アンコール1>
(15)ズッコケ問答
(16)素晴らしい世界
<アンコール2>
(17)夜明けの歌
モリッシー大阪公演(2012年4月30日、Zepp Namba)
2012年4月30日 ライブ・レポート コメント (2)いまから9年半前の2002年8月、サマーソニックでモリッシーのライブを観た方はどれほどいるだろうか。あの時は私も生まれて初めてあのモリッシーを生で観られるということで色々な思いを抱いて会場の大阪南港へ行った。サマーソニックの公式サイトで、モリッシーが日本に到着しました、というニュースが出たときはホッとしたものの、ライブの直前まで「果たしてちゃんとライブに出てくれるのか?」と不安なまま最前列で待っていたことも懐かしい。
そんな個人的な思い出はともかくとして、実際にライブを観て一番意外だったのは、会場にお客があまり入っていなかったことである。ステージは野外でなく展示場の中でそれほど広いわけでもない。それでもお客がパンパンになるということはなかった。モリッシーのファンはあまり多くないんだな、と認識を新たにした。
そもそも日本における彼の人気や知名度はどれほどのものなのだろう。「英国病」と言われるほど経済的問題が慢性的になっているイギリスと比べて、ザ・スミスが活動していた80年代前半から中盤の我が国は空前の(そして異常な)バブル景気に湧いていた。そうした社会情勢の違いもあってか、一部のマニアを除いてパンクやニュー・ウェーブといった音楽が世間的に高い注目が浴びたとはいいがたい。
しかしこの出口が見えない現在においてこうした音楽が実感を持って受け入れられてもおかしくない。などと勝手に思ってみたものの、来日公演のチケットは川崎公演以外は「絶賛発売中」という惨状だ。サマーソニックのことを思えば想像できなくない結果であるが、この国でスミスやモリッシーがブレイクする日はまだ訪れないようだ。
そんなことを書いておきながら、当の私にしても今日のライブを心待ちにしていたかといえばかなり怪しい。それが別にモリッシーの音楽がどうとかいうよりも、自分の身辺がガタガタになっていてライブを楽しめるような心境でないからだ。実際、先日にビルボードライブ大阪で観たリチャード・トンプソンを観ている間も心中は全く穏やかではなかった。
「俺はいまこんなことをしていて良いのか?」
正直いってそんな感じである。だが昨日あたりから過去の作品を聴いたりyou tubeでライブ映像を観たりしているうちに、
「モリッシーというのはこういう状況の時に聴くのに相応しいのでは?」
と考えが変わっていき、だんだんとテンションが高くなっていった。そして当日の昼前に近所のセブンイレブンでチケットを発券し、京阪電車で大阪へ向かう頃にはかなりライブが楽しみになってくる。なにせ9000円もするチケット(しかもドリンク代500円は別)なんだから楽しまないと損であろう。
本日の会場は、大阪南港にあったZepp Osakaが難波に移転して、この4月27日に新たに営業を開始したZepp Nambaである。初めての場所なのでパッと辿り着けるか心配だったが、思いのほかパッと会場まで行くことができた。私のとった交通手段を具体的にいえば、京阪電車で「北浜」駅を降りて地下鉄堺筋線に乗りかえ、最寄りの「恵美須町」で降りてそこから西へ歩いた。駅から「クボタ」の本社ビルを目指して歩けば簡単に着くだろう。Zeppはそのすぐ南にあるからだ。
小雨が降ってきたので、急いでチケットを渡してドリンク代を払い会場へ入る。入口のテーブルにはお客が持ち込んだペットボトルが何十個も並んでいたのが目についた。持ち込み禁止ということだがZepp Osakaでこんな光景を見た記憶がない。何か事情が変わったのだろうか。
私が着いたのは午後4時半過ぎで、開場時間の4時からもう30分以上過ぎていた。だが今回は2階の指定席を取っていたので場所を確保する必要もなくゆっくりと会場入りすることができる。上から見ると1階の立ち見席の様子がよくわかる。まだお客の数がまばらだ。開演までに果たしてどれほど埋まってくれるかどうか。まずそれが何より心配だ。
午後4時40分を過ぎたあたりだったろうか。会場が暗くなりステージを隠している白い幕にいくつか映像が流れ始める。それは昔のミュージシャンのプロモ・ビデオだった。エルビス・プレスリーやニコ?(声が似ていたが確信がもてない)など、そしてモリッシー本人がファンクラブに入っていたニューヨーク・ドールズの映像が出てきた時に会場前方がひときわ騒がしくなる。どうやらこれが開演のサインらしい。そして会場が暗くなってモリッシーとバンドがゆっくりと舞台左手から現れてくる。背後のスクリーンから見たこともない男性の肖像が映し出されたと思いきゃ、
「オオサカ、ワイルド。オスカー・ワイルド!」
とモリッシーが第一声を発し、ああ、あれはオスカー・ワイルド(アイルランド出身の文豪)だったのかと気付く。そしてザ・スミスの2枚目のアルバム「ミート・イズ・マーダー」(85年)収録の”ハウ・スーン・イズ・ナウ?”で大阪公演が幕開けとなった。駄洒落に続いて一発目がスミスの曲とはなかなかのスタートではないだろうか。
モリッシーの動きは基本的にサマーソニックの時と変わらない。胸がはだけたシャツを着てステージを右へ左とフラフラしながら、なんとも締まらない雰囲気を作りだしていた(ただ、マイクをぶんぶん振り回す場面はなかったと思う)。しかし前回の来日と決定的に違う点は、お客との距離が思いっきり近いところである。モリッシーも歌いながら最前列のいる人たちと握手したり、持っている花を取ったと思ったらすぐ客席にまた放りなげるなど、まめにサービスをしてくれる。私は幸運にもサマーソニックでは一番前でライブを観たのだが、いかんせんステージと客席には大きな溝があったので握手など叶わなかった。そんなこともあってモリッシーとお客のやり取りをなんだか羨ましくもあった。
またモリッシーの歌声も実に良い。来日公演の情報を集めていると、面白いサイトがあり、
http://blogs.dion.ne.jp/atonsdemo/
そこに「モリッシー来日公演『よくある質問』」というのを見つけた。いろいろと情報を提供しているので質問メールなどが届くのだろう。「Q.ジョニー・マーも来ますか?」という凄い質問もあったが(笑)、私が唸らされたのは、
<Q.来日公演に行って来ました。歌声が全然衰えていなくて感動しました。
A.申し訳ありませんが、「衰えていない」は適当ではありません。間違いなく年齢を重ねるごとに巧くなり凄みも増しています。>
というやり取りである。これについては私も同感だった。you tubeでは今年のライブ映像もたくさん観られるけれど、それらと比べたらサマーソニックの模様はかなりショボクレているように感じてしまうのだ。今年の53歳になるモリッシーは明らかに以前よりパワーアップしていると言いたい。その姿を観られたのは実に嬉しかった。
演奏曲目については、私はモリッシーのソロどころかスミスの曲についての記憶も怪しい人間なので良いとも悪いとも言えないけれど、スミスで最も好きなアルバム「クイーン・イズ・デッド」(86年)から”アイ・ノウ・イッツ・オーヴァー ”が聴けたのが一番の収穫であった。同アルバムに入っている”ゼア・イズ・ア・ライト”を聴きたいという感想がネットで散見したけれど、こちらはサマーソニックで既に観ているので、俺は別にいいや、というところである。あと”エヴリデイ・イズ・ライク•サンディ”をまた再び聴けたのが良かったかな。
アンコールでは何が出るかなと思ったら、なんと1枚目のアルバム「ザ・スミス」(84年)から”スティル・イル”を、日の丸の旗を腰に巻いた格好で歌ってくれた。その間、ステージに上がろうとするお客が出て来たが、スタッフによって客席に押し戻されていたのが2階から確認できた。それでも二人ほどは運良くモリッシーに抱きつくことができたが。そんなことをしながら日の丸を掲げてヨタヨタステージを去っていく。モリッシーが消えるとすぐ会場が明るくなりスピーカーから音楽が流れて終演を告げる。お客の方もわかっているのか、思いのほか皆アッサリと会場を出て行く。本編17曲、アンコール1曲で90分ほどのステージであった。外はまだ明るい。
とにもかくにも、無理して行った甲斐のあるライブだった。ただ中盤の”ミート・イズ・マーダー”の演奏中では、鶏や豚などの家畜が物のように扱われている映像をこれでもかと流してくれた(ご存知ない方のために付け加えるが、モリッシーは菜食主義者である)。このあたりの趣味の悪さも実にモリッシーらしいと思いながらも気が滅入る瞬間であった。こういう部分が日本でいま一つ彼が受け入れられない一因なのかもしれない。
最後に上のサイトに載っていた曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)how soon is now?
(2)you have killed me
(3)black cloud
(4)alma splattered”(alma matters)
(5)when last i spoke to carol
(6)you’re the one for me, fatty
(7)maladjusted
(8)last night i dreamt that somebody loved me
(9)i’m throwing my arms around paris
(10)speedway
(11)let me kiss you
(12)meat is murder
(13)ouija board, ouija board
(14)to give (the reason i live)
(15)everyday is like sunday
(16)i know it’s over
(17)i will see you in far-off places
(アンコール)
(18)still ill
そんな個人的な思い出はともかくとして、実際にライブを観て一番意外だったのは、会場にお客があまり入っていなかったことである。ステージは野外でなく展示場の中でそれほど広いわけでもない。それでもお客がパンパンになるということはなかった。モリッシーのファンはあまり多くないんだな、と認識を新たにした。
そもそも日本における彼の人気や知名度はどれほどのものなのだろう。「英国病」と言われるほど経済的問題が慢性的になっているイギリスと比べて、ザ・スミスが活動していた80年代前半から中盤の我が国は空前の(そして異常な)バブル景気に湧いていた。そうした社会情勢の違いもあってか、一部のマニアを除いてパンクやニュー・ウェーブといった音楽が世間的に高い注目が浴びたとはいいがたい。
しかしこの出口が見えない現在においてこうした音楽が実感を持って受け入れられてもおかしくない。などと勝手に思ってみたものの、来日公演のチケットは川崎公演以外は「絶賛発売中」という惨状だ。サマーソニックのことを思えば想像できなくない結果であるが、この国でスミスやモリッシーがブレイクする日はまだ訪れないようだ。
そんなことを書いておきながら、当の私にしても今日のライブを心待ちにしていたかといえばかなり怪しい。それが別にモリッシーの音楽がどうとかいうよりも、自分の身辺がガタガタになっていてライブを楽しめるような心境でないからだ。実際、先日にビルボードライブ大阪で観たリチャード・トンプソンを観ている間も心中は全く穏やかではなかった。
「俺はいまこんなことをしていて良いのか?」
正直いってそんな感じである。だが昨日あたりから過去の作品を聴いたりyou tubeでライブ映像を観たりしているうちに、
「モリッシーというのはこういう状況の時に聴くのに相応しいのでは?」
と考えが変わっていき、だんだんとテンションが高くなっていった。そして当日の昼前に近所のセブンイレブンでチケットを発券し、京阪電車で大阪へ向かう頃にはかなりライブが楽しみになってくる。なにせ9000円もするチケット(しかもドリンク代500円は別)なんだから楽しまないと損であろう。
本日の会場は、大阪南港にあったZepp Osakaが難波に移転して、この4月27日に新たに営業を開始したZepp Nambaである。初めての場所なのでパッと辿り着けるか心配だったが、思いのほかパッと会場まで行くことができた。私のとった交通手段を具体的にいえば、京阪電車で「北浜」駅を降りて地下鉄堺筋線に乗りかえ、最寄りの「恵美須町」で降りてそこから西へ歩いた。駅から「クボタ」の本社ビルを目指して歩けば簡単に着くだろう。Zeppはそのすぐ南にあるからだ。
小雨が降ってきたので、急いでチケットを渡してドリンク代を払い会場へ入る。入口のテーブルにはお客が持ち込んだペットボトルが何十個も並んでいたのが目についた。持ち込み禁止ということだがZepp Osakaでこんな光景を見た記憶がない。何か事情が変わったのだろうか。
私が着いたのは午後4時半過ぎで、開場時間の4時からもう30分以上過ぎていた。だが今回は2階の指定席を取っていたので場所を確保する必要もなくゆっくりと会場入りすることができる。上から見ると1階の立ち見席の様子がよくわかる。まだお客の数がまばらだ。開演までに果たしてどれほど埋まってくれるかどうか。まずそれが何より心配だ。
午後4時40分を過ぎたあたりだったろうか。会場が暗くなりステージを隠している白い幕にいくつか映像が流れ始める。それは昔のミュージシャンのプロモ・ビデオだった。エルビス・プレスリーやニコ?(声が似ていたが確信がもてない)など、そしてモリッシー本人がファンクラブに入っていたニューヨーク・ドールズの映像が出てきた時に会場前方がひときわ騒がしくなる。どうやらこれが開演のサインらしい。そして会場が暗くなってモリッシーとバンドがゆっくりと舞台左手から現れてくる。背後のスクリーンから見たこともない男性の肖像が映し出されたと思いきゃ、
「オオサカ、ワイルド。オスカー・ワイルド!」
とモリッシーが第一声を発し、ああ、あれはオスカー・ワイルド(アイルランド出身の文豪)だったのかと気付く。そしてザ・スミスの2枚目のアルバム「ミート・イズ・マーダー」(85年)収録の”ハウ・スーン・イズ・ナウ?”で大阪公演が幕開けとなった。駄洒落に続いて一発目がスミスの曲とはなかなかのスタートではないだろうか。
モリッシーの動きは基本的にサマーソニックの時と変わらない。胸がはだけたシャツを着てステージを右へ左とフラフラしながら、なんとも締まらない雰囲気を作りだしていた(ただ、マイクをぶんぶん振り回す場面はなかったと思う)。しかし前回の来日と決定的に違う点は、お客との距離が思いっきり近いところである。モリッシーも歌いながら最前列のいる人たちと握手したり、持っている花を取ったと思ったらすぐ客席にまた放りなげるなど、まめにサービスをしてくれる。私は幸運にもサマーソニックでは一番前でライブを観たのだが、いかんせんステージと客席には大きな溝があったので握手など叶わなかった。そんなこともあってモリッシーとお客のやり取りをなんだか羨ましくもあった。
またモリッシーの歌声も実に良い。来日公演の情報を集めていると、面白いサイトがあり、
http://blogs.dion.ne.jp/atonsdemo/
そこに「モリッシー来日公演『よくある質問』」というのを見つけた。いろいろと情報を提供しているので質問メールなどが届くのだろう。「Q.ジョニー・マーも来ますか?」という凄い質問もあったが(笑)、私が唸らされたのは、
<Q.来日公演に行って来ました。歌声が全然衰えていなくて感動しました。
A.申し訳ありませんが、「衰えていない」は適当ではありません。間違いなく年齢を重ねるごとに巧くなり凄みも増しています。>
というやり取りである。これについては私も同感だった。you tubeでは今年のライブ映像もたくさん観られるけれど、それらと比べたらサマーソニックの模様はかなりショボクレているように感じてしまうのだ。今年の53歳になるモリッシーは明らかに以前よりパワーアップしていると言いたい。その姿を観られたのは実に嬉しかった。
演奏曲目については、私はモリッシーのソロどころかスミスの曲についての記憶も怪しい人間なので良いとも悪いとも言えないけれど、スミスで最も好きなアルバム「クイーン・イズ・デッド」(86年)から”アイ・ノウ・イッツ・オーヴァー ”が聴けたのが一番の収穫であった。同アルバムに入っている”ゼア・イズ・ア・ライト”を聴きたいという感想がネットで散見したけれど、こちらはサマーソニックで既に観ているので、俺は別にいいや、というところである。あと”エヴリデイ・イズ・ライク•サンディ”をまた再び聴けたのが良かったかな。
アンコールでは何が出るかなと思ったら、なんと1枚目のアルバム「ザ・スミス」(84年)から”スティル・イル”を、日の丸の旗を腰に巻いた格好で歌ってくれた。その間、ステージに上がろうとするお客が出て来たが、スタッフによって客席に押し戻されていたのが2階から確認できた。それでも二人ほどは運良くモリッシーに抱きつくことができたが。そんなことをしながら日の丸を掲げてヨタヨタステージを去っていく。モリッシーが消えるとすぐ会場が明るくなりスピーカーから音楽が流れて終演を告げる。お客の方もわかっているのか、思いのほか皆アッサリと会場を出て行く。本編17曲、アンコール1曲で90分ほどのステージであった。外はまだ明るい。
とにもかくにも、無理して行った甲斐のあるライブだった。ただ中盤の”ミート・イズ・マーダー”の演奏中では、鶏や豚などの家畜が物のように扱われている映像をこれでもかと流してくれた(ご存知ない方のために付け加えるが、モリッシーは菜食主義者である)。このあたりの趣味の悪さも実にモリッシーらしいと思いながらも気が滅入る瞬間であった。こういう部分が日本でいま一つ彼が受け入れられない一因なのかもしれない。
最後に上のサイトに載っていた曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)how soon is now?
(2)you have killed me
(3)black cloud
(4)alma splattered”(alma matters)
(5)when last i spoke to carol
(6)you’re the one for me, fatty
(7)maladjusted
(8)last night i dreamt that somebody loved me
(9)i’m throwing my arms around paris
(10)speedway
(11)let me kiss you
(12)meat is murder
(13)ouija board, ouija board
(14)to give (the reason i live)
(15)everyday is like sunday
(16)i know it’s over
(17)i will see you in far-off places
(アンコール)
(18)still ill
出町柳へ行く途中、傘が飛ばされそうになるほど風が強くなってきた。台風6号が明日にも近畿に上陸するかもしれないという噂が流れる中、京阪電車で中之島の大阪国際会議場へ向かう。中島美嘉のライブである。本音をいえば今あまり出歩きたい心境ではないけれど6月ごろ既にチケットを取ってしまったから仕方ない。しかもチケットはオークションを利用して8000円で手に入れたものだ(定価は6800円)。
中島美嘉に関しては、昨年に大阪城ホールでデビュー10周年記念ライブを観るはずが彼女が耳の病気療養のため中止になってしまった。そういうこともあって、その続きを観ないと気持ちがおさまらないなあと思って無理やりチケットを取ったのである。席は1階真ん中の一番左端だった。ステージには幕がかかっていて、ツアー名の「THE ONLY STAR」と白っぽいネコのシルエットが映し出されている。そのネコは10分ごとくらいに少し動いていたのでスライドではなく動画だったのだろう。そして午後6時43分に明かりが消えて、仮面を被ったピエロのような人が一人で不気味なパントマイムしばらくしてから開演となる。
1曲目はなんだろうなあと思っていたら、ニュー・オーリンズで録音された”All Hands Together”だった。アラン・トゥーサンが参加しているこの曲を聴くたびドクター・ジョンの”アイコ・アイコ”を連想してしまう。これを一発目にもってかなくてもと思う一方、観客と手拍子を一緒にしたいがために選んだのかなとも思った。しかし続くは昨年10月の幻のライブで1曲目に歌われるはずだった”GLAMOROUS SKY”である。これを最初にもってくるべきだったのでは?とこの辺の意図はわからなかった。
mixiのコミュニティでも多くの人が指摘しているけれど、声の調子はかなりおかしかった。6月下旬から7月上旬の7公演を延期していたくらいなので大阪も大丈夫かと不安だったけれど、昨日(7月18日)ではアンコールもなかったという。ドクターストップも出たという噂も出ていたし、かなり無理をしての敢行だったのは間違いない。昨年に休業をし、こないだも公演中止をしていたからこれ以上は休めないということか。
それ以外では、総じていつものツアーと同じような展開だった。観客の声に答えるグダグダのMCのところでは、
「かわいい!』
「まつ毛ちょうだい!」
(女性から)「結婚して!」
と好き放題いろいろ言われているのにいちいち返事をしていた。しかし本人にしてみれば喋りが苦手なので客と応対しているほうがラクだとかつて話していた。またなにを思ったのか観客全員でウエーブを2回させられた。ウエーブをしたのは渡辺美里のライブくらいである。本編最後の”雪の華”では1コーラス目でマイクを客席に向ける。悪いな、字幕スーパーがないと私は歌えないんだよ。
ふと後ろですすり泣く声が聞こえていたので振り向くと、後ろの女性が涙ぐんでいた。涙というのはウエーブをした後でも出てくるんもんなんですか。ただ、昨年の休業について触れながら歌った”A MIRACLE FOR YOU”は気持ちがこもっている感じで、私にも胸に迫るものがあった。自分も現在はあまり良い精神状態ではないので、ふとした時にこの曲を思い出すような気がする。
アンコールのMCで震災について触れる場面があり、その時に”ALL HANDS TOGETHER”が05年に大型ハリケーン「カトリーナ」で被災したニューオリンズのために制作したチャリティ・ソングだったことを話していた。ああ、すっかりその事実を忘れていたけれど、だからこの曲を冒頭にもってきたのかなと今さら気づかされる。
終演後はステージからマイクなしで「ありがとうございました!」と最後の力を振り絞って観客にお礼をいってこの日のライブが終わる。振替公演は9月に行われるためライブはこれで一段落ということか。お疲れさま。今度はお互い(?)ベストな状態で再会できればと願う。しかし彼女はともかく、私は駄目かもしれないなあ。最後に演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)ALL HANDS TOGETHER
(2)GLAMOROUS SKY
(3)LIFE
(4)BABY BABY BABY
(5)ALWAYS
(6)一番綺麗な私を
(7)流れ星
(8)メドレー:愛している/ORION/STARS/愛してる
(9)16
(10)SONG FOR A WISH
(11)CANDY GIRL
(12)SPIRAL
(13)LONELY STAR
(14)I DON’T KNOW
(15)DANCE WITH THE DEVIL
(16)雪の華
(アンコール)
(17)Dear
(18)A MIRACLE FOR YOU
中島美嘉に関しては、昨年に大阪城ホールでデビュー10周年記念ライブを観るはずが彼女が耳の病気療養のため中止になってしまった。そういうこともあって、その続きを観ないと気持ちがおさまらないなあと思って無理やりチケットを取ったのである。席は1階真ん中の一番左端だった。ステージには幕がかかっていて、ツアー名の「THE ONLY STAR」と白っぽいネコのシルエットが映し出されている。そのネコは10分ごとくらいに少し動いていたのでスライドではなく動画だったのだろう。そして午後6時43分に明かりが消えて、仮面を被ったピエロのような人が一人で不気味なパントマイムしばらくしてから開演となる。
1曲目はなんだろうなあと思っていたら、ニュー・オーリンズで録音された”All Hands Together”だった。アラン・トゥーサンが参加しているこの曲を聴くたびドクター・ジョンの”アイコ・アイコ”を連想してしまう。これを一発目にもってかなくてもと思う一方、観客と手拍子を一緒にしたいがために選んだのかなとも思った。しかし続くは昨年10月の幻のライブで1曲目に歌われるはずだった”GLAMOROUS SKY”である。これを最初にもってくるべきだったのでは?とこの辺の意図はわからなかった。
mixiのコミュニティでも多くの人が指摘しているけれど、声の調子はかなりおかしかった。6月下旬から7月上旬の7公演を延期していたくらいなので大阪も大丈夫かと不安だったけれど、昨日(7月18日)ではアンコールもなかったという。ドクターストップも出たという噂も出ていたし、かなり無理をしての敢行だったのは間違いない。昨年に休業をし、こないだも公演中止をしていたからこれ以上は休めないということか。
それ以外では、総じていつものツアーと同じような展開だった。観客の声に答えるグダグダのMCのところでは、
「かわいい!』
「まつ毛ちょうだい!」
(女性から)「結婚して!」
と好き放題いろいろ言われているのにいちいち返事をしていた。しかし本人にしてみれば喋りが苦手なので客と応対しているほうがラクだとかつて話していた。またなにを思ったのか観客全員でウエーブを2回させられた。ウエーブをしたのは渡辺美里のライブくらいである。本編最後の”雪の華”では1コーラス目でマイクを客席に向ける。悪いな、字幕スーパーがないと私は歌えないんだよ。
ふと後ろですすり泣く声が聞こえていたので振り向くと、後ろの女性が涙ぐんでいた。涙というのはウエーブをした後でも出てくるんもんなんですか。ただ、昨年の休業について触れながら歌った”A MIRACLE FOR YOU”は気持ちがこもっている感じで、私にも胸に迫るものがあった。自分も現在はあまり良い精神状態ではないので、ふとした時にこの曲を思い出すような気がする。
アンコールのMCで震災について触れる場面があり、その時に”ALL HANDS TOGETHER”が05年に大型ハリケーン「カトリーナ」で被災したニューオリンズのために制作したチャリティ・ソングだったことを話していた。ああ、すっかりその事実を忘れていたけれど、だからこの曲を冒頭にもってきたのかなと今さら気づかされる。
終演後はステージからマイクなしで「ありがとうございました!」と最後の力を振り絞って観客にお礼をいってこの日のライブが終わる。振替公演は9月に行われるためライブはこれで一段落ということか。お疲れさま。今度はお互い(?)ベストな状態で再会できればと願う。しかし彼女はともかく、私は駄目かもしれないなあ。最後に演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)ALL HANDS TOGETHER
(2)GLAMOROUS SKY
(3)LIFE
(4)BABY BABY BABY
(5)ALWAYS
(6)一番綺麗な私を
(7)流れ星
(8)メドレー:愛している/ORION/STARS/愛してる
(9)16
(10)SONG FOR A WISH
(11)CANDY GIRL
(12)SPIRAL
(13)LONELY STAR
(14)I DON’T KNOW
(15)DANCE WITH THE DEVIL
(16)雪の華
(アンコール)
(17)Dear
(18)A MIRACLE FOR YOU
eastern youthはツアーがあるたび必ず足を運んでいる。しかしながら今回は、新作アルバム「心ノ底二灯火トモセ」(11年)を買ったのはライブの数日前で、セブンイレブンでチケットを発券したのは当日の昼間だった。ひとまず部屋を出るまでアルバムを聴き続けて、開場1時間前の午後4時にバタバタと会場へ向かう。
行ったことのある方なら説明不要であるけれど、磔磔というのは非常に狭い会場だ。もともと酒蔵だった建物を改良したライブハウスだから、音楽を演奏するのに適した形になっていない。音響は別にいいわけでもないし、ステージは低くて後ろにいたらもうミュージシャンの姿は拝めない。
しかしながら、私はある事情があって、たとえ整理番号が1番であろうと、ライブハウスでは後方または端っこでライブを観ることに決めている。ただ今日はなんだかボヤッとしていたのか、なんとなく前から2列目あたりに陣取ってしまった。
突っ立ってビールを飲んでいるうちに午後6時を回り、ライブが始まった。会場の照明が暗くなり2階からメンバーが出てくると後ろの客がドーッと前に押し寄せてきた。しまった、やはり後ろで観るべきだった。
そうなのだ。前に集まる客というのは基本的に暴れ回る人間が多いのだ。それで私はある時期から、たとえステージがろくに観れないとしても、前方に立つのを避けるようにしたのだった。しかし今日はそれをすっかり忘れてしまった。
暴れるクズたちがどれほど酷いかといえば、2列目にいた私がライブ中盤になる頃には真ん中くらいまで押し下げられてしまった、といえば多少は理解していただけるだろうか。こんな梅雨の最中、狭いハコで大人数が暴れたらどうなるか。もう痛いわ汗まみれになるわで、ライブを楽しめるような心境にはもはやなれなかった。
だが、いったん後ろにいけばもうバタバタする必要もなく以後はゆっくりと観ることができた。どうやら会場の中央に立っている柱より後方にいる人たちは大人しく観ていて、その前方は未だに精神がガキなクズどもが暴れている、という構図となっている。もし磔磔で激しそうなライブを観る際は中央の柱を参考にしていたら良い、かもしれない。
ライブの内容については、相変わらず全力でしているなと感じたものの、さきほども書いた通りこちらの調子が最悪だったので没頭して観れるような心境ではなかった。少し遠出をして心斎橋クラブクアトロに行けばよかったかもしれない。クアトロならば広いから、暴れるクズどもに巻き込まれることも避けられるし・・・。ちなみに大阪公演は7月8日(金)である。
最後に演奏曲目を記す。メモを取る余裕もなく久しぶりに頭で覚え
【演奏曲目】
(1)ドッコイ生キテル街ノ中
(2)靴紐直して走る
(3)這いつくばったり空を飛んだり
(4)沸点36℃
(5)荒野に針路を取れ
(6)東京west
(7)踵鳴る
(8)雑踏
(9)直情バカ一代
(10)尻を端折ってひと踊り
(11)男子畢生危機一髪
(12)青すぎる空
(13)雨曝しなら濡れるがいいさ
(14)素晴らしい世界
〈アンコール1〉
(15)夜明けの歌
(16)一切合切太陽みたいに輝く
〈アンコール2〉
(17)夏の日の午後
行ったことのある方なら説明不要であるけれど、磔磔というのは非常に狭い会場だ。もともと酒蔵だった建物を改良したライブハウスだから、音楽を演奏するのに適した形になっていない。音響は別にいいわけでもないし、ステージは低くて後ろにいたらもうミュージシャンの姿は拝めない。
しかしながら、私はある事情があって、たとえ整理番号が1番であろうと、ライブハウスでは後方または端っこでライブを観ることに決めている。ただ今日はなんだかボヤッとしていたのか、なんとなく前から2列目あたりに陣取ってしまった。
突っ立ってビールを飲んでいるうちに午後6時を回り、ライブが始まった。会場の照明が暗くなり2階からメンバーが出てくると後ろの客がドーッと前に押し寄せてきた。しまった、やはり後ろで観るべきだった。
そうなのだ。前に集まる客というのは基本的に暴れ回る人間が多いのだ。それで私はある時期から、たとえステージがろくに観れないとしても、前方に立つのを避けるようにしたのだった。しかし今日はそれをすっかり忘れてしまった。
暴れるクズたちがどれほど酷いかといえば、2列目にいた私がライブ中盤になる頃には真ん中くらいまで押し下げられてしまった、といえば多少は理解していただけるだろうか。こんな梅雨の最中、狭いハコで大人数が暴れたらどうなるか。もう痛いわ汗まみれになるわで、ライブを楽しめるような心境にはもはやなれなかった。
だが、いったん後ろにいけばもうバタバタする必要もなく以後はゆっくりと観ることができた。どうやら会場の中央に立っている柱より後方にいる人たちは大人しく観ていて、その前方は未だに精神がガキなクズどもが暴れている、という構図となっている。もし磔磔で激しそうなライブを観る際は中央の柱を参考にしていたら良い、かもしれない。
ライブの内容については、相変わらず全力でしているなと感じたものの、さきほども書いた通りこちらの調子が最悪だったので没頭して観れるような心境ではなかった。少し遠出をして心斎橋クラブクアトロに行けばよかったかもしれない。クアトロならば広いから、暴れるクズどもに巻き込まれることも避けられるし・・・。ちなみに大阪公演は7月8日(金)である。
最後に演奏曲目を記す。メモを取る余裕もなく久しぶりに頭で覚え
【演奏曲目】
(1)ドッコイ生キテル街ノ中
(2)靴紐直して走る
(3)這いつくばったり空を飛んだり
(4)沸点36℃
(5)荒野に針路を取れ
(6)東京west
(7)踵鳴る
(8)雑踏
(9)直情バカ一代
(10)尻を端折ってひと踊り
(11)男子畢生危機一髪
(12)青すぎる空
(13)雨曝しなら濡れるがいいさ
(14)素晴らしい世界
〈アンコール1〉
(15)夜明けの歌
(16)一切合切太陽みたいに輝く
〈アンコール2〉
(17)夏の日の午後
時計が午後5時を指したらすぐ会社を出て地下鉄に乗る。東西線に乗り換え、京阪浜大津駅で再び乗り換えて「石場」駅で降りる。そこから3分ほど歩いたところにびわ湖ホールが立っている。名前の通り、すぐ隣にびわ湖があるなかなか風光明媚な会場だ。
今日は山下達郎を観るためにここまでやって来た。といっても、積極的にこの場所に来たわけではなかった。今回のツアーに大阪公演が組み込まれなかったので(これからも無いと思われる)、チケットが「ぴあ」で抽選販売が始まった時は神戸公演とこの滋賀公演を申し込む。しかし神戸公演が外れてしまいこちらが当選する。そんな流れがあった。
余談だが、いまから3年前の2007年にここで中島美嘉を観る予定だった。実際にチケットも取っていたけれど、急にロンドン(!)に行くことにしてしまったので取りやめとなった。そういうわけで、今日は私にとって初めてのびわ湖ホールである。
ホールについたのは午後5時50分くらいにで、まだ開場はしていなかった。別に遅れて入っても構わないと思っていたので入場列には加わらなかったけれど、列はどんどん伸びていて少し焦ってくる。案の定、入場したのが6時15分くらいで、さらにグッズ売り場でも10分近く待ったため、パンフレットを買って自分の席に着く頃には開演時間の3分前くらいというギリギリの状況だった。
席について驚いたのは、1848席(車イス4席を含む)という大ホールが実にステージから近く感じることだ。私の席は「3階席」となっているけれど、他のホールの感覚からすれば1・5階席とでも表現したくなるような高さである。私の横にいたお客さんなど、
「すいません。ここは2階席ですか?」
と私に訊いてきたほどだ。しかしそう錯覚してもおかしくないような構造のホールであった。
開演は予定より5分遅れくらいで始まった。最初は絶対に”SPARKLE”がくると思ったけれど、いつものギターの音ではなかった。なんと1曲目はKinki Kidsに提供した”HAPPY HAPPY GREETING”だった。今回のツアーについて全く知識を入れてなかったけれど、今年で山下はシュガー・ベイブ時代から数えてデビュー35周年になるという。よってツアーも35本設定されている(追加公演が出たため、厳密には35本でないけれど)。そんな意味合いもあっての”HAPPY HAPPY GREETING”らしい。そして2曲目が”SPARKLE”であった。
山下のライブを観るのはこれで5回目になるけれど、大枠の流れとのようなものは出来上がっている。”SPARKLE”から始まり、途中でアカペラがあり”クリスマス・イブ”があり、後半は”LET’S DANCE BABY”に”RIDE ON TIME”、そしてアンコールの最後は再びアカペラの”YOUR EYES”で締めるという具合だ。
ただ今回はデビュー35周年ということもあってか、昔のことが色々と山下の頭に中によぎったようで、シュガー・ベイブ時代の”今日のなんだか”や”WINDY LADY”(録音されていないがライブでは演奏されていた)などを披露してくれた。
個人的に最も嬉しかったのは、ファンクラブで人気投票をしたらこの曲が1位になった、と言って”潮騒”が聴けたことだろう。事情があって長いあいだライブに組み込まれなかったとも触れていたが、私も聴きたいとずっと願っていた曲である。
山下も今日は機嫌良く演奏できたようで、京都会館を「史上最悪のホール」(音響うんぬんとかよりも、ステージのセットが入らないからという理由で)と比較しながら、びわ湖ホールが良い会場なのでまたやりたいと言っていた。そういえば、滋賀でライブをするのは今回が初めてだったらしい。しかし先の発言からすれば、京都公演というのはおそらく実現することもないだろう。
”YOUR EYES”が終わった時に、私の携帯は「21:52」の数字を示していた。実に3時間半近くである。相変わらずタフだなと思ったものの、還暦までは毎年ツアーをしたいとステージで宣言していたのは頼もしい。一方MCで、忌野清志郎や桑田圭佑のような事態が他人事と思えない、とも言っていたのはなかなか重たいものを感じる。
生死に関わるというような次元とは全く違うけれど、私も来月からいろいろと周囲の環境が変化するため、平日の合間を縫ってライブに行くような真似はあまりできなくなる見込みだ。そんなことがずっと頭の中を去来しながら今日の山下のステージを観ていて、不安にも似たなんともいえない思いに駆られてしまったのである。
石場駅から再び電車を乗り継いで帰ったのは11時40分ごろだった。最後に演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)HAPPY HAPPY GREETING
(2)SPARKLE
(3)DAYDREAM
(4)DONUT SONG
(5)僕らの夏の夢
(6)WINDY LADY
(7)砂の女
(8)SOLID SLIDER
(9)潮騒
(10)MOST OF ALL
(11)I ONLY HAVE EYES FOR YOU
(12)クリスマス・イブ
(13)希望という名の光
(14)さよなら夏の日
(15)今日はなんだか
(16)LET’S DANCE BABY
(17)アトムの子
(18)LOVELAND,ISLAND
(アンコール)
(19)街物語
(20)RIDE ON TIME
(21)いつか
(22)ダウンタウン
(23)YOUR EYES
今日は山下達郎を観るためにここまでやって来た。といっても、積極的にこの場所に来たわけではなかった。今回のツアーに大阪公演が組み込まれなかったので(これからも無いと思われる)、チケットが「ぴあ」で抽選販売が始まった時は神戸公演とこの滋賀公演を申し込む。しかし神戸公演が外れてしまいこちらが当選する。そんな流れがあった。
余談だが、いまから3年前の2007年にここで中島美嘉を観る予定だった。実際にチケットも取っていたけれど、急にロンドン(!)に行くことにしてしまったので取りやめとなった。そういうわけで、今日は私にとって初めてのびわ湖ホールである。
ホールについたのは午後5時50分くらいにで、まだ開場はしていなかった。別に遅れて入っても構わないと思っていたので入場列には加わらなかったけれど、列はどんどん伸びていて少し焦ってくる。案の定、入場したのが6時15分くらいで、さらにグッズ売り場でも10分近く待ったため、パンフレットを買って自分の席に着く頃には開演時間の3分前くらいというギリギリの状況だった。
席について驚いたのは、1848席(車イス4席を含む)という大ホールが実にステージから近く感じることだ。私の席は「3階席」となっているけれど、他のホールの感覚からすれば1・5階席とでも表現したくなるような高さである。私の横にいたお客さんなど、
「すいません。ここは2階席ですか?」
と私に訊いてきたほどだ。しかしそう錯覚してもおかしくないような構造のホールであった。
開演は予定より5分遅れくらいで始まった。最初は絶対に”SPARKLE”がくると思ったけれど、いつものギターの音ではなかった。なんと1曲目はKinki Kidsに提供した”HAPPY HAPPY GREETING”だった。今回のツアーについて全く知識を入れてなかったけれど、今年で山下はシュガー・ベイブ時代から数えてデビュー35周年になるという。よってツアーも35本設定されている(追加公演が出たため、厳密には35本でないけれど)。そんな意味合いもあっての”HAPPY HAPPY GREETING”らしい。そして2曲目が”SPARKLE”であった。
山下のライブを観るのはこれで5回目になるけれど、大枠の流れとのようなものは出来上がっている。”SPARKLE”から始まり、途中でアカペラがあり”クリスマス・イブ”があり、後半は”LET’S DANCE BABY”に”RIDE ON TIME”、そしてアンコールの最後は再びアカペラの”YOUR EYES”で締めるという具合だ。
ただ今回はデビュー35周年ということもあってか、昔のことが色々と山下の頭に中によぎったようで、シュガー・ベイブ時代の”今日のなんだか”や”WINDY LADY”(録音されていないがライブでは演奏されていた)などを披露してくれた。
個人的に最も嬉しかったのは、ファンクラブで人気投票をしたらこの曲が1位になった、と言って”潮騒”が聴けたことだろう。事情があって長いあいだライブに組み込まれなかったとも触れていたが、私も聴きたいとずっと願っていた曲である。
山下も今日は機嫌良く演奏できたようで、京都会館を「史上最悪のホール」(音響うんぬんとかよりも、ステージのセットが入らないからという理由で)と比較しながら、びわ湖ホールが良い会場なのでまたやりたいと言っていた。そういえば、滋賀でライブをするのは今回が初めてだったらしい。しかし先の発言からすれば、京都公演というのはおそらく実現することもないだろう。
”YOUR EYES”が終わった時に、私の携帯は「21:52」の数字を示していた。実に3時間半近くである。相変わらずタフだなと思ったものの、還暦までは毎年ツアーをしたいとステージで宣言していたのは頼もしい。一方MCで、忌野清志郎や桑田圭佑のような事態が他人事と思えない、とも言っていたのはなかなか重たいものを感じる。
生死に関わるというような次元とは全く違うけれど、私も来月からいろいろと周囲の環境が変化するため、平日の合間を縫ってライブに行くような真似はあまりできなくなる見込みだ。そんなことがずっと頭の中を去来しながら今日の山下のステージを観ていて、不安にも似たなんともいえない思いに駆られてしまったのである。
石場駅から再び電車を乗り継いで帰ったのは11時40分ごろだった。最後に演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)HAPPY HAPPY GREETING
(2)SPARKLE
(3)DAYDREAM
(4)DONUT SONG
(5)僕らの夏の夢
(6)WINDY LADY
(7)砂の女
(8)SOLID SLIDER
(9)潮騒
(10)MOST OF ALL
(11)I ONLY HAVE EYES FOR YOU
(12)クリスマス・イブ
(13)希望という名の光
(14)さよなら夏の日
(15)今日はなんだか
(16)LET’S DANCE BABY
(17)アトムの子
(18)LOVELAND,ISLAND
(アンコール)
(19)街物語
(20)RIDE ON TIME
(21)いつか
(22)ダウンタウン
(23)YOUR EYES
そういえば去年、イースタン・ユースの大阪公演は中止になってしまったことを思い出した。しかし吉野寿が心筋梗塞に襲われるという緊急事態だったから仕方ない。昨年の手帳をめくってみたら10月9日の項目に、
「心斎橋クラブクアトロ(easten youth)」
と書かれていて、そこに黒いボールペンで斜線が2本引かれていた。
それから今年の6月、ogre you assholeというバンドとのジョイントという形で大阪に来たけれど、仕事の都合で会場入りが遅れたため持ち時間の半分以下もライブを観ることができなかった。そんなこともあって、彼らに対しての思いはなんとなく宙ぶらりんな状態になっていたような気もする。
今回も特に何か特別な期待をしてライブに臨んだわけではなかった。考えてみれば、彼らのライブを初めて観たのが02年7月12日、ミナミアメリカ村のBIG CATにおいてであった。最初のライブは実に鮮烈な体験だったが、それから何度も会場に足を運んだかは数知れない。すっかり私の目や耳も落ち着いてしまった気もする。なんだか愚痴めいたように感じるかもしれないが、こんなことを書いたのには伏線がある。
6月のライブは20分ほど遅刻したものの、今日は仕事も昼で切り上げて開場5分前にはクアトロに到着していた。お客の入りはいつも気になっているけれど、200から300人の間くらいだろうか。前の大阪公演とそれほど変わらない印象だ。開演までは新書を読んで時間をつぶした。しかしいつも思うのだが、このキャパで1時間も待ち時間を設ける必要があるのだろうか。ドリンクなどを注文させようとかいう考えなのか、その辺がどうもよくわからない。
ライブはほぼ予定通りの時間に始まった。1曲目は、最近はアンコールなど終盤で演奏することが多い”夜明けの歌”だった。私がいままで観た中でこの曲が冒頭という経験が無いので、今夜はけっこう期待できる内容かも、という予感がした。2曲目は最新作「歩幅と太陽」(09年)から”いつだってそれは簡単なことじゃない”だったが、このとき辺りから、
「今日の彼らの勢いは尋常じゃないのでは」
と感じる。そしてその思いはライブが進むほどに確信へと変わっていった。
ここ数年の楽曲についていえば、この言い方は適当かどうかわからないが、アルバムよりライブの方が素晴らしい。こうした姿をCDにも納められたら最高なのだが、と惜しい気持ちになってしまうほどだ。実際、今夜は昔の曲と最新作との間に落差らしきものは全く感じられなかった。いやそれどころか、今日はいままで観た中で一番良いでは?と思えるほどの出来である。
これは正直いって予想外の光景だった。彼らが札幌市で結成されたのが1988年、私がまだ小学4年生の頃である。それから22年も経っているわけだ。多くのバンドの事例を考えてみると、耐用年数をはるかに超えている活動期間であろう。
ニール・ヤング&ザ・クレイジーホースの78年のライブを納めた「ラスト・ネヴァー・スリープス」という映像作品の傑作がある。「Rust Never Sleeps」とは「錆(さび)は絶えず進行する」という意味で、全てのバンドは錆びる、と作品中にもセリフが出てくる。確かにミュージシャンやバンドに衰えというのは付きものに違いない。しかしこの日のイースタン・ユースに関していえばそのようなものが全く見当たらなかった。これはニール・ヤングにもいえることだが、音楽と年齢という二つの要素に関係はないのだろうか。そんなことを思ってしまった。
この日の彼らに感激したのは私だけではなかったようで、アンコール2曲目の”一切合切太陽みたいに輝く”が終わりバンドが去って会場が明るくなって音楽が流れても、ほとんどのお客は帰らない。3分ほど拍手を続けているとバンドが再登場し”青すぎる空”を披露する。終わったのが9時20分、1時間50分というのは彼らにしては長めの時間であった。
ライブに行く本数を削っていこうかなあと思っていた今日このごろだったが、こうしたものを見せられると、削るわけにはいくまいと思い直してしまう。最後にこの日の曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)夜明けの歌
(2)いつだってそれは簡単な事じゃない
(3)世界は割れ響く耳鳴りのようだ
(4)踵鳴る
(5)男子畢生危機一髪
(6)未ダ未ダヨ
(7)地下鉄の喧騒
(8)扉
(9)いずこへ
(10)野良犬、走る
(11)まともな世界
(12)街はふるさと
(13)沸点36℃
(14)荒野に針路を取れ
<アンコール1>
(15)雨曝しなら濡れるがいいさ
(16)一切合切太陽みたいに輝く
<アンコール2>
(17)青すぎる空
「心斎橋クラブクアトロ(easten youth)」
と書かれていて、そこに黒いボールペンで斜線が2本引かれていた。
それから今年の6月、ogre you assholeというバンドとのジョイントという形で大阪に来たけれど、仕事の都合で会場入りが遅れたため持ち時間の半分以下もライブを観ることができなかった。そんなこともあって、彼らに対しての思いはなんとなく宙ぶらりんな状態になっていたような気もする。
今回も特に何か特別な期待をしてライブに臨んだわけではなかった。考えてみれば、彼らのライブを初めて観たのが02年7月12日、ミナミアメリカ村のBIG CATにおいてであった。最初のライブは実に鮮烈な体験だったが、それから何度も会場に足を運んだかは数知れない。すっかり私の目や耳も落ち着いてしまった気もする。なんだか愚痴めいたように感じるかもしれないが、こんなことを書いたのには伏線がある。
6月のライブは20分ほど遅刻したものの、今日は仕事も昼で切り上げて開場5分前にはクアトロに到着していた。お客の入りはいつも気になっているけれど、200から300人の間くらいだろうか。前の大阪公演とそれほど変わらない印象だ。開演までは新書を読んで時間をつぶした。しかしいつも思うのだが、このキャパで1時間も待ち時間を設ける必要があるのだろうか。ドリンクなどを注文させようとかいう考えなのか、その辺がどうもよくわからない。
ライブはほぼ予定通りの時間に始まった。1曲目は、最近はアンコールなど終盤で演奏することが多い”夜明けの歌”だった。私がいままで観た中でこの曲が冒頭という経験が無いので、今夜はけっこう期待できる内容かも、という予感がした。2曲目は最新作「歩幅と太陽」(09年)から”いつだってそれは簡単なことじゃない”だったが、このとき辺りから、
「今日の彼らの勢いは尋常じゃないのでは」
と感じる。そしてその思いはライブが進むほどに確信へと変わっていった。
ここ数年の楽曲についていえば、この言い方は適当かどうかわからないが、アルバムよりライブの方が素晴らしい。こうした姿をCDにも納められたら最高なのだが、と惜しい気持ちになってしまうほどだ。実際、今夜は昔の曲と最新作との間に落差らしきものは全く感じられなかった。いやそれどころか、今日はいままで観た中で一番良いでは?と思えるほどの出来である。
これは正直いって予想外の光景だった。彼らが札幌市で結成されたのが1988年、私がまだ小学4年生の頃である。それから22年も経っているわけだ。多くのバンドの事例を考えてみると、耐用年数をはるかに超えている活動期間であろう。
ニール・ヤング&ザ・クレイジーホースの78年のライブを納めた「ラスト・ネヴァー・スリープス」という映像作品の傑作がある。「Rust Never Sleeps」とは「錆(さび)は絶えず進行する」という意味で、全てのバンドは錆びる、と作品中にもセリフが出てくる。確かにミュージシャンやバンドに衰えというのは付きものに違いない。しかしこの日のイースタン・ユースに関していえばそのようなものが全く見当たらなかった。これはニール・ヤングにもいえることだが、音楽と年齢という二つの要素に関係はないのだろうか。そんなことを思ってしまった。
この日の彼らに感激したのは私だけではなかったようで、アンコール2曲目の”一切合切太陽みたいに輝く”が終わりバンドが去って会場が明るくなって音楽が流れても、ほとんどのお客は帰らない。3分ほど拍手を続けているとバンドが再登場し”青すぎる空”を披露する。終わったのが9時20分、1時間50分というのは彼らにしては長めの時間であった。
ライブに行く本数を削っていこうかなあと思っていた今日このごろだったが、こうしたものを見せられると、削るわけにはいくまいと思い直してしまう。最後にこの日の曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)夜明けの歌
(2)いつだってそれは簡単な事じゃない
(3)世界は割れ響く耳鳴りのようだ
(4)踵鳴る
(5)男子畢生危機一髪
(6)未ダ未ダヨ
(7)地下鉄の喧騒
(8)扉
(9)いずこへ
(10)野良犬、走る
(11)まともな世界
(12)街はふるさと
(13)沸点36℃
(14)荒野に針路を取れ
<アンコール1>
(15)雨曝しなら濡れるがいいさ
(16)一切合切太陽みたいに輝く
<アンコール2>
(17)青すぎる空
ペイヴメント大阪公演(10年4月10日、Zepp Osaka)
2010年4月10日 ライブ・レポート朝から外の仕事が入っているため今日は午前5時30分に目を覚ました。そのまま部屋を出て午後6時前くらいまで勤務するべし、のはずだったけれど職場の人に無理を言って2時には帰らせてもらった。そして部屋を戻って着替えをしてバスで京阪出町柳駅まで向かう。この時期は言うまでもなく桜の季節であり、鴨川近辺は多くの花見の客でごった返していた。駅のホームも明らかにいつもより人が多い。大阪に行ってもそれは同じようなもので、通行人が邪魔で走ることがままならない。
いま思えば、あの時の私は間違いなく苛立っていた。俺は別に観光に来たわけじゃない、大阪に行きたいだけだ、と。そんな感じで急いで向かったものの、仕事の電話が途中で2件入ったことなどもあり会場のZepp Osakaに着くころには、整理番号で200番近くの人が既に入場しているところだった。とはいえ、私は756番という最後の方の番号だからほとんど問題がなかったが。チケットの発売が決まった時に「ぴあ」の先行予約で申し込めばもっと良い番号だったには違いない。しかし色々な理由があってチケットを買うのを直前まで見送っていたからである。しかしながら11年ぶりに再結成したこのバンドを観たいという思いは消えることがなく、やっぱり私はこの会場へ来てしまったわけだ。
このバンドに対する私の思いを簡潔にまとめることはできない。大好きなジョイ・ディヴィジョンの影響を受けたということを知って彼らに興味を持ち、99年に2枚目のアルバム「クルーキッド・レイン」(94年)を初めて聴いた時はとてつもない衝撃を受けたのを今でも覚えている。それからしばらくして出た「テラー・トワイライト」(99年)が自身の生涯ベスト5のアルバムとなり、その流れのまま心斎橋クラブクアトロで来日公演を観る(99年8月22日)。しかしその半年後にバンドは活動停止してしまった。それからしばらくして中心人物のスティーヴ・マルクマスはソロ・アルバム「スティーブ・マルクマス」(01年)を発表して再出発したものの、それにともなう来日公演(01年5月13日、心斎橋クラブクアトロ)が期待と実際の落差があまりにも激しい内容で、私の「生涯最低のライブ」と位置づけるものとなる。あの時はあまりのショックで部屋に帰るのも苦痛だったのも忘れられない思い出だ。
それからはたまにアルバムを引っ張りだして聴いていたものの、もはやこのバンドの音を生で再び体験できるなどとは夢にも思っていなかった。しかし去年の終わり、この2010年限定で活動を再開されるというニュースが飛び出すのだから、世の中というのは全くよくわからない。
チケットを買えたのは良かったものの、お客の入りは残念ながらそれほどでもなかった。東京公演を観た人がmixiの感想で、若いファンもたくさん見かけたなどと書いていたけれど、私が観る限りお客の年齢は20代後半か30代前半というのが大多数だったと思う。前回の来日公演は高校生くらいの女の子もたくさんいたことを思えば、若い聴き手が増えているというのは事実と少し遠い気がする。彼らに対して再評価の動きなどの話も聞いたことがないし、それはそれで仕方ないだろうが。ここに集まったのはたぶん、再結成を願っていたまではいかなくても、ペイヴメントのことをずっと忘れずにいた人たちなのだろう。
私はやや前方のど真ん中に陣取って開演を待つ。楽器などをチェックする人はなぜか阪神タイガースのハッピを着ていた。始まる時間はすこし遅れるかなと予測したが、意外にも午後6時になったらすぐ照明が落ちる。会場からはもの凄い歓声が起きた。そしてついに、11年ぶりに、あのペイヴメントが私たちの目の前に現れた。スティーヴは相変わらず顔が見えないほど前髪をボサボサにして、その巨体をユラユラとギターを揺らしながら舞台左手で演奏している。その姿を観ていると、そういえば11年前もこんな感じのライブだったなあ、などと99年のことを思い出し感慨にふけってしまった。
バンドの出す音は実に素晴らしい。彼らに対してローファイだの脱力系だのと、いかにも無気力そうなイメージを与えかねない評価を時々見かけるけれど、それはとんでもない誤解である。無駄にテンポが速かったり、雑音のようなノイズを出したりするような真似を排して見事にコントロールされているだけのことである。そしてそれは、ペイヴメントの音、というしか形容しようがないものだ。
私が今日のライブで願っていたことがただ一つだけあった。あの「クルーキッド・レイン」の曲を聴きたい。細かいことは色々あるけれど、ひとまずそれだけだった。もはや遠い記憶であまり確信は持てないけれど、99年の大阪公演ではこのアルバムからの曲が1つも演奏されなかったはずだ。いや本当はされていたかもしれないけれど、「1曲も聴けなかった。そのままバンドが解散されて悔しい」と私が11年間もずっと思い続けたのはまぎれもない事実である。
しかしながら”Silence Kit”のイントロが出た時、私の悲願はついに達成された。その他にも、”Rage Life”,、"Unfair"、”Cut Your Hair”、”Stop Breathin’”、”Gold Soudz”、”5-4=unity”と計7曲も演奏されるのだから、もはや何も言うことがなかった。これらの曲を聴いた時には、この11年で失ってしまった何かを取り戻したようなそんな思いに駆られた。演奏曲目は彼らのキャリアから満遍なく選曲された感じだが、「テラー・トワイライト」からは”Spit On A Stranger”が唯一だった。この曲は11年ぶりに聴けたわけで、そういう点でも非常に嬉しかった。
さらに自分でも驚いたのは、”Fight This Generation”が演奏された時である。この曲では実にドライブの効いた間奏が長く続くのだがそれが本当に素晴らしいもので、
「こんなバンド、他に観たことも聴いたこともない・・・」
と思っているうちに、涙がボロボロと出てしまったのである。こんなしみったれたバンドの音に感激する自分は我ながらおかしいと思う。それはともかく最初から最後までステージに釘付けの状態で楽しんだ。
それから、一つ特筆したいことがある。それはこの日の観客の反応であった。ライブの最初から最後までモッシュやダイブのような光景は一度としてなかったのである。無駄に騒ぐわけでなく、しかし盛り上がるべき時はしっかり盛り上がる、という送り手のバンドと受け手のお客とのやり取りが見事であった。その理由は単純に、ペイヴメントのファンの大多数の人に「分別」とか「良識」というものが備わっていたということであろう。そういう面でも私の理想のライブであった。こういう人たちとこの日のライブを共有できたことを光栄に思う。
あまり自分らしい表現ではない気もするけれど、これを観れたらあと10年くらいはなんとかやっていけるかな。今日のこの日まで11年も待ったのだから、そう思えてくる。今年のベスト・ライブなどという域を超えて、我が生涯最高のライブの一つであった。最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)In The Mouth A Desert
(2)Shady Lane
(3)Father To A Sister of Thought
(4)Perfume-V
(5)Silence Kit
(6)Grounded
(7)Rattled By The Rush
(8)Kennel District
(9)Zurich Is Stained
(10)Range Life
(11)Loretta’s Scars
(12)Starlings of The Slipstream
(13)Two States
(14)Fight This Generation
(15)Stereo
(16)Summer Babe
(17)Unfair
(18)Cut Your Hair
<アンコール1>
(19)Date With Ikea
(20)Debris Slide
(21)Stop Breathin’
(22)Here
<アンコール2>
(23)Box Elder
(24)Trigger Cut
(25)Spit On A Stranger
(26)Gold Soundz
(27)5-4=Unity
(28)Conduit For Sale!
いま思えば、あの時の私は間違いなく苛立っていた。俺は別に観光に来たわけじゃない、大阪に行きたいだけだ、と。そんな感じで急いで向かったものの、仕事の電話が途中で2件入ったことなどもあり会場のZepp Osakaに着くころには、整理番号で200番近くの人が既に入場しているところだった。とはいえ、私は756番という最後の方の番号だからほとんど問題がなかったが。チケットの発売が決まった時に「ぴあ」の先行予約で申し込めばもっと良い番号だったには違いない。しかし色々な理由があってチケットを買うのを直前まで見送っていたからである。しかしながら11年ぶりに再結成したこのバンドを観たいという思いは消えることがなく、やっぱり私はこの会場へ来てしまったわけだ。
このバンドに対する私の思いを簡潔にまとめることはできない。大好きなジョイ・ディヴィジョンの影響を受けたということを知って彼らに興味を持ち、99年に2枚目のアルバム「クルーキッド・レイン」(94年)を初めて聴いた時はとてつもない衝撃を受けたのを今でも覚えている。それからしばらくして出た「テラー・トワイライト」(99年)が自身の生涯ベスト5のアルバムとなり、その流れのまま心斎橋クラブクアトロで来日公演を観る(99年8月22日)。しかしその半年後にバンドは活動停止してしまった。それからしばらくして中心人物のスティーヴ・マルクマスはソロ・アルバム「スティーブ・マルクマス」(01年)を発表して再出発したものの、それにともなう来日公演(01年5月13日、心斎橋クラブクアトロ)が期待と実際の落差があまりにも激しい内容で、私の「生涯最低のライブ」と位置づけるものとなる。あの時はあまりのショックで部屋に帰るのも苦痛だったのも忘れられない思い出だ。
それからはたまにアルバムを引っ張りだして聴いていたものの、もはやこのバンドの音を生で再び体験できるなどとは夢にも思っていなかった。しかし去年の終わり、この2010年限定で活動を再開されるというニュースが飛び出すのだから、世の中というのは全くよくわからない。
チケットを買えたのは良かったものの、お客の入りは残念ながらそれほどでもなかった。東京公演を観た人がmixiの感想で、若いファンもたくさん見かけたなどと書いていたけれど、私が観る限りお客の年齢は20代後半か30代前半というのが大多数だったと思う。前回の来日公演は高校生くらいの女の子もたくさんいたことを思えば、若い聴き手が増えているというのは事実と少し遠い気がする。彼らに対して再評価の動きなどの話も聞いたことがないし、それはそれで仕方ないだろうが。ここに集まったのはたぶん、再結成を願っていたまではいかなくても、ペイヴメントのことをずっと忘れずにいた人たちなのだろう。
私はやや前方のど真ん中に陣取って開演を待つ。楽器などをチェックする人はなぜか阪神タイガースのハッピを着ていた。始まる時間はすこし遅れるかなと予測したが、意外にも午後6時になったらすぐ照明が落ちる。会場からはもの凄い歓声が起きた。そしてついに、11年ぶりに、あのペイヴメントが私たちの目の前に現れた。スティーヴは相変わらず顔が見えないほど前髪をボサボサにして、その巨体をユラユラとギターを揺らしながら舞台左手で演奏している。その姿を観ていると、そういえば11年前もこんな感じのライブだったなあ、などと99年のことを思い出し感慨にふけってしまった。
バンドの出す音は実に素晴らしい。彼らに対してローファイだの脱力系だのと、いかにも無気力そうなイメージを与えかねない評価を時々見かけるけれど、それはとんでもない誤解である。無駄にテンポが速かったり、雑音のようなノイズを出したりするような真似を排して見事にコントロールされているだけのことである。そしてそれは、ペイヴメントの音、というしか形容しようがないものだ。
私が今日のライブで願っていたことがただ一つだけあった。あの「クルーキッド・レイン」の曲を聴きたい。細かいことは色々あるけれど、ひとまずそれだけだった。もはや遠い記憶であまり確信は持てないけれど、99年の大阪公演ではこのアルバムからの曲が1つも演奏されなかったはずだ。いや本当はされていたかもしれないけれど、「1曲も聴けなかった。そのままバンドが解散されて悔しい」と私が11年間もずっと思い続けたのはまぎれもない事実である。
しかしながら”Silence Kit”のイントロが出た時、私の悲願はついに達成された。その他にも、”Rage Life”,、"Unfair"、”Cut Your Hair”、”Stop Breathin’”、”Gold Soudz”、”5-4=unity”と計7曲も演奏されるのだから、もはや何も言うことがなかった。これらの曲を聴いた時には、この11年で失ってしまった何かを取り戻したようなそんな思いに駆られた。演奏曲目は彼らのキャリアから満遍なく選曲された感じだが、「テラー・トワイライト」からは”Spit On A Stranger”が唯一だった。この曲は11年ぶりに聴けたわけで、そういう点でも非常に嬉しかった。
さらに自分でも驚いたのは、”Fight This Generation”が演奏された時である。この曲では実にドライブの効いた間奏が長く続くのだがそれが本当に素晴らしいもので、
「こんなバンド、他に観たことも聴いたこともない・・・」
と思っているうちに、涙がボロボロと出てしまったのである。こんなしみったれたバンドの音に感激する自分は我ながらおかしいと思う。それはともかく最初から最後までステージに釘付けの状態で楽しんだ。
それから、一つ特筆したいことがある。それはこの日の観客の反応であった。ライブの最初から最後までモッシュやダイブのような光景は一度としてなかったのである。無駄に騒ぐわけでなく、しかし盛り上がるべき時はしっかり盛り上がる、という送り手のバンドと受け手のお客とのやり取りが見事であった。その理由は単純に、ペイヴメントのファンの大多数の人に「分別」とか「良識」というものが備わっていたということであろう。そういう面でも私の理想のライブであった。こういう人たちとこの日のライブを共有できたことを光栄に思う。
あまり自分らしい表現ではない気もするけれど、これを観れたらあと10年くらいはなんとかやっていけるかな。今日のこの日まで11年も待ったのだから、そう思えてくる。今年のベスト・ライブなどという域を超えて、我が生涯最高のライブの一つであった。最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)In The Mouth A Desert
(2)Shady Lane
(3)Father To A Sister of Thought
(4)Perfume-V
(5)Silence Kit
(6)Grounded
(7)Rattled By The Rush
(8)Kennel District
(9)Zurich Is Stained
(10)Range Life
(11)Loretta’s Scars
(12)Starlings of The Slipstream
(13)Two States
(14)Fight This Generation
(15)Stereo
(16)Summer Babe
(17)Unfair
(18)Cut Your Hair
<アンコール1>
(19)Date With Ikea
(20)Debris Slide
(21)Stop Breathin’
(22)Here
<アンコール2>
(23)Box Elder
(24)Trigger Cut
(25)Spit On A Stranger
(26)Gold Soundz
(27)5-4=Unity
(28)Conduit For Sale!
ボブ・ディラン大阪公演(10年3月11日、Zepp Osaka)
2010年3月11日 ライブ・レポートボブ・ディランの9年ぶりの来日公演を観るため久しぶりにZepp Osakaを訪れた。コスモスクエア駅を出ると、以前よりもまたマンションやビルの数が増えている。初めて訪れたのは10年前のBONNE PINKのライブの時だったが、当時は空地ばかりだった。大阪南港周辺の開発はどんどん進んでいるようである。
今日は整理番号の入場だったにもかかわらず開場時間ギリギリの到着だった。年配の人が目立つかと予測したけれど、待っているお客をパッと見た限りではバラバラの年齢層という感じである。しかしながら、入口に注意書きの大きな紙が張ってあったり、場内で長い長いアナウンスの注意がされたり、いつもならば入る時にドリンク代500円を徴収されるのが今回は無かったりと、色々な面で配慮をしているのは明らかだった。ディランがライブをしなければ生涯Zeppに来ることがなかったであろう人たちへの対応に主催者側もいろいろと苦慮したことが忍ばれる。
私の整理番号は355番と割と若い番号だったので、前から4列目くらいの中央の位置を確保することができた。あとは開演を待つばかりである。9年前の大阪公演では時間になったらブツンと客電が落ちて、再び明かりがついた時にはバンドが全て現れているという感じだった。今回もそれを期待していたけれど、今回はどうしたことか、開演時間の7時を10分ほど過ぎてもバンドは一向に登場しない。観客も明らかに動揺している。当の私もかなり不安が大きくなっていく。ミュージシャンが出てくるかどうかここまで心配になったのは、サマーソニックのモリッシー以来だ。ディランも今年で69歳であり昔のようにはなかなかいかなくなっているということなのだろうか。そして7時20分、場内が暗くなりようやくバンドとディランが現れる。
事前にネットで情報を得ていたが、最近のディランはギターではなくキーボードを弾きながら歌うという。座って演奏するのかと思ったら、立ってキーボードにも寄りかかるような格好で歌っていた。しかしながら実際にその姿を観ると、9年前のイメージも残っていたためか、現在のディランに違和感を抱いたことは否定できない。また曲によってはスタンドマイクの前でポーズをとったりハンドマイクで歌ったりという場面もあり、その違和感にさらなる拍車がかかった。この9年の間、ディランの心境に一体何が起きたのだろう。
とは言いながらも、やはり演奏が進んでいくにつれてそんなことはどうでも良くなっていった。以前ほど鬼気迫る雰囲気はなかった気もするが、チャーリー・セクストンを筆頭にバンドの音は実に素晴らしい。ドライブの効いた演奏は”追憶のハイウェイ61”あたりでピークを迎える。アンコールの最後はジミ・ヘンドリックスやニール・ヤングのカバーでも知られる”見張り塔からずっと”なのも良かった。それが終わってもお客は帰らず拍手を送り続けるも、2回目のアンコールは訪れず無念にも客電がついてしまった。いま振り返れば、バンドの音が以前と違うように感じた原因はディランが高齢になったとかではなくて、彼自身の弾くオルガンのようなキーボードが入ったからではないかと今では思う。
1万3000人が参加しているディランのmixiコミュニティの冒頭には、
「彼のテクや演奏をコピーしてもまったく意味は無い。 彼の出す全体的な雰囲気は誰にも真似ができないから。」
と書かれている。それは私が前回の来日公演で感じたことを見事に表している。9年前も現在も彼の曲はほとんど頭に入っていないけれど、パフォーマーとしてなんともいえない魅力に惹かれて今回もライブに行ったわけだ。そして、今回の彼に対しても同じ感想をもった次第である。
とは言いながら、部屋に戻ってからネットで演奏曲目を調べて思わず苦笑してしまった。会場に行く前は、前回の来日公演の予習のために買った「ボブ・ディラン・ライヴ!1961-2000~39イヤーズ・オブ・グレート・コンサート・パフォーマンス」(01年)を聴いていた。このアルバムに入っている曲もかなり含まれていた(”To Ramona”、”I Don’t Believe You”、”Cold Irons Bound”、”Things Have Changed”)にもかかわらず、全く気づかなかったからである。
「この曲、演奏されてたっけ?」
としばし呆然となった。彼の曲がまったく頭に入っていないとは言いながらも、それでもここまで全く気づかなかったのは情けないというしかない。
それはともかく、演奏曲目を見てみると、この15年あたりに作った作品の比率も低くないことに気づく。
「タイム・アウト・オブ・マインド」(97年)から2曲
「ラヴ・アンド・セフト」(01年)から1曲
「モダン・タイムズ」(06年)から3曲
「トゥゲザー・スルー・ライフ」(09年)から1曲
という感じである。”Things Have Changed”も近年の曲だから、ここ15年の曲目が半分くらいを占めることになる。この辺りは、自分がまだ現役のミュージシャンであることを主張しているようで頼もしい気がする。
最後に一つだけ記したい話がある。今回、ディランがギターを手に取ったのはわずか2曲だけだった。フォーク・シンガーというイメージが今でも強い人だから、そう思って会場に臨んだ人は面食らったに違いない。実際、ライブが終わった後で若い人が、ディランが全然ギターを持たなかった、みたいなことを耳にした。
それを聞いた私は、9年前はそうじゃなかったんだけどねえ、とほくそ笑んでいたのであった。
最後に演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)Watching The River Flow
(2)Girl Of The North Country
(3)Things Have Changed
(4)To Ramona
(5)High Water (For Charley Patton)
(6)Spirit On The Water
(7)The Levee’s Gonna Break
(8)I Don’t Believe You (She Acts Like We Never Have Met)
(9)Cold Irons Bound
(10)A Hard Rain’s A-Gonna Fall
(11)Highway 61 Revisited
(12)Can’t Wait
(13)Thunder On The Mountain
(14)Ballad Of A Thin Man
<アンコール>
(15)Like A Rolling Stone
(16)Jolene
(17)All Along The Watchtower
今日は整理番号の入場だったにもかかわらず開場時間ギリギリの到着だった。年配の人が目立つかと予測したけれど、待っているお客をパッと見た限りではバラバラの年齢層という感じである。しかしながら、入口に注意書きの大きな紙が張ってあったり、場内で長い長いアナウンスの注意がされたり、いつもならば入る時にドリンク代500円を徴収されるのが今回は無かったりと、色々な面で配慮をしているのは明らかだった。ディランがライブをしなければ生涯Zeppに来ることがなかったであろう人たちへの対応に主催者側もいろいろと苦慮したことが忍ばれる。
私の整理番号は355番と割と若い番号だったので、前から4列目くらいの中央の位置を確保することができた。あとは開演を待つばかりである。9年前の大阪公演では時間になったらブツンと客電が落ちて、再び明かりがついた時にはバンドが全て現れているという感じだった。今回もそれを期待していたけれど、今回はどうしたことか、開演時間の7時を10分ほど過ぎてもバンドは一向に登場しない。観客も明らかに動揺している。当の私もかなり不安が大きくなっていく。ミュージシャンが出てくるかどうかここまで心配になったのは、サマーソニックのモリッシー以来だ。ディランも今年で69歳であり昔のようにはなかなかいかなくなっているということなのだろうか。そして7時20分、場内が暗くなりようやくバンドとディランが現れる。
事前にネットで情報を得ていたが、最近のディランはギターではなくキーボードを弾きながら歌うという。座って演奏するのかと思ったら、立ってキーボードにも寄りかかるような格好で歌っていた。しかしながら実際にその姿を観ると、9年前のイメージも残っていたためか、現在のディランに違和感を抱いたことは否定できない。また曲によってはスタンドマイクの前でポーズをとったりハンドマイクで歌ったりという場面もあり、その違和感にさらなる拍車がかかった。この9年の間、ディランの心境に一体何が起きたのだろう。
とは言いながらも、やはり演奏が進んでいくにつれてそんなことはどうでも良くなっていった。以前ほど鬼気迫る雰囲気はなかった気もするが、チャーリー・セクストンを筆頭にバンドの音は実に素晴らしい。ドライブの効いた演奏は”追憶のハイウェイ61”あたりでピークを迎える。アンコールの最後はジミ・ヘンドリックスやニール・ヤングのカバーでも知られる”見張り塔からずっと”なのも良かった。それが終わってもお客は帰らず拍手を送り続けるも、2回目のアンコールは訪れず無念にも客電がついてしまった。いま振り返れば、バンドの音が以前と違うように感じた原因はディランが高齢になったとかではなくて、彼自身の弾くオルガンのようなキーボードが入ったからではないかと今では思う。
1万3000人が参加しているディランのmixiコミュニティの冒頭には、
「彼のテクや演奏をコピーしてもまったく意味は無い。 彼の出す全体的な雰囲気は誰にも真似ができないから。」
と書かれている。それは私が前回の来日公演で感じたことを見事に表している。9年前も現在も彼の曲はほとんど頭に入っていないけれど、パフォーマーとしてなんともいえない魅力に惹かれて今回もライブに行ったわけだ。そして、今回の彼に対しても同じ感想をもった次第である。
とは言いながら、部屋に戻ってからネットで演奏曲目を調べて思わず苦笑してしまった。会場に行く前は、前回の来日公演の予習のために買った「ボブ・ディラン・ライヴ!1961-2000~39イヤーズ・オブ・グレート・コンサート・パフォーマンス」(01年)を聴いていた。このアルバムに入っている曲もかなり含まれていた(”To Ramona”、”I Don’t Believe You”、”Cold Irons Bound”、”Things Have Changed”)にもかかわらず、全く気づかなかったからである。
「この曲、演奏されてたっけ?」
としばし呆然となった。彼の曲がまったく頭に入っていないとは言いながらも、それでもここまで全く気づかなかったのは情けないというしかない。
それはともかく、演奏曲目を見てみると、この15年あたりに作った作品の比率も低くないことに気づく。
「タイム・アウト・オブ・マインド」(97年)から2曲
「ラヴ・アンド・セフト」(01年)から1曲
「モダン・タイムズ」(06年)から3曲
「トゥゲザー・スルー・ライフ」(09年)から1曲
という感じである。”Things Have Changed”も近年の曲だから、ここ15年の曲目が半分くらいを占めることになる。この辺りは、自分がまだ現役のミュージシャンであることを主張しているようで頼もしい気がする。
最後に一つだけ記したい話がある。今回、ディランがギターを手に取ったのはわずか2曲だけだった。フォーク・シンガーというイメージが今でも強い人だから、そう思って会場に臨んだ人は面食らったに違いない。実際、ライブが終わった後で若い人が、ディランが全然ギターを持たなかった、みたいなことを耳にした。
それを聞いた私は、9年前はそうじゃなかったんだけどねえ、とほくそ笑んでいたのであった。
最後に演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)Watching The River Flow
(2)Girl Of The North Country
(3)Things Have Changed
(4)To Ramona
(5)High Water (For Charley Patton)
(6)Spirit On The Water
(7)The Levee’s Gonna Break
(8)I Don’t Believe You (She Acts Like We Never Have Met)
(9)Cold Irons Bound
(10)A Hard Rain’s A-Gonna Fall
(11)Highway 61 Revisited
(12)Can’t Wait
(13)Thunder On The Mountain
(14)Ballad Of A Thin Man
<アンコール>
(15)Like A Rolling Stone
(16)Jolene
(17)All Along The Watchtower
ジャクソン・ブラウンのライブを観る時は、けっこう色々な期待をして会場に臨むのが常だった。好きな曲がたくさんあるし、日によって内容もけっこう変えてくる。そして何より、ライブの内容が破格に素晴らしい。
かつて山下達郎が自身のラジオ番組の中でジャクソンの特集をした時、彼のライブには海外のアーティストに見られる「手抜き」のようなものが感じられない、というようなことを言っていたのを今でも覚えている。私にはミュージシャンの手抜き云々を指摘できる目や耳は無いけれど、ジャクソンのライブが素晴らしすぎることだけは確信をしている。
それほどまでに好きなジャクソンだが、今回はいつもほど熱心になれていない自分がいた。その理由は明らかで、シェリル・クロウとのジョイント・ライブという形式をとっているからだ。どう頑張っても、いつもの半分くらいの時間しか彼のライブを観ることができない。それが本当に辛い。またネットの情報によれば、ジャクソンが一番手だそうだ。それでもジャクソンが観たい私は1万3000円のチケット(これもジョイント・ライブの弊害だ)を買って大阪国際会議場へ向かう。
午前中は仕事をして、いったん部屋に戻って着替えて少し休憩してから京阪電車で中之島まで向かう。途中の京橋駅の中でエビ入りのたこ焼きというのを食べてしまったりしたので、自分の席に着いたのは6時58分ほどになってしまった。座って間もなく7時2分には客電が落ちて、事前情報通りまずジャクソンの登場である。
初めの2曲は最新アルバム「時の征者」(08年)から立て続けに演奏されたものの、ジョイント・ライブで曲数が少ないこともあってか、以降はファンの喜ぶような曲の連続だった。
ところで、ジャクソン・ブラウンは非常に愛されている、というか愛され過ぎているミュージシャンである。よって、イタい取り巻きもたくさん会場に来る。リクエストにも柔軟に応じる部分もあるので、
「ロージー!ロージー!」
と客席から大きな声で求められる。それに負けるように、予定にはなかったであろう”ロージー”を歌ってくれた。あの時のジャクソンは明らかに、苦笑に近い笑顔を浮かべていた。
しかしそういうイタい人たちの気持ちもわからなくはないかな、と思ってしまうほど今夜のジャクソンのライブは素晴らしかった。いままで4回ほど観た彼のステージはどれも破格の出来であったけれど、今夜は短時間で凝縮したような感じが特に良かった。個人的には”サムバディズ・ベイビー”をバンド演奏で初めて聴けたのが収穫だったか。ともかく、フル・ステージで観たい、と演奏時間の短さを呪うばかりだった。それが今回のジャクソンに対する私から言える精一杯の賛辞である。
いつもの半分ほどの時間とはいえ、本編最後を飾る曲はやはり”孤独なランナー”だった。そしていつもならばお客が総立ちになるけれど、今日は全体の半分くらいしか立ち上がらない。シェリル・クロウのファンの方が多かったか、と一瞬は思った。しかし徐々に10人20人と立ち上がり、後半はほとんどの人が立ち上がって拍手を贈るようになる。これはさすがに感動的な光景であった。
演奏が終わって会場が最高潮になっているところに、いきなりシェリル・クロウと彼女のバンドが現れて会場がどよめく。ものすごく華奢な人だなと思っているうちに、そのまま”テイク・イット・イージー”へなだれ込み、客席はさらなる盛り上がりを見せてしまった。ここまでで1時間20分ほどだっだけれど、もう何も言うことがない内容である。
だが、一つだけ不思議な点があった。いつもライブで必ず演奏される”プリテンダー
”(The Prretender)がついに出てこなかったのだ。もしかして”ロージー”を演奏した関係で無くなったとか。抜けることがまずあり得ない曲なので、最後までそれが疑問である。
そこから舞台替えで25分ほど費やした。ドラムセットから後の照明までいろいろ変えていたけれど、もう携帯の時計は8時45分を示している。これでは終演は10時を大きく回るかなと思っていると、照明が落ちて舞台袖にスポット・ライトが当たる。さきほど少しだけ出て来たシェリル・クロウがギターを弾きながら登場した。楽器を演奏しながら舞台に向かうミュージシャンは初めて見たような気がする。
私はシェリルについて1曲も知らないほどの人間なので、果たしてライブを楽しむことができるか不安だった。そして実際のところ、心から楽しむという境地には最後まで至らなかったといえる。マイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンの作品に参加するなどのキャリアを経て30過ぎてからデビューしたこの遅咲きのミュージシャンのパフォーマンスは堂に入ったものと感じたものの、いまひとつ魅力はわからなかった。ライブを観て思ったのは、アメリカン・ロックの王道のような曲よりも、カントリー調もしくはヒップ・ホップっぽい空気のある曲の時が彼女の本領を発揮していたように個人的には感じたけれど、たぶん彼女のファンにとっては全くそんなことはないだろう。
決定的だったのは、途中でジャクソンが加わって共演をした時である。この時、オッ!と感じる曲が出てきた。
「一体何だ?この自分の琴線に触れる曲は・・・」
と最初は驚いたけれど、すぐその理由に気づくことになった。その曲はニック・ロウがブリンズリー・シュウォーツ時代に作った名曲”PEACE LOVE & UNDERSTANDING”のカバーだったのである。そして、私はニックの大ファンである。
これにはつくづく考えさせられた。簡単には表現できないものの、自分の中に音楽の趣味嗜好というのは確かに存在しているということを痛感してしまったのである。そして、シェリル・クロウという人についても、自分には縁にないアーティストだったと今更ながらに気づくこととなる。そうでなかったら、1枚くらい彼女のアルバムを持っていたことだろう。
そんな複雑な思いに駆られながら、アンコールでシェリルのみが2曲演奏して、10時20分ごろに全てのライブが終了した。ジャクソンはついに出てくることはなかった。
「なんでジャクソンが出てこないんや。早く帰れば良かった」
と私の後ろの客が怒りに近い声をあげていた。私もジャクソンの再々登場を期待していた一人ではある。しかしながら、この15年くらいの両者の活躍を比較すれば、この扱いも致し方ない気はする。ただ、ジョイント・ライブというのは絶対に中途半端になることが避けられない、ということだけはこの場に記しておきたい。
最後にこの日の演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(ジャクソン・ブラウン)
(1)Time The Conqueror
(2)Off Of Wonderland
(3)Rock Me On The Water
(4)Fountain Of Sorrow
(5)These days
(6)Somebody’s Baby
(7)Rosie
(8)Late For The Sky
(9)Lives In The balance
(11)Doctor My Eyes /About My Imagination
(12)Giving That Heaven Away
(13)Running On Empty
(14)Take It Easy (with Sheryl Crow & her band)
(シェリル・クロウ)
(1)HAPPY
(2)CAN’T CRY
(3)LOVE IS FREE
(4)MISTAKE
(5)IT’S ONLY LOVE
(6)STRONG ENOUGH
(7)DETOURS
(8)LOVE HURTS with Jackson Browne
(9)PEACE LOVE & UNDERSTANDING with Jackson Browne
(10)REAL GONE
(11)NEIGHBORHOOD
(12)GOOD IS GOOD
(13)ALL I WANNA DO
(14)SOAK
(15)OUT OF OUR HEADS
<アンコール>
(16)CHANGE
(17)WINDING ROAD
かつて山下達郎が自身のラジオ番組の中でジャクソンの特集をした時、彼のライブには海外のアーティストに見られる「手抜き」のようなものが感じられない、というようなことを言っていたのを今でも覚えている。私にはミュージシャンの手抜き云々を指摘できる目や耳は無いけれど、ジャクソンのライブが素晴らしすぎることだけは確信をしている。
それほどまでに好きなジャクソンだが、今回はいつもほど熱心になれていない自分がいた。その理由は明らかで、シェリル・クロウとのジョイント・ライブという形式をとっているからだ。どう頑張っても、いつもの半分くらいの時間しか彼のライブを観ることができない。それが本当に辛い。またネットの情報によれば、ジャクソンが一番手だそうだ。それでもジャクソンが観たい私は1万3000円のチケット(これもジョイント・ライブの弊害だ)を買って大阪国際会議場へ向かう。
午前中は仕事をして、いったん部屋に戻って着替えて少し休憩してから京阪電車で中之島まで向かう。途中の京橋駅の中でエビ入りのたこ焼きというのを食べてしまったりしたので、自分の席に着いたのは6時58分ほどになってしまった。座って間もなく7時2分には客電が落ちて、事前情報通りまずジャクソンの登場である。
初めの2曲は最新アルバム「時の征者」(08年)から立て続けに演奏されたものの、ジョイント・ライブで曲数が少ないこともあってか、以降はファンの喜ぶような曲の連続だった。
ところで、ジャクソン・ブラウンは非常に愛されている、というか愛され過ぎているミュージシャンである。よって、イタい取り巻きもたくさん会場に来る。リクエストにも柔軟に応じる部分もあるので、
「ロージー!ロージー!」
と客席から大きな声で求められる。それに負けるように、予定にはなかったであろう”ロージー”を歌ってくれた。あの時のジャクソンは明らかに、苦笑に近い笑顔を浮かべていた。
しかしそういうイタい人たちの気持ちもわからなくはないかな、と思ってしまうほど今夜のジャクソンのライブは素晴らしかった。いままで4回ほど観た彼のステージはどれも破格の出来であったけれど、今夜は短時間で凝縮したような感じが特に良かった。個人的には”サムバディズ・ベイビー”をバンド演奏で初めて聴けたのが収穫だったか。ともかく、フル・ステージで観たい、と演奏時間の短さを呪うばかりだった。それが今回のジャクソンに対する私から言える精一杯の賛辞である。
いつもの半分ほどの時間とはいえ、本編最後を飾る曲はやはり”孤独なランナー”だった。そしていつもならばお客が総立ちになるけれど、今日は全体の半分くらいしか立ち上がらない。シェリル・クロウのファンの方が多かったか、と一瞬は思った。しかし徐々に10人20人と立ち上がり、後半はほとんどの人が立ち上がって拍手を贈るようになる。これはさすがに感動的な光景であった。
演奏が終わって会場が最高潮になっているところに、いきなりシェリル・クロウと彼女のバンドが現れて会場がどよめく。ものすごく華奢な人だなと思っているうちに、そのまま”テイク・イット・イージー”へなだれ込み、客席はさらなる盛り上がりを見せてしまった。ここまでで1時間20分ほどだっだけれど、もう何も言うことがない内容である。
だが、一つだけ不思議な点があった。いつもライブで必ず演奏される”プリテンダー
”(The Prretender)がついに出てこなかったのだ。もしかして”ロージー”を演奏した関係で無くなったとか。抜けることがまずあり得ない曲なので、最後までそれが疑問である。
そこから舞台替えで25分ほど費やした。ドラムセットから後の照明までいろいろ変えていたけれど、もう携帯の時計は8時45分を示している。これでは終演は10時を大きく回るかなと思っていると、照明が落ちて舞台袖にスポット・ライトが当たる。さきほど少しだけ出て来たシェリル・クロウがギターを弾きながら登場した。楽器を演奏しながら舞台に向かうミュージシャンは初めて見たような気がする。
私はシェリルについて1曲も知らないほどの人間なので、果たしてライブを楽しむことができるか不安だった。そして実際のところ、心から楽しむという境地には最後まで至らなかったといえる。マイケル・ジャクソンやエリック・クラプトンの作品に参加するなどのキャリアを経て30過ぎてからデビューしたこの遅咲きのミュージシャンのパフォーマンスは堂に入ったものと感じたものの、いまひとつ魅力はわからなかった。ライブを観て思ったのは、アメリカン・ロックの王道のような曲よりも、カントリー調もしくはヒップ・ホップっぽい空気のある曲の時が彼女の本領を発揮していたように個人的には感じたけれど、たぶん彼女のファンにとっては全くそんなことはないだろう。
決定的だったのは、途中でジャクソンが加わって共演をした時である。この時、オッ!と感じる曲が出てきた。
「一体何だ?この自分の琴線に触れる曲は・・・」
と最初は驚いたけれど、すぐその理由に気づくことになった。その曲はニック・ロウがブリンズリー・シュウォーツ時代に作った名曲”PEACE LOVE & UNDERSTANDING”のカバーだったのである。そして、私はニックの大ファンである。
これにはつくづく考えさせられた。簡単には表現できないものの、自分の中に音楽の趣味嗜好というのは確かに存在しているということを痛感してしまったのである。そして、シェリル・クロウという人についても、自分には縁にないアーティストだったと今更ながらに気づくこととなる。そうでなかったら、1枚くらい彼女のアルバムを持っていたことだろう。
そんな複雑な思いに駆られながら、アンコールでシェリルのみが2曲演奏して、10時20分ごろに全てのライブが終了した。ジャクソンはついに出てくることはなかった。
「なんでジャクソンが出てこないんや。早く帰れば良かった」
と私の後ろの客が怒りに近い声をあげていた。私もジャクソンの再々登場を期待していた一人ではある。しかしながら、この15年くらいの両者の活躍を比較すれば、この扱いも致し方ない気はする。ただ、ジョイント・ライブというのは絶対に中途半端になることが避けられない、ということだけはこの場に記しておきたい。
最後にこの日の演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(ジャクソン・ブラウン)
(1)Time The Conqueror
(2)Off Of Wonderland
(3)Rock Me On The Water
(4)Fountain Of Sorrow
(5)These days
(6)Somebody’s Baby
(7)Rosie
(8)Late For The Sky
(9)Lives In The balance
(11)Doctor My Eyes /About My Imagination
(12)Giving That Heaven Away
(13)Running On Empty
(14)Take It Easy (with Sheryl Crow & her band)
(シェリル・クロウ)
(1)HAPPY
(2)CAN’T CRY
(3)LOVE IS FREE
(4)MISTAKE
(5)IT’S ONLY LOVE
(6)STRONG ENOUGH
(7)DETOURS
(8)LOVE HURTS with Jackson Browne
(9)PEACE LOVE & UNDERSTANDING with Jackson Browne
(10)REAL GONE
(11)NEIGHBORHOOD
(12)GOOD IS GOOD
(13)ALL I WANNA DO
(14)SOAK
(15)OUT OF OUR HEADS
<アンコール>
(16)CHANGE
(17)WINDING ROAD
eastern youthが新作アルバム「歩幅と太陽」(09年)発売にともなうツアーで京都にやってくる。もちろんチケットは取っていたけれど、直前まで会社で仕事だったのが心配だった。不安は的中し、仕事が終わったのは午後6時半を過ぎる。本当だったら私服に着替えて行きたかったけれどそうもいかない。しかたなく上着とネクタイだけ会社に置いて磔磔に向かう。
会場入りできたのは開演5分前くらいだったろうか。すでに人がいっぱいなので入口近くで場所を確保するのが限界である。とてもステージの様子は後ろからでは確認できそうもない。10月の大阪公演ではゆっくりと観たい。
開演したのはほぼ定刻の7時だったと思う。私の背後の階段からメンバー3人が降りてきて横切っていった。会場後ろの方にいて良かったことはこれくらいか。ステージに目を向ければ、二宮の顔がなんとか確認できる程度で、吉野にいたっては頭のてっぺんしか見えない。しかし、遅れて来たのだからこれで我慢するほかない。
1曲目は予想通り「歩幅の太陽」から”一切合切太陽みたいに輝く”、そして”いつだってそれは簡単な事じゃない”、そして”沸点36℃”が続いた。mixiのコミュニティなどを見る限りは新作の評判は良いみたいだったが、果たしてライブではどうかなと気になってはいた。だが、お客の反応は全体的に良かった。ここ数年の京都公演で最も盛り上がっていたように感じる。
メンバーも新作に自信があるのか、最近はアンコールの定番だった”夏の日の午後”を中盤に持っていき、そのまま”砂塵の彼方”、”雨曝しなら濡れるがいいさ”、”黒い太陽”と続く。個々の曲はライブの定番で特に驚くものではないものの、その怒濤の流れは圧巻だった。
他のお客も同じ想いを共有したのだろう。アンコールの”夜明けの唄”が終わってからも拍手がやまず、なんとダブル・アンコールがあったのである。easternの京都公演でダブル・アンコールが出たのは、私が観てからは初めてだった。それほどに誰もが素晴らしいと感じた内容だった、と察していただければ幸いである。
スーツ姿で駆けつけた甲斐が大いにあった。大阪公演でもダブル・アンコールがあるに違いない。最後に演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)一切合切太陽みたいに輝く
(2)いつだってそれは簡単な事じゃない
(3)沸点36℃
(4)明日を撃て
(5)踵鳴る
(6)脱走兵の歌
(7)夏の日の午後
(8)砂塵の彼方
(9)雨曝しなら濡れるがいいさ
(10)黒い太陽
(11)デクノボーひとり旅ゆく
(12)まともな世界
(13)角を曲がれば人々の
<アンコール1>
(14)夜明けの唄
<アンコール2>
(15)青すぎる空
会場入りできたのは開演5分前くらいだったろうか。すでに人がいっぱいなので入口近くで場所を確保するのが限界である。とてもステージの様子は後ろからでは確認できそうもない。10月の大阪公演ではゆっくりと観たい。
開演したのはほぼ定刻の7時だったと思う。私の背後の階段からメンバー3人が降りてきて横切っていった。会場後ろの方にいて良かったことはこれくらいか。ステージに目を向ければ、二宮の顔がなんとか確認できる程度で、吉野にいたっては頭のてっぺんしか見えない。しかし、遅れて来たのだからこれで我慢するほかない。
1曲目は予想通り「歩幅の太陽」から”一切合切太陽みたいに輝く”、そして”いつだってそれは簡単な事じゃない”、そして”沸点36℃”が続いた。mixiのコミュニティなどを見る限りは新作の評判は良いみたいだったが、果たしてライブではどうかなと気になってはいた。だが、お客の反応は全体的に良かった。ここ数年の京都公演で最も盛り上がっていたように感じる。
メンバーも新作に自信があるのか、最近はアンコールの定番だった”夏の日の午後”を中盤に持っていき、そのまま”砂塵の彼方”、”雨曝しなら濡れるがいいさ”、”黒い太陽”と続く。個々の曲はライブの定番で特に驚くものではないものの、その怒濤の流れは圧巻だった。
他のお客も同じ想いを共有したのだろう。アンコールの”夜明けの唄”が終わってからも拍手がやまず、なんとダブル・アンコールがあったのである。easternの京都公演でダブル・アンコールが出たのは、私が観てからは初めてだった。それほどに誰もが素晴らしいと感じた内容だった、と察していただければ幸いである。
スーツ姿で駆けつけた甲斐が大いにあった。大阪公演でもダブル・アンコールがあるに違いない。最後に演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)一切合切太陽みたいに輝く
(2)いつだってそれは簡単な事じゃない
(3)沸点36℃
(4)明日を撃て
(5)踵鳴る
(6)脱走兵の歌
(7)夏の日の午後
(8)砂塵の彼方
(9)雨曝しなら濡れるがいいさ
(10)黒い太陽
(11)デクノボーひとり旅ゆく
(12)まともな世界
(13)角を曲がれば人々の
<アンコール1>
(14)夜明けの唄
<アンコール2>
(15)青すぎる空
昨夜は渋谷でディーヴォとポリシックスのライブを観たあと、新宿西口のホテルに泊まった。京都と比べると東京はずっと涼しいのに驚く。かといってすることがあるわけでない私は、昼間は九段下の「斑鳩」、それから湯島の「大喜」とラーメン店を渡り歩いたりした。どちらも人気店なので30分ほど並ぶ。2軒まわってまだ午後2時にもならない。しかたなく御徒町のネットカフェでまた3時間ほど入り浸った。東京に私の居場所はない。
そして、土曜日と同じく「りんかい線」に乗り新木場駅へ向かう。今日の会場は「新木場STUDIO COAST」という大きめのライブハウスだ。駅に降りると、いかにもパンクという雰囲気の人たちが目立つ。行く場所は私と同じにちがいない。5分ほど歩いて迷うことなく会場にたどり着いた。午後5時半、まだ開場まで30分近くあるけれど、すでに人はけっこう集まっている。
客層を見ると奇抜な格好の人が目につく。やはりピストルズの出会いによって人生のどこかが狂ってしまったのだろうか。他に、ローリング・ストーンスやルー・リードやAC/DCのTシャツを着ている人もいる。
服装以外にも気づいたことがある。やたら缶ビールを片手にやってくる人が多いのだ。しかも500ml缶である。今からそんなに飲んでいたら開演までにどうなるのだろう。せめて350ml缶くらいにしてほしい。
午後6時をしばらく回って開場入りである。私の整理番号は776番とかなり後半であったけれど、実際に入ったら前はかなり空いていた。暴れる人が多いと予測される一方、なるべく近くで観たい気持ちもあるので、前方の左側に立って開演を待つ。周囲には外国人、しかも英語圏ではない人が大きな声でおしゃべりをしている。ふと横を見ると小さな女の子もいるではないか。こんなところに連れてくる親の顔が観たい。そんな風景を見ているうちに照明が落ちる。もの凄い歓声の中、スピーカーからは英国国歌“God Save The Queen”が流れ出し、あのセックス・ピストルズが目の前に登場した。といっても、私は特に感慨は湧かなかったけれど。
ジョン・ライドンはずいぶん体格は良くなってしまったものの、あのまなざしは昔と変わらない。ステージに缶ビールなど物を投げつける輩がいた。しかしその程度でバンドは微動だにしない。イギリスと日本の国旗を結んだものを掲げてから“Pretty Vacant”で演奏が始まった。
会場に来た人はピストルズに対してそれぞれ思いを抱いていたに違いない。過剰な期待を持った方もいただろう。しかし私は、お客が喜んで帰ったらそれで良い、という程度の思いしかなかった。そもそもピストルズが「まともな」活動をしていた時期などない。出発はマルコム・マクラーレンがでっちあげたグループだし、さきほど「ウィキペディア」に載っていた彼らの歴史にいたっては、
・1976年11月 - 結成
・1977年10月 - ファーストアルバム『Never Mind the Bollocks』を発売。
・1978年1月14日 - 初のアメリカツアーの最中(ロサンジェルス,ウインターランド公演後)に、ジョニー・ロットンがバンドを脱退。実質上の解散となる。
と、たったの3行で終わってしまう。むしろ現在の彼らの方がバンドとして機能しているといえよう。
肝心のお客の反応は想像を超えるものだった。ライブ中ずっとダイブが絶えることがない。演奏しているのは50代の人たちなのに、この盛り上がり方ははっきりいって異常である。中にはカバンを持ったままダイブしている人もいた。その人は、見間違いでなければ、スーツ姿だったような・・・。
バンド自体も、ジョンがMCでお客を煽りながら休み休みという感じがしないでもなかったけれど、失望してしまうほどの演奏ではなかったと思う。唯一のオリジナル・アルバムからは全て披露したけれど、“Liar”、“Holidays in the Sun”、“God Save the Queen”、“Anarchy in the UK”は特に盛り上がる。ライブ中に何かが投げられジョンの頭に当たる場面もあった。
どうせ金儲けだろ、という意地の悪い意見を持つ人もいるだろう。そういえば96年の再結成の時は通称「ボッタクリ・ツアー」だった。今回の「COMBINE HARVESTER TOUR」は「集金ツアー」と訳すらしい。しかし、ボッタクリという言葉はボッタクられた時に使う表現である。お客が満足したならばボッタクリでは決してない。実際、ネットではライブを賞賛する書き込みばかりである。それだけでも彼らが来日した意義はあった。
別に私はピストルズを擁護する立場でもないし、唯一のアルバムすらろくに聴かないまま東京に来てしまった(昨日のディーヴォと変わらないな)。しかし、ジョン・ライドンのひんむいた目と痙攣したヴォーカルを生で体験できたのには満足している。予想を超える充実した2日間であった。
最後にネットで拾った曲目を記す。ライブの時間は1時間半ほどだった。
【演奏曲目】
(1)Pretty Vacant
(2)17/Lazy Sod
(3)No Feelings
(4)New York
(5)Did You Now Wrong
(6)Liar
(7)Holidays in the Sun
(8)Baghdad Was A Blast
(9)Submission
(10)Stepping Stone
(11)No Fun
(12)Problems
(13)God Save the Queen
(14)E.M.I.
〈アンコール1〉
(15)Bodies
(16)Anarchy in the UK
〈アンコール2〉
(17)Silver Machine
(18)Roadrunner
そして、土曜日と同じく「りんかい線」に乗り新木場駅へ向かう。今日の会場は「新木場STUDIO COAST」という大きめのライブハウスだ。駅に降りると、いかにもパンクという雰囲気の人たちが目立つ。行く場所は私と同じにちがいない。5分ほど歩いて迷うことなく会場にたどり着いた。午後5時半、まだ開場まで30分近くあるけれど、すでに人はけっこう集まっている。
客層を見ると奇抜な格好の人が目につく。やはりピストルズの出会いによって人生のどこかが狂ってしまったのだろうか。他に、ローリング・ストーンスやルー・リードやAC/DCのTシャツを着ている人もいる。
服装以外にも気づいたことがある。やたら缶ビールを片手にやってくる人が多いのだ。しかも500ml缶である。今からそんなに飲んでいたら開演までにどうなるのだろう。せめて350ml缶くらいにしてほしい。
午後6時をしばらく回って開場入りである。私の整理番号は776番とかなり後半であったけれど、実際に入ったら前はかなり空いていた。暴れる人が多いと予測される一方、なるべく近くで観たい気持ちもあるので、前方の左側に立って開演を待つ。周囲には外国人、しかも英語圏ではない人が大きな声でおしゃべりをしている。ふと横を見ると小さな女の子もいるではないか。こんなところに連れてくる親の顔が観たい。そんな風景を見ているうちに照明が落ちる。もの凄い歓声の中、スピーカーからは英国国歌“God Save The Queen”が流れ出し、あのセックス・ピストルズが目の前に登場した。といっても、私は特に感慨は湧かなかったけれど。
ジョン・ライドンはずいぶん体格は良くなってしまったものの、あのまなざしは昔と変わらない。ステージに缶ビールなど物を投げつける輩がいた。しかしその程度でバンドは微動だにしない。イギリスと日本の国旗を結んだものを掲げてから“Pretty Vacant”で演奏が始まった。
会場に来た人はピストルズに対してそれぞれ思いを抱いていたに違いない。過剰な期待を持った方もいただろう。しかし私は、お客が喜んで帰ったらそれで良い、という程度の思いしかなかった。そもそもピストルズが「まともな」活動をしていた時期などない。出発はマルコム・マクラーレンがでっちあげたグループだし、さきほど「ウィキペディア」に載っていた彼らの歴史にいたっては、
・1976年11月 - 結成
・1977年10月 - ファーストアルバム『Never Mind the Bollocks』を発売。
・1978年1月14日 - 初のアメリカツアーの最中(ロサンジェルス,ウインターランド公演後)に、ジョニー・ロットンがバンドを脱退。実質上の解散となる。
と、たったの3行で終わってしまう。むしろ現在の彼らの方がバンドとして機能しているといえよう。
肝心のお客の反応は想像を超えるものだった。ライブ中ずっとダイブが絶えることがない。演奏しているのは50代の人たちなのに、この盛り上がり方ははっきりいって異常である。中にはカバンを持ったままダイブしている人もいた。その人は、見間違いでなければ、スーツ姿だったような・・・。
バンド自体も、ジョンがMCでお客を煽りながら休み休みという感じがしないでもなかったけれど、失望してしまうほどの演奏ではなかったと思う。唯一のオリジナル・アルバムからは全て披露したけれど、“Liar”、“Holidays in the Sun”、“God Save the Queen”、“Anarchy in the UK”は特に盛り上がる。ライブ中に何かが投げられジョンの頭に当たる場面もあった。
どうせ金儲けだろ、という意地の悪い意見を持つ人もいるだろう。そういえば96年の再結成の時は通称「ボッタクリ・ツアー」だった。今回の「COMBINE HARVESTER TOUR」は「集金ツアー」と訳すらしい。しかし、ボッタクリという言葉はボッタクられた時に使う表現である。お客が満足したならばボッタクリでは決してない。実際、ネットではライブを賞賛する書き込みばかりである。それだけでも彼らが来日した意義はあった。
別に私はピストルズを擁護する立場でもないし、唯一のアルバムすらろくに聴かないまま東京に来てしまった(昨日のディーヴォと変わらないな)。しかし、ジョン・ライドンのひんむいた目と痙攣したヴォーカルを生で体験できたのには満足している。予想を超える充実した2日間であった。
最後にネットで拾った曲目を記す。ライブの時間は1時間半ほどだった。
【演奏曲目】
(1)Pretty Vacant
(2)17/Lazy Sod
(3)No Feelings
(4)New York
(5)Did You Now Wrong
(6)Liar
(7)Holidays in the Sun
(8)Baghdad Was A Blast
(9)Submission
(10)Stepping Stone
(11)No Fun
(12)Problems
(13)God Save the Queen
(14)E.M.I.
〈アンコール1〉
(15)Bodies
(16)Anarchy in the UK
〈アンコール2〉
(17)Silver Machine
(18)Roadrunner
午前中は出勤し、いった部屋に戻ってから、午後3時15分ごろ新幹線の自由席に乗る。東京駅に着いたのは午後5時40分ごろだった。土曜日に渡辺美里のライブに行ったにもかかわらず、またもや上京である。我ながら非効率なことをするものだ。
今回の目的はディーヴォ(Devo)とセックス・ピストルズ(Sex Pistols)の単独公演を観ることである。東京でしかライブがないのが辛いところだけれど、サマーソニックに行けなかった身としては上京するより選択が無い。去年はロンドンや九州まで行ったわけだし、今年も東京でライブを観るくらいの遊びはしておこう。そう思ったわけだ。
今日のライブは渋谷の坂の上にあるライブハウス「SHIBUYA-AX」で、開場が午後6時だった。いつもならば開場前に並んで待たなければならない。しかし今回は2階席のチケットを確保したおかげで急ぐ必要はない。近所で食事をとってからAXに着いたのが6時40分ごろ、それでも余裕をもって会場に来ることができた。2階席と聞くと遠く感じるかもしれないけれど、ステージからの距離は意外に近い。意味も無く立って待つよりもこちらの方がずっと良いだろう。しかし、2階席は半分も人が埋まっていないし、1階席も6割くらいの入りだろうか。お客の中ではディーヴォがかぶっているピラミッドのような帽子(エナジードームというらしい)をつけている人が目につく。どこで売っているのだろうか。
午後7時を少し回って、まずポリシックスの4人が登場する。誰が見てもディーヴォの影響が明らかなバンドである。彼ら目当ての人も多かったのか、1階の前方5分の1くらいは盛り上がっていた。確かに音はバンクにも通じるハードなものだけれど、本家ゆずりのあのギクシャクしたリズムに乗って暴れられるのは不思議だ。それはともかく、バンド自体もディーヴォと共演できるということでかなりテンションは上がって楽しそうにしていたように見える。40分の演奏をして終了。ライブ自体はそれほどのめり込めなかったけれど、最初から最後までロボットのような動きに徹していたキーボードの女性には感心した。
それから25分ほどの舞台替えがおこなわれ、いかにもアメリカというシュールで不気味な映像が流れてから、ディーヴォがいよいよ登場する。ステージの5人のうち3人くらいはかなり太っていた。これは仕方ない話だけれど。
ところで、わざわざ上京してまでディーヴォを観るというから私をよっぽどのファンと思う人もいるかもしれない。しかし正直いえばCDもろくに聴いたことはなく、こないだ紙ジャケットで出た「頽廃的美学論」(78年)を買ったのが初めてである。しかもそのアルバムですらあまり気に入らなかった。よって、ほとんど期待値はゼロだったといえる。
だが実際のステージはといえば、そんな私の斜に構えた態度を正すような内容だった。まず意外に普通のロックが展開されるのに驚く。「普通」というのは語弊のある表現だけれど、要するにすんなりと聴けるという意味で、パンクだのニューウェーブだのという印象は感じなかったということだ。ディーヴォに対して抱いていたギッコンバッタンなイメージはむしろポリシックスのほうが体現しているのではないだろうか。動きも昔の映像で観たようなロボットというものでもなかった。これはどう解釈したらよいのだろう。ディーヴォが最初のアルバムを出したのは1978年、いまから30年も前のことである。彼らの作った音がすっかり定着し、それほど奇抜なものでもなくなり、自然体に楽しめる音になってしまったということか。
曲目など語れる知識がないのが悲しいけれど、ライブ自体は本当に楽しめた。観客もステージの5人の一挙一動に声援を送っている。バンドも大量のスーパーボールを会場にまき散らすなど、いろいろなパフォーマンスをしてくれた。ネットで感想を見ても絶賛の嵐である。最後の曲“Beautiful World”が終わり客電がついてからも大半の人は帰らずに拍手を送るほどだった。いかにこの日のライブが破格の出来だったか想像もつくだろう。ポリシックスがデザインした「ディーヴォ」と文字が入ったTシャツも終演後には完売していた。
さきほども書いたけれど、ほとんど期待していないライブではなった。しかし、恐ろしいことに、今年のベスト・ライブの一つと言えるほどのものである。興味本位でライブ会場に足を運ぶのも悪くない。思いがけない収穫の一夜だった。
さて、明日は問題のセックス・ピストルズである。
今回の目的はディーヴォ(Devo)とセックス・ピストルズ(Sex Pistols)の単独公演を観ることである。東京でしかライブがないのが辛いところだけれど、サマーソニックに行けなかった身としては上京するより選択が無い。去年はロンドンや九州まで行ったわけだし、今年も東京でライブを観るくらいの遊びはしておこう。そう思ったわけだ。
今日のライブは渋谷の坂の上にあるライブハウス「SHIBUYA-AX」で、開場が午後6時だった。いつもならば開場前に並んで待たなければならない。しかし今回は2階席のチケットを確保したおかげで急ぐ必要はない。近所で食事をとってからAXに着いたのが6時40分ごろ、それでも余裕をもって会場に来ることができた。2階席と聞くと遠く感じるかもしれないけれど、ステージからの距離は意外に近い。意味も無く立って待つよりもこちらの方がずっと良いだろう。しかし、2階席は半分も人が埋まっていないし、1階席も6割くらいの入りだろうか。お客の中ではディーヴォがかぶっているピラミッドのような帽子(エナジードームというらしい)をつけている人が目につく。どこで売っているのだろうか。
午後7時を少し回って、まずポリシックスの4人が登場する。誰が見てもディーヴォの影響が明らかなバンドである。彼ら目当ての人も多かったのか、1階の前方5分の1くらいは盛り上がっていた。確かに音はバンクにも通じるハードなものだけれど、本家ゆずりのあのギクシャクしたリズムに乗って暴れられるのは不思議だ。それはともかく、バンド自体もディーヴォと共演できるということでかなりテンションは上がって楽しそうにしていたように見える。40分の演奏をして終了。ライブ自体はそれほどのめり込めなかったけれど、最初から最後までロボットのような動きに徹していたキーボードの女性には感心した。
それから25分ほどの舞台替えがおこなわれ、いかにもアメリカというシュールで不気味な映像が流れてから、ディーヴォがいよいよ登場する。ステージの5人のうち3人くらいはかなり太っていた。これは仕方ない話だけれど。
ところで、わざわざ上京してまでディーヴォを観るというから私をよっぽどのファンと思う人もいるかもしれない。しかし正直いえばCDもろくに聴いたことはなく、こないだ紙ジャケットで出た「頽廃的美学論」(78年)を買ったのが初めてである。しかもそのアルバムですらあまり気に入らなかった。よって、ほとんど期待値はゼロだったといえる。
だが実際のステージはといえば、そんな私の斜に構えた態度を正すような内容だった。まず意外に普通のロックが展開されるのに驚く。「普通」というのは語弊のある表現だけれど、要するにすんなりと聴けるという意味で、パンクだのニューウェーブだのという印象は感じなかったということだ。ディーヴォに対して抱いていたギッコンバッタンなイメージはむしろポリシックスのほうが体現しているのではないだろうか。動きも昔の映像で観たようなロボットというものでもなかった。これはどう解釈したらよいのだろう。ディーヴォが最初のアルバムを出したのは1978年、いまから30年も前のことである。彼らの作った音がすっかり定着し、それほど奇抜なものでもなくなり、自然体に楽しめる音になってしまったということか。
曲目など語れる知識がないのが悲しいけれど、ライブ自体は本当に楽しめた。観客もステージの5人の一挙一動に声援を送っている。バンドも大量のスーパーボールを会場にまき散らすなど、いろいろなパフォーマンスをしてくれた。ネットで感想を見ても絶賛の嵐である。最後の曲“Beautiful World”が終わり客電がついてからも大半の人は帰らずに拍手を送るほどだった。いかにこの日のライブが破格の出来だったか想像もつくだろう。ポリシックスがデザインした「ディーヴォ」と文字が入ったTシャツも終演後には完売していた。
さきほども書いたけれど、ほとんど期待していないライブではなった。しかし、恐ろしいことに、今年のベスト・ライブの一つと言えるほどのものである。興味本位でライブ会場に足を運ぶのも悪くない。思いがけない収穫の一夜だった。
さて、明日は問題のセックス・ピストルズである。
ブログに執着しなくなって久しいけれど、そこに仕事も絡んできて今月は一つも更新してなかった。ただ、この日の日記はどうしても記しておきたい。
忙しい忙しいと言いながらも、今日は仕事を昼で切り上げて神戸に向かった。「雲外蒼天」というイベントにイースタン・ユースが出演するのを観るためだ。
会場は初めて行く「VARIT」というところである。すぐ見つかるか不安だったけれど東急ハンズからずっと西へ向かうとアッサリ店にたどり着いた。
今夜はワンマンではなく3バンドが出演した。最後のイースタンは“そして神戸”をバックという意表をつく登場だ。今日も素晴らしいライブになる。誰もがその時は思っていただろう。しかし、この夜はとんでもない邪魔が入ってしまったのだ。
私は会場全体を見下ろせる高い場所に立っていた。2曲演奏が終わった後、後ろにいた一人の男がお客をかきわけて最前列へ進み、そして吉野寿の真ん前に陣取っていくのが見える。
ずいぶん図々しい客だな、という程度でその時は観ていた。だが、こいつは「図々しい」という言葉で片付けられるような輩ではなかったのである。前に来ただけでは飽き足らず、吉野に何やら言葉をかけてきた。それに対して吉野が、
「上がってこい」
と反応するなど、一触即発になりそうな場面があった。会場の様子やミクシィの書き込みから察するに、会場に紛れ込んだ酔っぱらいが吉野に罵声を浴びせたのが実態らしい。結局そのクズはほどなくして周囲の人に追っ払われて会場を出た。
いままでたくさんライブを観てきたけれど、これほど後味の悪い内容は初めてである。あのクズはなんのためにあそこに来たのだろうか。
クズが出て行った後で、
「神戸を嫌いにならないでください!」
と言ったお客の男性の声が忘れられない。イースタンの3人に限ってそんなことはないと私は信じているけれど、実に痛々しい叫びだった。演奏曲目を最後に記す。
【演奏曲目】
(1)荒野に針路を取れ
(2)沸点36℃
(3)未ダ未ダヨ
(4)ギラリズム夜明け前
(5)夜がまた来る
(6)街はふるさと
〈アンコール〉
(7)夏の日の午後
忙しい忙しいと言いながらも、今日は仕事を昼で切り上げて神戸に向かった。「雲外蒼天」というイベントにイースタン・ユースが出演するのを観るためだ。
会場は初めて行く「VARIT」というところである。すぐ見つかるか不安だったけれど東急ハンズからずっと西へ向かうとアッサリ店にたどり着いた。
今夜はワンマンではなく3バンドが出演した。最後のイースタンは“そして神戸”をバックという意表をつく登場だ。今日も素晴らしいライブになる。誰もがその時は思っていただろう。しかし、この夜はとんでもない邪魔が入ってしまったのだ。
私は会場全体を見下ろせる高い場所に立っていた。2曲演奏が終わった後、後ろにいた一人の男がお客をかきわけて最前列へ進み、そして吉野寿の真ん前に陣取っていくのが見える。
ずいぶん図々しい客だな、という程度でその時は観ていた。だが、こいつは「図々しい」という言葉で片付けられるような輩ではなかったのである。前に来ただけでは飽き足らず、吉野に何やら言葉をかけてきた。それに対して吉野が、
「上がってこい」
と反応するなど、一触即発になりそうな場面があった。会場の様子やミクシィの書き込みから察するに、会場に紛れ込んだ酔っぱらいが吉野に罵声を浴びせたのが実態らしい。結局そのクズはほどなくして周囲の人に追っ払われて会場を出た。
いままでたくさんライブを観てきたけれど、これほど後味の悪い内容は初めてである。あのクズはなんのためにあそこに来たのだろうか。
クズが出て行った後で、
「神戸を嫌いにならないでください!」
と言ったお客の男性の声が忘れられない。イースタンの3人に限ってそんなことはないと私は信じているけれど、実に痛々しい叫びだった。演奏曲目を最後に記す。
【演奏曲目】
(1)荒野に針路を取れ
(2)沸点36℃
(3)未ダ未ダヨ
(4)ギラリズム夜明け前
(5)夜がまた来る
(6)街はふるさと
〈アンコール〉
(7)夏の日の午後
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会場にいくずいぶん前から、
「今日は前に陣取るのはやめよう」
そう決めていた。整理番号が29番と非常に若い番号にもかかわらずである。
今日のバンドのどちらかのライブに行ったことのある人なら、私がなぜそう考えるかすぐ勘づくだろう。ステージ前にいると暴れるお客につぶされる恐れがあるからだ。そこで私は真ん中近くのそこそこの位置を確保して開演を待つ。目の前にはやはりヤバい雰囲気の連中がどんどん集まってくる。その中にはジェイソンのようなマスクをつけている男が一人いる。こいつは何をしにここに来たのだろう。顔を見る限りは30代後半、私よりずっと上のように見えるが。そうこうしているうちに会場はパンパンになる。今日の公演はモンパチの効果もあり即完売であった。
開演時間を15分ほど過ぎて、まずモンゴル800が登場する。彼らを最初に観たのは02年の4月3日、大阪城ホールでグリーン・デイのライブの前座においてだった。ちょうどアルバム「MESSAGE 」(01年)が異常に売れていた頃で人気も飽和状態の時ではないだろうか。それから野外ライブで一度観たくらいで、もう数年ぶりという感じである。彼らも結成10周年だという。
知らない曲も多いだろうなと思ってはいたところ、最初は沖縄民謡“安里屋ユンタ”を一節歌って、続いてユニコーンの“大迷惑”のカバーが演奏された。
最近はダイブなどもなくなったという話を耳にしたことがあるけれど、そんなのは大嘘で、“小さな恋の歌”あたりからステージに向かって転がっている連中が続出する。やはりと言うべきか、あのマスク野郎もそこに加わっていた。そうでなければあんなマスクはつけないだろうな。客席は高いテンションのまま1時間のライブが終わる。要所要所ではダイブが出てくる。
それから25分ほど舞台替えがある。やはりというべきか、さっきよりお客が減っているように見える。モンパチだけが目当てという人も多かったということか。
しかし黒い幕が開いて1曲目の“アニー”が始まるとすぐ、会場が揺れるほど盛り上がる。モンパチもジッタもお客のノリはそんなに違いはなかった。あのマスク男はここでもダイブしていた、ような気がする(少なくとも私の目の前で暴れていたのは確かだ)。
セットリストは最後に載せるけれど、“PLEASE DON’T CRY”と“大雨のブルース”は久しぶりに歌う、と春川玲子がMCで言っていた。“大雨のブルース”
は音源を調べてもなかったのでライブのみの曲かと思ったら、“雨”のアレンジを変えたものらしい。“黄金の夜明け”や“自転車”、それから初期の曲が演奏される時のお客の弾けぶりは恐ろしいほどである。ライブを「楽しく観る」、「楽しく聴く」ためには前に行かない方がいい、本当に。
私は周囲に押しつぶされることなく楽しめたので満足だったけれど、目の前で暴れている連中には正直いってうんざりしている。ただ、彼らの顔を見ていると本当に楽しそうだ。そういう場を提供していることは本当に素晴らしいことで、そういう点でモンパチやジッタのような存在は小さくないとは思っている。
【演奏曲目】
(1)アニー
(2)指輪
(3)やけっぱりのドンチャラミー
(4)猫娘
(5)恋のルアー
(6)こいのぼり
(7)PLEASE DON’T CRY
(8)黄金の夜明け
(9)自転車
(10)大雨のブルース
(11)相合傘
(12)夏祭り
(13)晴
〈アンコール〉
(14)クローバー
(15)プレゼント
「今日は前に陣取るのはやめよう」
そう決めていた。整理番号が29番と非常に若い番号にもかかわらずである。
今日のバンドのどちらかのライブに行ったことのある人なら、私がなぜそう考えるかすぐ勘づくだろう。ステージ前にいると暴れるお客につぶされる恐れがあるからだ。そこで私は真ん中近くのそこそこの位置を確保して開演を待つ。目の前にはやはりヤバい雰囲気の連中がどんどん集まってくる。その中にはジェイソンのようなマスクをつけている男が一人いる。こいつは何をしにここに来たのだろう。顔を見る限りは30代後半、私よりずっと上のように見えるが。そうこうしているうちに会場はパンパンになる。今日の公演はモンパチの効果もあり即完売であった。
開演時間を15分ほど過ぎて、まずモンゴル800が登場する。彼らを最初に観たのは02年の4月3日、大阪城ホールでグリーン・デイのライブの前座においてだった。ちょうどアルバム「MESSAGE 」(01年)が異常に売れていた頃で人気も飽和状態の時ではないだろうか。それから野外ライブで一度観たくらいで、もう数年ぶりという感じである。彼らも結成10周年だという。
知らない曲も多いだろうなと思ってはいたところ、最初は沖縄民謡“安里屋ユンタ”を一節歌って、続いてユニコーンの“大迷惑”のカバーが演奏された。
最近はダイブなどもなくなったという話を耳にしたことがあるけれど、そんなのは大嘘で、“小さな恋の歌”あたりからステージに向かって転がっている連中が続出する。やはりと言うべきか、あのマスク野郎もそこに加わっていた。そうでなければあんなマスクはつけないだろうな。客席は高いテンションのまま1時間のライブが終わる。要所要所ではダイブが出てくる。
それから25分ほど舞台替えがある。やはりというべきか、さっきよりお客が減っているように見える。モンパチだけが目当てという人も多かったということか。
しかし黒い幕が開いて1曲目の“アニー”が始まるとすぐ、会場が揺れるほど盛り上がる。モンパチもジッタもお客のノリはそんなに違いはなかった。あのマスク男はここでもダイブしていた、ような気がする(少なくとも私の目の前で暴れていたのは確かだ)。
セットリストは最後に載せるけれど、“PLEASE DON’T CRY”と“大雨のブルース”は久しぶりに歌う、と春川玲子がMCで言っていた。“大雨のブルース”
は音源を調べてもなかったのでライブのみの曲かと思ったら、“雨”のアレンジを変えたものらしい。“黄金の夜明け”や“自転車”、それから初期の曲が演奏される時のお客の弾けぶりは恐ろしいほどである。ライブを「楽しく観る」、「楽しく聴く」ためには前に行かない方がいい、本当に。
私は周囲に押しつぶされることなく楽しめたので満足だったけれど、目の前で暴れている連中には正直いってうんざりしている。ただ、彼らの顔を見ていると本当に楽しそうだ。そういう場を提供していることは本当に素晴らしいことで、そういう点でモンパチやジッタのような存在は小さくないとは思っている。
【演奏曲目】
(1)アニー
(2)指輪
(3)やけっぱりのドンチャラミー
(4)猫娘
(5)恋のルアー
(6)こいのぼり
(7)PLEASE DON’T CRY
(8)黄金の夜明け
(9)自転車
(10)大雨のブルース
(11)相合傘
(12)夏祭り
(13)晴
〈アンコール〉
(14)クローバー
(15)プレゼント