映画「JOY DIVISION ジョイ・ディヴィジョン」を観る
厳密には昨日(7月19日)の話である。しかし「ダーウィン展」とは別にして書きたい内容なのでこの日に書かせてほしい。

ダーウィン展から帰ってしばらく部屋で休み、午後8時ごろ再び電車に乗って東寺へ向かう。駅から西へ150mのところにある「京都みなみ会館」という映画館へ行くためだ。

http://www.rcsmovie.co.jp/

会場は定員165人と非常に小さい。ここで今夜から1週間、ドキュメント映画「JOY DIVIION ジョイ・ディヴィジョン」が上映される。それを見るためにやって来た。始まるのが午後9時15分というのは私の生活から考えれば遅すぎる。しかし京都ではここでしか観られないから文句もいえない。いや、あまり有名でもないバンドのドキュメント映画を流してくれるのだから感謝するしかないだろう。

映画の公式サイトもある。

http://joydivision-mv.com/

内容は名前の通りマンチェスターが生んだバンド、ジョイ・ディヴィジョンの誕生から消滅(つまり中心人物のイアン・カーティスが自殺するまで)を追ったドキュメンタリーである。彼らがどんなバンドかは映画の公式サイトに載っているので興味のある方は参照してほしい。

冒頭はマンチェスターの町並みが映しだされる。とても暗い工業都市だという噂は聞いていたけれど、実際に映像を目の当たりをすると想像以上に陰惨な風景に驚く。そこにジョイ・ディヴィジョンのあの音楽が流れる。映画の登場人物の一人であるアニーク・オノレ(イアンの愛人だった人)が「私たちの環境音楽」と称していたのは非常に納得がいく。ジョイ・ディヴィジョンの音楽はマンチェスターの風景を実にリアルに映し出していたのである(もちろん、そればかりが彼らの魅力ではないけれど)。

彼らが所属していたレコード・レーベル「ファクトリー」の創始者、トニー・ウィルソン(2007年8月10日、肝臓ガンで逝去)も映画の中でこう言っている。

「これはただのバンドの物語ではなくて、マンチェスターという街の栄光と衰退の物語だ。
かつて輝き、革命的であったにも関わらず、その輝きを失ってしまった街の・・・」

当時のことを語ってくれるのは残されたバンドのメンバー(つまりニュー・オーダー)、「アンノウン・プレジャーズ」や「クローサー」のアルバムジャケットを手がけたデザイナーのピーター・サヴィルなどイアンの周辺にいた人たち、そしてピート・シェリー(バズコックス)やジェネシス・P・オリッジ(スロッビング・グリスル、サイキックTV)といったミュージシャンまで登場する。パンクやニュー・ウェーブについて興味のある人にとってはなかなか魅力的な顔ぶれだ。

しかしなんといっても貴重なのは、ステージで動くイアンの姿だろう。それほど多くは出てこないものの、たとえば”トランスミッション”の鬼気迫るパフォーマンスはイアンの以前も以後も観られないものに違いない。この辺を体験できただけでもこの映画を観る価値はある。

映画館のお客は想像していた通り少なかった。私を含めて20人もいなかっただろう。客層はバラバラで、外国人もいたし中年の人もいたし、私くらいの年代の人もいた。しかし、みんなジョイ・ディヴィジョンに何らかの思い入れを抱いているのだろう。でなければこんな時間に彼らのドキュメント映画を観にくるはずがない。

それにしても、イアンをモデルにした映画「コントロール」やこのドキュメントなど、ジョイ・ディヴィジョンを扱ったものが続く。CDでも過去の作品がデラックス・エディションで再発されたりもしている。果たしていまでも彼らの音楽はこの世界でもリアルに響いているのだろうか。私としてはそうあって欲しいけれど、世間がどう思っているかはよくわからない。ただ、映画であれCDであれ、彼らに光が当たる場面が出てくるのは素直に喜びたい。

映画が終わった時は11時になる直前だった。余韻にひたる暇もなく、いそいでパンフレット(800円)を買って、近鉄電車で家路へ向かった。

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