渡辺美里「Dear My Songs」(08年)
2008年10月7日 渡辺美里
(1)Lovin’ you
(2)My Revolution
(3)10 years
(4)サンキュ
(5)素顔
(6)BELIEVE
(7)ココロ銀河
(8)PAJAMA TIME
(9)悲しいボーイフレンド
(10)悲しいね
(11)My Love Your Love(たったひとりしかいない あなたへ)
(12)Kiss from a rose
10月13日(日)の京都駅前イベントに渡辺美里はいつ登場するのだろう。ネットでそれを調べているうちに、この「Dear My Songs」の出荷日が今日だったことに気づく。会社から帰る途中、CDショップで買ってすぐ聴いてみた。
「Dear My Songs」の内容については以前にもこの日記で述べたけれど、過去の楽曲を録音しなおした「セルフ・カバー・アルバム」というものである。現在の渡辺美里が80年代の絶頂期の代表曲を歌うというのは、無謀な行為だとすぐ思った。それゆえ正直に言うと聴くのが非常に怖かった。しかし、出てしまったものは仕方ない。
予感のほとんどは的中した。“My Revolution”は「どうしてこのようなアレンジを採用したのだろうか」と疑問だらけの代物である。そこに「現在の彼女」の歌声が重なると、オリジナルとの落差がより鮮明になってしまう。
“10 years”の出来もいただけない。ひそかに危惧していたけれど、やはり作曲した大江千里が歌うアレンジに近いものへと変貌してしまった。大江千里のバージョンは彼の音域や声量などを考慮してああいう形になったわけで、それを彼女がなぞったところで良いものができるはずがない。ましてや、オリジナルと比較してしまうと・・・。
この2曲にどれほど強い思い入れを抱いている人がどれほどいるのか、当の本人は果たしてわかっているのだろうか。ボロボロになった曲を耳にして落胆するファンの心境を思うと辛くなる。“素顔”、“BELIEVE”など他の曲も概して厳しい仕上がりだ。何が原因なのかは色々と指摘できるけれど、全般的にプロデュースが大仰で過剰なのが一番大きな問題だろう。楽曲との相性など考慮せずただ派手なアレンジを施しただけ、というのが正直なところではないか。身も蓋もない言い方をさせてもらえば、オリジナルを凌駕するような作品はこのアルバムには一つとしてない。
かなり厳しいことばかり書いたと思う。しかし、ただの新作アルバムだったら自分もこんな気持ちにはならなかっただろう。
ただ、個人的には収穫もなかったわけではない。わりと控えめなアレンジの“Lovin’ you ”、“悲しいボーイフレンド”は曲の良さがぶっこ壊れているようなことはない。“PAJAMA TIME”も中盤のバタバタする展開になるまでは良い。それは今回のバージョンが優れているとかいうのではなくて、これらの曲の良さを再認識しただけだと自分では思っている。素晴らしい曲や歌は簡単に時空を超えるということか。もっとも、それはオリジナルとの比較などを度外視することが必要ではあるが。それをしてしまうと元も子もない話になる。
アルバム全12曲のうち、気に入ったのは3曲くらいか。こういう作品に出くわすと、私が彼女を観てきた約17年間が走馬灯のように駆けめぐってくる。
私が渡辺美里をCDを初めて買ったのは1991年のことである。当時の彼女の勢いはまさに敵なしという感じで、私自身も彼女の「信者」だった。しかし93年のシングル“BIG WAVEやってきた”の彼女の変化により「信者」をやめる。それからの彼女は作品のスケールもCDの売り上げもだんだんと減速していく。私のファン歴はもっぱら、そのようになっていく渡辺美里の姿を見続けたことになる。
しかし、彼女を離れようという気持ちにはどうにもなれなかった。それは何故かといえば、現在の彼女にもまだ魅力のある部分があるから、としか答えられない。10回ライブに行けば、1〜2回は良いことがある。そういう瞬間を期待せずに待っている。100点満点のライブや作品を望むことはもうできないと身に沁みてわかっているから。「信者」でもない私のような人間が現在の渡辺美里を受け入れるというのは、こういうことである。
だから、このような気持ちを持って私は今回の作品を受け入れたいと思っている。
(2)My Revolution
(3)10 years
(4)サンキュ
(5)素顔
(6)BELIEVE
(7)ココロ銀河
(8)PAJAMA TIME
(9)悲しいボーイフレンド
(10)悲しいね
(11)My Love Your Love(たったひとりしかいない あなたへ)
(12)Kiss from a rose
10月13日(日)の京都駅前イベントに渡辺美里はいつ登場するのだろう。ネットでそれを調べているうちに、この「Dear My Songs」の出荷日が今日だったことに気づく。会社から帰る途中、CDショップで買ってすぐ聴いてみた。
「Dear My Songs」の内容については以前にもこの日記で述べたけれど、過去の楽曲を録音しなおした「セルフ・カバー・アルバム」というものである。現在の渡辺美里が80年代の絶頂期の代表曲を歌うというのは、無謀な行為だとすぐ思った。それゆえ正直に言うと聴くのが非常に怖かった。しかし、出てしまったものは仕方ない。
予感のほとんどは的中した。“My Revolution”は「どうしてこのようなアレンジを採用したのだろうか」と疑問だらけの代物である。そこに「現在の彼女」の歌声が重なると、オリジナルとの落差がより鮮明になってしまう。
“10 years”の出来もいただけない。ひそかに危惧していたけれど、やはり作曲した大江千里が歌うアレンジに近いものへと変貌してしまった。大江千里のバージョンは彼の音域や声量などを考慮してああいう形になったわけで、それを彼女がなぞったところで良いものができるはずがない。ましてや、オリジナルと比較してしまうと・・・。
この2曲にどれほど強い思い入れを抱いている人がどれほどいるのか、当の本人は果たしてわかっているのだろうか。ボロボロになった曲を耳にして落胆するファンの心境を思うと辛くなる。“素顔”、“BELIEVE”など他の曲も概して厳しい仕上がりだ。何が原因なのかは色々と指摘できるけれど、全般的にプロデュースが大仰で過剰なのが一番大きな問題だろう。楽曲との相性など考慮せずただ派手なアレンジを施しただけ、というのが正直なところではないか。身も蓋もない言い方をさせてもらえば、オリジナルを凌駕するような作品はこのアルバムには一つとしてない。
かなり厳しいことばかり書いたと思う。しかし、ただの新作アルバムだったら自分もこんな気持ちにはならなかっただろう。
ただ、個人的には収穫もなかったわけではない。わりと控えめなアレンジの“Lovin’ you ”、“悲しいボーイフレンド”は曲の良さがぶっこ壊れているようなことはない。“PAJAMA TIME”も中盤のバタバタする展開になるまでは良い。それは今回のバージョンが優れているとかいうのではなくて、これらの曲の良さを再認識しただけだと自分では思っている。素晴らしい曲や歌は簡単に時空を超えるということか。もっとも、それはオリジナルとの比較などを度外視することが必要ではあるが。それをしてしまうと元も子もない話になる。
アルバム全12曲のうち、気に入ったのは3曲くらいか。こういう作品に出くわすと、私が彼女を観てきた約17年間が走馬灯のように駆けめぐってくる。
私が渡辺美里をCDを初めて買ったのは1991年のことである。当時の彼女の勢いはまさに敵なしという感じで、私自身も彼女の「信者」だった。しかし93年のシングル“BIG WAVEやってきた”の彼女の変化により「信者」をやめる。それからの彼女は作品のスケールもCDの売り上げもだんだんと減速していく。私のファン歴はもっぱら、そのようになっていく渡辺美里の姿を見続けたことになる。
しかし、彼女を離れようという気持ちにはどうにもなれなかった。それは何故かといえば、現在の彼女にもまだ魅力のある部分があるから、としか答えられない。10回ライブに行けば、1〜2回は良いことがある。そういう瞬間を期待せずに待っている。100点満点のライブや作品を望むことはもうできないと身に沁みてわかっているから。「信者」でもない私のような人間が現在の渡辺美里を受け入れるというのは、こういうことである。
だから、このような気持ちを持って私は今回の作品を受け入れたいと思っている。
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