この6月に映画化される西原理恵子の「いけちゃんとぼく」(角川書店。06年)の原作絵本を読みたい。そこでアマゾンのサイトででも買おうかと思った矢先、職場の人の机の上に置いてあった。これはちょうど良いと本を借り、仕事が一息ついたからその場で読んでみる。絵本という形式のためページ数も少なく、すぐに「2回」読み通すことができた。

いま「2回」とわざわざ強調したのには理由がある。本の帯にある宣伝文にこんなことが書いてあるからだ。
 
<この本には大きな仕掛けがある。
2度読み返してほしい。
号泣必至です
横里隆(「ダ・ヴィンチ」編集長)
(「ダ・ヴィンチ」06年10月号より)>

 
テレビ番組「ザ・ベストハウス123」(フジテレビ系列)では「絶対泣ける本BEST3」の第1位にもなった「いけちゃんとぼく」であるが、ともかく「泣ける」というのが魅力の一つらしい。先日のブログではネットの情報を再構成したり映画との関連で紹介したけれど、その時は私も未読な状態だった。しかし今回は読んだ感想を含めてこの作品について書いてみたい。
 
物語はヨシオという少年と、不思議な生き物「いけちゃん」との交流を描いた絵本だ。他に登場人物もいるけれど、ほとんどの内容は二人(1人と1匹という表現が正確か?)のやり取りだ。

冒頭にはこんな文章が載っている。
 
<いけちゃんは
ずっとまえから
そばにいる。
 
いけちゃんは
なんとなく そばにいる
 
それから ときどきなぞだ。
 
それで
ぼくといけちゃんは
なかよしだ
 
ずっと。>

「いけちゃん」はヨシオがものごころのつくずっと前から彼の近くにいるようだ。ではその「いけちゃん」とは一体何なのだ?と知らない人は疑問が出てくるだろう。しかし「いけちゃん」を具体的に説明するのは非常に難しい。表紙の画像を見れば、なんだかかわいらしいオバケのようにも見える。

「いけちゃん」は困ったことがあると小さくなり、嬉しいことがあると数が増える。いつもヨシオのそばにいて、彼が困ったときや落ち込んだときはなぐさめてくれる。だが、女の子と仲良くしていると真っ赤になって怒り出す。ともかくヨシオのことが気がかりだ。そうしてヨシオが成長していき、ある時点で「いけちゃん」が姿を消す日がやってくる・・・。
 
なぜ「いけちゃん」はヨシオの前に現れたのだろうか。その理由は「いけちゃん」の正体が明らかになる最後で一応はわかる。しかしこれこそが物語の肝心な部分であり、また絵本のあらすじを提示したところで伝わるものはあまりに乏しいので書かないことにする。
 
「泣ける!泣ける!」という触れ込みだったものの、私としては特に涙するような箇所はなかった。絵本を持っていた人は既婚者で子どももいる女性だがその人も泣かなかったそうだ。しかしそんな私でも、「いけちゃん」がなぜヨシオの前に姿をあらわしたかを知った瞬間にはなんともいえない心境になっていたことは否定できない。
 
そして、「いけちゃん」が何者かを知ってから絵本を再び読み返してみると、「いけちゃん」のセリフがまた違った思いで受け止められるようになっている。だから「2回読み返してほしい」のである。2回目で泣いたと言う感想を書いた人をネットで何人か見かけた。それはこの「仕掛け」によるものだろう、と泣いてもいない私は想像するよりほかにない。
 
それにしても、かつて「ちくろ幼稚園」(91-95年。小学館。全3巻)などでは子どもの嫌らしさや残酷さを描いてきた西原であるが、この作品における子どもを見つめる視線はずいぶん違っている。このような絵本を描けたのは、やはり作者自身が子どもを持つなど心境に大きな変化があったためだろう。初期の作品ばかりを知っている私はそのような感想を持った次第である。

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