我が生涯最高のライブ(1992年8月18日、真駒内アイスアリーナ)
2010年8月18日 渡辺美里いまから18年前の今日は、私がこれまでの人生で最も衝撃的な経験をした日である。もはやはっきりと思い出せないことも多いけれど、日記ではいままでこの話をしたことがなかったのでこれを機会になんとか文章にしてみたい。
当時の私は高校1年生で、北海道は室蘭市にある公立高校に通っていた。そして8月18日は確か2学期が始まった日で(北海道の夏休み期間は短く、25日くらいしかない)、その学校の始まりはいつもテストが実施される。それが終わって校舎を出ると父親が車で待っていた。そのまま3時間ほど走り札幌方面に向かう。格好は学生服だったので車中で私服に着替えていた。そうして到着した先が、1万人ほど収容できる真駒内アイスアリーナであった。ここで私は生まれて初めて「ライブ」というものを観ることになる。そしてステージに立つのは、昨日まではCDやラジオの中の存在でしかなかった、渡辺美里である。
何度も同じことを書いてるような気もするけれど、当時「明治生命」のCMで動く彼女を観てファンになって以来、彼女のパフォーマンスや歌声を生で体験したいとずっと願い続けていた。それが実現したのが今から18年前のことだった。この年の彼女は「スタジアム伝説’92」というスタジアム級の会場を回るツアーをおこなっていた。
会場がどんな感じだったかというようなことは全く覚えていない。ただ強く記憶に残っていることが2つだけある。一つは、入場する時のチラシと一緒にツアーの日程と美里の写真が印刷された下敷きが入っていたことだ。下敷きを無料でもらった記憶はいままで100本以上観たライブでも経験が無い。当時は明治生命がスポンサーについていたりと景気も良かったのだろう。
もう一つの記憶は、会場へ向かう私の前に当時STV(札幌テレビ放送)のアナウンサーだった「船守さちこ」(現在はフリーアナウンサー、音楽評論家)さんがいたことである。その頃の私はラジオやテレビでSTVに親しんでいたので、そこのアナウンサーが眼前にいるというのもなかなか新鮮な経験であった。確か、友だちも一緒に来てるんですけど、とか言っていた気がする。マスコミ関係者として無料で観ていたのだろう。あとはグッズ売り場でデビュー曲”I’m free”を入手したことくらいだろうか。そんなことをしながら客席に向かう。
座席は2階スタンド席の右側だった。北海道での彼女の人気は他府県ほどではなかったので、入りは8割くらい。場内はスモークが炊かれていて、その向こうのステージには、ライブの告知CMにも出てきた大きな大きなメリー・ゴーランドがドンと中央に置かれている。この光景には本当に驚いた。ライブが始まる前から体中に鳥肌が立っていたことが忘れられない。こうした経験もいままでの人生で空前絶後のことである。そうした異様なテンションのまま、セルフカバー・アルバム「HELLO LOVERS」(92年)バージョンの”サマータイムブルース”のイントロが鳴り、花火がボンと音を立ててついにライブの始まりである。この日の主役はメリーゴーランドの上から登場した。
初めて生で聴く美里の歌声を聴いた第一印象は、
「CDよりずっとしゃがれた声だなあ!」
だった。歌もMCもかなりガラガラ声だ。しかしながら、スタジアム規模の会場でもいっぱいに響き渡る彼女の迫力は、CDやライブ・ビデオを遥かに超えて凄まじい。
曲順もおぼろげだが、冒頭ではパイナップルロマンス”、”大冒険”、”シャララ”あたりのアップ・テンポな曲が並んだ。そして中盤の”19才の秘かな欲望”で現在は観ることのできない、スタジアムの端まで生声を響かせるパフォーマンスを披露する。これにはさらにテンションが上がる。そして本編最後では最も聴きたかった”夏が来た!”が飛び出して感無量の状態に。1回目のアンコールで”泣いちゃいそうだよ”と”JUMP”、2回目のアンコールは新曲”メリーゴーランド”、最後に”恋したっていいじゃない”という流れで、最後の最後まで勢いが止まらぬまま駆け抜けるようにライブが幕を閉じた。
驚くことにこの日の選曲には代表曲である”My Revolution”も”10 years”も入っていない。西武球場での曲目にも入っていないところを見ると、ツアーを通しても披露されなかったと思われる。この2曲は当時も人気はあったが、この時の彼女は歌うのに飽きていたのだろうか。だがこれらの曲を封印するというだけでも、あの頃の彼女がどれほど自信を持っていたかがうかがわれる。
ところで私がこの日のライブを「生涯最高」と位置づけているのは、当時の彼女がアーティストとして全盛期だった、という彼女側の要因ばかりではない。客席でステージを観ていた私自身のテンションも異常なほどに高かったからだ。そして、それもまた二度と再現できるものではないものである。
そんなライブが終わった時にはすっかり私は彼女の信者になっていた。それに対してどう思うかは他人の自由だけれど、この日を超えるライブを(彼女自身のライブも含めて)現在まで観ることができなかったことを思えば、それも自分の運命だったというしかない。
それにしても、生まれて初めて観たライブが生涯最高のものになったという事実は、私の中でずっと心の拠り所になっているような気がしてならない。人生の節目節目でこんなことを思う時があるからだ。
これほど凄いものが観られるのだったらこんな世の中でもまだ生きている価値があるかもしれない、と。
最後に、参考資料としてネットで拾ったこの日の曲目を記す。ただし、残念ながら順不同である。
悲しいボーイフレンド
19才の秘かな欲望〜NEWS
Steppin’Now
Lovin’you
Boys Cried(あの時からかもしれない)
It’s Tough
恋したっていいじゃない
シャララ
やるじゃん女の子
跳べ模型ヒコーキ
パイナップルロマンス
サマータイムブルース
恋するパンクス
Boys kiss Girls
夏が来た!
大冒険
JUMP
泣いちゃいそうだよ
青空
メリーゴーランド
当時の私は高校1年生で、北海道は室蘭市にある公立高校に通っていた。そして8月18日は確か2学期が始まった日で(北海道の夏休み期間は短く、25日くらいしかない)、その学校の始まりはいつもテストが実施される。それが終わって校舎を出ると父親が車で待っていた。そのまま3時間ほど走り札幌方面に向かう。格好は学生服だったので車中で私服に着替えていた。そうして到着した先が、1万人ほど収容できる真駒内アイスアリーナであった。ここで私は生まれて初めて「ライブ」というものを観ることになる。そしてステージに立つのは、昨日まではCDやラジオの中の存在でしかなかった、渡辺美里である。
何度も同じことを書いてるような気もするけれど、当時「明治生命」のCMで動く彼女を観てファンになって以来、彼女のパフォーマンスや歌声を生で体験したいとずっと願い続けていた。それが実現したのが今から18年前のことだった。この年の彼女は「スタジアム伝説’92」というスタジアム級の会場を回るツアーをおこなっていた。
会場がどんな感じだったかというようなことは全く覚えていない。ただ強く記憶に残っていることが2つだけある。一つは、入場する時のチラシと一緒にツアーの日程と美里の写真が印刷された下敷きが入っていたことだ。下敷きを無料でもらった記憶はいままで100本以上観たライブでも経験が無い。当時は明治生命がスポンサーについていたりと景気も良かったのだろう。
もう一つの記憶は、会場へ向かう私の前に当時STV(札幌テレビ放送)のアナウンサーだった「船守さちこ」(現在はフリーアナウンサー、音楽評論家)さんがいたことである。その頃の私はラジオやテレビでSTVに親しんでいたので、そこのアナウンサーが眼前にいるというのもなかなか新鮮な経験であった。確か、友だちも一緒に来てるんですけど、とか言っていた気がする。マスコミ関係者として無料で観ていたのだろう。あとはグッズ売り場でデビュー曲”I’m free”を入手したことくらいだろうか。そんなことをしながら客席に向かう。
座席は2階スタンド席の右側だった。北海道での彼女の人気は他府県ほどではなかったので、入りは8割くらい。場内はスモークが炊かれていて、その向こうのステージには、ライブの告知CMにも出てきた大きな大きなメリー・ゴーランドがドンと中央に置かれている。この光景には本当に驚いた。ライブが始まる前から体中に鳥肌が立っていたことが忘れられない。こうした経験もいままでの人生で空前絶後のことである。そうした異様なテンションのまま、セルフカバー・アルバム「HELLO LOVERS」(92年)バージョンの”サマータイムブルース”のイントロが鳴り、花火がボンと音を立ててついにライブの始まりである。この日の主役はメリーゴーランドの上から登場した。
初めて生で聴く美里の歌声を聴いた第一印象は、
「CDよりずっとしゃがれた声だなあ!」
だった。歌もMCもかなりガラガラ声だ。しかしながら、スタジアム規模の会場でもいっぱいに響き渡る彼女の迫力は、CDやライブ・ビデオを遥かに超えて凄まじい。
曲順もおぼろげだが、冒頭ではパイナップルロマンス”、”大冒険”、”シャララ”あたりのアップ・テンポな曲が並んだ。そして中盤の”19才の秘かな欲望”で現在は観ることのできない、スタジアムの端まで生声を響かせるパフォーマンスを披露する。これにはさらにテンションが上がる。そして本編最後では最も聴きたかった”夏が来た!”が飛び出して感無量の状態に。1回目のアンコールで”泣いちゃいそうだよ”と”JUMP”、2回目のアンコールは新曲”メリーゴーランド”、最後に”恋したっていいじゃない”という流れで、最後の最後まで勢いが止まらぬまま駆け抜けるようにライブが幕を閉じた。
驚くことにこの日の選曲には代表曲である”My Revolution”も”10 years”も入っていない。西武球場での曲目にも入っていないところを見ると、ツアーを通しても披露されなかったと思われる。この2曲は当時も人気はあったが、この時の彼女は歌うのに飽きていたのだろうか。だがこれらの曲を封印するというだけでも、あの頃の彼女がどれほど自信を持っていたかがうかがわれる。
ところで私がこの日のライブを「生涯最高」と位置づけているのは、当時の彼女がアーティストとして全盛期だった、という彼女側の要因ばかりではない。客席でステージを観ていた私自身のテンションも異常なほどに高かったからだ。そして、それもまた二度と再現できるものではないものである。
そんなライブが終わった時にはすっかり私は彼女の信者になっていた。それに対してどう思うかは他人の自由だけれど、この日を超えるライブを(彼女自身のライブも含めて)現在まで観ることができなかったことを思えば、それも自分の運命だったというしかない。
それにしても、生まれて初めて観たライブが生涯最高のものになったという事実は、私の中でずっと心の拠り所になっているような気がしてならない。人生の節目節目でこんなことを思う時があるからだ。
これほど凄いものが観られるのだったらこんな世の中でもまだ生きている価値があるかもしれない、と。
最後に、参考資料としてネットで拾ったこの日の曲目を記す。ただし、残念ながら順不同である。
悲しいボーイフレンド
19才の秘かな欲望〜NEWS
Steppin’Now
Lovin’you
Boys Cried(あの時からかもしれない)
It’s Tough
恋したっていいじゃない
シャララ
やるじゃん女の子
跳べ模型ヒコーキ
パイナップルロマンス
サマータイムブルース
恋するパンクス
Boys kiss Girls
夏が来た!
大冒険
JUMP
泣いちゃいそうだよ
青空
メリーゴーランド
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