内田樹「街場の現代思想」(08年。文春文庫)
2010年10月3日 読書
今日はフレスコに買い物を行った以外、ほとんど部屋の中で過ごす。午後からは天気も悪くなってきたので、読みかけだったこの本を最後まで読み通した。
本書の大部分は第3章の「街場の常識」に割かれている。この章について内田さんはこのように説明する。
<本章では「若い方」からの素朴かつ根源的な問いに不肖内田がお答えし、「なるほど、そうだったのか」と案を叩いて得心していただこうという、「こども電話相談室」青年版的趣旨のものである」(P.78)>
こうした形式で15回にわたり、敬語、お金、給与、転職、結婚、離婚、大学といったことについて内田さんの見解が人生相談形式で述べられている。
いずれの項もなかなか勉強になることは多いが、「いま現在の私」の心境からして以下のような部分が気になった。それは1回目の「敬語について」である。
敬語を使うのが面倒で邪魔臭い、という意見に対して内田さんは、敬語は「生存のための道具」だから「じゃまくさい」もので「重苦しい」ものであると結論づける(P.86)。敬語が「生存のため」とはかなり大げさな表現に感じるかもしれないが、理由は以下の通りだ。
<若い人にとって「生きる」ということは、要するに「自分より力のある人間」(それは必ずしも「自分より賢明な人間」や「自分より善良な人間」ではない。ほとんどの場合、そうではない)に「こづき回される」という経験だ。命令され、訓導され、教育され、査定され、処罰される」>(P.83)
この感覚は若い人ならば特にわかってもらえるだろう。しかしこうした「自分より力のある人間」とは直接闘ってはいけないのだ。
<「敬する」というのは、別に「自分より力のあるもの」に「何かよいもの」を贈ることではない。自分が傷つかないために「身をよじらせて」攻撃を避けることだ。そのためには、自分より力のある相手とは決して、直接向き合わないことが必要だ。
してはいけないことは、そういう相手に「素」で立ち向かうことである。自分の「本音」や「素顔」をさらすことは自己防衛上最低の選択である。>(P.83-84)
私の下の世代にも、上司に「素」で立ち向かったり、「本音」や「素顔」をさらすことを是とするかのような血気盛んな人を見かけるときがある。組織の中においても自分の信条を貫くのが格好いい、というような無責任な流説をときおり見かけることはあるけれど(私もそうした考えにハマっていた時期はある)、しかし若い人にはもっと大事なことがある。
<自分を守ることだ。
君たちを傷つけ、損なう可能性のある「自分より力のあるもの」からわが身を守ることだ>(P.83)
人生がまだまだ残っている若者の現実的な課題は、出世や昇進をする前に自分が潰されないこと、まずはこれが第一だ。内田さんの論理はもう少し難しいものになっているけれど、「敬語を使って話す」という行為はそうした道具であると説明してくれている。
さきほど私は、「いま現在の私」の心境でこの文章が気になった、と書いた。その理由はやはり、これから職場など様々な環境の変化に慣れなければいけない今の自分が生き抜くためには、上のようなことが喫緊の課題だからであろう。
本書の大部分は第3章の「街場の常識」に割かれている。この章について内田さんはこのように説明する。
<本章では「若い方」からの素朴かつ根源的な問いに不肖内田がお答えし、「なるほど、そうだったのか」と案を叩いて得心していただこうという、「こども電話相談室」青年版的趣旨のものである」(P.78)>
こうした形式で15回にわたり、敬語、お金、給与、転職、結婚、離婚、大学といったことについて内田さんの見解が人生相談形式で述べられている。
いずれの項もなかなか勉強になることは多いが、「いま現在の私」の心境からして以下のような部分が気になった。それは1回目の「敬語について」である。
敬語を使うのが面倒で邪魔臭い、という意見に対して内田さんは、敬語は「生存のための道具」だから「じゃまくさい」もので「重苦しい」ものであると結論づける(P.86)。敬語が「生存のため」とはかなり大げさな表現に感じるかもしれないが、理由は以下の通りだ。
<若い人にとって「生きる」ということは、要するに「自分より力のある人間」(それは必ずしも「自分より賢明な人間」や「自分より善良な人間」ではない。ほとんどの場合、そうではない)に「こづき回される」という経験だ。命令され、訓導され、教育され、査定され、処罰される」>(P.83)
この感覚は若い人ならば特にわかってもらえるだろう。しかしこうした「自分より力のある人間」とは直接闘ってはいけないのだ。
<「敬する」というのは、別に「自分より力のあるもの」に「何かよいもの」を贈ることではない。自分が傷つかないために「身をよじらせて」攻撃を避けることだ。そのためには、自分より力のある相手とは決して、直接向き合わないことが必要だ。
してはいけないことは、そういう相手に「素」で立ち向かうことである。自分の「本音」や「素顔」をさらすことは自己防衛上最低の選択である。>(P.83-84)
私の下の世代にも、上司に「素」で立ち向かったり、「本音」や「素顔」をさらすことを是とするかのような血気盛んな人を見かけるときがある。組織の中においても自分の信条を貫くのが格好いい、というような無責任な流説をときおり見かけることはあるけれど(私もそうした考えにハマっていた時期はある)、しかし若い人にはもっと大事なことがある。
<自分を守ることだ。
君たちを傷つけ、損なう可能性のある「自分より力のあるもの」からわが身を守ることだ>(P.83)
人生がまだまだ残っている若者の現実的な課題は、出世や昇進をする前に自分が潰されないこと、まずはこれが第一だ。内田さんの論理はもう少し難しいものになっているけれど、「敬語を使って話す」という行為はそうした道具であると説明してくれている。
さきほど私は、「いま現在の私」の心境でこの文章が気になった、と書いた。その理由はやはり、これから職場など様々な環境の変化に慣れなければいけない今の自分が生き抜くためには、上のようなことが喫緊の課題だからであろう。
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