せっかくの3連休だったが、いつもの休日と違わずほとんどを寝て過ごしてしまった。ただ、本だけはけっこう読んだとは思う。本書はその中の1冊だ。去年の夏くらいに買ったはずで一度は目を通したが、ちょっと気になる箇所があったのを思い出して再読する。

本書の内容はタイトルを読んで想像がつくように、

<グローバルな厳しい格差社会の中で「格差突破力」をいかに磨いていったらよいのか、について述べたもの>(P.3)


である。格差社会をテーマにした書物は数多いものの、この本を貫く思想はちょっと比較できるものがないかもしれない。

<本書は悲観論の予測に基づいて議論を組み立てています。日本を経済恐慌が襲い、再び軍国主義ファシズムが台頭する、といった極端に悲観的なシナリオが実現する可能性は低いかもしれませんが、日本の衰退は避けられない、との立場に立っています。>(P.22)


政治でも経済でも先が全く見えない昨今だから、悲観論に立った予測をするのは正当なやり方ではあろう。と、ここまでは別に異論もなく読み進んではいた。しかし、日本が衰退する理由として中山さんの挙げる点を見ると、「え?!と思ってしまった。中山さんはそれを「国内的な要因」と「国際的な要因」があるとして、まず国内的な要因を以下の4点だ。

・巨額の財政赤字
・少子高齢化の進行
・日本社会の劣化
・大地震のリスク

上の3点は良いとして、大地震まで勘定にいれるのか?と読んだ当時(もちろん大震災の前の話)はけっこう違和感を持った。以下にその理由が書かれている。

<日本列島は明らかに地震の活動期に入っています。近未来の日本に大地震が来ることがわかっていますが、地震予知は今のところ不可能に近い状況です。
(中略)
運良く生き延びることを前提に話を進めますが、東海地震、東南海地震、南海地震や首都直下型の大地震が起きた場合、日本経済に相当の悪影響が出ることを避けられません。一番恐ろしいのは、原子力発電所の近くで激しい揺れが起きて、稼働中の原子炉が破壊された場合です。
(中略)
だから、地震学者は東海の浜岡原子力発電所は危険だ、と常々警告しているのです。にもかかわらず、政府は無視しています。原子力発電所は絶対壊れない、という立場を取っているからです。実際には、震度6強の地震で原発の破壊が始まる、ということが2007年7月の新潟柏崎原発の地震で明らかになりました。
(中略)
今後予想される東海地震は、関東大震災をしのぐ巨大地震です。その発生確率は毎年上昇しています。直前予想はまず無理です。これが来たら、日本の衰退に拍車がかかることは避けられないでしょう。>(P.30-32)


この大惨事が起こった後となっては・・・まさにその通りで言葉も出てこない。

また日本が衰退する「国際的な要因」については、

・アメリカの力の衰退
・それにともなう中国の台頭
・人口爆発と資源の枯渇
・地球温暖化
・市場原理主義のグローバル化

の5点が出てくる。これらの指摘についても、果たして自分の生活に関係あるのか?と思う方もいるに違いない。本書はパッと見た限りではけっこう面を食らうような箇所が全編にわたって出てくる。ある種のイデオロギーを持った方はおそらく激怒すること間違いない。Amazonのサイトでの書評は散々な言われ方をされている。(ちなみに中山さん自身は、あらゆる政治イデオロギーが不完全なので信じない、という「脱政治イデオロギー」の持ち主だという)。

個人的にも、挑発的な筆致だな、と感じる部分もないわけでないが、その論理は地に足がついているというか、納得している点の方が多い。その中でも自分にとってこれは大事だな、と思ったことを2点挙げておきたい。

一つは、世の中に広まっている情報は都合の悪い部分(中山さんは「不都合な真実」と表現している)を見抜けられる能力をもつことだ。

<どこの国であれ、国家は「情報操作がいっぱい」なのです。情報操作しないと人々を動員できないからです。人々を戦争に動員する。人々の経済活動を貯蓄から投資に動員する。情報操作なしにこれは不可能です。
だから、国家を簡単に信じてはいけない。自分は情報操作で利用されているのではないか、と常に疑いを持たなくてはいけないのです。そのためには、情報分析にあたって「得をするのは誰か」を常に考えることです>(P.130-131)

<私にいわせると、「大国の権力者は金正日」なのです。独裁国家のように強権的に人々を操るのか、民主国家のようにメディアと学校教育と御用文化人を利用して、情報操作とマインドコントロールで巧妙に操るのか、という違いがあるだけです。>(P.141)


なかなか凄い表現だなあと思う一方、国家なんてそんなものかもしれないなあ、と納得している自分も確かに存在している。

そしてもう1点は、モンゴル帝国のチンギス・ハーンのようなノマド(遊牧民)の精神を持つこと、つまり世界的視野を持つことを奨めている。情報操作を見抜くためには外からの視点も持たなければならいないからだ。しかし、そのためには日本語圏の情報だけでは足りない。だから、英語を勉強したり外国に人的ネットワークを作るのが望ましいという。

中山さんのやり方はさらに徹底していて、日本を脱出するような緊急的事態になった場合を備えて、その第一候補をオーストラリアにしているという。そして銀行に口座を作ってお金を預けてもいる。

<滞在先で必要なものはまずお金で、まさに「富は要塞」「お金は安全保障」なのです。私が逃げられないときは、子どもだけでも逃がします。だから、長女のサインだけでお金を引き出せるようにしてあるのです。
「何をバカなことを」と笑う人も多いでしょう。しかし、「一寸先は闇」の法則を私は信じているのです。私と同じ考えの日本人も少なくありません。日本に危機がひたひたと忍び寄っているからです。ただ、それを人にいわないだけです。子どもさえ逃げることができれば、私は安心して死ねます。餓死か核ミサイルかはわかりませんが。(P.180)


絵に描いたような「悲観論の予測」だが、果たして中山さんの備えが笑い話で終わるような未来に日本にはなっているのだろうか。そうあってほしいと願っているのだが、個人的な願望と世の中の流れを混同してはいけない。

中山さんも本音は、おそらく下のような文章にあるのだろう。

<私は中流の生活を保って、その中で充実した幸せな人生を送ることができれば、それで大満足なのです。有名になりたいとも、偉くなりたいとも、大金持ちになりたいとも思わない。生きてゆくうえで、それらはすべて「過剰」だからです。「過剰なもの」はあってもなくてもよい。どうでもよいのです。これが私のモノサシです。>(P.166)


あまり考えたくはないが、現代を「一寸先は闇」と捉えてこれからの人生を組み立てるというのも、一つの選択肢として必要なのかもしれない。

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