英国の「NEET」と日本の「ニート」
2012年5月14日 音楽先日モリッシーが10年ほどぶりに来日公演をおこなった。その感想はすでに書いたけれど、せっかくだしもう少し彼にまつわることを述べてみようと思う。
私がザ・スミスを初めて聴いたのは1枚目のアルバム「ザ・スミス」(83年)で、確か高校3年(94年)の頃だったと思う。当時も今も歌詞カードはほとんど見ないけれど、アルバム2曲目の”ユーヴ•ゴット•エヴリシング•ナウ”(YOU’VE GOT EVERYTHING NOW)のサビにある、
<仕事なんかに就いたことはないさ
やりたいと思ったことがないからね>
<仕事なんかに就いたことは一度も無いね
何故って僕は恥ずかしがり屋だから>
という部分だけは今でも不思議と頭の中に残っている。当時は、ああイギリスってこういう国なんだな、と向こうの人が怒りそうな印象を抱いた気がする。しかし現在の視点で振り返ってみれば、私はこの時から「働く」ということに対して関心というか疑問ようなものを持っていたのかもしれない。
モリッシーの作品についても歌詞の内容で印象に残っている曲が一つある。それはスミス解散から半年後に出したアルバム「VIiva Hate」(88年)に収録されており、シングル曲にもなった”Everyday Is Like Sunday”だ。
<濡れた砂の上を ゆっくり足をひきずりながら
ベンチに戻ると
服は盗まれている
この海辺の町は
閉鎖されそこねた町
ハルマゲドン—ハルマゲドンよ 来い!
はやく来い 最終戦争よ!>
「毎日が日曜日」と題したこの曲は、海辺の町、それもベンチに服を置いたら盗まれてしまうような治安の悪い町で暮らす仕事の無い若者(断定してないが、たぶんそうだろう)が、最終戦争よ来い、核爆弾よ来い、と自暴自棄な台詞を吐くという内容の歌である。
こう書くとなんとも辛気くさい印象を与えそうだが、ストリングスをバックにあのモリッシーの歌声が乗っかると不思議な気品さが出てくる。彼の代表曲の一つでもある。これを初めて聴いた時も、いかにも英国的だなあ、と感じてしまった。私のイギリスに対する偏見も相当なものだ。
すっかり日本でも定着した「ニート」の元である「NEET」は「Not in Education, Employment or Training」の頭文字を取った英国発の言葉であり、「教育、雇用、職業訓練の、いずれもしない16歳から18歳の若者」とそれなりに定義がなされている。
しかし日本における「ニート」の意味はかなり曖昧、というか決まらなにまま広まっていった。よって恋愛ニートだの社内ニートだの団塊ニートだのといった言葉も出ており、もはや何をもってニートと指すのかわからなくなっているのが現状だ。それでも、働いていない若者というのは80年代や90年代に比べてずっと日常的な風景になったのは間違いない。
そしてこの曲が発表されてから四半世紀ちかく経った現在、我が国に照らし合わせてみてもあまり違和感のない内容になっているような気がする。主人公が「NEET」であっても「ニート」であっても大差はないだろう。
だからザ•スミスやモリッシーの音楽も再評価されているのかな、と思ったがこないだの来日公演の観客数を見るとまだまだそういう時代は訪れそうもないようである。
興味があればyou tubeで聴いてみていただければと願う。
http://www.youtube.com/watch?v=y7Gee3THtb8
私がザ・スミスを初めて聴いたのは1枚目のアルバム「ザ・スミス」(83年)で、確か高校3年(94年)の頃だったと思う。当時も今も歌詞カードはほとんど見ないけれど、アルバム2曲目の”ユーヴ•ゴット•エヴリシング•ナウ”(YOU’VE GOT EVERYTHING NOW)のサビにある、
<仕事なんかに就いたことはないさ
やりたいと思ったことがないからね>
<仕事なんかに就いたことは一度も無いね
何故って僕は恥ずかしがり屋だから>
という部分だけは今でも不思議と頭の中に残っている。当時は、ああイギリスってこういう国なんだな、と向こうの人が怒りそうな印象を抱いた気がする。しかし現在の視点で振り返ってみれば、私はこの時から「働く」ということに対して関心というか疑問ようなものを持っていたのかもしれない。
モリッシーの作品についても歌詞の内容で印象に残っている曲が一つある。それはスミス解散から半年後に出したアルバム「VIiva Hate」(88年)に収録されており、シングル曲にもなった”Everyday Is Like Sunday”だ。
<濡れた砂の上を ゆっくり足をひきずりながら
ベンチに戻ると
服は盗まれている
この海辺の町は
閉鎖されそこねた町
ハルマゲドン—ハルマゲドンよ 来い!
はやく来い 最終戦争よ!>
「毎日が日曜日」と題したこの曲は、海辺の町、それもベンチに服を置いたら盗まれてしまうような治安の悪い町で暮らす仕事の無い若者(断定してないが、たぶんそうだろう)が、最終戦争よ来い、核爆弾よ来い、と自暴自棄な台詞を吐くという内容の歌である。
こう書くとなんとも辛気くさい印象を与えそうだが、ストリングスをバックにあのモリッシーの歌声が乗っかると不思議な気品さが出てくる。彼の代表曲の一つでもある。これを初めて聴いた時も、いかにも英国的だなあ、と感じてしまった。私のイギリスに対する偏見も相当なものだ。
すっかり日本でも定着した「ニート」の元である「NEET」は「Not in Education, Employment or Training」の頭文字を取った英国発の言葉であり、「教育、雇用、職業訓練の、いずれもしない16歳から18歳の若者」とそれなりに定義がなされている。
しかし日本における「ニート」の意味はかなり曖昧、というか決まらなにまま広まっていった。よって恋愛ニートだの社内ニートだの団塊ニートだのといった言葉も出ており、もはや何をもってニートと指すのかわからなくなっているのが現状だ。それでも、働いていない若者というのは80年代や90年代に比べてずっと日常的な風景になったのは間違いない。
そしてこの曲が発表されてから四半世紀ちかく経った現在、我が国に照らし合わせてみてもあまり違和感のない内容になっているような気がする。主人公が「NEET」であっても「ニート」であっても大差はないだろう。
だからザ•スミスやモリッシーの音楽も再評価されているのかな、と思ったがこないだの来日公演の観客数を見るとまだまだそういう時代は訪れそうもないようである。
興味があればyou tubeで聴いてみていただければと願う。
http://www.youtube.com/watch?v=y7Gee3THtb8
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