玄田有史・曲沼美恵「ニート フリーターでも失業者でもなく」(04年。幻冬舎)
2012年5月25日 読書
平日の仕事が決まる2日前くらいに、何年も前に買ったこの本をペラペラとめくっていた。モリッシーについて日記で何か書くための参考になるかなと思って引っ張り出したのだが、現在の自分には思いのほか気になる箇所がたくさんあったので感想を述べてみたい。
その前にまずお断りしておくけれど、この本の構成はあまり統一されておらずお世辞にも優れているとは言いがたい。本書の「はじめに」の最後では、
<できればニートは増えないほうがいい。そのためにもまずは、フリーターでも失業者でもない、ニートと呼ばれる若者の声なき声に、耳を澄ますこと。それが今、何より求められている。>(P.11)
と書かれている。英国発である「NEET」という言葉を広めたきっかけの一つが本書であるが、では我が国における「ニート」とは具体的にどういった人たちなのか、それがこの中で明らかになっていないところが一番まずかった。肝心となる前提があやふやな状態で展開された末の最終章が、
「誰もがニートになるかもしれない」
だから、なんじゃそりゃ?と反感を抱く人が出てきても仕方ない出来だとは思う。ニートだかヒバゴンだか知らないが、何だか訳のわからないものになる可能性はゼロとはいえないだろう。内容の良し悪しを措いておくとしても、ニートという存在を知りたいと願う方には本書は適当とはいえない。余計に混乱するだけだろう。
実際のところ日本では、団塊ニートだの恋愛ニートだの社内ニートだのと、ニートという言葉はもはや何の意味だかわからない状態になっている。本書が出発点ということになれば当然の帰結に違いないだろう。そもそもニートという言葉にこだわること自体、あまり意味がない行為といえる。
ただ本書では失業者とか就業者とかいった言葉の定義は出てくる。それらのいずれにも該当しない人は「なんとなくニートっぽいといえるような」程度の印象は抱くかもしれない。そこでまず失業者の条件を見てみよう(本書P.17の表を参照)。
条件1:仕事がなくて、調査期間中(月末1週間)に少しもしなかった。
条件2:仕事があればすぐつくことができる。
条件3:調査期間中、仕事を探す活動や事業をはじめる準備をしていた。
以上の3つの条件を満たした人が「失業者」であり、これは日本だけでなく先進国の共通であると本書では述べられている。一言でいえば「とにかく仕事を探していること」、これが絶対条件だ。
これに対して、正社員なりフリーターなり条件は違うものの収入を得る仕事をしている人たちは「就業者」と呼ぶ。ここまでは何も難しいことはないだろう。
しかし、こうした労働調査(本書は総務省の調査結果を参考にしている)があった時期に「たまたま仕事を探していなかったため、失業者とは認められなかった人」というのもいて、そうした人たちは「就職希望者」と言われる(P.19)。また15歳以上25歳未満の若者で、学校に通ってたり受験のため浪人していて働いてない人たちは、労働に関わっていないということで「非労働力」と言われる。話はだんだんややこしくなってくる。
そして問題となるのが、この「非労働力」のうち、学生も浪人もしてないし働いてもいない、なおかつ仕事も探していない「非就業希望者」である。当時のデータでは日本にこうした存在が約40万人おり、97年の同じ調査では8万人だったから、6年で5倍にもなっているという結果になっている。
ここまでだったら年齢や定義も定まっているのでそれなりに筋は通っているけれど、本書はさらに上の年代についても言及しており、総務省が5年に1度調査している「就業構造基本調査」についても触れている。これは「25歳以上35歳未満」を対象としている。
<問題は、25歳未満だけではない。25歳以上の若者のなかにも、働くことにとまどいをおぼえたまま、就職活動に踏み出せないでいる人たちが、多数存在する。
>(P.23)
それはそうだろうが、「働く意思がない」という点だけで15歳以上35歳未満まで世代を広げられたら、もう漠然としたことしか論じられなくなるのではないだろうか。少なくとも私はもうお手上げだ。このあたりでニートの定義うんぬんを追っかけるのは終わりにさせていただく。
本書では3章と4章において、兵庫県(「トライやる・ウィーク」)および富山県(「地域に学ぶ14歳の挑戦」)の教育委員会が取り組んでいる、中学生を実際に会社などで数日間働いてもらうという政策を紹介し、2章および5章では仕事をせず働く意欲もない若者に会って聞き取りをしたことが書かれている。いずれもそれなりに興味のある内容だが、ニートとは結局なんなのか?ということの答えにはさっぱりなっていない。むしろ、教育委員会の取り組みがニートと何の関係があるのか、という批判もネットでは見かけた。それはそれで妥当な批判だといえる。
なんだかボロクソに言ってしまった気がするけれど、では当の私はこの本を読んで何に心を動かされたのか。著者の玄田さんがニートの話を交えながら、自身の仕事に対する思いを色々と書いている。それはあまりに理想論的で受け入れがたい指摘もけっこうあるけれど、これは俺の言いたかったことだ!というような言葉も少なくなかった。それらを引用しながら、最後にいまの私が「働くこと」に対する見解を述べさせていただきたい。
<多くの若者が失業した原因は、職業意識の低下でも甘えでもない。不況のせいで求人が激減したことこそ、失業が増えた直接の理由であることは、誰でも知っている。>(P.8)
老若男女を問わず、働いていない人が増えているのは当事者にやる気がないから、という精神論で片付けられることが多い。既得権にすがっている年寄りが原因だ、とか、今の若者がだらしない、といった世代論も見かける。しかし、根本的に不況によって仕事そのものが少なくなっている、という事実認識から始めることが重要ではないだろうか。一部の人たちを悪者にしたところで解決できるような単純な問題ではないのだから。
続いて最終章の「フリーターしかない現実」という項目から。
<これからの時代、正社員しかできない人は、タイヘンだ。転職をすることになっても、プライドとも呼べない、つまらない「プライド」がジャマして再就職を難しくする。フリーターは不安定というけれど、セブンーイレブンでしっかりフリーターした人は別のコンビニでもしっかりツブシがきいたりする。>(P.240)
コンビニの仕事を具体例に出すのはあまりに夢がない気もするし、「若者の多くにとって働くチャンスは、もうフリーターしかない」(P.241)という部分に至っては恫喝と言われる可能性もある。しかし正社員という立場やこれまでの経歴にこだわるのは、これからの時代においてかなり危険な行為なのは確かだ。また、他の場所でも働くことができるような技術を身につけることはこれからの時代を生きる上で大事なことになっていくような気はする。
こんな一文もあった。
<「ニート」はどこか『社会経験の穴』があいてる」
取材をするなかで、ある青年は言った。ニートにあいさつできないという穴があるとしても、それは本人の性格じゃない。あいさつを必要とする経験がないまま成長したということだ。コミュニケーションができない穴があっても、生まれ持った才能の問題じゃない。他人とのゆるやかな関係を保ちながら生きる経験がなかったのだ。>(P.245-246)
この「ニート」を「自分」に置き換えても何ら違和感はない。前の職場を辞めてからこの1年間、仕事探しで試行錯誤したけれど、
「俺ってコミュニケーション能力が根本的に欠落している」
と痛感される経験を山のように積んだ。そして、これはもはや修復不能なレベルだと、半ば諦めてもいる。しかし生きている限り、そうした自分とこれからも付き合っていかなければならない。こうした現実に対する有効な解決策は、自分の中にはまだ出ていない。
また自分を得意とするネガティブな話になるけれど、この1年間はこれまでの人生でもかなり辛い部類に入る経験をした。それはお金が無いとか所属が無いということより(それも苦しかったけどね)、自分の社会的価値ってこの程度なのか、ということを痛いほど思い知らされたことである。社会って残酷なんだな、と今さらながらに感じた。
しかし、である。
<働かなければ、そんな自分の無能さ、無力さなんて、感じなくてすむ。働くなんて、バカらしい。そこまでして働く必要なんてどこにあるのか、なんて思ってしまう。
でも、そうだったとしても、働いて自分に力がないという不幸を実感したことのない人こそ、本当の不幸なのだ、と私は思う。>(P.264)
私の言ったことと論旨は異なるけれど、社会に出ると自分の無力さに気づかされる、という点は同じ指摘だろう。そういう恐れあるからこそ、かつての私は働くことに消極的だったのかもしれない。
ただ、働く場所が見つからずに鬱々とした日々を過ごした今となっては、それでもどこかに所属して働いている状態の方が、幸せとは言わないまでも無職よりずっとマシだと言いたくなる。少なくとも1年前の自分よりは「働く」ということに対して前向きに取り組めるようになった、とは断言できる。これでも少しは前向きになったんだよ。
最後の最後で何か結論めいたことを言おうと思ったけれど、「働く」ということは自分の人生に関わることなので私の思いを言うことで締めたい。
反感を買うのを覚悟で書くが、私はホームレスや生活保護受給者やニート(あえてこの言葉を使おう)といった立場に身を落としたくない。そこまで行ってしまったら、おそらく再び社会に復帰することはほぼ不可能だと思うからだ。だから私は今も踏みとどまるために色々と頑張っているつもりである。
また、仕事がうまくいかなくて生きるのに苦しんでいる人たちに対しては、なんとか現状より落ちていかないように努力してもらいたいと願う。ニートなどに対する私の見解は内田樹さんの「下流志向─学ばない子どもたち、働かない若者たち」(07年。講談社)に習っている。ニートになった人はもう仕方ないけれどこれからニートになりそうな人に対しては、やめた方がいいよ、と声をかける。手元に本書がパッと見つからないので正確な引用ができなくて申し訳ないが、そんな感じの提言だった。ニートを社会復帰させようなどということよりもこれ以上ニートが増えないようにする。そうした水際で行動をしていくことが現実的には大事だと思うからだ。
そして現在の自分はまさにそうした水際にいる。この立場から小さくても声をあげていき続けたい。
その前にまずお断りしておくけれど、この本の構成はあまり統一されておらずお世辞にも優れているとは言いがたい。本書の「はじめに」の最後では、
<できればニートは増えないほうがいい。そのためにもまずは、フリーターでも失業者でもない、ニートと呼ばれる若者の声なき声に、耳を澄ますこと。それが今、何より求められている。>(P.11)
と書かれている。英国発である「NEET」という言葉を広めたきっかけの一つが本書であるが、では我が国における「ニート」とは具体的にどういった人たちなのか、それがこの中で明らかになっていないところが一番まずかった。肝心となる前提があやふやな状態で展開された末の最終章が、
「誰もがニートになるかもしれない」
だから、なんじゃそりゃ?と反感を抱く人が出てきても仕方ない出来だとは思う。ニートだかヒバゴンだか知らないが、何だか訳のわからないものになる可能性はゼロとはいえないだろう。内容の良し悪しを措いておくとしても、ニートという存在を知りたいと願う方には本書は適当とはいえない。余計に混乱するだけだろう。
実際のところ日本では、団塊ニートだの恋愛ニートだの社内ニートだのと、ニートという言葉はもはや何の意味だかわからない状態になっている。本書が出発点ということになれば当然の帰結に違いないだろう。そもそもニートという言葉にこだわること自体、あまり意味がない行為といえる。
ただ本書では失業者とか就業者とかいった言葉の定義は出てくる。それらのいずれにも該当しない人は「なんとなくニートっぽいといえるような」程度の印象は抱くかもしれない。そこでまず失業者の条件を見てみよう(本書P.17の表を参照)。
条件1:仕事がなくて、調査期間中(月末1週間)に少しもしなかった。
条件2:仕事があればすぐつくことができる。
条件3:調査期間中、仕事を探す活動や事業をはじめる準備をしていた。
以上の3つの条件を満たした人が「失業者」であり、これは日本だけでなく先進国の共通であると本書では述べられている。一言でいえば「とにかく仕事を探していること」、これが絶対条件だ。
これに対して、正社員なりフリーターなり条件は違うものの収入を得る仕事をしている人たちは「就業者」と呼ぶ。ここまでは何も難しいことはないだろう。
しかし、こうした労働調査(本書は総務省の調査結果を参考にしている)があった時期に「たまたま仕事を探していなかったため、失業者とは認められなかった人」というのもいて、そうした人たちは「就職希望者」と言われる(P.19)。また15歳以上25歳未満の若者で、学校に通ってたり受験のため浪人していて働いてない人たちは、労働に関わっていないということで「非労働力」と言われる。話はだんだんややこしくなってくる。
そして問題となるのが、この「非労働力」のうち、学生も浪人もしてないし働いてもいない、なおかつ仕事も探していない「非就業希望者」である。当時のデータでは日本にこうした存在が約40万人おり、97年の同じ調査では8万人だったから、6年で5倍にもなっているという結果になっている。
ここまでだったら年齢や定義も定まっているのでそれなりに筋は通っているけれど、本書はさらに上の年代についても言及しており、総務省が5年に1度調査している「就業構造基本調査」についても触れている。これは「25歳以上35歳未満」を対象としている。
<問題は、25歳未満だけではない。25歳以上の若者のなかにも、働くことにとまどいをおぼえたまま、就職活動に踏み出せないでいる人たちが、多数存在する。
>(P.23)
それはそうだろうが、「働く意思がない」という点だけで15歳以上35歳未満まで世代を広げられたら、もう漠然としたことしか論じられなくなるのではないだろうか。少なくとも私はもうお手上げだ。このあたりでニートの定義うんぬんを追っかけるのは終わりにさせていただく。
本書では3章と4章において、兵庫県(「トライやる・ウィーク」)および富山県(「地域に学ぶ14歳の挑戦」)の教育委員会が取り組んでいる、中学生を実際に会社などで数日間働いてもらうという政策を紹介し、2章および5章では仕事をせず働く意欲もない若者に会って聞き取りをしたことが書かれている。いずれもそれなりに興味のある内容だが、ニートとは結局なんなのか?ということの答えにはさっぱりなっていない。むしろ、教育委員会の取り組みがニートと何の関係があるのか、という批判もネットでは見かけた。それはそれで妥当な批判だといえる。
なんだかボロクソに言ってしまった気がするけれど、では当の私はこの本を読んで何に心を動かされたのか。著者の玄田さんがニートの話を交えながら、自身の仕事に対する思いを色々と書いている。それはあまりに理想論的で受け入れがたい指摘もけっこうあるけれど、これは俺の言いたかったことだ!というような言葉も少なくなかった。それらを引用しながら、最後にいまの私が「働くこと」に対する見解を述べさせていただきたい。
<多くの若者が失業した原因は、職業意識の低下でも甘えでもない。不況のせいで求人が激減したことこそ、失業が増えた直接の理由であることは、誰でも知っている。>(P.8)
老若男女を問わず、働いていない人が増えているのは当事者にやる気がないから、という精神論で片付けられることが多い。既得権にすがっている年寄りが原因だ、とか、今の若者がだらしない、といった世代論も見かける。しかし、根本的に不況によって仕事そのものが少なくなっている、という事実認識から始めることが重要ではないだろうか。一部の人たちを悪者にしたところで解決できるような単純な問題ではないのだから。
続いて最終章の「フリーターしかない現実」という項目から。
<これからの時代、正社員しかできない人は、タイヘンだ。転職をすることになっても、プライドとも呼べない、つまらない「プライド」がジャマして再就職を難しくする。フリーターは不安定というけれど、セブンーイレブンでしっかりフリーターした人は別のコンビニでもしっかりツブシがきいたりする。>(P.240)
コンビニの仕事を具体例に出すのはあまりに夢がない気もするし、「若者の多くにとって働くチャンスは、もうフリーターしかない」(P.241)という部分に至っては恫喝と言われる可能性もある。しかし正社員という立場やこれまでの経歴にこだわるのは、これからの時代においてかなり危険な行為なのは確かだ。また、他の場所でも働くことができるような技術を身につけることはこれからの時代を生きる上で大事なことになっていくような気はする。
こんな一文もあった。
<「ニート」はどこか『社会経験の穴』があいてる」
取材をするなかで、ある青年は言った。ニートにあいさつできないという穴があるとしても、それは本人の性格じゃない。あいさつを必要とする経験がないまま成長したということだ。コミュニケーションができない穴があっても、生まれ持った才能の問題じゃない。他人とのゆるやかな関係を保ちながら生きる経験がなかったのだ。>(P.245-246)
この「ニート」を「自分」に置き換えても何ら違和感はない。前の職場を辞めてからこの1年間、仕事探しで試行錯誤したけれど、
「俺ってコミュニケーション能力が根本的に欠落している」
と痛感される経験を山のように積んだ。そして、これはもはや修復不能なレベルだと、半ば諦めてもいる。しかし生きている限り、そうした自分とこれからも付き合っていかなければならない。こうした現実に対する有効な解決策は、自分の中にはまだ出ていない。
また自分を得意とするネガティブな話になるけれど、この1年間はこれまでの人生でもかなり辛い部類に入る経験をした。それはお金が無いとか所属が無いということより(それも苦しかったけどね)、自分の社会的価値ってこの程度なのか、ということを痛いほど思い知らされたことである。社会って残酷なんだな、と今さらながらに感じた。
しかし、である。
<働かなければ、そんな自分の無能さ、無力さなんて、感じなくてすむ。働くなんて、バカらしい。そこまでして働く必要なんてどこにあるのか、なんて思ってしまう。
でも、そうだったとしても、働いて自分に力がないという不幸を実感したことのない人こそ、本当の不幸なのだ、と私は思う。>(P.264)
私の言ったことと論旨は異なるけれど、社会に出ると自分の無力さに気づかされる、という点は同じ指摘だろう。そういう恐れあるからこそ、かつての私は働くことに消極的だったのかもしれない。
ただ、働く場所が見つからずに鬱々とした日々を過ごした今となっては、それでもどこかに所属して働いている状態の方が、幸せとは言わないまでも無職よりずっとマシだと言いたくなる。少なくとも1年前の自分よりは「働く」ということに対して前向きに取り組めるようになった、とは断言できる。これでも少しは前向きになったんだよ。
最後の最後で何か結論めいたことを言おうと思ったけれど、「働く」ということは自分の人生に関わることなので私の思いを言うことで締めたい。
反感を買うのを覚悟で書くが、私はホームレスや生活保護受給者やニート(あえてこの言葉を使おう)といった立場に身を落としたくない。そこまで行ってしまったら、おそらく再び社会に復帰することはほぼ不可能だと思うからだ。だから私は今も踏みとどまるために色々と頑張っているつもりである。
また、仕事がうまくいかなくて生きるのに苦しんでいる人たちに対しては、なんとか現状より落ちていかないように努力してもらいたいと願う。ニートなどに対する私の見解は内田樹さんの「下流志向─学ばない子どもたち、働かない若者たち」(07年。講談社)に習っている。ニートになった人はもう仕方ないけれどこれからニートになりそうな人に対しては、やめた方がいいよ、と声をかける。手元に本書がパッと見つからないので正確な引用ができなくて申し訳ないが、そんな感じの提言だった。ニートを社会復帰させようなどということよりもこれ以上ニートが増えないようにする。そうした水際で行動をしていくことが現実的には大事だと思うからだ。
そして現在の自分はまさにそうした水際にいる。この立場から小さくても声をあげていき続けたい。
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