「できない人」のための読書術を考える~「ストック・ノート」作成のすすめ
2012年9月22日 読書
先日の日記に載せた「ツチヤ教授の哲学講義」(05年。岩波書店)の書評は、その出来についてはともかく、まとめるのに3週間くらいは費やしている。
具体的にどんなことをしたのかといえば、まず230ページある本を何度か読み通して気になる部分に赤線を入れ、それからそれぞれの章ごと(本書は11章ある)にノートで要約をしていくという手法をとった。それをさらにまとめて1つの文章にしたのがあの日のブログである。
これまでにも本の感想は書いてきたけれど、ここまで面倒なことはしてこなかった。本を読んでマーカーをするまでは一緒だが、そこからすぐ文章を作っていたのである。ノートにいったん要約するという過程は全く踏まなかった。今回そのようにしたのにはちょっとした理由がある。自分の本の読み方を変えてみたかったからだ。
社会人(「ビジネスパーソン」という表現のほうが現代的だろうか)としての能力を高めるために読書、それも大量の本を速読でこなすということが挙げられる。またいわゆる「ビジネス書」をヒットさせている人たちは例外なくたくさんの本を読んでいると豪語している。1日最低1冊、40代になったら3冊は読もう、と書いている人もいた。頭の良し悪しを測る尺度を情報処理能力と考えれば速読や多読は有益には違いない。私もそうした考えに触発されて少しでも多くの本を読めるようになりたいと思った。
しかしその試みは三日坊主で終わってしまう。そもそもの話、私は本を読むのはあまり好きではないし幼い頃から読書をする習慣もなかったからだ。分厚い小説など見るだけで嫌になってくるほどである。つまり、速読などができる素質が圧倒的に足りないのである。
また、経済的にボンボン本を買えるような状況にもないことも大きい。漆原直行(編集者、ライター)さんがビジネス書を取り巻く世界を描いた良書「ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない」(12年。マイナビ新書)で、総務省の「家計調査」2010年年報を参照しながら、
<この統計結果によれば、書籍につぎ込む金額は年間で1万800強1か月あたり1500円程度。単行本なら1冊、新書なら2冊買えるかどうかという額でしかありません。そして取材などで得た私の体感値としても「平均で見れば、まあその程度だろうな」と、わりと違和感なく受け取れる金額といえます、>(P.173)
と一般の人々が書籍に費やせる金額について書いている。私もその程度、いや今は平均以下の書籍代しか捻出できない状態だ。つまり、多読をするためにはそれなりの経済的余裕がないと不可能なのである。情けない話だが、素質も環境も恵まれていないので挫折してしまったわけだ。
では無能な人間なりにできる読書の方法を無いものか。そう考えているうちに、1冊1冊を大事に読もう、という平凡な結論に至った。量を捌くことができないのならば、その質を向上させるしかないだろう。その具体的な方法として出口汪先生の「ストック・ノート」を思い出し、文章の要約などを始めたのである。
ストック・ノートはもともと現代文や小論文の受験を控えている学生に対して奨めていた受験対策だったが、そうした人たち以外にも良い効果があると「きのうと違う自分になりたい」(98年。経出版)などの著書において先生は提唱されている。ノート術といえば岡田斗司夫さんの「あなたを天才にするスマートノート」(11年。文藝春秋社)が有名だが、両著には共振する部分がけっこうあってノートを取ることに色々と効能があることが感じられる。
ところで、そもそもの話になるが、読んだ本を自分の中に取り入れるというのはどういうことなのだろうか。このあたりを今日は考えてみたい。
少なくとも文章について記憶することは必須であろう。これは心理学の初歩の知識だが、記憶というのは大きくわけて「記銘」、「保持」、「再生」という3段階がある。
・記銘(情報を頭に入れる)
・保持(その情報を頭の中にとどめておく)
・再生(頭の中から情報を取り出す)
これができて初めて「記憶」が成立する。しかし、書かれている文章を全部覚えたら万々歳、というのもそれは違うのではないだろうか。たとえばお経というものがあるが、お経を澱みなく唱えられる人がいるとして、果たしてその人は内容まで理解したり活用しているといえるだろうか(お坊さんという立場だったら十分に活用してはいるだろうが)。明らかに何かが足りない。
やはり単に「覚えた」という行為だけでは不十分であり、読んだ本の知識を自分なりの形で咀嚼して他の場面でも使えるようになる、というくらいの段階までいかないと「自分の中に取り入れる」とはいえない。そして、ノートを付けるというのはその大きな助けとなる道具なわけだ。
ちなみに出口先生はノートの取り方に特化した「『出口式』脳活ノート」(09年。廣済堂出版)という著書がある。興味のある方はご参照いただきたい。もう文章がかなり長くなったので著書の詳しい内容はここでは書かないけれど、文章を読んで要約してノートを書くことにより、
STEP1:話の筋道を理解する
STEP2:文章を論理的に読解する
STEP3:論理的にまとめ、説明する
STEP4:考えたことを、論理的に表現する
という流れを繰り返すうちに自分の頭の使い方が劇的に変わっていく(先生の表現によれば「論理力が習熟する」)というのが本書の狙いである。
私は高校3年の時(94年)に出口先生の参考書「現代文入門講義の実況中継 (上)」(語学春秋社、1991年) に出会い、それによって難解と思われる評論文や小説が先生の解説によっていとも簡単にスッと自分の頭の中に入っていった衝撃を今も引きずっている。
無機的にしか見えない文字の羅列がとてつもなく魅力的な文章に変化するというのはこの人生の中でも最もスリリングな瞬間の一つであった。
それからは物の考えとか視点は以前より大きく変わったのは間違いない(それによって何か他人に誇れる結果を残したかといえば、それは辛いところだけど)。出口先生との出会いがなければ、いま以上(!)に無気力な人生を過ごしていたことだろう。ともかくその影響は大きかった。
そんな私はこれからの人生に対して明るい展望は全く見えていないし夢とか目標とかも抱いていない。ただ、こんなことをできたらなあ、と漠然と考えていることが一つだけある。
天才どころか凡人以下の自分には、何か歴史に残るような業績を残すとかもの凄い経営手腕を発揮するとかいったことはまずできそうにない。ただ、かつての偉大なる人の残した業績をわかりやすく加工して人に伝えるということだったら、それもまた難しい仕事なのだけど、実現する可能性はグッと高くなるのではないだろうか。
塾の先生とかセミナー講師、または池上彰さんのような「教える」というスタンスとはまた違った、もっと市井の人と同じ土俵に立って一緒に考えるようなそんなやり方ができたら自分にも入り込む余地があるのではと。いつの頃から私はそんなことを考えていた。かつてだったら予備校や大学のアルバイトからスタートするといったそれなりのレールに乗らなければならないし門外漢の私には非現実的な話である。しかしWeb2.0の現在、さまざまなツールが無料で使えるようになった今、情報を発信することについてはグッと簡単になっている。
こうした時代だし、何か目標をたてよう。うん、当面は「出口汪の劣化版コピー」を目指そうかな。
ただ、それなりに結果を出すためには、自分をアピールできる知名度なり業績なり人脈などを作らなければ始まらないだろう。そのあたりをどうするか。ただ、こうして色々考えること自体はけっこう楽しい。
具体的にどんなことをしたのかといえば、まず230ページある本を何度か読み通して気になる部分に赤線を入れ、それからそれぞれの章ごと(本書は11章ある)にノートで要約をしていくという手法をとった。それをさらにまとめて1つの文章にしたのがあの日のブログである。
これまでにも本の感想は書いてきたけれど、ここまで面倒なことはしてこなかった。本を読んでマーカーをするまでは一緒だが、そこからすぐ文章を作っていたのである。ノートにいったん要約するという過程は全く踏まなかった。今回そのようにしたのにはちょっとした理由がある。自分の本の読み方を変えてみたかったからだ。
社会人(「ビジネスパーソン」という表現のほうが現代的だろうか)としての能力を高めるために読書、それも大量の本を速読でこなすということが挙げられる。またいわゆる「ビジネス書」をヒットさせている人たちは例外なくたくさんの本を読んでいると豪語している。1日最低1冊、40代になったら3冊は読もう、と書いている人もいた。頭の良し悪しを測る尺度を情報処理能力と考えれば速読や多読は有益には違いない。私もそうした考えに触発されて少しでも多くの本を読めるようになりたいと思った。
しかしその試みは三日坊主で終わってしまう。そもそもの話、私は本を読むのはあまり好きではないし幼い頃から読書をする習慣もなかったからだ。分厚い小説など見るだけで嫌になってくるほどである。つまり、速読などができる素質が圧倒的に足りないのである。
また、経済的にボンボン本を買えるような状況にもないことも大きい。漆原直行(編集者、ライター)さんがビジネス書を取り巻く世界を描いた良書「ビジネス書を読んでもデキる人にはなれない」(12年。マイナビ新書)で、総務省の「家計調査」2010年年報を参照しながら、
<この統計結果によれば、書籍につぎ込む金額は年間で1万800強1か月あたり1500円程度。単行本なら1冊、新書なら2冊買えるかどうかという額でしかありません。そして取材などで得た私の体感値としても「平均で見れば、まあその程度だろうな」と、わりと違和感なく受け取れる金額といえます、>(P.173)
と一般の人々が書籍に費やせる金額について書いている。私もその程度、いや今は平均以下の書籍代しか捻出できない状態だ。つまり、多読をするためにはそれなりの経済的余裕がないと不可能なのである。情けない話だが、素質も環境も恵まれていないので挫折してしまったわけだ。
では無能な人間なりにできる読書の方法を無いものか。そう考えているうちに、1冊1冊を大事に読もう、という平凡な結論に至った。量を捌くことができないのならば、その質を向上させるしかないだろう。その具体的な方法として出口汪先生の「ストック・ノート」を思い出し、文章の要約などを始めたのである。
ストック・ノートはもともと現代文や小論文の受験を控えている学生に対して奨めていた受験対策だったが、そうした人たち以外にも良い効果があると「きのうと違う自分になりたい」(98年。経出版)などの著書において先生は提唱されている。ノート術といえば岡田斗司夫さんの「あなたを天才にするスマートノート」(11年。文藝春秋社)が有名だが、両著には共振する部分がけっこうあってノートを取ることに色々と効能があることが感じられる。
ところで、そもそもの話になるが、読んだ本を自分の中に取り入れるというのはどういうことなのだろうか。このあたりを今日は考えてみたい。
少なくとも文章について記憶することは必須であろう。これは心理学の初歩の知識だが、記憶というのは大きくわけて「記銘」、「保持」、「再生」という3段階がある。
・記銘(情報を頭に入れる)
・保持(その情報を頭の中にとどめておく)
・再生(頭の中から情報を取り出す)
これができて初めて「記憶」が成立する。しかし、書かれている文章を全部覚えたら万々歳、というのもそれは違うのではないだろうか。たとえばお経というものがあるが、お経を澱みなく唱えられる人がいるとして、果たしてその人は内容まで理解したり活用しているといえるだろうか(お坊さんという立場だったら十分に活用してはいるだろうが)。明らかに何かが足りない。
やはり単に「覚えた」という行為だけでは不十分であり、読んだ本の知識を自分なりの形で咀嚼して他の場面でも使えるようになる、というくらいの段階までいかないと「自分の中に取り入れる」とはいえない。そして、ノートを付けるというのはその大きな助けとなる道具なわけだ。
ちなみに出口先生はノートの取り方に特化した「『出口式』脳活ノート」(09年。廣済堂出版)という著書がある。興味のある方はご参照いただきたい。もう文章がかなり長くなったので著書の詳しい内容はここでは書かないけれど、文章を読んで要約してノートを書くことにより、
STEP1:話の筋道を理解する
STEP2:文章を論理的に読解する
STEP3:論理的にまとめ、説明する
STEP4:考えたことを、論理的に表現する
という流れを繰り返すうちに自分の頭の使い方が劇的に変わっていく(先生の表現によれば「論理力が習熟する」)というのが本書の狙いである。
私は高校3年の時(94年)に出口先生の参考書「現代文入門講義の実況中継 (上)」(語学春秋社、1991年) に出会い、それによって難解と思われる評論文や小説が先生の解説によっていとも簡単にスッと自分の頭の中に入っていった衝撃を今も引きずっている。
無機的にしか見えない文字の羅列がとてつもなく魅力的な文章に変化するというのはこの人生の中でも最もスリリングな瞬間の一つであった。
それからは物の考えとか視点は以前より大きく変わったのは間違いない(それによって何か他人に誇れる結果を残したかといえば、それは辛いところだけど)。出口先生との出会いがなければ、いま以上(!)に無気力な人生を過ごしていたことだろう。ともかくその影響は大きかった。
そんな私はこれからの人生に対して明るい展望は全く見えていないし夢とか目標とかも抱いていない。ただ、こんなことをできたらなあ、と漠然と考えていることが一つだけある。
天才どころか凡人以下の自分には、何か歴史に残るような業績を残すとかもの凄い経営手腕を発揮するとかいったことはまずできそうにない。ただ、かつての偉大なる人の残した業績をわかりやすく加工して人に伝えるということだったら、それもまた難しい仕事なのだけど、実現する可能性はグッと高くなるのではないだろうか。
塾の先生とかセミナー講師、または池上彰さんのような「教える」というスタンスとはまた違った、もっと市井の人と同じ土俵に立って一緒に考えるようなそんなやり方ができたら自分にも入り込む余地があるのではと。いつの頃から私はそんなことを考えていた。かつてだったら予備校や大学のアルバイトからスタートするといったそれなりのレールに乗らなければならないし門外漢の私には非現実的な話である。しかしWeb2.0の現在、さまざまなツールが無料で使えるようになった今、情報を発信することについてはグッと簡単になっている。
こうした時代だし、何か目標をたてよう。うん、当面は「出口汪の劣化版コピー」を目指そうかな。
ただ、それなりに結果を出すためには、自分をアピールできる知名度なり業績なり人脈などを作らなければ始まらないだろう。そのあたりをどうするか。ただ、こうして色々考えること自体はけっこう楽しい。
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