ネットによる選挙運動の解禁を望む
2012年12月17日 時事ニュース衆議院選挙が終わった。
事前通りに民主党が歴史的大敗を喫し、自民公明が与党に復活することになった。結果だけ見れば劇的に見えるものの、世間の目は驚くほど冷静である。
例えば、自民党には肯定的と思われる読売新聞の今日の社説「自民党政権復帰 謙虚に実績積み信頼取り戻せ」ですら、
<熱気なき圧勝>
<いわば敵失に助けられた面が大きい>
と評している。
地デジ難民の私は昨夜、YahooのページからUSTREAMで選挙結果を中継を午後10時くらいから観ていた。そこに当選確実となった自民党の平沢勝栄氏が出演し、なぜこんな悪い時期に民主党が選挙をしたのか不思議だ、と感想を延べ今回の選挙を、
「民主党のオウンゴール(自殺点)」
と見事に一言でまとめていた。多くの人も同じように感じただろう。今回の結果は「自民党の大勝」ではなく「民主党の一人負け」である。
その証拠は「戦後最低」となった投票率(59.32%)である。前回(09年)の数字は69.28%と小選挙区と比例代表が導入された96年以降で最高だったことを比較すれば、いかに投票する人が減ってしまったかが明らかだ。私は期日前投票をしようかと最初は考えていたけれど、結局ズルズルと延ばして結局は当日午前中になってしまった。どうにも積極的に足を運ぶ気持ちになれなかったのだ。
そういう状況になると、組織票の強い自民や公明が相対的に強くなってしまうのは明白だ。そんな予想が事前に出ていたのも悪い要素になっただろう。何も変わらないとわかっているのにわざわざ自分の時間を費やして投票しよう、という人などそうそういるものではない。
それにしても、Twitterなどで自民党や維新の会に否定的な人たちが、こんなの民意を反映してない、とか、国民の民度が低い、とか平気でつぶやいているのはあまりにも見苦しい。そんなこと言ったって結果が変わるはずもないし、不用意な発言は思いがけないところから反感を買う危険性もあることに気づかないのだろうか。まあ、私が心配する立場でもないけどね。
私は特に支持したい政党もないし、既得権も無いから自民党政権が復活したからといって良い思いができるわけでもない。そういう意味では今回の結果には失望というよりも無力感が大きい気がする。ただ、この低すぎる投票率はかなり気になった。選挙結果そのものよりもむしろこっちの方を注目していたくらいである。そして予想以上の数字の低さを知り、これはなんとかしないとなあ、と感じてしまった。
選挙期間中は、日頃は割と静かな寺之内周辺も選挙カーが通ったり、タスキをつけた候補者が自転車でグルグル回る姿も見かけた。21世紀に入ってずいぶん時間も経ったはずだが、選挙に関わる風景というのはあまり変わっていないようだ。しかし、それは世の流れに選挙が乗っていないというような問題ばかりでもない。国が意図的にしているところも多分にある。
mixiで毎日新聞(2012年12月4日19時40分配信)の「<橋下氏>公示後にツイッター 未来の党の原発政策を批判」という記事で、
<公選法は選挙期間中、法定ビラやポスター以外の「文書図画」の頒布や掲示を禁止。総務省選挙課によると、ツイッターなどネットを使った発信は文書頒布とみなされ、特定の政党を支持・反対する内容も同法に抵触する恐れがある。>
という説明があった。選挙期間になると候補者は一斉に公式サイトのブログの更新を自粛する。選挙違反になってしまう可能性があるからだ。細かいことはわからないけれど、例えば候補者がSNSでアクセス履歴を残すこと(いわゆる「足あと」)も「戸別訪問」の行為にあたり禁止だという。インターネットが普及して15年以上にはなるだろうが、これはどういうことなのだろう。
確か選挙期間の初日、朝のラジオ番組「クロノス」にて「One Voice Canpaign」という運動が紹介されていた。
http://www.onevoice-campaign.jp/
「インターネット選挙運動解禁へ向けて」
と冒頭に掲げられている通り、2013年度の通常国会で公職選挙法を改正して、ネットによる選挙運動を実現させようという動きである。現行の法律ではそれが不可能だからだ。
TwitterやFacebookなどのSNSを使うことによって今まで政治に参加しなかった人たちも関心をもつようになり世の中が面白くなる、というようなポジティブなことを言う方もキャンペーンの賛同者の中には散見される。しかし、私はそこまで肯定的にはなれない。ネットもSNSも社会の縮図であって生身の人間が集まる場であり、それ以上でもそれ以下でもないからだ。
ただ、ネットを利用すれば政治運動でも以前ほどお金はかからなくできる可能性も出てくる。またさきほど言ったように、いままで政治に興味がなかった人も違った形で関わる余地もできるだろう。
結果として、これまで続いてきた三バン(地盤=後援会、看板=知名度、カバン=資金)頼りの「ドブ板選挙」も変わってくるのではないか。ネットを肯定するにせよ否定するにせよ、こうした光景を多くの人はもううんざりしているだろう。また、この不景気で資金頼りの選挙も辛くなる一方だ。経済的な負担も軽減はできるはずである。
そうした末に全ての既得権が崩壊し、国民1人1人が持っている投票権が平等の価値に落ち着いて行く。それが間接民主主義の究極の姿なのではないか。消費税とか社会福祉とかTPPとか憲法改正とか、この国で生きる人にとって大事なことはそれから議論したらいい。その前のスタートラインをまずきっちり整備してほしいと願う。
その結果としてたとえ自分の思いに反した道をこの国が歩ことになったとしても、厳粛に受け入れる覚悟は自分にはある。その思いがあっての今回の発言である。
事前通りに民主党が歴史的大敗を喫し、自民公明が与党に復活することになった。結果だけ見れば劇的に見えるものの、世間の目は驚くほど冷静である。
例えば、自民党には肯定的と思われる読売新聞の今日の社説「自民党政権復帰 謙虚に実績積み信頼取り戻せ」ですら、
<熱気なき圧勝>
<いわば敵失に助けられた面が大きい>
と評している。
地デジ難民の私は昨夜、YahooのページからUSTREAMで選挙結果を中継を午後10時くらいから観ていた。そこに当選確実となった自民党の平沢勝栄氏が出演し、なぜこんな悪い時期に民主党が選挙をしたのか不思議だ、と感想を延べ今回の選挙を、
「民主党のオウンゴール(自殺点)」
と見事に一言でまとめていた。多くの人も同じように感じただろう。今回の結果は「自民党の大勝」ではなく「民主党の一人負け」である。
その証拠は「戦後最低」となった投票率(59.32%)である。前回(09年)の数字は69.28%と小選挙区と比例代表が導入された96年以降で最高だったことを比較すれば、いかに投票する人が減ってしまったかが明らかだ。私は期日前投票をしようかと最初は考えていたけれど、結局ズルズルと延ばして結局は当日午前中になってしまった。どうにも積極的に足を運ぶ気持ちになれなかったのだ。
そういう状況になると、組織票の強い自民や公明が相対的に強くなってしまうのは明白だ。そんな予想が事前に出ていたのも悪い要素になっただろう。何も変わらないとわかっているのにわざわざ自分の時間を費やして投票しよう、という人などそうそういるものではない。
それにしても、Twitterなどで自民党や維新の会に否定的な人たちが、こんなの民意を反映してない、とか、国民の民度が低い、とか平気でつぶやいているのはあまりにも見苦しい。そんなこと言ったって結果が変わるはずもないし、不用意な発言は思いがけないところから反感を買う危険性もあることに気づかないのだろうか。まあ、私が心配する立場でもないけどね。
私は特に支持したい政党もないし、既得権も無いから自民党政権が復活したからといって良い思いができるわけでもない。そういう意味では今回の結果には失望というよりも無力感が大きい気がする。ただ、この低すぎる投票率はかなり気になった。選挙結果そのものよりもむしろこっちの方を注目していたくらいである。そして予想以上の数字の低さを知り、これはなんとかしないとなあ、と感じてしまった。
選挙期間中は、日頃は割と静かな寺之内周辺も選挙カーが通ったり、タスキをつけた候補者が自転車でグルグル回る姿も見かけた。21世紀に入ってずいぶん時間も経ったはずだが、選挙に関わる風景というのはあまり変わっていないようだ。しかし、それは世の流れに選挙が乗っていないというような問題ばかりでもない。国が意図的にしているところも多分にある。
mixiで毎日新聞(2012年12月4日19時40分配信)の「<橋下氏>公示後にツイッター 未来の党の原発政策を批判」という記事で、
<公選法は選挙期間中、法定ビラやポスター以外の「文書図画」の頒布や掲示を禁止。総務省選挙課によると、ツイッターなどネットを使った発信は文書頒布とみなされ、特定の政党を支持・反対する内容も同法に抵触する恐れがある。>
という説明があった。選挙期間になると候補者は一斉に公式サイトのブログの更新を自粛する。選挙違反になってしまう可能性があるからだ。細かいことはわからないけれど、例えば候補者がSNSでアクセス履歴を残すこと(いわゆる「足あと」)も「戸別訪問」の行為にあたり禁止だという。インターネットが普及して15年以上にはなるだろうが、これはどういうことなのだろう。
確か選挙期間の初日、朝のラジオ番組「クロノス」にて「One Voice Canpaign」という運動が紹介されていた。
http://www.onevoice-campaign.jp/
「インターネット選挙運動解禁へ向けて」
と冒頭に掲げられている通り、2013年度の通常国会で公職選挙法を改正して、ネットによる選挙運動を実現させようという動きである。現行の法律ではそれが不可能だからだ。
TwitterやFacebookなどのSNSを使うことによって今まで政治に参加しなかった人たちも関心をもつようになり世の中が面白くなる、というようなポジティブなことを言う方もキャンペーンの賛同者の中には散見される。しかし、私はそこまで肯定的にはなれない。ネットもSNSも社会の縮図であって生身の人間が集まる場であり、それ以上でもそれ以下でもないからだ。
ただ、ネットを利用すれば政治運動でも以前ほどお金はかからなくできる可能性も出てくる。またさきほど言ったように、いままで政治に興味がなかった人も違った形で関わる余地もできるだろう。
結果として、これまで続いてきた三バン(地盤=後援会、看板=知名度、カバン=資金)頼りの「ドブ板選挙」も変わってくるのではないか。ネットを肯定するにせよ否定するにせよ、こうした光景を多くの人はもううんざりしているだろう。また、この不景気で資金頼りの選挙も辛くなる一方だ。経済的な負担も軽減はできるはずである。
そうした末に全ての既得権が崩壊し、国民1人1人が持っている投票権が平等の価値に落ち着いて行く。それが間接民主主義の究極の姿なのではないか。消費税とか社会福祉とかTPPとか憲法改正とか、この国で生きる人にとって大事なことはそれから議論したらいい。その前のスタートラインをまずきっちり整備してほしいと願う。
その結果としてたとえ自分の思いに反した道をこの国が歩ことになったとしても、厳粛に受け入れる覚悟は自分にはある。その思いがあっての今回の発言である。
コメント