自分の中にある残酷さに気づいた瞬間
2014年3月19日 時事ニュースFacebookで繋がっている方が、こんな記事を紹介していた。中国版「赤ちゃんポスト」を設置したらこんなことになったという話である。
中国「赤ちゃんポスト」運用停止、1か月半で260人超
AFP=時事 3月17日(月)16時19分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140317-00000037-jij_afp-int
1月下旬の開設から3月16日朝までに預けられた子どもの数は計263人にのぼったという。1日あたり5人という計算だ。
さらに、
<預けられた子ども全員に脳性まひやダウン症、先天性心疾患など何らかの病気があり、67%は1歳未満の乳児だった。>
という。お国柄が出ているという見方もできるかもしれないが、個人的には「無責任だ!」などと単純に怒る気にはなれない。自分がそんなことを言える立場の人間でもないと考えるからだ。
かつて友人がブログで、親戚に子どもができたものの障がいを持つ可能性がありそうでどうしようか話題になっている、というようなことを書いていた。彼自身は、産まない方がいい、という考えをブログで述べていたわけだが、それを読んだ人たちから「当然産むべきだ!」という非難のコメントがたくさん書かれた。産むべきではない、という意見は無かったような気がする。
この一連の流れを見ていた私はものすごく違和感を覚えた。私自身は、
「産まないに決まってるでしょ」
という考えしか頭になかったからである。
そしてその理由をしばらく考えた末に、
「俺って残酷な心の持ち主なんだな・・・」
ということに気づかされたのであった。自分ではもうちょっと人間味があふれていると勝手に思っていたから、心の奥底にこうした残酷性があることは少なからず衝撃を覚えたものである。
こういう問題が出てきた時は、
「どんな子であろうが産むべきだ。その子と運命を共にする。それが親の責任だ」
といったのが模範回答には違いない。しかし、障がいというのを割と身近に見てきたこともある身としては、どうにもそんなことは言えない。障がいを持った子を2人かかえた母親が自殺したという事件が実家の近所ではあった。責任とか運命とか一言で片付けるには、あまりにも現実というのは厳しすぎる。
人類の歴史をたどってみると、人間以外に対してはかなり無茶苦茶なことをしている。ミカンはもともと身に種が入ってるものだったが、食べやすくするためそれが無くなるように改良された。犬もペットとして飼いやすいように性格も優しく従順なものにされていった。こうした事例は数え切れないほどあるだろうが、共通するのは人間の利己主義である。それが人間自身にも向けられるというのは、あまり褒められた話でもないが、必然といえるかもしれない。
また現代は過剰なほど色々な情報が入ってくるためか、何事にも「リスク管理」という視点が出てしまう。こうした考え方を嫌う人も多いだろうが、進学、就職、結婚、出産などの人生の節目にある出来事は全てリスクが伴ってくるものだ。昨今は未婚とか少子化という問題が絶えず話題になるけれども、リスク管理という点で考えればそういう結果になるというしかない。わざわざリスクを抱えるようなことを最初から避けているわけだ。ある本に、理屈で考えていたら結婚などできない、というようなことが書かれていたが、まったくその通りだと思う。
当の私もリスクで物事を考えるクセがあるから、結婚はおろか自分の子どもが欲しいなどとは夢にも思わない。一番の理由は自分のような人間のDNAなど残したくないということだが、上のようなリスク回避という観点も同じくらい重要である。
現在の自分は、最初に挙げたような出産に関する問題について「産むべきではない」と言うことはない。が、「絶対に産むべきだ」とも言いきれない自分がここにいる。赤ちゃんポストの記事を読んで、そんなことを考えた次第である。
中国「赤ちゃんポスト」運用停止、1か月半で260人超
AFP=時事 3月17日(月)16時19分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140317-00000037-jij_afp-int
1月下旬の開設から3月16日朝までに預けられた子どもの数は計263人にのぼったという。1日あたり5人という計算だ。
さらに、
<預けられた子ども全員に脳性まひやダウン症、先天性心疾患など何らかの病気があり、67%は1歳未満の乳児だった。>
という。お国柄が出ているという見方もできるかもしれないが、個人的には「無責任だ!」などと単純に怒る気にはなれない。自分がそんなことを言える立場の人間でもないと考えるからだ。
かつて友人がブログで、親戚に子どもができたものの障がいを持つ可能性がありそうでどうしようか話題になっている、というようなことを書いていた。彼自身は、産まない方がいい、という考えをブログで述べていたわけだが、それを読んだ人たちから「当然産むべきだ!」という非難のコメントがたくさん書かれた。産むべきではない、という意見は無かったような気がする。
この一連の流れを見ていた私はものすごく違和感を覚えた。私自身は、
「産まないに決まってるでしょ」
という考えしか頭になかったからである。
そしてその理由をしばらく考えた末に、
「俺って残酷な心の持ち主なんだな・・・」
ということに気づかされたのであった。自分ではもうちょっと人間味があふれていると勝手に思っていたから、心の奥底にこうした残酷性があることは少なからず衝撃を覚えたものである。
こういう問題が出てきた時は、
「どんな子であろうが産むべきだ。その子と運命を共にする。それが親の責任だ」
といったのが模範回答には違いない。しかし、障がいというのを割と身近に見てきたこともある身としては、どうにもそんなことは言えない。障がいを持った子を2人かかえた母親が自殺したという事件が実家の近所ではあった。責任とか運命とか一言で片付けるには、あまりにも現実というのは厳しすぎる。
人類の歴史をたどってみると、人間以外に対してはかなり無茶苦茶なことをしている。ミカンはもともと身に種が入ってるものだったが、食べやすくするためそれが無くなるように改良された。犬もペットとして飼いやすいように性格も優しく従順なものにされていった。こうした事例は数え切れないほどあるだろうが、共通するのは人間の利己主義である。それが人間自身にも向けられるというのは、あまり褒められた話でもないが、必然といえるかもしれない。
また現代は過剰なほど色々な情報が入ってくるためか、何事にも「リスク管理」という視点が出てしまう。こうした考え方を嫌う人も多いだろうが、進学、就職、結婚、出産などの人生の節目にある出来事は全てリスクが伴ってくるものだ。昨今は未婚とか少子化という問題が絶えず話題になるけれども、リスク管理という点で考えればそういう結果になるというしかない。わざわざリスクを抱えるようなことを最初から避けているわけだ。ある本に、理屈で考えていたら結婚などできない、というようなことが書かれていたが、まったくその通りだと思う。
当の私もリスクで物事を考えるクセがあるから、結婚はおろか自分の子どもが欲しいなどとは夢にも思わない。一番の理由は自分のような人間のDNAなど残したくないということだが、上のようなリスク回避という観点も同じくらい重要である。
現在の自分は、最初に挙げたような出産に関する問題について「産むべきではない」と言うことはない。が、「絶対に産むべきだ」とも言いきれない自分がここにいる。赤ちゃんポストの記事を読んで、そんなことを考えた次第である。
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