先日の日記では自分の考える優れた文章表現についてあれこれ述べてみた。結論としてはシンプルで簡潔(=わかりやすい)な表現を用いて読み手に伝わりやすい文章が良いというようなことだった。

「優れた表現なんて人それぞれだろう」

そういう意見を持っている方もいるかもしれない。しかしそういう人に対して「では、あなたの考える優れた文章表現とは?」と訊ねたらおそらく何も返答は無いだろう。

先日ちょっと気になる文章をネットで見つけた。文章を書くうえで参考になる箇所がいくつかあるので引用してみたい。時事通信4月12日(土)18時29分配信の「『まさか警察官が…』=パトカー20台、驚く住民―埼玉」という記事である。

<「まさか警察官がそんなことを…」。警視庁の男性巡査が交際相手の女性巡査を自宅マンションで殺害し、飛び降り自殺したとみられる事件。埼玉県狭山市の現場周辺には12日、パトカー約20台が駆け付け、閑静な住宅街の週末に衝撃が走った。
 同じマンションの4階に住む無職男性(67)によると、男性巡査は近所付き合いはなかったといい、「言い争う声やトラブルは聞いたことがない」と話した。巡査と同じ3階に住む中学3年の男子生徒(14)も「叫び声や大きな物音もなかった」と驚きを隠せない様子。
 付近の住民によると、マンション敷地内に倒れていた男性巡査の腕には、刃物で切ったような傷がたくさんあったという。近所に住む50代の女性は、「何かあったときに頼りにできるのが警察官。まさかこんなことが起きるとは…」と硬い表情だった。>

別にどうということもない文なのだが、

「衝撃が走った」
「硬い表情だった」

というような表現は必要ないだろう。これを入れてみたところで文章に何か特別な効果を出しているわけでもない。いわゆる「手垢にまみれた表現」というものだが、これがまさに「飾り」である。何か致命的な間違いがあるわけでもないのでそのままでも問題は無いものの、いっそ削ったほうが文章がスッキリして読みやすくなるのは確実だ。文章にムダな部分が無くなるからだ。

それから、たいして長くもない文章で2ヵ所も「体言止め」(「飛び降り自殺とみられる事件。」、「驚きを隠せない様子。」)を使ってるのも、要らないんじゃないかなと思ってしまう。体言止めは読む人の目を止めて印象を強くする働きが期待できるが、あまりに多用するとその効果も薄くなってくる(個人的にはなるべく使わないようにしているが)。こうした表現もまた余計な「飾り」である。

では、「飾り」にはどんなものがあるか。パッと思いついたものをいくつか示してみたい。

・ありふれた表現
これが先の記事で使われたものである。かつては新鮮でインパクトの強かった表現も時が経ち世間でも認知されていくうちにその力も失ってしまう。典型的なものは流行のギャグなどだろう。2014年の現在、文章の中に「おっぱっぴ」と入れたところで効果はどれほど出るだろうか。

・絵文字や顔文字
絵文字は携帯メールが主流だと思うが「アメブロ」でも多用されている。顔文字については通常のブログでも使ってる方は多いだろう。しかし、私は絶対に使わない。FacebookなどのSNSで「_| ̄|○」をたまに使う程度だ。なぜならこれらは絵やイラストであり、他人に何か明確に伝達をする「文字」と同等には使えない(もちろん学術論文やビジネス文書で絵文字や顔文字は認められない)。「デコメ」とはよく言ったもので、これもまた文の「飾り」でしかない。

・情報量が少ない表現
先ほどの「ありふれた表現」と重複する部分もあるが、別の項目にしてみた。

例えば、

「お父さん・お母さんを大切にしよう」

とか、

「世界人類が平和でありますように」

といったものがこれだろう。書いてあることは全く間違っていないし、異論を挙げる人もそんなに無いと思われる表現だ。しかし、こうした「全面的に正しい」表現というのは、往々にして「役に立たない」と同義になる。一言でいえば「一般論」ということになるだろうか。一般論というのは具体的に何か役に立つわけでもなく面白みも無いというのが常である。これを私は「情報量が少ない」と表現してみた。先の「ありふれた表現」もまた含まれている情報量は乏しい。

私事で恐縮だが、誰か特定のブログやメルマガを読む習慣は全くない。なぜかといえば、ネットで書かれている文章の情報量は極めて少ないからだ(絵文字だらけのアメブロなどその典型である)。また、あまり読みやすさを考慮して文を書いている方も見受けられない。もともと世の流れに関心の薄いという人間性もたたり、文章自体もほとんど接していないのが現状だ。

それはともかく、もし「読みやすい」とか「わかりやすい」文章を書きたいと考えるならば、さきほど挙げた「飾り」をなるべく削るようにすることを奨める。それだけでだいぶ文章はスッキリするはずだ。

そして肝心なのは、文章に込める情報量を豊かにしようと努めることである。

さきほどの時事通信の記事を見ての全体的な感想だが、書いている記者の持っている情報量があまり豊かでなさそうだということである。

この文章は冒頭で、

「まさか警察官がそんなことを…」

となっているが、ここにあるのは、

「警察官は市民の安全を守る聖職である。それゆえ、このような間違いがあってはならない」

というような極めて陳腐な警察象である。教師でも政治家でも構わないけれど、現在はネット上でさまざま情報が明るみに出てあらゆる権威は失墜している状況がある。そういう現代においては、「警察官もまあ人の子だよね」というくらいのスタンスで文章を書いた方がよりリアルな警察のイメージに迫れるのではないか。

別にこの程度の分量の記事でそこまで考える必要はないだろう。しかし、こうやっていくつか文章の表現をチェックしてみるだけでも色々なものが見えてくると言いたかっただけだ(また、新聞社や通信社の仕事などたいした技量は要らないということを指摘してみたかった)。

それでは、情報量が豊かな文章というのはどのようにしたら構築できるか。これについては次の機会に書いてみたい。

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