渡辺美里「BREATH」(87年)
2015年4月19日 渡辺美里
○「BREATH」概説
「BREATH」は1987年7月15日に発売された、渡辺美里の3枚目のアルバムである。オリコンでは週間1位、年間でも9位に入る大ヒットを記録した。87年5月2日に先行シングルとして発売された“IT’S TOUGH/BOYS CRIED(あの時からかもしれない)”も最高位2位のヒットとなっている。90万枚のセールスを記録した、と彼女の特集をしたラジオ番組で紹介された記憶がある。
○アルバム・ジャケットについて
彼女の顔が全面に映し出される異様なデザインは、キング・クリムゾンやU2のアルバムを参考にしたものらしい。クリムゾンはもちろん有名なファースト・アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」(69年)、U2については彼らの初期の代表作「WAR」(83年)で間違いないだろう。
そういえば亡くなった私の父親がこのCDを見て「気持ち悪い」と言っていたのを思い出す。
発売当時はレコード盤だったので、一辺が約30cmの大きさのジャケットで見たらもっと衝撃的だっただろう。そう、まだ時代はMP3どころかCDですら普及していなかったのである。ともあれ、ジャケットに関しては個人的にもあまり愛着はいまだに抱けないような気がする。
○初のセルフ・プロデュース作品という意義
初期の彼女を語る際に、共演したミュージシャンの豪華さを指摘されることが多い。小室哲哉や大江千里や岡村泰幸といった作家陣は言うまでもないが、本作より作曲家デビューする伊秩弘将はSPEEDを手掛けたことで有名になり、また編曲の西平彰は後に宇多田ヒカルとの仕事を残している。
しかし、そうした指摘は後付けというか、この頃の渡辺美里にとっては枝葉末節な要素だといえる。誰でも良かったというのは言い過ぎだろうが、この人が歌えばあとはどうでもいいという雰囲気が全盛期のこの人にはあった。それは彼女が敬愛するジャニス・ジョプリンと共通するものがある。ジャニスが初期に関わっていたバンドであるビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーはあまり高い技術が無かったと言われているけれど、それによってジャニスの歌手としての価値が薄れるものでもなかった。
過去2枚と本作が決定的に異なる点は、アルバムの「プロデューサー」として美里自身が名前を連ねたことである。それにともない本作の作詞は全て彼女自身の手によるものとなった。これは「歌手」としての役割にとどまらず「表現者・渡辺美里」という色合いも強く打ち出すことを意味している。それが本作で何よりも重要な点であると強調したい。
1曲目の“BOYS CRIED”から最後の“風になれたら”に至るまで、どこを切っても渡辺美里という世界観ができあがっている。私は音楽的知識がいまだに乏しいしプロデュースという行為も実際のところはよくわからないが、アルバムの隅々まで自分自身の色に染め上げるというのは「プロデュース」の一つの極北の姿であろう。
デビューの頃から周囲には、自分がしたいことは主張するように、と教えられてきたとどこかで語っていたことを思い出すが本作はそうした姿勢が見事に結実したものといえる。そんなこと考えると、彼女の顔が全面のジャケットもなんだか象徴的に思えてくる。
引き続き翌年に出る「ribbon」(88年)では、力強さを保ったままもっと鮮やかで開放的な世界を作り上げセールスも最高の結果を出すことになるが、もし渡辺美里を知りたいと思うなら「BREATH」と「ribbon」を聴けばだいたいのイメージは掴めるのではないだろうか。
一言でいえば、内に向かう「BREATH」、外に向かう「ribbon」というのが私の全体的なアルバムの印象である。
○当時の時代背景について
本作を語る際にはやはり当時の時代背景は切り離せないだろう。現在からすれば87年というのはバブル景気の絶頂というイメージになるだろうか。確かに調べてみれば、2月のNTT株上場にともなう「財テク」ブーム、6月には日経平均株価が2万5000円台へ突入し銀座の土地が1億円になるなどもこの年である。ただ、同年10月19日にはニューヨーク株式市場が大暴落する「ブラック・マンデー」と呼ばれる事件が起き、そうした状況は既にほころびを示していたが、90年代前半までは好景気が続いていく。
日本経済はそんな狂騒的な中で、特に努力をしなくても勝手に給料が上がっていくという現象が続いていた。それゆえ、いまでも根強い支持のある「良い大学に入って大企業に入れば一生安泰」という公式(ある時期まではそれは通用していた)がこの時代にできあがったといえよう。
しかし当時に少年時代を過ごしていた人間から見れば、そんなに明るいばかりでもなかったと記憶している。今はもう誰も騒ぐ話ではなくなったが、中学生が「いじめ」を苦に自殺したという事件が全国的に話題になったのは前年の1986年の2月のことだ。「受験戦争」という言葉も当時はよく聞いたものだが、エリートコースのレールに乗るために良い大学を入るという単一的な価値観に対して危機感を持った若者も少なくなかったのだろう。そうした時代を象徴するミュージシャンの一人が、例えば83年にデビューした尾崎豊だった。
両者は「女・尾崎」「男・美里」などと比較されていたらしいが、死のイメージがつきまとう尾崎と、格好悪いくらい生きることに執着している彼女とは方向性が全く違うと個人的は思う。ただ、当時の若者に対して歌を発信していたという点は共通するだろう。“BOYS CRIED”、“IT’S TOUGH”、“BORN TO SKIP”、“PAJAMA TIME”といった曲はそうした悩める青年のためのものであるように思えてならない。
○個々の楽曲について
(1)BOYS CRIED~あの時からかもしれない(作詞:MISATO、作曲:伊秩弘将、編曲:西平彰)
アルバムは、イントロと同時に美里の声がバーンと飛び出すこの曲から幕を開ける。冒頭から力いっぱいで初プロデュース作品の意気込みが強く感じられ、これまでの2作とは全く世界が築かれていることが一瞬でわかる。本作より参加の佐橋佳幸のアコースティック・ギターを軸にした音も新しい境地を切り開いている。
歌詞については、ニューヨークへ旅立つ好きな相手に思いを伝える、などと今までは勝手に解釈していたが改めて確認してみるとよくわからない内容だ。ただ一つ一つの言葉が率直かつ簡潔で、それがあの力強い歌声が重なると明確な世界が作り上げられていく。人によっては、ひねりが無いとか底が浅いといった見方をするかもしれないが、好き嫌いはともかくとしてこれはやはり天賦の才というものであろう。
曲名からして歌に登場するのは20代にいくかいかない青年であることは間違いない。
ただ、
<Like a child すべてを 信じてはいないよ>
と、子どもから大人になりつつある微妙な心情が歌詞にも表れている。
(2)HAPPY TOGETHER(作詞:MISATO、作曲・編曲:佐橋佳幸)
こちらは佐橋のエレキ・ギターを中心としたもので、作曲・編曲も彼が手がけている。ローリング・ストーンズあたりを意識したのだろうか、ブルースっぽい雰囲気の強いロック・ナンバーとなっている。DJ風の声、笑い声、手拍子、「ウー、ハー」と繰り返される擬音などが挿入されているが、こうした手法は以後の彼女の作品にもよく見られる。
これまでライブでは聴いたことはないが、かなり負担のかかる歌い方を終始している曲なので当然といえば当然かもしれない。
特に、
<みせかけだけのありふれたビートじゃまるで踊れやしない
だれでもみんな自由でいたいはずさ
Rocking ChairにKick! You can make me free!>
あたりの畳み掛けるような流れは、いまのこの人にはおそらく再現不可能だろう。若さと勢いと才能が作り上げたものともいえる。
それにしても、この部分の歌詞だけ見るとまるっきり佐野元春という感じだが、聴いている時には全くそんな印象は与えず完全に彼女の世界と化している。
(3)IT’S TOUGH(作詞:MISATO、作曲:伊秩弘将、編曲:西平彰)
先ほども触れたが、このアルバム唯一のシングル曲にしてヒット曲である。最近のライブで本作から披露されるものは極めて少ないが、これだけはよく取り上げられている。
神経質そうなキーボードの音と、「チュッ!チュッ!チュッ!・・・」というコーラスとの絡みで始まるイントロの部分は正直いまでもあまり好きにはなれない。ただ、曲間で何度も出てくるこのコーラスを聴いているうちに可愛らしく感じるようになった気がする。
これを書くために繰り返しアルバムを聴いて歌詞カードを読んでいたが、この曲に使われている言葉(「ウェイトレス」、「ノイズ」、「エゴ」、「スクラップ」、など)もまた佐野元春を連想してしまう。同じEPICソニーの出身とはいえ全く方向性の違う二人なので関連性など全く感じなかったが、今回そんなことを気づいてしまった。
歌を聴いている時はなんとなくはっきりした世界があるように錯覚してしまうが、この曲についても内容はそれほど明確なストーリー性があるわけではない。
ただ、
<Time is passing so fast
Hard times won’t last so long>
という一節は、悩み苦しむ時期などそんなに長くは続かないよ、と自分と同世代もしくは下の世代に投げかけているような気がする。
(4)MILK HALLでお会いしましょう(作詞:MISATO、作曲:佐橋佳幸、編曲:清水信之)
題名に出てくる「MILK HALL(ミルクホール)」とは、美里が通っていた東京都立松原高校そばにある(あった?)、夏の間だけ営業しているかき氷の店「ミルクホール石川」から取られている。
検索すると、店に関するブログが出てきた。
渡辺美里が愛したかき氷屋さん:ミルクホール石川
http://ice.hatenablog.jp/entry/20060911/1157929741
けっこう前の日記で「食べログ」の情報も途絶えがちなので、もう営業しているかどうかはわからない。それはともかく美里と佐橋、そして編曲の清水信之も松原高校の出身であり、それが縁で出来上がった曲なのだろう。そのためか歌詞には深刻さや苦悩を感じさせる表現も出てこないし、曲調も軽快なものになっている。
(5)BREATH(作詞:MISATO、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
ピアノとストリングス、そして吹奏楽器をバックにした7分を超えるバラード。レコード盤ではA面の最後を飾る曲だ。
力強くも抑制されて余裕のある歌いっぷりは全盛期の彼女ならではもので、流れるよう通して聴けるため実際ほどの長さは感じられない。
歌詞は少し大人っぽい世界を目指したように思えるが、
<くせのある文字 ゆずれない生き方も
曲がったえりも今のままでいて>
という一節は不器用な生き方をしている恋人への愛着を感じさせる。そしてそれはまた、歌っている本人の姿でもあるのだろう。
生で聴く機会はないと勝手に思っていたが、2000年に初めて西武ドームのライブに行った時にストリングスをバックに歌われた時の感動は今も生々しいものがある。
(6)RICHじゃなくても(作詞・作曲:MISATO、編曲:清水信之)
レコードB面の1曲目は、彼女の作品としては非常に珍しいスウィング・ジャズ調だ。アルバムの個々の楽曲を検討すれば音楽性はけっこう色々なものを並べているのがわかる。
ホーン・セクションをバックに、
<週末のチャイニーズカフェは
Richじゃなくても夢があふれている
ブローチ一つのドレスアップでも
小さなParty Swingしなきゃ意味がない>
という極めてストレートな世界が歌われる。特に「Swingしなきゃ意味がない」という部分はあまりにそのままで実にこの人らしい。しかしそれが凡庸な結果になっていないのは、やはり歌声の力が大きい。
ある時期までのライブではホーン隊を従えていたが、音的にも彼女の趣味嗜好が感じとれる1曲という気がする。
(7)BORN TO SKIP(作詞:MISATO、作曲:木根尚登、編曲:清水信之)
中国をイメージさせるメロディをもつこの曲は、アルバムで最も重要な曲かもしれない。勘違いかもしれないが、何かの本でこのアルバムについて「青春の痛み」と形容していたような記憶がある。この曲はまさにそうした内容で、非常に荒涼とした光景が続く。ぜひ歌詞は一読いただけばと思う。
http://petitlyrics.com/lyrics/23404
大人になっていくことへの不安や苦悩のようなものを凝縮した曲という気がするが、
<いい時代じゃないと ささやきかける大人(ヒト)達
僕達は今 この時代しか知らない>
という一節は特に秀逸で、大人の尺度ではどうにも理解できない思春期の青年の複雑な思いを見事に言い表していて未だに色褪せない響きがある。
ライブでも時おり披露される(今年の元日ライブでも歌われた)ので、彼女自身もそれなりに思い入れがある曲なのかもしれない。
(8)HERE COMES THE SUN(ビートルズに会えなかった)(作詞:MISATO、作曲:小室哲哉、編曲:西平彰)
美里が生まれた1966年にザ・ビートルズが来日を果たした。そういうわけで彼らに会う機会がなかったというテーマを歌っている。題名の“HERE COMES THE SUN”は実質的なラスト・アルバム「アビイ・ロード」(69年)の収録曲からとられている。
<12月に彼は星になった>
という一節は、1980年12月8日にジョン・レノンが射殺されたことを示している。
これもうろ覚えの記憶だが、93年(アルバム「BIG WAVE」が出たころ)の「月刊カドカワ」に載っていた彼女のインタビューで、私の世代はヒーローが不在なんです、というようなことを言っていたことを思い出す。そんな彼女のジェネレーション・ソングという気がする。
コーラスにはこの年の4月に発売された“Get Wild”でついにシングル・ヒットを出したTM-NETWORKの名前が載っている。楽曲もビートルズというよりTMの雰囲気となっている。
(9)PAJAMA TIME(作詞:MISATO、作曲:小室哲哉、編曲:清水信之)
小室哲哉が彼女に提供した曲で最も好きなのは“卒業”かこの“PAJAMA TIME”である。大ヒット曲“My Revolution”が一番有名であることに異論はないが、当時(86年)の私は小学4年生だった。よってリアル・タイムで聴いていたわけでもないし、正直にいえば、名曲とは思うものの、格別な思い入れは抱いていない。
無論このアルバムに入っている曲についても同時代でないし同じようなものなのだが、“Pajama Time”は別のところで私の記憶に残っている。アルバム「Lucky」(91年)で「信者」となった当時中学3年生の私は彼女に関する情報はいくらでもほしかった。その中で特に興味があったのはFM東京系のラジオ番組「渡辺美里の虹をみたかい」(放送期間は90年4月~93年3月)だった。しかし住んでいた地域(北海道登別市)はFM局の電波が届かないところだった。
それでも試しにある日の土曜の夜9時に窓際でラジオを持っていって周波数を合わせたら、あの“パイナップルロマンス”とイントロが流れて番組が聴こえてきたのである。夜中は電波が通りやすいことが奏功したのだ。
まだアルバムを全て揃えてなかった時でラジオで初めて知った曲がいくつかあったが、その一つがこれだった。寒さの厳しい北海道の冬の夜に、しかも窓際で聴いたこの曲はひときわ印象が残っている。そういうわけで、私にとってこの曲は冬のイメージと強く結びついている。
他の方の思い出も紹介したい。ネットでアルバムについての感想を探していたら、ライブ(99年の「うたの木オーケストラ」)でこの曲を聴いて、
<この河の流れが速すぎて 泳げない時は
この河の幅が広すぎて 渡れない時は
この河を飛べる大きな翼 今はないから
こぎ出せるボートを下さい>
という後半の部分で涙が出たというのを見つけた。私はこれを聴いて泣いた経験はないものの、最後の劇的な盛り上がり方は本当に見事だしなんとなくその気持ちはわかる。93年の「BIG WAVE TOUR」で初めて生で聴けた時は本当に嬉しかった。
本人も気に入っている作品のようで、リメイク・アルバムで再演されているしライブでも頻繁ではないが披露されてはいる。
(10)風になれたら(作詞:MISATO、作曲・編曲:佐橋佳幸)
アルバムの最後は佐橋のアコースティック・ギターを主体にした穏やかな曲で締めくくられる。ちなみに先ほど触れたラジオ番組「虹をみたかい」の前進が「風になれたら」(放送期間は87年10月~90年3月)という名前だった。
長い間このアルバムを聴いているが、この曲だけはなんだかアルバムでも異色だなあとなんとなく感じていた。その理由は歌詞を見ていて思ったが、むしろ次作「ribbon」に近い世界観だからという気がする。
一方、前年(86年10月22日)に発売されたシングル“BELIEVE”(オリコンで最高2位を記録)は本作に合っていると思うのだが、なぜか「ribbon」の方に収録されたのもなんとなく不思議だ。
「ふわり」、「ぽつり」、「くるり」、「ぽろん」と日本語らしい擬音が使われており、こうした表現も好きな人だなあと、いまさらながらに感じた次第である。
「BREATH」は1987年7月15日に発売された、渡辺美里の3枚目のアルバムである。オリコンでは週間1位、年間でも9位に入る大ヒットを記録した。87年5月2日に先行シングルとして発売された“IT’S TOUGH/BOYS CRIED(あの時からかもしれない)”も最高位2位のヒットとなっている。90万枚のセールスを記録した、と彼女の特集をしたラジオ番組で紹介された記憶がある。
○アルバム・ジャケットについて
彼女の顔が全面に映し出される異様なデザインは、キング・クリムゾンやU2のアルバムを参考にしたものらしい。クリムゾンはもちろん有名なファースト・アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」(69年)、U2については彼らの初期の代表作「WAR」(83年)で間違いないだろう。
そういえば亡くなった私の父親がこのCDを見て「気持ち悪い」と言っていたのを思い出す。
発売当時はレコード盤だったので、一辺が約30cmの大きさのジャケットで見たらもっと衝撃的だっただろう。そう、まだ時代はMP3どころかCDですら普及していなかったのである。ともあれ、ジャケットに関しては個人的にもあまり愛着はいまだに抱けないような気がする。
○初のセルフ・プロデュース作品という意義
初期の彼女を語る際に、共演したミュージシャンの豪華さを指摘されることが多い。小室哲哉や大江千里や岡村泰幸といった作家陣は言うまでもないが、本作より作曲家デビューする伊秩弘将はSPEEDを手掛けたことで有名になり、また編曲の西平彰は後に宇多田ヒカルとの仕事を残している。
しかし、そうした指摘は後付けというか、この頃の渡辺美里にとっては枝葉末節な要素だといえる。誰でも良かったというのは言い過ぎだろうが、この人が歌えばあとはどうでもいいという雰囲気が全盛期のこの人にはあった。それは彼女が敬愛するジャニス・ジョプリンと共通するものがある。ジャニスが初期に関わっていたバンドであるビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーはあまり高い技術が無かったと言われているけれど、それによってジャニスの歌手としての価値が薄れるものでもなかった。
過去2枚と本作が決定的に異なる点は、アルバムの「プロデューサー」として美里自身が名前を連ねたことである。それにともない本作の作詞は全て彼女自身の手によるものとなった。これは「歌手」としての役割にとどまらず「表現者・渡辺美里」という色合いも強く打ち出すことを意味している。それが本作で何よりも重要な点であると強調したい。
1曲目の“BOYS CRIED”から最後の“風になれたら”に至るまで、どこを切っても渡辺美里という世界観ができあがっている。私は音楽的知識がいまだに乏しいしプロデュースという行為も実際のところはよくわからないが、アルバムの隅々まで自分自身の色に染め上げるというのは「プロデュース」の一つの極北の姿であろう。
デビューの頃から周囲には、自分がしたいことは主張するように、と教えられてきたとどこかで語っていたことを思い出すが本作はそうした姿勢が見事に結実したものといえる。そんなこと考えると、彼女の顔が全面のジャケットもなんだか象徴的に思えてくる。
引き続き翌年に出る「ribbon」(88年)では、力強さを保ったままもっと鮮やかで開放的な世界を作り上げセールスも最高の結果を出すことになるが、もし渡辺美里を知りたいと思うなら「BREATH」と「ribbon」を聴けばだいたいのイメージは掴めるのではないだろうか。
一言でいえば、内に向かう「BREATH」、外に向かう「ribbon」というのが私の全体的なアルバムの印象である。
○当時の時代背景について
本作を語る際にはやはり当時の時代背景は切り離せないだろう。現在からすれば87年というのはバブル景気の絶頂というイメージになるだろうか。確かに調べてみれば、2月のNTT株上場にともなう「財テク」ブーム、6月には日経平均株価が2万5000円台へ突入し銀座の土地が1億円になるなどもこの年である。ただ、同年10月19日にはニューヨーク株式市場が大暴落する「ブラック・マンデー」と呼ばれる事件が起き、そうした状況は既にほころびを示していたが、90年代前半までは好景気が続いていく。
日本経済はそんな狂騒的な中で、特に努力をしなくても勝手に給料が上がっていくという現象が続いていた。それゆえ、いまでも根強い支持のある「良い大学に入って大企業に入れば一生安泰」という公式(ある時期まではそれは通用していた)がこの時代にできあがったといえよう。
しかし当時に少年時代を過ごしていた人間から見れば、そんなに明るいばかりでもなかったと記憶している。今はもう誰も騒ぐ話ではなくなったが、中学生が「いじめ」を苦に自殺したという事件が全国的に話題になったのは前年の1986年の2月のことだ。「受験戦争」という言葉も当時はよく聞いたものだが、エリートコースのレールに乗るために良い大学を入るという単一的な価値観に対して危機感を持った若者も少なくなかったのだろう。そうした時代を象徴するミュージシャンの一人が、例えば83年にデビューした尾崎豊だった。
両者は「女・尾崎」「男・美里」などと比較されていたらしいが、死のイメージがつきまとう尾崎と、格好悪いくらい生きることに執着している彼女とは方向性が全く違うと個人的は思う。ただ、当時の若者に対して歌を発信していたという点は共通するだろう。“BOYS CRIED”、“IT’S TOUGH”、“BORN TO SKIP”、“PAJAMA TIME”といった曲はそうした悩める青年のためのものであるように思えてならない。
○個々の楽曲について
(1)BOYS CRIED~あの時からかもしれない(作詞:MISATO、作曲:伊秩弘将、編曲:西平彰)
アルバムは、イントロと同時に美里の声がバーンと飛び出すこの曲から幕を開ける。冒頭から力いっぱいで初プロデュース作品の意気込みが強く感じられ、これまでの2作とは全く世界が築かれていることが一瞬でわかる。本作より参加の佐橋佳幸のアコースティック・ギターを軸にした音も新しい境地を切り開いている。
歌詞については、ニューヨークへ旅立つ好きな相手に思いを伝える、などと今までは勝手に解釈していたが改めて確認してみるとよくわからない内容だ。ただ一つ一つの言葉が率直かつ簡潔で、それがあの力強い歌声が重なると明確な世界が作り上げられていく。人によっては、ひねりが無いとか底が浅いといった見方をするかもしれないが、好き嫌いはともかくとしてこれはやはり天賦の才というものであろう。
曲名からして歌に登場するのは20代にいくかいかない青年であることは間違いない。
ただ、
<Like a child すべてを 信じてはいないよ>
と、子どもから大人になりつつある微妙な心情が歌詞にも表れている。
(2)HAPPY TOGETHER(作詞:MISATO、作曲・編曲:佐橋佳幸)
こちらは佐橋のエレキ・ギターを中心としたもので、作曲・編曲も彼が手がけている。ローリング・ストーンズあたりを意識したのだろうか、ブルースっぽい雰囲気の強いロック・ナンバーとなっている。DJ風の声、笑い声、手拍子、「ウー、ハー」と繰り返される擬音などが挿入されているが、こうした手法は以後の彼女の作品にもよく見られる。
これまでライブでは聴いたことはないが、かなり負担のかかる歌い方を終始している曲なので当然といえば当然かもしれない。
特に、
<みせかけだけのありふれたビートじゃまるで踊れやしない
だれでもみんな自由でいたいはずさ
Rocking ChairにKick! You can make me free!>
あたりの畳み掛けるような流れは、いまのこの人にはおそらく再現不可能だろう。若さと勢いと才能が作り上げたものともいえる。
それにしても、この部分の歌詞だけ見るとまるっきり佐野元春という感じだが、聴いている時には全くそんな印象は与えず完全に彼女の世界と化している。
(3)IT’S TOUGH(作詞:MISATO、作曲:伊秩弘将、編曲:西平彰)
先ほども触れたが、このアルバム唯一のシングル曲にしてヒット曲である。最近のライブで本作から披露されるものは極めて少ないが、これだけはよく取り上げられている。
神経質そうなキーボードの音と、「チュッ!チュッ!チュッ!・・・」というコーラスとの絡みで始まるイントロの部分は正直いまでもあまり好きにはなれない。ただ、曲間で何度も出てくるこのコーラスを聴いているうちに可愛らしく感じるようになった気がする。
これを書くために繰り返しアルバムを聴いて歌詞カードを読んでいたが、この曲に使われている言葉(「ウェイトレス」、「ノイズ」、「エゴ」、「スクラップ」、など)もまた佐野元春を連想してしまう。同じEPICソニーの出身とはいえ全く方向性の違う二人なので関連性など全く感じなかったが、今回そんなことを気づいてしまった。
歌を聴いている時はなんとなくはっきりした世界があるように錯覚してしまうが、この曲についても内容はそれほど明確なストーリー性があるわけではない。
ただ、
<Time is passing so fast
Hard times won’t last so long>
という一節は、悩み苦しむ時期などそんなに長くは続かないよ、と自分と同世代もしくは下の世代に投げかけているような気がする。
(4)MILK HALLでお会いしましょう(作詞:MISATO、作曲:佐橋佳幸、編曲:清水信之)
題名に出てくる「MILK HALL(ミルクホール)」とは、美里が通っていた東京都立松原高校そばにある(あった?)、夏の間だけ営業しているかき氷の店「ミルクホール石川」から取られている。
検索すると、店に関するブログが出てきた。
渡辺美里が愛したかき氷屋さん:ミルクホール石川
http://ice.hatenablog.jp/entry/20060911/1157929741
けっこう前の日記で「食べログ」の情報も途絶えがちなので、もう営業しているかどうかはわからない。それはともかく美里と佐橋、そして編曲の清水信之も松原高校の出身であり、それが縁で出来上がった曲なのだろう。そのためか歌詞には深刻さや苦悩を感じさせる表現も出てこないし、曲調も軽快なものになっている。
(5)BREATH(作詞:MISATO、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
ピアノとストリングス、そして吹奏楽器をバックにした7分を超えるバラード。レコード盤ではA面の最後を飾る曲だ。
力強くも抑制されて余裕のある歌いっぷりは全盛期の彼女ならではもので、流れるよう通して聴けるため実際ほどの長さは感じられない。
歌詞は少し大人っぽい世界を目指したように思えるが、
<くせのある文字 ゆずれない生き方も
曲がったえりも今のままでいて>
という一節は不器用な生き方をしている恋人への愛着を感じさせる。そしてそれはまた、歌っている本人の姿でもあるのだろう。
生で聴く機会はないと勝手に思っていたが、2000年に初めて西武ドームのライブに行った時にストリングスをバックに歌われた時の感動は今も生々しいものがある。
(6)RICHじゃなくても(作詞・作曲:MISATO、編曲:清水信之)
レコードB面の1曲目は、彼女の作品としては非常に珍しいスウィング・ジャズ調だ。アルバムの個々の楽曲を検討すれば音楽性はけっこう色々なものを並べているのがわかる。
ホーン・セクションをバックに、
<週末のチャイニーズカフェは
Richじゃなくても夢があふれている
ブローチ一つのドレスアップでも
小さなParty Swingしなきゃ意味がない>
という極めてストレートな世界が歌われる。特に「Swingしなきゃ意味がない」という部分はあまりにそのままで実にこの人らしい。しかしそれが凡庸な結果になっていないのは、やはり歌声の力が大きい。
ある時期までのライブではホーン隊を従えていたが、音的にも彼女の趣味嗜好が感じとれる1曲という気がする。
(7)BORN TO SKIP(作詞:MISATO、作曲:木根尚登、編曲:清水信之)
中国をイメージさせるメロディをもつこの曲は、アルバムで最も重要な曲かもしれない。勘違いかもしれないが、何かの本でこのアルバムについて「青春の痛み」と形容していたような記憶がある。この曲はまさにそうした内容で、非常に荒涼とした光景が続く。ぜひ歌詞は一読いただけばと思う。
http://petitlyrics.com/lyrics/23404
大人になっていくことへの不安や苦悩のようなものを凝縮した曲という気がするが、
<いい時代じゃないと ささやきかける大人(ヒト)達
僕達は今 この時代しか知らない>
という一節は特に秀逸で、大人の尺度ではどうにも理解できない思春期の青年の複雑な思いを見事に言い表していて未だに色褪せない響きがある。
ライブでも時おり披露される(今年の元日ライブでも歌われた)ので、彼女自身もそれなりに思い入れがある曲なのかもしれない。
(8)HERE COMES THE SUN(ビートルズに会えなかった)(作詞:MISATO、作曲:小室哲哉、編曲:西平彰)
美里が生まれた1966年にザ・ビートルズが来日を果たした。そういうわけで彼らに会う機会がなかったというテーマを歌っている。題名の“HERE COMES THE SUN”は実質的なラスト・アルバム「アビイ・ロード」(69年)の収録曲からとられている。
<12月に彼は星になった>
という一節は、1980年12月8日にジョン・レノンが射殺されたことを示している。
これもうろ覚えの記憶だが、93年(アルバム「BIG WAVE」が出たころ)の「月刊カドカワ」に載っていた彼女のインタビューで、私の世代はヒーローが不在なんです、というようなことを言っていたことを思い出す。そんな彼女のジェネレーション・ソングという気がする。
コーラスにはこの年の4月に発売された“Get Wild”でついにシングル・ヒットを出したTM-NETWORKの名前が載っている。楽曲もビートルズというよりTMの雰囲気となっている。
(9)PAJAMA TIME(作詞:MISATO、作曲:小室哲哉、編曲:清水信之)
小室哲哉が彼女に提供した曲で最も好きなのは“卒業”かこの“PAJAMA TIME”である。大ヒット曲“My Revolution”が一番有名であることに異論はないが、当時(86年)の私は小学4年生だった。よってリアル・タイムで聴いていたわけでもないし、正直にいえば、名曲とは思うものの、格別な思い入れは抱いていない。
無論このアルバムに入っている曲についても同時代でないし同じようなものなのだが、“Pajama Time”は別のところで私の記憶に残っている。アルバム「Lucky」(91年)で「信者」となった当時中学3年生の私は彼女に関する情報はいくらでもほしかった。その中で特に興味があったのはFM東京系のラジオ番組「渡辺美里の虹をみたかい」(放送期間は90年4月~93年3月)だった。しかし住んでいた地域(北海道登別市)はFM局の電波が届かないところだった。
それでも試しにある日の土曜の夜9時に窓際でラジオを持っていって周波数を合わせたら、あの“パイナップルロマンス”とイントロが流れて番組が聴こえてきたのである。夜中は電波が通りやすいことが奏功したのだ。
まだアルバムを全て揃えてなかった時でラジオで初めて知った曲がいくつかあったが、その一つがこれだった。寒さの厳しい北海道の冬の夜に、しかも窓際で聴いたこの曲はひときわ印象が残っている。そういうわけで、私にとってこの曲は冬のイメージと強く結びついている。
他の方の思い出も紹介したい。ネットでアルバムについての感想を探していたら、ライブ(99年の「うたの木オーケストラ」)でこの曲を聴いて、
<この河の流れが速すぎて 泳げない時は
この河の幅が広すぎて 渡れない時は
この河を飛べる大きな翼 今はないから
こぎ出せるボートを下さい>
という後半の部分で涙が出たというのを見つけた。私はこれを聴いて泣いた経験はないものの、最後の劇的な盛り上がり方は本当に見事だしなんとなくその気持ちはわかる。93年の「BIG WAVE TOUR」で初めて生で聴けた時は本当に嬉しかった。
本人も気に入っている作品のようで、リメイク・アルバムで再演されているしライブでも頻繁ではないが披露されてはいる。
(10)風になれたら(作詞:MISATO、作曲・編曲:佐橋佳幸)
アルバムの最後は佐橋のアコースティック・ギターを主体にした穏やかな曲で締めくくられる。ちなみに先ほど触れたラジオ番組「虹をみたかい」の前進が「風になれたら」(放送期間は87年10月~90年3月)という名前だった。
長い間このアルバムを聴いているが、この曲だけはなんだかアルバムでも異色だなあとなんとなく感じていた。その理由は歌詞を見ていて思ったが、むしろ次作「ribbon」に近い世界観だからという気がする。
一方、前年(86年10月22日)に発売されたシングル“BELIEVE”(オリコンで最高2位を記録)は本作に合っていると思うのだが、なぜか「ribbon」の方に収録されたのもなんとなく不思議だ。
「ふわり」、「ぽつり」、「くるり」、「ぽろん」と日本語らしい擬音が使われており、こうした表現も好きな人だなあと、いまさらながらに感じた次第である。
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