橋下「大阪都構想」はどこまで本気だったのか
2015年5月20日 時事ニュース先日の日曜日におこなわれた大阪都構想の是非をめぐる住民投票は、0.77パーセントという僅差で否決という結果になった。正直いってほとんど関心をもっていなかったのだが、ギリギリで賛成される、というような予測が午後9時ごろ入ってきた時には「これは面白そう」とTwitterで投票速報を逐一確認し、橋下市長と松井知事の会見もリアルタイムで観てもいた。
これほど僅かな差しか開かなかったのに、誰が悪いとか原因だとか、と犯人探しのような「分析」が目につくのには閉口する。わからないものはわからないとしか言えないだろうし、それが本当の意味で誠実な態度だと思うのだが。
そんなことを言っている私自身はまさに野次馬である。ただ、野次馬なりに今回の件について頭に浮かんだことがあるので記してみたい。
それは、橋下市長がこの「大阪都構想」をどれくらい本気で実現させたいと思っていたのか、という疑問である。
まず、掲げていた都構想というものの具体的な中身が大阪府民へ十分に浸透していたのか、というのがある。都構想という言葉はずいぶん前から橋下さんがくり返し主張していた記憶があるが、内容についてあれこれ言われ出したのは住民説明会などをおこなってきた辺りからではないだろうか。私などは、首都機能を大阪へ持ってくるようなもの?と思っていたほどである。当方の不勉強さは措いておくとしても、住民投票で是非を問う内容としては熟慮する時間が足りなかったような気がする。
そして、これは結果論になるのかもしれないが、勝とうと思えば勝てたのではないか?という疑問である。見ての通り、投票率からすれば1パーセントにも満たない差での「敗北」である。もう少し戦略的に、などといったら失礼かもしれないが、勝つための方策を加えたらどうにかなったのではと思わずにはいられない。
そもそも大阪の将来を問う一大事について、自民党から共産党までが一丸となるまでに拒否され、堺市など周辺都市からも思いきり反対される状況でどこまで勝機が見出せるのか。それでも惜敗というところだったのだから、一つの政党なり市なりと妥協点を探って共闘すれば簡単に賛成多数の至ったのではないだろうか。
もちろん門外漢の戯言であるのだが、そんな疑念を強く抱いてしまったのはあの橋下市長の投票結果が出た直後の記者会見を観たからなのだろう。
記者会見の全文はこちら。
http://logmi.jp/59213
あのような極僅かな差での敗北であったのでどれほど苦しいコメントが飛び出すかと予測していたら、
<いやーこれは僕自身に対する批判もあるだろうし、やっぱりその僕自身の力不足ということになると思いますね。>
<今日もこういう舞台で、こういう住民投票の結果で辞めさせてもらうと言わせてもらうなんて、本当に納税者のみなさんには申し訳ないですけど、大変ありがたい、本当に幸せな7年半だったなと思います。>
<僕みたいな政治家が長くやる世の中は危険です。みんなから好かれる、敵がいない政治家が本来政治をやらなきゃいけないわけで、敵を作る政治家は本当にワンポイントリリーフで、求められている時期にだけ必要とされて、いらなくなれば交代と。>
未練のカケラも見られず、完全に彼の引退会見と化していた。しかし66.83%という高い投票率でこの結果を受けて・・・人間はこんなに割り切れるものなのか?と個人的には少なからず違和感を抱いたものである。
もしかしたら、どこかの時点で橋下市長は住民投票が否決されると確信したのではないのだろうか。むしろ賛成票があれほど伸びることの方が意外だったのかもしれない。そんな仮説を立ててみれば、あの清々しいまでに晴れやかな記者会見も筋が通っているようにも見えてくる。もう引退する立場からすれば、あれほど「最高の結果」も無いわけだから。
橋下市長が半年後の任期満了をもって政治家を引退する、という発言に対して安堵している人も少なくはない。橋下氏が大阪に混乱と停滞しかもたらさなかった、というような声も見たが、選挙の投票率の高さひとつ取ってみてもそれは大雑把な見方だろう。いわゆる「ハシズム」がもたらしたものの検証についてはこれから嫌でもせざるをえなくなるから、それを待ちたい。
ただ間違いないのは、民主党フィーバーが終わった後の国政のように、大阪府民の政治に対する関心もこれからはグッと低下するだろう。改革は宙ぶらりんとなり、手つかずになったものはそのまま残っていく。しかしそれは府民が選択したものだ・・・という理屈はいちおう成り立つ。 賛成票を投じた70万人近くの思いは果たしてどう結実されるのだろうか。
そして、これもたぶん確かだと思うが、Twitterで批判者をバカバカ罵倒していたことを含めて、あそこまで大阪にエネルギーを費やす人は将来出てこないだろう。そんな人が政治家を辞めて弁護士やタレントなどの個人的活動にエネルギーが向かってしまうのはなんだか惜しい気がしないでもない。
そういえば、かつて西川のりお氏が毎日新聞(2013年06月14日大阪朝刊)にて、
<橋下さんってなんでも物事をing(進行形)の状態にしてる。次から次へ包装紙破っては、中身を並べるだけなんです。ところが、市民府民はやってくれたように受け取る。最後まで見届けてない。この先、都構想も、市営交通の民営化も、全部ingで終わるでしょう。完全にやり遂げたことってこれまでもほとんどない。発信力でもってるんです。>
という指摘は現実のものになったといえる。
これほど僅かな差しか開かなかったのに、誰が悪いとか原因だとか、と犯人探しのような「分析」が目につくのには閉口する。わからないものはわからないとしか言えないだろうし、それが本当の意味で誠実な態度だと思うのだが。
そんなことを言っている私自身はまさに野次馬である。ただ、野次馬なりに今回の件について頭に浮かんだことがあるので記してみたい。
それは、橋下市長がこの「大阪都構想」をどれくらい本気で実現させたいと思っていたのか、という疑問である。
まず、掲げていた都構想というものの具体的な中身が大阪府民へ十分に浸透していたのか、というのがある。都構想という言葉はずいぶん前から橋下さんがくり返し主張していた記憶があるが、内容についてあれこれ言われ出したのは住民説明会などをおこなってきた辺りからではないだろうか。私などは、首都機能を大阪へ持ってくるようなもの?と思っていたほどである。当方の不勉強さは措いておくとしても、住民投票で是非を問う内容としては熟慮する時間が足りなかったような気がする。
そして、これは結果論になるのかもしれないが、勝とうと思えば勝てたのではないか?という疑問である。見ての通り、投票率からすれば1パーセントにも満たない差での「敗北」である。もう少し戦略的に、などといったら失礼かもしれないが、勝つための方策を加えたらどうにかなったのではと思わずにはいられない。
そもそも大阪の将来を問う一大事について、自民党から共産党までが一丸となるまでに拒否され、堺市など周辺都市からも思いきり反対される状況でどこまで勝機が見出せるのか。それでも惜敗というところだったのだから、一つの政党なり市なりと妥協点を探って共闘すれば簡単に賛成多数の至ったのではないだろうか。
もちろん門外漢の戯言であるのだが、そんな疑念を強く抱いてしまったのはあの橋下市長の投票結果が出た直後の記者会見を観たからなのだろう。
記者会見の全文はこちら。
http://logmi.jp/59213
あのような極僅かな差での敗北であったのでどれほど苦しいコメントが飛び出すかと予測していたら、
<いやーこれは僕自身に対する批判もあるだろうし、やっぱりその僕自身の力不足ということになると思いますね。>
<今日もこういう舞台で、こういう住民投票の結果で辞めさせてもらうと言わせてもらうなんて、本当に納税者のみなさんには申し訳ないですけど、大変ありがたい、本当に幸せな7年半だったなと思います。>
<僕みたいな政治家が長くやる世の中は危険です。みんなから好かれる、敵がいない政治家が本来政治をやらなきゃいけないわけで、敵を作る政治家は本当にワンポイントリリーフで、求められている時期にだけ必要とされて、いらなくなれば交代と。>
未練のカケラも見られず、完全に彼の引退会見と化していた。しかし66.83%という高い投票率でこの結果を受けて・・・人間はこんなに割り切れるものなのか?と個人的には少なからず違和感を抱いたものである。
もしかしたら、どこかの時点で橋下市長は住民投票が否決されると確信したのではないのだろうか。むしろ賛成票があれほど伸びることの方が意外だったのかもしれない。そんな仮説を立ててみれば、あの清々しいまでに晴れやかな記者会見も筋が通っているようにも見えてくる。もう引退する立場からすれば、あれほど「最高の結果」も無いわけだから。
橋下市長が半年後の任期満了をもって政治家を引退する、という発言に対して安堵している人も少なくはない。橋下氏が大阪に混乱と停滞しかもたらさなかった、というような声も見たが、選挙の投票率の高さひとつ取ってみてもそれは大雑把な見方だろう。いわゆる「ハシズム」がもたらしたものの検証についてはこれから嫌でもせざるをえなくなるから、それを待ちたい。
ただ間違いないのは、民主党フィーバーが終わった後の国政のように、大阪府民の政治に対する関心もこれからはグッと低下するだろう。改革は宙ぶらりんとなり、手つかずになったものはそのまま残っていく。しかしそれは府民が選択したものだ・・・という理屈はいちおう成り立つ。 賛成票を投じた70万人近くの思いは果たしてどう結実されるのだろうか。
そして、これもたぶん確かだと思うが、Twitterで批判者をバカバカ罵倒していたことを含めて、あそこまで大阪にエネルギーを費やす人は将来出てこないだろう。そんな人が政治家を辞めて弁護士やタレントなどの個人的活動にエネルギーが向かってしまうのはなんだか惜しい気がしないでもない。
そういえば、かつて西川のりお氏が毎日新聞(2013年06月14日大阪朝刊)にて、
<橋下さんってなんでも物事をing(進行形)の状態にしてる。次から次へ包装紙破っては、中身を並べるだけなんです。ところが、市民府民はやってくれたように受け取る。最後まで見届けてない。この先、都構想も、市営交通の民営化も、全部ingで終わるでしょう。完全にやり遂げたことってこれまでもほとんどない。発信力でもってるんです。>
という指摘は現実のものになったといえる。
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