11月13日にパリで勃発したテロは120人以上の犠牲者を出し、そのニュースは海外にも衝撃を与えた。我が国でもこの話題は大きくマスコミで取りあげられSNSにも目に付くようになる。そしてしばらくすると、Facebookのプロフィール写真がトリコロール(フランス国旗)仕様になっている人たちに目がついた。

個人的にはこのような動きに何の関心も抱いていないし、トリコロールを掲げる是非についても興味はわかない。ただ、ある人の意見が目に止まった時、

「それはダメでしょう」

という強烈な思いにとらわれてしまった。

残念ながら今になって情報ソースを特定することはできなくなってしまったが、プロフィール写真をトリコロールにしたことに対してあれこれ書いてくる人がいるが余計なお世話だ、というようなFacebookの投稿だった。

これを書いた人はつまり「自分の行為に対して批判をするな」と言っているわけである。

正直言って、こんなことを書く人がSNSを利用しているという事実が信じられない。こうした人はFacebookで実名投稿などするのは止めた方がいいだろう。近い将来に必ず痛い目に遭うからだ。そして「Facebookは最悪だ!」などとSNSを見当違いに「批判」するに違いない。そこにはSNSという世界の中で自分の意見を表明するという行為がどれほど危険かという自覚が全くないのだ。

過去も似たようなことを書いているので、こうした話題をうんぬんするのも何だか馬鹿らしくなってきた、そこで結論だけ書くが、

「何か意見を表明するという行為は、その行為に対して批判される危険が常にともなう」

ということである。

余計なお世話うんぬんと言っている人はおそらく、自分の行為が「100%正しい」と思い込んでいるに違いない。それゆえ「批判」などされるはずがないと感じるのだろう。だが冷静に考えると、世の中に「100%正しい」ことなど、そうはない。人はいずれ死ぬ、とかそんなレベルのものくらいではないだろうか。ましてや一個人の思い込みなど穴だらけで突っ込みどころ満載である。

万が一、「100%正しい」意見があったとしても、それを表明する「行為そのもの」に対して気にいらないと感じる人も世の中にはいる。「出る杭は打たれる」とはそういう意味のことわざなのだろう。

私はいちおう10年以上ブログを続けているが、ネットにおける人とのやりとりで実に嫌な経験をしていることもあり、こう見えて書く内容にはかなり慎重である。平たく言えば、読んだ人の9割が「そりゃ、そうだ」と感じるようなことしか書かないようにしているのである。

「コピペも出来ないのに年収1000万をもらっている会社員など産廃レベルである」

「モッシュやダイブは危険行為・迷惑行為であり、そんなことをする連中はクズである」

というような具合だ。原発問題とか安保といった「国を二分する」ような問題など扱わない。それゆえ、まともな批判などされたこともないし、まして「炎上」などありえない。それは仕事などでも同じスタンスである。

だから私が言われることといえば、

「あいつは『悪口』ばかり言う『嫌な奴』だ」

というような無意味な道徳論だけである。

繰り返すが私自身はトリコロールについて特に思うところはない。ただ、外に向けて何かを表明するのであれば1つや2つ「批判」めいたコメントが書き込まれることくらい念頭におくべきだろう。そんなことを望まないのであれば、SNSで実名や顔写真を出すということも極めて危ない行為と認識してもらえたらと願う。

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