マイケル・ジャクソンがまだ50歳という年齢で急逝した。1億枚以上も売れたと言われるアルバム「スリラー」(82年)すら持っていない私は、彼についての思い入れというのは皆無である。だから正直いって、今回の件で特にショックを受けたということはない。

しかしながら、彼について今でもずっと頭に残っている話が一つだけある。それはマイケル自身の発言ではなく、ラッパーのスヌープ・ドッグ(当時はスヌープ・ドギー・ドッグという芸名だった)が何かの雑誌で語っていたことだった。

スヌープはギャングの一員として幼少期を過ごしたラッパーで、デビューアルバム「ドギー・スタイル」(93年)の発売直前には殺人容疑をかけられるなど、衝撃的な登場をした人である。そして「ドギー・スタイル」は大ヒットを記録した。

そんな彼がどこかでインタビューで言っていたことが今でも忘れられない。正確な引用はできないが、こんな感じの発言だった。

「世界は黒人を引きすり下ろすようにできてるんだ。マイケル・ジャクソンを見てみろよ。」

この発言を見たとき、黒人にとってのマイケル・ジャクソンとはこういう存在だったのか、とけっこう衝撃を受けたものである。黒人が社会で成功するとどのような仕打ちを受けるか。急激にスターとなったスヌープは、マイケルの姿を自分と重ね合わせたのだろう。彼の発言からそんなことを感じたのである。

さまざまな奇行やスキャンダルがやたらと取り上げられ、生前はめちゃめちゃに叩かれていた感のあるマイケルだが、もし彼が黒人でなかったとしたらあれほどの目には遭っていなかったのではないか。なんとなく私はそのように思っている。

マイケルが亡くなってから出てくるのは、その死を惜しむ声や美談ばかりである。しかし私としては、黒人の立場から彼の死はどのように受け止められているのか、その辺を知りたい気がする。
我慢できない。買ってやる。
明日は待ちに待った給料日である。だからというわけでもないけれど、CDを1枚買うことに決めた。

買おうと思ったのは「Astral Weeks: Live at the Hollywood Bowl 」というアルバムである。ヴァン・モリソンのファンならば説明不要だけれど、昨年ハリウッドで開催された、アルバム「アストラル・ウイークス」(68年)の全曲を披露するライブの模様を収録したCDだ。

すぐ輸入盤を入手した方は2月11日にはmixiで感想を書いている。しかし私は、「国内盤が出るまで様子を見ようかな」などという思いが頭をよぎってしまった。しかしながら、ベスト・アルバムすらまともに国内盤が出ないミュージシャンのライブ・アルバムなど果たして国内盤はあるのだろうか。そうした不安が高まるばかりだった。

もうこれ以上は我慢できない。そういう気持ちに駆られ、さきほどアマゾンのサイトでクリックをしてしまった。価格は手数料を入れて2324円だ。しばらくしたら最寄りのローソンに届くだろう。

聴いたらまた感想を記したい。
鈴木茂が大麻所持で逮捕というニュースはネットでも大きく取り上げられていた。
いまだに元「はっぴいえんど」(活動していたのは1970年から72年末。いまから35年以上も前だ)という紹介をされているのは悲しいけれど、このバンドにも彼にもたいして思い入れがない私にとっては重大な事件でもない。最初はそう思っていた。

だがポニーキャニオン、キングレコード、日本クラウンの各社が、鈴木のアルバム以外に、はっぴいえんど、ティン・パン・アレーなど、彼が参加しているアルバムにまで出荷停止するという話を聞いたときには非常にショックを受ける。

そもそも、ミュージシャンが事件事故をおこしたからという理由で、その人の関わった作品の発売を止めることにどれほど意味があるのだろうか。レコード会社の説明も納得がいくものはない。「JCASTニュース」というところの記事によればこうだ(09年2月19日)

「社内で協議した結果で、ホームページで書かせていただいたことがすべてです。音楽の歴史的価値は重々分かっており、残念な思いはありますが、刑事事件になりましたので致し方ないと思っています」(ポニーキャニオン)

「過剰反応ということではなく、世間をお騒がせした状況を考慮したということです」(キングレコード)

「特別にお答えすることはありません」(日本クラウン)

鈴木本人のみならず、一緒に作品を作ったミュージシャン、およびそのファンが一方的に不利益を受けただけではないだろうか。

ところで警視庁のまとめによれば、昨年(08年)の1年間における大麻取締法違反容疑で検挙されたのは2778人だ。これは昨年より507人増で、統計開始(1956年)以来、過去最高の数字である。麻薬汚染は日本国内でも深刻な問題になっているのは間違いない。

しかしながら、ミュージシャンだからといって不必要に社会的制裁を加えられるのは行き過ぎだ。大麻所持の刑罰は5年以下の懲役、初犯ならば2年で執行猶予が一般的だという。刑事罰を受ければそれで十分ではないか。赤の他人がどうこう言う話ではない。

たぶん、レコード会社がミュージシャンに余計な罰を与えることに私は最も憤慨しているのだと思う。だが、ジャニス・ジョプリンやジミ・ヘンドリックスやジム・モリソン(ザ・ドアーズ)といったドラッグで亡くなったミュージシャンに対するレコード会社の扱いはどうだろう。まるで神か仏ではないか。こうした人たちの作品で商売をすることについて全く非難するつもりはない。しかし、今回のようなCDの出荷停止をする姿勢とは全く結びつかないというほかない。
今年はライブに行く回数を控えると公言しているけれど、CDの買う数もいつのころかグッと減っていた。もともと時代とか流行を追いかけるのが好きな人間ではないので仕方ないけれど、最近は敬愛するヴァン・モリソンのごとく大昔のブルースやソウルのような音楽ばかり聴く生活を送っている。

しかし「これは買わねば!」と思わせるCDが来月に出ることとなった。なんと、あのフリクション(Friction)が新作を発売するというのだ。前作「Zone Tripper」(95年)以来、実に14年ぶりのアルバムである。

中村達也(ドラムス)と2人だけという特殊な編成でレックがフリクションの活動を再開したのは2006年のことである。もうこれが最後だろうと勝手に思っていた私は渋谷クアトロまで駆けつけて彼らのライブを体験した。しかし予想に反して、ライジング・サンやフジ・ロックなどのフェスティバルにも出演するなど活動はどんどん積極的になる。そして、大阪の心斎橋クラブクアトロで2回目のライブを観る機会もできた。

その時のライブの感想を書く機会を逃していたけれど、ステージに立つレックと中村の姿が実に楽しそうだったのが個人的に印象深かった。CDで体験していた鬼気迫る緊張感やテンションばかりでなかったので、自分の中にあった彼らのイメージが良い意味で壊されることとなった。

イギー・ポップやローリング・ストーンズのカバーなども収録されている「DEEPERS」と名付けられた新作は、いままでには無かったフリクションの姿が捉えられているものと密かに期待している。

1月28日に発売する予定だったヴァン・モリソンの紙ジャケットCDシリーズが急遽中止になったのは、先日書いた通りである。

にもかかわらず、Amazon.co.jpからは、

〈ヴァン・モリソンの『ハウ・ロング・ハズ・ディス・ビーン・ゴーイング・オン+2(紙ジャケット仕様)』、Amazon.co.jpでお求めいただけます〉(1月21日)

〈ヴァン・モリソンの『ポエティック・チャンピオン・コンポーズ+2(紙ジャケット仕様)』、Amazon.co.jpでお求めいただけます〉(1月22日)

〈ヴァン・モリソンの『オーディナリー・ライフ+2(紙ジャケット仕様)』、Amazon.co.jpでお求めいただけます〉(1月23日)

といまだに案内メールが届いてくる。一瞬、買うことができるの?、と勘違いしてしまった。こうしたメールは顧客の購入履歴をもとにして自動的に送ってくるのだろうが、急に商品が発売中止になるという事態には対応できないのだろう。

メールの一番下には、

〈商品価格、発売日および在庫状況などは変更される場合がありますので、あらかじめご了承ください。価格、発売日および在庫状況などは、このニュースレターの送信時のデータです。お客様がAmazon.co.jp をご利用になるタイミングによっては、異なる場合があります。〉

などと逃げ道を作っている。しかし、メールを送信する前に発売中止は既に決まっているんだけどね。私の知ったことではないけれど、こうしたことでAmazon.co.jp側にトラブルが起きないことを願っている。
ミクシィのコミュニティで得た情報によれば、ヴァン・モリソンの紙ジャケットCDの再発が無くなってしまったらしい。版権が問題だという。

今月末に、

St. Dominic’s Preview
A Period Of Transition
Beautiful Vision
Poetic Champions Compose
Hymns To The Silence
How Long Has This Been Going On
Tell Me Something

の7枚が出る予定だったが打ち切りである。「Poetic Champions Compose」(87年)と「Hymns To The Silence」(91年)を特に楽しみにしていたので残念だ。いやそれよりも、ヴァン・モリソンがCDショップの棚に並ぶ機会が途絶えてしまったのが悔しくて仕方ない。

ただ、自分にとってはCDの出費が押さえられたという面もある。今回の件についてはそう考えて諦めるしかない、のだろうか。
11月8、9日にヴァン・モリソンがアメリカのハリウッドで特別なライブをおこなうという。先日、彼の公式サイトで発表された。


http://www.vanmorrison.co.uk/

MUSIC LEGEND VAN MORRISON TO CLOSE OUT HOLLYWOOD BOWL 2008 SEASON WITH "ASTRAL WEEKS LIVE" IN NOVEMBER7-8(2 nights only)
ALSO PERFORMING SOME OF HIS TIMELESS CLASSICS THAT HAVE MADE VAN MORRISON A LEGEND

彼の実質なソロ・デビュー作である「アストラル・ウイークス」(68年)を全編演奏し過去の代表曲も披露するという、ファンにとってはなかなか凄い内容である。ちなみに「アストラル・ウイークス」についてはバックのメンバーも可能な限り当時の人たちも集まってもらうという徹底ぶりだ。

それにしても、あのヴァン・モリソンがこうした「いかにも企画」という感じのライブをする気になったというのは不思議でならない。たとえ今年が「アストラル・ウイークス」が世に出てから40年という節目だとしてもだ。

来月こんなライブがあると言われても、いきなりハリウッドまで行けるわけがない。いや、そこまで行く資金があったら行動に移していたかもしれないな。今回の音源はアルバムにもなるらしいので、私はそれで我慢することにしたい。

2年後には全編「ムーンダンス」(70年)を演奏されるライブを期待して貯金でもしておこうか・・・。
「痛くない注射針」を開発したことでも知られる岡野工業の代表社員・岡野雅行さんは自著「俺が、つくる!」(06年。中経の文庫)でこんなことを書いていた。

〈ビデオカメラなどに使うフラッシュメモリーという記憶媒体がある。これは日本が開発したんだ。一パックで一万八〇〇〇円〜三万円になる。今では普及してもっと安いものが出てきたけど、もっと普及すればもっと安くなる。
このフラッシュメモリーに限らないが、記憶媒体が他にあれば、ビデオテープはいらなくなる。テープがいらなくなると、ビデオデッキの中のモーターがいらなくなる。CDもMDもそうだ。だからモーターを使って回すようなもの、駆動させるもののは将来なくなるんだ。CDやMDは記憶媒体が発達するまでのつなぎの品物なんだ。だからあまり買わないほうがいい(笑)。〉

1976年生まれの私はまさにCD世代である。レコードに移行してから随分たつし歴史もそれなりに積み重ねられたという実感はあるため、「つなぎの品物」という岡野さんの表現にはやや面食らった。

しかし、iPodに代表されるmp3プレイヤーが音楽メディアへ急速に移行されつつある昨今、岡野さんの言ったことはいよいよ現実となりそうである。

先日、大阪城野外音楽堂で渡辺美里のライブに行った時、彼女が興味深い話をしていた。10月に出る新作アルバム「Dear My Songs」を編集するためニューヨークに行った際、向こうのいわゆる「CDショップ」ではCDがもう販売しなくなったというのである。では何が売っているのかといえば、全てダウンロードである。

日本国内でも今年の8月27日、ソースネクストという会社がパソコンソフトをUSBで販売すると発表した。パソコンソフトについてはあくまでパソコンに入れてからの問題だから形態の変化にそれほど影響はないと思われる。

携帯で音楽を聴くようになってきたこの頃、音楽メディアについてもこの流れはいっそう進んでいくのは間違いない。しかし、CDがなくなっていくということに対しては格別の思いがある。

消費者は「アルバム」という単位ではなくて個々の楽曲をダウンロードするという買い方が主流になっていくだろう。それは「アルバム」という概念が消えることではないか。私が気になっているのはその辺のことである。

先日、ピンク・フロイドの創設メンバーの一人だったリチャード・ライトが亡くなった。「原子心母」(70年)や「狂気」(73年)といった一連の「コンセプト・アルバム」と呼ばれる作品で有名になったピンク・フロイドこそまさに「アルバム・アーティスト」の典型ではないか。リチャードの訃報を知り、アルバムも、それを作る人も消えていくのかなあ、という思いに駆られた。

渡辺美里はMCでまた、日本にはまだアルバムを大事にしている部分が残っている、というようなことを言っていた。正直にいってCDというメディアに強い思い入れはない。しかし、少なくとも無くなっては欲しくないと願っている。

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