クアトロに行くのは久しぶりだ。それもそのはずで去年は全く行っていない。前に来たのは06年12月、少年ナイフとイースタン・ユースの共演だった。

心斎橋に行くとライブ前に近所の「がんこ」で回転寿司を食べるパターンが多い。今日も5時半ごろに店へ入り食事を済ませ、6時にはクアトロの入口へ行く。この時点で開場30分前だから入場列ができているかと思ったら、まだ10人ほどしかいない。京都の状況を考えると心配になってきた。しかし始まるころには300人以上は集まる。少なくとも前回のツアー(06年5月29日)ぐらいは入っただろう。

ライブの内容を結論から言うと京都公演と全く変わらなかった。おそらく「巡業」(ツアー)の曲目はどこも同じにしていると思われる。ただバンドの音は京都よりもずっと力強く聴こえた。これは多分に会場の音響によるものと思われる。

また、これは当然かもしれないが、会場の盛り上がりも大阪の方がずっと良い。イントロが鳴っただけで歓声があがる場面も多かった。これには熱心なファンがいると感心する一方、最新作のアルバムの曲でも騒ぐのはちょっと過剰に見える。吉野も、あまりキャーキャー言われるとやりづらい、というようなことをMCで話していた。

そうは言っても、たくさんお客が入ったところで気分が悪いはずはなく、バンドは調子よく演奏していたとは思う。それはMCにも出ていて、アンコールの最後で二宮のしゃべりが聞けたり、さらに田森の笑顔(これは本当に貴重!)を見ることもできたのはこの日の収穫だった。ツアーも後半入って疲れも出ていますが、と二宮が話していたけれど、自身のバンド(ひょうたん)の活動も含めて大過なく終えてほしいと願う。

来月に「サルカルチャー」という大阪のイベントに出演するので、それも機会があったら観たい。最後に曲目を記す。

【演奏曲目】
(1)地球の裏から風が吹く
(2)滑走路と人力飛行機
(3)五月の空の下で
(4)野良犬、走る
(5)ギラリズム夜明け前
(6)青すぎる空
(7)いずこへ
(8)雨曝しなら濡れるがいいさ
(9)旅行者達の憂鬱
(10)踵鳴る
(11)白昼の行方不明者
(12)サンセットマン
(13)沸点36℃

〈アンコール〉
(14)夜がまた来る
(15)赤い胃の頭ブルース
(16)荒野に針路を取れ
磔磔に行く時はいつも道に迷ってしまう。ジュンク堂書店の面する富小路通を下がり、行き止まりにぶつかったら右折してすぐ次の通りを南下すれば店は見つかる。にもかかわらず、「この道で合ってたかなあ?」と不安になりながら歩く自分がいる。すでに5回くらいは足を運んでいるのに。たぶんこの場所にあまり愛着がないからだろう。

ただミュージシャンには人気があるようで、繰り返しここでライブをする人が多い。今日のイースタン・ユース(eastern youth)もその1組である。そして、私が磔磔に行く機会は彼らが演奏をする時くらいしかない。

午後5時50分、開場の10分前には到着する。外が寒いとはいえ、待っている人は30人ほどしかいない。当日券も出ているし、果たしてどれくらい集まるか心配でならない。私のチケットの整理番号は「A54番」、発券した時は悪くないなと思ったけれど、実はそうでもなかったりして。

ともかく会場に入り、前方右側にあるベンチに座って待っていた。開演直前にはかなりの人で埋まったものの、見た目は8割くらいというところだろうか。どうみても前回(06年5月13日)よりお客の数が減っている。

開演時間を5分ほど過ぎてバンドが登場する。冒頭は新作アルバム「地球の裏から風が吹く」(07年)から4曲を立て続けに演奏した。結果を先にいえば、“ばかやろう節”以外のアルバム曲すべてを披露する。しかしアルバムの出来が良かったからこういう展開に文句はない。むしろ個人的には“踵鳴る”や“いずこへ”などよりもアルバム曲の方が印象に強く残っている。単純に騒いだり暴れたりするには向いてない曲かもしれないが、ちゃんと聴けばその音の充実さが伝わってくる。

実際のところ、お客の反応は概して大人しい。曲によっては暴れていた人もいたけれど、全体としてはほとんど見掛けなかった。私が初めて彼らのライブを観たのは02年の大阪BIG CATで、最前列で観たおかげで押しつぶされて、服もドロドロになったことを今でも覚えている。暴れる連中がいなくなったのは結構だが、じっくりイースタン・ユースの音を聴ける環境がライブ会場でも整った今だからこそ新しい聴き手がどうにか増えないかと思ってしまう。

そんなことを思いながらステージを観れば、顔をゆがめて唾を吐きながら歌ったり、汗をダラダラかいても拭かずに眼鏡を曇らせている吉野寿の姿があった。相変わらず特異なバンドである。それゆえ一部のファンしかいないのも仕方ない話なのだろうか。

アンコールでは、現在ネット配信のみをしている新曲“赤い胃の頭ブルース”を聴くことができた。それも合わせて全16曲、いままでで最も曲数が多いといえる。ライブが終わったのは8時45分で、時間は1時間40分ほどでそれほど長くはなかった。おそらくMCが控えめだったからだろう。

MCといえば吉野寿が、京都に初めて来たのは「どんぞこハウス」という地下のライブハウスで、その時のお客が5人だったと話していた。興味深い話なので付け加えておきたい。

昔の曲が聴きたい人にはかなり不満な選曲だったかもしれないが、私にとってはこれまでのライブの中でも特筆の内容になりそうな気がする。本編最後が“沸点36℃”というのも良かった。

来月は大阪でもう1回観られるし、もしこれから結成20年記念で「極東最前線」があるならば上京も考えてみたい。最後に演奏曲目を記す。

【演奏曲目】
(1)地球の裏から風が吹く
(2)滑走路と人力飛行機
(3)五月の空の下で
(4)野良犬、走る
(5)ギラリズム夜明け前
(6)青すぎる空
(7)いずこへ
(8)雨曝しなら濡れるがいいさ
(9)旅行者達の憂鬱
(10)踵鳴る
(11)白昼の行方不明者
(12)サンセットマン
(13)沸点36℃

〈アンコール〉
(14)夜がまた来る
(15)赤い胃の頭ブルース
(16)荒野に針路を取れ
エルトン・ジョン東京公演2日目(07年11月21日、日本武道館)
先月に上京したばかりなのに、また東京にやってきた。しかも目的は同じ日本武道館である。6年ぶりに来日したエルトン・ジョンを観るためだ。

交通費もろくに捻出できないため、行きも帰りも深夜バスとなった。移動はそれほど苦痛ではないものの、朝の6時にして新宿駅前に放り出されるのは辛い。バスに乗る時はいつもカプセルホテルの割引券をもらうので、そこで入浴などして過ごす。あとはネットカフェに数時間いりびたったり、体力を温存しながら夕方まで時間をつぶした。

こないだのBONNIE PINKの時には武道館前の「九段下」へ行くまで1時間も費やすという失態をおかした。その教訓を得て、今回はちゃんと路線を調べて小田急線の新宿から向かう。結果、乗り継ぎなしの10分ほどで着くことができた。もしまた武道館に行く機会があるとしたら、私は迷うことなく新宿経由を選択するだろう。

しかし会場に着いた時点でまだ午後5時をちょっと過ぎたくらいであった。開場にしてもまだ1時間ほどある。そこで近くにあった「休憩所」でコーヒーを飲みながら本を読んで6時まで待つことにした。私の背後には昨日のライブに行った人たちが会話をしている。そして、聞きたくもないのに、“Your Song”から始まっただの、3時間もしただのと喋っている。私は昨日の情報などまったく仕入れていないい。始まるまでの楽しみにしていたのに・・・頼むから黙っててくれ。

午後6時になったら武道館の中に入る。私の席はアリーナの真ん中へんで、エルトンの表情も十分に確認できる距離である。午後7時10分ごろ明かりが消えて、赤いタキシードを着たエルトン・ジョンが一人で現れた。

「ミナサン、コンバンハー」

と日本語であいさつして、すかさず“Your Song”を演奏する。今回のライブはエルトンのピアノのみという趣向だった。しかし途中でシンセの音がかぶさる場面も多い。どうみても一人で弾いてるとは思えないので、誰かが後ろで演奏していたのだろうか。最後までそれが不思議だった。

私は「グレテスト・ヒッツ」(74年)と90年代の作品くらいしか知らないので選曲についてあれこれ感想を述べることはできない。ただ、一番聴きたかった“Border Song”(邦題は“人生の壁”)が出てきた時は感無量であった。また、01年に大阪公演では演奏されなかった(この時の大阪は東京より7曲も少ない。それはいまでも腹立たしく思う)“Candle in the Wind”、“Don’t Let the Sun Go Down on Me”も無事に聴けたし、前回の来日と合わせるとエルトンについて個人的に思い残すことはないという心境だ。欲を言えば“Goodbye Yellow Brick Road”が披露されたら文句なしではある。しかし、昔のような高音が出なくなった現在の彼が歌うには辛いのだろう。

一番心配だった客入りについても、パッと観た感じでは9割方は埋まっていたのは良かった。そして、お客の反応も実に良い。1曲終わるたびにお客へ手を振ったりするエルトンに対して、そのたびにスタンディング・オベーションで応える人も多かった。アンコールで登場した時は最前列にいたファンにいちいちサインをしていたエルトンの姿も微笑ましい。

エルトンの状態については特に衰えのようなものは感じなかった。演奏も歌も力強い。もしかしたら01年よりもパワーアップしていたかもしれない。しかし何よりも、60歳にして3時間ちかくのステージを一人でする力には恐れ入る。披露した曲は実に29曲、おかげで帰りのバスに間に合うかちょっと不安だった。ライブの余韻に浸る暇もなく11時20分に新宿駅から急いで京都へ戻る。

最後に演奏曲目を記す。20日も21日も同じ内容だったようだ。

【演奏曲目】
(1)Your Song
(2)Sixty Years On
(3)The Greatest Discovery
(4)I Need You To Turn To
(5)Border Song
(6)The Boy in the Red Shoes
(7)Daniel
(8)Honky Cat
(9)Rocket Man
(10)Tiny Dancer
(11)Mona Lisas and Mad Hatters
(12)Nikita
(13) Philadelphia Freedom
(14)Sacrifice
(15)Ticking
(16)Roy Rogers
(17)Sorry Seems to be the Hardest Word
(18)Candle in the Wind
(19)I Guess That’s Why They Call it the Blues
(20)Electricity
(21) Carla/Etude
(22)Tonight
(23)Take Me to the Pilot
(24)Blue Eyes
(25)Levon
(26)Bennie and the Jets
(27)Don’t Let the Sun Go Down on Me

〈アンコール〉
(28)I’m Still Standing
(29)Circle of Life
「3 Great American Voices」

本国アメリカでもこのようなメンツでライブがおこなわれたことはないだろう。このイベントの主旨を私なりに理解すれば、アメリカの音楽をザッとたどっていくということか。ファーギーはヒップ・ホップ寄りのロック、メアリー・J・ブライジはR&B、そしてキャロル・キングだからバラエティが富んでいるとはいえる。

しかし、1と1を足すと2になるような単純な話は現実にそう起きるものではない。結果を先にいえば、個々のライブが独立している印象で統一感らしいものは正直いって見られなかった。

こんな組み合わせの悪いイベントを以前にも観たことがあるなあと古い記憶をたどっていたら、04年の「ロック・オデッセイ」を思い出した。かのザ・フーが初来日を果たしたこのライブは矢沢永吉、レッド・ホット・チリ・ペッパーズ、ポール・ウェラーなど、豪華だが何故か観る気が起きなくなるようなメンツであった。実際、会場(当時の大阪ドーム)がガラガラだったことをよく覚えている。

ところで、本日の私の目当てはキャロル・キングしかない。他の2人についてたいした知識もないので、イベント全体の感想はこれくらいにして以降は彼女を中心にした感想を書いていく。

私の席はS席(1万5000円)で「アリーナ25列23番」と、アリーナのど真ん中より少し前というなかなか良い位置ではあった。しかし、予想した通りではあるが、お客の入りは良くない。よく見ても6割くらいがせいぜいだろう。スタンドはガラガラで特にヒドい。しかしそんなスタンド席で、いかにも観づらそうな席に不思議と人が集まっている。おそらくあの辺りがA席だったのだろう。

座ったとたん、ステージにある大きなグランドピアノが目に入ってきてイヤな気持ちになる。どう考えてもこれはキャロル・キングのものだろう。最後の出演であって欲しかったのだが、と思いながら開演を待っていると午後7時10分ごろ、照明が静かに落ちる。

スポット・ライトを浴びて一人の女性が現れる。やはり最初はキャロル・キングだった(翌日6日の大阪公演はメアリー、ファーギー、キャロルの出演順だったという)会場に手を振ってからピアノに座る。ステージには彼女しかいない。そしてしばらく間をおいて演奏されたのは、かの名盤「つづれおり」(71年)からBeautiful”だった。場内から拍手が起きる。

左右のスクリーンに映し出されるキャロルはもう年期の入った顔になっているし、声もずいぶんしゃがれてはいる。しかし、ポピュラー・ミュージックの歴史に永遠と残るであろう楽曲、数多くの聴き手に愛されてきた彼女の音楽の普遍性は揺らぐことはなかった。もちろん私はそんな確信を持って会場に臨んだけれど、目の前で聴かれる名曲は予想を遥かに上回る力で胸に迫ってくる。もはやステージの様子もまともに観れないほどに。

続いて、

「Welcome To My Living Room。ワタシノ リビング・ルームヘ ヨウコソ」

と片言の日本語で“Welcome To My Living Room”を歌われた時にはすっかり彼女の世界にどっぷりと浸かっていた。ピアノだけで大阪城ホールの大きなステージがもつのかと最初は不安だったが、それは全くの杞憂に終わる。

「オーサカニ コラレテ ウレシイデス」

こんなことを話すキャロルの言葉は暖かみがあるというか、彼女の音楽と同じような魅力を持っていた。それに会場は拍手で答える。

“Where You Lead”“So Far Away”“Smackwater Jack”と、「つづれおり」からたて続けに披露される。3組もミュージシャンが出るイベントなのでどれだけ演奏されるか誰しも気になっていただろうが、キャロル本人もそれを考えての選曲をしてくれたのだろうか。

“Smackwater Jack”で彼女がギターを持ったのには驚いた。私の勉強不足かもしれないがギターを抱えるキャロルを想像はできなかった。サポートの二人のミュージシャンもそれぞれギターを手にして並んで演奏をする。イーグルスがどうのとか話していたが、「イーグルスみたいでしょ?」とでも言っていたのだろうか。

個人的なクライマックスは、ゲリー・ゴフィンの名前を出してピアノのみで歌われた“Will You Love Me Tommorow”だ。

「これさえ聴けたら思い残すことはないかな」

と思っていたのでその願いはかなえられた。

“You’ve Got a Friend ”でひときわ大きな拍手が起きる。多くのお客はこの曲が出てくるのを待っていたようだ。演奏が終わっても鳴り止まぬ拍手に応え、人差し指を1本突き上げると歓声がもっと大きくなる。最後は“I Feel the Earth Move”であった。全11曲およそ50分のステージだったが、不満など何一つなかった。これ以上のものは思いつかないといえるほど素晴らしいパフォーマンスである。ここまで感激したのは、それこそ同じ大阪城ホールで観たニール・ヤング&ザ・クレイジーホース以来だった。

それから20分ほど舞台替えがあってファーギーのライブ、そしてまた舞台を替えてメアリー・J・ブライジのライブがあって、気づけばもう10時を過ぎていた。周囲も空席が目立つ。帰る気は起きないものの、私も疲れて途中から席に座っていた。

しかし、今回のイベントは3人それぞれが単にライブをするだけで終わりではなかった。会場が明るくなって、なんとキャロルとファーギーが再びステージに出てくる。そして全員で“Dancing in the Street ”(マーヴィン・ゲイが作曲で、オリジナルはマーサ&ザ・ヴァンデラスで知られてる)と“ナチュラル・ウーマン”を歌ってしまったのだ。とんでもない光景である。その時、キャロルは終始ステージを動き回っていた。全てのライブが終わったのは10時20分ごろである。

最初のステージでキャロルが“I Feel the Earth Move”を歌い終えた時、

「マタ アイマショウ」

と言って去っていった。その時はリップサービスだと思っていたが、あの元気ではもう2回くらい再来日があるのかもしれない。

できるならば明日の大阪公演や関東のステージも観たい。金銭的な問題でそれは不可能だが。そして、まだ全てのイベントも終わっていないけれど、いまから再来日を強く望む。これがキャロルに対する私が考えうる限りの讃辞だ。

最後に演奏曲目を載せる。

【演奏曲目】
(1)Beautiful
(2)Welcome To My Living Room
(3)Up On The Roof
(4)Where You Lead
(5)So Far Away
(6)Smackwater Jack
(7)Will You Love Me Tomorrow?
(8)Love Makes The World
(9)Sweet Seasons
(10)You’ve Got a Friend
(11)I Feel the Earth Move

〈全員がステージに出て来て〉
Dancing in the Street
(You Make Me Feel Like) A Natural Woman
ミドリ/eastern youth大阪公演(10月31日、梅田Shangri−La)
具合が悪い。

同じことを愚痴ってばかりいるような気もするけれど、体調が戻らないから仕方ない。仕事もバタバタしているし、こういう時は部屋で静養するのが一番だろう。だが今日はどうしても大阪にいかなければならない。eastern youthが久しぶりにライブをするのだから。

会場は梅田の空中庭園の下にあるShangri−La(シャングリラ)という最大300人収容のライブハウスだ。去年バズコックスをここで観たから1年ぶりくらいである。今回はミドリというバンドと共演するようだが、店の前にある看板がちょっと気になった。eastern youthの方が字が小さい。今日のメインはミドリの方だということか?

そんなことを思いながら6時過ぎに開場する。整理番号51番という若い番号だったので前方の右端を確保した。前売り券は完売であり、「まだ人が入りますので、前に詰めてください」とスタッフの人が誘導するほど人があふれている。そして午後7時過ぎに開演であるが、最初に出てきたのはやはりeasternの3人だった。

前置きを何も言わず立て続けに2曲演奏する。2曲目は知らない曲だなあと思って聴いていたら、しばらくして新曲の“沸点36℃”だと気づく。もちろんすでにCDは買っているものの、パッと聴いた限りではそんなに親しみはもてなかった曲だった。しかし生で聴いてからはこの曲がずいぶんと印象が良くなる。それは6曲目の新曲(バッファロー・ドーターと共演した東京公演で演奏された“白昼夢の行方不明者”だと思われる)についても同様で、まもなく出るアルバム「地球の裏から風が吹く」も期待できる予感だ。

今日の曲目については、個人的に“静寂が燃える”を初めて聴いたのが収穫だった。あとは最近の定番といえるものばかりであろう。ただ、彼らが決まって演奏する曲も一時期とは異なってきた感はある。それは好意的に受け止めている。“夜明けの唄”や“スローモーション”や“黒い太陽”などはしばらく封印しても良いのではないだろうか。そんなバカなと思うファンがいても当然だが、これは頻繁にライブ会場へ足を運ぶ人間の偽らざる心境である。

時間は50分ほどで、次にミドリが控えているということもあって遠慮もあったのか、終わってから拍手が続いてもアンコールは残念ながら無かった。せめてあと1曲加えて10曲はしてほしかったが。ともかく、ライブは相変わらずの充実した内容だったので来年の大阪と京都のライブも足を運ぶことに決定である。

体はいっこうに回復しないし翌日は健康診断も控えていたので、途中で会場を出た。後で調べてみて、ミドリはセーラー服の女の子がギタ−をかき鳴らすとかいうのを知り、ちょっと観とけばよかったかなあとも思った。しかし、もう観る機会はないだろうな。最後にeastern youthの演奏曲目を記す。

【演奏曲目】
(1)荒野に針路をとれ
(2)沸点36℃
(3)青すぎる空
(4)静寂が燃える
(5)?(“白昼の行方不明者”か)
(6)矯正視力〇・六
(7)ズッコケ問答
(8)雨曝しなら濡れるがいいさ
(9)街はふるさと
相変わらず体の調子が悪い。せっかくの休みだから寝ていれば良いのだが、6時に目を覚まし7時には部屋を出てしまう。我ながら自分の行動が理解できない。

地下鉄で四条から阪急に乗り換えてざっと1時間半をかけて神戸まで行く。どこへ向かうのかといえば、神戸大学の医学部である。今日はここで学園祭があり、そこにたむらけんじが出るからだ。しかし学園祭のテーマが「おっぱっぴー」なのは理解できない。

神戸大学医学部キャンパス、正確にいえばキャンパスの近くにある公園にある学園祭の会場に着いたのは9時45分ごろだった。すでに人がいるかと思ったが、ステージ前の椅子はまだあまり人が集まっていない。椅子に座って開演を待つ。

10時少し前に、実行委員長と名乗る男性がステージに現れ、

「そんなの関係ねえ!そんなの関係ねえ!はーい、おっぱっぴー!」

と小島よしおの真似をしたのには笑う。後でたむけんたちに、実家が医者で車もベンツで、と突っ込まれていたが。

そして10時、吉本ライブが始まる。まずミサイルマンという男性二人のコンビが10分ほどネタをしたあと、たむけんが登場である。いつの間にか人もけっこう集まっている。ざっと300人くらいはいたと思う。公園の向こうには大きなマンションがあり、そこから覗いている人もいる。あんなところから見えるのだろうか。

獅子舞で登場した時のたむけんのセリフは、

「焼肉焼いても、家焼くなー」

で、胸文字は、

「豆ごはん なんか嫌」

と書かれていた。

また、なんでテーマが「おっぱっぴー」や、だったら小島よしおを呼べ、などと毒づいていた。確かにその通りである。

ネタが終わったあと10分ほどフリートークの時間があった。その時に、たむけんの焼肉屋の2号店が開くことが話題になり、神戸でも店を開こうかと言ったらやたら拍手が出てくる。そこで、

「じゃあ、居抜きの物件を探して」

とたむけんが言ってきた。「居抜き物件」とは、以前に何か店を営業していた物件のことで、ここではかつて焼肉屋をやっていた物件を指す。そこを改装した方が、一から焼肉屋を建てるよりも費用が安くあがるからだ。ずいぶんリアルな話をするなあ。

たむけんは、今日あと3校回るとか言っていたけれど、携帯で探してもどこでするのかわからない。仕方なく神戸を後にした。
たむらけんじ@滋賀大学学園祭
昨日の寒さは収まらず天気も悪い。JR京都駅に向かう途中、小雨が降るときもあった。このまま冬の季節に突入するのだろうか。なんとも嫌な日曜日だが、悪天候にもかかわらず電車に乗る。JR石山駅で降りてバスに乗り換え、滋賀大学まで足を運んだ。

滋賀大学は学園祭の最中だ。その中に「It’s 笑 time☆2006」というお笑いのイベントがあり、

とろサーモン
フットボールアワー
たむらけんじ

の3組の芸人が出るというので行ってみたわけだ。もちろん私の目当ては「たむけん」である。

会場は画像の通り、芝生をテントで囲んだ野外ステージである。後ろからだとステージが丸見えだ。チケット(800円)を買わなくてもライブが見れるのではないだろうか。そんなことを思いながら午後3時半に入場である。発売当日にネットで前売り券をすぐ買ったので整理番号171番という若い番号だ。おかげでステージから数メートルの位置に立つことができた。

しかし繰り返すが、ものすごく寒い。しかも開演まで1時間もある。どうしてこんな酷なことをするのだろうかと思いながら待っていると、どこかのダンサーが現れて開演直前までステージでいろいろパフォーマンスをしていた。こんなものを入れるくらいなら開場時間を30分前にしてほしかった。彼らにしてみればたくさんの観客の前で演じられるのは嬉しいかもしれない。しかしこっちはお笑いを観に来たのである。他の場所でやってくれ、というのが正直な感想だった。それにしてもダンサーの歌やラップはものすごく下手だったのには驚く。踊りがどれほど上手でも、歌やラップに必ずしも反映されないことが分かったのがある意味で収穫だった。

そんな前座が終わって、まず「とろサーモン」の2人が出てくる。前にいる小学生くらいの女の子に

「お嬢ちゃん。誰を見に来たの?」

と尋ねて、

「たむけーん!」

と返されたのが最高だった。続いてフットボールアワーが出て来た。ということは「たむけん」がトリである。期待通り、学園祭では獅子舞をかぶっての登場だ。うめだ花月の時は普段着の姿だったので、獅子舞での登場に私は感無量になる。それにしても間近で見る獅子舞はあまりに立派でピカピカだったのには驚いた。中に入っていた「たむけん」はもちろんフンドシ1枚の姿で、

「ほんまに寒い」

と体に書かれていた。

ステージの最中に冷たい風が吹いたり、風でフンドシがめくれたりとネタを邪魔される場面もあった。しかし、

「東京で売れてる芸人、全員死ね!」
「陣内、死ね!」
「陣内のオヤジ、浮気バレろ!」

と「たむけん」は絶好調で約1400人のお客もかなり盛り上がっていた。最後は「ちゃー」のギャグを3連発して終わる。個人的には獅子舞を脱いでから、

「おまえら、もっと笑えよ!」

とケンカ腰でお客を煽ってくれたら最高だったのだが、ホームグランドの関西での彼はそこまでならないようである。それでも、白い息を吐きながらステージを展開していた「たむけん」へは惜しみなく讃辞を送りたい。

ネットで調べてみると11月25日の京都府立大学にも「たむけん」が来るという。もちろん足を運ぶつもりである。
浜田省吾 京都公演(06年10月22日、京都会館第一ホール)
昨年の「MY FIRST LOVE」から1年も経たずして浜田省吾のツアー「MY FIRST LOVE IS ROCK’N’ROLL」が始まった。今年は浜田がソロ・デビューしてから30周年の節目であり、またベスト盤が2枚出たことに伴うツアーという位置づけなのだろう。昨年は大阪城ホールなど大きな会場ばかりであるが、今回は一部を除いて中規模のホールを回る。そんなわけでチケットを手に入れることのできなかった人も多いようで、会場周辺では「チケット譲ってください」という紙を持って立つ人がたくさんいた。たいしてファンでもない私がここに入っていいのだろうかという負い目を感じながらも、「夢番地」で取ったチケットを片手に入場する。

さらに座席は「14列目」となっている。ファンクラブでも無いのにずいぶん良い場所だなと最初は思ったが、京都会館は「最後尾」が1列目なのだ。つまり後ろから14列目が私の席というわけである。しかし、それでも真ん中よりやや後ろであり、しかも1階席なのだから、満足するほかはない。開場から開演まで30分しか時間がなかったので、すぐにライブが始まる。

1曲目は洋楽のカバーでパッとわからなかった。サビの方まで聴いて、スティービー・ワンダーの”A PLACE IN THE SUN”とやっと思い出した。浜田自身のカバーしている曲である。

内容は昨年のツアーと重なる曲が多かった。特に「My First Love」からの曲が目立ち前回との違いがそれほど明確に感じられない。しかし、さきのベスト盤2枚(「The Best of Shogo Hamada Vol.1 」「The Best of Shogo Hamada Vol.2」)に収録の曲が大半なことを考えれば順当な選曲といえよう。個人的には、去年のホール・ツアーの方が、会場のど真ん中のステージで演奏したりなど派手な演出もあり全体的に良かったと思うものの、今回は大好きな”路地裏の少年”が聴けた点で満足である。この曲を始める時、デビュー当時の格好をしてギター1本で歌い、その姿は面白いようなグッときたような、そんな心境になった。

今回で2回目のライブ体験であり知らない曲もたくさんあったものの、良い曲が多いなあと再認識をする。また、ライブ中に使われる映像は実によく練られていると感心する。しかし何よりも、お客が本当に楽しそうにしているのが観客の1人としても嬉しいものである。今回の「年齢調査」で自分が30代に入ってしまったのは複雑な心境だったが(昨年はまだ「29歳」だったので・・・)

ソロ・デビュー30周年かといって大きな会場でライブをするのも照れくさいので、とホールを回るツアーを決めたとステージで浜田は話していた。30年のキャリアを持ってなお自分の原点を忘れない彼の姿勢は、音楽活動とほとんど関係ない私のような人間にも学ぶことは多いように思える。最後にネットで拾った曲目を記す。










(演奏曲目)
(1)A PLACE IN THE SUN(スティービー・ワンダー)
(2)光と影の季節
(3)HELLO ROCK & ROLL CITY
(4)この夜に乾杯!
(5)旅立ちの朝
(6)二人の絆
(7)彼女はブルー
(8)君に会うまでは
(9)散歩道
(10)路地裏の少年
(11)生まれたところを遠く離れて
(12)初恋
(13)勝利への道
(14)土曜の夜と日曜の朝
(15)Thank you
(16)I am a father
(17)J.BOY
(18)家路

<アンコール1>
(19)ラストショー
(20)MONEY

<アンコール2>
(21)君と歩いた道
(22)ラストダンス
こないだの「ボロフェスタ」に続き、またしても京大西部講堂にやって来た。今日は「p-hour」というイベントで、副題に「 An experience of modern music」とついているごとく、いわゆる「先鋭的」なミュージシャンばかりが出演する。私が行った21日の出演者は、

ROVO
大友良英
The Red Krayola (from USA)
Buffalo Daughter
三田村管打団?
七尾旅人+guest
DJ PINCH

という面々である。私の目当てはレッド・クレイオラ(The Red Krayola)だが、ROVOやBuffalo Daughterなど、こういう機会でなければ絶対に観ないであろうグループも体験しようとも思っていた。

昼前に目を覚まし、モタモタしながらネットでタイム・テーブルを確認したところ、予想外にもレッド・クレイオラは2番目の出演だった。トリではなかったのか。仕方ないのですぐ身支度をして自転車で百万編に向かったのは午後2時半ごろだった。

講堂に入りしばらく待っていると、1番手の七尾旅人(ななお・たびと)が出てきた。七尾旅人はデビュー当時、一部で「天才」と騒がれた人であるが、どんな人かはまったく知らなかった。バックはバイオリンのみで、七尾がアコギと歌だけという編成だった。パッと聴いた限りではトーキング・ブルースという調子の歌で、10分、20分とそれが続いた。と思ったら後半では何か機械で音をいじくりだしサウンドスケープのようなことを始める。なるほど、確かにこのイベントに呼ばれるような音楽性も持っていると気づいた。それで30分ほど演奏をしたが、時間が10分ほど残ったので、ルイ・アームストロングの”この素晴らしき世界”を自分の歌詞で歌って終わる。

それが終わってしばらく舞台替えがあるかと思ったら、5分ほどで準備が終わる。ものすごい手際の良さで驚いた。ステージ上でギターをいじっていた白髪の男性が「コンニチワ」と言って演奏を始める。この男こそ、ビートルズがいた時代から現在まで独自の活動を続けているメイヨ・トンプソンで、彼が率いるレッド・クレイオラの登場だ。最新アルバム「イントロダクション」(06年)からの”Breakout”で始まったライブは、とにかく最高だった。ギター、アコーディオン、ドラムス、そしてメイヨがギターと歌という変則的なバンドが出す音は、CDよりも遥かに刺激的で多くのものが伝わってくる。

今日のイベントに出てくる人たちは言葉とかメロディとかを度外視した表現ばかりで、つまりは音だけで勝負しなければならない。そうした中にあっても、レッド・クレイオラのパフォーマンスはずば抜けたものだった。それは会場の誰もが感じていたようで、演奏が終わるたびに拍手が大きくなり、トリでもないのに1曲アンコールをするほど歓迎を受けた。CDだけでは今ひとつわからなかったけれど、実際に観ることにより彼らの凄さを実感することができた。

しかし、あまりにもレッド・クレイオラが素晴らしすぎたので、あとの出演者にはほとんど興味がもてなくなってしまう。食事をするために会場を抜けたりしながら、バッファロー・ドーターやROVOも10分くらいは観たけれど、夜も更けて寒くなってしまったので、午後7時半ごろには部屋に帰った。
こんなボケたことを言うのもどうかと思うが、どうしてフィオナ・アップルのチケットを取ったのだろう。私は別に彼女のファンでも何でもない。確か、知り合いの音楽ファンが来日を騒いでいたのに触発されたのがきっかけだったと思う。

ところで、BONNIE PINKファンの間でも今回のフィオナ来日はちょっとした話題になっていて「行く」「行きたい」という声をネットで見かけた。かつてBONNIEがフィオナを絶賛していて、それがきっかけで聴いたBONNIEファンも多いようである。

心斎橋クラブクアトロに集まった人たちは、別に派手な格好をしているわけでもなく、きわめて平凡な音楽ファンが集まったという印象だ。年配の人や外国人も目についたけれど、おおむね20代後半から30代前半くらいが圧倒的な客層だった。
チケットは完売せず当日券がでていたものの、8割方は埋まっていただろう。私はカウンターのある中央の位置を確保した。

7時10分近くになって照明が落ち開演である。まずバンドが現れ、続いてフィオナは真ん中のマイクに立つ、のかと思ったらステージ左側にあるピアノの前に座って歌い出した。バンドの編成はやや変わっている。ベース、キーボード、ドラムス、そしてフィオナがピアノと歌というもので、ギターがいない。さらに、ステージ右側後方に1人、何もしていない人がいる。演奏中もグラスでワインを飲んでいいるではないか。この人は何だろうと思っていたら、フィオナが3曲歌い終わって中央のマイクに移動した時に入れ替わりでピアノの前に座った。フィオナが弾き語りをしない時にはこの人がピアノを担当するわけだ。

バンドの演奏をパッと聴いた時は、少しドラムスの音が小さすぎる印象を受けた。だが、歌が入ると非常にバランスの良い音響であることに気づく。フィオナの声がクッキリと前面に出るような配慮がなされているのだ。こういう場面に出会うと英米と日本との落差を感じてしまう。

肝心のフィオナについてであるが、歌っている時の眉間にシワを寄せて歌う表情やステージをフラフラと動く姿など、おおよそ健康的ではなくて個人的にはちっとも可愛いと思えない。しかし、体の中から振りしぼるようにして歌う姿には圧倒される。ほとんどMCらしいMCもなく歌い続け、お客が手拍子を入れるような余地もなく非常に張りつめた空気を出していた。そんな状態では盛り上がらなかったと思う人もいるかもしれないが、決してそんなことはない。1曲が終わるたびに会場からは力のこもった拍手が送られる。

1時間40分ほどのステージはほとんど知っている曲もなかったし、今日の彼女を観てファンになったわけでもないけれど、貴重な体験ができた一夜だった。最後に曲目を記す。ちなみ名古屋、大阪、そして東京2公演とも同じ内容である。

(演奏曲目)
(1)Get Him Back
(2)To Your Love
(3)Shadowboxer
(4)The Way Things Are
(5)I Know
(6)Sleep to Dream
(7)Limp
(8)Paper Bag
(9)Tymps
(10)Oh Well
(11)On the Bound
(12)Slow Like Honey
(13)Not About Love
(14)Better Version of Me
(15)Get Gone
(16)Fast As You Can

<アンコール>
(17)Extraordinary Machine
(18)Criminal
それにしても北朝鮮には迷惑なものである。核実験をしたため、仕事の都合で出勤する羽目になった。そういえばテポドンの時もそうだった。いい加減にしてほしい。

しかも今日は午後からライブだったので、職場から解放されるまでかなりイライラした。仕事が終わったら自転車を走らせ百万遍まで向かう。今回参加したのは「ボロフェスタ」という京大西部講堂の周辺でおこなわれるイベントだ。ここにイースタン・ユース(eastern youth)が出演するので足を運んだ。3日間にわたっておこなわれるこのイベントは1日券も3日間通し券も完売である。それほど知名度の高いミュージシャンが出るわけでもないのに、どうしてこれほど人が集まるのだろうか。会場に来た当初はその理由がわからなかった。

会場入りしたのは午後3時半すこし前だった。ちょうど講堂内でジッタリン・ジン(Jitterin’ Jinn)が始まる予定だったのでそこに行こうと思った。チケットを出してドリンク代500円(これはチケットに記載されていなかった)を払い、リストバンドを左手に付けて入場する。外からはわからなかったが、中は人がいっぱいだ。そこをくぐり抜けて西部講堂に向かうが、なんと入口が閉まっている。人が多すぎで入場規制をしているのだろうか。中から演奏している音が聴こえる。いまジッタリン・ジンがライブをしているのか。

こんな状態だったらイースタン・ユースのライブも観られないかもしれない。そんな不安を抱きながら講堂前でしばらく待っていると、突然会場が開く。しかし入ってみると、人は誰もいない。どうやらリハーサルのために締めきっていたようだ。しかも時間が押していたようで、しばらく待っているとジッタリン・ジンの登場である。

彼女たちがヒット曲を飛ばしたのは私が中学の時だ。その私が今年で30を迎えるから、向こうもけっこうな歳なのは間違いない。しかし目の前にいるボーカルの春川玲子はずいぶん若く見えるし、可愛らしいボーカルも健在である。しかも、私くらいの年齢だったら耳にしたことのある90年のヒット曲”プレゼント”や、ホワイトベリーもカバーした”夏祭り”が演奏されたのはさすがに嬉しかった。おそらく、初めてライブを観る人も多いと見越してのサービスだろう。それにしても、前方のお客のノリが良い。「電車ごっこ」のような形でグルグルと会場を回ったり、モッシュをしたり、しかしダイブするほど暴れることもしない。実に平和な感じでノっていて、観ているこちらも楽しい気分にさせられた。中学の時には彼女たちがパンク・バンドであるという認識はまったく無かったけれど、まぎれもなくファン層はパンクである。最後は”自転車”で、全10曲で駆け抜けたライブは本当に楽しかった。また機会があれば観たいという気持ちにさせられる。

いったん会場を出て食べ物をつまみながら時間をつぶす。それから再び講堂に入り、目当てのイースタン・ユースを待つ。午後7時少し前にメンバーが登場するが、演奏を始めずにずっと音合わせをしている。3分くらい経ってから”踵鳴る”でライブが始まった。しかしせっかくのサウンド・チェックも空しく音質はイマイチである。なんだかボーカルがよく聞き取れない。

今回の演奏曲目は、

(1)踵鳴る
(2)片道切符の歌
(3)扉
(4)雨曝しなら濡れるがいいさ
(5)ズッコケ問答
(6)矯正視力〇・六
(7)荒野に針路を取れ

で、”扉””ズッコケ問答”は初めて聴けたのが収穫だった。音も中盤くらいからまともになったように感じる。持ち時間は短かめだったのでいつものMCも少なめでダーッと進んでいったのは気持ち良かった。次は12月に少年ナイフとの共演で会おう。

イースタンを観たあたりで疲れが出てきたが、最後のムーンライダーズまで待った。ここで観なければ、たぶんもうライブを体験することもないと思ったからだ。しかしイースタン・ユースが終わった時点でザーッと人が去っていく。講堂内にいる人も半分くらいになってしまった。前方には年配の人が目につく。そのまま、念入りな音のチェックをして午後9時少し前に、トリのムーンライダーズが登場する。

個人的にムーンライダーズは、良くも悪くも「玄人向け」のバンドに感じた。鈴木慶一を含めて真っ白な頭をした人たちの出す音は、見た目に似合わず重くて激しくはあるけれど、その面白みは私に伝わるものではなかった。また「はちみつぱい」や鈴木のソロ作「火の玉ボーイ」で聴いた鈴木慶一のボーカルも私の好みではない。それはライブにおいても印象は変わるものではなかった。

そして、アンコールで1曲歌って全てのライブが終了する。と思ったら、壁にかかっていたスクリーンにイベントの出演者が紹介されていく。どこからともなく歓声が起き、スタッフ・ロールが流れて出す時は会場全体で拍手が起きた。ふと振り返ると、「STAFF」のパスを首にかけている女の子が涙ぐんでいた。ムーンライダーズが登場する前に、代表者らしき人が「このイベントにボランティアをしてくれば80人に拍手をお願いします」とステージで言っていたのを思い出す。あの女の子もその一人だったのだろう。

「スタッフの顔が見えるイベント」という時がある。いままではそうした意味はわからなかったが、今日のイベントでそれを実感することができた。日本全体に不穏な空気が渦巻いていた日でもあるにかかわらず、ずいぶん楽しい1日を過ごせたものである。
Punk Punk Punk「LONDON PUNK生誕30周年」

チケットの上にこんな一文があった。ロンドンでパンク・ロックが生まれてから30年経つということらしい。だが、パンクの原点はいつなのか諸説いろいろある。それをここでは76年に位置づけているのは、おそらくセックス・ピストルズの最初で最後のオリジナル・アルバム「勝手にしやがれ!」が発売された年だからだろう。ロンドンで最初に出たパンクのレコードといえばダムドになるが、パンクの象徴といえばやはりピストルズということになる。

そのピストルズに衝撃を受けて結成したパンク・バンドはたくさんある。その一つがバズコックス(BUZZCOCKS)である。しかも1976年に結成だから、さきのロンドン・パンク生誕30周年にこれ以上ふさわしいバンドはいない。ちなみに私は76年の生まれであり、最近は「私、パンクと同い年なんです」と言ってみたりしている。

大阪の会場は新梅田シティ(空中庭園展望台)の真下にある「Shangri-La」という新しめのライブハウスである。

http://www.shan-gri-la.jp/

キャパシティは最大400人となっている。しかし入場時には半分も入っていない。私は先週くらいにチケットを買ったので整理番号が162番だったけれど、おかげでずいぶん前に入ることができた。カウンターでビールをもらって前方の左端で開演を待つ。年配の人が多いかと思ったが、自分より若そうな人が目につく。「CBGB」(ニューヨークのパンク・ムーブメントで重要な役割を果たしたライブ・ハウス)と書かれたシャツを着た人がいる。パンクのライブならではだ。やたら一人で叫んでいる男性が目につく。ライブが始まる前なのに迷惑な人だ。こうして待っているうちに会場も8割ほど埋まってくる。

そして午後7時を5分ほど過ぎて、いきなり拍手が起きる。ステージに目を移すと、いつの間にやらバンドが出てきているではないか。照明も落とさずに現れるというのは、表面的な派手さのないバズコックスらしい。しかし、ピート・シェリー(ギターとボーカル)の姿にはちょっとショックを受けた。年をとるのは仕方ないとして(55年生まれ)、首がなくなるほど太っているではないか。同い年のスティーブ(ギターとボーカル)はスラッとしているというのにである。こんな状態で大丈夫なのだろうか。

しかし、不安になったのは一瞬だけだった。最初からMCらしいものもなくバンバン演奏を続ける。衰えらしいものは一切ない。しかも、70年代の曲がバンバン飛び出すから凄い。”AUTONOMY””I DON’T MIND””WHAT DO I GET”・・・パンク時代における最高のソングライターの一人といわれるピートの名曲ばかりである。これで盛り上がらないはずがない。前方にいるお客はもう暴れまくっていたけれど、ダイブをする人は皆無だ。それで良いと思う。会場は小さいし、ステージまで転がっても受け止めるような人もいないし、こうして節度をもって盛り上がるライブが一番良い形だと信じる。

スティーブはギターを掲げて何度もお客を煽る。なんだかピート・タウンゼントを連想したが、最後はなんとマイクスタンドとドラムをぶっ壊してしまう。そんなパフォーマンスも功を奏し、最後まで熱を失わないライブだった。お客もバンドも実に楽しそうだった。私も最後の方でスッと前に進んでスティーブとタッチをしてもらうほどである。アンコールを含めても1時間ほどという短さだったが、あの内容には誰も不満はなかったにちがいない。そして、デビュー30年を経てもパンクの精神が生き続けていることを確認できたことが私にはなにより嬉しかった。
ソウル・フラワー・モノノケ・サミット神戸公演(06年8月23日、長田区四番町の地蔵盆)
大学から京都に移って10年ほどになるけれど、いつも不思議に思っていたのは地蔵盆の光景だった。あちこちの民家で祭壇を作ったり、飲み食いをしたり、長い数珠を皆で回したりといった姿を見るたび「あれはいったい何だろう」と奇妙に感じていた。地蔵盆は関西地方でよく行われる行事であり全国各地にもあるらしいが、私の地元である北海道登別市では見られない。ネットで少し調べると地蔵盆は子どもが主役の行事とわかった。ということは、私が関わることはもう無いということか。

そんな地蔵盆まっただなかの8月23日に神戸市は長田にやってきた。私の住む上京区にくらべて長田の地蔵盆はけっこう規模が大きい。町ぐるみでおこなっていることが一目瞭然なのだ。露店も出ているし、交差点の片隅にはなんとヤグラが組まれている(画像を参照)。しかし、別に地蔵盆のためにわざわざ長田へ訪れたわけではない。ソウル・フラワー・モノノケ・サミットがここで無料ライブをするからである。

公式サイトによれば18時に登場となっていたけれど、10分、20分と経っても始まる気配はない。するとヤグラの上にオジサンが現れて「いま名古屋で渋滞している」と説明があった。これはしばらく来そうもない。そのときオジサンが「飲み物を持ってって」と言ってきた。ヤグラの下にある缶ビールやお茶を取っても良いというのである。私も缶ビールをもらう。子どもが主役の地蔵盆だが自分も恩恵を受けてしまった。午後6時50分ごろ再びオジサンがヤグラに登場し「まもなく始まります」と言う。しかしここからマイクや機材の準備を始めて、それがまったく終わりそうにない。ベースの河村博司も自らマイクを取り付けている。そんな状態のなかで午後7時半すこし前にやっとメンバーが壇上に上がり開演である。メンバーはソウル・フラワーの5人に、樋野展子(サックス)、仲村奈月(ボーカル、大太鼓、三線)を加えた7人編成だ。京都公演などには参加していた大熊亘はいなかった。

ライブは、京都公演と同じく”美しき天然”で始まる。誰でも聴いた経験のあるイントロだが、モノノケ・サミットのライブの冒頭はいつもこの曲なのだろう。中川敬は、今日は神戸で演奏した曲をたくさんしたい、といった発言をMCでしていた。そうだ。ソウル・フラワー・モノノケ・サミットは阪神大震災がきっかけで生まれたグループだった。そして神戸は彼らの誕生の地である。それゆえにボランティアでわざわざ神戸まで演奏をする意味が彼らにはあるのだろう。1ステージ目が終わってからも、30分ほどの休憩をはさんでまたライブがあるという。時間も押しに押していたので1回が終わった時点で「帰ろうかな」という思いもよぎったけれど、最後まで見て本当に良かった。神戸で1日に5回も演奏した”アリラン”など、京都公演では披露されなかった曲がたくさん聴けたからである。お客は100人くらいでそれほど多くなかった。人があふれて危険、という事態にならなかったのは喜ぶべきことでもないかもしれない。それでも「来年も来ます」と発言していたので、07年もモノノケ・サミットのライブを観られそうである。アンコールで2曲歌っても拍手はやまず、中川が一人で”六甲おろし”を1番だけ一緒に歌って終演となった。その時点で9時15分ごろで、終わったらすぐに地下鉄に乗り京都に戻った。演奏曲目は以下の通りである。

(演奏曲目)
〔1ステージ〕
(1)美しき天然
(2)ラッパ節
(3)解放歌メドレー(水平歌〜農民歌〜革命歌)
(4)ハイカラソング
(5)カチューシャの唄
(6)聞け万国の労働者
(7)トラジ
(8)アリラン
(9)ドンパン節
(10)チョンチョンきじむなー
(11)ヒヤミカチ節

〔2ステージ〕
(12)釜ヶ崎人情
(13)満月の夕
(14)お富さん
(15)蒲田行進曲
(16)がんばろう
(17)竹田の子守唄
(18)インターナショナル
(19)有難や節
(20)復興節
(21)さよなら港

<アンコール>
(22)安里屋ユンタ
(23)豊年音頭
(24)六甲おろし(中川のボーカルのみ)
堂島孝平を最初に観たのは02年のリクオのライブにおいてである。私は同じくゲストだったBONNIE PINKが目当てだったので、別に彼を観たかったわけでもなんでもなかった。ただ、彼の歌う姿を観て、この人は佐野元春の影響を受けているのかなあとだけはなんとなく感じたのをいまでも覚えている。

そんな堂島孝平が佐野元春とジョイント・ツアーをするというの知った時は、それほど行く気が起きなかった。佐野元春についてもツアーがあるたびに足を運ぶほどファンでもないし、大阪公演は仕事がぶつかっていたからである。

考えが変わったのは、FMラジオで偶然に堂島がツアーについて語っていたのを耳にした時である。彼の話を聞くうちに、今回のツアーはいままでライブで耳にしたことのない佐野の曲が聴けるのはないかという予感がした。さらに堂島が番組内で佐野の”スウィート16”と”レインボウ・イン・マイ・ソウル”を流したのも意図的に感じたのだ。

「観ないと後悔するよ」

そんなサインを送っていたような気がしたのだ。そこで、日曜日にある神戸公演のチケットを取って会場のチキンジョージへ向かった。

会場周辺は女性ばかりで、ほとんどが堂島めあてのファンばかりに見えた。その中に自分のような佐野めあての男性がちらほらいるという感じである。そんな中でライブが始まった。

ライブの構成は、最初に堂島だけ出てきて、佐野のカバー曲”スターダスト・キッズ”を含めて9曲ほど演奏して、そこから佐野さんが登場して9曲。また堂島が1曲歌って本編終了。それからアンコールで堂島が1曲、そして佐野再び登場して2曲、あわせて2時間20分くらいだった。

堂島については曲は知らないので、佐野の曲だけ載せておく。しかし、これが凄かった。

(1)スウィート16
(2)ヤングブラッズ
(3)99 BLUES
(4)誰かが君のドアを叩いてる(堂島がリード・ボーカル)
(5)最後の1ピース
(6)レインボウ・イン・マイ・ソウル
(7)CHRISTMAS TIME IN BLUE
(8)So Young
(9)約束の橋

(アンコール)
(11)サムデイ
(12)アンジェリーナ

自分の好きなアルバム「スウィート16」(92年)から3曲も演奏するとは、それこそ夢にも思わなかった。この演奏曲目は堂島が選んで佐野に頼んだという。堂島は、何度も佐野さんのライブを観ているがこんな選曲は無い、と感慨深く言っていたけれど、まさに空前絶後である。

ライブの雰囲気も非常に良かった。特に堂島がリードを取った”誰かが君のドアを叩いてる”では、本当にみんな佐野元春が好きなんだなということが伝わっていて、観ているこっちも嬉しくてしかたがなかった。佐野についても、いつもののバックとも違うし、後進のミュージシャンとの共演が刺激となったのか、いままで観た中で一番元気に見えた。

個人的には、聴きたくて仕方なかった「スウィート16」からの楽曲が初めてライブで体験できたことで大満足である(いままでは”また明日・・・”1曲しか聴いたことがなかった)。そして、もし行かなかったとしたら、死ぬまで後悔していたことだろう。わざわざ神戸まで足を運んで十二分の内容だった。
いちおうベスト・アルバムを買ってはみたものの、ほとんど聴くこともなくライブ当日を迎えてしまった。レオン・ラッセルの曲で覚えたのはかの”A song for you”のみである。アルバムを流してみても、どうも彼の歌声が好きになれないのだ。ただ、シンガー・ソングライターと呼ばれる人はとりあえず興味があるのでチケットを取ってしまった。

会場に入ると、これは今日の客は少ないと感じた。椅子とテーブルが並べているからである。クアトロでお客が多い時は椅子などいれない。整理番号が9番だったので最前列も確保できたけれど、そこまで熱心に観るつもりもないので中央後方の椅子のある場所に座った。

客層はやはり年配が多い。あとは自分くらいの年齢の人間もちらほらいる。自分の隣は右も左も40代くらいの男性である。開演が近くなるにつれてそれなりに人も入ってくる。ざっと200人くらいだろうか。

午後7時、ほぼ時間通りに照明が落ちる。クアトロで定時にライブが始まるという経験はこれが最初な気がする。編成はギター、ベース、ドラムスに黒人の女性コーラスである。そしてレオン・ラッセルが目の前に現れた。写真で観たことはあるけれど、髪もヒゲもものすごく伸びているうえにサングラスまでかけているのでほとんど顔が見えない。何かに似ているなと考えていると、ペルシャ猫が思い浮かんだ。

ゆっくりとキーボードの前に座ったと思ったら、すぐに演奏が始まった。その瞬間に会場の空気は一変する。とんでもなくファンキーな演奏である。淡々としたステージだと勝手に予測したので驚いた。さらにそのまま一言もしゃべらずに、ほとんど休むこともなく1時間ほど演奏を続けてしまう。こんな真似をするからこの時代のミュージシャンは恐ろしい。ベースやドラムスは演奏の合間をぬって水を飲んでいて大変そうだ。この時点で知っていた曲は、レイ・チャールズの「わが心のジョージア」のみだった。

レオンがバンドのメンバーを紹介してから、コーラスの女性がアカペラで歌って。レオンが一人で弾き語りをする。ここで”A song for you”が飛び出した。しかし、キーボードの音が少し派手なのが気になった。なんだか80年代を連想させるような、とでも表現すればわかりやすいだろうか。この辺はできればピアノで聴きたかった。

そして再びバンドが現れて数曲演奏して、ライブが終わる。出てくる時と同じようにゆっくりとレオンはステージから消えていった。見れば、杖をついて歩いているではないか。そんな状態であの演奏をするとは、改めてミュージシャンとしての底力を感じた瞬間である。

会場が明るくなって片付けが始まっても、お客は拍手をやめない。観た人はみなライブに満足した証拠であるが、しかし残念ながらレオンは出てこなかった。杖をついて再び出てくるのはやはり大変なのだろう。
エイミー・マンの名前を知ったのは、BONNIE PINKのシングル”眠れない夜”においてである。そのカップリング曲に入っていたのが、”That’s Just what you are”というカバー曲だった。言うまでもなく、その作者がエイミー・マンその人である。正直いって、彼女についてはそれくらいしか知らない。ソロとして活動する前のバンド「ティル・チューズデイ」についても全く知識がない。BONNIE PINKが敬愛しているから、というのがライブに足を運んだ理由である。

だが、私が知らないというだけで、日本でも彼女の人気はけっこうあるようだ。東京公演はすぐに完売して追加公演まで決まった。大阪は完売までいかなかったものの、7、8割はお客が入っていたと思う。私は後方の中央あたりに陣取って開演を待つ。

予定より20分ほど遅れてライブが始まった。バック・バンドはギター、ベース、ドラムス、キーボードで、エイミー以外はすべて男性である。

一応、最近出たライブ・アルバムを買ったものの、熱心に聴いたわけでもないのでほとんど曲は覚えていない。ただ、ライブ・アルバムにしては完成度が高かったので、実際はどんなものかと結構期待していた。が、なんだか歌声が小さくてよく聞こえない。どうやらマイクのバランスが悪かったようで、2曲目の途中から調整されたのかいきなり歌声が大きくなった。

どの曲をしたかとか具体的に書けなくて申し訳ないけれど、生のエイミーはライブ同様の完成度の高いものということは感じた。ただ、盛り上がるような曲がないので、けっこう淡々とした進行でライブは最後まで行った。アンコール2回を含めても1時間20分ほどの長さであるが、短くは思えなかった。

唯一知っている”That’s Just what you are”は残念ながら歌ってくれなかったけれど、ギターを抱えながら歌い、時にはベースに持ち替えて歌うエイミーの姿はBONNIEと通じる部分を感じた。
重い扉を開けると、すぐ目の前には客席が飛び込んでくる。それくらい「拾得」の中は狭い。収容人数はおそらく100人にも満たないだろう。

そして、会場に比例するようにお客も少なかった。20人くらいだった。なぜかグレイトフル・デッドのTシャツを着ている人もいる。どこで買ったのだろうか。たぶん、みんなアメリカン・ロックの好きな人なのだろう。しかも、けっこうマニアックな。一人で来た私は、居心地の悪さを感じながらステージ横の椅子に座った。何か頼まなければならないのでギネスを注文したら、300ミリリットルくらいの小さな瓶が出て来た。これで630円である。

磔磔と同様、このライブハウスも木造である。室内のみならずステージも木でできている。そこにピアノ1台とアコギが1本だけ置かれている。これは一人で演奏することは間違いないと思いながら、ギネスを少しずつ飲んで開演を待つ。

午後7時半、開演時間ちょうどになって2階から初老の外国人が降りてくる。その人がもちろんエリック・アンダースンである。まずはピアノの前に座り歌ったのは聞き覚えのあるイントロだった。彼の代表作である「ブルー・リバー」(72年)より”Wind And Sand”である。歌声を聴いて、ずいぶんしゃがれていると感じた。しかしそれは当たり前のことである。「ブルー・リバー」発表から33年も月日が経っているのだから、レコードの声と同じであろうはずがない。ただ、ピアノにしてもギターにしても、あの「ブルー・リバー」の世界と同じ雰囲気の、なんとも深い音を出していた。ほとんど知らない曲であるが、”ブルー・リバー”を聴けたのはやはり単純に嬉しかった。

アンコール2回こたえて約2時間のステージが終了したあと、CDの即売およびサイン会が始まった。あらかじめ”ブルー・リバー”のCDを持ってきたけれど、会場で売っているCDを買わないといけないような雰囲気だったので、CDも買わずサインをもらうのも断念して会場を出た。
関西から遥か遠い山口県の友人から、ヤッサ!に行けなくなったので代わりにどうですか、というメールをもらった時は正直なところ迷った。特にウルフルズのファンというわけではないけれど、タダで行けるという話が悪いはずがない。しかし、これは通常のライブではなく大阪万博公園における野外イベントなのだ。しかも、集合時間(12時30分)から開演時間(午後4時)、そしてライブ自体が3時間近くわたるのだから、それなりの覚悟と準備をしなければならない。ヤッサ!は天気との闘いなのだ。しかし、今月の後半は楽しいことな何一つなかったので、彼の好意に甘えてヤッサ!に参戦することにした。

昨年もその友人とヤッサ!には行っているので、だいたいの事情はわかっているつもりだった。前回は12時ごろにはすでに公園に入っていたけれど、今回は後ろでも構わないと思い午後2時すこし前に万博へ到着する。事前に、凍らせたペットボトル2本とレジャーシートを持ってきた。公園の入場券(250円)を買って入園し集合場所に到着するもまだ入場は始まっていなかった。

ヤッサ!は大きくわけて二つのエリアに分かれている。立ち見をする前方の「スタンディングエリア」と、レジャーシートなどを敷いて観る後方の「ピクニックエリア」となっている。私はピクニックエリアの方だった。そしてピクニックエリアはいちばん最後の入場となるので、さらに1時間ほど待たされる。集合場所はアスファルトの広場で地面から生じる熱線はかなりきつい。不覚にもサンダル履きで会場にきたのは失敗だった。それに耐えてやっと3時少し前に会場へ移動する。去年はこの移動の途中でも待たされたが、今年はそんなこともなくスムーズに会場へ入ることができた。ピクニックエリアに入ったのは開演1時間前である。適当な場所を確保して開演を待つ。

そして午後4時10分ごろ、スピーカーから三波春夫の”世界の国からこんにちは”が流れだす。スクリーンには太陽の塔が出てこないし、メンバーも派手に登場するわけでもなく、ゾロゾロと出てきてMCもなく”バンザイ”が始まる。なんだか昨年と違うなと最初から感じる。ウルフルズの熱心なファンでもないのでわかったような解説は避けるけれど、昨年の「ロック・オデッセイ」やヤッサッサ!で観たクドさというか彼らの持ち味は全体的にやや薄めな気がした。私はそうした彼らの体質がいまいち馴染めないのでそれが良かったけれど、ファンはどう感じたのかはわからない。公式サイトの掲示板には、いつもより短く感じた、という書き込みをちらほら見かけたけれど、そうしたことが原因ではないだろうか。

アンコールの最後は”いい女”から”ガッツだぜ”という、いつものライブとは違った終わり方だった。最後の最後でトータス松本は殿様の格好(”ガッツだぜ”のPVの姿)で出てくる最後に花火が何発も打ち上がって3時間近くにわたる今年のヤッサ!が終わった。ライブの途中でトータスが語っていたけれど、今年は”ガッツだぜ”が出てから10年目になるという。つまり、ウルフルズがブレイクしてから10年というわけだ。年々、完売するスピードが上がっているというヤッサ!である。5回、10回とするぞとトータスは力強くMCで言っていた。私は日射病にかかったためか、帰りは頭が痛くてしかたなかった。最後に公式サイトの掲示板で拾った演奏曲目を記す。

<演奏曲目>
(1)バンザイ〜好きでよかった〜
(2)小・中・高・大〜トロフィーをかかげよう〜
(3)ワンダフルワールド
(4)愛してる
(5)あの娘に会いたい
(6)愛がなくちゃ
(7)笑えれば
(8)SUN SUN SUN 95’
(9)大阪ストラット(六甲おろし 風船飛ばし)
(10)僕の人生の今は何章目ぐらいだろう
(11)暴れだす
(12)新曲
(13)事件だッ!
(14)ええねん
(15)彼女はブルー
(16)サンキュー・フォー・ザ・ミュージック
(17)バカサバイバー
 
(アンコール1 )
(18)新曲
(19)ウルフルズA・A・Pのテーマ

(アンコール 2)
(20)いい女
(21)ガッツだぜ 
前回の京大西部講堂におけるライブの感想にも少し触れていたけれど、最近eastern youthのライブについて少し飽きのようなものを感じているのが正直なところなのだ。演奏曲目を観てもらえばわかる通り、演奏する曲数は限られている。別に手抜きをしているわけではないのでそれ自体に不満があるわけではない。問題なのは、演奏する曲がかなり限定されていることである。

私は関西のライブくらいしか観ていないので、すべてのライブでも同じような傾向なのかは断言できないけれど、演奏する曲の大半はレパートリーが決まっている。新作アルバムをともなったツアーだろうが、そうでないツアーだろうが、ライブで歌うものにあまり変わり映えがしないのである。いままでに彼らのライブは6回ほど観ているけれど、”黒い太陽”はすべてのライブで聴いたような気がする。そういう経験が続いたため、大好きであるはずの”夜明けの歌”や”スローモーション”や”雨曝しなら濡れるがいいさ”などが演奏されても喜べなくなってしまった。これは熱心なファンであればあるほどそういう気持ちなのではないだろうか。また、「eastern youthのライブはこの曲がなければならない」、という固定観念もできあがってしまうのも良いことだとはいえない。

そんな心境で今日のライブに臨んだけれど、今日は少し違った。曲数は相変わらず少ないけれど、後半に”破戒無慙八月””徒手空拳””大東京牧場”といままで聴いたことのない曲が演奏されたのである。これでいい。ことさら人気のある曲でなくても、彼らには魅力的な作品がたくさんあるのだから、それを万遍なく出していくのが絶対に良い。久しぶりに、eastern youthを観に行って良かったと思えるライブだった。以下に演奏曲目を示す。

<演奏曲目>
(1)自由
(2)踵鳴る
(3)暁のサンタマリア
(4)浮き雲
(5)青すぎる空
(6)破戒無慙八月
(7)徒手空拳
(8)矯正視力〇・六
(9)大東京牧場
(10)街はふるさと

<アンコール>
(11)夏の日の午後
(12)DON QUIJOTE
1970年代半ばにロンドンやニューヨークで起きたパンク・ムーブメントにおいてたくさんのバンドが出た。その有名どころでいまだに活動しているのはダムドくらいである。クラッシュもラモーンズもメンバ−は死んでしまった。そういう貴重な存在であるダムドが来日するので、何も思い入れが無いにもかかわらず心斎橋クラブクアトロに足を運んだ。お客は200人くらいだろうか、寂しい入りではなかったので一安心である。

7時ちょうどに電気が消えて、まず前座の「Limited Express(has gone?) 」という日本のバンドが出てきた。女の子がギターとボーカルの3ピースバンドで、調べてみるとジョン・ゾーンのレーベルから作品を出している。ジョン・ゾーンの名前が出る通り、パンクとはほど遠い音楽性で、ボアダムスあたりを思い起こさせるノイズを出して、女の子がすっ頓狂なボーカルが重なるというものだった。MCもほとんどないまま20分ほど演奏してすぐ引っ込んだ。もちろん、観客はほとんど盛り上がらない。

それから30分ほど舞台替えをして、ダムドが登場する。キャプテン・センシブルは「We are Clash」と言って観客を笑わせている(東京ではSex Pistolsと言っていたらしい)。

今回は初期メンバーであるデヴィッド・ウ゛ァニアンがボーカル、ギターがキャプテン、そしてベース、ドラムス、シンセの5人編成だ。私は1枚目のアルバムしか聴いたことがないので、30年近くたったダムドって一体どんな音を出すのかと思っていたら、実際の音はおおよそパンクのノリではなかった。シンセが多様されていて、一言でいえば80年代のアメリカのロック・バンドのような、とでも表現しようか。

そんな音を出すので、おそらくパンクファンのような子供たちはほとんど盛り上がっていないように見えた。”ボーン・トゥ・キル”や”ニュー・ローズ”などの初期の曲が演奏された時には人が飛んでくるような場面もあるが、曲が2分とか短いのでアッという間に終わって収束してしまう。そんな状態のまま”ニート・ニート・ニート”で本編が終わる。

アンコールでは拍手はあまり起きなかった。それはダムドのせいというよりも、お客のマナーが悪かったと解釈したい。しばらくして、セーラー服をきたキャプテン(前回の来日でも着ていたらしい)が現れ、ダイブした女の子をステージに引き上げたりと、微笑ましい場面などありながら数曲演奏して終わる。1時間半ほどのステージだった。

ネットではライブについて酷評も見かけたけれど、デビューから30年も経ったバンドに対して過剰な期待をもってライブに来た人もいるのだなと呆れてしまった。

確かに他人に薦めたくなるようなものではなかった。しかし、ダムドが現在でも活動している姿を生で観られた事実には満足している。

1 2 3

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索