早朝のカフェオレ
どんなに朝が早くても遅刻はまずしない。だからといって朝が強いというわけでもない。むしろ、パッと起きるのはものすごく苦手だ。

社会に出るまでは今以上に朝が苦痛で仕方なかった。生まれつきものすごい低血圧の体質で、上が100を切るほどであった。毎朝目を覚ますのがものすごく気分が悪い。しかし、会社勤めをしてしばらく経つうちに血圧も125くらいの数値になっていき、かつてほどには起きるのが辛くなくなった。

だが、現在でも起きるのは苦しいし、スッキリと目が覚めるという体験も自分の中ではあまり記憶がない。

「起きるのダルい。それだったら、ずっと寝ていたい」

こうして、休みの日は正午近くまで布団から起き上がらないこともしばしばだ。寒い冬の季節はこの傾向がさらに強くなる。そういうわけで、自分にとって冬の朝は最悪である。

しかし、である。新しい仕事は朝からけっこう体を動かしたり、細かいことも必要になってくる業務だ。頭がボーッとしている状態ではつまらないミスをする可能性も高くなってくる.元来ボヤッとしている人間であるから、このあたりはどうしても対策を立てないといけない。ここしばらくそんなことを思っていた。

だからといって何か対策をたてたかといえば、特に何もしてなかった。36年生きてきてずっと朝が弱かったのだから、これからも清々しい朝を迎えられるとも思えなかったのである。

だが先日、思いがけないことからこの問題の解決の糸口が見えてきた。仕事の帰りで買った牛乳とインスタント・コーヒーでなんとなくカフェオレを作って、翌朝にそれを飲んだ時のことである。しばらくすると、不思議と頭がスッキリしてきたのを自分でも感じとったのだ。別にカフェオレを飲もうとしたのは何の意図もなかったのだけど、この効果には驚いた。

そんなのコーヒーだって同じだろう、と思う方も多いだろう。しかし、コーヒーを飲んでスッキリした記憶も私には無いのである。よくよく考えてみれば、朝起きて空腹の状態でカフェインを胃袋に流し込むというのはなかなか刺激の強い行為な気がする。少なくとも、体に良いことはないだろう。朝にコーヒーを飲んでもちっとも目覚めない自分は間違っていないと思う。

そんなコーヒーと比べると、牛乳の入ったカフェオレの方がいくぶん刺激は弱いし味も優しくなっている。それでもカフェインが入ってるから目覚めの効果はある。ちなみに砂糖などの類は全く入れていない。市販のカフェオレがたいてい不必要なくらいベタベタに甘く味付けがされているけれど、それも目覚めには良くないような気がする。

なんだか講釈が多くなった気もするが、ともかく最近は毎朝カフェオレを作って飲んでいて目覚めも良くなっている。また仕事でミスらしきものもなく順調だ。別に仕事とカフェオレとの因果関係があるというつもりもないけれど、しばらく朝のお供に飲み続けるような気がする。

写真は私がそのカフェオレを入れているマグカップだ。07年にヴァン・モリソンを観るため渡英した際、ロンドン三越で買ったものである。ご存知の方も多いだろうが、セックス・ピストルズの唯一のアルバムのジャケットがプリントされている。

ねこカフェ

2013年1月18日 日常
ねこカフェ
ねこカフェ
ねこカフェ
新しい勤務先は自転車で通える範囲の距離にある。部屋からの所要時間は30分ほどで先月までの職場と大差はない。この点は交通費の出ない派遣社員の身としては本当に有り難い話だ。

余談だが、今回お世話になっているところとは別の派遣会社から仕事を斡旋された時の話である。条件の時給がちょっとシブい数字だったので、

「あのー、ここって交通費は出ませんよね?」

と電話口の女性に訊ねると、

「そうですねー。交通費は”込み”となってますねー」

と返ってきたのでけっこう面食らった。

「いやいやいや・・・”込み”じゃないでしょう?支給されないだけでしょーが」

と言いたかったけれど、なんとか胸の内に収めた。いや、本当のところは呆れて言葉が出なかったのだが。

この派遣会社は定期的に電話がかかってくるので、仕事が決まらなくて「もう終わりか?」という時には世話になろうかと直前まで考えたことが何度もあった。しかしそういう時に限って別のところから仕事が見つかり、結局は縁が無いまま現在に至っている。今回の件が決まってからも数日後に留守番電話が入っていたけれど、出る理由もないのでメッセージの確認も返事もしなかった。すいませんねえ。でも、数ヶ月後にまたかかってくるだろう。

以前の職場は山のすそのような辺鄙な場所だったのに対して、今回はかなり街の中心部へと移った。主要なコンビニ店、マクドナルほかファースト・フードの店舗などが近くにズラッと並んでいる。そんなに詳しい地域でもないので、仕事の帰り道は自転車で景色を確認している。その中で「オッ」と思うものがあった。

それが「ねこカフェ」だった。場所は、行きつけの某立ち飲みの店をずっと南下したところにある。職場とも同じ通りに面していた。たしか出勤1日目の時に見つけたと思う。

店の前に置いてある看板を見ると、1ドリンクがついて1時間1000円、とのことである。カフェに長々といる習慣がない人間なのでこういう店に入る気持ちはあまり起きなかったが、金曜日が終わったということで気持ちも少し疲れていたんだろうか。

「ちょっとネコにでも癒されてみようかな」

と、フラフラと店の扉を開けて中に入ってしまった。店員の女性が出てきて、

「こんな寒い日にありがとうございます」

と言って、まず靴を脱ぐようにお願いされる。カフェといっても、普通の喫茶店の形とは全く違っていた。画像に載せてある通り、じゅうたんの敷かれたスペースに机やソファが置かれている。普通の居間のような感じであった。テレビも置いてある。私以外に先客が3人いた。そして、部屋のいたるところにネコが陣取っている。椅子の上で寝ていたり、ファンヒーターの前で暖をとっていたり、天井のほうの高い場所にいたりしている。合計で7〜8匹はいた。

ドリンクのアップルティーを注文して、窓ぎわの机に座ると、黒くてまだら模様の(あまり可愛くない)ネコが一匹寄ってきた。顔をなでてみたら、いきなり指を軽くかまれてしまう。ぐわあ。

しばらくすると店員がアップルティーをお盆に入れて持って来てくれた。その中にミルクがあったのだが、小さなタッパーに厳重に管理されていて、

「ちゅうい!猫がねらいます」

と但し書きがされている。ここは油断してお茶を飲むことのできない場所のようだ。

しばらくはノートで仕事の手順などを写していたが、やはりネコのことが気になってくる。しかしもっぱら犬しか接したことのない身としては、この動物がどういう行動パターンをとるのかさっぱり理解できない。だっこしてみようとしても、抱かれるのが嫌いなのか「ニャー」と言ってスルッと腕の中から逃げてしまう。

もう一つよくわからなかったのが、写真の三毛猫のしぐさだった。だっこするのもイヤだろうと思い指で顔をなでていたら、自分の頭を私の手にこすりつけてくるのだ。これは友愛のポーズなのだろうか。それとも、単に頭がかゆかっただけなのだろうか。

横を見れば、床であぐらをかいて座っていた男性のところに白猫が寄ってきて、男性の上に乗っかってそのまま眠りに入っているではないか。そういえば、私のあるところの猫にこんなことをされた記憶がある。そんなこんなでネコのことをちっとも理解できぬまま1時間が経過してお店を出ていく。犬派の私としては居心地は正直いって微妙なところだった。

部屋を出たときは午後5時を過ぎていたので、そのまま北上して行きつけの某立ち飲みの店(5時開店)へ寄る。ビールを飲みながらカフェの話をして、

「僕は犬が好きだから、ドッグ・カフェが良いですねえ」

と漏らすと、

「でも、渡部さん。ドッグ・カフェって、犬を連れて入って良いカフェのことやで」

と店の方にドッグ・カフェの定義を教えられてしまった。そ、そうだったのか・・・。

しかし、どこか京都市内で犬に癒される場所はないのだろうか。そうでなかったらは虫類でもインコでもいいのだが。そんなところがあったら覗いてみたい。

急旋回

2013年1月8日 日常
急旋回
年末から1月3日までずっと用事が入っていた。よって個人的には1月4日が新年という実感である。

しかしながら、ゆっくりできるような立場でもないので、昼過ぎに行きつけのラーメン店に新年の挨拶がてらお邪魔し、そしてこの日から開いている職安で仕事を探してみた。年末に処理しきれなかった案件が沢山あったのか件数自体はそこそこ多かったけれど、めぼしいものは一つも見つからないまま出て行く。あとは部屋に戻って求人サイトを検索したり本を読んでいるうちに日が暮れてしまう。

「こんな感じで2013年も過ぎてしまうのだろうか・・・」

そんな漠然とした不安が自分にせまってくる1月の第1週であった。

これは生来の性格に違いないと思っているが、私はすぐに行動をするタイプの人間ではない。最初の職場を去った時も、退職金が残っているから半年は大丈夫だろう、とタカをくくって転職活動を熱心にしていなかった。その結果として、新しい仕事に就くまで5ヶ月を費やしてしまい、退職金もほぼ無くなってしまった。長い間フラフラしていて周囲からひんしゅくを買っていたような気もする。

それゆえ、今回はすぐにでも新しい仕事を見つけなければ、と自分なりに必死だった。先月も有給をとった日は職安に行ったり、大阪まで面接に行ったりもした。しかし結果といえば、不採用通知がポストの中にたまる一方である。そして、そのまま2012年が終わってしまった。最悪の年越しである。

今週に入ってからは、

「ただ履歴書を送るだけではラチがあかない・・・。派遣会社にも連絡をしてみようか」

と、登録している派遣会社のサイトからいくつか応募をしてみることにした。

しかし、派遣についても感触は思わしくない。応募多数のため紹介できません、というものや、

「これは渡部さんが以前に断ったところで、P社さんなんですが・・・」

P社って、死亡事故を起こしたことのあるP社かい。それはちょっと遠慮させていただきます・・・。

そんな連絡ばかりだったので、

「あー、もう駄目かなあ。このままホームレスまっしぐらかなあ」

などと自暴自棄になっていたところに、派遣会社から電話がまたかかってきた。

「うーん?さっきは、年初めでまだ仕事の依頼が少ない、とか言ってたのに・・・」

と怪訝そうに出てみると、

「こんな仕事があるんですが、いかがでしょう」

と電話口の女性が説明を始めた。それは先月までしていた業務内容と重なる部分が多い仕事であった。その辺りが自分に声がかかった理由なのだろう。ちょっと気になる条件(始業時間がかなり早い)はあったものの、

「これを逃したら、たぶんもう今月に決めるのは無理かなあ」

と直感した。正直いって、かなり焦ってもいる。

さらに決定的だったのが、

「仕事の内容的に、職場見学(と称した面接)はありません」

と言われたことである。死ぬほど嫌いな面接が無い!これで決まりだと思った。

「もう、すぐにでも、働きます」

と先方に伝えると、向こうも派遣先と話をまとめてくれて、この1月11日(金)から仕事をするということに決まった。その間は1時間もかかっていない。派遣の流れというのは、面接がなければ、こんなに簡単な手続きで進んでしまうのだ。

ともかく、職歴の空白期間が比較的短く済んだのにはホッとした。今度の仕事がいつまで続けられるか、という大きな問題が横たわっているものの、ひとまず今は素直に今日の結果を喜びたい。

そして、また日常へと
午前7時、radikoから流れてくるラジオ番組の音で目を覚ました。耳に入ってきたのはTOKYO FM系列の「クロノス」だった。元日も変わらず放送されているのか。なんだかいつもと変わらない朝な気がする。

実際、今日も昼から夜まで用事があり、ゆっくりできるわけでもない。人並みの元日を過ごせないのは、立場が立場だから仕方ないのだけれど、侘しいかといえば正直言って侘しい。

そこで朝のうちにお参りに行こうとした。近所で一番大きいところといえば北野天満宮だ。自転車をこいで向かった。早朝に行ったのは正解で、まだ人はそれほど多くないためお参りも待ち時間ゼロで済ませることができた。

ただ、自分が祈願したことが昨年と一緒だった、という事実がなんとも悲しい。

「良い職場が見つかりますように」

というものである。

それが済んだら、また再び自転車で天満宮を出て用事へと向かった。年があけたといっても何も変わっていない。終わりなき日常の連続である。

細くとも、長く

2012年12月31日 日常
今日をもって2012年の終わりである。しかし年越しや3が日の準備は一切していない。もし必要なものがあったら近所のコンビニで手に入れたらいいや、フレスコだって開いてるだろう。そうタカをくくっていた。

しかし、ちょっと気になってフレスコの公式サイトを調べてみたら、全店1月1日から3日まで休業だという。これは意外だったし、周囲の人もけっこう驚いていた。24時間営業をしているからずっと開いていると思うのは自然といえば自然だろう。

昼から夜までずっと外で用事だったので、午前9時に近所のスーパー(ここの営業開始は1月6日から)へ向かい3日分ほどの食べ物を揃えた。黒豆とかカマボコといったおせち料理の類い、また酒は一切買っていない。フリーターの身となった今、そんな晴れがましい気持ちにもなれなかったからだ。

そんな時ふと店内から、

「年越しそばは、細く長く生きられるように、という・・・」

などとアナウンスが流れてきたのを耳にして、

「細く長く、か・・・。蕎麦だけは食べようかな」

という気持ちになって生の蕎麦を2束買って帰った。そして用事を終えて部屋に戻ってから、10時過ぎくらいにその蕎麦をゆでて一人で食べる。

大晦日や元日が一人なのはいつものことなので、それに格別な思いはない。ただ、自分の行く末が全く見えてないことだけは大きな不安である。

いまさら何か大きいことをしようとか一攫千金を狙おう、というような野心は私の中に存在しない。それゆえ、細く長く、というフレーズは今の自分にとってはこれ以上にないくらい相応しい。

果たして2013年は何が待っているんだろう。
先日買った橘玲さんの「不愉快なことには理由がある」(12年。集英社)を読んでいると、後半に宝くじについての文章が載っていた。

宝くじに関する私の見解はほぼ完全に定まっている。1等の当たる確率は交通事故に遭う可能性より低い。また、胴元が半分ちかく取り分を持っていくというシステムを知っているので全く買う気が起こらない。

しかし、毎回くじを買う人は総じて、

「でも、買わなきゃ当たらないじゃない?」

などと決まった反応は返ってくるので、

「どうしてこの人たちは合理的な考え方ができないんだろうねえ」

と心の中で見下していた。

しかし橘さんが、

<宝くじというのは、マトモに考えれば成り立つはずのない賭け事ですが、行動経済学的にいうならば、確率を正しく計算できない不合理性と、天性のポジティブシンキングに支えられて大繁盛しているのです。>(P.211)

と「ポジティブシンキング」という言葉が出ているを見てアレッと感じた。そして先日、Facebookでフィード購読している文章のことを思い出したのである。

それは鹿児島大学大学院教授の西尾正則さんの文章で、西尾さんを含めた素人同然のチームが人工衛星を打ち上げるのに挑戦しているという話だった。

引用元はこちら。

超小型人工衛星「ハヤト」に夢をのせて
http://1minute.raindrop.jp/?p=9683

ここで西尾さんは、

<私はよく学生に
「宝くじは買わなければ当たらない」と言っています。
目の前にチャンスが訪れた時に、
「自分には身に余る」「失敗したらかっこ悪い」と躊躇し、
チャンスを自ら潰すことがあってはならない。
自分の可能性を信じて挑戦して初めて、
新しい世界が見えてくるのではないでしょうか。>

と締めくくっていて、それに対して私は、

「えー、何それー?」

と非常に大きな違和感を覚えた。だが、先ほどの「ポジティブシンキング」と結びつけてみるとこの話もなんとなく理解できるようになった。

要するに、私はネガティブが服を着たような人間だから宝くじに興味をもてない、ということなのだろう。これに対して宝くじを買う気の起きる人は多かれ少なかれポジティブ志向というわけだ。ここには合理/非合理という次元とは違った尺度が存在している。そして私は1つの尺度でしか物事を見てなかったと痛感する。

実際のところ、自分の後ろ向き具合は自他ともに認めるものであり、少しはなんとかしないといけないかなあ、と思う時もしばしばある。もしかして宝くじを買ったら少しはポジティブになるのでは?と一瞬思ったが、勿論いまのところ買う気は全く起こらないんだな、これが。
12月5日、やっと10日分ある有給休暇の1日を消化することにした。本当はゆっくりしたいところだがそんな余裕が私にあるはずもなく(数ヶ月後はホームレスになってるかもしれないしね)、履歴書用の証明写真を手配したり久しぶりに職安に行ったりして過ごした。その合間にかつて職場で一緒だった方と昼食をとったので、休日らしい休日でもあったわけだが。

しかし、相手はまだその会社にいるわけであり、ご飯もその近くで済ませなければならない。周辺をフラフラしていたら顔みしりに何人か会ってしまう。

私の顔を見るなり、みんな異口同音で、

「いま何してるの?」

と訊かれた。当然といえば当然の反応だが、

「いやー、アレがアレなんで。エへへへ」

と適当にお茶を濁しておいた。こんな微妙な状況の私にそんな質問はやめていただきたい。だがその前に、知り合いが多そうな場所にのこのこ現れる自分が一番悪いんだけどね。

そんな1日を終えてまた翌日にいつもの職場に戻った。3日の月曜日にはもう後任の人が来ていたから、私は部屋の片隅で電話番くらいの仕事しかなくなっている。それはそれでイヤなものであるけれど、本でも読んで時間つぶしてりゃいいかと思ってもいた。いつもギリギリの時間に出勤しているけれど(行くのが嫌だから)、その後任の男性が何やら携帯で話をしながら私と逆方向に歩いていくのを見かける。

「うーん、この時間にどこへ行くんだ。朝はいつもすることが多いのに・・・」

不思議に思いながらも、

「まあ、俺には関係ないことか」

と職場に入り部屋の片隅に陣取った。

すると、

「渡部くーん」

と上司に呼ばれた。もはや今の自分に何の用だと面倒くさそうにそっちへ向かった。すると、彼は一拍おいて予想外のことを口にした。

「あのー、後任の彼ね、辞めたんで・・・いつものように業務をしてくれる?」

え?

え?

え?

おっしゃってることが、いまいちよくわからないのですが。

どうも後任の彼は、挨拶か何かをしてそのまま帰ってしまったようだ。

狐につままれたような気持ちで私は、自分からはもう手から離れたと思った日常業務をまたすることになってしまった。その間、

「月曜日に入ったから、勤務期間は3日・・・」

と、もはやいなくなった彼について考えた。後で職場で聞こえた会話を総合すると、職場で使っているパソコンのシステムを使うのが自分に合わない、とか昨日の夕方に辞意を切り出したようだ。

しかし、システムなんて教えてもらって後は習熟するだけだろう。余剰人員はいないから覚えるまで首を切られることもない。おそらく、辞めたい本当の理由は別のところにあったと思うが。仕事の内容に将来性を感じられない、とか。

しかし、繰り返してしつこいが、たった3日間って何だろう。そんなの職歴にもならないぞ。せめて3ヶ月はしろよ、と他人事ながらちょっと呆れてしまった。

それに比べたら、こんなところに7ヶ月半もいた私は意外となかなかなものかも、などと自画自賛してしまった。が、最後の数日くらいもっと楽をしたかったなあ。無理みたいだなあ。

今朝は一段と寒い。

目覚ましより先に起きてまず感じたことはそれだった。明らかに昨日より冷え込みが厳しくなっている。そういうわけで、6時より20分ほど前に目を覚ましたものの、実際に起き上がったのは7時前後のことであった。

部屋にある唯一の暖房設備であるセラミックヒーターに電源を入れる。その周辺は暖かくなってくれるものの、部屋全体は相変わらず寒い。そういうわけで、出発のギリギリまでヒーターにベタッとへばりつくのが日課となっている。

「いま12月に入ったばかり・・・。こんな状態があと3ヶ月半くらい続くのか?」

そう思うと体だけでなく、心の中もブルブルと震える感じだった。

今日を含めて現在の仕事はトータルで10日間勤務すればお役御免となる。それはそれで嬉しい話なのだが、次の準備を始めないといけない。しかし部屋で毛布にくるまっていては何もできないだろう。

かつての日記にも書いたが、いま住んでいる部屋はエアコンではなくクーラーしか設置されていない。そういうわけで何年かは暖房器具なしで過ごし、しばらくしてハロゲンヒーターを買うも部屋はほとんど暖まらず、寺町の電気街で買った今のセラミックヒーターが2代目の暖房設備となっている。これで5年くらいは過ごしただろうか。セラミックヒーターは暖かい風が出てくるだけハロゲンヒーターよりはずっとマシである。しかし部屋全体が暖まらないのには変わりがない。そうなると部屋を動き回る気力もわかないのだ。

「就職活動もしなといけないしなあ。このままの状態ではなあ・・・」

とかなり深刻に考えた私は、アマゾンのサイトを立ち上げて「石油ファンヒーター」を検索した。そして値段だけザッと確認して、約1万円のそれを注文した。発送方法も翌日到着の「お急ぎ便」を選ぶ。これで明日にヒーターは部屋にやってくる。

しかしヒーターを買ったら、他のことが色々と頭が浮かぶ。

「灯油を入れるポリタンクも買わないといけないな」

「灯油をヒーターに入れるためにポンプも必要だな」

「そもそも灯油をどこで買えばいいのだろう?」

と厄介な課題が次々と出てくる。

ポリタンクやポンプは最初、ヒーターと同じくアマゾンで買おうとした。しかしポリタンクの到着が「12月6ー10日」と書かれていてずいぶん遅い。値段も送料込みで1300円くらいと安くは感じない。このあたりは保留した。

仕事が終わって、最寄りの「コーナン」に寄ってみたらポリタンクが489円、ポンプは198円で売っているではないか。安い。それを買って自転車で部屋に戻った。

あとは、灯油である。最初はどこで買うのか見当もつかなかったが、これもネットで「灯油 京都」で調べたら、近所のガソリンスタンドが出てくる。そこに18リットルのポリタンクに持っていき入れてもらったら、1728円かかった。これが何度も続いたら・・・結構イタい出費かもしれない。

しかし、満タンのポリタンクを抱えて部屋へ戻る道はけっこう厳しかった。ちょっと歩いただけで手がしびれてくる。持つ手を右左で代わる代わるにしながらなんとか部屋にたどりついた。もっと寒くなったら、

「ゆーきやこんこん あられやこんこん」

と音楽を流して走っている灯油の移動販売車を大宮通でつかまえるしかないだろう。

ともあれ、これでヒーターを迎える準備はできたと思う。10年ほど寒さで苦しんだこの部屋も、明日からやっとだいぶ暖かくなりそうだ。

思わぬ掘り出し物だった「指なし手袋」
今朝は一段と寒さが厳しくなったように感じた。ラジオからは、滋賀のどっかで初雪が観測された、とかなんとか言っていたような気もする。寝ぼけているからどこまで確かな情報かわからないが。それはともかくとして、部屋にいても手先がめちゃくちゃ冷たい。

「このままの状態では厳しいなあ」

と感じ、千本寺之内にあるローソン100に入りレジのそばに置いてある手袋を買った。105円ですと言われて、5円玉と50円玉を1枚ずつ出すような人間なので、商品もろくに確認しまいまま店を出てしまった。

「自転車のハンドルを握る手も冷たい。はやくはめよう」

と思って手袋を取り出すも、

「あれ?この手袋・・・指先が切れてるぞ」

とここでようやく異変に気づいた。私が買ったのはいわゆる「指なし」という手袋だったのだ。最初は、失敗した!と思ったけれど、これをしばらくこれを見ているうちに、

「お、この手袋だったらこのままiPhoneをいじれるぞ」

「本も読めるぞ」

「キーボードも打てる!」

と使い道がたくさん出て、通勤前には珍しくかなり楽しい気分になった。実際、iPhone操作も読書もキーボード打ちもほとんど支障なくできる。さすがに指先は少し冷たいものの、素手に比べたらずっとマシである。

そういうわけで、部屋で手袋をしながらこの日記を書いている。お前の部屋はどれだけ悲惨な環境なんだと哀れに思う方もいるかもしれないが、暖房をつけるはもう少し、あと少しだけ辛抱したい。京都の冬はまだ寒くなるから。

キーボードや読書はともかくとして、この手袋だったら携帯もそのまま動かすことができる。1つポケットに忍ばせても不便なことはないだろう。ローソン100へ行けば105円で手に入る。これは意外に使える。不注意が原因なものの、思わぬ掘り出し物に出会った朝であった。
応募してみるもんだな
応募してみるもんだな
応募してみるもんだな
ゼスト御池の某店でトンカツを食べたのは先月のことだったろうか。会計を済ませて店を出たら店員がダーッと後ろから追いかけてきた。何か忘れ物でもしたのか?と思ったら、1枚の紙切れを渡される。それはプレゼントの応募用紙だった。必要事項を書いて会場に置いてある箱に入れれば応募できる。こうしたものはあまり書いていないけれど、この時は、

「まあ、応募してみるだけしてみるか」

とその1枚を書いて箱に投函した。プレゼントが全国ご当地の食べ物だったので、それに惹かれたのかもしれない。

そんなことをしたのも忘れていた今日の昼間、見知らぬ電話場号から着信があった。おそるおそる出てみると、

「ヤマト運輸です。ゼスト御池さんからの荷物が届いているんですが、本日はお部屋にいらっしゃいますか?」

と言われて、その時のことを思い出した。ゼスト御池といったら、心当たりはそれしかなかったからだ。

そして部屋に戻ってから荷物を受取る。写真がそれである。「しら河」の「名古屋名物ひつまぶし」セット2人前だった。

奇しくも今日は仕事で整理した伝票の金額を合わせて提出する期限だった。この時はいつも苦労していて、今回も終業30分前に完成するというギリギリの段階であり部屋に戻る時はグッタリしてしまった。

そうしたタイミングで渡されたこのプレゼントを見ると、

「お疲れさまでした。あと一踏ん張りですね」

と言っているように思えた。全くの偶然には違いないのだが。
その日は朝の目覚めが最悪だった。ひどい頭痛がするうえに吐き気がする。理由は自分の中でわかっていた。昨夜は久しぶりに飲み過ぎたからである。楽しい酒になるとつい調子に乗ってしまうのが私の欠陥だ。

今日の午後は大阪で某セミナーに出席することになっている。ただ、いつもの自分だったら朝食を食べて昼食を済ませるころには体も元に戻っている、と経験的にわかっていた。実際、朝食の後は吐き気がしなくなった。しかし出発前になっても頭痛は治らない。しかも悪いことに鼻水まで出てくるではないか。ここまできてからようやく気づいた。これは風邪の症状にちがいない、と。

もし昨日これほど飲まなかったら、翌朝すぐに「俺は風邪ひいてる」とわかったに違いない。しかし自分は二日酔いなんだ、とすっかり信じていたので気づかずにここまできてしまった。

こうした失敗をかつてしたことがある。日記にも書いている。

風邪の時に飲酒をしてはいけないか
http://30771.diarynote.jp/200901142047064409/

つくづく歴史は繰り返されるのだな、などと悠長にしてはいられない。こんな状態でセミナーなど受けられるものか、と阪急電車に乗る前に四条河原町のドラッグストアに入って風邪薬を買った。薬の種類はたくさんあるが、以前(今年の5月)に飲んでスッと治ったことのあるものを選ぶ。それを飲んで、終点の梅田に着くまで眠りについた。

効果はてきめんだった。電車を降りる頃には頭痛も鼻水も症状はすっかり落ち着いていた。おそらく放っておいたら悪化したに違いない。

こうして私は無事にセミナーを終えて、懇親会では酒をまた飲んでいたのだった。
懲りない奴だな、と呆れた方もいるだろう。しかしこの時はさすがに体調を気にしていたのでビールと酎ハイを少し飲んだ程度で抑えてみた。これで風邪が悪化しても、すぐに気づくだろうと思いながら。

先日、携帯に「06」から始まる電話番号の着信履歴が残っていた。大阪からである。番号に覚えはない。この1ヶ月くらいを振り返ると、思い当たることがあるとすれば、近所にできたコンビニのポイントカードを申請したことの関係くらいか。

そして今日の午前中にも電話がかかってきた。恐る恐る出てみると、

「◯◯(コンビニの名前)のカードのことで」

と先方は切り出してきた。やっぱり。他に自分へ電話がかかるといったら、NTTの各種サービスの勧誘くらいだろう。電話口の女性(Hさん)は続ける。

H「では、本人確認で生年月日を年からお願いできますか?」

私「はい、昭和51年6月1日です」

H「ありがとうございました。では、お勤め先が◯◯となってますが、本人確認をさせていただいてよろしいでしょうか。職場にはどなたかいらっしゃいますか?」

私「はあ。今日は私とパートの方しかいませんけど・・・」

H「わかりました。しばらくしたらお電話いたします」

と言われて、いったん話が終わった。そして5分後に今度は職場の電話が鳴り出す。出るのは私しかいない。

私「はい、◯◯(職場の名前)です」

H「おそれいります。Hと申しますが(注:ここでは所属は名乗らないで個人名だった)。渡部一晶さんはいらっしゃいますか?」

私「はい。私本人ですけど」

H「ありがとうございます。それでは本人確認がとれましたので、カードの手続きを進めさせていただきます」

それで終了。

え?

え?

えええええ?

電話に出たのが私本人なんだけどねえ。そんな雑な本人確認でいいのかよ?と苦笑してしまった。別にクレジット機能があるわけでもないし審査なんて通らなくてもこちらは全く困らないが、こうした本人確認の実態を垣間みられれかなり面白かった。

ところで、当初はコンビニの具体名を挙げて日記に載せるつもりだったが、なんだか角が立つかなあと感じたので伏せておくことにした。ご了解いただきたい。
Facebookに登録したのが2011年2月5日のことだった。なぜ始めたのか、その動機ももはや覚えていないけれど、この国でも少しずつこのSNSが浸透しつつあるなという空気を感じ取ったのだろう。しかしその頃も、実名主義だし日本ではそんなに広がらないだろう、とは思っていた。

それがみるみるうちに(個人的な印象ではこの半年間ほど)利用者が自分の周りでもずいぶんと増えた。現在(2012年9月14日)、私とつながっている方も45人に達した。いまの大学生くらいだったら、FacebookやTwitterなどのSNSを登録して周囲とやり取りするのもごく自然な行為なのだろう。私が大学の時(96年〜00年)は、携帯「電話」(当時はメール機能もなかったのだ)すら持ってなかったけれど。

Facebookもまた日常における友人・知人同士の情報交換の場と化している気もする。だが、私も1年半ほど使いつづけていながら、多くの人がしていることをしていなかった。

自分の顔写真の投稿である。

もともと自分の写真など載せたくないと思い、道ばたで撮った犬の写真や、高校時代に「似てる」と言われた「まおちゃん」(森下裕美のマンガ「少年アシベ」の登場キャラ)の画像を乗っけてお茶を濁していた。しかし一方、名前が「Face(顔)」とついたSNSだし基本的に「実名主義」ということになっていて顔写真を載せないのもなんだなあ、と少なからず違和感を抱いてもいた。mixiやTwitterだったら自分の写真を載せる人は少数派だろう。だがFacebookだったら、自分の写真を使わないのはなんかやましいことがあるのか、と思われるような気がしてならない。ましてや日記や他のSNSですら実名を出している人間だから余計そう感じてしまうのだろうが。

そして先日、適当な写真があったのでそれを切り取って投稿してみた。すると何人かから反応をいただいた。

「劇的ビフォーアフターじゃないですか!」
「遺影で使えるやん!」
「痩せすぎやろ!わしと反比例してるやんか!(ToT)/~~~」

といった感じである。また「イイネ!」が2つ付いたけど、何が「イイ」のか本人にはさっぱりわからない。

ただ、しばらく会ってない方からしたら容姿がずいぶん違ってみえるかもしれない。かつての職場を辞めた時(11年4月)は体重が80キロくらいだったから。今はそれより10キロくらい減っている。

しかし、顔写真を載せたら載せたで、また別の違和感が出てきた。「◯◯にチェックインしました」とか近況をつぶやいていみると、その横に自分の写真が出てくるのがどうも気になるのだ。なんだか自分が喋っているような・・・実際にコメントを書いているのだから当然なのだが。だが、これもしばらくすれば慣れてくるだろう。

通勤中に見る光景
毎日毎日おなじ勤務地に行くと、部屋を出る時間も道のりも必然的に決まってくる。そうなるとまた別のことに気が付く。途中にある工事現場ではいつも同じ警備員が立っているし、自転車に乗った一人の男性とは毎朝のようにすれ違う。彼らも私に対して、ああいつもの人だ、と思っているのだろうか。

そして今日の写真もまた、朝いつも見かける光景の一つである。おそらくここで誰かが交通事故か何かで亡くなったのだろう。お花と飲み物が置かれている。

それだけだったらほとんど気には止めなかっただろう。しかし毎日のように見ていると、あることに気がつく。日が経つにつれてお花が枯れていくわけだが、そのくらいになるとまた新しいお花と飲み物が添えられているのだ。それは亡くなった方に対する遺族の思いの強さを物語っている。

どのような心境でいつもお花を取り替えているのかは私には想像がつかない。

ただ、

「自分にはそれほど思ってもらえる人、またそれくらい思う相手などいないな」

と気づいただけである。
別に改まって言う話でもないけれど、またしても日記の更新が滞っている。個人的な事情が絡んでいるのであまり具体的なことは書けないけれど、支障のない範囲でなんとか近況を伝えてみたい。

いましている派遣の仕事を見つけたのは今年5月の半ばからだった。以前の職場を離れてほぼ1年を費やしたものの、働いて生活費をなんとか捻出しながら将来に向けて活動をする態勢がこれで築けるかもしれない、という淡い期待がその時はあった。

しかしそれから3ヶ月が過ぎ、現状は自分の描いていたような形に全くなっていないことに愕然としている。ものすごく簡単に説明すれば、日常の仕事を全くこなすことができず、そのおかげ自分の時間を捻出する余裕もないまま壁にぶち当たっている状態なのだ。もっといえば、今の仕事を続けられるどうかも怪しくなってきている。そうなったらまた新しい仕事を探さなければならない。前回の仕事は半年、今のが3ヶ月程度しか続かないというのはなかなか厳しいものがあるだろう。企業などに対する心象も悪いに決まってる。

この3ヶ月の間に何があったかといえば、とにかく毎日のように失敗ばかりしている。思い起こせば自分のヘマしか出てこない。失敗を糧にして次を頑張ればいいではないか、と多くの人は思うだろう。しかし自分は全く何も改善できず現在に至っている。そして、具体的な方策が出てこない。そうなると、今の仕事は続けられない、という結論を出すしかないだろう。

その失敗ばかりの毎日を過ごす過程で、自分というものに対して嫌でも向かいざるを得なかった。だが出てきた答えといえば、

「自分というのは、変えることができないものなのかな」

という残酷なものだった。

別に私はこの数ヶ月でそういう考えを持ったわけではない。大学を出てから最初の職場に採用されるまでのことなど自分の過去を振り返って導き出したものだ。当時もけっこう苦労らしきものや嫌な体験をしていたけれど、それによって自分を変えられたかといえばそうでもなかった。

なんとか01年に最初の会社に入ってからも、組織によって自分がつぶされるような経験は、もうこれは幸か不幸かわからないけれど、なかったと思う。しかしそれが社会人としての致命的な欠陥となっているとも考えられる。実際、そうした自分の悪い面がいま表出したため現在の仕事に支障が出ているのだ。

ともかく、現状の仕事をこなすためにはこれまでの自分のスタンスをかなり変更しなければ切り抜けられない。それだけは確実だ。そして、それはもうこの1ヶ月である程度の結果を出さないとマズい状況になっている。

しかし橘玲さんが「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(幻冬舎、10年)で繰り返し書いてある通り、自分というのは容易に変えられないのだ。少なくとも私の中ではそれが厳然とした事実である。それでもなんとかしなければ、また失敗の繰り返しの日々が待っている。いや、もう失敗を続けることも許されない。できなかったらもうお終い、というわけだ。

スティーヴィー・ワンダーとともに「ニュー・ソウル」と言われる新しいブラック・ミュージックを70年代につくったマーヴィン・ゲイは父親に射殺された悲劇の人として知られているけれど、生前も悲惨な出来事を多く経験している。60年代の彼はタミー・テレルとのコンビで数々のヒット曲を飛ばしていた。二人はステージでも実生活でも理想のカップルであった。しかしその人気が絶頂の時にタミーは脳腫瘍で倒れ70年に亡くなってしまう。ショックを受けたマーヴィンはノイローゼとなり音楽活動を1年間休止することになる。

彼は後年、

「私が音楽に求めるものは、悲しいリフレインだけだ」

という言葉を残している。私が最近ふと思い出したのがこの「悲しいリフレイン」だった。まさに自分の半生も悲しいというか情けないことの繰り返しである。ただ私には「喪失」といえるような大事なものを手に入れたという経験がそもそも無いというのがマーヴィンと決定的に違う点だが。

別に私は同じ失敗を繰り返したいわけでない。しかしそのためには、本当に自分をどうにかしないとならないのだ。今月はそれが試されることになる。

今年は珍しく「送り火」を観に行った
ずっと田舎で暮らしていたためか、人が多い場所へ行くのは好きではない。連休中に遠出をするのも嫌だし、何か大きなイベントやお祭りをしているところに入りたくもない。だから例えば祇園祭の最中は京都市内の中心部には近寄らないようにしている。

そして今日も人がたくさん集まってくる行事がおこなわれる日だ。8月16日は「五山の送り火」である。送り火のよく見える場所はどこも人でいっぱいになるのでウンザリしてくるし、もちろんその中に加わりたくもない。

しかしながら今回については、近所の船岡山公園はよく見えるしちょっと覗いてみようかな、という思いが頭をよぎった。日記やFacebookに載せるネタを作りたかったのかもしれないし、いつもと違った行動をとってみようと考えたのかもしれない。理由はともかく、午後7時半ごろに部屋を出てサンダル履きのまま歩いて船岡山公園まで向かった。徒歩だとけっこう時間がかかり、公園前に着くころには汗だくの状態になる。

船岡山公園は丘に上がると5つの送り火のうち4つを拝むことができる場所だ。やはりたくさん人が集まっており警察も何人か待機して物々しい雰囲気ではあった。しかし、同じく人でいっぱいとなる鴨川周辺と比べればそれほど混雑はしていないから穴場といえるだろう(これは私の体験ではなく、鴨川と船岡山で送り火を両方観ている人の話だ)。

そうして午後8時になると、順々に山が点灯されていく。そのうちに、公園からは最も大きく見える「左大文字」を撮ったのが画像だ。もちろん多くの人がデジカメや携帯やDS(子どもが使っていた)で撮影していたが、フラッシュをたいても意味ないよ、という声がどこからか聞こえてくる。個人的にも山が遠くにあるのだからフラッシュは意味をなさない、と思い込んではいた。しかし試してフラッシュを使用してみたら、近くの様子がクッキリ写ることによってコントラストとなり、暗闇にただボッと火があるより見栄えがするように感じる。

公園のあちこちをウロウロして写真を撮ったら満足してきたので、8時40分ごろには部屋に向かった。北大路通りには観光バスが何台から止まっており、バス停も人でいっぱいである。この中を自転車で移動していたら厄介なことになっていただろう。歩いてきたのは珍しく正解だ。

道に歩いている人から、左大文字が大きく見えて良かった、というような声も聞こえてくる。私は別に船岡山は初めてでもないのでそうした感慨はなかった(最初に観たときはなかなか感激したけれど)。ただ、

「もう8月16日か。8月も後半なんだな」

という焦りにも似た思いがただ頭の中を回っていただけである。
お盆と関係ない職場とはいえ、人の出入りがが少なくなっているためか今週はかなり静かに過ごしている。今日もややこしい案件もないまま終業時間を迎える。そしてすぐ外へ飛び出してバスで部屋へ向かった。先日パンクした自転車を今日中に修理したかったからだ。それが済まないと出勤も買い物もラーメンも行けないではないか。

しかし焦っているにもかかわらず、大事なことに気がついた。

「まてよ・・・。今はお盆だからお店も休みなのではないか・・・」

つくづく悪い時期にパンクをしてしまった(パンクをして良い時期など、そもそも存在しないが)。自転車を押してお店まで行ったあげくに「休業しています」という張り紙があったら・・・嫌だよね。

そこで部屋に戻る途中に携帯からお店へ電話してみた(お店の番号を登録していたのだ)。

しかしおそるおそるかけてみると、

店の人「はい、◯◯商会です」

といきなり出てきたので驚く。

私「あ・・・。今日は営業しているんですか?」

店の人「はい、してますよ。でもこれから外に出るんで、30分後に来てもらえますか?」

私「はい、わかりました」

良い意味で予想は裏切られた。とりあえずこれで自転車の問題は片付きそうだ。部屋に着いたらすぐお店へ向かうつもりだったけれど、30分待てと言われたので着替えて一休みしてから出発する。部屋からお店までの所要時間は10分くらいだったろうか。ただ、疲れていたのか空腹だったためか、その距離がなんとなく遠く感じてしまった。

店内にはご主人が一人(いつも一人だが)しっかり待機していたので、

「すいません。さっき電話したものです」

と言って、

「日曜日に空気が抜けて、たぶんパンクかと・・・」

と事情を簡単に説明した。

いつもなら、

「わかりました。すぐ見るから30分後に来てください」

というのがこの店のパターンであった。しかし、この日のご主人から返ってきた言葉は、

「空気を入れてみて」

という思いもよらぬものだった。

いやいやいやいや。私は自転車の専門家ではないけれど、もうこれは自然に抜けたものとは違うと思うんだけど。

「これはパンクだ!セックス・ピストルズだ!クラッシュだ!早く直して!」

と強引に突っぱねれば良かったのだが、そんな根性のない私はご主人が言われるがままにプシューッと(自分で)後輪に空気を入れる。とりあえずタイヤはパンパンになり、どこかの穴から漏れているような気配はない。

店の人「これでしばらく様子をみて」

私「・・・はい・・・わかりました・・・」

本当はちっともわかってなかったんだけど、そのままお店をあとにする。どうしようもないのでとりあえず近くのスーパーで晩ご飯を買おうと走り出した。しかしお店についた辺りで、3分くらい経っただろうか、もうタイヤの空気が無くなっているではないか。もう少し様子を見ようかとしばらくスーパーの中をうろうろして戻ってみたら、もうタイヤはフニャフニャの状態になっている。そのまま自転車を2、3分ほど押して歩き、

「すいません!やっぱり空気が抜けましたあ!」

とご主人に伝えると、

「じゃあ見るから、30分後に来て」

と言われる。そうしてまた近所をフラフラして時間をつぶしてお店に来たら、

「できてますよ。1300円」

と当たり前のように言われた。

このお店は対応がなかなか良かったのでいつもお願いしていたのだが、今回の件はいかがなものか?という感じである。最初から診てくれていたら多少の時間削減にはなったと思うのだが。お盆にもかかわらず働いていて先方の機嫌が悪かったのだろうか。こちらは別に診断料くらいは払ってもいいのだが・・・ちょっと後味の悪いパンク修理であった。
体重が増える心配は、たぶん、無し
今日は先日に引き続いて左京区の方へ用事があった。天気は昨日とうって変わって快晴だったのでいつも通り自転車で向かう。終わったら置き忘れた傘も引き取ってこれで万事うまくいく、と最初は思っていた。

用事が終わったのは午後9時過ぎである。明日も仕事で早いし、帰って食事をする気力ももはやない。そうなると、どこか外で済ませようかと安直な考えに走るのが常だ。そして自然と足は一乗寺の方へ向かう。

「なんだか、タイヤの空気が抜けているような」

と思いながら、「ラーメン軍団」まで行き「重厚つけ麺」を食べてみた。しかし、この選択は間違っていた。店を出てふたたび自転車に乗ると、後輪の空気がスカスカになっているではないか。もはや乗って走ることは、不可能でもないが、かなり辛い状態である。

こうして、この夜中に1時間ちかくかけて自転車を押して上京区まで戻った。部屋に着いたのは午後10時45分くらいである。真っすぐ帰っていればある程度のところまでは自転車でいけたかもしれない。そのあたりの判断ができなかったことも実にまずかった。唯一の救いは余計に歩いたおかげで、つけ麺を食べたカロリーを多少は消費できたことくらいだろうか。そう考えるしかないだろう。
社会人になってから職種のせいで「お盆」という概念がかなり意識が薄くなっている。会社全体が1週間も停止するというのを経験したことがないからだ。現在の仕事をしてようやくそうした社会の動きを実感しつつあるのだが。

といっても、別に私にお盆休みができたわけではない。休日は「カレンダー通り」というやつだ。派遣社員の身で特別休暇など存在しない。別に休めるといえば休めるだろうが、そのぶん月給が少なくなってしまうだけのことだ。

さらに土日も用事が重なっているため、もう休日というものすら無いのでは?という状態になっている。こういう人間を世間は「貧乏暇無し」と呼ぶのだろう。自分でもまさにその通りだと思う。

それはともかくとして、今日は昼前から夜の9時ごろまで左京区で予定が入っていた。いつもなら自転車で25分ほどかけて行ったけれど今回は、そうもいかない、と行く前から感じていた。

降水確率が高いからだ。

といっても12時〜18時、18時〜24時の時間がともに「60%」という実に微妙な数字だ。「もしかしたら降らずに済むかも?」と思ってしまうだろう。実際のところ自転車で行かなければ、傘を持ったりバス代がかかったり早めに出発しなければならなかったりと面倒が多いのだ。

しかし決め手となった判断材料が出てくる。

「局地的に大雨のおそれ 西日本から北日本」

とYahoo!のトップに載っているからだ。

「うーん、今は大丈夫かもしれないが、晩には土砂降りになるかもしれないな。それで自転車だったら大変だろうし」

ということで、傘を持ってバスで出かけることにした。行く時は雨は降っておらず問題はなかった。しかし昼過ぎからどんどん空模様が怪しくなり時には雷鳴がとどろくほど大雨が襲う。

「バスにして良かった」

と、この時点では安堵した。しかし、である。夜が更ける頃には雨もすっかり上がってしまった。

「あー、これだったら自転車で移動できたのに!バス代もかからなかったのに!」

と悔やむが、もうそれは仕方ない。何もなかったのでそれで良しとするしかないだろう。しかし、面倒なおまけが一つ自分に待っていた。疲れた体でバスを待っているうちに大事なことを思い出したのである。

「あ・・・。傘を置き忘れていた」

明日も用事があるので、そのときに取りに行こう。
昨夜は恐ろしく疲れがたまっていたのか、部屋に戻るなり倒れるように眠ってしまった。まだ午後9時とかそんな時間だったと思う。実際のところは炊飯器をセットして冷蔵庫には麦茶を準備して、と翌日の最低限な準備はしてはいたが、それ以外は何もせずに寝てしまった。

そのまま目覚ましの時間(午前5時30分)までグッスリと眠った、わけではなくアラームがなるよりずっと先に目がパッと開いてしまう。その時も時間は確認したわけではないけれど、おそらく4時ごろだったのではないだろうか。もうちょっと寝ようかなあと布団に入ったまましばらくそのままでいたが、頭の中はこれ以上ないほどスッキリしている。

「これは、早く仕事に行け、という知らせかな?」

と直感し、起きてすぐお弁当や水筒を準備して7時には部屋を飛び出して職場は向かった。そうして到着したのは午前7時30分、通常よりも1時間早めの出勤となった。

そこまで早く出てきたのは、暑さのせいで頭がどうにかなったという話ではない。いま抱えている仕事の処理時間を考えると、それくらい前倒しでやらないと間に合わないと思ったから。ましてや、明日は休みを入れているためにある程度の業務は処理をしなければならない。そんな悲壮な思いに駆られてとった行動と理解していただきたい。

しかしながら世の中はままならないもので、業務開始早々にとんでもない失敗をしでかして仕事の進行が全面的に止まってしまう事態が発生する。復旧したのは午前11時を回ったくらいだったろうか。

「まずい。このままの状態では仕事が終わらない」

そう判断した私は、もう昼休みを作業をこなしていった。しかし予想外に作業が増えた部分もあり職場を出たのは午後8時過ぎである。外はもう真っ暗になっていた。それから部屋に戻って最初に何をしたかといえば、電子レンジでお弁当を温めることだった。昼食にするはずのものが晩ご飯になるとは、なんともやるせない。

こんなことを書いても何の自慢にもならないけれど、どんなに経済的に苦しくとも(苦しくなかったという時期は無いか)必ずといっていいほど3食は食べていた人間である。ましてや昼食もとらずに夜が更けるまで仕事をしたという記憶は、無い。そういうことを思えば、自分を取り巻く現状は悪くなる一方という気がする。

ただ、いつも通りに出勤していたら明日休むことができなかったかもしれない。そういうスレスレの線だった。その辺のことを考えると、今朝の早起きはまだマシな選択といえるかもしれない。

ただ、8月に入った途端にこういうことだから、この1ヶ月は先が思いやられる。

1 2 3 4 5

 

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索