日記の流れを見れば明らかだが、ある日を境に更新を途絶えていた。原因は私の日記に関するコメントである。

〈貴方、確実に元いじめられっ子ですね!
しかもキツめの( ̄▽ ̄)
可哀想!〉

〈愚痴と言い訳ばかりの本人自身が、
実はプライドと被害妄想とコンプレックスの塊だったというオチ。〉

端から見れば、え?こんな匿名のコメントを気にしてるの?という感じなのだろう。しかし、しかし当事者の私はいわゆる「炎上」のような経験をしたこともないし、こういうものに対してどう反応していいのか正直わからなかった。

そもそもの話、アフィリエイトで稼ぐとか集客のために文章を書くとかいった目的もあるわけではない。要するにブログを書くモチベーションが下がっていた矢先にこういう経験をしたため長い休養期間となったわけだ。

その間、ライブを観た感想でも書こうとかいった気持ちになることは何度かあったけれど、自分の気持ちはどうも整理がつかず踏み切ることができなかった。また見知らぬ「名無しさん」にコメントが書かれたらどうするか、という問題が解決してなかったのだ。

そうして平成30年を迎えた今年のある日、自分のこの問いに関して実に簡潔に明快な答えを示したものをTwitterで見かけた。この4コマ漫画である。

「嫌う人へ」
https://search.yahoo.co.jp/amp/s/tr.twipple.jp/ps/e4/81784c.amp.html%3Fusqp%3Dmq331AQECAEYAQ%253D%253D

匿名で批判とか誹謗中傷をしてくる「名無しさん」に対して以前から嫌悪感を抱いてきたが、この作品を何度も見ているうちに、そういう気持ちもほとんど消え失せてしまった。

愚かな人(しかも匿名)に愚かなことを言われたからといって、何を悲しんだり嘆いたりする必要があるのだろう。

こうした心境に導くきっかけを与えてくれた、漫画の作者スルメロックさんに謝意を表したい。



地球温暖化の影響なのかはわからないが、ここ最近は春や秋の期間がめっきり短くなったのは間違いない。数日前までは半袖で過ごしていたと思ったら、いきなり上着が必要になることももう当たり前になった気がする。そうした気温の変化が急激におとずれると、それに体がついてゆかずに風邪をひいてしまう。

つい先日も急に寒くなった朝は、鼻水やくしゃみといった症状がいきなり出てきた。その時に、しばらく手洗いやうがいをしていなかったな、と思い出す。手洗いやうがいをしたようが良いと勧めていたのは、この春に定年退職した派遣先のボスであった。うがいと手洗いの効果のほどはよくわからないが、風邪を抑える役割は多少あると実感する。

私の場合は水で適当にうがいをしていたが、ボスは「イソジン」を愛用していた。そして家だけでなく職場でもうがいを欠かさなかった。それだけなら別に何も感じなかったが、あるとき職場で、

「やっぱりイソジンでうがいをすると、口の中がピリピリして、風邪の菌が倒されているのが感じるわー!」

などと職場で言っていたのは今でも印象に残っている。

しかし、上のセリフを読んで、

「え・・・そんなわけないでしょ?」

と感じた方が少なくないだろう。私もその一人である。顕微鏡でしか見えないような風邪のウイルスが死滅するのを「感じ」られるわけがない。口に残っていたイソジンの味に対してそんな思い違いをしているだけだ。

このイソジンに限らず、ボスは「妙に」敏感な部分があった。たとえば私が昨夜ニンニクをそこそこ摂取したら「あ!くさい!昨日ニンニク食べたやろ!」とすぐ勘づくし、うっかり職場で「すかしっ屁」などしようものなら「くさい!くさい!」と、わめいていたものだ。

その程度なら、まあまあ鋭い感覚してるな、という程度で終わっただろう。しかし彼の敏感さはそれだけで済まなかった。

たとえば、

「この職場に悪魔がいる!」

とかもう原因不明な発言が時おり飛び出してくるからたまらない。思いきり向こうの立場に合わせて仮に「悪魔」なるものがいてそれが彼には見えているとしても、周囲の他の人には誰もわからないのだから手の施しようがない。おそらくその「悪魔」は健常者には見えないものなのだろう。

ところで、こないだネットで「アスペルガー症候群」を調べる機会があった。最近なにかと耳にするこの言葉についてろくな知識がなかったと気づき調べてみたのだ。

しかし、たとえば文部科学省の定義では、

<アスペルガー症候群とは、知的発達の遅れを伴わず、かつ、自閉症の特徴のうち言葉の発達の遅れを伴わないものである。なお、高機能自閉症やアスペルガー症候群は、広汎性発達障害に分類されるものである。>

https://h-navi.jp/column/article/136

などと書いており、読んでもなんだかわからない。 Yahoo!で「アスペルガー」を検索するとトップに「広汎性発達障害」という用語が出てきて、

<(1)対人的相互反応における質的障害(相手の気持ちがつかめない、場にあった行動がとれない)

(2)コミュニケーションの障害(言葉の使用の誤り、会話をつなげない)

(3)行動、興味、活動が限定していて反復・常同的>

https://medical.yahoo.co.jp/katei/041031000/?disid=041031000

などと特徴が書かれていて、なんだか自分にも当てはまるのでは、とも感じてしまった。これらを読む前から「アスペルガー」というのは平成の生んだ差別用語という認識だったが、アスペルガーと診断された相手が何も救われないという点で間違ってはいないだろう。

ただ、この後の文章の後で興味深いことが書かれていた。

<これらに加えて、何らかの感覚過敏が90%の人にみられます。聴覚(機械音、サイレン、ピストルの音、雑踏の音など)、味覚(偏食になる)、視覚(絵本の特定のページ、CMの場面)、触覚(抱かれる、洋服を着るなどの皮膚接触を嫌う)など特定の刺激に苦痛不快を示し、回避します。>

これを見て、

「まさか、かつてのボスはアスペ・・・」

などと一瞬だけ思ってしまったが、もうこれ以上は止めようと考え直した。むやみに差別用語を振りまく人間が一人でも減ったほうが世の中はマシになると信じているから。
もう世間で大きく報道されているが、ボブ・ディランが今回ノーベル文学賞の受賞が決まった。「偉大なアメリカの歌の伝統の中で新たな詩的表現を創造してきた」というのが受賞理由だという。ミュージシャンとしては初の受賞であり、それについて賛否の意見が飛び交っているのも周知の通りである。ノーベル賞というもの自体に対する否定的な見解も見かけた。私はノーベル賞について何かよく知ってるわけでもないし、ディランについては来日公演を4回観た程度の人間に過ぎない。そこで、その範囲で思ったことを書いてみたい。

まず、ボブ・ディランに続いてノーベル賞を受賞するミュージシャンがこれからは出てこないだろう、という点だ。ディランがレコード・デビューをしたのは1962年のことで、同時期にデビューしたビートルズとともに後進のミュージシャンや芸術家などに大きな影響を与えたことは別に改めて述べることもないだろう。そして、彼に並ぶような存在が70年代以後の時代に出てきたかといえば、私はパッと思い浮かばない。ディランはとりわけその難解にして複雑な歌詞について注目され論じられてきたが、他に歌詞が評価された人といえば・・・モリッシーとか亡くなったルー・リードあたりが個人的にて出てくるけれど、いずれも世間的な知名度は及ばないというのが正直なところだ。

まあ、ディランについて少しでも知っているならば、ノーベル賞のような大きな賞の一つや二つ取ってもさしたる驚きでもないのだが(実際、ピューリッツァー賞も過去にもらっているわけだし)。彼がミュージシャンに出る以前と以後でポピュラー・ミュージックのあり方が変わってしまったことを思えば、今回の受賞については大きな意外性は無いとはいえる。

ただ、今回の件で違和感を抱くことがあるとすれば、歌詞「だけ」を評価された受賞されたという点だろうか。文学とは何かという大きな問題に触れる気もないけれど、彼があくまで「ミュージシャン」であり、「詩」ではなく「音楽」を作ってきたということは間違いない。あくまで歌詞は音楽の一要素であり、それだけを強調してもディランの素晴らしさは語れないだろう。当の私自身が、歌詞はほどんど聴き取れず歌詞カードもほとんど読まないまま現在に至っている。それは彼の歌詞よりも歌声とかサウンドの方に重きをおいて「音楽」に接していたから、という説明しかできそうもない。

現時点で、ディラン側から受賞に関する公式なコメントは出ていない。これはもう、今回の件について彼はさしたる関心もないという証拠だろう。かの哲学者サルトルのように、ディランもノーベル賞の受賞を拒否するのだろうか。

実際のところ、ファンにとってはかなりどうでもいい話だったかもしれない。ディランが本当に素晴らしいのは、レナード・コーエンもヴァン・モリソンもそうだが、この2016年になってもまだステージに立ちつづけて演奏をして作品を作り続けていることなのだから。

今回をきっかけに、またディランの作品を聴き直そうか、などという思いが少しよぎったが。が、この春に観た来日公演が前回と半分くらい内容が同じだった、というアレなものだったのでずっと聴かなくなっていたのだが・・・。それはともかく、まあおめでとう、というくらいは言いたい。
いつの頃から始めたのかわからないが、出勤をする2時間前に目覚ましを設定するようになった。ある時期は午前5時に部屋を出なければならない日が続いたこともあるけれど、その時は午前3時に目を覚ましていた。いまは平日の場合8時半に出れば間に合うので6時半に起きている。

この話を周囲にすると、けっこう驚く人がいる。そして、

「どうしてそんなことするの?30分前に起きればいいんじゃないの?」

と怪訝な顔をされることもしばしばだ。別に女性のように化粧とか時間のかかる準備をするわけでもないのだから、パッと起きられるならば30分もあれば身支度や食事は済ませられるかもしれない。

だが、その「パッと起き」ることが自分にはできないのだ。生まれつき血圧が低く、社会に出る前は上の血圧が100を切るほどだった。会社勤めをするようになって標準な数値に近づいていったが、朝起きるのが苦痛なのはまったく変わらない。「清々しい朝」などとというものは自分の辞書には存在しないようである。

先日、バイト先で仲の良い人たちと焼肉「ワンカルビ」へ行った。久しぶりの食べ放題だったためかペースをうまく考えることができず、最後は水も飲めなくなるほどお腹がパンパンになって死にそうな思いがした。その時に腹を殴られようものなら、間違いなく吐いていただろう。店を出る時に焼肉の匂いが鼻に入った時はウッと気分が悪くなった。

なんとか部屋に戻ったものの、食後1時間を過ぎてもまだ腹の中は落ち着かなかった。もうこれは時間との勝負だと思いながら、横になって眠った。それから再び目を覚ましたのは、午前4時半あたりだった。気がつけば消化も進んでお腹もすっかり落ち着いていた。ああ良かった、とホッとしてまた眠りにつく。

しかし、ここで目覚ましをセットしていなかったのがまずかった。次に目が覚めて携帯の画面を見ると、デジタルは午前9時を過ぎていた。


ま・ず・い。


始業が9時半だから、身支度をしても20分しか時間がない。自転車ではもう絶対に間に合わない。長年の経験ですぐにそれは判断できた。しかし、それでもあまり慌てることはなかった。そのまま今出川通まで走り、タクシーを捕まえる。結果として9時27分、始業の3分前に派遣先に到着することができた。


実は自分はこういう「自転車では間に合わないが、タクシーを使えばなんとか・・・」という場面はけっこう出くわしている。前の派遣先は午前7時が始業時間だったが、その時に遅刻しかかった場合も同じようにギリギリに着くことができた。

私は目覚めが悪いことに加えて、「二度寝」をすることが多い(というか、ほとんど毎日そんな感じな気がする)。目覚まし時計のアラームでいったん目を覚ましても、起き上がらずに10分20分と過ごしているうちにまた寝てしまうとい具合だ。それでも、また1時間ほどで自然とまた起きるから、結果として遅刻という事態は防げているわけである。

そういうわけで、私が仕事を出るの2時間前に目覚ましを設定しているのは、自分自身の生活習慣に合致し、なおかつ寝坊や遅刻という最悪な事態を防ぐための予防線を張っているからなのだ。誰かが起こしてくれるような存在がいない限り、このような生活はずっと続くだろう。誰も守ってくれないのだから、自分の身は自分で守らなければならないというわけだ。別に意味もなく早起き(実際はちゃんと起きてるわけでもないが)しているわけではないのだ、と言いたい。

しかしながら、着替えもできずヒゲも剃れず、コンタクトを片方で(焦って両方つけられなかった)、靴下も履かないまま(これは本当に苦痛だった)仕事をしたのは、本当に気持ちの悪い1日だった。タクシー代1550円も余計で痛い出費である。
人と連絡をとる手段も時代によっていつの間にか変化しているな、などと思うときがある。それは例えば、自分の携帯に不在着信があるのを気づいた場合などだ。

連絡をとるために電話やEメールを常用していたのは、いつまでだろう。おそらくは5年ほど前、2011年前後かと確信している。個人的にはかつての職場を去る時期であった。周囲の人たちとやりとりするためにFacebookやTwitterといったSNSがもてはやされるようになったのはその頃に間違いない。別に以前の会社を去ったからというわけでもないが、このあたりから特にEメールの類は使う頻度が激減した。別に知り合いの多寡に関わらず、メッセージや無料通話をするのはLINEを中心に多くの人は移行したはずである。

振り返ってみれば、部屋の固定電話は10年くらい前にインターネット回線を残して止めているし、いまは電話をする機会もバイト先くらいで、月に10分も通話はしていない(もともとそんなものだったかもしれないが)。Eメールにしても、それだけでやり取りをしている知人は一人だけしか思い浮かばない。あとはLINEもしくはFacebookにおいてである。

また、携帯の「連絡先」も、かつての職場の人のものは根こそぎ削除してしまっている。もう会うこともないし会いたいとも思わない人も退職を機に軒並み消してしまった。

今日は何が言いたいかといえば、アルバイトの帰り道にポケモンGOをしていたら、急に「080」で始まる番号から着信があったのである。ワン切りではなくしばらく鳴り続けた。留守番電話メッセージでもあるかと思ったが、それもなく終わってしまった。

正直な話、もう見知らぬ電話番号を出るつもりもないし、返信だってしたくない。それがかつて登録していた「誰かさん」だったとしたら、そんな嫌なこともないだろう(別にそこまで嫌がらなくてもいいかもしれないが)。当のLINEにしても、こちらはすでに番号を削除したのに、「新しい友だち」うんぬんでポッと名前が出てきた人間が数人いたのがいまでも忘れられない。「こちらは『友だち』どころかもはや知人とすら思ってないのに、まだ俺の番号登録してるのか?うんこ食ってろ」などと思いながら、そのあたりもみんなブロックしたのは言うまでもない。

しかし、なぜか今夜はその見知らぬ番号の主が気になって仕方なかった。もちろんこちらからかけ直すような真似はしたくない。そんな感じでしばらく考えていると、一つの案が思い浮かんだ。

いわゆる「ショート・メール」である。

ショート・メールならば直接話す機会もなく、相手の電話番号を利用してメッセージを送り返すことができる。変な輩だったら無視すれば、こちらはほぼ無傷だ。

それでさきほどの番号に対して「どちらさまですか?」とショート・メールを送信してみた。だが、予測はついていたものの、いまだに先方からの反応はない。
梅雨入りしてから天気が不安定な日々が続いている。夜から降り出した雨は今朝には上がり始め、いつも通り自転車で通勤することができた。その途中のコンビニで昼食を買い、今日も同じくらいの時間に派遣先を訪れて働き出す。そういうなんでもない日であったが、私も含めた職場の人たちは少し違い思いを抱いていたはずだ。

「今日でようやく、アレから解放される・・・」

職場のボスを含めて、そう思って安堵したに違いない。アレとは、日記をずっとご覧いただいている人は察してくれるだろうが、もう一人の派遣社員の体臭である。今日をもって彼は契約解除となり職場を去るからだ。

何度も書いていることだが、「臭い」という理由で契約解除になったわけではないし、おそらくそういうことは手続き的に不可能だろう。派遣社員がするような仕事のレベルを大きく下回る働きぶりだったからそのような結果になったまでである。

彼の働きぶりに関する恐ろしいエピソードとしては、日々の業務で何か書類を書き込む作業が挙げられる。派遣社員が書いたものをボスが見て「なんだこれ?」と目を疑ったという。彼に確認してみると、それはどうも数字の「0」だったが、何か変なのである。他にもそのような数字(?)があったが、もういちど訊いてみると今度はカタカナの「ロ」だったという。

つまり、「0」も「ロ」も、同じように「○」みたいな書き方をしていて分かち書きができないである。これがきっかけでボスは派遣会社の担当者に直接電話を入れて「もう勘弁してくれ、代わりを見つけてくれ」ということで先日決着したようである。本人に契約解除が伝わったのは、ボスが言うには6月20日の時点だったとのことだ。

当の派遣社員といえば、やはり契約解除の連絡にショックを受けたらしい。本人としてはこれからもここで働きたかったからだ。それはそうだろう。彼の1日の仕事の大半は、京都市内に商品を配送する車の助手席に座って待機するだけである。つまり、駐禁対策である(私は無免許なので、残念ながらこの作業ができない)。それで時給は1100円(推定)だから、働く立場としてはそこそこ良い条件ではないだろうか。しかし、紆余曲折あっての契約解除とはいえ、こうした誰でもできる代替可能な業務などいつ失ってもおかしくないと心得ておくべきだろう。まあ、刺激臭を出していても平気な人にはそのような社会を俯瞰するような視点などないかもしれないけれど・・・。

今日は月末のためか、仕事はけっこう長引いていた。定時より30分ほど遅れて業務は一段落する。そのあたりで派遣社員はいつもお役御免となるのだが、なにやら職場をウロウロして帰ろうとしない。この行動は以前から気付いていたが、こうやって終業時間を遅くして残業時間を5分でも10分でも伸ばそうとしているのである。

「もう他の人がしますから、いいですよ」

と機械的に彼に言うと、そのまま黙って職場から去っていた。それが彼の最後の姿だった。

派遣先の社員の人が勤務中にトイレで彼とすれ違ったので、「今日で終わりですよね?次は決まったんですか?」と訊いたそうだ。それに対する返事はやはり「まだ決まってません」ということだった。

「まあ、あんな人ですからね・・・」

と私が言うと、

「またゴミ収集車の後ろに走る仕事に戻るんじゃないかな。似合ってると思うよ」

などとその社員の人が続けた。適当で無責任なことを言うなあ。

またボスはボスで、もう彼を助手席に乗せることがなくなるためだいぶホッとしていた。そう、私たちはあの刺激臭とこの3ヶ月ほど戦っていたのである。そして今日はその戦いの幕が引いたのである。

だが、この戦いに勝った人は誰もいないだろう。確かなことは、仕事を失った派遣社員が一人負けしたということか。

ただ、もう飲み会の席でもない限り、彼についての話題は出てこないに違いない。世間とはそういうものである。
自分にしては短期間の間に、ブログに対する匿名のコメントが相次いだ。たいした内容でもなかったし無視をするのが最善策なのだが(炎上は書いた人のコメントによって発展することが大半だ)、まあ返事をしてやろうか、という良からぬ思いが頭に浮かび書き込みをしてみる。すると、もっとろくでもないコメントがまた書き込まれて少なからず気分が悪くなった。また、こんなものに相手をしたことについても後悔をする。そしてそのまま、コメント機能自体を停止する処置をとった。

これまでコメント機能を不特定多数から受け付けるようにしていたのは、ブログを公開しているのだから書いた内容について「ある程度は」責任をとりたいという私なりの意志表示であった。もちろん、「誰かから反応が欲しい!」という虚栄心があったことも間違いない。FacebookやInstagramで「いいね!」が欲しい、という人の感覚と同類のものだ。しかし最近しばらく考えて、自分は別にそんな反応は必要ないかな、と考え直すようになった。

一番の理由は、匿名でコメントしてくる人間なんてろくでもない輩だ、という厳然とした事実である。それは実社会で同じような行為をすることと比較してみれば実感できるだろう。匿名の投書や非通知の電話で批判的なクレームをするようなものだ。そんなことをする輩の人間性など、推して知るべし、だろう。

これに対して、赤の他人へ面と向かって何か言うことなど、そうそうできるものではない。たとえば道端でマナーの悪い若者を見かけたとして、彼らに注意をする人などごく少数である。返り討ちにあって殺されるリスクもあるし、見て見ぬふりをしてその場を立ち去るほうが賢明ではないだろうか。現実ではこんな具合の人が大半なのに、ネットの世界に目を向けてみれば・・・これ以上の説明は不要である。

そんなことが念頭にあったのかもしれないが、私自身はネットで不快な意見のようなものを見ても何か反応したとかコメントを書いたとかいったことは一切ない。実社会ではおかしな行動をネットでは平気で展開するというのはダブル・スタンダードであろう(実名でSNSを使っている手前もあるが)。

そう考えてみると、コメントを書いたり書いてもらったり、というのはけっこう危険な要素を孕んだ行為に思えてくる。周囲の影響でなんとなくSNSを始めた人が、見知らぬ人からのコメントで嫌になってその世界から退場したという話は枚挙にいとまがない。SNS自体はあった方が便利であるし私自身は辞めるまではしないと思うが、より快適に使うためにも見知らぬ人のコメントはもう受け付けないことにする。

匿名うんぬんに対してこのようなことを述べると、必ず反感を抱く人は出てくるだろう。そこで、想像できそうな反論を取り上げて、それについての私の見解を説明してみたい。

まず、匿名での書き込みのほうが自由な議論ができる、というようなよくある意見に対してだ。これについては、匿名で書き込みをしている時点でそいつはクズだ、と言って終わりにしたい。と言いたいところだが、今回のために再読した仲正昌樹さんの「知識だけあるバカになるな!」(08年、大和書房)を参考に、もう少し冷静に掘り下げてみる。

もしもお互いの考えを深めたいと真剣に考えて「議論」とか「討論」をするならば、そのためにはかなりの事前準備が必要になってくる。お互いの立場や意見の前提となる根拠や学説などを揃えてルールを決めて行わなければ、生産性のある結果にはまずならないだろう。つまり議論というのはまともにするのはかなり面倒な作業なのだが、ネットに巣食う「名無しさん」がそこまで準備して議論をしようと思ってコメントなどするわけがない。いわゆる「脊髄反射」に対してまでこちらが相手にすることはあまり意味がないだろう。

「コメントを閉ざすのはもったいない。さまざまな意見をやりとりしていけばより良い結論を導きだせる」

というような考えの人もいるかもしれない。しかし、それはおそらくヘーゲルやマルクスの主張していた弁証法的な考えを信じすぎているのではないだろうか。弁証法について簡単に説明すれば、意見の違う2人がガンガン言い合っているうちにもっと高い次元で一つの答えが出てくる、というような考え方である。世の中には、とりあえず議論をするのは良いことだ、というような風潮が見られるが、それはひとえに弁証法的な考え方が浸透している証拠である。

しかし、現実社会を見ればわかるが、弁証法的に議論をしたところで素晴らしい答えが出てくるような場面ははまずない。何のルールも定めないで単に意見をぶつけ合ってしまえば、罵倒し合うだけになるに決まっているだろう。TwitterやFacebookなどで無意味な論争や意見のすれ違いが生じるのは、議論の前提となる取り決めが全くされないからである。

思えば、インターネットを初めて触れたのは1996年、大学1回生の時に大学図書館にあったパソコンによってであった。それから20年ほど経過したわけだが、Yahoo!掲示板とか2ちゃんねるとかmixiとか論争の場はいろいろと歴史をたどっている。しかしいつでもどこでも、議論という名の罵り合いで終始しているのには変わりないだろう。こちらはもう人生の半分も終わったことであるし、そうしたこととも関わりを避けたいと思ってコメント機能を停止した次第である。

最後に、

「偉そうに言っているが、そもそもお前の書いている内容が不十分なのが根本なのでは?きっちりした文章を書けばおかしなコメントなど書かれない」

などと「正論」を吐く方に対しては、こう申し上げたい。

「すんまへん。こ・れ・し・か・で・き・ん・か・ら!」

この日記の中で、派遣先に来たもう一人の派遣社員についてこれまでに何度か触れてきた。

もう一人の派遣社員について(2016年4月21日)
http://30771.diarynote.jp/201605202217289103/

「派遣切り」は思ってるほど簡単ではない(2016年5月24日)
http://30771.diarynote.jp/201605242303213347/

比較的単純な作業を十分にこなせないうえ正体不明の体臭を撒き散らす派遣社員に対して、職場のボスはもう我慢の限界に達していた。しかし、派遣会社の担当者がなかなか言うことを聞かずに「なんとかなりませんかねえ」と食い下がる姿勢を見せていたというのがこれまでの話だった。

それでもボスとしては1日でもはやく当の派遣社員を契約解除するように行動していた。だが、派遣会社担当者の他にもう一人、派遣切りに難色を示している人物がいた。ボスの上司で、派遣社員の処遇について決定権を持っている管理職の人である。その人はどうもボスの申し出に対して懐疑的というか、素直に受け止めてくれないようなのだ。

その証拠に、職場の男性社員(ボスの部下ね)を呼び出して「聞き取り調査」をおこなったのである。職場でなにか問題が起きたときに聞き取り調査がおこなわれるのは珍しい事ではない。ボスの意見だけでは中立性とか客観性が不十分だから他の人の話を聞くというのが大きな理由だ。

私は職場の男性社員から話を聞いたが、管理職の人はまず派遣社員の様子を尋ねてきたという。

そして、

「なんとか教育して、どうにか続けれるようにならないだろうか・・・?」

となどと訊いてきたのだ。これはもう派遣会社の担当者と同じ態度である。

そして「例の問題」についても質問だが、

「職場で異臭騒ぎがあるらしいが・・・」

などと、なんとも白々しく遠回しな言い方をしてきたのだ。

そもそもこの管理職は派遣会社の内部調査によって、派遣社員がニンニクを日常的に摂取していることを承知しているのである。それなのに「異臭騒ぎ」とかなんとか言ってくるのは、この問題について関わりたくないという姿勢がありありと伝わってくる。もしも私が聞き手だったら「該当社員の匂いをかいでみたらいかがですか?体臭というか刺激臭のようなものがしますよ」と答えていただろう。

これほど煮え切らない態度をとるのは、本人の資質はもちろんだが、この管理職も所詮サラリーマンの立場だということが大きい。自分が身銭を切って経営をしているなら、仕事のしない派遣社員を無駄な人件費をかけてまで残すような真似はしないはずだ。

そして、これはもう一般論になるが、自分の責任で派遣切りをすることに抵抗を感じているのだ。誰も好きこのんで他人の仕事を奪うような真似などしたいわけがない。どんな人であれ生活を抱えているのだから、その人が仕事が失った後のことを想像してしまえば躊躇するのも自然なことだ。

それから、「派遣社員を切る」いう事例がこの会社にほとんどないのかもしれない。私が見る限り、たいていの派遣社員は仕事がキツくて自ら契約解除を申し出て去っていく職場なのだから、長期雇用を前提とした派遣社員をわざわざ切ることもしていないに違いない。

そもそもの話、この会社の上層部は現場の状況など真剣に把握していない(もしくは、見て見ぬふりをする)。それゆえ大きな問題さえなければ当該部署を黙らせてその場をしのごうとする(だからこそ、この3月まで電波を出してブチ切れるような人間が職場の長に居座っていたわけだ)。しかしそうした姿勢は現場の側から見れば非常に無責任で残酷な話である。別にここは職業訓練をする場ではないし、派遣社員の存在によって現場の士気は確実に低下している。先日、派遣先の社員が集まる立ち飲み屋に初めて行った時はある営業社員から、

「俺会ったことないけど、○○さんて臭いんだって?」

といきなり尋ねられるほどに「異臭騒ぎ」は社内に伝わっているのだ。いったいこの状況で派遣社員を引き止めておく理由があるというのか。

そうこうしているうちに、当の派遣社員が「まともに数字が書けない」というような事実も判明してしまった。ボスはもう管理職の判断を待たず、派遣会社担当者に直接連絡したらしい。そしてついに向こうも折れて、派遣社員は契約期間を待たず6月をもって終わることに決まったそうだ。

「これまでの人生で、一番悩んでいる」と言っていたボスの闘いも今月末をもって一つの区切りとなるようである。
今年も夏におこなわれる「フジロック・フェスティバル」についてちょっとした騒ぎが起きている。今回は学生団体「SEALDs」の奥田愛基氏やジャーナリストの津田大介氏らが出演するというのだが、それに対して「フジロックに政治を持ち込むな」という批判がネット上で出てきたのである。

奥田さんや津田さんが会場で何をするかは知るよしもないが、個人的には「音楽愛好者がそんなケチくさいことを言って締め出しをするのはいただけないな」と率直に感じた。フジ・ロックは何万人も参加するイベントであり、その中に自分の気に食わない思想の人間が数人混じったところでどうということもないだろう。枝葉末節を指摘してあれダメこれダメ言うような音楽ファンは「狭量」というほかない。今回の件の是非については以上で終わることにする。

しかしながら、フジロックに政治うんぬんの発言についてはいま否定したわけだが、そのような声が出てくるのはわからなくもない、と一方では思っている。理由は2つある。

まず、政治色やメッセージ色が強い音楽はこれまでも叩かれ続けてきたという歴史的経緯を知っているからだ。音楽と政治との組み合わせでもっとも象徴的なのは、やはり1985年の「ウィ・アー・ザ・ワールド」だろう。アフリカの貧困を救おうという主題のもと大物ミュージシャンが集まってできたこの曲は全世界で大ヒットを記録した。が、一方でその行為を「偽善」と批判する人も少なくなかった。音楽に限らず「チャリティ」という名のイベントに嫌悪感を抱く人は多い(私もそうです)。

根本的に何が悪いかといえば、やはり「音楽より政治が前に出ている(政治>音楽)」ということに尽きるだろう。お世辞にも「ウィ・アー・ザ・ワールド」は楽曲や歌詞に特筆するものがあるとは言えない。淡々とした楽曲に複数のシンガーが歌い回すという流れは平凡である。この曲に限らず、チャリティとか震災復興を目的としたイベントは政治色が前に出てしまい失敗する結果が数多い。というよりも、音楽と政治が見事に融合したイベントという好例は果たしてあるのだろうか。寡聞にして私はそういうものを知らないのである。いずれにせよ、「音楽は音楽として成立すること(音楽>政治)」がまず第一であり、またそうでなければわざわざ音楽表現というものを選択する必然性もないといえる。だからこそ、奥田さんが津田さんが音楽フェスに出てくることに対する嫌悪感というのは、私自身も理解できなくはないのだ。

もう1点、これは私の個人的見解が強いかもしれないが、本質的に芸術表現と政治活動というのは相性が悪いということが挙げられる。政治活動というのは私たちの生活に直接関わることばかりである。それゆえ、目標とするところは具体的で現実的でなければならないし、政治家の言動は常に責任が伴ってくる。しかし、芸術表現の向かうベクトルは政治活動のそれとはだいぶ違うように見える。芸術とはかくあるべきだ、などと言うつもりは全くないが、世間で「深い表現」とか「優れた芸術」というのは「抽象的」とか「豊かな想像力」とか「既成概念を打ち破る」というようなことが褒め言葉になる。このあたりはことごとく政治活動とは共通する部分が少ないだろう。

また、芸術家は芸術家で活動をしていくうえで「覚悟」のようなものがあると思うが、その言動についてはあまり責任が伴っているようには見えない。少し前に佐野元春が辺野古に関する文章の中で「どんなリーダーも信じない」というようなことを書いて賛否を呼んだが、私はその意味不明というかどうとでも解釈できるような曖昧な表現に違和感を抱いてしまった。つまり、政治家の言葉とはだいぶその「重み」が違っているのである。その原因は何かといえば、やはり行動するベクトルが両者で全く違うからというのが私の仮説とするところだ。

改めて結論を書けば、政治色の強い人が音楽フェスに出てくるのは個人的にも違和感はあるけれど、それを排除しようという姿勢は音楽ファンとしてはまずいだろう、と言いたかったまでである。

しかし、ひと昔前なら奥田さんや津田さんのような人たちは「反権力」とか「反体制」という名の下にむしろ歓迎されていたような気がする。しかし今やアイドルがロック・フェスの冠がついたイベントに出るような昨今、そうした空気も変わってしまったのかもしれない。そんなことを同時に感じた今回の件であった。
6月16日に中川淳一郎さんが面白いことをTwitterでつぶやいていた。

<SEALDsの奥田愛基が一橋の院に入ったんだって? いやぁ……。すげー不快。>

それに続いて、

<文系国立大学の大学院さぁ、文科省の方針で院生増やしたいかもしれねぇけど、学歴ロンダリング狙いの連中が殺到するような状況をお前ら良しとしてるの? あぁ、ばかじゃねぇの? 一橋、うんこ食ってろ、てめぇら。バカ大学め、中にいる連中も含めててめぇらうんこ食ってやがれ>

ここで初めて「学歴ロンダリング」という言葉を知った。もちろん「マネーロンダリング(資金洗浄)」をもじったものであり、ネット辞典みたいなところでは、

<学歴ロンダリング(がくれきロンダリング)とは、日本で大学院進学の際に自身の出身大学よりも更に上のレベル(学歴)の大学院に進学することを指すインターネットスラングである。別名は大学院ロンダリングであり、ネガティブな意味あいで使われることが多い。略称は学歴ロンダ、院ロンダ。>

ちなみに奥田氏は明治学院大学国際学部を卒業しており、まさに上のような学歴ロンダリングをしようとしているわけだ。一橋のOBである中川さんがそれを知って苦々しい思いに駆られているのがTwitterからも伝わってくる。

奥田氏の話だけならこれで終わっていただろう。が、私もかつて周囲にこのような学歴ロンダリングをおこなっている人を知っている。今回はそれについて書いてみたい。

私は10年ちかく新聞社の子会社でサラリーマン生活を送った経験があるが、会社の先輩がその人だった。確か私が入っていた時に社会人大学院に通っているというのを直接本人に聞いたのだと思う。ある時、職場の飲み会の席で彼から自作の名刺をもらった。そこには「同志社大学博士課程」という文字が印刷されていたのをいまでも覚えている。ただ彼は京都市内にある某私立大学(特に名を秘す)に一浪して入っていたこともどこかで知っていた。その時は、仕事も忙しいのにわざわざ大学院に入って勉強しているのかねえ、と少し訝しく感じたが、それ以上は特に気にも止めなかった。物好きな人だなあ、と思ったくらいである。

それから5年ほどして、新聞グループの大幅な組織再編という出来事が起きる。そのあおりを受けて私たち子会社の社員はいったん今の会社を辞めて、新しくできる会社にまた入社しなおすという経験をする。第三者から見れば会社のやり方はだいぶ理不尽なものだったようだが、それはともかく、私たちは「新会社の第一期生」として生まれ変わり、ご丁寧に新年度の社報で顔写真入りの紹介がされたのである。

それをもらってパラパラめくって吹き出したのは、かの先輩社員の欄だった。

彼の学歴が、

「同志社大学院」

となっていたからである。

「嘘でしょう?おたくの学歴は○○大じゃないの?詐称でしょうこれ?サッチーでしょう?」

と心の中で叫んでしまったが、これはまさに学歴ロンダリングの典型であった。そして先輩社員は社報という学歴を披露する機会を見逃さなかったのである。さすがというほかはない。

それにしても、この学歴ロンダリングであるが、費用対効果は一体どんなものだろう。同志社大学の公式サイトで、大学院に入ってから派生する費用を調べてみたら、入学金(28万円)とか授業料(55万8000円)とか「教育充実費」(10万9000円)というよくわからないものを含めて、100万円前後になるようだ。大学院を2年で修了するとして授業料はもう1回払ったら150万円まで跳ね上がるだろう。

授業のシステムもよくわからないが、仕事の終わりの夜間か、土日に通うという方法しかないだろう。仕事終わりや休日の貴重な時間を割いて、高い授業料を払って勉強する生活を2年も続けて院を修了してどれほど実益があるかといえば・・・個人的にはかなり辛いものがあるように感じる。

学歴ロンダリングの大きな欠点は「見る目のある人にはすぐ見抜かれる」というところだろう。履歴書を見て本人と直接面接すれば、こんな稚拙な学歴操作など一瞬で見抜かれてしまう。

それでもこうした真似をする人が出てくるのは、ひとえに学歴コンプレックスが高かったというしかない。もちろん人間誰しも自尊心というものがあるから一概にバカにもできないだろうが、貴重なお金と時間を費やして先輩社員ができたことといえば、自作の名刺や社報にロンダリングした学歴を載せたくらいである。

果たして、彼の虚栄心はこれで満足できたのだろうか。そして奥田氏も同じような思いで一橋の院に入ったのだろうか。まあ、そこまでしたいと思わない人間にはほとんど理解不能な行動なのだが。
Twitterのタイムラインを眺めていたら、

<ワタミに初の労働組合 経営陣「ブラック」批判受け容認>

という一文が目に飛び込んできた。発信していたのは朝日新聞デジタルである。

http://www.asahi.com/articles/ASJ6J4WTSJ6JULFA016.html

日本のブラック企業の代表となって久しいワタミが、創業してから存在していなかった労働組合の結成を容認したというのである。ブラック企業に労働組合ができたというのはニュース性は高くパッと見は面白いかもしれない。しかし個人的には「はあ、そうですか」という程度でここから何かが生まれるような期待感は全く抱かなかった。なぜかといえば、私自身が新聞社の子会社の労働組合で活動していた苦い経験が心の底にあるからだ。朝日新聞のごく短い文章の中でも、ワタミ労組の先行きが見えてきて暗澹たる思いに駆られてしまう。おそらくこの労組は何もできないまま終えるに違いない。

いちおうネットで確認すると、ワタミの賃金制度は「職務給」となっている。これを見た時に、組合なんてあっても無駄だな、と瞬間的に思ってしまった。職務給とは要するに、仕事の度合いによって給料に差が出てくるということである。働きが良ければ給料は上がり悪ければ下がる、というものだ。なんだ。そんなの当たり前じゃないか、と思う人はもう現代に生きる人である。しかし、こうした制度は前時代的な労働組合の精神とは真っ向から対立するのである。働き具合によって給料が異なるとなってしまえば、「春闘」だの「ベア(ベースアップ。意味は個々で調べてください)」だのといった理屈が企業に通じるわけがないのだ。働き具合で差をつけている会社が、どうして全社員に一律でベースアップをするというのか?そんなのはおかしいではないか。無論、今でもベアとかいった死語を振り回しているのは、メーデーで真昼間から仕事もせずに街中で騒いでいる輩くらいだろうけど。

長々と書いてしまったが、労働組合が活動するためには全員で共闘できるような「目標」がなくてはならない(団結するわけだからね)。それがつまるところ、命の次に大事な「金(賃金)」である。しかし、その金の額が個々人でバラバラだったら団結する要素などもはや無いだろう。そんな状況で組合活動をして何をするというのか?もしあるとしたら教えていただきたい。私は成果給に会社にいたので骨身にしみるほどそのあたりのことがわかっているから、断言できる。

給料がバラバラな労働者同士が団結する要素など、どこにもない。

もう一つだけ、根本的で大事なことを書いておきたい。

当の朝日新聞デジタルの記事は冒頭でこのように書いている。

<居酒屋チェーン大手のワタミで初めて労働組合が結成された。グループの正社員約2千人と、アルバイト約1万5千人の大半が入った。>

多くの人はボーッと読み流したに違いないが、これはワタミの労働者は正社員とアルバイトとに分かれているということである。「そんなこと当たり前だろう。馬鹿かお前は」とほとんどの人は思うだろう。しかし、考えてみてほしい。正社員とアルバイトとでは賃金を始めとした待遇は全く異なるのだ(ゆえに正社員とアルバイトの比率がこれほど違う)。

だから、こういう疑問が出てきてしまう。

「待遇が全く違う正社員とアルバイトとが共闘できるのか?」

と。

記事を読む限りでは詳細はわからないが、ワタミの労働組合は「ユニオンショップ協定」を会社に組んでいるという。これはつまり、入社したら自動的に組合員になる、というものだ。もし自分の思想や信条を理由で組合に加盟したくないと思っても、それは許されない(組合を止める=退社する、という流れになる)。これは労働組合では多数派の制度ではなく、多くは入るか入らないかは社員の自主判断にまかされる。ワタミの場合は色々な面で有名になった企業だからこのようなことになったのだろうが。

何が言いたいかといえば、組合の加入を非正規社員に勧めても「まず入らない」という事実を書きたかったのだ。

たいていの契約社員やアルバイトは、

「組合になんて入ったら会社側から不利益があるから・・・」

と怖がって入ることはない。組合員が「それは絶対ない!組合活動は法律で認められている!」とわめいたところで、有期雇用の立場である人たちはそんなリスクの大きくなる選択はしないだろう。もっといえば、私みたいな派遣社員はそもそも会社から直接雇われているわけでもないから、組合員になる資格も持っていない。

こういう話をすると、昔の嫌な思い出が蘇ってきて色々なことが書きたくなるのだが、簡単にまとめれば、

・賃金制度がのあり方が変わってしまった現在、組合活動をする意味はない。
・正規/非正規と労働者の「身分差別」がされている前提では、労働者全員が共闘などできない。

と2行で済ませられる。

これからワタミの労働組合と企業側との間で、会社のあり方や賃金をめぐって論じられるだろう。しかし正規/非正規という身分差別がある限りは、正社員の方に重きがおかれるのは力学的に間違いない。そうなると1万人以上もいるアルバイトはどのような思いになるか。そしてそれでも一緒に闘おうなどという気持ちになるのだろうか。

現時点でワタミ労組はもう終わっているのではないだろうか。というよりも、そんなものを結成する意義はあったのか。弱小組合の活動のために貴重な時間を奪われた身としては、そんなことを思わざるをえないのである。
先週末は土日とも某所で働いていて、休みのない日々を過ごしていた。平日も土日も休めずあまり面白くない毎日となっているが、その中で「こ・れ・し・か・で・き・ん・か・ら」のセリフを吐く「おっちゃん」に久しぶりに会えたのは収穫だった。いまは仕事が無い時期で声がかかることもなく、某所の訪れたのは4月中旬以来だという。

その「おっちゃん」、今回もなかなかの発言を残してくれた。ふとしたきっかけで、休憩所で水難事故についての話題が出てきた。事故の様子を見たことがある人がいたからだが、「おっちゃん」自身もかつて事故に遭ったことがあると話し出したのだ。

「ワシも昭和30年代、会社の慰安旅行で人のいない海で泳いでおぼれて死にかかったわ・・・」

ほうほう、大変な経験をしたのですね、とここまでは普通に話が聞けていた。しかし、ここから「おっちゃん」独特の論理展開に発展することになる。

「でも、若かったから、助かった!爪伸ばしていたから、助かった!」

私を含めて周囲にいた人間は誰も「おっちゃん」の言ってることが理解できなかった。3回ほど聞いているうちに、若い頃は爪を伸ばしていてそのおかげで岸辺に手を引っかけて助かった、というようなことである。

はあ、そんなことがあるのかなあ、と個人的にはいちおう受け止める。そして、この話を他の場所で披露してみることにした。

しかし話を聞いた方々は一様に、

「はあ?」

という顔をするではないか。「そんなことあるわけねーだろ」という感じである。爪が少し伸びていたくらいで人生の危機が助かるわけない、というのが大多数の見方である。

しかし実際のところは、本当におぼれてみないとよくわからないかもしれない。とりあえず「おっちゃん」は会うたびに何かを私に与えてくれるからありがたい存在である。

いま働いている派遣先には、自分のいる部署以外にも派遣社員がいる。そのうちの一人が契約期間を待たずに辞めた、という話を聞いた。表向きの理由は「体調不良」とのことだが、実際は仕事がきつかったからだろう、というのが同じ部署にいる社員の見方だ。

「あの部署はいつも8時くらいまで残らないといけないし、周囲の人も冷たくてね・・・。何かあったら責任押し付けられるし。あと、仕事の内容は正社員と一緒だし・・・」

と、まあ辞めても仕方ないな、という理由をズラズラと並べてくれた。

そして、

「渡部くんも、そっちの部署だったら辞めていたと思うよ」

と最後に言われた。

確かにその指摘は間違っていない。私のいる部署はだいたい定時(5時半)に帰られるし、めったに怒られないし、むやみに仕事を振られることもない。働く環境は他部署とはまったく逆なのだ。そして「これでギャラは同じ」である。

そのおかげで、他部署の派遣社員の入れ替わりは激しいが、私といえば一番長くいる派遣社員になってしまったようだ。

3年以上とどまってる私と、契約期間を待たずに自ら辞めた人とでは、いったい何がどう違っていたのだろう。むろん「自分が優秀だから」などと結論が導き出せるわけがない。さきのように二人の取り巻く環境はありとあらゆる面で異っていたからに決まっている。

「向こうが無能で努力足りないからじゃねえの?」としたり顔で言う人間もいるに違いない。むろん世界は「環境」と「自分」との相互作用で成り立っているのだから、「能力」や「努力」といった本人の問題は必ずある。だが、さきに挙げた通り、職場環境というのは派遣社員の立場でどうにもできる部分は基本的にはない。そして問題の「能力」だが、人間の知能や性格に関する部分は思春期を過ぎて成人になったら安定するようにできていて、それ以後は変わる余地がない。そう考えると「努力」でどうにかなる部分というのはどれほど残っているのだろう。努力と根性を強調する人はいつの世にもいるが、冷静に見てみるとそれは怪しい気がする。

別に私は本人の努力は否定してないし、自分でも日々「それなりに」努力はしているつもりだ。ただ、それで全てが解決するとも思ってないし、できなかったら「全部自分が悪い」と決めつけることもない。なぜならば「努力」などというのは成功要因のほんの一部に過ぎないのだから。

こういう話は絶対に納得しない能力主義者はいつの世にも必ずいるが、そういう人に対しては、

「あなたはもともと有能なんですよ。ワシは、こ・れ・し・か・で・き・ん・か・ら!」

と答えるしかない。

結論をまとめると、自分のできる範囲(これしかできん)を冷静に把握していて、職場環境の全体像をつかめば、自分がやっていけるかどうかの見当はだいたいつくはずなのだ。

さきの派遣社員が次にマシな環境で働ける保証なんてどこにもない。私自身も最初の派遣先は逃げるように辞めていった過去がある(今の場所が3度目)。しかし、もう「これしかできん」の限界を超えたらさっさとそこから退出するのが賢明ではないか。

果たして、先日辞めていった人はすぐに次のところが見つかるのだろうか。まあ、この日記を書き上げた翌日は忘れている話には違いないが。
平日は派遣社員として働く一方、土日や祝日は某所でアルバイトをするという生活をしてもう4年が過ぎてしまった。派遣は時給労働でアルバイトは日給であり、どちらも仕事内容は単純労働に近くそれ自体は面白いものではない。ただ、あまりキツい業務でもなかったおかげでここまで続けられたのだと思う。某所に来る人たちは正社員や学生アルバイトなど入り混じって土日は20人前後が動員されている。そのために多くの人と接触するわけだが、良くも悪くも色々な種類の人たちに出会うことができ、それもまた自分の中では興味深い体験となっている。

業務内容は配置場所によって異なるのだが、20人もいるためにどうしても「キツいポジション/ラクなポジション」という差が生じてしまう。そして働き具合も人それぞれであるから、仕事のできる人はキツいところへ、あまりできない人はラクな配置場所ばかりに割り振られていくという不合理も発生してしまう。多くの人数が必要なため、仕事のできる人ばかりを集めることもなかなか叶わず、バイト先のボスは限られたメンバーをどうにかやりくりしてポジションを決めているからだ。

仕事がすぐに覚えられる人は問題ないが、できない人というのは本当にできない。できない人の仕事ぶりを見てボスは頭を抱えながら、

「あの人は無理ですね・・・もう呼ばないでください」

と会社に連絡を入れる。そしてその人とは「さようなら」という具合だ。

(不本意ながら)4年も某所に通っていて多くの人が入ったり消えたりする光景を見てきたが、本当に「できない人」というのは一定数は確実に存在する。おそらく消えていった人は、もう職を得られないまま今頃は河原で白骨化しているに違いない、とたまに想像することがある。ここでバイトしてから「こんなこともできないのお?」というような類の言葉は他人に吐きかけることをしなくなった。なぜなら「できない人」というのは、どう転んでも「できない」のだから。

「できない人」に対しては早晩に消え去るから特に思うところはない。ただ、端から見て苦々しく感じるのは「楽なポジションだったらなんとかやれる人」である。ボスからこのような評価を受けた人間は、いつ来ても楽なポジションで1日を終えるわけだ。周囲の人たちは「あいつを忙しい場所に立たせると危ない」という共通認識を持っているが、ポジションがどこであろうと日給は全員同じなのだ。それゆえ、なんだか納得がいかずに不満めいたものが吹き出てくるのもまた当然である。

さらに、これも残念な話であるが、「できない人」は人間的な部分を見ても話題に乏しかったりして接してもあまり楽しいものではない。だから私自身はこうした人たちとは意識的に距離を置くようになった。

ただ、そういう「できない人」たちの中にも例外のような存在がいたりするのである。

その「例外」である某「おっちゃん」は年齢が60代半ばくらいで、平日は特定の現場(そこの業務はかなりラクらしい)を持っている。土日はバイト先の人数が足りない場合は声がかかるという感じだ。必ず土日にいるわけでもないものの、ラクなポジションの常連に名を連ねている人だ。

「できない人」には「自分が見えない」または「周囲が見えない」という共通項がある。これは、周りの様子を把握することができなければ難しいポジションができない、という実務的な問題もあるが、

「自分はこれでも必死で精一杯やっている!」

という「それで必死なの・・・」という感じの人もいれば、

「この場所に立ってればいいやあ。早く1日終わらないかなあ・・・」

という適当な仕事意識の人もいる。いずれにせよ、そのバイト先に置かれている自分の立場(他に人がいればお呼びがかからなくなる)が理解できない点ではあまり変わらない。

しかし、この「おっちゃん」については、こうした人たちとは一線を画しているところがある。

あれは去年のお盆に入る手前の時期だったと記憶している。バイト先はお盆の頃は人員を増やすことにしていて、その中に「おっちゃん」も連日で入っていた。私や「おっちゃん」が休憩所にいた時に誰かがなんとなく、

「Uさん(おっちゃん)、昨日も来てたんですか。どこに立ってたんですか?」

と尋ねてきた。すると「おっちゃん」は

「◯◯◯(ラクなポジションの一つ)」と自分のポジションを言ったあと、一拍おいてから、

「こ・れ・し・か・で・き・ん・か・ら」

と小声で続けてきたのである。

その時の「おっちゃん」といえば、

「ワシが仕事ができんのはわかってるやろ?それはワシ自身もよくわかってるからな。だからこれ以上キツい仕事をしろと言ったりバカにしたりはするなよ?せやろ?意味わかるやろ?な!」

とでも言うように、訴えかける目をしていたのが非常に印象的だった。

以前にも、

「(ラクなポジションにいて)これでギャラは同じ」

と口走っていたことがあるらしい。もはや平成生まれの方にはピンとこないだろうが、これは兄弟の曲芸師コンビである海老一染之助・染太郎の、

「弟は肉体労働、兄は頭脳労働、これでギャラは同じなの」

という有名なオチの引用である。

「おっちゃん」がこうした自虐的なセリフを吐いている様子があまりに可笑しく、また自分にキャラが近いと感じたため、これ以後たまに暇なポジションに私があてがわれた時などは

「こ・れ・し・か・で・き・ん・か・ら」

と「おっちゃん」の物真似をするようになっていったのである。

最初は「なんとなく面白いから」という単純な動機だったが、このセリフが気にいった私は実生活でもFacebookやTwitterのようなSNSでも濫用するようになる。さすがに本当に口に出す場面は少ないが、頭の中では1日に何十回と「これしかできんから」と繰り返すような日もあった。

そんなことを続けているうちに、

「このセリフはなかなか奥深いものがあるのでは・・・」

などと考えるようになっている自分がいた。

具体的にどういうことかといえば、

「20代の頃の自分だったら、こんなセリフは決して吐くことはなかったのでは?」

というような問いが出てきたのである。

「これしかできんから」と言うのは、いわば「自分のできる限界はここまでです」と認める行為だ。若くて血気盛んな年頃では「本当の俺はこんなもんじゃない!」とか「自分は無限の可能性がある!』などと思いたくなるものである。また周囲から、お前のレベルなんてこんなものだろう、というような定型的な中傷に対しては殺したくなるほど怒りを覚えたものである。ましてや自分で「これしかできんから」などとは意地でも言えなかったに違いない。

だが現在の自分ならば、それほど抵抗なく「これしかできんから」と言ってしまえるようになった。それはなぜかといえば「自分はもはや若くない」という自覚ができたことが大きい。もう私はあと少しで40代の仲間入りを果たす。物理的に人生の半分は終わっているのだ。そんな人間が「俺はまだまだやれる!」などと力んでいたら、あまり好きな表現ではないが、「イタい人」と周囲から思われるだけだろう。残された人生に限りが見えてきているのだから、自分の能力や可能性についても限界を感じるのもまた自然な流れである。

所詮、世の中で「できる人」というのは1割もいない。大半は「これしかできん人」もしくは「これすらできん人」なのだ。自分の過去を冷静に振り返ってみればどのカテゴリーに入るかはおのずと答えが出てくる。このような境地に立てたのも年齢のためだとしたら、年をとるのは必ずしも悪いことではない。

ただ、年齢ばかりを強調してしまったが、いくつになっても「自分が見えない人」というのも少なからずいる。以前いた職場にはこうした人が全体の9割くらい(!)いたのではないだろうか。私の直属の上司などコピペもできなければ「ウィキペディア」が何かも知らないという恐ろしく無知で無能な人間だった。職場に来ても何かするわけでもなく呼吸をして椅子を温めているだけである。それでもたまたま新聞社の本社社員になったという運だけで年収1000万というレベルに到達していた。とんでもない不合理である。しかしそんな輩でも「こんなことも知らないんですねー」とか嫌味を言ったらとてつもなく怒っていたものだ。

他にも内勤の部署で全く仕事をしない女性がいて、何か業務について他の社員と口論になった時は、

「私が仕事をしていないとでも言うんですか!」

とムキになっていたらしい。こうした連中は「おっちゃん」のようには、職場や社会における自分のポジションというものをまったく掴めていないのだろう。

私はかつて、こうした人間は「バカだから自分が見えない」と簡単に結論づけていた。また、こいつらは無駄に高給をもらっているから安いプライドを持っているのだろう、と子会社の社員という立場ではそう思っていた時もある(私にいた子会社は、定年までいても500万に到達できるかどうかというラインだった・・・)。

しかし、どうも頭の良し悪しに関わらず、自分が見えなくなる原因があるようだとこの数年では考えを修正するようになっていった。

橘玲さんの「残酷な世界で生き延びるたった一つの方法」(10年。幻冬舎)の中に、社会学者リチャード・B・チャルディーニの興味深い論考が紹介されている。それは人の行動に影響を与える諸要因についてであり、その一つに「コミットメントと一貫性」というものがある。

<これは簡単にいうと、「いちど決めたことは取り消せない」という法則だ。

社会のなかで生きていくためには、約束を守ったり、言動に筋が通っているのはとても重要だ。会うたびにいうことがちがうようでは、誰も信用してくれない。「前と話がちがうじゃないですか」といわれると、ぼくたちはとても動揺する。一貫性がない→信用できない→社会的に価値がない、という無意識の連鎖がはたらくからだ。

だからぼくたちは過去の判断をなかなか覆せないし、その判断と現状が矛盾することに耐えられない。要するに、失敗を認めることができない。

ひとがいかに容易に一貫性の罠に陥るかは、オウム真理教の信者にその典型を見ることができる。周囲の反対を押し切り、すべてを捨てて宗教の世界に身を投じた以上、彼らは無意識のうちにその決定を正当化する強い圧力を受けている。そのため拉致・殺人や毒ガス製造などの犯罪が明らかになり、論理的な思考では一貫性を保つことができなくなると、ついには現実世界を否定し、すべてはフリーメーソンの陰謀だと確信するにいたる。こうなると、もはやどのようなコミュニケーションも成立不可能だ。

マスメディアはこれを「オウムの洗脳」と報じたが、彼らは自分で自分を洗脳している。この状態が恐ろしいのは、けっして洗脳を解くことができないからだ。他人から注入された信念は否定することができるかもしれないが、自分で自分を否定するのは不可能だ。

いったんコミットメントしてしまうと、ひとはそこから逃れられなくなる。これはカルト教団だけの話ではない。恋愛でも就職でもマイホームの購入でも、ぼくたちはきわめて簡単に自己洗脳状態に陥り、過去の選択を正当化してしまうのだ。>
(P.180-181)

少し長めの引用だが、オウム信者のような特殊な環境でなくとも「失敗を認めることができない」という一心で「自分で自分を洗脳している」という行為は日常で普通に起こっていることを示している。どんなに賢い人であってもこの流れは逃げられるものではない。もはや人間の業というべきものかもしれない。賢者でもバカでもあらゆる理由づけをしながら自分というものを正当化して生きているのだ。

私は直情的な性格もあるため、仕事もしないくせに平気な顔している人間をときどき攻撃することがサラリーマン時代にはあった。これはもう完膚無きまで叩きのめしていた。すると「失敗を認めることができない」相手は何をしてくるかといえば、

「お前は、文句ばかり言う、嫌な奴だ」

というようなことを返してくるのである。つまり私に対して「言うな。喋るな。黙れ」というわけだ。私は自分でも実に「嫌な奴」であることを自認しているけれど「お前は仕事もしないし無能だ」という「事実」を「文句」などという言葉にすり替える態度には許せないものがあった。

しかし今となっては先方が何をしたいのか、その理由はわかる。向こうは絶対に自分の落ち度は認めたくない。それでも逃げきれないとなった場合にとる行動といえば、これはもう一つしかない。自分の落ち度を指摘する人間の存在を排除するのだ。ただ、これはもう「言論弾圧」ではないだろうか。新聞社員がそれをやってはマズい気がする。

書いていて苦々しい思い出が浮かんできて嫌な気分になっているが、こうした連中に比べたら「おっちゃん」の姿勢ははるかにレベルが高いように見えてしまう。少なくとも「おっちゃん」には某社の社員のような「自分が見えていない」という部分はかなり希薄だ。そして自分の能力についても「これしかできんから」とその限界を冷静に受け入れているのである。「自分をわかっている人」というのは、強い。

そして、「これしかできんから」という言葉を口に出すようになって自分でも不思議なのは、それまでよりなんとなく気持ちが楽になった気がしてくるのだ。これは自分の限界を受け入れたおかげで心持ちも自然なものになっていったのかもしれない。

久しぶりに長文になってしまったが、もう若くない人とか安いプライドを抱いている人には「これしかできんから」と口にしてみることを提案したい。このセリフに抵抗のある人は、おそらく心のどこかで何らかの無理をして生きている可能性が高いからだ。自分自身を受けられないというのは、それだけで病理ともいえる。

もしかしたら、

「できません、とか、わかりませんとか言うなコラ!殺すぞ!」

と職場で吠える上司や先輩がいるのでそんなこと言えない、という人もいるかもしれない。しかし、それはもはやブラック企業やブラック社員なので救いはない。さきほども書いたが、この世の圧倒的多数は多かれ少なかれ「これしかできん人」、つまりどこかに限界がある人たちなのだ。それを受け入れられない職場環境や同僚に囲まれてもあなたは幸福になれない、と「小さな親切」を言ってみたりする。

最後に一つお断りしておくが、先の「おっちゃん」は特別に優れた人間性があるというわけではない。単に自分はこれ以上キツい仕事を振られたくないから、自分から「これしかできん」と先手を打って言っているだけのことである(先に言われてしまえば、こちらからはもう何も言えない)。それでも、老獪さと呼べるような老人特有のずる賢さはあると感じるが。

言葉というのは諸刃の剣であり「これしかできんから」というセリフもまた同じである。なんでもかんでも「これしかできん。これしかできん」と連発していたら「こいつ無能だな」と周囲から判断されるのは間違いない。私が某所でこのセリフを言っても(たぶん)シャレとして成立しているのは、私自身が「それなり」に仕事をこなしたり誰もやりたがらない遅番を引き受けたりしているからだ。まあ、少なくともボスからは「あいつは利用価値はあるな」というくらいの評価はあると思うよ、たぶんね。

某所の事情を知っている方がこの日記を見たら、あんな「おっちゃん」をネタにどこまで書くんだ、と苦笑する人もいるかもしれない。しかしどんな人や物であれ、学ぶ姿勢があれば何か得るものもある、という事例と解釈していただければ幸いである。
いまの派遣先で、私の他にもう一人いる派遣社員がいろいろな面でアレなことを先日の日記で触れた。

もう一人の派遣社員について(2016年4月21日)
http://30771.diarynote.jp/201605202217289103/

その派遣社員が働き始めてもう2か月近くになると思うが、相変わらず作業する動きは遅いし、周囲にいるとなんだか異臭が漂ってくるのも同様である。それでも私の場合は彼と接する時間は極めて短い(10分もないかな)。悲惨なのは、彼を隣に乗せて京都市内を車で何時間も回っている職場のボスである。

「ダメだ・・・もう死ぬわ・・・」

と業務が終わって戻ってくるたびに愚痴をこぼすのが日常になっていた。ただでさえ働きぶりが悪いうえに何だかわからない臭いを発する派遣社員に対してボスのイライラもついに頂点に達した。

「もう派遣会社に言って人を代えてもらおう」

そう決めたと、職場の人を通じて情報を知った。同じ派遣の身分の人が切られるというのはなかなか嫌なものもあるが、まあ端から見ても仕方ないとは私も正直感じた。

私の場合は3ヶ月ごとに契約を更新しているから、もう一人も同様の形に決まっている。いま契約を打ち切りを決めればおそらく来月あたりで彼もいなくなる。そうすればボスもイライラから解放されるだろう。ただ、次にやってくる派遣社員がまともだという保証はどこにもないけれど。

少し前に「派遣切り」という言葉が浸透したが、有期雇用契約の人間なんて簡単に切れると多くの人は思っているかもしれない。しかし事はそう簡単に運ばないのだ。

ボスは「仕事ぶりが駄目」と「体臭が酷い」という2つの理由を派遣会社の担当者(私の担当でもある)に伝えて契約更新を止めたいと申し出たらしい。が、担当者はすんなりと受け入れなかったという。

「うーん・・・(派遣社員について)何か改善できる部分はありませんかねえ・・・」

とか何とか言って契約の更新を延長してもらおうという態度に出てきたのである。担当者としては同じ派遣社員で長く使ってもらった方が自分の業績も良くなるからだろう。

それから担当者はその派遣社員と個人面談を行う機会を得て、かの体臭について驚くべき情報を手に入れたのであった。

彼は「健康」という理由のために、毎日ニンニクのジュースだかを飲んでいるというのだ。

ニンニクを毎日・・・もう体臭の原因の十中八九はこれに違いない。しかし自分で自分の体臭を作っているというのは、呆れるというかもう後の言葉が続かない話である。

職場にいる社員の方も「健康のためといっても、青汁や牛乳とかじゃなくて、ニンニクを選ぶって・・・」と困惑した表情をしていた。

ただ、多くの人に説明は無用かと思うが、理由は何であれ「臭い」という理由だけで契約を破棄することはできないと担当者は言ってきた。確かに「あいつバカだし臭い!だから契約終了!」などと口走ったら人権問題に発展する可能性も出てくる気がする。

そして、具体的な事例(いつ、どこで、どんな問題が起きたか)をまとめたレポートを出すよう担当者から言われたらしい。このあたりの手続きは順当で必要な話ではあるが、派遣や契約社員だからといって現場の長のレベルではたやすく切れるわけでもないのである。

今回の件で一番の被害者となっているボスは、仕事が落ち着いた夜の空いた時間を利用してレポートを打っているらしい。

聞くところによれば、

「これまでの人生で、一番悩んでいる」

という。

たしかに理不尽なことが続いたが、レポートが完成して晴れて派遣切りが成立することになるか。同じ部署にいる人間としては興味がつきない。
前のボスが職場を去ることによる人員減の補充のため、私と同じ派遣会社から一人新たにやってきたのは3月20日を過ぎた頃だったと記憶している。

私の場合、前ボスの「事前に面接しても実際働いてみなければわからないから・・・」という方針により「社内見学」(と称した面接。労働者派遣法により登録型派遣は面接を禁じている)をせずにそのまま働く運びとなった。派遣会社の担当の方から、社内見学はありません、と言われたので今の場所に決めたのだが、もしもそれがあったら私は現在どうなっていたのか怪しいところである。

しかし来月から職場のボスになるTさんが、事前に確認をしたい、という意向もあって今回は面接をする運びとなった。面接の前日くらいに、45歳の男性だから、と前ボスから教えてもらった。

「45歳・・・あんまり若くないな」

などと、まもなく40歳になる立場の私も率直に思った。

そして職場見学の日は、面接した後でその男性も私のいる部署を訪れた。45歳という年齢相応の感じで、それなりに老けていてあまり生気のない風貌だなあ、と一目見て直感した。面接なのでスーツを着ていたが、その姿もなんだか似つかわく見えなかった。

それが彼に対する第一印象である。まあ私は同じ派遣社員の立場であり採用について何の影響もなかったけれど、彼が3日後に働き始めると聞いた時には、

「え?採用するんですか・・・」

と少し意外な気がした。

確かに仕事内容は時給労働の派遣社員がする程度の割と単純な内容ではある。しかし、個人的には「やめた方がいいのでは・・・」と彼を見た時に強く感じたのである。ただ、不採用にして次の人を紹介して、ということを繰り返して採用をズルズル先に伸びてしまうのも都合は悪い。ましてや10日も経たずに現在のボスは職場を去るわけだし。そのような状況を考えれば、とりあえず採用してみよう、という判断は妥当ではある。しかし、そんな方針ならば最初から面接なんて必要もなかったんだけどね。

そして、私の感じた不安は、また残念ながら当たってしまった。

私と彼はちょっと仕事の内容が異なって、ほとんど一緒にいることはない。ただ最後の1時間くらいは同じ作業をすることもあった。その時に横で彼の動きをチラチラ見ていたわけだが、

「なんか、あんまり作業ははかどっていないなあ・・・」

という感じしていた。

彼のなんだか生き生きしない風貌に比例するように、作業する動きもかなり鈍かったのである。物覚えも良くなく、Tさんが教えたこともすぐ忘れて彼をイライラさせるような場面も何度か近くで見ていた。

しかし、仕事が遅い、というだけが問題ならば「入ったばかりだし仕方ない」と納得できる面もある。が、話はこれだけでは終わらなかった。

その派遣社員が帰った後(始業時間は私より30分早い)で、

「あれは強烈だわ・・・鼻がもげそうや・・・」

というTさんの愚痴が聞こえてくるのである。

「ああ、あのことかな」とすぐに思い当たる節があった。

その派遣社員が近くにいると、なんともいえない「臭い」が漂ってくるのは私も気づいてはいた。つまり、彼の体から何やら体臭のようなものが発生しているのである。それでも私の場合、彼と接する時間は極めて短いのでそれほど気にならなかった(体臭に鈍感という面もあるが)。しかしTさんは彼を隣の席に乗せて京都市内で配送業務をしているので、そうした影響が露骨に出てくるのだ。

ただでさえ仕事ぶりが冴えないうえ、なんだか訳のわからない異臭を発する派遣社員に対してTさんは我慢の限界が超えたため、

「お前、臭い!」

とついに本人に面と向かって言ってしまった。

しかし当の派遣社員といえば、

「え・・・臭いですか?」

と怪訝そうな顔をしたというのである。よく聞く話だが、自分の体臭というのは自分では気づかないようであり、彼もその例外ではなかった。

「臭い!職場の女の子が気づく前になんとかしろ!ファブリーズしろ!」

と、なかなか言いづらい指示を出したようだ。

しかし、どうも彼の体臭の原因というのはよくわからないところがある。「(臭いの元は)服か?それとも体なのか?」とTさんが訊いたら「体です」と答えたので、体臭なのは間違いないようだ。しかし、どこから臭ってくるのかが判然としない。

実は、彼には体臭の原因らしきものが一つある。それは彼の過去の職歴なのだ。又聞きなので詳しいことはわからないが、ゴミ収集車の後ろを走って道路に置かれているゴミを投げ入れる作業をしていたらしい。

「そういう環境にいたら、体臭もついて取れないからなあ・・・」

とTさんは頭を抱えながら私にもこう漏らしていた。

それからしばらく経ったが、体臭について改善の方向には言ってなかったようだ。

「臭い・・・もうダメだ・・・・死ぬ・・・」

とTさんのボヤキは毎日ように聞くことになる。

こんな状況が続けば職場の環境も悪化する一方だ。何か私も考えなければなるない。

そういえば、私もずっと足の臭いで苦しんでいたが、先日買った「竹酢液(ちくさくえき)」という液体を吹きかけていたらかなりの改善が見られた。そこでそれを教えてみようと思った。

「竹酢液って知ってますか?体臭に効果はありますよ」

と言うと、

「あー・・・いや、アレはそんなものでは治らんよ」

と渋い顔をして、

「(自分の頭をツンツン指さしながら)それ以前に、基本的な仕事ができないしさあ・・・」

と、もう雇用を継続したくないような素振りを見せていた。もう彼も長くはないなあと直感した。

しかし、当の派遣社員といえば、相変わらずマイペースを貫いており、それ以後も独特な臭いを振りまきながら作業をこなしている。

私も端で彼を見るのは嫌だったのだが、廊下ですれ違った時にこう尋ねられた。

「渡部さん・・・有給ってどうしてますか?」

ああ、有給ね。派遣社員も半年続けて働けば発生するけど、ここの派遣先は平日になかなか休めないから20日以上も私は残してるがね。

でもさあ・・・あなた、半年先も雇ってもらえると自分で思っているのかい?

4月に入ってから疲れる日が続いているが、この質問はよりいっそう私の中の疲労をひどいものにさせていた。

(この日記は1ヶ月までしか遡って書けないので、4月1日の話ですがここに載せます)

4月に入り、今日から新しい年度が始まった。昨日と変わらず同じ派遣先に来ただけなのに、なんだかいつもと気分が違う。

私が働いている部署のボスが、昨日をもって定年退職してしまったからだ。人が1人減っただけの話であるが、それだけで職場の雰囲気もガラっと変わった。

昨日と異なるのは、周囲が思い切り静かになったことである。前のボスはやたらと一人で声を出していた人であった。他の人は基本的にそれほど無駄な喋りはしない。しかし前ボスが消えた瞬間にシーンという具合である。

他の部署から用事があってここを訪れた人は、

「なんか・・・静かになったな」

「雰囲気が変わったなあ」

と口々に漏らしていたから、それが良かったか悪かったかは別として、前ボスの存在感がそれほどあったということである。

当の私も不思議な寂しさのようなものを感じながらいつもの作業をしていた。そういえば今から2年前に、「笑っていいとも」の最終回の翌日のような寂寥感があった。当時は「タモロス」という言葉が流布していたけれど、私も「前ボスロス」というような症状になっているのか。サラリーマン時代は、周囲はどうでもいい人間ばかりだったので、異動しようが定年だろうが何にも感じなかったのに。

しかし、そんな感傷的な状態もそう長くは続かなかった。

毎週月曜日の12時45分は部署内で会議が行われていた。派遣社員の私はいつも出ていなかったけれど、今回は職場の長が変わり(前ボスの下にいた人が格上げとなった)新体制となったこともあり、自分も出るように言われて出席する。

「Kさん(前ボス)が退職となりました。これからは色々変えられるものは変えていきたいので、今までのことにこだわる必要はありません・・・」

などと所信表明があった。

そして、

「職場も手薄になりますので、渡部君にはこれから他の業務なども・・・残業はやむをえないので・・・」

はあ、なんか私の名前が聞こえてきたようですけど、意味がわからないというか、わかりたくないんですけど・・・。

しかし周囲を見渡せば、昨年の夏に倒れて入院した現ボスを筆頭に、ガンにかかった人とか介護の親を抱えている人、または自分も定期的に通院してる人など、健康面で問題のある人しかいないのである。まあ無難に動き回れるのは確かに私だけかもしれない。しかし、当の自分は派遣社員という身分なのだが・・・果たしてそんな職場で大丈夫なのか?

そして会議が終わって午後の作業へと移る。ここから状況が一変していく。

作業がこれまでのようには回らないのだ。

通常、月初の作業量はそれほど多くはない。今日も、少なくはないが特別に多くもない、そんなところだった。しかし前ボスが一人抜けた分、明らかに作業能率が落ちているのである。

おそらく前ボスがいたら今日も定時で帰れていたと思う。だが今日は結果として1時間を超えて残業をしてしまった。奇行が目立つ前ボスがいなくなったら職場が良くなる、という声がちらほらあったが、作業面で言えば私は必ずしもそう思えなかった。そして、残念ながら自分の予測の方が正しかったといえる。

問題はこれだけでは終わらなかった。作業に区切りがついて、さあ帰れるぞと思っていたら、なんだか職場の奥が騒がしい。

社員の人が神妙な顔して、

「とんでもないことが判明した・・・・。Kさん、(現ボスの)Tさんに何の引き継ぎもしなかったみたいだわ・・・。あの二人、仲が悪かったし・・・」

確かに、今回の定年退職はかなり前から既定路線だったけれど、両者が何か話し合うような姿はほどんど見ていない。

そんなこんなでゴタゴタでバタバタした2016年4月1日であった。いつの間にやら、私から感傷らしきものは消え去り、

「これからどうやって生き延びていこう」

という重い課題だけが残った。




ボスの定年退職

2016年3月31日 日常
3月といえば年度の終わりであり、会社や団体にも人事異動など人の移り変わりが激しい季節だ。私が今いる派遣先でも、個人的には大きな出来事があった。

職場のボスがこのたび定年となり、定年延長を選ばなずそのまま退職するのである。

ボスについてはかつて日記で触れたことがあるが、彼に対する思いはなかなか複雑なものがある。意味不明な状況にブチ切れ周囲の人を怒鳴り散らす姿は、横で見ていて本当にヤバかった。

職場のボスは「電波」の人(2015年05月31日)
http://30771.diarynote.jp/201505310130145606/

ただ、去年の夏頃に起きたある出来事からピタッとそのような行動は収まった。おかげでこの9か月くらいは比較的平穏に働くことができた。

かつてのボスの仕事ぶりについても、あまり良い噂を聞いたことがない。入社しても間もない時は営業をしていたそうだが、商談をしている最中に「私は5時で帰らなければならないので・・・」と言って打ち切ってしまったこともあるらしい。そんな人が行き着いたのが、商品の入出荷を受け持つ職場だった。勤続38年のうち大半をそこに従事したという。

とにかく奇行で知られる人で、社内にも仲の良い人もいない様子だった。また、これはかつて日記も書いたが、部署内ではボスがいなくなることについては歓迎ムード一色である。

ただ、私が派遣社員という部外者だからかもしれないが「そんな単純に喜べないのでは?」という思いも強い。少なくともボスはそれなりに部署の仕事を一身に背負い働いている部分が確かにあったからだ。かつていた職場で上司が消えたり変わったりしても何の感慨もわかなかった。なぜならば、彼らは息をしているだけで「仕事」といえるようなことなど一切してこなかったからだ。そんな連中がいようがいまいがどうでも良いに決まっている。

商品の発送というものは職場の手違い以外でも遅れることはよくある。それで営業社員から怒りの電話がくるわけだが、別に自分の責任でもないことに対しても、

「すいません。すいません。えらい、すいません・・・」

とひたすら謝るばかりで絶対に反論しないのだ。これが例えばかつての上司だったら、

「俺がやったんじゃない。俺が決めたんじゃない。運送屋がやりよったんや!」

と開きなおるところだろう。

また、ボスの帰りはいつも遅かった。平日は必ず最低8時ごろまでは残っていたという。そんな生活を長年続けていたと考えると、なんだか気の毒に思えてくるし、一個人にそんな業務をずっと押し付けてきた組織の冷酷さも感じてしまうのである。

彼は彼で、もうこれ以上こんな遅くまで仕事するのは辛いから、というのが定年延長を蹴った大きな理由だと語っていた。それでも65歳までは働く意志はあるそうで、しばらく休んでから勉強などをして仕事を探したいという。まあ見つかればいいけど、果たしてどうなることやら・・・。

最後の勤務となる今日も、ボスは朝から普通に働いていた。年度末はいつも忙しい職場であるが、この日も変わらず荷物もあり部署の人間は日暮れまで休まず働いていた。その合間の5時半ごろに他の部署の方が、そして午後7時にはまた別の部署の人たちが総出で集まってボスに記念品を贈ってその労をねぎらう光景が見られた。

ある女性は涙を見せながら「やーん、Kさん(ボスのこと)辞めんといてー」と言っていたのは、ボスのヤバい側面を彼女は知らないからなのだろうなと複雑な気持ちになった。ちなみに、ボスの送別会のようなものは部署内では一切おこなわれなかった。本人が固辞している発言もあったらしいが、最初からそんな話も出てこなかったのは部下から彼がどう思われていたかを如実に示している。

片付けなどもあって、この日は私もしばらく片付けなどのため7時半ごろに終業となる。それでは僕も失礼しますとボスに言ったら、酒はともかくとしてラーメンとか塩分の多いものは減らした方がいい、というようセリフが返ってきた。最後の最後がそれですか・・・それはともかく、2年半ほどの付き合いでしたが、お世話になりました。
それはTwitterだったかFacebookだったか覚えていないけれど、少し前に何やら「Nintendo」というロゴの入った広告が目に入った。かの任天堂だ。どうやらスマホのアプリらしい。任天堂が「Miitomo(みーとも)」という新しいサービスの提供を始めたのである(調べてみると今年の3月17日に始まった)。

詳細は事前によく調べなかったが、どうもSNSの類いのようだ。そして何となく登録してしまった。あの任天堂が満を持して提供するサービスだから、とファミコン世代の私は本能的に飛びついたというのが本当のところだろう。ただ私はインターネットも携帯電話も2ちゃんねるもmixiもTwitterもFacebookも後追いの人間だったので、新しいサービスやメディアに今回は乗っかってみたいという気持ちも強かったのである。

登録者は配信して3日後に100万人突破したという企業からの発表があったが、周囲で広まっている様子はない。私自身、直接知っている方で繋がっているのは一人だけだ。

ではそのサービスはといえば、「今のところは」と前置きしておくが、なんだかパッとしない印象だ。最初に自分の分身である「Mii」を作る。そしてサービスを開始すると、Miiがこちらにあれこれと質問をしてくる。それに対して返答する。基本的にはその繰り返しである。誰かと繋がると、繋がった人のMiiが自分のところにやってきて、またあれこれ質問してくる。これが100人とかになると大変そうである。

個人的にはザッといじってみて、

「なんだかアメーバみたい・・・」

とまず感じた。「このサービス、どこかで見たような・・・」という既視感がつきまとってくるのである。小学生の時にディスクシステムを付けたファミコンの電源を入れた時のワクワク感のようなものは全く湧いてこなかった。90年代前半くらいまでは世界の家庭ゲーム機を牛耳っていた任天堂も、携帯やソーシャルの世界では完全に後発隊ということか。

このように冷めた見方でこのアプリをいじっているうちに、Mittomoに対して強い疑問が出てきた。それは「このサービスで任天堂が一体何を狙っているのか?」という根本的な部分についてである。

例えばLINEの場合、最初は電話とメール機能を無料で提供するくらいだったが、しばらくしてゲームだのスタンプだのと内容をどんどん広げていき収益も上げていった。最初は無料サービスで利用者を囲い込み、それからしばらくしてあの手この手で商売をしていくという手法である。

これに対して、 Miitomoは今のところ収益を出せるような部分はほとんど見えてこない。課金できるところといえば、Miiに着せる衣装程度である。SNSの機能としても、繋がっている人のコメントに「イイね!」をしたりコメントをつけるくらいしかできない。個人情報をやり取りすることも可能なのか、またそれを禁止しているのか、そのあたりもなんだかよくわからない。

しかし任天堂はポケモンやマリオなどの人気キャラを大量に持っているので、それでガチャを作って売ろうと思えば簡単にできるだろう。ポケモンだったら恐ろしい利益が出せそうな気がする(当然ながら課金をめぐる問題も出てくるに違いないが)。だが、今のところはそんな気配は全くない。ただ自分や繋がっている人のMiiと半端なやり取りをするだけである。

果たしてMiitomoは任天堂の新しい戦略の一環となるのか、それとも失敗してその歴史に汚点を残すことになるか。その辺りはわからないが、個人的には適当に付き合っていこうと思ってはいる。


「Miitomo」の公式ページはこちら
https://miitomo.com/ja/

22連勤を終えて、今日は丸1日休みを取った。京都市内をフラフラして天丼や鯛焼きなどを食べて過ごす。その合間に、次の日曜日に行われるライブのチケットをファミリーマートで発券する。渡辺美里のデビュー・アルバム「eyes」(85年)の収録曲全てを演奏する企画
「名盤ライブ」のチケットだ。

先ほどネットで売れ行きを確認してみると、大阪公演は全てが「◯(余裕あり)」という状態だった。チケット代が1万5000〜1万7000円という通常のライブの倍くらいの高額設定、Zepp Osakaという大きな会場、しかも1日に2公演という商売っ気の強いものにしたのがこの結果をもたらしたのだろう。

私自身は今年の横浜アリーナでのライブ(1月9日)へ向かう直前に新宿あたりで携帯をいじっている時に、FacebookかTwitterでこの件を知った。しかしこのチケット代は正直いって二の足を踏む思いがした(と言いながら、横浜から帰ってすぐに申し込み手続きを取ったが)。

しかしながら、今回のライブは多くの点で非常に貴重な経験のできるのは確実だ。今日はそのあたりについて触れてみたい。そして「行きたいけれどチケット代が・・・」と躊躇している方に再考を促すことを目的としている。

おそらくデビュー時からこの人のライブを観ているごく一部のファンを除けば、「eyes」に入っている曲を生で聴いたのは3曲になるのではないかと思う。2枚目のシングルである”Growin’ up”、タイトル曲の”eyes”、そして”悲しいボーイフレンド”はことあるたびに取り上げられてきた。これらはそれなりにライブに通っていた人は聴くことはできたはずである。

私は92年に初めてライブを観てから、都合25年ほど生で観る機会を得ている。その間にフル
コーラスで聴けたのは4曲、もしくは5曲である。先ほどの3曲に加えて、2004年8月7日に西武ドーム「Misato BlueButterfly 19th」にて”きみに会えて”を聴いている。

そしてかなり記憶が曖昧になっているのが「うたの木 Fragile」の大阪公演(2000年10月15日、Zepp Osaka)の”死んでるみたいに生きたくない”だ。私の中ではこれはメドレーのような形で披露され全編は歌われなかったのではないか?とずっと思っていた。しかしこの文章を書くために当時のライブ・レポートなどを参考にしたのだが、どうもフル・コーラスで演奏されたようなのだ(メドレーだったらそのような注釈があってしかるべきだから)。もう16年前のことなので自信もない。

そういうわけで私が「eyes」の曲をライブで聴いた数は、フル・コーラスでは4曲もしくは5曲ということになる。

あとは2005年8月6日、最後の西武ライブ「MISATO V20 スタジアム伝説~最終章~ NO SIDE」で披露されたメドレーの中で”18歳のライブ”が少しだけ歌われた。25年間もライブを観続けてきて、生で聴けたのはたったこれだけなのである。

だから、今回の「名盤ライブ」でアルバム全11曲が全て披露されるというのは、この人のキャリアにとっての一大事であるし、観る側にとっても非常に貴重な公演になるのだ。正直いって、昨年行われた47都道府県ツアー及び大阪フェスティバル、年明けの横浜アリーナでのライブまで観て「いつも通りでした」という感想しか出てこなかった身としては、この「名盤ライブ」がデビュー30周年という区切りにふさわしい企画がここでようやく出たという思いがする。

何度も書いているが、私自身はもうこの人の活動について期待めいたものを抱いていない。そんなことを望んでも裏切られることが圧倒的に多かったから、そうした思いもある時点で断ち切ったのだ。実際、ライブなどから遠ざかった人たちはそのような失望をともなったのだろうと「元・信者」としては想像してしまうのである。

だが、今回は「eyes」の曲が全て披露されるということだけは確かであり、それだけに「期待」をすることはできる。そして、これはもう「今回限り」といって間違いない。また、こうした企画めいたものをこの人が試みたことも実に貴重である。もしチケット代だけが問題なら、もう迷うことはないのではないだろうか。

私自身も、この25年間の中でも得難い体験ができるという「期待」を抱いて、3月20日を臨むつもりである。一人でも多くの人とこの日を共有できれば幸いである。

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