帰国
2007年6月17日 ヴァン・モリソンのライブ体験記
飛行機で夕食を終えてから、しばらく眠っていた。目が覚めれば、もう離陸して6時間ほど経っている。あと6時間もすれば日本に帰国だ。
私は3人掛けの席のど真ん中だったので、頻繁に立ったり座ったりするのは具合が悪い。そこで、機内でも飲み物などもあまり取らず、ほとんど席を動かないでいた。結局、飛行機でトイレに行ったのが1回だけで、あとはずっと座っていた。
することもないので、行きの便と同様、手前のテレビ画面で映画「バブルへGO!」を見たり、ヴァン・モリソンの伝記「魂の道のり」を読んだりして時間をつぶした。そして、午後2時ごろだったか、無事に成田空港へ到着した。
入国審査は、日本人については簡単だった。パスポートを提示して終わりである。ふと周囲を見回すと、美川憲一も入国審査の列に並んでいる。変装のようなものを全くしていないので、一瞬で彼とわかった。
スーツケースを抱えて、京成電鉄からJRに乗って東京駅まで向かう。ロンドンにいる間に梅雨明けをしたようで、ものすごく暑い。ラーメンを食べるくらいの時間も無いわけではなかったが、もう疲れてしかたないのですぐ新幹線のチケットを手配し、午後5時半ごろの電車で京都へ向かう。京都駅からタクシーで帰ったので、9時には部屋に戻った。なんだか、昨日までの出来事が夢のように感じる。
私は3人掛けの席のど真ん中だったので、頻繁に立ったり座ったりするのは具合が悪い。そこで、機内でも飲み物などもあまり取らず、ほとんど席を動かないでいた。結局、飛行機でトイレに行ったのが1回だけで、あとはずっと座っていた。
することもないので、行きの便と同様、手前のテレビ画面で映画「バブルへGO!」を見たり、ヴァン・モリソンの伝記「魂の道のり」を読んだりして時間をつぶした。そして、午後2時ごろだったか、無事に成田空港へ到着した。
入国審査は、日本人については簡単だった。パスポートを提示して終わりである。ふと周囲を見回すと、美川憲一も入国審査の列に並んでいる。変装のようなものを全くしていないので、一瞬で彼とわかった。
スーツケースを抱えて、京成電鉄からJRに乗って東京駅まで向かう。ロンドンにいる間に梅雨明けをしたようで、ものすごく暑い。ラーメンを食べるくらいの時間も無いわけではなかったが、もう疲れてしかたないのですぐ新幹線のチケットを手配し、午後5時半ごろの電車で京都へ向かう。京都駅からタクシーで帰ったので、9時には部屋に戻った。なんだか、昨日までの出来事が夢のように感じる。
危うかった出国
2007年6月16日 ヴァン・モリソンのライブ体験記
ロンドンに来て4日目、いよいよ最後である。今日も7時ごろには目が覚めた。結局、日本にいる時と体調に変化はなかったといえる。この日もKさんと一緒に食堂で朝食だが、これも今日で終わりだ。パンとコーンフレークだけの食事は、我慢できなくもないが、もう飽きてきたのでちょうどいい時期かもしれない。
私は11時までにホテルをチェックアウトしなければならないが、Kさんはもうしばらくここに滞在する。荷物を預かるから観光でもしたら?と薦められたので、昼まで外を出ることにした。「地球の歩き方」をめくるとナショナルギャラリーという美術館が入場無料らしい。大英博物館では絵がほとんどなかったので、ここを覗いてみようと地下鉄でピカデリー・サーカス(PiccadillyCircus)へ向かう。しばらく歩き中華街や公園などを抜けるとナショナル・ギャラリーが見つかった。展示物が絵のためか、ここは撮影が禁止だった。写真を撮ろうとした人が係員に注意されている。美術の知識はからっきしだが、一つだけすぐわかる作品があった。ゴッホの「ひまわり」である。バブル期に話題になった記憶がまだ残っていた。現在は時価でいくらするのだろう。
ナショナルギャラリーをザッと観てから、ロンドン三越をふたたび訪れお土産を追加で買う。そして、日本の料理や商品が売っている「ジャパン・センター」に入ってみた。公式サイトもある。
http://www.japancentre.com/?cmd=default
1階では寿司や蕎麦などが食べられ、地下の食料品店では「ハイチュー」など日本のお菓子も取り扱っている。お米も売っていたが、驚くことにアメリカ産やベトナム産だった。日本国内だったら考えられない話である。その中に「チキンカツ・カレー丼」というのが売っていたので思わず買ってしまった。エロスの像の前で食べてみる。味については日本と変わらないし美味しい。しかし、やはり値段が問題だ。そんなに量が入ってない割に3.8ポンドである。日本だったら400円くらいが妥当な金額だろう。最後の最後までロンドンの物価についてブツブツ言っていたような気もする。
午後1時、再びアールズコートに戻りKさんと合流し一緒に昼食をとる。近くに中華料理屋があり、そこで「酸辣湯」、それから「焼肉飯」というのを頼む。焼肉飯は表面をカリッと焼いた豚肉がご飯に乗っただけのもので、たいして美味しくない。酸辣湯も酸っぱさばかりが舌に残る。これがロンドンで最後の食事だが、噂どおりに食事は全体的にイマイチだったな。私はとてもロンドンに暮らす自信がない、と自信をもって言える。店を出た後、Kさんにお礼をいって別れる。この時点で午後2時ごろだった。
午後7時に出国なので、このまま地下鉄で空港に行くにはまだしばらく時間がある。そこで、ビートルズで有名なアビイロード(Abbey Road)に寄ってみようと思い、最寄りのセント・ジョンズ・ウッド(St.John’s Wood)駅まで向かう。そこからスーツケースを引きずりながら下り坂を進むのだが、途中で雨がどんどん強くなってくる。あまりにヒドいので、ここに来て初めて折りたたみ傘を取り出す。アビイ・ロードは観光客が絶えず訪れる。画像にも載せているが、ビートルズと同じように横断歩道を歩き、それを記念写真に撮っていた。ロンドンは歩行者優先だが、さすがに写真撮影をしている連中には車もクラクションを鳴らす。アビイロード・スタジオや横断歩道を適当に写真を撮った後で駅に戻る時に、黒人の男性から、
「すいません。日本の方ですか?」
と声をかけられる。日本語で話しかけられたのは初めてだ。何かの取材だろうか?と思ったら、その人は日本語で「ものみの塔」と書かれた冊子を取り出した。まさかアビイロードの近くで宗教の勧誘をされるとは!結構ですと言ったら、向こうもアッサリとあきらめて去っていった。
地下鉄でヒースロー空港へ向かいロンドンの旅が終わった。で、済むと思ったが、今回の真のドラマはここからが始まりだった。
地下鉄ピカデリー線で空港までは1本で行ける。しかし、いくら地下鉄を待ってもヒースロー行きの電車が来ない。途中にあるハマースミス(Hammersmith)駅までしかないのだ。「ハマースミスで乗り換えるのだろうか?」と不審に思いながら、とりあえず電車に乗ってハマースミスへ向かう。しかし、ハマースミスに着いても、駅の様子がおかしい。なにやら駅員と思われる黄色い服の人が大勢いる。そして、構内には張り紙もしている。どうも地下鉄がハマースミスで止まっているようだ。プラットホームにいた駅員に、空港に行きたいんですが、と尋ねると、
「アクトン・タウン(Acton Town)に行くバスに乗れ。黄色い服の人に聞け」というようなことを言われ、ポンと肩を叩かれる。訳もわからないまま駅を出て、黄色い服の人に「バスはどこですか?」と聞くと乗り場に案内される。そこには荷物を持った人がたくさんいる。みんな空港へ向かう人たちなのだろう。さてバスはいつ来るのか、と思ったら駅員が何やら大声で説明をして、再び駅に誘導される。黒人の駅員が何やら私に説明しているが・・・聞き取れない。これは、かなりまずい状況なのではないだろうか。この時点で午後4時半ごろで、気持ちもかなり動揺してくる。
言われるがままに地下鉄に乗る。私はどこへ行くんだ?そんな中、大きな荷物を抱えたアジア系の女の子2人が目に止まる。「空港に行きますか?」と尋ねたら、ハイと答えたので彼女たちにくっつくことにする。これしかもう方法は無いと思ったのだ。彼女の荷物運びを手伝いながら地下鉄に出ると、今度はなんと鉄道に乗り換えである。これで空港に行けるのだろうか。もう午後5時である。離陸の2時間前だ。
私は韓国語をしゃべれないし、向こうも日本語は無理なので英語でいろいろ話をした。彼女たちは2人とも韓国から来たという。私が7時に出国すると言えばかなり驚いていた。そのうち1人は英語を勉強するためにロンドンに4ヶ月滞在したという。私の滞在期間が4日だと言うと、また驚いていた。片言の英語しか話せないけれど、ヴァン・モリソンを観るためだけにロンドンに来たこと、さっきまでアビイロードに行っていたことなどはなんとか伝わっていたようだ。また、飛行機には間に合うと思う、などと励まされたりもした。
そうこうしているうちに午後5時半、なんとかヒースロー空港に到着である。荷物を運ぶのを手伝いながらなんとか走って日本航空の窓口に向かう。「すいません。地下鉄が止まっていて遅れました」と息を切らしながら係の人に伝えると、「ああ、大丈夫ですよ」と涼しい顔で答えが返ってくる。事情を聞くと、どうやら地下鉄が工事中だったらしい。後で知ったことだが、ロンドンの地下鉄はよく止まるそうだ。しかし、本当に危なかった。日本に帰れないのではと、一瞬ではあるが思った時もあった。
とにかく急いで搭乗手続きをする。通路側の席を取りたかったけれど、ほとんど埋まっていて真ん中の席しかなかった。飛行機自体もほぼ満席だという。乗れれば御の字だと思い納得するしかない。それからいろいろ審査をされたが、日本と比べて色々と厳しい。金属類を外して提出しなければならないし、靴も脱がされ調べられる。途中でさっきの韓国の女性に再び出会う。心配そうな顔をしていたので、たぶん間に合うだろう、と答えた。そうして空港のロビーに着いたのは午後6時10分ごろだった。飛行機に入る20分前だから、実に危うい。椅子に座ってなんとなく財布の中を見ると、もう小銭しか残っていない。用意した200ポンド、約5万円はこの4日間で吹っ飛んだことになる。残った小銭をかき集めて、近くの自動販売機でチョコレートを買った。
午後5時半、飛行機に乗り込む。少し離陸の準備が遅れ、実質的に出発したのは午後6時45分くらいだったか。なんとなく外の景色を眺めたが、特に感慨はなかった。出国して1時間ほどで夕食が出て、すぐに眠りにつく。いつの間にか飛行機の中も真っ暗になっていた。
私は11時までにホテルをチェックアウトしなければならないが、Kさんはもうしばらくここに滞在する。荷物を預かるから観光でもしたら?と薦められたので、昼まで外を出ることにした。「地球の歩き方」をめくるとナショナルギャラリーという美術館が入場無料らしい。大英博物館では絵がほとんどなかったので、ここを覗いてみようと地下鉄でピカデリー・サーカス(PiccadillyCircus)へ向かう。しばらく歩き中華街や公園などを抜けるとナショナル・ギャラリーが見つかった。展示物が絵のためか、ここは撮影が禁止だった。写真を撮ろうとした人が係員に注意されている。美術の知識はからっきしだが、一つだけすぐわかる作品があった。ゴッホの「ひまわり」である。バブル期に話題になった記憶がまだ残っていた。現在は時価でいくらするのだろう。
ナショナルギャラリーをザッと観てから、ロンドン三越をふたたび訪れお土産を追加で買う。そして、日本の料理や商品が売っている「ジャパン・センター」に入ってみた。公式サイトもある。
http://www.japancentre.com/?cmd=default
1階では寿司や蕎麦などが食べられ、地下の食料品店では「ハイチュー」など日本のお菓子も取り扱っている。お米も売っていたが、驚くことにアメリカ産やベトナム産だった。日本国内だったら考えられない話である。その中に「チキンカツ・カレー丼」というのが売っていたので思わず買ってしまった。エロスの像の前で食べてみる。味については日本と変わらないし美味しい。しかし、やはり値段が問題だ。そんなに量が入ってない割に3.8ポンドである。日本だったら400円くらいが妥当な金額だろう。最後の最後までロンドンの物価についてブツブツ言っていたような気もする。
午後1時、再びアールズコートに戻りKさんと合流し一緒に昼食をとる。近くに中華料理屋があり、そこで「酸辣湯」、それから「焼肉飯」というのを頼む。焼肉飯は表面をカリッと焼いた豚肉がご飯に乗っただけのもので、たいして美味しくない。酸辣湯も酸っぱさばかりが舌に残る。これがロンドンで最後の食事だが、噂どおりに食事は全体的にイマイチだったな。私はとてもロンドンに暮らす自信がない、と自信をもって言える。店を出た後、Kさんにお礼をいって別れる。この時点で午後2時ごろだった。
午後7時に出国なので、このまま地下鉄で空港に行くにはまだしばらく時間がある。そこで、ビートルズで有名なアビイロード(Abbey Road)に寄ってみようと思い、最寄りのセント・ジョンズ・ウッド(St.John’s Wood)駅まで向かう。そこからスーツケースを引きずりながら下り坂を進むのだが、途中で雨がどんどん強くなってくる。あまりにヒドいので、ここに来て初めて折りたたみ傘を取り出す。アビイ・ロードは観光客が絶えず訪れる。画像にも載せているが、ビートルズと同じように横断歩道を歩き、それを記念写真に撮っていた。ロンドンは歩行者優先だが、さすがに写真撮影をしている連中には車もクラクションを鳴らす。アビイロード・スタジオや横断歩道を適当に写真を撮った後で駅に戻る時に、黒人の男性から、
「すいません。日本の方ですか?」
と声をかけられる。日本語で話しかけられたのは初めてだ。何かの取材だろうか?と思ったら、その人は日本語で「ものみの塔」と書かれた冊子を取り出した。まさかアビイロードの近くで宗教の勧誘をされるとは!結構ですと言ったら、向こうもアッサリとあきらめて去っていった。
地下鉄でヒースロー空港へ向かいロンドンの旅が終わった。で、済むと思ったが、今回の真のドラマはここからが始まりだった。
地下鉄ピカデリー線で空港までは1本で行ける。しかし、いくら地下鉄を待ってもヒースロー行きの電車が来ない。途中にあるハマースミス(Hammersmith)駅までしかないのだ。「ハマースミスで乗り換えるのだろうか?」と不審に思いながら、とりあえず電車に乗ってハマースミスへ向かう。しかし、ハマースミスに着いても、駅の様子がおかしい。なにやら駅員と思われる黄色い服の人が大勢いる。そして、構内には張り紙もしている。どうも地下鉄がハマースミスで止まっているようだ。プラットホームにいた駅員に、空港に行きたいんですが、と尋ねると、
「アクトン・タウン(Acton Town)に行くバスに乗れ。黄色い服の人に聞け」というようなことを言われ、ポンと肩を叩かれる。訳もわからないまま駅を出て、黄色い服の人に「バスはどこですか?」と聞くと乗り場に案内される。そこには荷物を持った人がたくさんいる。みんな空港へ向かう人たちなのだろう。さてバスはいつ来るのか、と思ったら駅員が何やら大声で説明をして、再び駅に誘導される。黒人の駅員が何やら私に説明しているが・・・聞き取れない。これは、かなりまずい状況なのではないだろうか。この時点で午後4時半ごろで、気持ちもかなり動揺してくる。
言われるがままに地下鉄に乗る。私はどこへ行くんだ?そんな中、大きな荷物を抱えたアジア系の女の子2人が目に止まる。「空港に行きますか?」と尋ねたら、ハイと答えたので彼女たちにくっつくことにする。これしかもう方法は無いと思ったのだ。彼女の荷物運びを手伝いながら地下鉄に出ると、今度はなんと鉄道に乗り換えである。これで空港に行けるのだろうか。もう午後5時である。離陸の2時間前だ。
私は韓国語をしゃべれないし、向こうも日本語は無理なので英語でいろいろ話をした。彼女たちは2人とも韓国から来たという。私が7時に出国すると言えばかなり驚いていた。そのうち1人は英語を勉強するためにロンドンに4ヶ月滞在したという。私の滞在期間が4日だと言うと、また驚いていた。片言の英語しか話せないけれど、ヴァン・モリソンを観るためだけにロンドンに来たこと、さっきまでアビイロードに行っていたことなどはなんとか伝わっていたようだ。また、飛行機には間に合うと思う、などと励まされたりもした。
そうこうしているうちに午後5時半、なんとかヒースロー空港に到着である。荷物を運ぶのを手伝いながらなんとか走って日本航空の窓口に向かう。「すいません。地下鉄が止まっていて遅れました」と息を切らしながら係の人に伝えると、「ああ、大丈夫ですよ」と涼しい顔で答えが返ってくる。事情を聞くと、どうやら地下鉄が工事中だったらしい。後で知ったことだが、ロンドンの地下鉄はよく止まるそうだ。しかし、本当に危なかった。日本に帰れないのではと、一瞬ではあるが思った時もあった。
とにかく急いで搭乗手続きをする。通路側の席を取りたかったけれど、ほとんど埋まっていて真ん中の席しかなかった。飛行機自体もほぼ満席だという。乗れれば御の字だと思い納得するしかない。それからいろいろ審査をされたが、日本と比べて色々と厳しい。金属類を外して提出しなければならないし、靴も脱がされ調べられる。途中でさっきの韓国の女性に再び出会う。心配そうな顔をしていたので、たぶん間に合うだろう、と答えた。そうして空港のロビーに着いたのは午後6時10分ごろだった。飛行機に入る20分前だから、実に危うい。椅子に座ってなんとなく財布の中を見ると、もう小銭しか残っていない。用意した200ポンド、約5万円はこの4日間で吹っ飛んだことになる。残った小銭をかき集めて、近くの自動販売機でチョコレートを買った。
午後5時半、飛行機に乗り込む。少し離陸の準備が遅れ、実質的に出発したのは午後6時45分くらいだったか。なんとなく外の景色を眺めたが、特に感慨はなかった。出国して1時間ほどで夕食が出て、すぐに眠りにつく。いつの間にか飛行機の中も真っ暗になっていた。
ロンドンに着いて3日目の朝である。今日も時差ボケらしき症状は全くない。午前8時、食堂に行く前に「地球の歩き方」をめくって電話を入れる。ヨーロッパの観光を扱っている「みゅう」という会社で、そこは日本語の通じる窓口も用意されている。
http://www.myu-info.jp/
「ストーンヘンジ(Stonehenge)へ行くツアーはありますか?」
昨日まではKさんに世話になりっぱなしだったが、そろそろ単独行動をしてみようと思い立った。そこで、「地球の歩き方」の片隅に載っていたストーンヘンジに目をつける。Kさんはかつてレンタカーでストーンヘンジを既に観ているので、行く気はないという。それならばツアーで行けないかと思った。しかし、
「いまからですと、8時半までにウォータールー(Waterloo)駅まで行かないと受付に間に合いません。また、それも定員がいっぱいになっている可能性もあります」
というような答えが返ってきた。今から30分以内にウォータールー駅まで行けるわけがない。予想はしていたものの当日の朝にツアーを申し込むというのは無理があった。よって、ツアーで行く方法は諦めた。
それから食堂でKさんと合流し朝食を取る。やっぱりストーンヘンジを観たいのでその旨を伝えて、9時過ぎに単身で地下鉄に乗りウォータールー駅に向かう。ここから鉄道に乗り換えてまず最寄り駅のソールズベリ(Salisbury)へ行かなければならない。しかし路線があまりにも多すぎて、どの線路がどこへ向かうかさっぱりわからない。駅の構内をウロウロしていると、路線図および時刻表が20種類以上(!)置いてあるのを見つける。そこを物色してソールズベリ行きの路線をなんとか発見する。
次に切符を買うわけだが、地下鉄とはまた違った販売機でよくわからない。買っている人たちを観察していると、キャッシュカード専用の自動販売機があったので、これで買うことにした。画面には何種類か料金が表示されていてこれまた意味不明だ。とりあえず往復で買った方が安いみたいなのでそれを買う。キャッシュカードを入れると、チケットとレシートが有無をいわさず出てきた。値段は25.6ポンドだから6400円くらいだ。JRで京都から神戸の三ノ宮まで行く場合、往復で2100円だからやっぱり高い。
あとは電車に乗れば一安心、とはいかなかった。時刻を確認し所定の乗り場に止まっている電車に入るが、この電車もよくわからない。どうも前の車両は指定席のようである。そこで真ん中へんの車両に入ってみるが、椅子の上に「Reserved」(「予約」ということか?)という紙が置いてあるのだ。私の切符は別に指定でもなさそうだし、不安になってくる。そこでホームにいた駅員に、「Excuse Me.This ticket,O.K?」などとチケットを見せて訊いてみたら、「O.K!」と返事が返ってくる。もう時間もないので、真ん中の車両で「Reserved」の紙が貼っていない席に座ってしまった。ビクビクしながら車両に座っていたが、結果として何事もなくソールズベリまで行くことができた。
ここからバスでストーンヘンジである。駅の窓口に行くとチケットを買うために何人か並んでいた。チラシが置いてあり、ストーンヘンジまで7.5ポンド云々、と書いてある。言葉で説明する自信が無いので、無言で7.5ポンドを窓口に提示するとチケットをくれた。チラシにはバスの時刻表もあり、12時ちょうどにバスが出発するようだ。いまは11時55分だ。「Where is the bus?」と窓口に尋ねたら方向を教えてくれたので、急いでバスに乗り込む。中にいたのは日本人らしき人、東南アジア系の女の子など、いかにも観光客という人たちばかりだった。ここまで来ればもう安心だ。しかし、この辺りから雨が降り出してくる。
出発してすぐは民家もちらほら見かけるも、しばらくすると森だけになっていき、そこを抜ければ広大な草原が目に飛び込んできた。それは生まれて初めて見る地平線だった。大部分が山地の日本では地平線の見られる場所はそれほど無い。おそらくストーンヘンジよりも感激した瞬間だった。そしてソールズベリから20分ほどかかって、目的地へたどり着く。しかし周辺は金網で囲まれていて、入場料を払わなければ近づくことができない。入口を見つけ料金6.3ポンドを支払う。音声ガイド(日本語もある)を無料で貸し出しをしていたが、気づかないまま中に入ってしまった。
紀元前2500年から紀元前2000年にできたと言われるストーンヘンジは、なんのために造られたのかも定かではない不思議な遺跡だが、現在ではすっかり観光地となってしまい人がいっぱいである。だから、ちっとも神秘的な雰囲気ではない。草原の向こうを見れば家畜と思われる動物の群れがいる。ゆっくり観ようと思ったが、雨は一向にやみそうもない。傘もカッパも用意していないのでめちゃくちゃ寒い。それに、モタモタしていたら晩のライブの支度もできなくなる。そこで土産物店に入り、ストーンヘンジの形をした置物(9.9ポンド)と日本語のパンフレット(4.9ポンド)を買って、午後1時半にバスでソールズベリへ戻る。相変わらず外は雨で、晩のライブが不安になってくる。
「3度目にヴァン・モリソンを観ることは、たぶんないだろうな」
などと思いながらソールズベリの景色を見ているうちに、やたらと感傷的な気分に襲われる。
帰りの鉄道は、車両と車両のつなぎ目の狭い座席に座った。向かいに10代後半と思われる短髪の男性が私に何か訊いてきた。どうやら、席が空いているか?と尋ねているようだが、「I don’t know」とだけ答える。そんなこともあったが、午後4時にはウォータールー駅へ戻ることができた。ホテルに戻ると、昨日の約束通り、部屋を移動しなければならない。スーツケースを抱えて階段で4階まで上がる。しかし、別にこっちの都合で部屋を変えるわけではないので、ホテル側が運ぶのが筋な気がするのだが・・・。ちなみに、このホテルにはエレベーターが無い。
この時点で午後5時ごろだった。まだ時間があるので、Kさんと近くのバーでギネスを飲む。私がソールズベリに行っている間、ギネスを飲んだりネット・カフェで時間をつぶしていたらしい。ライブに行く前に食事を済ませようとハンバーガーのチェーン店「バーガーキング」(Burger King)に入る。ポテトやドリンクの付いたセットで4ポンド近くだ。およそ1000円だから、やっぱりロンドンの物価は異様だ。食べ終わった後、KさんはDolores O’riordan(クランベリーズのメンバーだった人)のライブへ、私は昨日と同じくハンプトンコートへ向かう。昨日買ったヴァン・モリソンの顔が入ったTシャツを着替えて出発だ。
前日も行っていたので、ハンプトンコートまでは何も問題なく着く。それにしても今日は実に天気が良い。画像にも載せているが昨日とはまったく景色が違う。庭でくつろいでいる人の数も今日の方がはるかに多い。ブラブラしたり写真を撮っているうちに開演時間も近づいてきた。今日の席は昨日よりやや後ろの席であるが、多分これがヴァン・モリソンを生で観る最後の日だろう。そんなことを思いながら午後8時40分ちょうど、時間どおりにバンドが現れてライブの開始だ。
1曲目は昨日と変わらず、ハーモニカを吹きながらの”Wonderful Remark”だった。しかし、今日のヴァンの様子が違う。前日より明らかに声が出ている。調子が良いのはヴァンだけではない。この日のコーラス隊も”I Can’t Stop Loving You””Moondance”などで実に見事な歌を披露する。どうして3人もコーラスを入れたのか、その理由がこの日でわかったような気がした。”Bright Side Of The Road”あたりから前方左側にいるお客が踊り出す。アイリッシュ系の人なのかわからないが、観客の反応もすこぶる良かった。
また、特筆すべきはこの日の曲目である。”Magic Time””Real Real Gone””One Irish Rover””I’m Not Feeling It Anymore””Georgia On My Mind””Jackie Wilson Said”と、好きな曲がバンバン飛び出したのだからもう何も言うことはない。特に”Georgia On My Mind”は、レイ・チャールズを2曲も歌わないと思っていたから、嬉しい不意打ちだった。しかもその歌いっぷりには唸らされる。現存するシンガーの中でも最高峰であると感じるとてつもなく素晴らしいパフォーマンスだった。
といっても、ニール・ヤングのようには人を圧倒させる力を放つアーティストではない。具体的に説明するのは不可能だが、たとえばヴァンの伝記「魂の道のり」の中で作品解説をしている大鷹俊一氏が映像作品「ザ・コンサート」(90年)について、
「驚くべきことだがステージに流れる詩情は絶対に音だけでは味わえないもので、たぶんそれは不器用が服を着たヴァンが、歌うことだけにかけてきたからこそ醸し出されるものなのだ。」
と書いている。それは実際のステージにおいても有効な表現だった。CDで聴くような雰囲気がにじみ出てくる、といえばファンの方ならば伝わるだろうか。
そんな中でも、双眼鏡で時おりヴァンの表情を確認していた。いつ見ても笑顔は無く、目をつぶって顔を上げながら歌っている時もある。いったい彼は何を考えているのだろう。もはや目の前の観衆すらほとんど気をとめていないようにも思える。そんな姿を見ているうちに、もう彼は自分の手の届く範囲で歌っていればそれで満足なのではないか?という推測が私の中に浮かんだ。
海外に行く直前までヴァン・モリソンの最近の演奏曲目などいろいろ調べてみた。そうしているうちに、ヴァンが予想以上に勢力的に活動を続けていることがわかった。ほぼ毎月のようにライブをしているし、作品もずっと出し続けているのはファンならよくご存知の通りである。ただ、活動範囲はヨーロッパとアメリカに限定されているし、日本の聴き手にはそうした動きが実感として伝わらない。
ロンドンのCDショップを少し覗いたが、彼の作品はほとんど廃盤状態である。本国ですらそれほど大きな扱いはされていない。こんな状態ではヴァン本人も自分の残した作品の影響の大きさを自覚しようがないかもしれない。ただ、小さな会場を埋めるような観客がヨーロッパやアメリカではいくらでもいるのだし、わざわざ日本などでライブをしようという欲望も起きないのではないだろうか。ただ彼は誰に何と言われようと、自分の意志が続く限り、この世界のどこかでこれからも歌い続けていくのだろう。日本に来る時が果たして訪れるのだろうか、その願いだけは私も持ちつづけていきたい。
そんな私の思いなど知るよしも無いヴァンは、今夜も「Thank You」くらいしかMCもせず、最後に”グロリア”を歌いハーモニカを吹きながらステージを去っていった。
正直に告白するが、私は別に涙を流すことはなかった。たとえばニール・ヤング&ザ・クレイジーホースを初めて観たほどには感激しなかったのは事実である。色々な理由があったかもしれないが、私の中では最高のライブであったかは、いまの時点では断言できない状態である。しかし、”Georgia On My Mind”の歌うヴァンの姿、また”One Irish Rover”で「ウェイ、ウェイ、ウェイ・・・」と繰り返し歌っていた彼の表情を私は忘れることはないに違いない。そして、しばらく時間が経ってから、私がこの場所にいられたことがどれほど幸福だったか、身をもって知る瞬間が訪れるような気がする。
ライブが終わり宮殿をしばらくふらふらしていたら、眼鏡をかけた白人のおばあさんに、私の着ているTシャツはここで売ってるのか?と尋ねられる。売り場がどこにあるのか説明できずに困っていたら、近くにいた男性がおばあさんに説明してくれた。日付が変わる頃にホテルに戻る。明日でこの旅も終わりだ。
最後にネット拾った演奏曲目を示す。”Shake Your Money Maker”は、おそらくブルースのエルモア・ジェイムスの曲と思われる。
【演奏曲目】(カッコ内はヴァンの演奏した楽器)
(1)Wonderful Remark(ハーモニカ)
(2)Enlightenment (ハーモニカ)
(3)Magic Time(サックス)
(4)Have I Told You Lately (サックス)
(5)Real Real Gone/You Send Me(サックス)
(6)I Can’t Stop Loving You(ピアノ)
(7)Moondance(サックス)
(8)Saint. James Infirmary (サックス)
(9)Bright Side Of The Road
(10)Playhouse
(11)Cleaning Windows/Boppin’ The Blues/Be Bop A Lula
(12)One Irish Rover
(13)I’m Not Feeling It Anymore
(14)Georgia On My Mind
(15)Jackie Wilson Said(サックス)
(16)The Beauty Of The Days Gone By(アコースティック・ギター)
(17)Help Me/Shake Your Money Maker(サックス、ハーモニカ)
<アンコール>
(18)Brown Eyed Girl
(19)Gloria(ハーモニカ)
http://www.myu-info.jp/
「ストーンヘンジ(Stonehenge)へ行くツアーはありますか?」
昨日まではKさんに世話になりっぱなしだったが、そろそろ単独行動をしてみようと思い立った。そこで、「地球の歩き方」の片隅に載っていたストーンヘンジに目をつける。Kさんはかつてレンタカーでストーンヘンジを既に観ているので、行く気はないという。それならばツアーで行けないかと思った。しかし、
「いまからですと、8時半までにウォータールー(Waterloo)駅まで行かないと受付に間に合いません。また、それも定員がいっぱいになっている可能性もあります」
というような答えが返ってきた。今から30分以内にウォータールー駅まで行けるわけがない。予想はしていたものの当日の朝にツアーを申し込むというのは無理があった。よって、ツアーで行く方法は諦めた。
それから食堂でKさんと合流し朝食を取る。やっぱりストーンヘンジを観たいのでその旨を伝えて、9時過ぎに単身で地下鉄に乗りウォータールー駅に向かう。ここから鉄道に乗り換えてまず最寄り駅のソールズベリ(Salisbury)へ行かなければならない。しかし路線があまりにも多すぎて、どの線路がどこへ向かうかさっぱりわからない。駅の構内をウロウロしていると、路線図および時刻表が20種類以上(!)置いてあるのを見つける。そこを物色してソールズベリ行きの路線をなんとか発見する。
次に切符を買うわけだが、地下鉄とはまた違った販売機でよくわからない。買っている人たちを観察していると、キャッシュカード専用の自動販売機があったので、これで買うことにした。画面には何種類か料金が表示されていてこれまた意味不明だ。とりあえず往復で買った方が安いみたいなのでそれを買う。キャッシュカードを入れると、チケットとレシートが有無をいわさず出てきた。値段は25.6ポンドだから6400円くらいだ。JRで京都から神戸の三ノ宮まで行く場合、往復で2100円だからやっぱり高い。
あとは電車に乗れば一安心、とはいかなかった。時刻を確認し所定の乗り場に止まっている電車に入るが、この電車もよくわからない。どうも前の車両は指定席のようである。そこで真ん中へんの車両に入ってみるが、椅子の上に「Reserved」(「予約」ということか?)という紙が置いてあるのだ。私の切符は別に指定でもなさそうだし、不安になってくる。そこでホームにいた駅員に、「Excuse Me.This ticket,O.K?」などとチケットを見せて訊いてみたら、「O.K!」と返事が返ってくる。もう時間もないので、真ん中の車両で「Reserved」の紙が貼っていない席に座ってしまった。ビクビクしながら車両に座っていたが、結果として何事もなくソールズベリまで行くことができた。
ここからバスでストーンヘンジである。駅の窓口に行くとチケットを買うために何人か並んでいた。チラシが置いてあり、ストーンヘンジまで7.5ポンド云々、と書いてある。言葉で説明する自信が無いので、無言で7.5ポンドを窓口に提示するとチケットをくれた。チラシにはバスの時刻表もあり、12時ちょうどにバスが出発するようだ。いまは11時55分だ。「Where is the bus?」と窓口に尋ねたら方向を教えてくれたので、急いでバスに乗り込む。中にいたのは日本人らしき人、東南アジア系の女の子など、いかにも観光客という人たちばかりだった。ここまで来ればもう安心だ。しかし、この辺りから雨が降り出してくる。
出発してすぐは民家もちらほら見かけるも、しばらくすると森だけになっていき、そこを抜ければ広大な草原が目に飛び込んできた。それは生まれて初めて見る地平線だった。大部分が山地の日本では地平線の見られる場所はそれほど無い。おそらくストーンヘンジよりも感激した瞬間だった。そしてソールズベリから20分ほどかかって、目的地へたどり着く。しかし周辺は金網で囲まれていて、入場料を払わなければ近づくことができない。入口を見つけ料金6.3ポンドを支払う。音声ガイド(日本語もある)を無料で貸し出しをしていたが、気づかないまま中に入ってしまった。
紀元前2500年から紀元前2000年にできたと言われるストーンヘンジは、なんのために造られたのかも定かではない不思議な遺跡だが、現在ではすっかり観光地となってしまい人がいっぱいである。だから、ちっとも神秘的な雰囲気ではない。草原の向こうを見れば家畜と思われる動物の群れがいる。ゆっくり観ようと思ったが、雨は一向にやみそうもない。傘もカッパも用意していないのでめちゃくちゃ寒い。それに、モタモタしていたら晩のライブの支度もできなくなる。そこで土産物店に入り、ストーンヘンジの形をした置物(9.9ポンド)と日本語のパンフレット(4.9ポンド)を買って、午後1時半にバスでソールズベリへ戻る。相変わらず外は雨で、晩のライブが不安になってくる。
「3度目にヴァン・モリソンを観ることは、たぶんないだろうな」
などと思いながらソールズベリの景色を見ているうちに、やたらと感傷的な気分に襲われる。
帰りの鉄道は、車両と車両のつなぎ目の狭い座席に座った。向かいに10代後半と思われる短髪の男性が私に何か訊いてきた。どうやら、席が空いているか?と尋ねているようだが、「I don’t know」とだけ答える。そんなこともあったが、午後4時にはウォータールー駅へ戻ることができた。ホテルに戻ると、昨日の約束通り、部屋を移動しなければならない。スーツケースを抱えて階段で4階まで上がる。しかし、別にこっちの都合で部屋を変えるわけではないので、ホテル側が運ぶのが筋な気がするのだが・・・。ちなみに、このホテルにはエレベーターが無い。
この時点で午後5時ごろだった。まだ時間があるので、Kさんと近くのバーでギネスを飲む。私がソールズベリに行っている間、ギネスを飲んだりネット・カフェで時間をつぶしていたらしい。ライブに行く前に食事を済ませようとハンバーガーのチェーン店「バーガーキング」(Burger King)に入る。ポテトやドリンクの付いたセットで4ポンド近くだ。およそ1000円だから、やっぱりロンドンの物価は異様だ。食べ終わった後、KさんはDolores O’riordan(クランベリーズのメンバーだった人)のライブへ、私は昨日と同じくハンプトンコートへ向かう。昨日買ったヴァン・モリソンの顔が入ったTシャツを着替えて出発だ。
前日も行っていたので、ハンプトンコートまでは何も問題なく着く。それにしても今日は実に天気が良い。画像にも載せているが昨日とはまったく景色が違う。庭でくつろいでいる人の数も今日の方がはるかに多い。ブラブラしたり写真を撮っているうちに開演時間も近づいてきた。今日の席は昨日よりやや後ろの席であるが、多分これがヴァン・モリソンを生で観る最後の日だろう。そんなことを思いながら午後8時40分ちょうど、時間どおりにバンドが現れてライブの開始だ。
1曲目は昨日と変わらず、ハーモニカを吹きながらの”Wonderful Remark”だった。しかし、今日のヴァンの様子が違う。前日より明らかに声が出ている。調子が良いのはヴァンだけではない。この日のコーラス隊も”I Can’t Stop Loving You””Moondance”などで実に見事な歌を披露する。どうして3人もコーラスを入れたのか、その理由がこの日でわかったような気がした。”Bright Side Of The Road”あたりから前方左側にいるお客が踊り出す。アイリッシュ系の人なのかわからないが、観客の反応もすこぶる良かった。
また、特筆すべきはこの日の曲目である。”Magic Time””Real Real Gone””One Irish Rover””I’m Not Feeling It Anymore””Georgia On My Mind””Jackie Wilson Said”と、好きな曲がバンバン飛び出したのだからもう何も言うことはない。特に”Georgia On My Mind”は、レイ・チャールズを2曲も歌わないと思っていたから、嬉しい不意打ちだった。しかもその歌いっぷりには唸らされる。現存するシンガーの中でも最高峰であると感じるとてつもなく素晴らしいパフォーマンスだった。
といっても、ニール・ヤングのようには人を圧倒させる力を放つアーティストではない。具体的に説明するのは不可能だが、たとえばヴァンの伝記「魂の道のり」の中で作品解説をしている大鷹俊一氏が映像作品「ザ・コンサート」(90年)について、
「驚くべきことだがステージに流れる詩情は絶対に音だけでは味わえないもので、たぶんそれは不器用が服を着たヴァンが、歌うことだけにかけてきたからこそ醸し出されるものなのだ。」
と書いている。それは実際のステージにおいても有効な表現だった。CDで聴くような雰囲気がにじみ出てくる、といえばファンの方ならば伝わるだろうか。
そんな中でも、双眼鏡で時おりヴァンの表情を確認していた。いつ見ても笑顔は無く、目をつぶって顔を上げながら歌っている時もある。いったい彼は何を考えているのだろう。もはや目の前の観衆すらほとんど気をとめていないようにも思える。そんな姿を見ているうちに、もう彼は自分の手の届く範囲で歌っていればそれで満足なのではないか?という推測が私の中に浮かんだ。
海外に行く直前までヴァン・モリソンの最近の演奏曲目などいろいろ調べてみた。そうしているうちに、ヴァンが予想以上に勢力的に活動を続けていることがわかった。ほぼ毎月のようにライブをしているし、作品もずっと出し続けているのはファンならよくご存知の通りである。ただ、活動範囲はヨーロッパとアメリカに限定されているし、日本の聴き手にはそうした動きが実感として伝わらない。
ロンドンのCDショップを少し覗いたが、彼の作品はほとんど廃盤状態である。本国ですらそれほど大きな扱いはされていない。こんな状態ではヴァン本人も自分の残した作品の影響の大きさを自覚しようがないかもしれない。ただ、小さな会場を埋めるような観客がヨーロッパやアメリカではいくらでもいるのだし、わざわざ日本などでライブをしようという欲望も起きないのではないだろうか。ただ彼は誰に何と言われようと、自分の意志が続く限り、この世界のどこかでこれからも歌い続けていくのだろう。日本に来る時が果たして訪れるのだろうか、その願いだけは私も持ちつづけていきたい。
そんな私の思いなど知るよしも無いヴァンは、今夜も「Thank You」くらいしかMCもせず、最後に”グロリア”を歌いハーモニカを吹きながらステージを去っていった。
正直に告白するが、私は別に涙を流すことはなかった。たとえばニール・ヤング&ザ・クレイジーホースを初めて観たほどには感激しなかったのは事実である。色々な理由があったかもしれないが、私の中では最高のライブであったかは、いまの時点では断言できない状態である。しかし、”Georgia On My Mind”の歌うヴァンの姿、また”One Irish Rover”で「ウェイ、ウェイ、ウェイ・・・」と繰り返し歌っていた彼の表情を私は忘れることはないに違いない。そして、しばらく時間が経ってから、私がこの場所にいられたことがどれほど幸福だったか、身をもって知る瞬間が訪れるような気がする。
ライブが終わり宮殿をしばらくふらふらしていたら、眼鏡をかけた白人のおばあさんに、私の着ているTシャツはここで売ってるのか?と尋ねられる。売り場がどこにあるのか説明できずに困っていたら、近くにいた男性がおばあさんに説明してくれた。日付が変わる頃にホテルに戻る。明日でこの旅も終わりだ。
最後にネット拾った演奏曲目を示す。”Shake Your Money Maker”は、おそらくブルースのエルモア・ジェイムスの曲と思われる。
【演奏曲目】(カッコ内はヴァンの演奏した楽器)
(1)Wonderful Remark(ハーモニカ)
(2)Enlightenment (ハーモニカ)
(3)Magic Time(サックス)
(4)Have I Told You Lately (サックス)
(5)Real Real Gone/You Send Me(サックス)
(6)I Can’t Stop Loving You(ピアノ)
(7)Moondance(サックス)
(8)Saint. James Infirmary (サックス)
(9)Bright Side Of The Road
(10)Playhouse
(11)Cleaning Windows/Boppin’ The Blues/Be Bop A Lula
(12)One Irish Rover
(13)I’m Not Feeling It Anymore
(14)Georgia On My Mind
(15)Jackie Wilson Said(サックス)
(16)The Beauty Of The Days Gone By(アコースティック・ギター)
(17)Help Me/Shake Your Money Maker(サックス、ハーモニカ)
<アンコール>
(18)Brown Eyed Girl
(19)Gloria(ハーモニカ)
時差ボケとやらの影響はないようで、午前7時ごろスッと目が覚める。30分ほど経つとKさんから内線が入り、2人で1階の食堂に向かう。小さめの食堂には宿泊客がひしめき合っていた。ホテルの朝食はコーンフレークにパンとトーストだけである。あとは紅茶、コーヒー、オレンジジュースにミルク、さらに「HOT CHOCOLATE」と書かれたポットがあった。飲んでみたら、ココアみたいな味がする。
食事を済ませてから10時ごろ、地下鉄に乗りベーカー・ストリート(Baker Street)駅へ向かう。そこから10分ほど歩くと、スミスなどを輩出したことで有名なインディーズ・レコード・レーベルのラフ・トレード・レコード(Rough Trade Record)に入る。実際はなんてことない小さなレコード店だった。CDの中身は全て抜いてあり、歌詞カードなども確認できるのは日本と違うところである。建物の写真を撮ったものの、何も買わずに出ていく。
そこからまた地下鉄でオックスフォード・サーカス(Oxford CIrcus)駅へ行き、そこから何度も行ったり来たり、果てはバスまで乗りながら、「地球の歩き方」に載ってるフィッシュ・アンド・チップスの店「THE ROCK & SOLE PLAICE」になんとかたどり着く。
調べてみたらサイトもあった。
http://www.hollyeats.com/RockSolePlaice.htm
せっかくイギリスに来たんだからフィッシュ・アンド・チップスくらい食べたいと思ったのである。味は期待してなかったけれど、予想通り白身魚フライとフライド・ポテトの味しかしない。この店の名物のマッシュ・ピー(豆を煮たもの)もたいして美味しくない。これにコーラを足して13ポンドくらいだから、やっぱり高いな。ロンドンで生活するのは大変だと実感する。
道を引き返して、続くは大英博物館である。観光は全くするつもりはなかったが、せめてここくらいは行きたいと思っていた。ミイラやロゼッタ・ストーンのほか、かのイースター島のモアイ像まで観ることができたのには感激した。それにしても、観光客の数はものすごい。ツアーと思われる日本人の集団も見かける。それから駅に戻る途中、ヴァージン・メガストアに立ち寄る。今月11日に出たヴァン・モリソンのベスト・アルバムも置いてあったが、日本盤が出るのを信じて買わなかった。続いてピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)駅に行きロンドン三越でお土産を買って、さあ帰ろうと思ったら、
「ビッグ・ベンは観なくて良いんですか?」
とKさんに言われたのでウェストミンスター(Westminster)駅を降りて、ビッグ・ベンおよびウェストミンスター宮殿の前をざっと通る。ようやくホテルに戻ったのは午後6時ごろだった。
その時にホテルの人から何やら言われる。意味がわからないで困っていると、隣のKさんが、「部屋を変われ」と言っていると教えてくれる。そういえば私の部屋はベッドが2つある。急に2人連れの客でも入ったのだろうか。なんかわからないが、もっと大きい部屋に移れるとかなんとか言ってるようなので「O.K」と軽く答えてしまった。それからすぐ身支度をしてホテルを出る。いよいよライブに出発だ。
まずウィンブルドン( Wimbledon)駅まで地下鉄で行き、そこから鉄道に乗り換える。そして15分ほどしてからハンプトン・コート・パレス(Hampton Court Palace)駅に着く。テムズ川を渡ると、会場のハンプトン・コート・パレスに着く。今回観るライブはホールやライブ・ハウスではなく、この宮殿(Palace)の中で行われる。フェスティバルは「ハンプトン・コート・フェスティバル(Hampton Court Festival)」という名前で、ヴァン・モリソンは今日と明日ここでステージをおこなう。
公式サイトもある。
http://www.hamptoncourtfestival.com/
宮殿はカメラにすっぽり収まらないくらい大きい。入口でフェスティバルのパンフレットを買い、チケットを提示して中に入るとすぐステージが見えてくる。さきほどまで雨が降っていたので座席は濡れている。しかし雨は上がってライブの時には問題ないだろう。宮殿の中にはグッズ売り場があり、会場限定販売のCD(去年におこなわれたライブ1日分がまるまる入っている)、Tシャツと帽子をあわせて30ポンドで買った。
ステージを抜けると大きな庭に出る。この辺りがフェスティバルの不思議なところで、お客はみんな芝生で酒など飲んでくつろいでいるのだ。音楽を聴くのが目的なのか、それともピクニックをしたいのか。彼らの意図がはっきりしない。食べ物も売っているがなんだかよくわからないものも多く、サンドイッチを買ってベンチに座って食べていた。外はまだまだ明るく、開演時間になっても昼間と変わらないだろう。
合間にさっきのTシャツ(ヴァンの顔をプリントされている)をトイレで着替えたりしたが、周囲を見回してもこれを着ているのは会場で私だけのようである。ここにはヴァン・モリソンの熱心なファンはいないのか?また、東洋人らしき姿も見つからない。どうやら日本人はわれわれ2人だけである。
午後8時20分、開演まであと20分というところで席に座る。しかしこの時点で席はほとんど埋まっていない。5分前くらいになってようやく人も入り始めたが、開演時間までには収まりきらないだろう。だが、そんな状態で8時40分ちょうど、アナウンスとともにバンドがステージに現れてしまった。始めてしまうのか?とこっちの気持ちは落ち着かないまま、ついにヴァン・モリソンがステージに登場する。
繰り返すが、私はこの人を観るだけのためにイギリスにやって来た。だから実物が出てくると感動のあまり涙が・・・と自分でも思っていたが、横からまたゾロゾロと人が入ってくるような慌ただしい状態でそんな気持ちにはとてもなれなかった(隣に知人がいる、という面も多分にあったかもしれない)
黒ずくめにサングラスの格好で出てくると予想していたが、今日は眼鏡と白い帽子という出で立ちだった。ファンが心配するほどには太っていなかったので少し安心する。まずハーモニカを手にしながら”Wonderful Remark”、そして最も聴きたかった曲の1つである”Enlightenment ”を歌う。歌う姿にはさすがに感動するかと思ったが、正直いって、いまいち声が出ていないような気もする。
続いてサックスを抱えて”Stranded”、オリジナルと全く違うアレンジの”Have I Told You Lately ”(この曲は原曲に近い形で聴きたかった)を演奏してから「Thank You」と言う。これがこの日、最初で最後のMCとなってしまった。
バンドは9人編成とけっこう大所帯だ。ギター、ベース、ドラムス、キーボード、フィドル(バイオリン)、そしてコーラス隊が3人(男性1人、女性2人)もいる。この男性が達者な人で、曲によってはアコースティック・ギターやトランペットも手にする。さらに女性プレイヤーが1人いて、彼女はスライド・ギターやバンジョーを演奏していた。
ステージでのヴァン・モリソンは噂に聞いている通りだった。マイク・スタンドの前で仁王立ちになり、派手な動きは全く見せない。ただ、ハーモニカ、サックス、ピアノ、アコースティック・ギターをとっかえひっかえ持ちながら演奏をしてくる。レイ・チャールズの”I Can’t Stop Loving You”の途中では客席に背中を向けてピアノを弾いていたが、その姿はなんともいえない哀愁がただよう。
お客の反応は概しておとなしいものだった。ライブ・アルバム「ア・ナイト・イン・サンフランシスコ」(94年)で聴けるような盛り上がりはなく、1曲終わってから拍手が起きる程度である。ホールでのライブとはやはり勝手が違う。”Have I Told You Lately””Moondance””Bright Side Of The Road””The Beauty Of The Days Gone By”くらいで客席が少しだけ歓声がわいた。「ダウン・ザ・ロード」(02年)に入っている”The Beauty Of The Days Gone By”への反応は意外な気がするけれど、好きな人が多いのだろうか。
選曲については、
http://db.etree.org/bs_d.php?year=2007&;;;;;;artist_key=94
で過去半年くらいの演奏曲目を調べていたので、驚くようなものは1つもなかった。試しに楽曲を過去10年(98〜07年)とそれ以前(〜97年)に分けてみると、ちょうど半々くらいである。そこにアルバムに入っていないカバ−曲も時おり混ざるという具合だ。
アルバム未収録の曲を調べてみると、”Be Bop A Lula”はジーン・ヴィンセントの曲で、昔からヴァンのレパートリーである。”Boppin’ The Blues ”はカール・パーキンス、”Brand New Cadillac”はヴィンス・テイラーという人がオリジナルらしいが、私にはクラッシュのカバーで親しみのある曲だ。この日に演奏したカバー曲は他にいくつかあるけれど、いちおう何らかのアルバムには入っている。しかし、過去の曲だろうが最近の曲だろうがアルバム未収録だろうが、初めてのヴァン・モリソンである私にとってはいずれも貴重なものである。
ときどき双眼鏡でヴァンの表情を確認したが、笑った顔は一度も見られない。途中で、私の右に座っていた子ども連れの男性から「双眼鏡を貸してくれ」と言われ2回ほど貸してあげるような場面もあった。
MCも無いのでステージはどんどん進んでいき、気がつけば本編最後の”Brown Eyed Girl ”である。ここでようやく立ち上がったり踊ったりする人が出てくる。”Brown Eyed Girl ”を終えてヴァンが舞台右へ消えていったと思ったら、すぐさま”Gloria”の演奏が始まり会場は総立ちとなる。それもつかの間で、この短い曲を歌い終えると、バックの演奏を横にハーモニカを吹きながらヴァンはまた舞台から消えてしまった。時計を見れば10時10分ごろで、ほぼ1時間半のステージだった。さすがに周囲は暗くなっている。
隣で観ていたKさんは、
「あっという間だった。気持ちよく聴けた」
「バンドがやたらうまかった」
と感想を述べていた。それは同意できるのだが、長年ずっとヴァン・モリソンを観たがっていた私には釈然としない気持ちも残る。強烈な印象も残らぬままスーッと終わってしまったという感じだったからだ。「感動した。涙が出た」とか感傷的なこと書きつらねても良いのだが、それではたいした意味はないだろう。ヴァン・モリソンを観た数少ない日本人の1人という立場なのだから、それなりに生身の彼の姿をなるべく正確に述べたいと思う。
気分屋で有名な彼の調子の悪いライブだっただろうか。いや、特にヴァン・モリソンの熱心なファンでもないKさんでも「良かった」という感想があったのだから、手抜きのライブではなかっただろう。それならば、初めての海外渡航などで疲れていた自分の心境のせいだろうか。はたまた、お客がやたら動き回って落ち着かない会場の雰囲気のためか。いずれにしても、初めて観たヴァン・モリソンのライブを位置づけるのは今日は不可能である。明日のライブを観るとまた考えが変わってくるのだろうか。
宮殿を後にして駅に向かうも、臨時電車は11時24分まで来ないという。寒い中をホームで1時間ほど待ってその電車に乗り、ウィンブルドンで地下鉄で乗り換えてアールズ・コートに戻ったのは日付の変わる0時過ぎだった。この日も部屋についたらすぐに眠る。
【演奏曲目】(カッコ内はヴァンの演奏した楽器)
(1)Wonderful Remark(ハーモニカ)
(2)Enlightenment (ハーモニカ)
(3)Stranded(サックス)
(4)Have I Told You Lately (サックス)
(5)There Stands The Glass
(6)Back On Top(ハーモニカ)
(7)Playhouse
(8)I Can’t Stop Loving You(ピアノ)
(9)Moondance(サックス)
(10)Saint. James Infirmary (サックス)
(11)That’s Life(サックス)
(12)Stop Drinking Wine(ハーモニカ)
(13)Bright Side Of The Road
(14)Cleaning Windows/Boppin’ The Blues /Be Bop A Lula
(15)The Beauty Of The Days Gone By(アコースティック・ギター)
(16)Precious Time
(17)Goin’ Down Geneva /Brand New Cadillac(ハーモニカ)
(18)Help Me/(サックス、ハーモニカ)
(19)Brown Eyed Girl
<アンコール>
(20)Gloria(ハーモニカ)
食事を済ませてから10時ごろ、地下鉄に乗りベーカー・ストリート(Baker Street)駅へ向かう。そこから10分ほど歩くと、スミスなどを輩出したことで有名なインディーズ・レコード・レーベルのラフ・トレード・レコード(Rough Trade Record)に入る。実際はなんてことない小さなレコード店だった。CDの中身は全て抜いてあり、歌詞カードなども確認できるのは日本と違うところである。建物の写真を撮ったものの、何も買わずに出ていく。
そこからまた地下鉄でオックスフォード・サーカス(Oxford CIrcus)駅へ行き、そこから何度も行ったり来たり、果てはバスまで乗りながら、「地球の歩き方」に載ってるフィッシュ・アンド・チップスの店「THE ROCK & SOLE PLAICE」になんとかたどり着く。
調べてみたらサイトもあった。
http://www.hollyeats.com/RockSolePlaice.htm
せっかくイギリスに来たんだからフィッシュ・アンド・チップスくらい食べたいと思ったのである。味は期待してなかったけれど、予想通り白身魚フライとフライド・ポテトの味しかしない。この店の名物のマッシュ・ピー(豆を煮たもの)もたいして美味しくない。これにコーラを足して13ポンドくらいだから、やっぱり高いな。ロンドンで生活するのは大変だと実感する。
道を引き返して、続くは大英博物館である。観光は全くするつもりはなかったが、せめてここくらいは行きたいと思っていた。ミイラやロゼッタ・ストーンのほか、かのイースター島のモアイ像まで観ることができたのには感激した。それにしても、観光客の数はものすごい。ツアーと思われる日本人の集団も見かける。それから駅に戻る途中、ヴァージン・メガストアに立ち寄る。今月11日に出たヴァン・モリソンのベスト・アルバムも置いてあったが、日本盤が出るのを信じて買わなかった。続いてピカデリー・サーカス(Piccadilly Circus)駅に行きロンドン三越でお土産を買って、さあ帰ろうと思ったら、
「ビッグ・ベンは観なくて良いんですか?」
とKさんに言われたのでウェストミンスター(Westminster)駅を降りて、ビッグ・ベンおよびウェストミンスター宮殿の前をざっと通る。ようやくホテルに戻ったのは午後6時ごろだった。
その時にホテルの人から何やら言われる。意味がわからないで困っていると、隣のKさんが、「部屋を変われ」と言っていると教えてくれる。そういえば私の部屋はベッドが2つある。急に2人連れの客でも入ったのだろうか。なんかわからないが、もっと大きい部屋に移れるとかなんとか言ってるようなので「O.K」と軽く答えてしまった。それからすぐ身支度をしてホテルを出る。いよいよライブに出発だ。
まずウィンブルドン( Wimbledon)駅まで地下鉄で行き、そこから鉄道に乗り換える。そして15分ほどしてからハンプトン・コート・パレス(Hampton Court Palace)駅に着く。テムズ川を渡ると、会場のハンプトン・コート・パレスに着く。今回観るライブはホールやライブ・ハウスではなく、この宮殿(Palace)の中で行われる。フェスティバルは「ハンプトン・コート・フェスティバル(Hampton Court Festival)」という名前で、ヴァン・モリソンは今日と明日ここでステージをおこなう。
公式サイトもある。
http://www.hamptoncourtfestival.com/
宮殿はカメラにすっぽり収まらないくらい大きい。入口でフェスティバルのパンフレットを買い、チケットを提示して中に入るとすぐステージが見えてくる。さきほどまで雨が降っていたので座席は濡れている。しかし雨は上がってライブの時には問題ないだろう。宮殿の中にはグッズ売り場があり、会場限定販売のCD(去年におこなわれたライブ1日分がまるまる入っている)、Tシャツと帽子をあわせて30ポンドで買った。
ステージを抜けると大きな庭に出る。この辺りがフェスティバルの不思議なところで、お客はみんな芝生で酒など飲んでくつろいでいるのだ。音楽を聴くのが目的なのか、それともピクニックをしたいのか。彼らの意図がはっきりしない。食べ物も売っているがなんだかよくわからないものも多く、サンドイッチを買ってベンチに座って食べていた。外はまだまだ明るく、開演時間になっても昼間と変わらないだろう。
合間にさっきのTシャツ(ヴァンの顔をプリントされている)をトイレで着替えたりしたが、周囲を見回してもこれを着ているのは会場で私だけのようである。ここにはヴァン・モリソンの熱心なファンはいないのか?また、東洋人らしき姿も見つからない。どうやら日本人はわれわれ2人だけである。
午後8時20分、開演まであと20分というところで席に座る。しかしこの時点で席はほとんど埋まっていない。5分前くらいになってようやく人も入り始めたが、開演時間までには収まりきらないだろう。だが、そんな状態で8時40分ちょうど、アナウンスとともにバンドがステージに現れてしまった。始めてしまうのか?とこっちの気持ちは落ち着かないまま、ついにヴァン・モリソンがステージに登場する。
繰り返すが、私はこの人を観るだけのためにイギリスにやって来た。だから実物が出てくると感動のあまり涙が・・・と自分でも思っていたが、横からまたゾロゾロと人が入ってくるような慌ただしい状態でそんな気持ちにはとてもなれなかった(隣に知人がいる、という面も多分にあったかもしれない)
黒ずくめにサングラスの格好で出てくると予想していたが、今日は眼鏡と白い帽子という出で立ちだった。ファンが心配するほどには太っていなかったので少し安心する。まずハーモニカを手にしながら”Wonderful Remark”、そして最も聴きたかった曲の1つである”Enlightenment ”を歌う。歌う姿にはさすがに感動するかと思ったが、正直いって、いまいち声が出ていないような気もする。
続いてサックスを抱えて”Stranded”、オリジナルと全く違うアレンジの”Have I Told You Lately ”(この曲は原曲に近い形で聴きたかった)を演奏してから「Thank You」と言う。これがこの日、最初で最後のMCとなってしまった。
バンドは9人編成とけっこう大所帯だ。ギター、ベース、ドラムス、キーボード、フィドル(バイオリン)、そしてコーラス隊が3人(男性1人、女性2人)もいる。この男性が達者な人で、曲によってはアコースティック・ギターやトランペットも手にする。さらに女性プレイヤーが1人いて、彼女はスライド・ギターやバンジョーを演奏していた。
ステージでのヴァン・モリソンは噂に聞いている通りだった。マイク・スタンドの前で仁王立ちになり、派手な動きは全く見せない。ただ、ハーモニカ、サックス、ピアノ、アコースティック・ギターをとっかえひっかえ持ちながら演奏をしてくる。レイ・チャールズの”I Can’t Stop Loving You”の途中では客席に背中を向けてピアノを弾いていたが、その姿はなんともいえない哀愁がただよう。
お客の反応は概しておとなしいものだった。ライブ・アルバム「ア・ナイト・イン・サンフランシスコ」(94年)で聴けるような盛り上がりはなく、1曲終わってから拍手が起きる程度である。ホールでのライブとはやはり勝手が違う。”Have I Told You Lately””Moondance””Bright Side Of The Road””The Beauty Of The Days Gone By”くらいで客席が少しだけ歓声がわいた。「ダウン・ザ・ロード」(02年)に入っている”The Beauty Of The Days Gone By”への反応は意外な気がするけれど、好きな人が多いのだろうか。
選曲については、
http://db.etree.org/bs_d.php?year=2007&;;;;;;artist_key=94
で過去半年くらいの演奏曲目を調べていたので、驚くようなものは1つもなかった。試しに楽曲を過去10年(98〜07年)とそれ以前(〜97年)に分けてみると、ちょうど半々くらいである。そこにアルバムに入っていないカバ−曲も時おり混ざるという具合だ。
アルバム未収録の曲を調べてみると、”Be Bop A Lula”はジーン・ヴィンセントの曲で、昔からヴァンのレパートリーである。”Boppin’ The Blues ”はカール・パーキンス、”Brand New Cadillac”はヴィンス・テイラーという人がオリジナルらしいが、私にはクラッシュのカバーで親しみのある曲だ。この日に演奏したカバー曲は他にいくつかあるけれど、いちおう何らかのアルバムには入っている。しかし、過去の曲だろうが最近の曲だろうがアルバム未収録だろうが、初めてのヴァン・モリソンである私にとってはいずれも貴重なものである。
ときどき双眼鏡でヴァンの表情を確認したが、笑った顔は一度も見られない。途中で、私の右に座っていた子ども連れの男性から「双眼鏡を貸してくれ」と言われ2回ほど貸してあげるような場面もあった。
MCも無いのでステージはどんどん進んでいき、気がつけば本編最後の”Brown Eyed Girl ”である。ここでようやく立ち上がったり踊ったりする人が出てくる。”Brown Eyed Girl ”を終えてヴァンが舞台右へ消えていったと思ったら、すぐさま”Gloria”の演奏が始まり会場は総立ちとなる。それもつかの間で、この短い曲を歌い終えると、バックの演奏を横にハーモニカを吹きながらヴァンはまた舞台から消えてしまった。時計を見れば10時10分ごろで、ほぼ1時間半のステージだった。さすがに周囲は暗くなっている。
隣で観ていたKさんは、
「あっという間だった。気持ちよく聴けた」
「バンドがやたらうまかった」
と感想を述べていた。それは同意できるのだが、長年ずっとヴァン・モリソンを観たがっていた私には釈然としない気持ちも残る。強烈な印象も残らぬままスーッと終わってしまったという感じだったからだ。「感動した。涙が出た」とか感傷的なこと書きつらねても良いのだが、それではたいした意味はないだろう。ヴァン・モリソンを観た数少ない日本人の1人という立場なのだから、それなりに生身の彼の姿をなるべく正確に述べたいと思う。
気分屋で有名な彼の調子の悪いライブだっただろうか。いや、特にヴァン・モリソンの熱心なファンでもないKさんでも「良かった」という感想があったのだから、手抜きのライブではなかっただろう。それならば、初めての海外渡航などで疲れていた自分の心境のせいだろうか。はたまた、お客がやたら動き回って落ち着かない会場の雰囲気のためか。いずれにしても、初めて観たヴァン・モリソンのライブを位置づけるのは今日は不可能である。明日のライブを観るとまた考えが変わってくるのだろうか。
宮殿を後にして駅に向かうも、臨時電車は11時24分まで来ないという。寒い中をホームで1時間ほど待ってその電車に乗り、ウィンブルドンで地下鉄で乗り換えてアールズ・コートに戻ったのは日付の変わる0時過ぎだった。この日も部屋についたらすぐに眠る。
【演奏曲目】(カッコ内はヴァンの演奏した楽器)
(1)Wonderful Remark(ハーモニカ)
(2)Enlightenment (ハーモニカ)
(3)Stranded(サックス)
(4)Have I Told You Lately (サックス)
(5)There Stands The Glass
(6)Back On Top(ハーモニカ)
(7)Playhouse
(8)I Can’t Stop Loving You(ピアノ)
(9)Moondance(サックス)
(10)Saint. James Infirmary (サックス)
(11)That’s Life(サックス)
(12)Stop Drinking Wine(ハーモニカ)
(13)Bright Side Of The Road
(14)Cleaning Windows/Boppin’ The Blues /Be Bop A Lula
(15)The Beauty Of The Days Gone By(アコースティック・ギター)
(16)Precious Time
(17)Goin’ Down Geneva /Brand New Cadillac(ハーモニカ)
(18)Help Me/(サックス、ハーモニカ)
(19)Brown Eyed Girl
<アンコール>
(20)Gloria(ハーモニカ)
ロンドンへ
2007年6月13日 ヴァン・モリソンのライブ体験記
道が混んでいなかったためか、深夜バスが新宿駅前に着いたのがなんと午前5時半だった。空港に早く行くに越したことはないので、JRのホームへ向って歩き出す。すると空港行きのリムジンバスに並んでいる列を途中で見つける。5時45分に始発が出るという。料金は3000円と高いけれど、これに乗ることにした。そうしたらなんと1時間ほどで成田へ着いてしまった。空港に入る直前、バスの中でパスポートの確認がされる。やはりこの辺の警備は厳重だ。
時間はまだ7時、飛行機が出る5時間前である。いくらなんでも早く着きすぎだ。しかし地下1階のソフトバンク店舗で携帯を借りたり、円をポンドに両替したり、シャワーを浴びたり、朝食を取ったり、コンビニで必要備品を買っているうちに、あっという間に手続きの始まる10時近くになっていた。
搭乗手続きは、荷物検査をしてからATMのような機械の画面を触れてパスポートを読み取り、それから座席を選ぶという手順だった。希望していた通路側の席はほとんど埋まっていたがなんとか確保する。手続きが終わると航空券が出てくる。
続いて再び荷物とパスポートの確認をして飛行機の近くまでたどり着く。免税店などをざっと見た後、飛行機の前に着く。11時40分頃に飛行機に乗り込んだ。私の隣は外国人の男女だ。席に座ったとたん強烈な眠気に襲われる。深夜バスや荷物を持った疲れのためか。気がつけば12時30分になっている。しかしまだ飛行機は離陸していない。飛び立ったのは12時45分ごろだった。いよいよ初めての出国である。離陸1時間後に出た食事を済ませてすぐ眠る。そのまま午後6時くらいまでほとんど目が覚めなかった。テレビ画面で映画「バブルへGO!」(07年)を観て2時間経ち、しばらくしたら2度目の食事が出てくる。それが済んでしばらくすると、テレビ画面から陸地が見えてきた。ついにロンドンのヒースロー空港に到着である。時間は現地時間で午後3時半ごろだった。
「arrival」(到着)の表示にしたがって通路を歩いていると、ついに入国審査である。日本人らしき男性も係員の中にいたが、それでは面白くないので黒人の女性のところに行く。入国審査の質問は、
(1)何日滞在するのか
(2)滞在の目的は何か
(3)帰りの航空券は持っているのか
と「地球の歩き方」に載っている通りのもので、アッサリ通過できた。これで晴れてイギリス入国である。スーツケースを受け取り、私の1時間前に空港に着いているはずの知人Kさんを探さなければならない。と思ったら、出口でタバコを吸っている姿をすぐ見つけた。これでまずは一安心である。
宿泊先は同じなので、まず地下鉄でアールズ・コート(Earls Court )まで向かう。しかしその前に「オイスター・カード(Oyster card)」というものを買わなければならない。オイスター・カードは日本でいうSuicaやPiTaPaやICOCAと同じような非接触型ICカードで、ロンドンの地下鉄やバス、または鉄道の一部でも利用できる。しかも、物価の高いロンドンではこれが重要なのだが、オイスター・カードを使えば現金払いの半分以下の料金になるのだ。
Kさんの薦めでチャージ式のオイスター・カードを買うことにする。カードの代金が3ポンド、そこに好きな金額をチャージするという方式だ。販売窓口に行くと、出てきたのは両腕に入れ墨の入った係員だった・・・。
「Oyster pre pay,Please」
と言うと、入れ墨の係員が何やら訊いてきた。
しかし、まずい・・・聞き取れないのだ。係員が怖くて「Pardon?」と聞く勇気もでない。そこで焦りながらも頭をグルグル回して、彼が何を言わんとしているか想像してみる。「チャージ式のカードをください」と言ったのだから、相手は「いくらチャージするのか?」と聞いてくるのが道理だろう。そのような見当をつけて「30ポンド」と答えたら、カードの保証金(カードを返せば戻ってくる)3ポンドを足した「33ポンド」がレジに表示される。こうしてオイスター・カードを無事に手に入れることができた。
改札前にある黄色い円盤のような部分(これが牡蠣に似ているから「オイスター」と名付けられたらしい)にカードをつけると、「ピッ」と音がして入口が開く。しかし日本ではPiTaPaもICOCAも使ってない私がロンドンでこんなことをするのは不思議である。そしてKさんの案内にしたがって地下鉄に乗り込む。それにしても、世界で初めて地下鉄が走ったロンドンである。歴史があるのか電車は古くて汚い。しかも、かなり揺れる。窓から見える町並みも古い建物ばかりだ。そうしているうちに20分ほどでアールズ・コート駅に着いた。
そこから歩いて2、3分ほどにある「オックスフォード・ホテル」へ入りチェックインだ。窓口で保証金(deposit)の10ポンドを払ったり(チェックインの時に返金される)などしたが、やっぱり言葉が聞き取れない。Kさんが隣にいなかったらどうなっていただろうか。スーツケースをかついで3階の部屋まで上がるが、エレベーターは無い。トイレは外にある、と事前情報をKさんからもらっていたが、私の部屋には付いていた。しかも、画像はその部屋だが、なぜかベッドが2つある。私とKさんとの宿泊料金は1泊で2000円ほど差があったが、どうもそれが理由らしい。付属設備はシャワー、テレビ、ラジオ、それに湯沸かし器があるくらいの簡素なものだ。ロンドンにいる間はここで寝泊まりすることになる。
部屋でしばらくいるとKさんから、食事に行きませんか、と内線が入る。評判の良い店をネットで調べたそうだ。再び地下鉄に乗りサウス・ケンジントン(South Kensington)まで向かう。そこから歩いて5分くらいの場所にあるベトナム料理屋に入った。この店に着いた時には午後8時半ほどだったのに、外はまだ明るい。ロンドンで初めての食事だが、ソフトシェルクラブの唐揚げや春巻きなど料理はなかなか美味しかった。金額はチップを含め54ポンドくらいだ。それほど食べていないと思うが、やはり物価は高めな気がする。
ホテルに戻ったのは午後10時半ごろだった。シャワーを浴びて(部屋にはタオル石鹸しか置いてない)、11時にはすぐ眠る。ヴァン・モリソンのライブもついに明日に迫った。
時間はまだ7時、飛行機が出る5時間前である。いくらなんでも早く着きすぎだ。しかし地下1階のソフトバンク店舗で携帯を借りたり、円をポンドに両替したり、シャワーを浴びたり、朝食を取ったり、コンビニで必要備品を買っているうちに、あっという間に手続きの始まる10時近くになっていた。
搭乗手続きは、荷物検査をしてからATMのような機械の画面を触れてパスポートを読み取り、それから座席を選ぶという手順だった。希望していた通路側の席はほとんど埋まっていたがなんとか確保する。手続きが終わると航空券が出てくる。
続いて再び荷物とパスポートの確認をして飛行機の近くまでたどり着く。免税店などをざっと見た後、飛行機の前に着く。11時40分頃に飛行機に乗り込んだ。私の隣は外国人の男女だ。席に座ったとたん強烈な眠気に襲われる。深夜バスや荷物を持った疲れのためか。気がつけば12時30分になっている。しかしまだ飛行機は離陸していない。飛び立ったのは12時45分ごろだった。いよいよ初めての出国である。離陸1時間後に出た食事を済ませてすぐ眠る。そのまま午後6時くらいまでほとんど目が覚めなかった。テレビ画面で映画「バブルへGO!」(07年)を観て2時間経ち、しばらくしたら2度目の食事が出てくる。それが済んでしばらくすると、テレビ画面から陸地が見えてきた。ついにロンドンのヒースロー空港に到着である。時間は現地時間で午後3時半ごろだった。
「arrival」(到着)の表示にしたがって通路を歩いていると、ついに入国審査である。日本人らしき男性も係員の中にいたが、それでは面白くないので黒人の女性のところに行く。入国審査の質問は、
(1)何日滞在するのか
(2)滞在の目的は何か
(3)帰りの航空券は持っているのか
と「地球の歩き方」に載っている通りのもので、アッサリ通過できた。これで晴れてイギリス入国である。スーツケースを受け取り、私の1時間前に空港に着いているはずの知人Kさんを探さなければならない。と思ったら、出口でタバコを吸っている姿をすぐ見つけた。これでまずは一安心である。
宿泊先は同じなので、まず地下鉄でアールズ・コート(Earls Court )まで向かう。しかしその前に「オイスター・カード(Oyster card)」というものを買わなければならない。オイスター・カードは日本でいうSuicaやPiTaPaやICOCAと同じような非接触型ICカードで、ロンドンの地下鉄やバス、または鉄道の一部でも利用できる。しかも、物価の高いロンドンではこれが重要なのだが、オイスター・カードを使えば現金払いの半分以下の料金になるのだ。
Kさんの薦めでチャージ式のオイスター・カードを買うことにする。カードの代金が3ポンド、そこに好きな金額をチャージするという方式だ。販売窓口に行くと、出てきたのは両腕に入れ墨の入った係員だった・・・。
「Oyster pre pay,Please」
と言うと、入れ墨の係員が何やら訊いてきた。
しかし、まずい・・・聞き取れないのだ。係員が怖くて「Pardon?」と聞く勇気もでない。そこで焦りながらも頭をグルグル回して、彼が何を言わんとしているか想像してみる。「チャージ式のカードをください」と言ったのだから、相手は「いくらチャージするのか?」と聞いてくるのが道理だろう。そのような見当をつけて「30ポンド」と答えたら、カードの保証金(カードを返せば戻ってくる)3ポンドを足した「33ポンド」がレジに表示される。こうしてオイスター・カードを無事に手に入れることができた。
改札前にある黄色い円盤のような部分(これが牡蠣に似ているから「オイスター」と名付けられたらしい)にカードをつけると、「ピッ」と音がして入口が開く。しかし日本ではPiTaPaもICOCAも使ってない私がロンドンでこんなことをするのは不思議である。そしてKさんの案内にしたがって地下鉄に乗り込む。それにしても、世界で初めて地下鉄が走ったロンドンである。歴史があるのか電車は古くて汚い。しかも、かなり揺れる。窓から見える町並みも古い建物ばかりだ。そうしているうちに20分ほどでアールズ・コート駅に着いた。
そこから歩いて2、3分ほどにある「オックスフォード・ホテル」へ入りチェックインだ。窓口で保証金(deposit)の10ポンドを払ったり(チェックインの時に返金される)などしたが、やっぱり言葉が聞き取れない。Kさんが隣にいなかったらどうなっていただろうか。スーツケースをかついで3階の部屋まで上がるが、エレベーターは無い。トイレは外にある、と事前情報をKさんからもらっていたが、私の部屋には付いていた。しかも、画像はその部屋だが、なぜかベッドが2つある。私とKさんとの宿泊料金は1泊で2000円ほど差があったが、どうもそれが理由らしい。付属設備はシャワー、テレビ、ラジオ、それに湯沸かし器があるくらいの簡素なものだ。ロンドンにいる間はここで寝泊まりすることになる。
部屋でしばらくいるとKさんから、食事に行きませんか、と内線が入る。評判の良い店をネットで調べたそうだ。再び地下鉄に乗りサウス・ケンジントン(South Kensington)まで向かう。そこから歩いて5分くらいの場所にあるベトナム料理屋に入った。この店に着いた時には午後8時半ほどだったのに、外はまだ明るい。ロンドンで初めての食事だが、ソフトシェルクラブの唐揚げや春巻きなど料理はなかなか美味しかった。金額はチップを含め54ポンドくらいだ。それほど食べていないと思うが、やはり物価は高めな気がする。
ホテルに戻ったのは午後10時半ごろだった。シャワーを浴びて(部屋にはタオル石鹸しか置いてない)、11時にはすぐ眠る。ヴァン・モリソンのライブもついに明日に迫った。
あと1週間で・・・覚えられるわけがない!
2007年6月6日 ヴァン・モリソンのライブ体験記
ついにロンドン行きまであと1週間となった。
とにかくヴァン・モリソンを観ることが目的の渡英である。行く前に彼の曲をなるべく頭の中に入れて臨みたい、と以前の日記でも書いた。そんなわけでここ1ヶ月は、あまり時間は無い中でとっかえひっかえ彼の作品を聴いていた。しかしふと、棚に並べているCDの数の多さが気になった。
どれほど凄いかといえば画像を見ての通りである。CDの枚数はざっと40枚を超える。参考までに台所のサラダ油(600グラム入り)のボトルを横に置いてみた。ボトル2本分くらいの高さになっているのがわかるだろう。
1枚に10曲入っていたと仮定しても400曲である。こんなに曲を覚えられるはずがない。もう無駄な努力はやめようと思った。
それにしてもキャリアが長いとはいえ作品の多さには圧倒される。毎年のようにアルバムを出しているのは認識していたが、こうしてCDを並べてみて改めて彼の凄さを実感した次第である。
とにかくヴァン・モリソンを観ることが目的の渡英である。行く前に彼の曲をなるべく頭の中に入れて臨みたい、と以前の日記でも書いた。そんなわけでここ1ヶ月は、あまり時間は無い中でとっかえひっかえ彼の作品を聴いていた。しかしふと、棚に並べているCDの数の多さが気になった。
どれほど凄いかといえば画像を見ての通りである。CDの枚数はざっと40枚を超える。参考までに台所のサラダ油(600グラム入り)のボトルを横に置いてみた。ボトル2本分くらいの高さになっているのがわかるだろう。
1枚に10曲入っていたと仮定しても400曲である。こんなに曲を覚えられるはずがない。もう無駄な努力はやめようと思った。
それにしてもキャリアが長いとはいえ作品の多さには圧倒される。毎年のようにアルバムを出しているのは認識していたが、こうしてCDを並べてみて改めて彼の凄さを実感した次第である。
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変圧器は不要?
2007年6月2日 ヴァン・モリソンのライブ体験記ついに6月に突入し、ロンドン行きもいよいよ近づいてきた感じだ。海外に行くために絶対必要なもの(パスポートや旅券など)は揃ったが、生活用品などはまだ買っていないものもある。
その一つが変圧器だ。日本とイギリスでは電圧が異なるため、そのままでは電化製品を使うことができない。といってもデジタルカメラくらいしか持って行くものはないが、やはり変圧器は持っていた方が良いだろう。ということで、大丸京都店にある旅行用品のコーナーへ行った。見た目はコンセントと同じような形の変圧器の値段は5040円とけっこうする。でも仕方ないかなと店員に渡した。すると、最近のデジタルカメラは変圧器が必要ないものが多いですよ、というようなことを言われた。
え?そうなの?不安になったので、その時は変圧器を買わずに部屋に戻る。そしてデジカメの充電器を確認する。すると充電器の側面には、
本器を海外旅行用の電子式変圧器(トラベルコンバーター)に接続しないでください。発熱や故障の原因となります。
と、しっかり書いているではないか!変圧器が必要どころか、使うと危険だとはとんでもない話である。対応する電圧も100ボルトから240ボルトと書いてあり、ロンドンでも使えるようだ。
ただ、イギリスのコンセントは差し込み口が3つある形なので、ソケットは必要である。これはどこかで買っておかなければなるまい。
その一つが変圧器だ。日本とイギリスでは電圧が異なるため、そのままでは電化製品を使うことができない。といってもデジタルカメラくらいしか持って行くものはないが、やはり変圧器は持っていた方が良いだろう。ということで、大丸京都店にある旅行用品のコーナーへ行った。見た目はコンセントと同じような形の変圧器の値段は5040円とけっこうする。でも仕方ないかなと店員に渡した。すると、最近のデジタルカメラは変圧器が必要ないものが多いですよ、というようなことを言われた。
え?そうなの?不安になったので、その時は変圧器を買わずに部屋に戻る。そしてデジカメの充電器を確認する。すると充電器の側面には、
本器を海外旅行用の電子式変圧器(トラベルコンバーター)に接続しないでください。発熱や故障の原因となります。
と、しっかり書いているではないか!変圧器が必要どころか、使うと危険だとはとんでもない話である。対応する電圧も100ボルトから240ボルトと書いてあり、ロンドンでも使えるようだ。
ただ、イギリスのコンセントは差し込み口が3つある形なので、ソケットは必要である。これはどこかで買っておかなければなるまい。
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スーツケースが届く。しかし・・・
2007年5月19日 ヴァン・モリソンのライブ体験記
海外のみならず国内旅行も嫌いな私は、トランクやスーツケースのような類を持っていない。しかし、長期で旅行するとなればしっかりした荷物入れ、しかもカギがかかるようなものを持っておきたい。
航空券やホテルの予約で利用した「地球の歩き方」のサイトに「地歩工房(ちあるこうぼう)」というページがあり、そこでもスーツケースなどが売っている。ここで買おうと思ったが、値段を見てすぐ考え直した。2万5000円とか3万5000円とかの商品ばかりなのである。スーツケースの相場は知らないけれど、これはあまりに高いだろう。しかも最初で最後の海外旅行なのかもしれないのに。
それならばとヤフーのオークションでスーツケースを調べてみると、安い商品がいっぱい出てくる。その数ある中で「TSAロック装備」という触れ込みのスーツケースに目がいった。希望価格は6300円という安さだ。カギがかかるという1点で、これを落札した。
数日後、商品を受け取った。画像がそれである。見た目はテカテカしていて、一目で安物とわかるような代物だ。値段が値段だからそれは我慢するけれど、ちょっと予想外の事態があった。それはスーツケースの大きさである。「中型」というのを選んだつもりだが、外でよく見かけるものの倍はあるだろうという大きさなのだ。こんなの持っていたら、「何週間も滞在するの?」と思われそうである。
携帯で写真を撮るのもちょっと大変だった。撮影場所は風呂場である。
航空券やホテルの予約で利用した「地球の歩き方」のサイトに「地歩工房(ちあるこうぼう)」というページがあり、そこでもスーツケースなどが売っている。ここで買おうと思ったが、値段を見てすぐ考え直した。2万5000円とか3万5000円とかの商品ばかりなのである。スーツケースの相場は知らないけれど、これはあまりに高いだろう。しかも最初で最後の海外旅行なのかもしれないのに。
それならばとヤフーのオークションでスーツケースを調べてみると、安い商品がいっぱい出てくる。その数ある中で「TSAロック装備」という触れ込みのスーツケースに目がいった。希望価格は6300円という安さだ。カギがかかるという1点で、これを落札した。
数日後、商品を受け取った。画像がそれである。見た目はテカテカしていて、一目で安物とわかるような代物だ。値段が値段だからそれは我慢するけれど、ちょっと予想外の事態があった。それはスーツケースの大きさである。「中型」というのを選んだつもりだが、外でよく見かけるものの倍はあるだろうという大きさなのだ。こんなの持っていたら、「何週間も滞在するの?」と思われそうである。
携帯で写真を撮るのもちょっと大変だった。撮影場所は風呂場である。
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携帯電話でつまづく
2007年5月17日 ヴァン・モリソンのライブ体験記パスポートも手に入り、あとは身支度というか細々とした作業もする時期に入ってきた。
まず、旅行期間中だけ保険に加入する。海外でケガや病気のために病院にかかったりした場合、その金額がけっこうとんでもないらしい。これについては、「地球の歩き方」のサイトで見積もりがとれるので、そこから一番安いのを選ぶ。カード支払いで金額は2000円を少し超える程度だった。
それから、いちおう携帯電話も持っていこうと考えている。auの場合は以下のような「auグローバルエキスパート」というサービスがある。
http://www.au.kddi.com/kaigai/ge/index.html
自分の携帯電話からICカードを抜き、借りた携帯電話に差し込めばイギリスでも使用できるという。説明を見る限りは簡単だ。
しかし現実はそう生易しいものではない。私の持っている携帯の機種は「W33SA」である。ICカードには対応していないのだ。「auグローバルエキスパート」は利用できない。
ならば、携帯電話そのものを借りるしかない。その方向でいま検討をしているが、果たしてあるだろうか。
まず、旅行期間中だけ保険に加入する。海外でケガや病気のために病院にかかったりした場合、その金額がけっこうとんでもないらしい。これについては、「地球の歩き方」のサイトで見積もりがとれるので、そこから一番安いのを選ぶ。カード支払いで金額は2000円を少し超える程度だった。
それから、いちおう携帯電話も持っていこうと考えている。auの場合は以下のような「auグローバルエキスパート」というサービスがある。
http://www.au.kddi.com/kaigai/ge/index.html
自分の携帯電話からICカードを抜き、借りた携帯電話に差し込めばイギリスでも使用できるという。説明を見る限りは簡単だ。
しかし現実はそう生易しいものではない。私の持っている携帯の機種は「W33SA」である。ICカードには対応していないのだ。「auグローバルエキスパート」は利用できない。
ならば、携帯電話そのものを借りるしかない。その方向でいま検討をしているが、果たしてあるだろうか。
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パスポートを取得
2007年5月16日 ヴァン・モリソンのライブ体験記
今日は会社を休んで京都駅ビルにある京都旅券事務所まで足を運んだ。こないだ申請したパスポートが受理されたので受け取りに来たのである。
申請については、戸籍抄本を手に入れることを含めてかなり手間取ったけれど、受理はほんの2、3分で終わった。生年月日と戸籍の都道府県(北海道のこと)を照合し、パソコンで生年月日や氏名などに間違いがないか確認しただけでアッサリとパスポートが渡された。
いまのパスポートにはICチップが内蔵されている。中を調べてみると真ん中に分厚いページが1枚だけある。この中にチップが入っているらしい。高温になる場所、湿気の強い場所、直射日光のあたる場所、そして磁気の強い場所(テレビやレンジの上)は避けるように、とそのページには記されている。
申請については、戸籍抄本を手に入れることを含めてかなり手間取ったけれど、受理はほんの2、3分で終わった。生年月日と戸籍の都道府県(北海道のこと)を照合し、パソコンで生年月日や氏名などに間違いがないか確認しただけでアッサリとパスポートが渡された。
いまのパスポートにはICチップが内蔵されている。中を調べてみると真ん中に分厚いページが1枚だけある。この中にチップが入っているらしい。高温になる場所、湿気の強い場所、直射日光のあたる場所、そして磁気の強い場所(テレビやレンジの上)は避けるように、とそのページには記されている。
パスポート申請でつまずく
2007年5月1日 ヴァン・モリソンのライブ体験記午後1時半、仕事を半休にして地下鉄で京都駅へ向かう。京都駅ビルの8階にある「京都府旅券事務所」でパスポートを申請するためだ。パスポートの受け取りは土曜などでも可能らしいが、申請は平日しか受け付けていない。
申請に必要なもの(証明写真、戸籍抄本、身分証明など)は一応そろえたが、まだ準備していないものがあった。それは収入印紙と証紙である。収入印紙は9000円、証紙は2000円分が必要になってくる(パスポートの期限が5年の場合)。これらは旅券事務所で売っているということなので、入口に売り場へ行ったところ、
「ここでは証紙は最高1000円分しか置いてないから。七条警察署に行って」
と、窓口の初老の男性から訳のわからないことを言われた。ここはパスポートを申請するところではないのか。そのために必要な証紙などが売ってないとは信じがたい。しかし、そう言われてはどうしようもないので、駅ビル8階からまたエレベーターで地上を降りて七条警察署へ向かった。
しかし七条署の窓口に行っても、
「ここでは印紙は売ってません。印紙は郵便局。ここは証紙だけです」
という答えが返ってきたので、さすがに気分が悪くなる。とりあえず証紙2000円分を買ってから、近くのスターバックスでカプチーノを飲んで落ち着いてから駅前の郵便局へ向かい、無事に収入印紙9000円分を手に入れることができた。
今度こそ、と京都府旅券事務所に再び入る。いよいよ申請だ。まず申請用紙を書いてこれを提出するのだが、連休前とあって人がいっぱいだ。50人以上はいたのではないだろうか。待ってもなかなか呼ばれない。その間、事務所のロビーにあるテレビから、
海外旅行 あなたもターゲット!
と題して、観光客が狙われる犯罪のケースが延々と流れていた。持ち物が盗まれる、麻薬を持たされる、夜中に強盗に襲われる・・・。そんな映像を流した後で、
あなたの安全は
あなた自身で
守ってネ
外務省
というメッセージが出てくる。本当は海外など出たくない人間としては全く気が滅入る。
パスポートの申請自体は問題なく済んだ。5月10日には受け取ることができるという。収入印紙と証紙はその時に必要になる、とその時に知った。ただ、
「印紙と証紙は隣で売ってますから」
と言われた時にはハイ?!と開いた口がふさがらなかった。既に印紙も証紙も持っているからどうでも良いけれど、なんだか対応がイビツだなと感じた次第である。
収入印紙は郵便局で、証紙は警察署で買う。私が体で覚えた結論はこれである。
しかし、今日の申請には本当に疲れた。受理された時は午後4時を回っていた。ざっと2時間は費やしたことになる。
申請に必要なもの(証明写真、戸籍抄本、身分証明など)は一応そろえたが、まだ準備していないものがあった。それは収入印紙と証紙である。収入印紙は9000円、証紙は2000円分が必要になってくる(パスポートの期限が5年の場合)。これらは旅券事務所で売っているということなので、入口に売り場へ行ったところ、
「ここでは証紙は最高1000円分しか置いてないから。七条警察署に行って」
と、窓口の初老の男性から訳のわからないことを言われた。ここはパスポートを申請するところではないのか。そのために必要な証紙などが売ってないとは信じがたい。しかし、そう言われてはどうしようもないので、駅ビル8階からまたエレベーターで地上を降りて七条警察署へ向かった。
しかし七条署の窓口に行っても、
「ここでは印紙は売ってません。印紙は郵便局。ここは証紙だけです」
という答えが返ってきたので、さすがに気分が悪くなる。とりあえず証紙2000円分を買ってから、近くのスターバックスでカプチーノを飲んで落ち着いてから駅前の郵便局へ向かい、無事に収入印紙9000円分を手に入れることができた。
今度こそ、と京都府旅券事務所に再び入る。いよいよ申請だ。まず申請用紙を書いてこれを提出するのだが、連休前とあって人がいっぱいだ。50人以上はいたのではないだろうか。待ってもなかなか呼ばれない。その間、事務所のロビーにあるテレビから、
海外旅行 あなたもターゲット!
と題して、観光客が狙われる犯罪のケースが延々と流れていた。持ち物が盗まれる、麻薬を持たされる、夜中に強盗に襲われる・・・。そんな映像を流した後で、
あなたの安全は
あなた自身で
守ってネ
外務省
というメッセージが出てくる。本当は海外など出たくない人間としては全く気が滅入る。
パスポートの申請自体は問題なく済んだ。5月10日には受け取ることができるという。収入印紙と証紙はその時に必要になる、とその時に知った。ただ、
「印紙と証紙は隣で売ってますから」
と言われた時にはハイ?!と開いた口がふさがらなかった。既に印紙も証紙も持っているからどうでも良いけれど、なんだか対応がイビツだなと感じた次第である。
収入印紙は郵便局で、証紙は警察署で買う。私が体で覚えた結論はこれである。
しかし、今日の申請には本当に疲れた。受理された時は午後4時を回っていた。ざっと2時間は費やしたことになる。
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航空券で2度つまずく
2007年4月23日 ヴァン・モリソンのライブ体験記宿と同時に航空券の手続きをおこなっていた。私は別に観光する気もないので、6月13日に関西空港を出発し、成田空港経由でロンドンに向かうというコースを取ることにした。直行便である。乗り継ぎの便では安いのがいくらでもあるが、時間がかかるしなんとなく不安だったからである。
しかし、一番安い便(往復で12万5000円)で確認したところ、帰りの便(成田から関空)がふさがっているとのことだった。そこで、少し高い便(往復で13万円)で問い合わせてみたところ、やはり同じく帰りの便が無かった。
「成田から京都まで帰るんだったら、どうでもなるだろう」
と判断し、旅行代理店に電話をして手続きを取った。さて、帰りは新幹線になるかな?と思っているところに携帯電話が鳴る。さきほど電話をした代理店からだった。何かと思ったら、
「行きの便(関空から成田)もありませんでした」
という。国際線でなく国内線を取るのにこれほど苦労するとは・・・。30秒くらい悩んだだろうか。
「いいです。国際線だけお願いします」
と伝え、航空券を確保した。
しかし、一番安い便(往復で12万5000円)で確認したところ、帰りの便(成田から関空)がふさがっているとのことだった。そこで、少し高い便(往復で13万円)で問い合わせてみたところ、やはり同じく帰りの便が無かった。
「成田から京都まで帰るんだったら、どうでもなるだろう」
と判断し、旅行代理店に電話をして手続きを取った。さて、帰りは新幹線になるかな?と思っているところに携帯電話が鳴る。さきほど電話をした代理店からだった。何かと思ったら、
「行きの便(関空から成田)もありませんでした」
という。国際線でなく国内線を取るのにこれほど苦労するとは・・・。30秒くらい悩んだだろうか。
「いいです。国際線だけお願いします」
と伝え、航空券を確保した。
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戸籍抄本でつまずく
2007年4月22日 ヴァン・モリソンのライブ体験記いままでの人生で国外に出たことはない。つまり、私はパスポートを持っていないのだ。よって今から申請しなければならない。
申請するためにまず急ぎで必要なのは戸籍抄本である。これは自分の本籍地で発行してもらうしかない。戸籍謄本や抄本は郵送でも受け付けてもらえるので、申請書を登別市役所のサイトからダウンロードして必要事項を記入し、証紙450円分、返信用封筒を入れて申し込んだ。
郵便を出して2日後、私の携帯電話が鳴った。画面に表示された電話番号は「0143」、登別の番号である。何かと思い出てみたら、
「書いてある住所は本籍ではありません」
という。少し不安だったがそれが的中した。私の本籍は実家の住所ではなかったということだ。
仕方なく実家に電話して確認したところ、本籍は室蘭市だった。
数日後、私の書いた返信用封筒に証紙が入ったまま戻ってきた。おまけに速達料金も80円足りていなかったので、後日、西陣郵便局に不足料金を支払った。
申請するためにまず急ぎで必要なのは戸籍抄本である。これは自分の本籍地で発行してもらうしかない。戸籍謄本や抄本は郵送でも受け付けてもらえるので、申請書を登別市役所のサイトからダウンロードして必要事項を記入し、証紙450円分、返信用封筒を入れて申し込んだ。
郵便を出して2日後、私の携帯電話が鳴った。画面に表示された電話番号は「0143」、登別の番号である。何かと思い出てみたら、
「書いてある住所は本籍ではありません」
という。少し不安だったがそれが的中した。私の本籍は実家の住所ではなかったということだ。
仕方なく実家に電話して確認したところ、本籍は室蘭市だった。
数日後、私の書いた返信用封筒に証紙が入ったまま戻ってきた。おまけに速達料金も80円足りていなかったので、後日、西陣郵便局に不足料金を支払った。
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なんとか宿を確保
2007年4月21日 ヴァン・モリソンのライブ体験記「もう宿がないんですけど」
とメールを送ったら、
http://appleworld.com/affiliate/ark.php
「アップルワールド」のサイトでまだ空室があります、という返事が返ってきた。言われるままに手続きをすると、確かにあった。前に薦められたサイトより少し高い39800円だが、すぐにホテルを押さえる。
ほどなくして「アップルワールド」から「お申し込みありがとうございました。」という返信メールが届き予約が完了する。代金の支払は後でも良いので、とりあえずこれで安心だ。続いて航空券の話になる。
とメールを送ったら、
http://appleworld.com/affiliate/ark.php
「アップルワールド」のサイトでまだ空室があります、という返事が返ってきた。言われるままに手続きをすると、確かにあった。前に薦められたサイトより少し高い39800円だが、すぐにホテルを押さえる。
ほどなくして「アップルワールド」から「お申し込みありがとうございました。」という返信メールが届き予約が完了する。代金の支払は後でも良いので、とりあえずこれで安心だ。続いて航空券の話になる。
宿探しでつまずく
2007年4月20日 ヴァン・モリソンのライブ体験記ライブのチケットを確保したのので、次は航空券と宿の確保になる。
宿は早めに取った方が良いというアドバイスを受けて、
http://air.arukikata.com/
でホテルを予約することにした。だが、予約しようとしたホテルは取れないという返事が返ってきた。しかも問い合わせ先が対案として出してきたホテルや3泊で59800円もする。予約しようと思っていたのは29800円だから、ほぼ倍の値段である。
あまりに腹が立ったので、対案はすぐに断った。
目当てのホテルは、一緒にヴァン・モリソンのライブを観る人も泊まるホテルである。別に一緒でなくてもいいかもしれないが、同じ宿のほうがなにかと便利には違いない。
「泊まっているホテルが取れませんでした」
と先方にメールを送ってみた。しかし、なにかあったらメールで先方に問い合わせるなんて・・・なんだか「電車男」になった気分である。
宿は早めに取った方が良いというアドバイスを受けて、
http://air.arukikata.com/
でホテルを予約することにした。だが、予約しようとしたホテルは取れないという返事が返ってきた。しかも問い合わせ先が対案として出してきたホテルや3泊で59800円もする。予約しようと思っていたのは29800円だから、ほぼ倍の値段である。
あまりに腹が立ったので、対案はすぐに断った。
目当てのホテルは、一緒にヴァン・モリソンのライブを観る人も泊まるホテルである。別に一緒でなくてもいいかもしれないが、同じ宿のほうがなにかと便利には違いない。
「泊まっているホテルが取れませんでした」
と先方にメールを送ってみた。しかし、なにかあったらメールで先方に問い合わせるなんて・・・なんだか「電車男」になった気分である。
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まずはライブのチケットを
2007年4月19日 ヴァン・モリソンのライブ体験記ロンドンでヴァン・モリソンを観に行くにあたり、急いで用意しなければならないものがいくつかある。パッと思いつくのが、パスポート、航空券、宿、そしてライブのチケットである。まだ色々とあるには違いないが、最低限これだけは急がねばならない。
まず何より先なのはライブのチケットである。これがなかったらロンドンに行っても意味が無い。買おうとしているのは「Hampton Court Palace Festival」というイベントで、ヴァンは6月14、15の両日に出演する。14日については先方が予約してくれたが、私としては15日も観たい。というわけで、「マルコポーロチケット」という
海外チケット購入の代理店に問い合わせてみた。
http://www.mpj-ticket.com/
するとすぐ返事が返ってきた。残席わずかだが15日の席は残っているという。すぐに手続きを取ったのは言うまでもない。ちなみにチケット代金は71ポンド、手数料は4000円である。
まず何より先なのはライブのチケットである。これがなかったらロンドンに行っても意味が無い。買おうとしているのは「Hampton Court Palace Festival」というイベントで、ヴァンは6月14、15の両日に出演する。14日については先方が予約してくれたが、私としては15日も観たい。というわけで、「マルコポーロチケット」という
海外チケット購入の代理店に問い合わせてみた。
http://www.mpj-ticket.com/
するとすぐ返事が返ってきた。残席わずかだが15日の席は残っているという。すぐに手続きを取ったのは言うまでもない。ちなみにチケット代金は71ポンド、手数料は4000円である。
ヴァン・モリソンに会いに行く
2007年4月18日 ヴァン・モリソンのライブ体験記いままでの人生で観たライブはもう100以上を数える。しかし、その中でも最高のものは?と訊かれたら、2つのライブが迷わずすぐに出てくる。
1つは92年8月18日、高校1年の時に札幌は真駒内アイスアリーナで観た渡辺美里だ。これは生まれて初めて観たライブでもある。
もう1つは03年11月10日、大阪城ホールのニール・ヤング&ザ・クレイジーホースである。同月15日の日本武道館でのライブも忘れられないが、初めて観たニール・ヤングは大阪だったのでこの日を挙げておきたい。
この2つのライブには共通点といえるものがある。それは、ライブが素晴らしかったと同時に、観衆の一人である私のテンションも半端でないほど高かったということである。どんなに中身が優れたライブでも、その受け手が「素晴らしい!」と思わなければ最高のライブなど存在しない。音楽の趣味が人によって千差万別なのはこの辺に理由があるのだろう。
テンションを上げるためには、ミュージシャンに対してそれなりに強い思い入れがなければ不可能だ。しかし、そういう対象はいまの自分には一人しかいない。それがヴァン・モリソンである。彼のライブを観ていないというのが、音楽ファンとしての私の唯一の悔いといっても良い。
しかし、ファンならばご存知だが、ヴァンは40年以上のキャリアがありながら一度も来日していない。いろいろな人が働きかけたこともあるがついに実現しなかった。絶え間なく活動していながら活動範囲はヨーロッパとアメリカにとどまるのみである。
1945年生まれ(エリック・クラプトンやニール・ヤングと同い年)だから、いつこの世から消えてもおかしくない。だからこそ、自分からロンドンとかアイルランドまで行こうと思ったことが何度もあった。だが、
・パスポートを持っていない
・英語が話せない。
・英語圏の文化にくわしくない
・チケットの取り方がわからない
など、二の足を踏むようなことがあまりにも多すぎた。
そんな自分に決心をさせるようなメールがこないだ届いた。知り合いが6月にヨーロッパへ行くという。そして、ついでにヴァン・モリソンも観に行こうかと思っている、というのだ。ちょうど職場でいろいろな動きのあった直後のメールである。これから自由な時間もなくなってしまうのではないか、とそんなことが頭によぎっていた。
ヴァン・モリソンを観に行くのは今しかない。
航空券もホテルもチケットも英語も・・・問題が山積なのは変わりない。しかし、もう決めてしまった。
1つは92年8月18日、高校1年の時に札幌は真駒内アイスアリーナで観た渡辺美里だ。これは生まれて初めて観たライブでもある。
もう1つは03年11月10日、大阪城ホールのニール・ヤング&ザ・クレイジーホースである。同月15日の日本武道館でのライブも忘れられないが、初めて観たニール・ヤングは大阪だったのでこの日を挙げておきたい。
この2つのライブには共通点といえるものがある。それは、ライブが素晴らしかったと同時に、観衆の一人である私のテンションも半端でないほど高かったということである。どんなに中身が優れたライブでも、その受け手が「素晴らしい!」と思わなければ最高のライブなど存在しない。音楽の趣味が人によって千差万別なのはこの辺に理由があるのだろう。
テンションを上げるためには、ミュージシャンに対してそれなりに強い思い入れがなければ不可能だ。しかし、そういう対象はいまの自分には一人しかいない。それがヴァン・モリソンである。彼のライブを観ていないというのが、音楽ファンとしての私の唯一の悔いといっても良い。
しかし、ファンならばご存知だが、ヴァンは40年以上のキャリアがありながら一度も来日していない。いろいろな人が働きかけたこともあるがついに実現しなかった。絶え間なく活動していながら活動範囲はヨーロッパとアメリカにとどまるのみである。
1945年生まれ(エリック・クラプトンやニール・ヤングと同い年)だから、いつこの世から消えてもおかしくない。だからこそ、自分からロンドンとかアイルランドまで行こうと思ったことが何度もあった。だが、
・パスポートを持っていない
・英語が話せない。
・英語圏の文化にくわしくない
・チケットの取り方がわからない
など、二の足を踏むようなことがあまりにも多すぎた。
そんな自分に決心をさせるようなメールがこないだ届いた。知り合いが6月にヨーロッパへ行くという。そして、ついでにヴァン・モリソンも観に行こうかと思っている、というのだ。ちょうど職場でいろいろな動きのあった直後のメールである。これから自由な時間もなくなってしまうのではないか、とそんなことが頭によぎっていた。
ヴァン・モリソンを観に行くのは今しかない。
航空券もホテルもチケットも英語も・・・問題が山積なのは変わりない。しかし、もう決めてしまった。