久しぶりに風邪の症状が出た時に、思い出したこと
2016年10月30日 日常 コメント (2)地球温暖化の影響なのかはわからないが、ここ最近は春や秋の期間がめっきり短くなったのは間違いない。数日前までは半袖で過ごしていたと思ったら、いきなり上着が必要になることももう当たり前になった気がする。そうした気温の変化が急激におとずれると、それに体がついてゆかずに風邪をひいてしまう。
つい先日も急に寒くなった朝は、鼻水やくしゃみといった症状がいきなり出てきた。その時に、しばらく手洗いやうがいをしていなかったな、と思い出す。手洗いやうがいをしたようが良いと勧めていたのは、この春に定年退職した派遣先のボスであった。うがいと手洗いの効果のほどはよくわからないが、風邪を抑える役割は多少あると実感する。
私の場合は水で適当にうがいをしていたが、ボスは「イソジン」を愛用していた。そして家だけでなく職場でもうがいを欠かさなかった。それだけなら別に何も感じなかったが、あるとき職場で、
「やっぱりイソジンでうがいをすると、口の中がピリピリして、風邪の菌が倒されているのが感じるわー!」
などと職場で言っていたのは今でも印象に残っている。
しかし、上のセリフを読んで、
「え・・・そんなわけないでしょ?」
と感じた方が少なくないだろう。私もその一人である。顕微鏡でしか見えないような風邪のウイルスが死滅するのを「感じ」られるわけがない。口に残っていたイソジンの味に対してそんな思い違いをしているだけだ。
このイソジンに限らず、ボスは「妙に」敏感な部分があった。たとえば私が昨夜ニンニクをそこそこ摂取したら「あ!くさい!昨日ニンニク食べたやろ!」とすぐ勘づくし、うっかり職場で「すかしっ屁」などしようものなら「くさい!くさい!」と、わめいていたものだ。
その程度なら、まあまあ鋭い感覚してるな、という程度で終わっただろう。しかし彼の敏感さはそれだけで済まなかった。
たとえば、
「この職場に悪魔がいる!」
とかもう原因不明な発言が時おり飛び出してくるからたまらない。思いきり向こうの立場に合わせて仮に「悪魔」なるものがいてそれが彼には見えているとしても、周囲の他の人には誰もわからないのだから手の施しようがない。おそらくその「悪魔」は健常者には見えないものなのだろう。
ところで、こないだネットで「アスペルガー症候群」を調べる機会があった。最近なにかと耳にするこの言葉についてろくな知識がなかったと気づき調べてみたのだ。
しかし、たとえば文部科学省の定義では、
<アスペルガー症候群とは、知的発達の遅れを伴わず、かつ、自閉症の特徴のうち言葉の発達の遅れを伴わないものである。なお、高機能自閉症やアスペルガー症候群は、広汎性発達障害に分類されるものである。>
https://h-navi.jp/column/article/136
などと書いており、読んでもなんだかわからない。 Yahoo!で「アスペルガー」を検索するとトップに「広汎性発達障害」という用語が出てきて、
<(1)対人的相互反応における質的障害(相手の気持ちがつかめない、場にあった行動がとれない)
(2)コミュニケーションの障害(言葉の使用の誤り、会話をつなげない)
(3)行動、興味、活動が限定していて反復・常同的>
https://medical.yahoo.co.jp/katei/041031000/?disid=041031000
などと特徴が書かれていて、なんだか自分にも当てはまるのでは、とも感じてしまった。これらを読む前から「アスペルガー」というのは平成の生んだ差別用語という認識だったが、アスペルガーと診断された相手が何も救われないという点で間違ってはいないだろう。
ただ、この後の文章の後で興味深いことが書かれていた。
<これらに加えて、何らかの感覚過敏が90%の人にみられます。聴覚(機械音、サイレン、ピストルの音、雑踏の音など)、味覚(偏食になる)、視覚(絵本の特定のページ、CMの場面)、触覚(抱かれる、洋服を着るなどの皮膚接触を嫌う)など特定の刺激に苦痛不快を示し、回避します。>
これを見て、
「まさか、かつてのボスはアスペ・・・」
などと一瞬だけ思ってしまったが、もうこれ以上は止めようと考え直した。むやみに差別用語を振りまく人間が一人でも減ったほうが世の中はマシになると信じているから。
つい先日も急に寒くなった朝は、鼻水やくしゃみといった症状がいきなり出てきた。その時に、しばらく手洗いやうがいをしていなかったな、と思い出す。手洗いやうがいをしたようが良いと勧めていたのは、この春に定年退職した派遣先のボスであった。うがいと手洗いの効果のほどはよくわからないが、風邪を抑える役割は多少あると実感する。
私の場合は水で適当にうがいをしていたが、ボスは「イソジン」を愛用していた。そして家だけでなく職場でもうがいを欠かさなかった。それだけなら別に何も感じなかったが、あるとき職場で、
「やっぱりイソジンでうがいをすると、口の中がピリピリして、風邪の菌が倒されているのが感じるわー!」
などと職場で言っていたのは今でも印象に残っている。
しかし、上のセリフを読んで、
「え・・・そんなわけないでしょ?」
と感じた方が少なくないだろう。私もその一人である。顕微鏡でしか見えないような風邪のウイルスが死滅するのを「感じ」られるわけがない。口に残っていたイソジンの味に対してそんな思い違いをしているだけだ。
このイソジンに限らず、ボスは「妙に」敏感な部分があった。たとえば私が昨夜ニンニクをそこそこ摂取したら「あ!くさい!昨日ニンニク食べたやろ!」とすぐ勘づくし、うっかり職場で「すかしっ屁」などしようものなら「くさい!くさい!」と、わめいていたものだ。
その程度なら、まあまあ鋭い感覚してるな、という程度で終わっただろう。しかし彼の敏感さはそれだけで済まなかった。
たとえば、
「この職場に悪魔がいる!」
とかもう原因不明な発言が時おり飛び出してくるからたまらない。思いきり向こうの立場に合わせて仮に「悪魔」なるものがいてそれが彼には見えているとしても、周囲の他の人には誰もわからないのだから手の施しようがない。おそらくその「悪魔」は健常者には見えないものなのだろう。
ところで、こないだネットで「アスペルガー症候群」を調べる機会があった。最近なにかと耳にするこの言葉についてろくな知識がなかったと気づき調べてみたのだ。
しかし、たとえば文部科学省の定義では、
<アスペルガー症候群とは、知的発達の遅れを伴わず、かつ、自閉症の特徴のうち言葉の発達の遅れを伴わないものである。なお、高機能自閉症やアスペルガー症候群は、広汎性発達障害に分類されるものである。>
https://h-navi.jp/column/article/136
などと書いており、読んでもなんだかわからない。 Yahoo!で「アスペルガー」を検索するとトップに「広汎性発達障害」という用語が出てきて、
<(1)対人的相互反応における質的障害(相手の気持ちがつかめない、場にあった行動がとれない)
(2)コミュニケーションの障害(言葉の使用の誤り、会話をつなげない)
(3)行動、興味、活動が限定していて反復・常同的>
https://medical.yahoo.co.jp/katei/041031000/?disid=041031000
などと特徴が書かれていて、なんだか自分にも当てはまるのでは、とも感じてしまった。これらを読む前から「アスペルガー」というのは平成の生んだ差別用語という認識だったが、アスペルガーと診断された相手が何も救われないという点で間違ってはいないだろう。
ただ、この後の文章の後で興味深いことが書かれていた。
<これらに加えて、何らかの感覚過敏が90%の人にみられます。聴覚(機械音、サイレン、ピストルの音、雑踏の音など)、味覚(偏食になる)、視覚(絵本の特定のページ、CMの場面)、触覚(抱かれる、洋服を着るなどの皮膚接触を嫌う)など特定の刺激に苦痛不快を示し、回避します。>
これを見て、
「まさか、かつてのボスはアスペ・・・」
などと一瞬だけ思ってしまったが、もうこれ以上は止めようと考え直した。むやみに差別用語を振りまく人間が一人でも減ったほうが世の中はマシになると信じているから。
やたら早く起きるのには、意味があるんだよ
2016年10月14日 日常いつの頃から始めたのかわからないが、出勤をする2時間前に目覚ましを設定するようになった。ある時期は午前5時に部屋を出なければならない日が続いたこともあるけれど、その時は午前3時に目を覚ましていた。いまは平日の場合8時半に出れば間に合うので6時半に起きている。
この話を周囲にすると、けっこう驚く人がいる。そして、
「どうしてそんなことするの?30分前に起きればいいんじゃないの?」
と怪訝な顔をされることもしばしばだ。別に女性のように化粧とか時間のかかる準備をするわけでもないのだから、パッと起きられるならば30分もあれば身支度や食事は済ませられるかもしれない。
だが、その「パッと起き」ることが自分にはできないのだ。生まれつき血圧が低く、社会に出る前は上の血圧が100を切るほどだった。会社勤めをするようになって標準な数値に近づいていったが、朝起きるのが苦痛なのはまったく変わらない。「清々しい朝」などとというものは自分の辞書には存在しないようである。
先日、バイト先で仲の良い人たちと焼肉「ワンカルビ」へ行った。久しぶりの食べ放題だったためかペースをうまく考えることができず、最後は水も飲めなくなるほどお腹がパンパンになって死にそうな思いがした。その時に腹を殴られようものなら、間違いなく吐いていただろう。店を出る時に焼肉の匂いが鼻に入った時はウッと気分が悪くなった。
なんとか部屋に戻ったものの、食後1時間を過ぎてもまだ腹の中は落ち着かなかった。もうこれは時間との勝負だと思いながら、横になって眠った。それから再び目を覚ましたのは、午前4時半あたりだった。気がつけば消化も進んでお腹もすっかり落ち着いていた。ああ良かった、とホッとしてまた眠りにつく。
しかし、ここで目覚ましをセットしていなかったのがまずかった。次に目が覚めて携帯の画面を見ると、デジタルは午前9時を過ぎていた。
ま・ず・い。
始業が9時半だから、身支度をしても20分しか時間がない。自転車ではもう絶対に間に合わない。長年の経験ですぐにそれは判断できた。しかし、それでもあまり慌てることはなかった。そのまま今出川通まで走り、タクシーを捕まえる。結果として9時27分、始業の3分前に派遣先に到着することができた。
実は自分はこういう「自転車では間に合わないが、タクシーを使えばなんとか・・・」という場面はけっこう出くわしている。前の派遣先は午前7時が始業時間だったが、その時に遅刻しかかった場合も同じようにギリギリに着くことができた。
私は目覚めが悪いことに加えて、「二度寝」をすることが多い(というか、ほとんど毎日そんな感じな気がする)。目覚まし時計のアラームでいったん目を覚ましても、起き上がらずに10分20分と過ごしているうちにまた寝てしまうとい具合だ。それでも、また1時間ほどで自然とまた起きるから、結果として遅刻という事態は防げているわけである。
そういうわけで、私が仕事を出るの2時間前に目覚ましを設定しているのは、自分自身の生活習慣に合致し、なおかつ寝坊や遅刻という最悪な事態を防ぐための予防線を張っているからなのだ。誰かが起こしてくれるような存在がいない限り、このような生活はずっと続くだろう。誰も守ってくれないのだから、自分の身は自分で守らなければならないというわけだ。別に意味もなく早起き(実際はちゃんと起きてるわけでもないが)しているわけではないのだ、と言いたい。
しかしながら、着替えもできずヒゲも剃れず、コンタクトを片方で(焦って両方つけられなかった)、靴下も履かないまま(これは本当に苦痛だった)仕事をしたのは、本当に気持ちの悪い1日だった。タクシー代1550円も余計で痛い出費である。
この話を周囲にすると、けっこう驚く人がいる。そして、
「どうしてそんなことするの?30分前に起きればいいんじゃないの?」
と怪訝な顔をされることもしばしばだ。別に女性のように化粧とか時間のかかる準備をするわけでもないのだから、パッと起きられるならば30分もあれば身支度や食事は済ませられるかもしれない。
だが、その「パッと起き」ることが自分にはできないのだ。生まれつき血圧が低く、社会に出る前は上の血圧が100を切るほどだった。会社勤めをするようになって標準な数値に近づいていったが、朝起きるのが苦痛なのはまったく変わらない。「清々しい朝」などとというものは自分の辞書には存在しないようである。
先日、バイト先で仲の良い人たちと焼肉「ワンカルビ」へ行った。久しぶりの食べ放題だったためかペースをうまく考えることができず、最後は水も飲めなくなるほどお腹がパンパンになって死にそうな思いがした。その時に腹を殴られようものなら、間違いなく吐いていただろう。店を出る時に焼肉の匂いが鼻に入った時はウッと気分が悪くなった。
なんとか部屋に戻ったものの、食後1時間を過ぎてもまだ腹の中は落ち着かなかった。もうこれは時間との勝負だと思いながら、横になって眠った。それから再び目を覚ましたのは、午前4時半あたりだった。気がつけば消化も進んでお腹もすっかり落ち着いていた。ああ良かった、とホッとしてまた眠りにつく。
しかし、ここで目覚ましをセットしていなかったのがまずかった。次に目が覚めて携帯の画面を見ると、デジタルは午前9時を過ぎていた。
ま・ず・い。
始業が9時半だから、身支度をしても20分しか時間がない。自転車ではもう絶対に間に合わない。長年の経験ですぐにそれは判断できた。しかし、それでもあまり慌てることはなかった。そのまま今出川通まで走り、タクシーを捕まえる。結果として9時27分、始業の3分前に派遣先に到着することができた。
実は自分はこういう「自転車では間に合わないが、タクシーを使えばなんとか・・・」という場面はけっこう出くわしている。前の派遣先は午前7時が始業時間だったが、その時に遅刻しかかった場合も同じようにギリギリに着くことができた。
私は目覚めが悪いことに加えて、「二度寝」をすることが多い(というか、ほとんど毎日そんな感じな気がする)。目覚まし時計のアラームでいったん目を覚ましても、起き上がらずに10分20分と過ごしているうちにまた寝てしまうとい具合だ。それでも、また1時間ほどで自然とまた起きるから、結果として遅刻という事態は防げているわけである。
そういうわけで、私が仕事を出るの2時間前に目覚ましを設定しているのは、自分自身の生活習慣に合致し、なおかつ寝坊や遅刻という最悪な事態を防ぐための予防線を張っているからなのだ。誰かが起こしてくれるような存在がいない限り、このような生活はずっと続くだろう。誰も守ってくれないのだから、自分の身は自分で守らなければならないというわけだ。別に意味もなく早起き(実際はちゃんと起きてるわけでもないが)しているわけではないのだ、と言いたい。
しかしながら、着替えもできずヒゲも剃れず、コンタクトを片方で(焦って両方つけられなかった)、靴下も履かないまま(これは本当に苦痛だった)仕事をしたのは、本当に気持ちの悪い1日だった。タクシー代1550円も余計で痛い出費である。
見知らぬ不在着信にこんな対応をしてみた
2016年9月17日 日常人と連絡をとる手段も時代によっていつの間にか変化しているな、などと思うときがある。それは例えば、自分の携帯に不在着信があるのを気づいた場合などだ。
連絡をとるために電話やEメールを常用していたのは、いつまでだろう。おそらくは5年ほど前、2011年前後かと確信している。個人的にはかつての職場を去る時期であった。周囲の人たちとやりとりするためにFacebookやTwitterといったSNSがもてはやされるようになったのはその頃に間違いない。別に以前の会社を去ったからというわけでもないが、このあたりから特にEメールの類は使う頻度が激減した。別に知り合いの多寡に関わらず、メッセージや無料通話をするのはLINEを中心に多くの人は移行したはずである。
振り返ってみれば、部屋の固定電話は10年くらい前にインターネット回線を残して止めているし、いまは電話をする機会もバイト先くらいで、月に10分も通話はしていない(もともとそんなものだったかもしれないが)。Eメールにしても、それだけでやり取りをしている知人は一人だけしか思い浮かばない。あとはLINEもしくはFacebookにおいてである。
また、携帯の「連絡先」も、かつての職場の人のものは根こそぎ削除してしまっている。もう会うこともないし会いたいとも思わない人も退職を機に軒並み消してしまった。
今日は何が言いたいかといえば、アルバイトの帰り道にポケモンGOをしていたら、急に「080」で始まる番号から着信があったのである。ワン切りではなくしばらく鳴り続けた。留守番電話メッセージでもあるかと思ったが、それもなく終わってしまった。
正直な話、もう見知らぬ電話番号を出るつもりもないし、返信だってしたくない。それがかつて登録していた「誰かさん」だったとしたら、そんな嫌なこともないだろう(別にそこまで嫌がらなくてもいいかもしれないが)。当のLINEにしても、こちらはすでに番号を削除したのに、「新しい友だち」うんぬんでポッと名前が出てきた人間が数人いたのがいまでも忘れられない。「こちらは『友だち』どころかもはや知人とすら思ってないのに、まだ俺の番号登録してるのか?うんこ食ってろ」などと思いながら、そのあたりもみんなブロックしたのは言うまでもない。
しかし、なぜか今夜はその見知らぬ番号の主が気になって仕方なかった。もちろんこちらからかけ直すような真似はしたくない。そんな感じでしばらく考えていると、一つの案が思い浮かんだ。
いわゆる「ショート・メール」である。
ショート・メールならば直接話す機会もなく、相手の電話番号を利用してメッセージを送り返すことができる。変な輩だったら無視すれば、こちらはほぼ無傷だ。
それでさきほどの番号に対して「どちらさまですか?」とショート・メールを送信してみた。だが、予測はついていたものの、いまだに先方からの反応はない。
連絡をとるために電話やEメールを常用していたのは、いつまでだろう。おそらくは5年ほど前、2011年前後かと確信している。個人的にはかつての職場を去る時期であった。周囲の人たちとやりとりするためにFacebookやTwitterといったSNSがもてはやされるようになったのはその頃に間違いない。別に以前の会社を去ったからというわけでもないが、このあたりから特にEメールの類は使う頻度が激減した。別に知り合いの多寡に関わらず、メッセージや無料通話をするのはLINEを中心に多くの人は移行したはずである。
振り返ってみれば、部屋の固定電話は10年くらい前にインターネット回線を残して止めているし、いまは電話をする機会もバイト先くらいで、月に10分も通話はしていない(もともとそんなものだったかもしれないが)。Eメールにしても、それだけでやり取りをしている知人は一人だけしか思い浮かばない。あとはLINEもしくはFacebookにおいてである。
また、携帯の「連絡先」も、かつての職場の人のものは根こそぎ削除してしまっている。もう会うこともないし会いたいとも思わない人も退職を機に軒並み消してしまった。
今日は何が言いたいかといえば、アルバイトの帰り道にポケモンGOをしていたら、急に「080」で始まる番号から着信があったのである。ワン切りではなくしばらく鳴り続けた。留守番電話メッセージでもあるかと思ったが、それもなく終わってしまった。
正直な話、もう見知らぬ電話番号を出るつもりもないし、返信だってしたくない。それがかつて登録していた「誰かさん」だったとしたら、そんな嫌なこともないだろう(別にそこまで嫌がらなくてもいいかもしれないが)。当のLINEにしても、こちらはすでに番号を削除したのに、「新しい友だち」うんぬんでポッと名前が出てきた人間が数人いたのがいまでも忘れられない。「こちらは『友だち』どころかもはや知人とすら思ってないのに、まだ俺の番号登録してるのか?うんこ食ってろ」などと思いながら、そのあたりもみんなブロックしたのは言うまでもない。
しかし、なぜか今夜はその見知らぬ番号の主が気になって仕方なかった。もちろんこちらからかけ直すような真似はしたくない。そんな感じでしばらく考えていると、一つの案が思い浮かんだ。
いわゆる「ショート・メール」である。
ショート・メールならば直接話す機会もなく、相手の電話番号を利用してメッセージを送り返すことができる。変な輩だったら無視すれば、こちらはほぼ無傷だ。
それでさきほどの番号に対して「どちらさまですか?」とショート・メールを送信してみた。だが、予測はついていたものの、いまだに先方からの反応はない。
梅雨入りしてから天気が不安定な日々が続いている。夜から降り出した雨は今朝には上がり始め、いつも通り自転車で通勤することができた。その途中のコンビニで昼食を買い、今日も同じくらいの時間に派遣先を訪れて働き出す。そういうなんでもない日であったが、私も含めた職場の人たちは少し違い思いを抱いていたはずだ。
「今日でようやく、アレから解放される・・・」
職場のボスを含めて、そう思って安堵したに違いない。アレとは、日記をずっとご覧いただいている人は察してくれるだろうが、もう一人の派遣社員の体臭である。今日をもって彼は契約解除となり職場を去るからだ。
何度も書いていることだが、「臭い」という理由で契約解除になったわけではないし、おそらくそういうことは手続き的に不可能だろう。派遣社員がするような仕事のレベルを大きく下回る働きぶりだったからそのような結果になったまでである。
彼の働きぶりに関する恐ろしいエピソードとしては、日々の業務で何か書類を書き込む作業が挙げられる。派遣社員が書いたものをボスが見て「なんだこれ?」と目を疑ったという。彼に確認してみると、それはどうも数字の「0」だったが、何か変なのである。他にもそのような数字(?)があったが、もういちど訊いてみると今度はカタカナの「ロ」だったという。
つまり、「0」も「ロ」も、同じように「○」みたいな書き方をしていて分かち書きができないである。これがきっかけでボスは派遣会社の担当者に直接電話を入れて「もう勘弁してくれ、代わりを見つけてくれ」ということで先日決着したようである。本人に契約解除が伝わったのは、ボスが言うには6月20日の時点だったとのことだ。
当の派遣社員といえば、やはり契約解除の連絡にショックを受けたらしい。本人としてはこれからもここで働きたかったからだ。それはそうだろう。彼の1日の仕事の大半は、京都市内に商品を配送する車の助手席に座って待機するだけである。つまり、駐禁対策である(私は無免許なので、残念ながらこの作業ができない)。それで時給は1100円(推定)だから、働く立場としてはそこそこ良い条件ではないだろうか。しかし、紆余曲折あっての契約解除とはいえ、こうした誰でもできる代替可能な業務などいつ失ってもおかしくないと心得ておくべきだろう。まあ、刺激臭を出していても平気な人にはそのような社会を俯瞰するような視点などないかもしれないけれど・・・。
今日は月末のためか、仕事はけっこう長引いていた。定時より30分ほど遅れて業務は一段落する。そのあたりで派遣社員はいつもお役御免となるのだが、なにやら職場をウロウロして帰ろうとしない。この行動は以前から気付いていたが、こうやって終業時間を遅くして残業時間を5分でも10分でも伸ばそうとしているのである。
「もう他の人がしますから、いいですよ」
と機械的に彼に言うと、そのまま黙って職場から去っていた。それが彼の最後の姿だった。
派遣先の社員の人が勤務中にトイレで彼とすれ違ったので、「今日で終わりですよね?次は決まったんですか?」と訊いたそうだ。それに対する返事はやはり「まだ決まってません」ということだった。
「まあ、あんな人ですからね・・・」
と私が言うと、
「またゴミ収集車の後ろに走る仕事に戻るんじゃないかな。似合ってると思うよ」
などとその社員の人が続けた。適当で無責任なことを言うなあ。
またボスはボスで、もう彼を助手席に乗せることがなくなるためだいぶホッとしていた。そう、私たちはあの刺激臭とこの3ヶ月ほど戦っていたのである。そして今日はその戦いの幕が引いたのである。
だが、この戦いに勝った人は誰もいないだろう。確かなことは、仕事を失った派遣社員が一人負けしたということか。
ただ、もう飲み会の席でもない限り、彼についての話題は出てこないに違いない。世間とはそういうものである。
「今日でようやく、アレから解放される・・・」
職場のボスを含めて、そう思って安堵したに違いない。アレとは、日記をずっとご覧いただいている人は察してくれるだろうが、もう一人の派遣社員の体臭である。今日をもって彼は契約解除となり職場を去るからだ。
何度も書いていることだが、「臭い」という理由で契約解除になったわけではないし、おそらくそういうことは手続き的に不可能だろう。派遣社員がするような仕事のレベルを大きく下回る働きぶりだったからそのような結果になったまでである。
彼の働きぶりに関する恐ろしいエピソードとしては、日々の業務で何か書類を書き込む作業が挙げられる。派遣社員が書いたものをボスが見て「なんだこれ?」と目を疑ったという。彼に確認してみると、それはどうも数字の「0」だったが、何か変なのである。他にもそのような数字(?)があったが、もういちど訊いてみると今度はカタカナの「ロ」だったという。
つまり、「0」も「ロ」も、同じように「○」みたいな書き方をしていて分かち書きができないである。これがきっかけでボスは派遣会社の担当者に直接電話を入れて「もう勘弁してくれ、代わりを見つけてくれ」ということで先日決着したようである。本人に契約解除が伝わったのは、ボスが言うには6月20日の時点だったとのことだ。
当の派遣社員といえば、やはり契約解除の連絡にショックを受けたらしい。本人としてはこれからもここで働きたかったからだ。それはそうだろう。彼の1日の仕事の大半は、京都市内に商品を配送する車の助手席に座って待機するだけである。つまり、駐禁対策である(私は無免許なので、残念ながらこの作業ができない)。それで時給は1100円(推定)だから、働く立場としてはそこそこ良い条件ではないだろうか。しかし、紆余曲折あっての契約解除とはいえ、こうした誰でもできる代替可能な業務などいつ失ってもおかしくないと心得ておくべきだろう。まあ、刺激臭を出していても平気な人にはそのような社会を俯瞰するような視点などないかもしれないけれど・・・。
今日は月末のためか、仕事はけっこう長引いていた。定時より30分ほど遅れて業務は一段落する。そのあたりで派遣社員はいつもお役御免となるのだが、なにやら職場をウロウロして帰ろうとしない。この行動は以前から気付いていたが、こうやって終業時間を遅くして残業時間を5分でも10分でも伸ばそうとしているのである。
「もう他の人がしますから、いいですよ」
と機械的に彼に言うと、そのまま黙って職場から去っていた。それが彼の最後の姿だった。
派遣先の社員の人が勤務中にトイレで彼とすれ違ったので、「今日で終わりですよね?次は決まったんですか?」と訊いたそうだ。それに対する返事はやはり「まだ決まってません」ということだった。
「まあ、あんな人ですからね・・・」
と私が言うと、
「またゴミ収集車の後ろに走る仕事に戻るんじゃないかな。似合ってると思うよ」
などとその社員の人が続けた。適当で無責任なことを言うなあ。
またボスはボスで、もう彼を助手席に乗せることがなくなるためだいぶホッとしていた。そう、私たちはあの刺激臭とこの3ヶ月ほど戦っていたのである。そして今日はその戦いの幕が引いたのである。
だが、この戦いに勝った人は誰もいないだろう。確かなことは、仕事を失った派遣社員が一人負けしたということか。
ただ、もう飲み会の席でもない限り、彼についての話題は出てこないに違いない。世間とはそういうものである。
サラリーマン管理職はこういう行動をする
2016年6月21日 日常この日記の中で、派遣先に来たもう一人の派遣社員についてこれまでに何度か触れてきた。
もう一人の派遣社員について(2016年4月21日)
http://30771.diarynote.jp/201605202217289103/
「派遣切り」は思ってるほど簡単ではない(2016年5月24日)
http://30771.diarynote.jp/201605242303213347/
比較的単純な作業を十分にこなせないうえ正体不明の体臭を撒き散らす派遣社員に対して、職場のボスはもう我慢の限界に達していた。しかし、派遣会社の担当者がなかなか言うことを聞かずに「なんとかなりませんかねえ」と食い下がる姿勢を見せていたというのがこれまでの話だった。
それでもボスとしては1日でもはやく当の派遣社員を契約解除するように行動していた。だが、派遣会社担当者の他にもう一人、派遣切りに難色を示している人物がいた。ボスの上司で、派遣社員の処遇について決定権を持っている管理職の人である。その人はどうもボスの申し出に対して懐疑的というか、素直に受け止めてくれないようなのだ。
その証拠に、職場の男性社員(ボスの部下ね)を呼び出して「聞き取り調査」をおこなったのである。職場でなにか問題が起きたときに聞き取り調査がおこなわれるのは珍しい事ではない。ボスの意見だけでは中立性とか客観性が不十分だから他の人の話を聞くというのが大きな理由だ。
私は職場の男性社員から話を聞いたが、管理職の人はまず派遣社員の様子を尋ねてきたという。
そして、
「なんとか教育して、どうにか続けれるようにならないだろうか・・・?」
となどと訊いてきたのだ。これはもう派遣会社の担当者と同じ態度である。
そして「例の問題」についても質問だが、
「職場で異臭騒ぎがあるらしいが・・・」
などと、なんとも白々しく遠回しな言い方をしてきたのだ。
そもそもこの管理職は派遣会社の内部調査によって、派遣社員がニンニクを日常的に摂取していることを承知しているのである。それなのに「異臭騒ぎ」とかなんとか言ってくるのは、この問題について関わりたくないという姿勢がありありと伝わってくる。もしも私が聞き手だったら「該当社員の匂いをかいでみたらいかがですか?体臭というか刺激臭のようなものがしますよ」と答えていただろう。
これほど煮え切らない態度をとるのは、本人の資質はもちろんだが、この管理職も所詮サラリーマンの立場だということが大きい。自分が身銭を切って経営をしているなら、仕事のしない派遣社員を無駄な人件費をかけてまで残すような真似はしないはずだ。
そして、これはもう一般論になるが、自分の責任で派遣切りをすることに抵抗を感じているのだ。誰も好きこのんで他人の仕事を奪うような真似などしたいわけがない。どんな人であれ生活を抱えているのだから、その人が仕事が失った後のことを想像してしまえば躊躇するのも自然なことだ。
それから、「派遣社員を切る」いう事例がこの会社にほとんどないのかもしれない。私が見る限り、たいていの派遣社員は仕事がキツくて自ら契約解除を申し出て去っていく職場なのだから、長期雇用を前提とした派遣社員をわざわざ切ることもしていないに違いない。
そもそもの話、この会社の上層部は現場の状況など真剣に把握していない(もしくは、見て見ぬふりをする)。それゆえ大きな問題さえなければ当該部署を黙らせてその場をしのごうとする(だからこそ、この3月まで電波を出してブチ切れるような人間が職場の長に居座っていたわけだ)。しかしそうした姿勢は現場の側から見れば非常に無責任で残酷な話である。別にここは職業訓練をする場ではないし、派遣社員の存在によって現場の士気は確実に低下している。先日、派遣先の社員が集まる立ち飲み屋に初めて行った時はある営業社員から、
「俺会ったことないけど、○○さんて臭いんだって?」
といきなり尋ねられるほどに「異臭騒ぎ」は社内に伝わっているのだ。いったいこの状況で派遣社員を引き止めておく理由があるというのか。
そうこうしているうちに、当の派遣社員が「まともに数字が書けない」というような事実も判明してしまった。ボスはもう管理職の判断を待たず、派遣会社担当者に直接連絡したらしい。そしてついに向こうも折れて、派遣社員は契約期間を待たず6月をもって終わることに決まったそうだ。
「これまでの人生で、一番悩んでいる」と言っていたボスの闘いも今月末をもって一つの区切りとなるようである。
もう一人の派遣社員について(2016年4月21日)
http://30771.diarynote.jp/201605202217289103/
「派遣切り」は思ってるほど簡単ではない(2016年5月24日)
http://30771.diarynote.jp/201605242303213347/
比較的単純な作業を十分にこなせないうえ正体不明の体臭を撒き散らす派遣社員に対して、職場のボスはもう我慢の限界に達していた。しかし、派遣会社の担当者がなかなか言うことを聞かずに「なんとかなりませんかねえ」と食い下がる姿勢を見せていたというのがこれまでの話だった。
それでもボスとしては1日でもはやく当の派遣社員を契約解除するように行動していた。だが、派遣会社担当者の他にもう一人、派遣切りに難色を示している人物がいた。ボスの上司で、派遣社員の処遇について決定権を持っている管理職の人である。その人はどうもボスの申し出に対して懐疑的というか、素直に受け止めてくれないようなのだ。
その証拠に、職場の男性社員(ボスの部下ね)を呼び出して「聞き取り調査」をおこなったのである。職場でなにか問題が起きたときに聞き取り調査がおこなわれるのは珍しい事ではない。ボスの意見だけでは中立性とか客観性が不十分だから他の人の話を聞くというのが大きな理由だ。
私は職場の男性社員から話を聞いたが、管理職の人はまず派遣社員の様子を尋ねてきたという。
そして、
「なんとか教育して、どうにか続けれるようにならないだろうか・・・?」
となどと訊いてきたのだ。これはもう派遣会社の担当者と同じ態度である。
そして「例の問題」についても質問だが、
「職場で異臭騒ぎがあるらしいが・・・」
などと、なんとも白々しく遠回しな言い方をしてきたのだ。
そもそもこの管理職は派遣会社の内部調査によって、派遣社員がニンニクを日常的に摂取していることを承知しているのである。それなのに「異臭騒ぎ」とかなんとか言ってくるのは、この問題について関わりたくないという姿勢がありありと伝わってくる。もしも私が聞き手だったら「該当社員の匂いをかいでみたらいかがですか?体臭というか刺激臭のようなものがしますよ」と答えていただろう。
これほど煮え切らない態度をとるのは、本人の資質はもちろんだが、この管理職も所詮サラリーマンの立場だということが大きい。自分が身銭を切って経営をしているなら、仕事のしない派遣社員を無駄な人件費をかけてまで残すような真似はしないはずだ。
そして、これはもう一般論になるが、自分の責任で派遣切りをすることに抵抗を感じているのだ。誰も好きこのんで他人の仕事を奪うような真似などしたいわけがない。どんな人であれ生活を抱えているのだから、その人が仕事が失った後のことを想像してしまえば躊躇するのも自然なことだ。
それから、「派遣社員を切る」いう事例がこの会社にほとんどないのかもしれない。私が見る限り、たいていの派遣社員は仕事がキツくて自ら契約解除を申し出て去っていく職場なのだから、長期雇用を前提とした派遣社員をわざわざ切ることもしていないに違いない。
そもそもの話、この会社の上層部は現場の状況など真剣に把握していない(もしくは、見て見ぬふりをする)。それゆえ大きな問題さえなければ当該部署を黙らせてその場をしのごうとする(だからこそ、この3月まで電波を出してブチ切れるような人間が職場の長に居座っていたわけだ)。しかしそうした姿勢は現場の側から見れば非常に無責任で残酷な話である。別にここは職業訓練をする場ではないし、派遣社員の存在によって現場の士気は確実に低下している。先日、派遣先の社員が集まる立ち飲み屋に初めて行った時はある営業社員から、
「俺会ったことないけど、○○さんて臭いんだって?」
といきなり尋ねられるほどに「異臭騒ぎ」は社内に伝わっているのだ。いったいこの状況で派遣社員を引き止めておく理由があるというのか。
そうこうしているうちに、当の派遣社員が「まともに数字が書けない」というような事実も判明してしまった。ボスはもう管理職の判断を待たず、派遣会社担当者に直接連絡したらしい。そしてついに向こうも折れて、派遣社員は契約期間を待たず6月をもって終わることに決まったそうだ。
「これまでの人生で、一番悩んでいる」と言っていたボスの闘いも今月末をもって一つの区切りとなるようである。
音楽と政治、という古いような新しいような話について
2016年6月20日 日常今年も夏におこなわれる「フジロック・フェスティバル」についてちょっとした騒ぎが起きている。今回は学生団体「SEALDs」の奥田愛基氏やジャーナリストの津田大介氏らが出演するというのだが、それに対して「フジロックに政治を持ち込むな」という批判がネット上で出てきたのである。
奥田さんや津田さんが会場で何をするかは知るよしもないが、個人的には「音楽愛好者がそんなケチくさいことを言って締め出しをするのはいただけないな」と率直に感じた。フジ・ロックは何万人も参加するイベントであり、その中に自分の気に食わない思想の人間が数人混じったところでどうということもないだろう。枝葉末節を指摘してあれダメこれダメ言うような音楽ファンは「狭量」というほかない。今回の件の是非については以上で終わることにする。
しかしながら、フジロックに政治うんぬんの発言についてはいま否定したわけだが、そのような声が出てくるのはわからなくもない、と一方では思っている。理由は2つある。
まず、政治色やメッセージ色が強い音楽はこれまでも叩かれ続けてきたという歴史的経緯を知っているからだ。音楽と政治との組み合わせでもっとも象徴的なのは、やはり1985年の「ウィ・アー・ザ・ワールド」だろう。アフリカの貧困を救おうという主題のもと大物ミュージシャンが集まってできたこの曲は全世界で大ヒットを記録した。が、一方でその行為を「偽善」と批判する人も少なくなかった。音楽に限らず「チャリティ」という名のイベントに嫌悪感を抱く人は多い(私もそうです)。
根本的に何が悪いかといえば、やはり「音楽より政治が前に出ている(政治>音楽)」ということに尽きるだろう。お世辞にも「ウィ・アー・ザ・ワールド」は楽曲や歌詞に特筆するものがあるとは言えない。淡々とした楽曲に複数のシンガーが歌い回すという流れは平凡である。この曲に限らず、チャリティとか震災復興を目的としたイベントは政治色が前に出てしまい失敗する結果が数多い。というよりも、音楽と政治が見事に融合したイベントという好例は果たしてあるのだろうか。寡聞にして私はそういうものを知らないのである。いずれにせよ、「音楽は音楽として成立すること(音楽>政治)」がまず第一であり、またそうでなければわざわざ音楽表現というものを選択する必然性もないといえる。だからこそ、奥田さんが津田さんが音楽フェスに出てくることに対する嫌悪感というのは、私自身も理解できなくはないのだ。
もう1点、これは私の個人的見解が強いかもしれないが、本質的に芸術表現と政治活動というのは相性が悪いということが挙げられる。政治活動というのは私たちの生活に直接関わることばかりである。それゆえ、目標とするところは具体的で現実的でなければならないし、政治家の言動は常に責任が伴ってくる。しかし、芸術表現の向かうベクトルは政治活動のそれとはだいぶ違うように見える。芸術とはかくあるべきだ、などと言うつもりは全くないが、世間で「深い表現」とか「優れた芸術」というのは「抽象的」とか「豊かな想像力」とか「既成概念を打ち破る」というようなことが褒め言葉になる。このあたりはことごとく政治活動とは共通する部分が少ないだろう。
また、芸術家は芸術家で活動をしていくうえで「覚悟」のようなものがあると思うが、その言動についてはあまり責任が伴っているようには見えない。少し前に佐野元春が辺野古に関する文章の中で「どんなリーダーも信じない」というようなことを書いて賛否を呼んだが、私はその意味不明というかどうとでも解釈できるような曖昧な表現に違和感を抱いてしまった。つまり、政治家の言葉とはだいぶその「重み」が違っているのである。その原因は何かといえば、やはり行動するベクトルが両者で全く違うからというのが私の仮説とするところだ。
改めて結論を書けば、政治色の強い人が音楽フェスに出てくるのは個人的にも違和感はあるけれど、それを排除しようという姿勢は音楽ファンとしてはまずいだろう、と言いたかったまでである。
しかし、ひと昔前なら奥田さんや津田さんのような人たちは「反権力」とか「反体制」という名の下にむしろ歓迎されていたような気がする。しかし今やアイドルがロック・フェスの冠がついたイベントに出るような昨今、そうした空気も変わってしまったのかもしれない。そんなことを同時に感じた今回の件であった。
奥田さんや津田さんが会場で何をするかは知るよしもないが、個人的には「音楽愛好者がそんなケチくさいことを言って締め出しをするのはいただけないな」と率直に感じた。フジ・ロックは何万人も参加するイベントであり、その中に自分の気に食わない思想の人間が数人混じったところでどうということもないだろう。枝葉末節を指摘してあれダメこれダメ言うような音楽ファンは「狭量」というほかない。今回の件の是非については以上で終わることにする。
しかしながら、フジロックに政治うんぬんの発言についてはいま否定したわけだが、そのような声が出てくるのはわからなくもない、と一方では思っている。理由は2つある。
まず、政治色やメッセージ色が強い音楽はこれまでも叩かれ続けてきたという歴史的経緯を知っているからだ。音楽と政治との組み合わせでもっとも象徴的なのは、やはり1985年の「ウィ・アー・ザ・ワールド」だろう。アフリカの貧困を救おうという主題のもと大物ミュージシャンが集まってできたこの曲は全世界で大ヒットを記録した。が、一方でその行為を「偽善」と批判する人も少なくなかった。音楽に限らず「チャリティ」という名のイベントに嫌悪感を抱く人は多い(私もそうです)。
根本的に何が悪いかといえば、やはり「音楽より政治が前に出ている(政治>音楽)」ということに尽きるだろう。お世辞にも「ウィ・アー・ザ・ワールド」は楽曲や歌詞に特筆するものがあるとは言えない。淡々とした楽曲に複数のシンガーが歌い回すという流れは平凡である。この曲に限らず、チャリティとか震災復興を目的としたイベントは政治色が前に出てしまい失敗する結果が数多い。というよりも、音楽と政治が見事に融合したイベントという好例は果たしてあるのだろうか。寡聞にして私はそういうものを知らないのである。いずれにせよ、「音楽は音楽として成立すること(音楽>政治)」がまず第一であり、またそうでなければわざわざ音楽表現というものを選択する必然性もないといえる。だからこそ、奥田さんが津田さんが音楽フェスに出てくることに対する嫌悪感というのは、私自身も理解できなくはないのだ。
もう1点、これは私の個人的見解が強いかもしれないが、本質的に芸術表現と政治活動というのは相性が悪いということが挙げられる。政治活動というのは私たちの生活に直接関わることばかりである。それゆえ、目標とするところは具体的で現実的でなければならないし、政治家の言動は常に責任が伴ってくる。しかし、芸術表現の向かうベクトルは政治活動のそれとはだいぶ違うように見える。芸術とはかくあるべきだ、などと言うつもりは全くないが、世間で「深い表現」とか「優れた芸術」というのは「抽象的」とか「豊かな想像力」とか「既成概念を打ち破る」というようなことが褒め言葉になる。このあたりはことごとく政治活動とは共通する部分が少ないだろう。
また、芸術家は芸術家で活動をしていくうえで「覚悟」のようなものがあると思うが、その言動についてはあまり責任が伴っているようには見えない。少し前に佐野元春が辺野古に関する文章の中で「どんなリーダーも信じない」というようなことを書いて賛否を呼んだが、私はその意味不明というかどうとでも解釈できるような曖昧な表現に違和感を抱いてしまった。つまり、政治家の言葉とはだいぶその「重み」が違っているのである。その原因は何かといえば、やはり行動するベクトルが両者で全く違うからというのが私の仮説とするところだ。
改めて結論を書けば、政治色の強い人が音楽フェスに出てくるのは個人的にも違和感はあるけれど、それを排除しようという姿勢は音楽ファンとしてはまずいだろう、と言いたかったまでである。
しかし、ひと昔前なら奥田さんや津田さんのような人たちは「反権力」とか「反体制」という名の下にむしろ歓迎されていたような気がする。しかし今やアイドルがロック・フェスの冠がついたイベントに出るような昨今、そうした空気も変わってしまったのかもしれない。そんなことを同時に感じた今回の件であった。
6月16日に中川淳一郎さんが面白いことをTwitterでつぶやいていた。
<SEALDsの奥田愛基が一橋の院に入ったんだって? いやぁ……。すげー不快。>
それに続いて、
<文系国立大学の大学院さぁ、文科省の方針で院生増やしたいかもしれねぇけど、学歴ロンダリング狙いの連中が殺到するような状況をお前ら良しとしてるの? あぁ、ばかじゃねぇの? 一橋、うんこ食ってろ、てめぇら。バカ大学め、中にいる連中も含めててめぇらうんこ食ってやがれ>
ここで初めて「学歴ロンダリング」という言葉を知った。もちろん「マネーロンダリング(資金洗浄)」をもじったものであり、ネット辞典みたいなところでは、
<学歴ロンダリング(がくれきロンダリング)とは、日本で大学院進学の際に自身の出身大学よりも更に上のレベル(学歴)の大学院に進学することを指すインターネットスラングである。別名は大学院ロンダリングであり、ネガティブな意味あいで使われることが多い。略称は学歴ロンダ、院ロンダ。>
ちなみに奥田氏は明治学院大学国際学部を卒業しており、まさに上のような学歴ロンダリングをしようとしているわけだ。一橋のOBである中川さんがそれを知って苦々しい思いに駆られているのがTwitterからも伝わってくる。
奥田氏の話だけならこれで終わっていただろう。が、私もかつて周囲にこのような学歴ロンダリングをおこなっている人を知っている。今回はそれについて書いてみたい。
私は10年ちかく新聞社の子会社でサラリーマン生活を送った経験があるが、会社の先輩がその人だった。確か私が入っていた時に社会人大学院に通っているというのを直接本人に聞いたのだと思う。ある時、職場の飲み会の席で彼から自作の名刺をもらった。そこには「同志社大学博士課程」という文字が印刷されていたのをいまでも覚えている。ただ彼は京都市内にある某私立大学(特に名を秘す)に一浪して入っていたこともどこかで知っていた。その時は、仕事も忙しいのにわざわざ大学院に入って勉強しているのかねえ、と少し訝しく感じたが、それ以上は特に気にも止めなかった。物好きな人だなあ、と思ったくらいである。
それから5年ほどして、新聞グループの大幅な組織再編という出来事が起きる。そのあおりを受けて私たち子会社の社員はいったん今の会社を辞めて、新しくできる会社にまた入社しなおすという経験をする。第三者から見れば会社のやり方はだいぶ理不尽なものだったようだが、それはともかく、私たちは「新会社の第一期生」として生まれ変わり、ご丁寧に新年度の社報で顔写真入りの紹介がされたのである。
それをもらってパラパラめくって吹き出したのは、かの先輩社員の欄だった。
彼の学歴が、
「同志社大学院」
となっていたからである。
「嘘でしょう?おたくの学歴は○○大じゃないの?詐称でしょうこれ?サッチーでしょう?」
と心の中で叫んでしまったが、これはまさに学歴ロンダリングの典型であった。そして先輩社員は社報という学歴を披露する機会を見逃さなかったのである。さすがというほかはない。
それにしても、この学歴ロンダリングであるが、費用対効果は一体どんなものだろう。同志社大学の公式サイトで、大学院に入ってから派生する費用を調べてみたら、入学金(28万円)とか授業料(55万8000円)とか「教育充実費」(10万9000円)というよくわからないものを含めて、100万円前後になるようだ。大学院を2年で修了するとして授業料はもう1回払ったら150万円まで跳ね上がるだろう。
授業のシステムもよくわからないが、仕事の終わりの夜間か、土日に通うという方法しかないだろう。仕事終わりや休日の貴重な時間を割いて、高い授業料を払って勉強する生活を2年も続けて院を修了してどれほど実益があるかといえば・・・個人的にはかなり辛いものがあるように感じる。
学歴ロンダリングの大きな欠点は「見る目のある人にはすぐ見抜かれる」というところだろう。履歴書を見て本人と直接面接すれば、こんな稚拙な学歴操作など一瞬で見抜かれてしまう。
それでもこうした真似をする人が出てくるのは、ひとえに学歴コンプレックスが高かったというしかない。もちろん人間誰しも自尊心というものがあるから一概にバカにもできないだろうが、貴重なお金と時間を費やして先輩社員ができたことといえば、自作の名刺や社報にロンダリングした学歴を載せたくらいである。
果たして、彼の虚栄心はこれで満足できたのだろうか。そして奥田氏も同じような思いで一橋の院に入ったのだろうか。まあ、そこまでしたいと思わない人間にはほとんど理解不能な行動なのだが。
<SEALDsの奥田愛基が一橋の院に入ったんだって? いやぁ……。すげー不快。>
それに続いて、
<文系国立大学の大学院さぁ、文科省の方針で院生増やしたいかもしれねぇけど、学歴ロンダリング狙いの連中が殺到するような状況をお前ら良しとしてるの? あぁ、ばかじゃねぇの? 一橋、うんこ食ってろ、てめぇら。バカ大学め、中にいる連中も含めててめぇらうんこ食ってやがれ>
ここで初めて「学歴ロンダリング」という言葉を知った。もちろん「マネーロンダリング(資金洗浄)」をもじったものであり、ネット辞典みたいなところでは、
<学歴ロンダリング(がくれきロンダリング)とは、日本で大学院進学の際に自身の出身大学よりも更に上のレベル(学歴)の大学院に進学することを指すインターネットスラングである。別名は大学院ロンダリングであり、ネガティブな意味あいで使われることが多い。略称は学歴ロンダ、院ロンダ。>
ちなみに奥田氏は明治学院大学国際学部を卒業しており、まさに上のような学歴ロンダリングをしようとしているわけだ。一橋のOBである中川さんがそれを知って苦々しい思いに駆られているのがTwitterからも伝わってくる。
奥田氏の話だけならこれで終わっていただろう。が、私もかつて周囲にこのような学歴ロンダリングをおこなっている人を知っている。今回はそれについて書いてみたい。
私は10年ちかく新聞社の子会社でサラリーマン生活を送った経験があるが、会社の先輩がその人だった。確か私が入っていた時に社会人大学院に通っているというのを直接本人に聞いたのだと思う。ある時、職場の飲み会の席で彼から自作の名刺をもらった。そこには「同志社大学博士課程」という文字が印刷されていたのをいまでも覚えている。ただ彼は京都市内にある某私立大学(特に名を秘す)に一浪して入っていたこともどこかで知っていた。その時は、仕事も忙しいのにわざわざ大学院に入って勉強しているのかねえ、と少し訝しく感じたが、それ以上は特に気にも止めなかった。物好きな人だなあ、と思ったくらいである。
それから5年ほどして、新聞グループの大幅な組織再編という出来事が起きる。そのあおりを受けて私たち子会社の社員はいったん今の会社を辞めて、新しくできる会社にまた入社しなおすという経験をする。第三者から見れば会社のやり方はだいぶ理不尽なものだったようだが、それはともかく、私たちは「新会社の第一期生」として生まれ変わり、ご丁寧に新年度の社報で顔写真入りの紹介がされたのである。
それをもらってパラパラめくって吹き出したのは、かの先輩社員の欄だった。
彼の学歴が、
「同志社大学院」
となっていたからである。
「嘘でしょう?おたくの学歴は○○大じゃないの?詐称でしょうこれ?サッチーでしょう?」
と心の中で叫んでしまったが、これはまさに学歴ロンダリングの典型であった。そして先輩社員は社報という学歴を披露する機会を見逃さなかったのである。さすがというほかはない。
それにしても、この学歴ロンダリングであるが、費用対効果は一体どんなものだろう。同志社大学の公式サイトで、大学院に入ってから派生する費用を調べてみたら、入学金(28万円)とか授業料(55万8000円)とか「教育充実費」(10万9000円)というよくわからないものを含めて、100万円前後になるようだ。大学院を2年で修了するとして授業料はもう1回払ったら150万円まで跳ね上がるだろう。
授業のシステムもよくわからないが、仕事の終わりの夜間か、土日に通うという方法しかないだろう。仕事終わりや休日の貴重な時間を割いて、高い授業料を払って勉強する生活を2年も続けて院を修了してどれほど実益があるかといえば・・・個人的にはかなり辛いものがあるように感じる。
学歴ロンダリングの大きな欠点は「見る目のある人にはすぐ見抜かれる」というところだろう。履歴書を見て本人と直接面接すれば、こんな稚拙な学歴操作など一瞬で見抜かれてしまう。
それでもこうした真似をする人が出てくるのは、ひとえに学歴コンプレックスが高かったというしかない。もちろん人間誰しも自尊心というものがあるから一概にバカにもできないだろうが、貴重なお金と時間を費やして先輩社員ができたことといえば、自作の名刺や社報にロンダリングした学歴を載せたくらいである。
果たして、彼の虚栄心はこれで満足できたのだろうか。そして奥田氏も同じような思いで一橋の院に入ったのだろうか。まあ、そこまでしたいと思わない人間にはほとんど理解不能な行動なのだが。
爪を伸ばせば生存率が上がるのか
2016年6月8日 日常先週末は土日とも某所で働いていて、休みのない日々を過ごしていた。平日も土日も休めずあまり面白くない毎日となっているが、その中で「こ・れ・し・か・で・き・ん・か・ら」のセリフを吐く「おっちゃん」に久しぶりに会えたのは収穫だった。いまは仕事が無い時期で声がかかることもなく、某所の訪れたのは4月中旬以来だという。
その「おっちゃん」、今回もなかなかの発言を残してくれた。ふとしたきっかけで、休憩所で水難事故についての話題が出てきた。事故の様子を見たことがある人がいたからだが、「おっちゃん」自身もかつて事故に遭ったことがあると話し出したのだ。
「ワシも昭和30年代、会社の慰安旅行で人のいない海で泳いでおぼれて死にかかったわ・・・」
ほうほう、大変な経験をしたのですね、とここまでは普通に話が聞けていた。しかし、ここから「おっちゃん」独特の論理展開に発展することになる。
「でも、若かったから、助かった!爪伸ばしていたから、助かった!」
私を含めて周囲にいた人間は誰も「おっちゃん」の言ってることが理解できなかった。3回ほど聞いているうちに、若い頃は爪を伸ばしていてそのおかげで岸辺に手を引っかけて助かった、というようなことである。
はあ、そんなことがあるのかなあ、と個人的にはいちおう受け止める。そして、この話を他の場所で披露してみることにした。
しかし話を聞いた方々は一様に、
「はあ?」
という顔をするではないか。「そんなことあるわけねーだろ」という感じである。爪が少し伸びていたくらいで人生の危機が助かるわけない、というのが大多数の見方である。
しかし実際のところは、本当におぼれてみないとよくわからないかもしれない。とりあえず「おっちゃん」は会うたびに何かを私に与えてくれるからありがたい存在である。
その「おっちゃん」、今回もなかなかの発言を残してくれた。ふとしたきっかけで、休憩所で水難事故についての話題が出てきた。事故の様子を見たことがある人がいたからだが、「おっちゃん」自身もかつて事故に遭ったことがあると話し出したのだ。
「ワシも昭和30年代、会社の慰安旅行で人のいない海で泳いでおぼれて死にかかったわ・・・」
ほうほう、大変な経験をしたのですね、とここまでは普通に話が聞けていた。しかし、ここから「おっちゃん」独特の論理展開に発展することになる。
「でも、若かったから、助かった!爪伸ばしていたから、助かった!」
私を含めて周囲にいた人間は誰も「おっちゃん」の言ってることが理解できなかった。3回ほど聞いているうちに、若い頃は爪を伸ばしていてそのおかげで岸辺に手を引っかけて助かった、というようなことである。
はあ、そんなことがあるのかなあ、と個人的にはいちおう受け止める。そして、この話を他の場所で披露してみることにした。
しかし話を聞いた方々は一様に、
「はあ?」
という顔をするではないか。「そんなことあるわけねーだろ」という感じである。爪が少し伸びていたくらいで人生の危機が助かるわけない、というのが大多数の見方である。
しかし実際のところは、本当におぼれてみないとよくわからないかもしれない。とりあえず「おっちゃん」は会うたびに何かを私に与えてくれるからありがたい存在である。
「努力」だけでは続けられない
2016年6月4日 日常いま働いている派遣先には、自分のいる部署以外にも派遣社員がいる。そのうちの一人が契約期間を待たずに辞めた、という話を聞いた。表向きの理由は「体調不良」とのことだが、実際は仕事がきつかったからだろう、というのが同じ部署にいる社員の見方だ。
「あの部署はいつも8時くらいまで残らないといけないし、周囲の人も冷たくてね・・・。何かあったら責任押し付けられるし。あと、仕事の内容は正社員と一緒だし・・・」
と、まあ辞めても仕方ないな、という理由をズラズラと並べてくれた。
そして、
「渡部くんも、そっちの部署だったら辞めていたと思うよ」
と最後に言われた。
確かにその指摘は間違っていない。私のいる部署はだいたい定時(5時半)に帰られるし、めったに怒られないし、むやみに仕事を振られることもない。働く環境は他部署とはまったく逆なのだ。そして「これでギャラは同じ」である。
そのおかげで、他部署の派遣社員の入れ替わりは激しいが、私といえば一番長くいる派遣社員になってしまったようだ。
3年以上とどまってる私と、契約期間を待たずに自ら辞めた人とでは、いったい何がどう違っていたのだろう。むろん「自分が優秀だから」などと結論が導き出せるわけがない。さきのように二人の取り巻く環境はありとあらゆる面で異っていたからに決まっている。
「向こうが無能で努力足りないからじゃねえの?」としたり顔で言う人間もいるに違いない。むろん世界は「環境」と「自分」との相互作用で成り立っているのだから、「能力」や「努力」といった本人の問題は必ずある。だが、さきに挙げた通り、職場環境というのは派遣社員の立場でどうにもできる部分は基本的にはない。そして問題の「能力」だが、人間の知能や性格に関する部分は思春期を過ぎて成人になったら安定するようにできていて、それ以後は変わる余地がない。そう考えると「努力」でどうにかなる部分というのはどれほど残っているのだろう。努力と根性を強調する人はいつの世にもいるが、冷静に見てみるとそれは怪しい気がする。
別に私は本人の努力は否定してないし、自分でも日々「それなりに」努力はしているつもりだ。ただ、それで全てが解決するとも思ってないし、できなかったら「全部自分が悪い」と決めつけることもない。なぜならば「努力」などというのは成功要因のほんの一部に過ぎないのだから。
こういう話は絶対に納得しない能力主義者はいつの世にも必ずいるが、そういう人に対しては、
「あなたはもともと有能なんですよ。ワシは、こ・れ・し・か・で・き・ん・か・ら!」
と答えるしかない。
結論をまとめると、自分のできる範囲(これしかできん)を冷静に把握していて、職場環境の全体像をつかめば、自分がやっていけるかどうかの見当はだいたいつくはずなのだ。
さきの派遣社員が次にマシな環境で働ける保証なんてどこにもない。私自身も最初の派遣先は逃げるように辞めていった過去がある(今の場所が3度目)。しかし、もう「これしかできん」の限界を超えたらさっさとそこから退出するのが賢明ではないか。
果たして、先日辞めていった人はすぐに次のところが見つかるのだろうか。まあ、この日記を書き上げた翌日は忘れている話には違いないが。
「あの部署はいつも8時くらいまで残らないといけないし、周囲の人も冷たくてね・・・。何かあったら責任押し付けられるし。あと、仕事の内容は正社員と一緒だし・・・」
と、まあ辞めても仕方ないな、という理由をズラズラと並べてくれた。
そして、
「渡部くんも、そっちの部署だったら辞めていたと思うよ」
と最後に言われた。
確かにその指摘は間違っていない。私のいる部署はだいたい定時(5時半)に帰られるし、めったに怒られないし、むやみに仕事を振られることもない。働く環境は他部署とはまったく逆なのだ。そして「これでギャラは同じ」である。
そのおかげで、他部署の派遣社員の入れ替わりは激しいが、私といえば一番長くいる派遣社員になってしまったようだ。
3年以上とどまってる私と、契約期間を待たずに自ら辞めた人とでは、いったい何がどう違っていたのだろう。むろん「自分が優秀だから」などと結論が導き出せるわけがない。さきのように二人の取り巻く環境はありとあらゆる面で異っていたからに決まっている。
「向こうが無能で努力足りないからじゃねえの?」としたり顔で言う人間もいるに違いない。むろん世界は「環境」と「自分」との相互作用で成り立っているのだから、「能力」や「努力」といった本人の問題は必ずある。だが、さきに挙げた通り、職場環境というのは派遣社員の立場でどうにもできる部分は基本的にはない。そして問題の「能力」だが、人間の知能や性格に関する部分は思春期を過ぎて成人になったら安定するようにできていて、それ以後は変わる余地がない。そう考えると「努力」でどうにかなる部分というのはどれほど残っているのだろう。努力と根性を強調する人はいつの世にもいるが、冷静に見てみるとそれは怪しい気がする。
別に私は本人の努力は否定してないし、自分でも日々「それなりに」努力はしているつもりだ。ただ、それで全てが解決するとも思ってないし、できなかったら「全部自分が悪い」と決めつけることもない。なぜならば「努力」などというのは成功要因のほんの一部に過ぎないのだから。
こういう話は絶対に納得しない能力主義者はいつの世にも必ずいるが、そういう人に対しては、
「あなたはもともと有能なんですよ。ワシは、こ・れ・し・か・で・き・ん・か・ら!」
と答えるしかない。
結論をまとめると、自分のできる範囲(これしかできん)を冷静に把握していて、職場環境の全体像をつかめば、自分がやっていけるかどうかの見当はだいたいつくはずなのだ。
さきの派遣社員が次にマシな環境で働ける保証なんてどこにもない。私自身も最初の派遣先は逃げるように辞めていった過去がある(今の場所が3度目)。しかし、もう「これしかできん」の限界を超えたらさっさとそこから退出するのが賢明ではないか。
果たして、先日辞めていった人はすぐに次のところが見つかるのだろうか。まあ、この日記を書き上げた翌日は忘れている話には違いないが。
もう一人の派遣社員について
2016年4月21日 日常前のボスが職場を去ることによる人員減の補充のため、私と同じ派遣会社から一人新たにやってきたのは3月20日を過ぎた頃だったと記憶している。
私の場合、前ボスの「事前に面接しても実際働いてみなければわからないから・・・」という方針により「社内見学」(と称した面接。労働者派遣法により登録型派遣は面接を禁じている)をせずにそのまま働く運びとなった。派遣会社の担当の方から、社内見学はありません、と言われたので今の場所に決めたのだが、もしもそれがあったら私は現在どうなっていたのか怪しいところである。
しかし来月から職場のボスになるTさんが、事前に確認をしたい、という意向もあって今回は面接をする運びとなった。面接の前日くらいに、45歳の男性だから、と前ボスから教えてもらった。
「45歳・・・あんまり若くないな」
などと、まもなく40歳になる立場の私も率直に思った。
そして職場見学の日は、面接した後でその男性も私のいる部署を訪れた。45歳という年齢相応の感じで、それなりに老けていてあまり生気のない風貌だなあ、と一目見て直感した。面接なのでスーツを着ていたが、その姿もなんだか似つかわく見えなかった。
それが彼に対する第一印象である。まあ私は同じ派遣社員の立場であり採用について何の影響もなかったけれど、彼が3日後に働き始めると聞いた時には、
「え?採用するんですか・・・」
と少し意外な気がした。
確かに仕事内容は時給労働の派遣社員がする程度の割と単純な内容ではある。しかし、個人的には「やめた方がいいのでは・・・」と彼を見た時に強く感じたのである。ただ、不採用にして次の人を紹介して、ということを繰り返して採用をズルズル先に伸びてしまうのも都合は悪い。ましてや10日も経たずに現在のボスは職場を去るわけだし。そのような状況を考えれば、とりあえず採用してみよう、という判断は妥当ではある。しかし、そんな方針ならば最初から面接なんて必要もなかったんだけどね。
そして、私の感じた不安は、また残念ながら当たってしまった。
私と彼はちょっと仕事の内容が異なって、ほとんど一緒にいることはない。ただ最後の1時間くらいは同じ作業をすることもあった。その時に横で彼の動きをチラチラ見ていたわけだが、
「なんか、あんまり作業ははかどっていないなあ・・・」
という感じしていた。
彼のなんだか生き生きしない風貌に比例するように、作業する動きもかなり鈍かったのである。物覚えも良くなく、Tさんが教えたこともすぐ忘れて彼をイライラさせるような場面も何度か近くで見ていた。
しかし、仕事が遅い、というだけが問題ならば「入ったばかりだし仕方ない」と納得できる面もある。が、話はこれだけでは終わらなかった。
その派遣社員が帰った後(始業時間は私より30分早い)で、
「あれは強烈だわ・・・鼻がもげそうや・・・」
というTさんの愚痴が聞こえてくるのである。
「ああ、あのことかな」とすぐに思い当たる節があった。
その派遣社員が近くにいると、なんともいえない「臭い」が漂ってくるのは私も気づいてはいた。つまり、彼の体から何やら体臭のようなものが発生しているのである。それでも私の場合、彼と接する時間は極めて短いのでそれほど気にならなかった(体臭に鈍感という面もあるが)。しかしTさんは彼を隣の席に乗せて京都市内で配送業務をしているので、そうした影響が露骨に出てくるのだ。
ただでさえ仕事ぶりが冴えないうえ、なんだか訳のわからない異臭を発する派遣社員に対してTさんは我慢の限界が超えたため、
「お前、臭い!」
とついに本人に面と向かって言ってしまった。
しかし当の派遣社員といえば、
「え・・・臭いですか?」
と怪訝そうな顔をしたというのである。よく聞く話だが、自分の体臭というのは自分では気づかないようであり、彼もその例外ではなかった。
「臭い!職場の女の子が気づく前になんとかしろ!ファブリーズしろ!」
と、なかなか言いづらい指示を出したようだ。
しかし、どうも彼の体臭の原因というのはよくわからないところがある。「(臭いの元は)服か?それとも体なのか?」とTさんが訊いたら「体です」と答えたので、体臭なのは間違いないようだ。しかし、どこから臭ってくるのかが判然としない。
実は、彼には体臭の原因らしきものが一つある。それは彼の過去の職歴なのだ。又聞きなので詳しいことはわからないが、ゴミ収集車の後ろを走って道路に置かれているゴミを投げ入れる作業をしていたらしい。
「そういう環境にいたら、体臭もついて取れないからなあ・・・」
とTさんは頭を抱えながら私にもこう漏らしていた。
それからしばらく経ったが、体臭について改善の方向には言ってなかったようだ。
「臭い・・・もうダメだ・・・・死ぬ・・・」
とTさんのボヤキは毎日ように聞くことになる。
こんな状況が続けば職場の環境も悪化する一方だ。何か私も考えなければなるない。
そういえば、私もずっと足の臭いで苦しんでいたが、先日買った「竹酢液(ちくさくえき)」という液体を吹きかけていたらかなりの改善が見られた。そこでそれを教えてみようと思った。
「竹酢液って知ってますか?体臭に効果はありますよ」
と言うと、
「あー・・・いや、アレはそんなものでは治らんよ」
と渋い顔をして、
「(自分の頭をツンツン指さしながら)それ以前に、基本的な仕事ができないしさあ・・・」
と、もう雇用を継続したくないような素振りを見せていた。もう彼も長くはないなあと直感した。
しかし、当の派遣社員といえば、相変わらずマイペースを貫いており、それ以後も独特な臭いを振りまきながら作業をこなしている。
私も端で彼を見るのは嫌だったのだが、廊下ですれ違った時にこう尋ねられた。
「渡部さん・・・有給ってどうしてますか?」
ああ、有給ね。派遣社員も半年続けて働けば発生するけど、ここの派遣先は平日になかなか休めないから20日以上も私は残してるがね。
でもさあ・・・あなた、半年先も雇ってもらえると自分で思っているのかい?
4月に入ってから疲れる日が続いているが、この質問はよりいっそう私の中の疲労をひどいものにさせていた。
私の場合、前ボスの「事前に面接しても実際働いてみなければわからないから・・・」という方針により「社内見学」(と称した面接。労働者派遣法により登録型派遣は面接を禁じている)をせずにそのまま働く運びとなった。派遣会社の担当の方から、社内見学はありません、と言われたので今の場所に決めたのだが、もしもそれがあったら私は現在どうなっていたのか怪しいところである。
しかし来月から職場のボスになるTさんが、事前に確認をしたい、という意向もあって今回は面接をする運びとなった。面接の前日くらいに、45歳の男性だから、と前ボスから教えてもらった。
「45歳・・・あんまり若くないな」
などと、まもなく40歳になる立場の私も率直に思った。
そして職場見学の日は、面接した後でその男性も私のいる部署を訪れた。45歳という年齢相応の感じで、それなりに老けていてあまり生気のない風貌だなあ、と一目見て直感した。面接なのでスーツを着ていたが、その姿もなんだか似つかわく見えなかった。
それが彼に対する第一印象である。まあ私は同じ派遣社員の立場であり採用について何の影響もなかったけれど、彼が3日後に働き始めると聞いた時には、
「え?採用するんですか・・・」
と少し意外な気がした。
確かに仕事内容は時給労働の派遣社員がする程度の割と単純な内容ではある。しかし、個人的には「やめた方がいいのでは・・・」と彼を見た時に強く感じたのである。ただ、不採用にして次の人を紹介して、ということを繰り返して採用をズルズル先に伸びてしまうのも都合は悪い。ましてや10日も経たずに現在のボスは職場を去るわけだし。そのような状況を考えれば、とりあえず採用してみよう、という判断は妥当ではある。しかし、そんな方針ならば最初から面接なんて必要もなかったんだけどね。
そして、私の感じた不安は、また残念ながら当たってしまった。
私と彼はちょっと仕事の内容が異なって、ほとんど一緒にいることはない。ただ最後の1時間くらいは同じ作業をすることもあった。その時に横で彼の動きをチラチラ見ていたわけだが、
「なんか、あんまり作業ははかどっていないなあ・・・」
という感じしていた。
彼のなんだか生き生きしない風貌に比例するように、作業する動きもかなり鈍かったのである。物覚えも良くなく、Tさんが教えたこともすぐ忘れて彼をイライラさせるような場面も何度か近くで見ていた。
しかし、仕事が遅い、というだけが問題ならば「入ったばかりだし仕方ない」と納得できる面もある。が、話はこれだけでは終わらなかった。
その派遣社員が帰った後(始業時間は私より30分早い)で、
「あれは強烈だわ・・・鼻がもげそうや・・・」
というTさんの愚痴が聞こえてくるのである。
「ああ、あのことかな」とすぐに思い当たる節があった。
その派遣社員が近くにいると、なんともいえない「臭い」が漂ってくるのは私も気づいてはいた。つまり、彼の体から何やら体臭のようなものが発生しているのである。それでも私の場合、彼と接する時間は極めて短いのでそれほど気にならなかった(体臭に鈍感という面もあるが)。しかしTさんは彼を隣の席に乗せて京都市内で配送業務をしているので、そうした影響が露骨に出てくるのだ。
ただでさえ仕事ぶりが冴えないうえ、なんだか訳のわからない異臭を発する派遣社員に対してTさんは我慢の限界が超えたため、
「お前、臭い!」
とついに本人に面と向かって言ってしまった。
しかし当の派遣社員といえば、
「え・・・臭いですか?」
と怪訝そうな顔をしたというのである。よく聞く話だが、自分の体臭というのは自分では気づかないようであり、彼もその例外ではなかった。
「臭い!職場の女の子が気づく前になんとかしろ!ファブリーズしろ!」
と、なかなか言いづらい指示を出したようだ。
しかし、どうも彼の体臭の原因というのはよくわからないところがある。「(臭いの元は)服か?それとも体なのか?」とTさんが訊いたら「体です」と答えたので、体臭なのは間違いないようだ。しかし、どこから臭ってくるのかが判然としない。
実は、彼には体臭の原因らしきものが一つある。それは彼の過去の職歴なのだ。又聞きなので詳しいことはわからないが、ゴミ収集車の後ろを走って道路に置かれているゴミを投げ入れる作業をしていたらしい。
「そういう環境にいたら、体臭もついて取れないからなあ・・・」
とTさんは頭を抱えながら私にもこう漏らしていた。
それからしばらく経ったが、体臭について改善の方向には言ってなかったようだ。
「臭い・・・もうダメだ・・・・死ぬ・・・」
とTさんのボヤキは毎日ように聞くことになる。
こんな状況が続けば職場の環境も悪化する一方だ。何か私も考えなければなるない。
そういえば、私もずっと足の臭いで苦しんでいたが、先日買った「竹酢液(ちくさくえき)」という液体を吹きかけていたらかなりの改善が見られた。そこでそれを教えてみようと思った。
「竹酢液って知ってますか?体臭に効果はありますよ」
と言うと、
「あー・・・いや、アレはそんなものでは治らんよ」
と渋い顔をして、
「(自分の頭をツンツン指さしながら)それ以前に、基本的な仕事ができないしさあ・・・」
と、もう雇用を継続したくないような素振りを見せていた。もう彼も長くはないなあと直感した。
しかし、当の派遣社員といえば、相変わらずマイペースを貫いており、それ以後も独特な臭いを振りまきながら作業をこなしている。
私も端で彼を見るのは嫌だったのだが、廊下ですれ違った時にこう尋ねられた。
「渡部さん・・・有給ってどうしてますか?」
ああ、有給ね。派遣社員も半年続けて働けば発生するけど、ここの派遣先は平日になかなか休めないから20日以上も私は残してるがね。
でもさあ・・・あなた、半年先も雇ってもらえると自分で思っているのかい?
4月に入ってから疲れる日が続いているが、この質問はよりいっそう私の中の疲労をひどいものにさせていた。
残された者は感傷などしている暇はない(2016年4月1日の日記)
2016年4月15日 日常(この日記は1ヶ月までしか遡って書けないので、4月1日の話ですがここに載せます)
4月に入り、今日から新しい年度が始まった。昨日と変わらず同じ派遣先に来ただけなのに、なんだかいつもと気分が違う。
私が働いている部署のボスが、昨日をもって定年退職してしまったからだ。人が1人減っただけの話であるが、それだけで職場の雰囲気もガラっと変わった。
昨日と異なるのは、周囲が思い切り静かになったことである。前のボスはやたらと一人で声を出していた人であった。他の人は基本的にそれほど無駄な喋りはしない。しかし前ボスが消えた瞬間にシーンという具合である。
他の部署から用事があってここを訪れた人は、
「なんか・・・静かになったな」
「雰囲気が変わったなあ」
と口々に漏らしていたから、それが良かったか悪かったかは別として、前ボスの存在感がそれほどあったということである。
当の私も不思議な寂しさのようなものを感じながらいつもの作業をしていた。そういえば今から2年前に、「笑っていいとも」の最終回の翌日のような寂寥感があった。当時は「タモロス」という言葉が流布していたけれど、私も「前ボスロス」というような症状になっているのか。サラリーマン時代は、周囲はどうでもいい人間ばかりだったので、異動しようが定年だろうが何にも感じなかったのに。
しかし、そんな感傷的な状態もそう長くは続かなかった。
毎週月曜日の12時45分は部署内で会議が行われていた。派遣社員の私はいつも出ていなかったけれど、今回は職場の長が変わり(前ボスの下にいた人が格上げとなった)新体制となったこともあり、自分も出るように言われて出席する。
「Kさん(前ボス)が退職となりました。これからは色々変えられるものは変えていきたいので、今までのことにこだわる必要はありません・・・」
などと所信表明があった。
そして、
「職場も手薄になりますので、渡部君にはこれから他の業務なども・・・残業はやむをえないので・・・」
はあ、なんか私の名前が聞こえてきたようですけど、意味がわからないというか、わかりたくないんですけど・・・。
しかし周囲を見渡せば、昨年の夏に倒れて入院した現ボスを筆頭に、ガンにかかった人とか介護の親を抱えている人、または自分も定期的に通院してる人など、健康面で問題のある人しかいないのである。まあ無難に動き回れるのは確かに私だけかもしれない。しかし、当の自分は派遣社員という身分なのだが・・・果たしてそんな職場で大丈夫なのか?
そして会議が終わって午後の作業へと移る。ここから状況が一変していく。
作業がこれまでのようには回らないのだ。
通常、月初の作業量はそれほど多くはない。今日も、少なくはないが特別に多くもない、そんなところだった。しかし前ボスが一人抜けた分、明らかに作業能率が落ちているのである。
おそらく前ボスがいたら今日も定時で帰れていたと思う。だが今日は結果として1時間を超えて残業をしてしまった。奇行が目立つ前ボスがいなくなったら職場が良くなる、という声がちらほらあったが、作業面で言えば私は必ずしもそう思えなかった。そして、残念ながら自分の予測の方が正しかったといえる。
問題はこれだけでは終わらなかった。作業に区切りがついて、さあ帰れるぞと思っていたら、なんだか職場の奥が騒がしい。
社員の人が神妙な顔して、
「とんでもないことが判明した・・・・。Kさん、(現ボスの)Tさんに何の引き継ぎもしなかったみたいだわ・・・。あの二人、仲が悪かったし・・・」
確かに、今回の定年退職はかなり前から既定路線だったけれど、両者が何か話し合うような姿はほどんど見ていない。
そんなこんなでゴタゴタでバタバタした2016年4月1日であった。いつの間にやら、私から感傷らしきものは消え去り、
「これからどうやって生き延びていこう」
という重い課題だけが残った。
4月に入り、今日から新しい年度が始まった。昨日と変わらず同じ派遣先に来ただけなのに、なんだかいつもと気分が違う。
私が働いている部署のボスが、昨日をもって定年退職してしまったからだ。人が1人減っただけの話であるが、それだけで職場の雰囲気もガラっと変わった。
昨日と異なるのは、周囲が思い切り静かになったことである。前のボスはやたらと一人で声を出していた人であった。他の人は基本的にそれほど無駄な喋りはしない。しかし前ボスが消えた瞬間にシーンという具合である。
他の部署から用事があってここを訪れた人は、
「なんか・・・静かになったな」
「雰囲気が変わったなあ」
と口々に漏らしていたから、それが良かったか悪かったかは別として、前ボスの存在感がそれほどあったということである。
当の私も不思議な寂しさのようなものを感じながらいつもの作業をしていた。そういえば今から2年前に、「笑っていいとも」の最終回の翌日のような寂寥感があった。当時は「タモロス」という言葉が流布していたけれど、私も「前ボスロス」というような症状になっているのか。サラリーマン時代は、周囲はどうでもいい人間ばかりだったので、異動しようが定年だろうが何にも感じなかったのに。
しかし、そんな感傷的な状態もそう長くは続かなかった。
毎週月曜日の12時45分は部署内で会議が行われていた。派遣社員の私はいつも出ていなかったけれど、今回は職場の長が変わり(前ボスの下にいた人が格上げとなった)新体制となったこともあり、自分も出るように言われて出席する。
「Kさん(前ボス)が退職となりました。これからは色々変えられるものは変えていきたいので、今までのことにこだわる必要はありません・・・」
などと所信表明があった。
そして、
「職場も手薄になりますので、渡部君にはこれから他の業務なども・・・残業はやむをえないので・・・」
はあ、なんか私の名前が聞こえてきたようですけど、意味がわからないというか、わかりたくないんですけど・・・。
しかし周囲を見渡せば、昨年の夏に倒れて入院した現ボスを筆頭に、ガンにかかった人とか介護の親を抱えている人、または自分も定期的に通院してる人など、健康面で問題のある人しかいないのである。まあ無難に動き回れるのは確かに私だけかもしれない。しかし、当の自分は派遣社員という身分なのだが・・・果たしてそんな職場で大丈夫なのか?
そして会議が終わって午後の作業へと移る。ここから状況が一変していく。
作業がこれまでのようには回らないのだ。
通常、月初の作業量はそれほど多くはない。今日も、少なくはないが特別に多くもない、そんなところだった。しかし前ボスが一人抜けた分、明らかに作業能率が落ちているのである。
おそらく前ボスがいたら今日も定時で帰れていたと思う。だが今日は結果として1時間を超えて残業をしてしまった。奇行が目立つ前ボスがいなくなったら職場が良くなる、という声がちらほらあったが、作業面で言えば私は必ずしもそう思えなかった。そして、残念ながら自分の予測の方が正しかったといえる。
問題はこれだけでは終わらなかった。作業に区切りがついて、さあ帰れるぞと思っていたら、なんだか職場の奥が騒がしい。
社員の人が神妙な顔して、
「とんでもないことが判明した・・・・。Kさん、(現ボスの)Tさんに何の引き継ぎもしなかったみたいだわ・・・。あの二人、仲が悪かったし・・・」
確かに、今回の定年退職はかなり前から既定路線だったけれど、両者が何か話し合うような姿はほどんど見ていない。
そんなこんなでゴタゴタでバタバタした2016年4月1日であった。いつの間にやら、私から感傷らしきものは消え去り、
「これからどうやって生き延びていこう」
という重い課題だけが残った。
3月といえば年度の終わりであり、会社や団体にも人事異動など人の移り変わりが激しい季節だ。私が今いる派遣先でも、個人的には大きな出来事があった。
職場のボスがこのたび定年となり、定年延長を選ばなずそのまま退職するのである。
ボスについてはかつて日記で触れたことがあるが、彼に対する思いはなかなか複雑なものがある。意味不明な状況にブチ切れ周囲の人を怒鳴り散らす姿は、横で見ていて本当にヤバかった。
職場のボスは「電波」の人(2015年05月31日)
http://30771.diarynote.jp/201505310130145606/
ただ、去年の夏頃に起きたある出来事からピタッとそのような行動は収まった。おかげでこの9か月くらいは比較的平穏に働くことができた。
かつてのボスの仕事ぶりについても、あまり良い噂を聞いたことがない。入社しても間もない時は営業をしていたそうだが、商談をしている最中に「私は5時で帰らなければならないので・・・」と言って打ち切ってしまったこともあるらしい。そんな人が行き着いたのが、商品の入出荷を受け持つ職場だった。勤続38年のうち大半をそこに従事したという。
とにかく奇行で知られる人で、社内にも仲の良い人もいない様子だった。また、これはかつて日記も書いたが、部署内ではボスがいなくなることについては歓迎ムード一色である。
ただ、私が派遣社員という部外者だからかもしれないが「そんな単純に喜べないのでは?」という思いも強い。少なくともボスはそれなりに部署の仕事を一身に背負い働いている部分が確かにあったからだ。かつていた職場で上司が消えたり変わったりしても何の感慨もわかなかった。なぜならば、彼らは息をしているだけで「仕事」といえるようなことなど一切してこなかったからだ。そんな連中がいようがいまいがどうでも良いに決まっている。
商品の発送というものは職場の手違い以外でも遅れることはよくある。それで営業社員から怒りの電話がくるわけだが、別に自分の責任でもないことに対しても、
「すいません。すいません。えらい、すいません・・・」
とひたすら謝るばかりで絶対に反論しないのだ。これが例えばかつての上司だったら、
「俺がやったんじゃない。俺が決めたんじゃない。運送屋がやりよったんや!」
と開きなおるところだろう。
また、ボスの帰りはいつも遅かった。平日は必ず最低8時ごろまでは残っていたという。そんな生活を長年続けていたと考えると、なんだか気の毒に思えてくるし、一個人にそんな業務をずっと押し付けてきた組織の冷酷さも感じてしまうのである。
彼は彼で、もうこれ以上こんな遅くまで仕事するのは辛いから、というのが定年延長を蹴った大きな理由だと語っていた。それでも65歳までは働く意志はあるそうで、しばらく休んでから勉強などをして仕事を探したいという。まあ見つかればいいけど、果たしてどうなることやら・・・。
最後の勤務となる今日も、ボスは朝から普通に働いていた。年度末はいつも忙しい職場であるが、この日も変わらず荷物もあり部署の人間は日暮れまで休まず働いていた。その合間の5時半ごろに他の部署の方が、そして午後7時にはまた別の部署の人たちが総出で集まってボスに記念品を贈ってその労をねぎらう光景が見られた。
ある女性は涙を見せながら「やーん、Kさん(ボスのこと)辞めんといてー」と言っていたのは、ボスのヤバい側面を彼女は知らないからなのだろうなと複雑な気持ちになった。ちなみに、ボスの送別会のようなものは部署内では一切おこなわれなかった。本人が固辞している発言もあったらしいが、最初からそんな話も出てこなかったのは部下から彼がどう思われていたかを如実に示している。
片付けなどもあって、この日は私もしばらく片付けなどのため7時半ごろに終業となる。それでは僕も失礼しますとボスに言ったら、酒はともかくとしてラーメンとか塩分の多いものは減らした方がいい、というようセリフが返ってきた。最後の最後がそれですか・・・それはともかく、2年半ほどの付き合いでしたが、お世話になりました。
職場のボスがこのたび定年となり、定年延長を選ばなずそのまま退職するのである。
ボスについてはかつて日記で触れたことがあるが、彼に対する思いはなかなか複雑なものがある。意味不明な状況にブチ切れ周囲の人を怒鳴り散らす姿は、横で見ていて本当にヤバかった。
職場のボスは「電波」の人(2015年05月31日)
http://30771.diarynote.jp/201505310130145606/
ただ、去年の夏頃に起きたある出来事からピタッとそのような行動は収まった。おかげでこの9か月くらいは比較的平穏に働くことができた。
かつてのボスの仕事ぶりについても、あまり良い噂を聞いたことがない。入社しても間もない時は営業をしていたそうだが、商談をしている最中に「私は5時で帰らなければならないので・・・」と言って打ち切ってしまったこともあるらしい。そんな人が行き着いたのが、商品の入出荷を受け持つ職場だった。勤続38年のうち大半をそこに従事したという。
とにかく奇行で知られる人で、社内にも仲の良い人もいない様子だった。また、これはかつて日記も書いたが、部署内ではボスがいなくなることについては歓迎ムード一色である。
ただ、私が派遣社員という部外者だからかもしれないが「そんな単純に喜べないのでは?」という思いも強い。少なくともボスはそれなりに部署の仕事を一身に背負い働いている部分が確かにあったからだ。かつていた職場で上司が消えたり変わったりしても何の感慨もわかなかった。なぜならば、彼らは息をしているだけで「仕事」といえるようなことなど一切してこなかったからだ。そんな連中がいようがいまいがどうでも良いに決まっている。
商品の発送というものは職場の手違い以外でも遅れることはよくある。それで営業社員から怒りの電話がくるわけだが、別に自分の責任でもないことに対しても、
「すいません。すいません。えらい、すいません・・・」
とひたすら謝るばかりで絶対に反論しないのだ。これが例えばかつての上司だったら、
「俺がやったんじゃない。俺が決めたんじゃない。運送屋がやりよったんや!」
と開きなおるところだろう。
また、ボスの帰りはいつも遅かった。平日は必ず最低8時ごろまでは残っていたという。そんな生活を長年続けていたと考えると、なんだか気の毒に思えてくるし、一個人にそんな業務をずっと押し付けてきた組織の冷酷さも感じてしまうのである。
彼は彼で、もうこれ以上こんな遅くまで仕事するのは辛いから、というのが定年延長を蹴った大きな理由だと語っていた。それでも65歳までは働く意志はあるそうで、しばらく休んでから勉強などをして仕事を探したいという。まあ見つかればいいけど、果たしてどうなることやら・・・。
最後の勤務となる今日も、ボスは朝から普通に働いていた。年度末はいつも忙しい職場であるが、この日も変わらず荷物もあり部署の人間は日暮れまで休まず働いていた。その合間の5時半ごろに他の部署の方が、そして午後7時にはまた別の部署の人たちが総出で集まってボスに記念品を贈ってその労をねぎらう光景が見られた。
ある女性は涙を見せながら「やーん、Kさん(ボスのこと)辞めんといてー」と言っていたのは、ボスのヤバい側面を彼女は知らないからなのだろうなと複雑な気持ちになった。ちなみに、ボスの送別会のようなものは部署内では一切おこなわれなかった。本人が固辞している発言もあったらしいが、最初からそんな話も出てこなかったのは部下から彼がどう思われていたかを如実に示している。
片付けなどもあって、この日は私もしばらく片付けなどのため7時半ごろに終業となる。それでは僕も失礼しますとボスに言ったら、酒はともかくとしてラーメンとか塩分の多いものは減らした方がいい、というようセリフが返ってきた。最後の最後がそれですか・・・それはともかく、2年半ほどの付き合いでしたが、お世話になりました。
飲酒運転に保険・・・自転車を取り巻く最近の事情について
2015年9月1日 日常先日あるところで、自転車の保険に加入したほうがいいよ、と言われた。それに合わせて、最近の自転車運転に関するなかなか興味深い話を聞いたので紹介したい。
一つは、自転車を運転している人に対して警察がアルコール検査を始めているということである。あの吐く息のアルコール濃度を調べるあれだ(私は免許がないのでしたことがない)。京都市内でも中京区から伏見区あたりまでの行政区で検査が実施されたことが確認されている(上京区と北区については確認できなかったとのこと)。
自転車の罰則が厳しくなった6月を機会にイヤホンをして自転車運転をするのを止めたけれど、飲酒運転についてはアレだったのでアレだった。なんだか歯切れの悪い書き方をしているけれど、自転車の飲酒運転に対して警察の目が厳しくなっていることは確かであるj。
そして、冒頭でも触れた自転車保険についての話だ。現在、自転車に対して保険をかけている人は1割ほどらしい。自動車やバイクと違い、自転車は強制的に加入するわけでもないので今はその程度の普及率である。しかし最近は、保険に加入しなければ自転車による通勤・通学を認めない企業や学校も出てきているらしい。
そのあたりは自転車事故が増えているという事情もあるだろうが、それだけだったら「へえ」という反応で終わったと思う。しかし、最近はいわゆる「当たり屋」のような人間も出てきて加害者に多額の賠償金を請求する事例もある、などと言われて少なからず怖くなった。
自転車事故を起こしたけれど保険に加入していなかった場合、加害者と被害者の間に入るとすれば、それは弁護士ということになる。しかし自転車の場合において勝てる見込みは薄い。そうなれば弁護士がする手段は「賠償金をまけてください」という交渉だそうだ。
結果として、
「2600万円の賠償を求められていましたが、それを2200万円にしましたよ!」
とドヤ顔で言われるようなことになる。
だが、間に入るのが保険会社の場合は業務上「当たり屋のリスト」を持っている場合もあって、そういう相手に対しては「今回は20万円出してやるが、今度やったら出るところは出るぞ」というような対処もしてくれるらしい。これはかなり大きな差である。
肝心の保険であるが、セブンイレブンの店内にある端末からでも加入することができるという。調べてみたら、年間保険料は4,160円だった。
セブン-イレブンで入る自転車向け保険【三井住友海上】
http://jitensya.ehokenstore.com/
自転車を見る世間に目は厳しくなっているし、実際みてみると朝などは本当にひどい運転をしている人も見かける。雨降り以外はまず自転車に乗る人間としては真剣に保険を考えなければならない時期にきているのかと感じた次第である。
一つは、自転車を運転している人に対して警察がアルコール検査を始めているということである。あの吐く息のアルコール濃度を調べるあれだ(私は免許がないのでしたことがない)。京都市内でも中京区から伏見区あたりまでの行政区で検査が実施されたことが確認されている(上京区と北区については確認できなかったとのこと)。
自転車の罰則が厳しくなった6月を機会にイヤホンをして自転車運転をするのを止めたけれど、飲酒運転についてはアレだったのでアレだった。なんだか歯切れの悪い書き方をしているけれど、自転車の飲酒運転に対して警察の目が厳しくなっていることは確かであるj。
そして、冒頭でも触れた自転車保険についての話だ。現在、自転車に対して保険をかけている人は1割ほどらしい。自動車やバイクと違い、自転車は強制的に加入するわけでもないので今はその程度の普及率である。しかし最近は、保険に加入しなければ自転車による通勤・通学を認めない企業や学校も出てきているらしい。
そのあたりは自転車事故が増えているという事情もあるだろうが、それだけだったら「へえ」という反応で終わったと思う。しかし、最近はいわゆる「当たり屋」のような人間も出てきて加害者に多額の賠償金を請求する事例もある、などと言われて少なからず怖くなった。
自転車事故を起こしたけれど保険に加入していなかった場合、加害者と被害者の間に入るとすれば、それは弁護士ということになる。しかし自転車の場合において勝てる見込みは薄い。そうなれば弁護士がする手段は「賠償金をまけてください」という交渉だそうだ。
結果として、
「2600万円の賠償を求められていましたが、それを2200万円にしましたよ!」
とドヤ顔で言われるようなことになる。
だが、間に入るのが保険会社の場合は業務上「当たり屋のリスト」を持っている場合もあって、そういう相手に対しては「今回は20万円出してやるが、今度やったら出るところは出るぞ」というような対処もしてくれるらしい。これはかなり大きな差である。
肝心の保険であるが、セブンイレブンの店内にある端末からでも加入することができるという。調べてみたら、年間保険料は4,160円だった。
セブン-イレブンで入る自転車向け保険【三井住友海上】
http://jitensya.ehokenstore.com/
自転車を見る世間に目は厳しくなっているし、実際みてみると朝などは本当にひどい運転をしている人も見かける。雨降り以外はまず自転車に乗る人間としては真剣に保険を考えなければならない時期にきているのかと感じた次第である。
カタカナ英語「だけ」を槍玉にあげても・・・
2015年7月7日 日常Facebookのタイムラインに下のような「web R25」の記事が掲載されていた。
「日本語で言え!不快カタカナ語1位」
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20150704-00043495-r25
仕事で意味がよくわからないカタカナのビジネス用語を振り回されて、聞いた人間が「なんとなくイラッとする」という、まあ断続的に取り上げられる話題である。
意味のわからない言葉を投げかけられて「ムカつくぜ!」と感じる気持ちは私も同じようなものである。しかし、「日本語でしゃべれや!」などという感情的な反応に対しては「はあ、そうですね。ギリシャは大変ですね」といった社交辞令しか言葉が出てこない。カタカナ英語に対してその程度の反応しかできない人は「お里が知れる」と感じてしまうからだ。言葉に対してそれほど関心が大きくもないし、日常表現に気をつけてもいないだろう。
少なくとも現在のパソコンやビジネス用語の中に聞き慣れないカタカナ英語が入り混じってくるのは、これはもう仕方がない流れだ。どちらの分野もだいたい英語圏からやってくる言葉であるし、それを適切な日本語を探して翻訳するということは技術的に、というよりも時間的に不可能だろう。
明治維新の頃は福沢諭吉や森鴎外、そして夏目漱石といった知識人たちがその頭脳を使って欧米の文化の翻訳を試みた。例えば「Speech」という英語に「演説」という漢語をあてはめるように。そのおかげで日本の近代化が一挙に進んだわけだが、それでも中国という「外国」から「漢字」という「外来語」を引っぱりだしてきたのだから「純粋な日本語」(おかしな表現だが、便宜的に使わせてもらった)に置き換えたわけではない。
私たちは日頃ほとんど意識していないが、現在の日本語というのは大きく分けて3つのものが含まれている。中国からきた「漢語」、それ以外の外国語からの「外来語」、そして漢語が入る前から存在した「やまとことば」である。それら三者がせめぎあっているのが日本語の現状である。
井上ひさしさんは、日本語は世界でも表記するのが最も難しい言語、というようなことを指摘されていたことがある。確かに漢字だけの表記にすれば真っ黒で読みづらくなり、ひらがなだけで書いても読みにくい。アルファベットばかりの文章、というのは説明不要だろう。その理由は3つの言葉をうまく分かち書きしなければならないからに違いない。
要するに、カタカナ英語(外来語)「だけ」を問題にしても、日本語表記の向上にたいして貢献はしないということだ。
個人的にカタカナ英語に対しては、外来語といってもカタカナにしてしまえばまあ日本語になったわけだし使いたい人間は使ったら?という立場である。
もしもそれに対して不満のあるという方については、
「そうですか。では、日本語に流れてくる外来語に対してあなたはどんな対応をとるんですか?」
と訊ねてみたい。おそらく、ろくに返答もできないはずである。少なくとも私は、カタカナ英語を使わずにパソコンやビジネスについて話すことは不可能という自覚はある。なるべくそんなものを使う状況にはなりたくはないが。
そんな瑣末なことにイライラしてる暇があったら、自分の日頃の表現に注意したほうがずっと生産的だ。
なんでもかんでも「ムカつくぜ!」とか「上から目線だ!」といった一言で表現を済ませてしまう方がよっぽど頭の中が深刻な状態になっていると思うのだが、いかがなものだろうか。
「日本語で言え!不快カタカナ語1位」
http://r25.yahoo.co.jp/fushigi/wxr_detail/?id=20150704-00043495-r25
仕事で意味がよくわからないカタカナのビジネス用語を振り回されて、聞いた人間が「なんとなくイラッとする」という、まあ断続的に取り上げられる話題である。
意味のわからない言葉を投げかけられて「ムカつくぜ!」と感じる気持ちは私も同じようなものである。しかし、「日本語でしゃべれや!」などという感情的な反応に対しては「はあ、そうですね。ギリシャは大変ですね」といった社交辞令しか言葉が出てこない。カタカナ英語に対してその程度の反応しかできない人は「お里が知れる」と感じてしまうからだ。言葉に対してそれほど関心が大きくもないし、日常表現に気をつけてもいないだろう。
少なくとも現在のパソコンやビジネス用語の中に聞き慣れないカタカナ英語が入り混じってくるのは、これはもう仕方がない流れだ。どちらの分野もだいたい英語圏からやってくる言葉であるし、それを適切な日本語を探して翻訳するということは技術的に、というよりも時間的に不可能だろう。
明治維新の頃は福沢諭吉や森鴎外、そして夏目漱石といった知識人たちがその頭脳を使って欧米の文化の翻訳を試みた。例えば「Speech」という英語に「演説」という漢語をあてはめるように。そのおかげで日本の近代化が一挙に進んだわけだが、それでも中国という「外国」から「漢字」という「外来語」を引っぱりだしてきたのだから「純粋な日本語」(おかしな表現だが、便宜的に使わせてもらった)に置き換えたわけではない。
私たちは日頃ほとんど意識していないが、現在の日本語というのは大きく分けて3つのものが含まれている。中国からきた「漢語」、それ以外の外国語からの「外来語」、そして漢語が入る前から存在した「やまとことば」である。それら三者がせめぎあっているのが日本語の現状である。
井上ひさしさんは、日本語は世界でも表記するのが最も難しい言語、というようなことを指摘されていたことがある。確かに漢字だけの表記にすれば真っ黒で読みづらくなり、ひらがなだけで書いても読みにくい。アルファベットばかりの文章、というのは説明不要だろう。その理由は3つの言葉をうまく分かち書きしなければならないからに違いない。
要するに、カタカナ英語(外来語)「だけ」を問題にしても、日本語表記の向上にたいして貢献はしないということだ。
個人的にカタカナ英語に対しては、外来語といってもカタカナにしてしまえばまあ日本語になったわけだし使いたい人間は使ったら?という立場である。
もしもそれに対して不満のあるという方については、
「そうですか。では、日本語に流れてくる外来語に対してあなたはどんな対応をとるんですか?」
と訊ねてみたい。おそらく、ろくに返答もできないはずである。少なくとも私は、カタカナ英語を使わずにパソコンやビジネスについて話すことは不可能という自覚はある。なるべくそんなものを使う状況にはなりたくはないが。
そんな瑣末なことにイライラしてる暇があったら、自分の日頃の表現に注意したほうがずっと生産的だ。
なんでもかんでも「ムカつくぜ!」とか「上から目線だ!」といった一言で表現を済ませてしまう方がよっぽど頭の中が深刻な状態になっていると思うのだが、いかがなものだろうか。
「悪魔」はボスに倒されたのか
2015年6月5日 日常今度の日曜日に休みをとるつもりでいたが、財政的な事情などがあり(それ以外に理由はないか)しばらく働き続けることに決めた。6月20日はライブのために必ず休むため、それまで26連勤をする予定である。
自分で決めたことなのだからどうこう言うつもりもないけれど、正直いえば何もしないで休める日は欲しかった。特に最近は日々の仕事をするのが面倒に感じていて、それゆえ仕事も用事もない日が一日でも欲しかったのだ。また、先日梅雨入りしたこともあって余計に気が滅入ってくる。ただ「休んでお前に何のメリットがある?金が入らなくなるし、休むと余計な出費をするに決まっているだろうが」と、もう一人の自分が話しかけてくるのだ。
そんなスッキリしない心境のまま派遣先に向かった今日だが、行ってみると心なしか職場がザワザワしている。それでもいつものように作業していると、かの「電波」のボスが寄ってきて、
「B君が倒れて、1ヶ月入院するからな」
と言ってきたのである。派遣先の社員で私の部署にいるBさんは、昨日の夜に帰宅してから倒れて救急車で病院に運ばれたという。悪かったのは心臓だったそうで、命に別状はないがしばらく療養する必要があるとのことだ。あまり詳しいことをボスは教えてくれなかったし、私は私でそれ以上訊ねることもなかった。所詮、こちらは社外の人間だし。
Bさんの主な役目は、会社から近いところにある取引先に車で商品を配送することである。その作業はいつも2人でおこなっており、Bさんの代わりに同じ部署で内勤専門のDさんが車に乗った。それゆえ、私のいる職場はマイナス1人の人員でこの1ヶ月ほどを切り抜けなければならない。
正直いってこの職場は私を含めてたいした作業量があるわけではないし、複雑な内容の仕事もないはずだ。しかしそれでも個々人はそれなりに役割があるわけで、1人の抜けた穴は他の人間が埋めなければならない。仕事そのものの負担よりも、いつもは他人がやっている慣れてない作業を引き受けるのは心理的に辛いものがあるだろう。
ところで今回倒れたBさんは、先日の日記で書いたが、電波ボスに「悪魔」と陰で呼ばれている方である。
職場のボスは「電波」の人(2015年5月31日)
http://30771.diarynote.jp/201505310130145606/
当のボスといえばBさんの不在について気にしているようには、端から見る限りあまり感じられない。
「僕も5年前に盲腸、3年前は脱腸で入院したからなあ。この部署もお祓いが必要かもしれんなあ・・・」
などと口走っているボスは、心無しかいつもよりスッキリした様子に見えたのは私だけだろうか。彼の論理(?)に沿って考えてみると、もしかしたらBさんはボスの呪いというか電波によって倒れてしまったのかもしれない。そしてボスは「悪魔」を職場から追放できた!と清々しい気持ちになっている可能性もある。
考えているうちに、頭もどうかしてくるような仮説を立ててしまった。こちらとしては仕事の負担が増えてくるし、この状態で忙しくなってきたらまたボスの「電波」が出てくるかもしれないという不安がわいてくる。
とりあえず、明後日は休むべきだったかなあ、などとまた後ろ向きな心境になってくる今日この頃である。
自分で決めたことなのだからどうこう言うつもりもないけれど、正直いえば何もしないで休める日は欲しかった。特に最近は日々の仕事をするのが面倒に感じていて、それゆえ仕事も用事もない日が一日でも欲しかったのだ。また、先日梅雨入りしたこともあって余計に気が滅入ってくる。ただ「休んでお前に何のメリットがある?金が入らなくなるし、休むと余計な出費をするに決まっているだろうが」と、もう一人の自分が話しかけてくるのだ。
そんなスッキリしない心境のまま派遣先に向かった今日だが、行ってみると心なしか職場がザワザワしている。それでもいつものように作業していると、かの「電波」のボスが寄ってきて、
「B君が倒れて、1ヶ月入院するからな」
と言ってきたのである。派遣先の社員で私の部署にいるBさんは、昨日の夜に帰宅してから倒れて救急車で病院に運ばれたという。悪かったのは心臓だったそうで、命に別状はないがしばらく療養する必要があるとのことだ。あまり詳しいことをボスは教えてくれなかったし、私は私でそれ以上訊ねることもなかった。所詮、こちらは社外の人間だし。
Bさんの主な役目は、会社から近いところにある取引先に車で商品を配送することである。その作業はいつも2人でおこなっており、Bさんの代わりに同じ部署で内勤専門のDさんが車に乗った。それゆえ、私のいる職場はマイナス1人の人員でこの1ヶ月ほどを切り抜けなければならない。
正直いってこの職場は私を含めてたいした作業量があるわけではないし、複雑な内容の仕事もないはずだ。しかしそれでも個々人はそれなりに役割があるわけで、1人の抜けた穴は他の人間が埋めなければならない。仕事そのものの負担よりも、いつもは他人がやっている慣れてない作業を引き受けるのは心理的に辛いものがあるだろう。
ところで今回倒れたBさんは、先日の日記で書いたが、電波ボスに「悪魔」と陰で呼ばれている方である。
職場のボスは「電波」の人(2015年5月31日)
http://30771.diarynote.jp/201505310130145606/
当のボスといえばBさんの不在について気にしているようには、端から見る限りあまり感じられない。
「僕も5年前に盲腸、3年前は脱腸で入院したからなあ。この部署もお祓いが必要かもしれんなあ・・・」
などと口走っているボスは、心無しかいつもよりスッキリした様子に見えたのは私だけだろうか。彼の論理(?)に沿って考えてみると、もしかしたらBさんはボスの呪いというか電波によって倒れてしまったのかもしれない。そしてボスは「悪魔」を職場から追放できた!と清々しい気持ちになっている可能性もある。
考えているうちに、頭もどうかしてくるような仮説を立ててしまった。こちらとしては仕事の負担が増えてくるし、この状態で忙しくなってきたらまたボスの「電波」が出てくるかもしれないという不安がわいてくる。
とりあえず、明後日は休むべきだったかなあ、などとまた後ろ向きな心境になってくる今日この頃である。
職場のボスは「電波」の人
2015年5月31日 日常あれはゴールデン・ウイークに突入する直前のことだった。いつも通り仕事を終えて帰ろうとする時に、同じ部署の社員のBさんとすれ違った時に、
「近いうちに皆でメシに行かない?君の歓迎会もしてないし・・・」
と声をかけられた。
「え?なんで今頃・・・」
というのが正直な感想だった。私がこの派遣先に来てから1年半以上も経過しているわけである。ただ、周囲の人と全く交流をとっていなかったものまた事実だ。自称「病気」の元・営業社員と一度飲んだことがあるだけだ(この時の話は貴重なもので、また別の機会に書きたい)。この件については快諾し、平日の晩はたいてい空いてるのでお願いします、と答えた。
それから連休が明けてからしばらく経った頃、
「今度の金曜日にするから」
と耳元でBさんにささやかれた。なぜ小声かといえば、職場のボスにバレないようにするためである。私にいる部署は私を含めて9人いるが、金曜日に集まったのは男性4人だ。その中にボスは、含まれていない。会場もボスと帰り道が全く逆にある居酒屋「魚民」の一室であった。
テーブルに腰掛けると、4人で一番年配であるAさんが開口一番、
「ここは歓送迎会というものが無いんです。派遣だろうが契約だろうが、他の部署はあるんですが、この部署にはありません。また、みんなここに来てから2年経ってませんし、顔合わせのようなもので・・・」
と言われて「ええ?」と思った。去年の夏に入ってきた「自称病人」のC氏および1年7ヶ月目の私はともかく、AさんもBさんもまだこの部署に来て2年過ぎていなかったのはこの時初めて知ったのである。
そこから、
C「あの人(ボスのこと)、僕の送別会は要らないから、って今日言ってきたんですよ!」
B「本当か?あいつ、何を勘違いしてるんだ?」
というやり取りからボスに対する罵詈雑言が飛び出した。本日の会の目的が核心へと進んでいった。そう、我らが職場の長であるボスについてである。
奇しくも我々が集まる日の夕方に、突如ボスが豹変する瞬間が久しぶりにあった。それは偶然ではなかったのかもしれない。
ここで働き始めてしばらくしてから、突然Aさんがボスに怒鳴られている光景を何度か見かける。それに対してAさんは、
「誠に申し訳ありません!」
と言うばかりで、その原因や理由が端から見ていてもさっぱりわからなかった。意味がわからないことで殺すような勢いで怒鳴っている光景が実に気持ち悪かったのである。それからしばらして、その気色悪いものに私も巻き込まれることになる。
ある日の11時ごろだったろうか。その日はあまり出荷する商品もなく静かであった。なんとはなしで職場をウロウロしていたら、急にボスが私の方にゆっくりと近づいてきて、
「不信に思われるような行動は・・・取らんといてな・・・」
と言ってきたのである。メガネの奥にあるその目は泳いでいて、彼の精神状態がまともでないことは明白であった。
それにしても、この言葉は私が社会に出てから最も「恐ろしい」と感じたものである。これが例えば「不信な行動をとる」というのであれば、その意図はかなりはっきりしている。仕事をサボって携帯をいじったり、職場の片隅でお経を唱えたりすれば「不信な行動」である。これはある程度の人が共有できる認識だし、それなりに客観性もある。
しかしこれが「不信に思われるような行動」となると話は全く異なってくる。こちらがどれだけ真面目に働いたとしても、現場責任者であるボスが「あいつは不信な行動をとっている!もうアカン!」などと思ってしまえば、それで終わりなのである。この違いは大きいし、また「もう今月を持って契約を更新しません」という辞める「権利」しか持っていない派遣社員の立場からすれば余計にそうである。
「気持ち悪い・・・」
と内心では思いながらもボスの横で黙って作業をしていたら、しばらくすると体が震え出し、なんと私に商品を投げてつけてきて、
「だから言ったやろ!不純なことを考えるからや!週明けから怒鳴らせるな!殺すぞ!」
とブチ切れたのだ。それはボスがAさんに対してやってきたのと同じ光景であった。もちろん、その理由はわからない。ちなみに実際には「殺すぞ!」とまでは言われていないが、その時の雰囲気を出せるかもしれないと思いつけ加えてみた。それほどまでにボスの怒り具合は尋常ではなかったからだ。
ボスの異常行動については細かいことを挙げたらキリがないが、もう一つだけ紹介したい事例がある。それはある時期から私に対して、
「渡部君、悪魔のささやきに負けたらあかんで!」
などと「悪魔」という表現をやたらと持ち出すようになったことだ。「悪魔」とは何のことか。その時はさっぱりわからなかったが、どうもBさんが職場をうろうろしている時に口に出すことに気付いた。色々と話の断片をつなげてみると、悪魔(Bさん)が悪だくみをして、私もそれに巻き込もうとしているということなのだ。
もちろんBさんが職務上で悪いことをしている形跡はないし、私とBさんの間には何のつながりもない(電話番号もメール類も交わしたことはない)。それなのにボスはBさんを陰で「悪魔」よばわりして不信がっているのだ。赤の他人を「悪魔」などというのは、もうまともな感覚ではないだろう。
宴席では職場の昔話も出てきたが、ある社員の方がかつてボスとすれ違うたびに、
「お前、いま俺をにらみつけただろう!」
と食って掛かってきたという。それゆえあいつ(ボス)とは目を合わせたらいけない、ということになったらしいが、もはやこれはヤクザの所業である。
ここまで書いてきて自分でもわけがわからなくなっているが、ボスが異様な行動をとることだけはなんとなく感じてもらえたかとは思う。
なぜあの人は突然ぶち切れるのか?
なぜBさんを「悪魔」よばわりするのか?
ある時Aさんはボスに対して、
「おたく、何かの宗教でも入ってますのん?」
と訊ねたことがあるらしいが、違う、という答えだった。周囲の人間は理由がわからない。宗教でもない。それならば、と私がこう結論づけてみた。
それって「電波」でしょう?と。
これを聞いて、周囲の3人には大ウケだった。
しかし、もうここまできたら理由はそれしか考えられないだろう。原因は外部に無いとすれば、あとはボスの脳内にしか存在しない。どこからか飛んでくる「電波」をキャッチしたらブチ切れ出すということなのだ。
わ「で、Bさんはその電波を出す体質なんですよ(笑)」
と言ったら、
B「お前なあ・・・」
と苦笑していた。
ナンセンスといえばナンセンスな話である。しかし、世の中にはもう片付けられない問題というのが存在する。ボスの行動について秩序づけるものがないとすれば、無理矢理「電波」のような理由を作ってなんとか納得させるしか方法はあるまい。私は医者でも政治家でも宗教家でもないから、ボスのような人をどうすることもできないわけだし。
救いがあるとすれば、ボスは今年度いっぱいで定年となり、それ以降は残る意思が無いということだ。もっとも私は来年1月いっぱいなので、その前に去ることになるわけだが。
とにかく色々と理不尽なことを言われている4人が集まって飲めたのは楽しかった。ただ、ボスについてよく知ることになった私は、ますます職場にいるのが嫌になった次第である。もう、ここには未練は無い。
「近いうちに皆でメシに行かない?君の歓迎会もしてないし・・・」
と声をかけられた。
「え?なんで今頃・・・」
というのが正直な感想だった。私がこの派遣先に来てから1年半以上も経過しているわけである。ただ、周囲の人と全く交流をとっていなかったものまた事実だ。自称「病気」の元・営業社員と一度飲んだことがあるだけだ(この時の話は貴重なもので、また別の機会に書きたい)。この件については快諾し、平日の晩はたいてい空いてるのでお願いします、と答えた。
それから連休が明けてからしばらく経った頃、
「今度の金曜日にするから」
と耳元でBさんにささやかれた。なぜ小声かといえば、職場のボスにバレないようにするためである。私にいる部署は私を含めて9人いるが、金曜日に集まったのは男性4人だ。その中にボスは、含まれていない。会場もボスと帰り道が全く逆にある居酒屋「魚民」の一室であった。
テーブルに腰掛けると、4人で一番年配であるAさんが開口一番、
「ここは歓送迎会というものが無いんです。派遣だろうが契約だろうが、他の部署はあるんですが、この部署にはありません。また、みんなここに来てから2年経ってませんし、顔合わせのようなもので・・・」
と言われて「ええ?」と思った。去年の夏に入ってきた「自称病人」のC氏および1年7ヶ月目の私はともかく、AさんもBさんもまだこの部署に来て2年過ぎていなかったのはこの時初めて知ったのである。
そこから、
C「あの人(ボスのこと)、僕の送別会は要らないから、って今日言ってきたんですよ!」
B「本当か?あいつ、何を勘違いしてるんだ?」
というやり取りからボスに対する罵詈雑言が飛び出した。本日の会の目的が核心へと進んでいった。そう、我らが職場の長であるボスについてである。
奇しくも我々が集まる日の夕方に、突如ボスが豹変する瞬間が久しぶりにあった。それは偶然ではなかったのかもしれない。
ここで働き始めてしばらくしてから、突然Aさんがボスに怒鳴られている光景を何度か見かける。それに対してAさんは、
「誠に申し訳ありません!」
と言うばかりで、その原因や理由が端から見ていてもさっぱりわからなかった。意味がわからないことで殺すような勢いで怒鳴っている光景が実に気持ち悪かったのである。それからしばらして、その気色悪いものに私も巻き込まれることになる。
ある日の11時ごろだったろうか。その日はあまり出荷する商品もなく静かであった。なんとはなしで職場をウロウロしていたら、急にボスが私の方にゆっくりと近づいてきて、
「不信に思われるような行動は・・・取らんといてな・・・」
と言ってきたのである。メガネの奥にあるその目は泳いでいて、彼の精神状態がまともでないことは明白であった。
それにしても、この言葉は私が社会に出てから最も「恐ろしい」と感じたものである。これが例えば「不信な行動をとる」というのであれば、その意図はかなりはっきりしている。仕事をサボって携帯をいじったり、職場の片隅でお経を唱えたりすれば「不信な行動」である。これはある程度の人が共有できる認識だし、それなりに客観性もある。
しかしこれが「不信に思われるような行動」となると話は全く異なってくる。こちらがどれだけ真面目に働いたとしても、現場責任者であるボスが「あいつは不信な行動をとっている!もうアカン!」などと思ってしまえば、それで終わりなのである。この違いは大きいし、また「もう今月を持って契約を更新しません」という辞める「権利」しか持っていない派遣社員の立場からすれば余計にそうである。
「気持ち悪い・・・」
と内心では思いながらもボスの横で黙って作業をしていたら、しばらくすると体が震え出し、なんと私に商品を投げてつけてきて、
「だから言ったやろ!不純なことを考えるからや!週明けから怒鳴らせるな!殺すぞ!」
とブチ切れたのだ。それはボスがAさんに対してやってきたのと同じ光景であった。もちろん、その理由はわからない。ちなみに実際には「殺すぞ!」とまでは言われていないが、その時の雰囲気を出せるかもしれないと思いつけ加えてみた。それほどまでにボスの怒り具合は尋常ではなかったからだ。
ボスの異常行動については細かいことを挙げたらキリがないが、もう一つだけ紹介したい事例がある。それはある時期から私に対して、
「渡部君、悪魔のささやきに負けたらあかんで!」
などと「悪魔」という表現をやたらと持ち出すようになったことだ。「悪魔」とは何のことか。その時はさっぱりわからなかったが、どうもBさんが職場をうろうろしている時に口に出すことに気付いた。色々と話の断片をつなげてみると、悪魔(Bさん)が悪だくみをして、私もそれに巻き込もうとしているということなのだ。
もちろんBさんが職務上で悪いことをしている形跡はないし、私とBさんの間には何のつながりもない(電話番号もメール類も交わしたことはない)。それなのにボスはBさんを陰で「悪魔」よばわりして不信がっているのだ。赤の他人を「悪魔」などというのは、もうまともな感覚ではないだろう。
宴席では職場の昔話も出てきたが、ある社員の方がかつてボスとすれ違うたびに、
「お前、いま俺をにらみつけただろう!」
と食って掛かってきたという。それゆえあいつ(ボス)とは目を合わせたらいけない、ということになったらしいが、もはやこれはヤクザの所業である。
ここまで書いてきて自分でもわけがわからなくなっているが、ボスが異様な行動をとることだけはなんとなく感じてもらえたかとは思う。
なぜあの人は突然ぶち切れるのか?
なぜBさんを「悪魔」よばわりするのか?
ある時Aさんはボスに対して、
「おたく、何かの宗教でも入ってますのん?」
と訊ねたことがあるらしいが、違う、という答えだった。周囲の人間は理由がわからない。宗教でもない。それならば、と私がこう結論づけてみた。
それって「電波」でしょう?と。
これを聞いて、周囲の3人には大ウケだった。
しかし、もうここまできたら理由はそれしか考えられないだろう。原因は外部に無いとすれば、あとはボスの脳内にしか存在しない。どこからか飛んでくる「電波」をキャッチしたらブチ切れ出すということなのだ。
わ「で、Bさんはその電波を出す体質なんですよ(笑)」
と言ったら、
B「お前なあ・・・」
と苦笑していた。
ナンセンスといえばナンセンスな話である。しかし、世の中にはもう片付けられない問題というのが存在する。ボスの行動について秩序づけるものがないとすれば、無理矢理「電波」のような理由を作ってなんとか納得させるしか方法はあるまい。私は医者でも政治家でも宗教家でもないから、ボスのような人をどうすることもできないわけだし。
救いがあるとすれば、ボスは今年度いっぱいで定年となり、それ以降は残る意思が無いということだ。もっとも私は来年1月いっぱいなので、その前に去ることになるわけだが。
とにかく色々と理不尽なことを言われている4人が集まって飲めたのは楽しかった。ただ、ボスについてよく知ることになった私は、ますます職場にいるのが嫌になった次第である。もう、ここには未練は無い。
朝食をとるべきか、という愚問
2015年3月13日 日常清々しい朝、というものを経験した記憶が自分にはない。20代半ばまでは上の血圧が100を切るほどの低血圧で、とにかく朝起きるのが苦痛でしかたなかった。
社会人になってから血圧だけは正常値に近づいていったものの、目が覚めたときの苦しさや気持ち悪さは基本的に変わっていないと思う。
目が覚めて頭がそれなりに動くまで2時間くらいは必要だろうか。そんな人間だから朝食も美味しいと感じたことはない。ただ、朝食は取ったほうがいい、という強固な思い込みもあってか、よほど寝坊などしない限りは食べるようにしている。
しかし、なんとなく自分の生活スタイルに合わないなあ、と事あるごとに違和感を抱いていた。
先日Facebookか何かに流れていた情報だったが、一流アスリートといえる人でもきちんと朝食をとってない人が多いという話を見かけた。朝食をとるのが体に良いか悪いか、という問題は現在も結論が出ていないようである。
しかし、よく考えてみると上の命題の統一見解を出すというのはほとんど意味がないことに気づいた。人の身体は千差万別であり、体調の良し悪しだってそれぞれ違うからだ。
アスリートが実践している健康法を特に大きな運動をしないサラリーマンが真似することが適切なのか。日野原重明さんのような人と同じようなことを10代20代の若い人たちが手本にするのもナンセンスだと思う。
そんなことを考えて、自分の朝食についても見直してみることにした。
まず、起きたときのお腹の状態を分析してみる。だいたいの場合、胃のあたりが重く感じて食事をしたい気持ちになることはない。一方、何も食べなかったら午前中の早い段階で空腹感がおとずれる(そこそこ食べても正午にはお腹が鳴ってくる)。だから、朝食を全くなくすという選択もしたくない。
そこでここしばらくは、朝はカップで売っているスープや雑炊、あとは緑茶やココアなどにしている。要するに、液状で胃腸に負担があまりかからないようにした食事に切り替えたのである。
そうしてからの体調はおおむね良好といえる。お腹が重たく感じないし頭も以前よりはスッキリした気がする。
もちろん、良いことばかりでもない。空腹感が始まる時間が以前より1時間くらい早くなってもきたのだ。しかし、まあ昼前は腹が減るものだ、と言い聞かせれば切り抜けられる気がする。
別にこの方法は他人に勧めたいわけではない。朝食を全く食べない人もいれば、しっかり食べないと午前中を乗り切れないという人だって存在するに決まっている。そうではなくて、自分の体調にとって何がベストか、ということを見究められることが大事なのだ。
誰になんと言われようと私はこのやり方で何年も調子良く生活してるんだ、と自信をもって言えることが一番であり、またそれが本当の「自己管理」というものだろう。
もうしばらく、自分の身体と相談しながら、朝の生活のあり方を模索していきたい。
社会人になってから血圧だけは正常値に近づいていったものの、目が覚めたときの苦しさや気持ち悪さは基本的に変わっていないと思う。
目が覚めて頭がそれなりに動くまで2時間くらいは必要だろうか。そんな人間だから朝食も美味しいと感じたことはない。ただ、朝食は取ったほうがいい、という強固な思い込みもあってか、よほど寝坊などしない限りは食べるようにしている。
しかし、なんとなく自分の生活スタイルに合わないなあ、と事あるごとに違和感を抱いていた。
先日Facebookか何かに流れていた情報だったが、一流アスリートといえる人でもきちんと朝食をとってない人が多いという話を見かけた。朝食をとるのが体に良いか悪いか、という問題は現在も結論が出ていないようである。
しかし、よく考えてみると上の命題の統一見解を出すというのはほとんど意味がないことに気づいた。人の身体は千差万別であり、体調の良し悪しだってそれぞれ違うからだ。
アスリートが実践している健康法を特に大きな運動をしないサラリーマンが真似することが適切なのか。日野原重明さんのような人と同じようなことを10代20代の若い人たちが手本にするのもナンセンスだと思う。
そんなことを考えて、自分の朝食についても見直してみることにした。
まず、起きたときのお腹の状態を分析してみる。だいたいの場合、胃のあたりが重く感じて食事をしたい気持ちになることはない。一方、何も食べなかったら午前中の早い段階で空腹感がおとずれる(そこそこ食べても正午にはお腹が鳴ってくる)。だから、朝食を全くなくすという選択もしたくない。
そこでここしばらくは、朝はカップで売っているスープや雑炊、あとは緑茶やココアなどにしている。要するに、液状で胃腸に負担があまりかからないようにした食事に切り替えたのである。
そうしてからの体調はおおむね良好といえる。お腹が重たく感じないし頭も以前よりはスッキリした気がする。
もちろん、良いことばかりでもない。空腹感が始まる時間が以前より1時間くらい早くなってもきたのだ。しかし、まあ昼前は腹が減るものだ、と言い聞かせれば切り抜けられる気がする。
別にこの方法は他人に勧めたいわけではない。朝食を全く食べない人もいれば、しっかり食べないと午前中を乗り切れないという人だって存在するに決まっている。そうではなくて、自分の体調にとって何がベストか、ということを見究められることが大事なのだ。
誰になんと言われようと私はこのやり方で何年も調子良く生活してるんだ、と自信をもって言えることが一番であり、またそれが本当の「自己管理」というものだろう。
もうしばらく、自分の身体と相談しながら、朝の生活のあり方を模索していきたい。
今年もらった義理チョコについて
2015年2月14日 日常 コメント (4)
先月の終わりに有志で新年会をした時、彼氏持ちの女性から「バレンタインの前倒し」とかなんとか言われて小さな茶色い紙封筒を渡された。別に何か彼女に対して世話をしているわけでもなく、かといって断る理由も別にないので、ありがとうございます、と事務的に礼を言いながら受け取ったような気がする。
どうせチョコだし冬なら大丈夫だろうとそのまま開けずに放置していた。それから数日後、別の新年会でまた会った彼女から、中身を見た?と訊かれたので「へえ?」と思い、部屋に戻ってから封筒を開けてみることにした。すると、ゴソッと出てきたのが写真のものである。
「一目で義理とわかるチョコ」という広告で知られるアレが、たった一つだけ入っていたのだ。
ちょっと予想もしない中身だっただけに、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。いや、実際はそこまでショックを受けていたわけでもないが、なぜわざわざこれを封筒に包んで私によこしたのか。先方の意図が全くわからず困惑したというのが正直なところである。
周囲にいる何人かにこのことを話した結果、たぶん何も考えてないのだろう、と誰もが異口同音に答えた。私もおそらくそんなところだと思うのだが、一方で何かメッセージが含まれているように勝手に解釈してもいる。
例えば、
「悔しかったら、ちゃんとした本命のチョコをもらってみろや!」
というような、そんな深読み(?)をしている自分がいる。妙齢の女性の考えていることは私のような人間にはどうにも理解できない。
それはともかくとして、個人的には一方的にもらうというのは好きではないのでホワイトデーのお礼を考えているのだが、物が物だけに何をどうやってお返しすればよいのか。それがいま非常に悩ましい問題になっている。
どうせチョコだし冬なら大丈夫だろうとそのまま開けずに放置していた。それから数日後、別の新年会でまた会った彼女から、中身を見た?と訊かれたので「へえ?」と思い、部屋に戻ってから封筒を開けてみることにした。すると、ゴソッと出てきたのが写真のものである。
「一目で義理とわかるチョコ」という広告で知られるアレが、たった一つだけ入っていたのだ。
ちょっと予想もしない中身だっただけに、鈍器で殴られたような衝撃を受けた。いや、実際はそこまでショックを受けていたわけでもないが、なぜわざわざこれを封筒に包んで私によこしたのか。先方の意図が全くわからず困惑したというのが正直なところである。
周囲にいる何人かにこのことを話した結果、たぶん何も考えてないのだろう、と誰もが異口同音に答えた。私もおそらくそんなところだと思うのだが、一方で何かメッセージが含まれているように勝手に解釈してもいる。
例えば、
「悔しかったら、ちゃんとした本命のチョコをもらってみろや!」
というような、そんな深読み(?)をしている自分がいる。妙齢の女性の考えていることは私のような人間にはどうにも理解できない。
それはともかくとして、個人的には一方的にもらうというのは好きではないのでホワイトデーのお礼を考えているのだが、物が物だけに何をどうやってお返しすればよいのか。それがいま非常に悩ましい問題になっている。
選挙権をどう行使したらよいかわからない方へ
2014年12月14日 日常
衆議院選挙がおこなわれる。世間では「争点のわからない」というような声をよく耳にするし、私自身もどうしていいのか最近まで悩んでいた。
そもそも政治への関心は薄いし、政党や政治家というのが私たち国民の生活にどのような影響を与えているのかも今ひとつピンとこない。そんな人間が選挙演説やビラを見たところで何を判断できるというのか。それが正直な感想である。
しかしながら、今回の選挙は自民・公明あわせて約300議席を占めるという予測には少なからず違和感を抱いていることも確かだ。現政権の進めている政策が具体的にどうかという以前に、この国のあり方が一部の人たちの意見にドッと傾いていることに対して不安なのだ。保守や革新などというようなイデオロギーの区分けはあまり意味がない。どんな思想にせよ極端な方向に偏って進んでいくことが危険なのだ。
橘玲さんが著書「不愉快なことには理由がある」(12年。集英社)の中で、
<政策的に重要で、専門家のあいだで合意が成立しない問題は、民主制(デモクラシー)社会では最後は素人が選択するしかありません。
幸いなことに、いまでは素人の集合知が少数の専門家よりも正しいことがわかっています。>(P.5)
と述べている。そして「素人の集合知」が正しく機能するためには「たくさんの風変りな意見」(P.6)が必要になると結論づけている。本書はこうした考え方をもとに政治や経済などを述べているが、選挙についてはこういう箇所がある。
<混迷する日本の政治を担う人物を、私たちはどう選べばいいのでしょうか。
じつはこれは、科学的にはすでに答えが出ています。
ひとつは、候補者の演説など聞かずに直感で決めればいい、というものです。>(P.73)
これは、人間はわずか数秒間の印象によって全てを判断してしまうという実験結果をもとにした意見だが、一方で私たちは容姿や風貌といった外見の要素に引きずられるため直感に頼るのも危険であるという指摘もされている。
ならば、そうした歪みをなるべく矯正して投票することができないか。そんなことを考えているうちにこんな方法を思い付いた。
まず小選挙区の候補者の選び方だが、自民および公明(つまり現政権)を除いた候補者のクジを作りそこで引き当てた人に投票する。比例代表については、小選挙区に入れた候補者の党を排除してまたクジ引きをして決めるのである。こうすれば、候補者を見た目で選ぶようなことは絶対にない。
これを見て、ふざけるな、と激怒した方もいるだろう。
「お前はこの国の行方について何か真剣に考えていないのか?」
という疑問を持ったかもしれない。確かに私も日本国民としてそれなりに思いはあるし「こんな国になってほしい」という考えもなくはない。しかし、現政権が進めている政策に比べて自分の考えの方が優っているなどと言える自信が、私には全くないのだ。
各種メディアで、今回の選挙はこういう選択をするべきだ、など主張する有識者と私との決定的な違いはここである。彼らは自分の考えに絶対の自信を持っているのだろう。だが私は、選挙や政治に限らず、おおよそ「自信」や「確信」といったものは抱いていないのである。それは私が歩んだ38年半ほどの人生が物語っている。
もし私に素晴らしい思想や行動力があったとしたら、現在こんな状態になっていなかっただろう。別にニヒリズムとかそういうことではなく、自分の半生を冷静に振り返ったらそんな結論に至っただけのことだ。
また、あらゆるイデオロギーからなるべく自由になって選挙に臨むことができないかという思いもあった。それをするとしたら上のような方法が一番なのではないか。
「でも、もしこれで社民党とか共産党とか引いたら・・・なんか嫌だなあ」
などと思うとしたら、それは貴方もまたある種のイデオロギーにしっかりと染まっていることの証だろう。国粋主義とか共産主義といったものには否定的な人でも、自分の中にあるイデオロギーの執着についてはなかなか自覚できないものだ。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるように、昔の富も権力もない平民たちはどんな悲惨なことが起きても空に向かってひたすら祈るしかなかった。そしてその結果を黙って受け入れて人生を終えてきたのである。ただ、彼らは選挙権という権利すら持ってなかったわけだが。
少し前に起きた民主党の大勝、そして現在の自民党政権の揺れ戻しも、原因は人為的なものではないのか?そして、その不自然な人為に勝てるものがあるとすればそれは自然な成り行き、つまり「偶然性」ではないだろうか。
そういうわけで、今回の選挙はクジで決めて、その結果については何も言うまいと思っている。いやそもそも、たかが内閣の顔ぶれが変わったくらいで自分の人生の全てが決まるとも考えていない人間だからこんな真似ができたのかもしれない。
いちおう自分なりに説明したつもりだが、これで納得のいかない人もいるかもしれない。しかし、文句を言われる前に、かつてこの国の首相だった人の言葉をまず切り出しておこう。
「私は、あなたとは違うんです」
と。
そもそも政治への関心は薄いし、政党や政治家というのが私たち国民の生活にどのような影響を与えているのかも今ひとつピンとこない。そんな人間が選挙演説やビラを見たところで何を判断できるというのか。それが正直な感想である。
しかしながら、今回の選挙は自民・公明あわせて約300議席を占めるという予測には少なからず違和感を抱いていることも確かだ。現政権の進めている政策が具体的にどうかという以前に、この国のあり方が一部の人たちの意見にドッと傾いていることに対して不安なのだ。保守や革新などというようなイデオロギーの区分けはあまり意味がない。どんな思想にせよ極端な方向に偏って進んでいくことが危険なのだ。
橘玲さんが著書「不愉快なことには理由がある」(12年。集英社)の中で、
<政策的に重要で、専門家のあいだで合意が成立しない問題は、民主制(デモクラシー)社会では最後は素人が選択するしかありません。
幸いなことに、いまでは素人の集合知が少数の専門家よりも正しいことがわかっています。>(P.5)
と述べている。そして「素人の集合知」が正しく機能するためには「たくさんの風変りな意見」(P.6)が必要になると結論づけている。本書はこうした考え方をもとに政治や経済などを述べているが、選挙についてはこういう箇所がある。
<混迷する日本の政治を担う人物を、私たちはどう選べばいいのでしょうか。
じつはこれは、科学的にはすでに答えが出ています。
ひとつは、候補者の演説など聞かずに直感で決めればいい、というものです。>(P.73)
これは、人間はわずか数秒間の印象によって全てを判断してしまうという実験結果をもとにした意見だが、一方で私たちは容姿や風貌といった外見の要素に引きずられるため直感に頼るのも危険であるという指摘もされている。
ならば、そうした歪みをなるべく矯正して投票することができないか。そんなことを考えているうちにこんな方法を思い付いた。
まず小選挙区の候補者の選び方だが、自民および公明(つまり現政権)を除いた候補者のクジを作りそこで引き当てた人に投票する。比例代表については、小選挙区に入れた候補者の党を排除してまたクジ引きをして決めるのである。こうすれば、候補者を見た目で選ぶようなことは絶対にない。
これを見て、ふざけるな、と激怒した方もいるだろう。
「お前はこの国の行方について何か真剣に考えていないのか?」
という疑問を持ったかもしれない。確かに私も日本国民としてそれなりに思いはあるし「こんな国になってほしい」という考えもなくはない。しかし、現政権が進めている政策に比べて自分の考えの方が優っているなどと言える自信が、私には全くないのだ。
各種メディアで、今回の選挙はこういう選択をするべきだ、など主張する有識者と私との決定的な違いはここである。彼らは自分の考えに絶対の自信を持っているのだろう。だが私は、選挙や政治に限らず、おおよそ「自信」や「確信」といったものは抱いていないのである。それは私が歩んだ38年半ほどの人生が物語っている。
もし私に素晴らしい思想や行動力があったとしたら、現在こんな状態になっていなかっただろう。別にニヒリズムとかそういうことではなく、自分の半生を冷静に振り返ったらそんな結論に至っただけのことだ。
また、あらゆるイデオロギーからなるべく自由になって選挙に臨むことができないかという思いもあった。それをするとしたら上のような方法が一番なのではないか。
「でも、もしこれで社民党とか共産党とか引いたら・・・なんか嫌だなあ」
などと思うとしたら、それは貴方もまたある種のイデオロギーにしっかりと染まっていることの証だろう。国粋主義とか共産主義といったものには否定的な人でも、自分の中にあるイデオロギーの執着についてはなかなか自覚できないものだ。
「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があるように、昔の富も権力もない平民たちはどんな悲惨なことが起きても空に向かってひたすら祈るしかなかった。そしてその結果を黙って受け入れて人生を終えてきたのである。ただ、彼らは選挙権という権利すら持ってなかったわけだが。
少し前に起きた民主党の大勝、そして現在の自民党政権の揺れ戻しも、原因は人為的なものではないのか?そして、その不自然な人為に勝てるものがあるとすればそれは自然な成り行き、つまり「偶然性」ではないだろうか。
そういうわけで、今回の選挙はクジで決めて、その結果については何も言うまいと思っている。いやそもそも、たかが内閣の顔ぶれが変わったくらいで自分の人生の全てが決まるとも考えていない人間だからこんな真似ができたのかもしれない。
いちおう自分なりに説明したつもりだが、これで納得のいかない人もいるかもしれない。しかし、文句を言われる前に、かつてこの国の首相だった人の言葉をまず切り出しておこう。
「私は、あなたとは違うんです」
と。
ロックじゃなくても別によかった(前編)ドラッグについて
2014年6月21日 日常某大物ミュージシャンが薬物所持で逮捕されてから、ドラッグについて考えてみた。
少し調べればわかることだが、ポピュラーミュージックとドラッグとの関係はとてつもなく深い。サイケデリック・ミュージックやテクノなどの音楽は薬物なくしては登場しなかったジャンルである。また、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(67年)とビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」(66年)はロックの歴史を語るときに1番目か2番目に挙げられるアルバムであるが、いずれもドラッグの影響下でできた作品と指摘されている。
そういえば、ビートルズのメンバーにマリファナを教えたのはボブ・ディランらしい。これは渋谷陽一氏の対談集「ロックは語れない」(86年。新潮文庫)で浜田省吾が語っていたことである(P.29)。
先日ルー・リードが亡くなった時に彼について検索したら、面白いページを見つけた。ルーの代表曲”Perfct Day”を紹介しているのだが、
「積む読!」
http://20100213.blogspot.jp/2010/03/perfect-day-lou-reed.html
<ビートルズ以後の洋楽の伝統として、歌詞は常にドラッグとの結びつきが暗示されている>
とまで書いている。
まさに「No Music,No Drug」といっても良いような歴史であるが、そういうものだからこそ私はロックやパンクといった音楽に興味を持つ一方で、ずーっと距離を縮められないまま現在まで至っているという気がする。
私自身は生まれてこのかた、麻薬や覚醒剤の類いにお世話になったことは一度もない。参考にいえば、タバコは「悪友に奨められて」31歳の時に1本を口に入れただけである。酒は、日常的に飲むようになったのは大学に入ってからだから、20歳前後か。
服用したことのない人間にとって、薬物というのは異様なものに感じる。酒やタバコと違って、しかるべき場所にいけば置いてあって買えるというものではないからだ。
「麻薬 ルート」で検索したら、このサイトが1番目に出てきた。
「朧月夜Hazy moon night」
日本の裏社会〜薬物ルートPart2
http://nipponngannbare.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-aea4.html
誰でもわかることだが、持っているだけで違法となるものなので、入手経路はこうした反社会的なところを通じてとなる。田舎生まれで、身近にヤクザな知り合いもなく、バーやクラブを練り歩く夜行性でもない私がドラッグに手を染めなかったのも当然の成り行きといえよう。
何事も経験したほうが良いという考えの方もいるだろうが、38歳を超えた年齢でこんなものに手を出す気にはならない。もし試すのであれば、合法になっているオランダで吸ってみるとかいうのがスマートな大人のあり方だろう。しかしそれ以前に、私ももう人生が半分は終わった身である。もはや若くもないしなるべく身体を大事にしたいと思うようになってきた。そういうこともあって、薬物に手を出すことはないだろう。
ところで、ドラッグと音楽の関係が当然のように語られる欧米と比べると、日本での薬物の位置づけはなんとも微妙な気がしてならない。「この作品はドラッグの影響下にあります」などと解説のついたCDも聞いたことがない。芸能界からは毎年のように薬物使用で逮捕者も出るわけだが、瞬間的には逮捕者を非難するコメントが出てきても、それ以上の動きに発展することもない。一人の逮捕がきっかけで大量の逮捕者が出る、などというのは週刊誌でありがちな書き方だが、そんな事例もなかったのではないか?と誰がか指摘していた。確かにそんな逮捕のされ方は私も記憶がない。
ともかく、ドラッグに対してはどこもかしこも及び腰な気がする。肝心なことには触れないようにしていると思えてならない。ただ、別に私はそれに対して非難をしたいわけではない。さきほど書いたようにドラッグとヤクザは切ってもきれないわけであり、下手なことを言ったら自分の身が危なくなるかもしれない。誰でも命は大事にしたいだろう。
終生カタギの立場でいるであろう私にはドラッグについて深く知ることもないし、またロック=ドラッグというのであればロックの神髄に触れることもないまま一生を終えることになるのだろう。それは一向に構わないが、芸能界はカタギの世界ではないんだなあとなんとなく感じてしまう。
少し調べればわかることだが、ポピュラーミュージックとドラッグとの関係はとてつもなく深い。サイケデリック・ミュージックやテクノなどの音楽は薬物なくしては登場しなかったジャンルである。また、ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」(67年)とビーチ・ボーイズの「ペット・サウンズ」(66年)はロックの歴史を語るときに1番目か2番目に挙げられるアルバムであるが、いずれもドラッグの影響下でできた作品と指摘されている。
そういえば、ビートルズのメンバーにマリファナを教えたのはボブ・ディランらしい。これは渋谷陽一氏の対談集「ロックは語れない」(86年。新潮文庫)で浜田省吾が語っていたことである(P.29)。
先日ルー・リードが亡くなった時に彼について検索したら、面白いページを見つけた。ルーの代表曲”Perfct Day”を紹介しているのだが、
「積む読!」
http://20100213.blogspot.jp/2010/03/perfect-day-lou-reed.html
<ビートルズ以後の洋楽の伝統として、歌詞は常にドラッグとの結びつきが暗示されている>
とまで書いている。
まさに「No Music,No Drug」といっても良いような歴史であるが、そういうものだからこそ私はロックやパンクといった音楽に興味を持つ一方で、ずーっと距離を縮められないまま現在まで至っているという気がする。
私自身は生まれてこのかた、麻薬や覚醒剤の類いにお世話になったことは一度もない。参考にいえば、タバコは「悪友に奨められて」31歳の時に1本を口に入れただけである。酒は、日常的に飲むようになったのは大学に入ってからだから、20歳前後か。
服用したことのない人間にとって、薬物というのは異様なものに感じる。酒やタバコと違って、しかるべき場所にいけば置いてあって買えるというものではないからだ。
「麻薬 ルート」で検索したら、このサイトが1番目に出てきた。
「朧月夜Hazy moon night」
日本の裏社会〜薬物ルートPart2
http://nipponngannbare.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/post-aea4.html
誰でもわかることだが、持っているだけで違法となるものなので、入手経路はこうした反社会的なところを通じてとなる。田舎生まれで、身近にヤクザな知り合いもなく、バーやクラブを練り歩く夜行性でもない私がドラッグに手を染めなかったのも当然の成り行きといえよう。
何事も経験したほうが良いという考えの方もいるだろうが、38歳を超えた年齢でこんなものに手を出す気にはならない。もし試すのであれば、合法になっているオランダで吸ってみるとかいうのがスマートな大人のあり方だろう。しかしそれ以前に、私ももう人生が半分は終わった身である。もはや若くもないしなるべく身体を大事にしたいと思うようになってきた。そういうこともあって、薬物に手を出すことはないだろう。
ところで、ドラッグと音楽の関係が当然のように語られる欧米と比べると、日本での薬物の位置づけはなんとも微妙な気がしてならない。「この作品はドラッグの影響下にあります」などと解説のついたCDも聞いたことがない。芸能界からは毎年のように薬物使用で逮捕者も出るわけだが、瞬間的には逮捕者を非難するコメントが出てきても、それ以上の動きに発展することもない。一人の逮捕がきっかけで大量の逮捕者が出る、などというのは週刊誌でありがちな書き方だが、そんな事例もなかったのではないか?と誰がか指摘していた。確かにそんな逮捕のされ方は私も記憶がない。
ともかく、ドラッグに対してはどこもかしこも及び腰な気がする。肝心なことには触れないようにしていると思えてならない。ただ、別に私はそれに対して非難をしたいわけではない。さきほど書いたようにドラッグとヤクザは切ってもきれないわけであり、下手なことを言ったら自分の身が危なくなるかもしれない。誰でも命は大事にしたいだろう。
終生カタギの立場でいるであろう私にはドラッグについて深く知ることもないし、またロック=ドラッグというのであればロックの神髄に触れることもないまま一生を終えることになるのだろう。それは一向に構わないが、芸能界はカタギの世界ではないんだなあとなんとなく感じてしまう。