「名盤ライブ」大阪公演まであと1週間を切りました
2016年3月13日 渡辺美里
22連勤を終えて、今日は丸1日休みを取った。京都市内をフラフラして天丼や鯛焼きなどを食べて過ごす。その合間に、次の日曜日に行われるライブのチケットをファミリーマートで発券する。渡辺美里のデビュー・アルバム「eyes」(85年)の収録曲全てを演奏する企画
「名盤ライブ」のチケットだ。
先ほどネットで売れ行きを確認してみると、大阪公演は全てが「◯(余裕あり)」という状態だった。チケット代が1万5000〜1万7000円という通常のライブの倍くらいの高額設定、Zepp Osakaという大きな会場、しかも1日に2公演という商売っ気の強いものにしたのがこの結果をもたらしたのだろう。
私自身は今年の横浜アリーナでのライブ(1月9日)へ向かう直前に新宿あたりで携帯をいじっている時に、FacebookかTwitterでこの件を知った。しかしこのチケット代は正直いって二の足を踏む思いがした(と言いながら、横浜から帰ってすぐに申し込み手続きを取ったが)。
しかしながら、今回のライブは多くの点で非常に貴重な経験のできるのは確実だ。今日はそのあたりについて触れてみたい。そして「行きたいけれどチケット代が・・・」と躊躇している方に再考を促すことを目的としている。
おそらくデビュー時からこの人のライブを観ているごく一部のファンを除けば、「eyes」に入っている曲を生で聴いたのは3曲になるのではないかと思う。2枚目のシングルである”Growin’ up”、タイトル曲の”eyes”、そして”悲しいボーイフレンド”はことあるたびに取り上げられてきた。これらはそれなりにライブに通っていた人は聴くことはできたはずである。
私は92年に初めてライブを観てから、都合25年ほど生で観る機会を得ている。その間にフル
コーラスで聴けたのは4曲、もしくは5曲である。先ほどの3曲に加えて、2004年8月7日に西武ドーム「Misato BlueButterfly 19th」にて”きみに会えて”を聴いている。
そしてかなり記憶が曖昧になっているのが「うたの木 Fragile」の大阪公演(2000年10月15日、Zepp Osaka)の”死んでるみたいに生きたくない”だ。私の中ではこれはメドレーのような形で披露され全編は歌われなかったのではないか?とずっと思っていた。しかしこの文章を書くために当時のライブ・レポートなどを参考にしたのだが、どうもフル・コーラスで演奏されたようなのだ(メドレーだったらそのような注釈があってしかるべきだから)。もう16年前のことなので自信もない。
そういうわけで私が「eyes」の曲をライブで聴いた数は、フル・コーラスでは4曲もしくは5曲ということになる。
あとは2005年8月6日、最後の西武ライブ「MISATO V20 スタジアム伝説~最終章~ NO SIDE」で披露されたメドレーの中で”18歳のライブ”が少しだけ歌われた。25年間もライブを観続けてきて、生で聴けたのはたったこれだけなのである。
だから、今回の「名盤ライブ」でアルバム全11曲が全て披露されるというのは、この人のキャリアにとっての一大事であるし、観る側にとっても非常に貴重な公演になるのだ。正直いって、昨年行われた47都道府県ツアー及び大阪フェスティバル、年明けの横浜アリーナでのライブまで観て「いつも通りでした」という感想しか出てこなかった身としては、この「名盤ライブ」がデビュー30周年という区切りにふさわしい企画がここでようやく出たという思いがする。
何度も書いているが、私自身はもうこの人の活動について期待めいたものを抱いていない。そんなことを望んでも裏切られることが圧倒的に多かったから、そうした思いもある時点で断ち切ったのだ。実際、ライブなどから遠ざかった人たちはそのような失望をともなったのだろうと「元・信者」としては想像してしまうのである。
だが、今回は「eyes」の曲が全て披露されるということだけは確かであり、それだけに「期待」をすることはできる。そして、これはもう「今回限り」といって間違いない。また、こうした企画めいたものをこの人が試みたことも実に貴重である。もしチケット代だけが問題なら、もう迷うことはないのではないだろうか。
私自身も、この25年間の中でも得難い体験ができるという「期待」を抱いて、3月20日を臨むつもりである。一人でも多くの人とこの日を共有できれば幸いである。
「名盤ライブ」のチケットだ。
先ほどネットで売れ行きを確認してみると、大阪公演は全てが「◯(余裕あり)」という状態だった。チケット代が1万5000〜1万7000円という通常のライブの倍くらいの高額設定、Zepp Osakaという大きな会場、しかも1日に2公演という商売っ気の強いものにしたのがこの結果をもたらしたのだろう。
私自身は今年の横浜アリーナでのライブ(1月9日)へ向かう直前に新宿あたりで携帯をいじっている時に、FacebookかTwitterでこの件を知った。しかしこのチケット代は正直いって二の足を踏む思いがした(と言いながら、横浜から帰ってすぐに申し込み手続きを取ったが)。
しかしながら、今回のライブは多くの点で非常に貴重な経験のできるのは確実だ。今日はそのあたりについて触れてみたい。そして「行きたいけれどチケット代が・・・」と躊躇している方に再考を促すことを目的としている。
おそらくデビュー時からこの人のライブを観ているごく一部のファンを除けば、「eyes」に入っている曲を生で聴いたのは3曲になるのではないかと思う。2枚目のシングルである”Growin’ up”、タイトル曲の”eyes”、そして”悲しいボーイフレンド”はことあるたびに取り上げられてきた。これらはそれなりにライブに通っていた人は聴くことはできたはずである。
私は92年に初めてライブを観てから、都合25年ほど生で観る機会を得ている。その間にフル
コーラスで聴けたのは4曲、もしくは5曲である。先ほどの3曲に加えて、2004年8月7日に西武ドーム「Misato BlueButterfly 19th」にて”きみに会えて”を聴いている。
そしてかなり記憶が曖昧になっているのが「うたの木 Fragile」の大阪公演(2000年10月15日、Zepp Osaka)の”死んでるみたいに生きたくない”だ。私の中ではこれはメドレーのような形で披露され全編は歌われなかったのではないか?とずっと思っていた。しかしこの文章を書くために当時のライブ・レポートなどを参考にしたのだが、どうもフル・コーラスで演奏されたようなのだ(メドレーだったらそのような注釈があってしかるべきだから)。もう16年前のことなので自信もない。
そういうわけで私が「eyes」の曲をライブで聴いた数は、フル・コーラスでは4曲もしくは5曲ということになる。
あとは2005年8月6日、最後の西武ライブ「MISATO V20 スタジアム伝説~最終章~ NO SIDE」で披露されたメドレーの中で”18歳のライブ”が少しだけ歌われた。25年間もライブを観続けてきて、生で聴けたのはたったこれだけなのである。
だから、今回の「名盤ライブ」でアルバム全11曲が全て披露されるというのは、この人のキャリアにとっての一大事であるし、観る側にとっても非常に貴重な公演になるのだ。正直いって、昨年行われた47都道府県ツアー及び大阪フェスティバル、年明けの横浜アリーナでのライブまで観て「いつも通りでした」という感想しか出てこなかった身としては、この「名盤ライブ」がデビュー30周年という区切りにふさわしい企画がここでようやく出たという思いがする。
何度も書いているが、私自身はもうこの人の活動について期待めいたものを抱いていない。そんなことを望んでも裏切られることが圧倒的に多かったから、そうした思いもある時点で断ち切ったのだ。実際、ライブなどから遠ざかった人たちはそのような失望をともなったのだろうと「元・信者」としては想像してしまうのである。
だが、今回は「eyes」の曲が全て披露されるということだけは確かであり、それだけに「期待」をすることはできる。そして、これはもう「今回限り」といって間違いない。また、こうした企画めいたものをこの人が試みたことも実に貴重である。もしチケット代だけが問題なら、もう迷うことはないのではないだろうか。
私自身も、この25年間の中でも得難い体験ができるという「期待」を抱いて、3月20日を臨むつもりである。一人でも多くの人とこの日を共有できれば幸いである。
午後3時半ごろにはJR石山駅のホームに着いていた。開場が午後5時ちょうどなのでイスに座って本を読みながらしばらく過ごした。この駅に降り立つのは何年ぶりだろう。以前は滋賀の山奥にある美術館(ミホ・ミュージアム)へ向かうバスを乗るために来たのだが、そういう用事もなければ一生おとずれなかったに違いない。
5月2日の大阪城野外音楽堂から始まった、渡辺美里の47都道府県を回る全国ツアーが現在継続中である。私は京都公演だけ参加するつもりでいたがそれは9月とまだけっこう先の話である。ライブを観るまでは各会場の曲目も確認しないようにしているけれど、何ヶ月もツアーをしていたら内容も多少は変わってくるだろうかという思いもあり、考えた末に「発売中」であった滋賀公演も1枚確保することにした。買ったのは6月に入ってからであり、整理番号は318番だった。
その会場であるライブハウス「ユーストン」(実際の表記はU STONEで、「U
」と「STONE」の間に星印が入る)はその石山駅から徒歩3分ほどのところだった。ここに来ることもおそらく最初で最後だろう。
http://www.ustone.space/
私が入場するのは最後の最後なので開場10分前くらいに入場列に加わったが、最後尾まで行くともうJR石山駅は目の前だった。列はそれくらいまで伸びていた。300人程度でも並ぶとけっこう長くなるものだ。少しずつ入場していったので、私が入る頃にはもう開演まで10分ほどしかなかった。その後ろは当日券を買った人とか10人程度だったので、今日のお客は多く見ても350人くらいかと思われる。ネットで調べたところ収容人数は400人となっていた。よって会場内はもう満杯という感じで、冷房もあまり効かなくなっている。これで待ち時間が1時間に設定されていたらかなり厳しいものがあっただろう。
自分の前はすでに250人は入っていたので、後方の真ん中あたりの隙間に陣取って開演を待つ。後ろといってもステージまでは10メートルもないだろう。近いといえば近い。そして午後5時半を2分ほど過ぎたら照明が落ちて公演開始だ。5月2日と同じように
「1996・・・Spirits」
などと過去のアルバムが順々に紹介されるが、大阪は現在(今年出した「オーディナリーライフ」)からデビュー曲”I’m Free”(85年)までさかのぼる流れが、逆に時系列に沿ってアルバムの名前が出てくる。そうなると最後に出てくる名前は最新アルバムだから1曲目は”青空ハピネス”だろうと思っていたら(5月5日の日比谷公演はこれだった)、”サマータイムブルース”で始まった。
面白かったのは、サックスがバンド・マスターのスパム春日井が担当していたのである。その時になってから「あれ?今日はサックスがいないのか」と気づいたが、サックスまで演奏できるスパムのマルチ・プレイヤーぶりを見て客席はけっこう湧いていた。
曲目は、先月の大阪公演を観た立場としては意外性のない内容に感じる。大阪はそれでも”I’m Free”と”泣いちゃいそうだよ”が披露されたけれど、それが無くなって”Long Night”と(大嫌いな)”ジャングルチャイルド”が入れ替わった格好で、先月に比べてだいぶ平凡な印象になったといえる。1曲でも意外性のあるものを混ぜたら全く感想が変わってくるのだけどね。
ライブ中のMCでは、いろいろなアルバムから歌います、などと言っていた気がするが「オーディナリーライフ」(15年)から「BIG WAVE」(93年)までの22年の間に出た曲がスコーンと抜けているのがこの人の30年を物語っている、といったら言い過ぎだろうか。アンコールを含めて17曲のうち、最新作からは実に9曲、他はライブでの定番という内訳はデビュー30周年と銘打ったツアーの内容としてはどうなのかなという気はする。ただ私はもう期待値ゼロでライブ会場に臨んでいる身なので、この人のことだからこの内容かなという感想しか抱けないが。これで最新アルバムが酷いものだったら、本当に悲惨なライブになっていただろう。
良かったのは、会場が小さいためかいつもより歌声が前面に出ているように聞こえた点である。個人的に今年のベスト・ソングである”オーディナリーライフ”は真に迫るものがあった。これがまた聴けただけでも26日ぶりの貴重な休みを使って滋賀まで行った甲斐はあったかな。
そういえばMCで、滋賀の方はどれくらいいますか?という美里の質問に反応したのは半分もいなかった。大半は大阪もしくは京都あたりから来たお客なのだろう。そしてそういう輩がまたアンコールで「美里!チャチャチャ!とやり出すから本当に嫌になる。「お前ら、そんなことをするためにわざわざ滋賀までやってくるのか!」と言いたくなった。
アンコールを含めて17曲、1時間50分ほどというのはこれまでのライブより短くなった感じがするが、劣悪なライブ会場ということを考えればこれくらいが限度なのかもしれない(終演後に、苦しかった、と外で感想をもらしていた人がちらほら見かけた)。いや、そもそも客の年齢からしてすし詰めのオールスタンディングという設定に無理があるのだが、今後は果たしてどうなっていくのだろう。
とりあえず、私は9月のKYOTO MUSEまでまた静かに過ごすことにする。京都の会場も今夜とさして変わらない環境なのだが。
最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)サマータイムブルース
(2)青空ハピネス
(3)Long Night
(4)夢ってどんな色してるの
(5)BELIEVE
(6)A Reason
(7)点と線
(8)ジャングルチャイルド
(9)今夜がチャンス
(10)涙を信じない女
(11)虹をみたかい
(12)My Revolution
(13)オーディナリーライフ
<アンコール>
(14)10years
(15)Glory
(16)恋したっていいじゃない
(17)ここから
5月2日の大阪城野外音楽堂から始まった、渡辺美里の47都道府県を回る全国ツアーが現在継続中である。私は京都公演だけ参加するつもりでいたがそれは9月とまだけっこう先の話である。ライブを観るまでは各会場の曲目も確認しないようにしているけれど、何ヶ月もツアーをしていたら内容も多少は変わってくるだろうかという思いもあり、考えた末に「発売中」であった滋賀公演も1枚確保することにした。買ったのは6月に入ってからであり、整理番号は318番だった。
その会場であるライブハウス「ユーストン」(実際の表記はU STONEで、「U
」と「STONE」の間に星印が入る)はその石山駅から徒歩3分ほどのところだった。ここに来ることもおそらく最初で最後だろう。
http://www.ustone.space/
私が入場するのは最後の最後なので開場10分前くらいに入場列に加わったが、最後尾まで行くともうJR石山駅は目の前だった。列はそれくらいまで伸びていた。300人程度でも並ぶとけっこう長くなるものだ。少しずつ入場していったので、私が入る頃にはもう開演まで10分ほどしかなかった。その後ろは当日券を買った人とか10人程度だったので、今日のお客は多く見ても350人くらいかと思われる。ネットで調べたところ収容人数は400人となっていた。よって会場内はもう満杯という感じで、冷房もあまり効かなくなっている。これで待ち時間が1時間に設定されていたらかなり厳しいものがあっただろう。
自分の前はすでに250人は入っていたので、後方の真ん中あたりの隙間に陣取って開演を待つ。後ろといってもステージまでは10メートルもないだろう。近いといえば近い。そして午後5時半を2分ほど過ぎたら照明が落ちて公演開始だ。5月2日と同じように
「1996・・・Spirits」
などと過去のアルバムが順々に紹介されるが、大阪は現在(今年出した「オーディナリーライフ」)からデビュー曲”I’m Free”(85年)までさかのぼる流れが、逆に時系列に沿ってアルバムの名前が出てくる。そうなると最後に出てくる名前は最新アルバムだから1曲目は”青空ハピネス”だろうと思っていたら(5月5日の日比谷公演はこれだった)、”サマータイムブルース”で始まった。
面白かったのは、サックスがバンド・マスターのスパム春日井が担当していたのである。その時になってから「あれ?今日はサックスがいないのか」と気づいたが、サックスまで演奏できるスパムのマルチ・プレイヤーぶりを見て客席はけっこう湧いていた。
曲目は、先月の大阪公演を観た立場としては意外性のない内容に感じる。大阪はそれでも”I’m Free”と”泣いちゃいそうだよ”が披露されたけれど、それが無くなって”Long Night”と(大嫌いな)”ジャングルチャイルド”が入れ替わった格好で、先月に比べてだいぶ平凡な印象になったといえる。1曲でも意外性のあるものを混ぜたら全く感想が変わってくるのだけどね。
ライブ中のMCでは、いろいろなアルバムから歌います、などと言っていた気がするが「オーディナリーライフ」(15年)から「BIG WAVE」(93年)までの22年の間に出た曲がスコーンと抜けているのがこの人の30年を物語っている、といったら言い過ぎだろうか。アンコールを含めて17曲のうち、最新作からは実に9曲、他はライブでの定番という内訳はデビュー30周年と銘打ったツアーの内容としてはどうなのかなという気はする。ただ私はもう期待値ゼロでライブ会場に臨んでいる身なので、この人のことだからこの内容かなという感想しか抱けないが。これで最新アルバムが酷いものだったら、本当に悲惨なライブになっていただろう。
良かったのは、会場が小さいためかいつもより歌声が前面に出ているように聞こえた点である。個人的に今年のベスト・ソングである”オーディナリーライフ”は真に迫るものがあった。これがまた聴けただけでも26日ぶりの貴重な休みを使って滋賀まで行った甲斐はあったかな。
そういえばMCで、滋賀の方はどれくらいいますか?という美里の質問に反応したのは半分もいなかった。大半は大阪もしくは京都あたりから来たお客なのだろう。そしてそういう輩がまたアンコールで「美里!チャチャチャ!とやり出すから本当に嫌になる。「お前ら、そんなことをするためにわざわざ滋賀までやってくるのか!」と言いたくなった。
アンコールを含めて17曲、1時間50分ほどというのはこれまでのライブより短くなった感じがするが、劣悪なライブ会場ということを考えればこれくらいが限度なのかもしれない(終演後に、苦しかった、と外で感想をもらしていた人がちらほら見かけた)。いや、そもそも客の年齢からしてすし詰めのオールスタンディングという設定に無理があるのだが、今後は果たしてどうなっていくのだろう。
とりあえず、私は9月のKYOTO MUSEまでまた静かに過ごすことにする。京都の会場も今夜とさして変わらない環境なのだが。
最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)サマータイムブルース
(2)青空ハピネス
(3)Long Night
(4)夢ってどんな色してるの
(5)BELIEVE
(6)A Reason
(7)点と線
(8)ジャングルチャイルド
(9)今夜がチャンス
(10)涙を信じない女
(11)虹をみたかい
(12)My Revolution
(13)オーディナリーライフ
<アンコール>
(14)10years
(15)Glory
(16)恋したっていいじゃない
(17)ここから
本日の京都の最高気温が「30度」というのは行き過ぎだが、快晴になってくれて本当に良かった。デビューからちょうど30周年の節目を迎える今日、大阪城野外音楽堂でライブがおこなわれる。まだ不安定な気候が続く春の時期にあってここまでの天気になるというのは実に幸運なことだ。
かつて横浜港そばでおこなわれた夏のライブ(厳密に言うと2007年7月29日の「渡辺美里Cosmic Night 2007」)が終わった直後に大雨がドッと降ってきたことを連想した。この人の野外ライブは何度も参加しているが、公演の最中に天気で邪魔されたという経験がない。天気というのは自然現象であり人智の及ぶところではないのだが、彼女はこうしたものに対して運というか「何か」を持っているのかもしれない。
開演は午後3時半と早めの時間設定になっていた。まだまだ暑さも厳しい時だったので開演の20分ほど前に席へ着く。会場を見渡しながらボーっと座って待っていたら、
「懐かしい!“Easy Lover”や!」
という女性の声が後ろから聴こえてきた。スピーカーから流れた曲に反応したのだ。“Easy Lover”とはフィル・コリンズとフィリップ・ベイリーとのデュエット曲で、1984年11月に発売され全米2位を記録する大ヒットとなった。続いてスティーヴィー・ワンダーの全米ナンバー1ヒット“Part-Time Lover”(85年)がかかった。このあたりは美里がデビューした時期を意識した選曲なのだろう。
しかし1985年といえば、私はまだ小学3年生の頃である。そこから今日までの30年という年月を思うと気が遠くなってくる。特にブランクのようなものもなくここまで活動を続けてきたという事実は素朴に凄いことだ。人生でブランクの占める割合の方が大きい自分としての率直な感想である。
そんなことを思っているうちに午後3時35分ごろ、スピーカーからは
「1996・・・Spirits」
とか
「1991・・・Lucky」
と歴代のアルバム名とその発売年、そして収録曲の断片が流れてくる。それがライブ開始までのカウントダウンとなっていた。そして30年前の1985年までさかのぼり、
「I’m Free」
と告げられると、バンドの演奏が始まりデビュー曲“I’m Free”のイントロが流れ出す。自身のオリジナルではなくカバー曲ゆえ熱心なファンしか知らない曲だが(3枚組ベスト・アルバムや4枚組ベストにしか入っていない)、何も考えずにライブに臨んでいた自分には意表を突かれる冒頭だった。ただ正直な話、25周年(2010年)の時の5月2日にも歌われたのでものすごく意外というほどでもなかったけれど。
“I’m Free”に続いては、一気に時代を30年ワープして最新アルバム「オーディナリー・ライフ」から“青空ハピネス”が出てくる。今日はこのアルバムから実に8曲も披露されたが、幸い中身のある作品になったのでセット・リストは非常に締まったものになった気がする。特に、元日ライブに聴いた時はあまりピンとこなかった“今夜がチャンス”は不思議と印象がグッと良くなった。アルバムを繰り返しかけているうちにこちらの感覚が変わったのかもしれない。
個人的に最も驚いたのは、大阪の地でこの日を迎えられて嬉しいです、と感慨深げなMCをしてからの“泣いちゃいそうだよ”である。この曲をフル・コーラスで聴いたのは1992年の「スタジアム伝説」でのライブ以来、実に23年ぶりのことだったからだ(メドレーの中で触りの部分を聴いたことはあったかもしれない)。特に人気のある曲でもないだろうが、当時は「この人が歌えばなんでも良かった」という心境だったので非常に思い入れは強い。かなり無理のある歌い方が入っているため現在の彼女が歌うにはだいぶ苦しいものがあったけれど、そんなことはどうでも良かった
これを聴きながら、
「ああ・・・今日この場所にいられて本当に良かったなあ・・・」
と青空を見上げながら、幸せな気分に浸っていた。
デビューの日でしかも30周年ということもあって、終始会場は祝福ムードに包まれているように感じた。連休を機会に全国から熱心なファンが終結したのだろう。アンコールの前に発生した「美里!チャチャチャ!」や終演後に三本締めをする輩については相変わらず閉口してしまうが。
ところで、今回の大阪と東京のライブではゲストとしてギタリストの押尾コータローが出演した。彼を招いた理由がいま一つわからなかったけれど、別に節目とかいったことでもなく今回お互いの都合がついて共演が今回実現したということか。それはともかく、押尾のギターだけで歌われた“悲しいボーイフレンド”と“BELIEVE”は彼女の声が前面に出ている感じがして良かった。
この2曲に限らず全編を通して声はよく出ていたといえる。全国47都道府県を回るツアーの皮切りということで気合いも入っていたにちがいない。特にアンコールでの“オーディナリー・ライフ”は、生で聴くほうが素晴らしいとは予想していたけれど、神懸かっている時の彼女の片鱗を見せられた気がしたし、まその歌いっぷりには胸に迫るものがあった。全20曲、2時間半と思ったより少し短めではあったものの、充実した内容で満足はしている。
ライブの終わりで、年末の12月23日に再び大阪フェスティバルホールで公演があると初めて発表される。帰り際にチラシを渡されて、しかも今からチケットを受け付けると書いていたのには少し苦笑した。こちらは京都公演、そしてできれば滋賀にも足を出そうかと思っているが、その工面もできてない状態だったからだ。それが済んでから検討させてもらいたい。ただ、フェスティバルホールでのこの人は調子が良い時が多いので、その点では少し期待できるかもしれない。
最後に今日の曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)I’m Free
(2)青空ハピネス
(3)夢ってどんな色してるの
(4)泣いちゃいそうだよ
(5)点と線
(6)10 years
(7)悲しいボーイフレンド(押尾コータローと二人で)
(8)BELIEVE(押尾コータローと二人で)
(9)さくらの花のさくころに(バンドと押尾コータローと一緒に)
(10)A Reason
(11)荒ぶる胸のシンバル鳴らせ
(12)今夜がチャンス
(13)涙を信じない女
(14)My Revolution
(15)サマータイムブルース
(16)ここから
〈アンコール〉
(17)オーディナリー・ライフ
(18)恋したっていいじゃない
(19)チェリーが3つ並ばない
(20)eyes
かつて横浜港そばでおこなわれた夏のライブ(厳密に言うと2007年7月29日の「渡辺美里Cosmic Night 2007」)が終わった直後に大雨がドッと降ってきたことを連想した。この人の野外ライブは何度も参加しているが、公演の最中に天気で邪魔されたという経験がない。天気というのは自然現象であり人智の及ぶところではないのだが、彼女はこうしたものに対して運というか「何か」を持っているのかもしれない。
開演は午後3時半と早めの時間設定になっていた。まだまだ暑さも厳しい時だったので開演の20分ほど前に席へ着く。会場を見渡しながらボーっと座って待っていたら、
「懐かしい!“Easy Lover”や!」
という女性の声が後ろから聴こえてきた。スピーカーから流れた曲に反応したのだ。“Easy Lover”とはフィル・コリンズとフィリップ・ベイリーとのデュエット曲で、1984年11月に発売され全米2位を記録する大ヒットとなった。続いてスティーヴィー・ワンダーの全米ナンバー1ヒット“Part-Time Lover”(85年)がかかった。このあたりは美里がデビューした時期を意識した選曲なのだろう。
しかし1985年といえば、私はまだ小学3年生の頃である。そこから今日までの30年という年月を思うと気が遠くなってくる。特にブランクのようなものもなくここまで活動を続けてきたという事実は素朴に凄いことだ。人生でブランクの占める割合の方が大きい自分としての率直な感想である。
そんなことを思っているうちに午後3時35分ごろ、スピーカーからは
「1996・・・Spirits」
とか
「1991・・・Lucky」
と歴代のアルバム名とその発売年、そして収録曲の断片が流れてくる。それがライブ開始までのカウントダウンとなっていた。そして30年前の1985年までさかのぼり、
「I’m Free」
と告げられると、バンドの演奏が始まりデビュー曲“I’m Free”のイントロが流れ出す。自身のオリジナルではなくカバー曲ゆえ熱心なファンしか知らない曲だが(3枚組ベスト・アルバムや4枚組ベストにしか入っていない)、何も考えずにライブに臨んでいた自分には意表を突かれる冒頭だった。ただ正直な話、25周年(2010年)の時の5月2日にも歌われたのでものすごく意外というほどでもなかったけれど。
“I’m Free”に続いては、一気に時代を30年ワープして最新アルバム「オーディナリー・ライフ」から“青空ハピネス”が出てくる。今日はこのアルバムから実に8曲も披露されたが、幸い中身のある作品になったのでセット・リストは非常に締まったものになった気がする。特に、元日ライブに聴いた時はあまりピンとこなかった“今夜がチャンス”は不思議と印象がグッと良くなった。アルバムを繰り返しかけているうちにこちらの感覚が変わったのかもしれない。
個人的に最も驚いたのは、大阪の地でこの日を迎えられて嬉しいです、と感慨深げなMCをしてからの“泣いちゃいそうだよ”である。この曲をフル・コーラスで聴いたのは1992年の「スタジアム伝説」でのライブ以来、実に23年ぶりのことだったからだ(メドレーの中で触りの部分を聴いたことはあったかもしれない)。特に人気のある曲でもないだろうが、当時は「この人が歌えばなんでも良かった」という心境だったので非常に思い入れは強い。かなり無理のある歌い方が入っているため現在の彼女が歌うにはだいぶ苦しいものがあったけれど、そんなことはどうでも良かった
これを聴きながら、
「ああ・・・今日この場所にいられて本当に良かったなあ・・・」
と青空を見上げながら、幸せな気分に浸っていた。
デビューの日でしかも30周年ということもあって、終始会場は祝福ムードに包まれているように感じた。連休を機会に全国から熱心なファンが終結したのだろう。アンコールの前に発生した「美里!チャチャチャ!」や終演後に三本締めをする輩については相変わらず閉口してしまうが。
ところで、今回の大阪と東京のライブではゲストとしてギタリストの押尾コータローが出演した。彼を招いた理由がいま一つわからなかったけれど、別に節目とかいったことでもなく今回お互いの都合がついて共演が今回実現したということか。それはともかく、押尾のギターだけで歌われた“悲しいボーイフレンド”と“BELIEVE”は彼女の声が前面に出ている感じがして良かった。
この2曲に限らず全編を通して声はよく出ていたといえる。全国47都道府県を回るツアーの皮切りということで気合いも入っていたにちがいない。特にアンコールでの“オーディナリー・ライフ”は、生で聴くほうが素晴らしいとは予想していたけれど、神懸かっている時の彼女の片鱗を見せられた気がしたし、まその歌いっぷりには胸に迫るものがあった。全20曲、2時間半と思ったより少し短めではあったものの、充実した内容で満足はしている。
ライブの終わりで、年末の12月23日に再び大阪フェスティバルホールで公演があると初めて発表される。帰り際にチラシを渡されて、しかも今からチケットを受け付けると書いていたのには少し苦笑した。こちらは京都公演、そしてできれば滋賀にも足を出そうかと思っているが、その工面もできてない状態だったからだ。それが済んでから検討させてもらいたい。ただ、フェスティバルホールでのこの人は調子が良い時が多いので、その点では少し期待できるかもしれない。
最後に今日の曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)I’m Free
(2)青空ハピネス
(3)夢ってどんな色してるの
(4)泣いちゃいそうだよ
(5)点と線
(6)10 years
(7)悲しいボーイフレンド(押尾コータローと二人で)
(8)BELIEVE(押尾コータローと二人で)
(9)さくらの花のさくころに(バンドと押尾コータローと一緒に)
(10)A Reason
(11)荒ぶる胸のシンバル鳴らせ
(12)今夜がチャンス
(13)涙を信じない女
(14)My Revolution
(15)サマータイムブルース
(16)ここから
〈アンコール〉
(17)オーディナリー・ライフ
(18)恋したっていいじゃない
(19)チェリーが3つ並ばない
(20)eyes
渡辺美里「Lovin’ you」(86年)
2015年4月26日 渡辺美里
○「Lovin’ you」概説
「Lovin’ you」は1986年7月2日に発売された、渡辺美里の2枚目のアルバムである。同年1月22日に出た4枚目のシングル「My Revolution」が3月22日付のオリコン・チャートで第1位を獲得する大ヒット(70万枚売れたと言われている)となった。また続く“Teenage Walk”(86年5月2日発売、最高位5位)もシングル・ヒットし、その流れの中で発売された本作は2枚組という体裁でありながら第1位(年間では7位)を獲得した(オリコンでは売上枚数67万枚と記録されている)。
アルバムは1枚目が「HERE」、2枚目が「THERE」と名付けられ、それぞれ10曲が収録されている。プロデューサーは80年代のエピック・ソニー黄金期の立役者である小坂洋二、全ての編曲で今は亡き大村雅朗(97年没)が手がけ、2曲(“天使にかまれる”、“嵐が丘”)だけ小室哲哉が編曲者として名前が載っている。よって、本作の主導者は小坂・大村の二人であることは間違いない。
前作「eyes」(85年)と本作で美里はもっぱら「歌手」としての役割に徹していて「表現者」としてはまだ開花しきれていない。そういう点で私のような人間には本人がプロデュースを始める次作「BREATH」(87年)以降の作品の方に重きがいくが、見方を変えてみれば、彼女の世界観が苦手な人にはむしろ最初の2作のほうを高く評価するかもしれない。
いま私は「BREATH」以降の彼女を高く評価していると書いたが、それでも本作を貫く彼女の歌声の勢いは聴いているとねじ伏せられるような感覚におちいる。以下に記しているが、膨大な本数のライブ・ツアーやスタジアム・ライブなどをやり遂げた彼女の歌手やパフォーマーとしての基礎体力はずば抜けているとしかいえない。そんな上り調子の彼女が収められたのが本作の特徴であり魅力であろう。
思い起こせば私が彼女の「信者」だったころ、プロ野球の投手に例えてみれば「180キロくらい投げる投手」に見えたものである。そうなれば、もう他の歌手など眼中に入るわけがない。そんな時期がシングル“いつかきっと”(93年)まで続いたのである。しかしながら、剛球投手が短命なのもまた世の常でありそこから技巧派になって投手生命を伸ばすような器用さまで持ち合わせていなかったことがその後の彼女の活動が示している。
○日本の女性シンガーの先駆者として
この頃の渡辺美里の活動をたどっていくと、日本の女性シンガーとしての記録を次々と塗り替えていった時期といえる。当時このアルバムが出た時、彼女はまだ若干19歳、昨年にデビューしたばかりだったのだ。その短いキャリアで2枚組のアルバムを制作したというのだから、周囲の関係者が彼女に対してどれほど期待していたのかが想像できる。
ライブについても恐ろしいほど精力的で、4月8日からまず全国18か所19公演のライブ・ツアー「My Revolution/19歳の秘かな欲望」(~6月28日)、アルバム発売後の9月2日から全国38か所39公演のツアー「Steppin’ Now Tour」(~87年2月26日)を敢行する(声帯ポリーブのため、中断した公演もあったらしい)。その合間の8月には女性ソロ・シンガーとして初の試みであるスタジアム・ライブ(大阪球場、名古屋城深井丸広場、西武ライオンズ球場の3か所)を見事に成功させるなど、その勢いにとどまるところはなかった。
○個々の楽曲について
さきほども述べたが、個人的にはそれほど思い入れがある作品でもないので何曲か抜粋する形で紹介したい。
【HERE(ディスク1)】
(1)Long Night(作詞:渡辺美里、作曲:岡村靖幸、編曲:大村雅朗)
アルバム発表直後の7月21日にシングルとして発売され、オリコン最高位11位を記録している。彼女の初期の代表曲の一つであり、本人の思い入れも強いのか現在でもライブで披露される機会は多い。
歌詞に出てくる登場人物はどんなに辛いことがあっても夢に向かって突き進むという感じで、それは歌手としての道を歩んでいるこの人のイメージとも重なってくる。
ただ、安直なストレートさだけでなく
<Long night Long night Long night
たどり着きたい
Long night Long night Long night
あきらめないで 悲しい現実 超えるよ>
というようなフレーズの繰り返しやサビに出てくる高音のコーラスが切実な響きを与えている。力強くもせつないという彼女の作風はすでにここで確立しているといえよう。
(3)My Revolution(作詞:川村真澄、作曲:小室哲哉、編曲:大村雅朗)
渡辺美里の最大のヒット曲にして代表曲であることは論を待たない。「ニュー・ミュージック」と言われた80年代の邦楽を象徴する1曲でもあろう。また現在から見れば美里というよりも、あの小室哲哉が最初に出したナンバー1ソング、ということの方が強調されるかもしれない。しかしながら発売当時の私は小学3年生である。これがヒットした事実も知らないし音楽に対して何の興味も持っていなかった時期である。それゆえこの曲に対しての個人的な思い入れはあまり強くない。小室哲哉を必ずしも最高と思っていないことも大きいが。
かつてNHKのテレビ番組「トップ・ランナー」に彼女が出演した時に(01年3月15日放送)で司会の益子直美が、この曲に励まされた、とか、バレーの合宿所ではいつもどこかで流れていた、というようなことを語っていたのが印象的だった。彼女はまさにリアルタイムで10代にこの曲を聴いていた人である。
おそらく、
<夢を追いかけるなら たやすく泣いちゃダメさ>
という一節が体育会系の少年少女などの琴線に触れて世間に広がる大ヒットにつながったのだろう。
しかしそうした一部分だけが拡大解釈され、彼女に対して「青春応援歌」だの「前向き」だのといったイメージを強固に造り上げたように思えてならない。別に私は彼女のキャラクターにそうした側面があることを否定する気はない。ただ、それだけでもないんだけどなあ、という残念な気持ちをずっと抱いているだけのことだ。もはやそんなことを言っても仕方ない話なのだが、大ヒット曲を出すというのは必ずしも良い側面ばかりでもないことを示す一例ともいえる。
楽曲自体は実に見事である。特に冒頭のドラムスの音は心臓の鼓動のようで、新しい歌手がまさに誕生する瞬間を象徴している気がする、などと感じるのは私だけだろうか。
(6)19才の秘かな欲望(作詞:戸沢 暢美: 作曲:岡村靖幸、編曲:大村雅朗)
全盛期の彼女のステージを観た人にとっては忘れられない曲の一つではないだろうか。
ただでさえ力の必要な歌のうえに、ライブでは生声を会場に響くパフォーマンスまで加わる圧倒的なものがあった。喉に負担がかかると気づいたのか今の時期はそうしたことは行っていない。かつて自身を「全身歌手」と名乗っていた時があるが、これはその象徴のような曲である。なぜか「ribbon」で再録音されている。
(8)君はクロール(作詞:渡辺美里、作曲・編曲:大村雅朗)
大村雅朗が作曲も手掛けている珍しい曲(この曲の他に私は知らない)。作詞は美里本人で、好きな人(彼氏?)がクロールで泳ぐ姿を見つめているという着眼点も変わっている。
<太陽のまぶしさに手をかざす午後
どこかから聞こえてくる子供達の声
ひと気のないプールで
今ゆっくりターンする>
という写実的なところは「ribbon」(88年)に通じる世界観という気がする。
しかしその中に、
<はじめて着た水着を
気づくまでは濡らさない>
というような女性独特の視点が入っている点が興味深い。打ち込みを主体にしたバックでゆったりと歌われる音作りも独特で、いま聴いてもあまり古びた感じがしない。
【THERE(ディスク2)】
(1)悲しき願い(Here & There)(作詞:渡辺美里、作曲:岡村靖幸、編曲:大村雅朗)
本作を聴き返して改めて気づいた点の一つに、アルバムの半分までは美里自身の作詞だったことがある。もっと他人の作詞の比率が高いと今まで思っていたので意外な事実だった。
おそらく大江千里や佐野元春といった同じEPICソニーの先輩ミュージシャンや作詞を提供しているプロの作家を手本にしながら試行錯誤して自分の世界を築き上げていたのがこの時期だったのではないだろうか。この曲や“みつめていたい”などの歌詞をたどっていると、悪戦苦闘しながらもまだ個性を確立しきれていない感があり、しかしそれはそれで面白い気もする。次作「BREATH」によってその苦労が結実することになるが。
(5)Steppin’ Now(作詞・作曲:渡辺美里、編曲:大村雅朗)
こちらは初めて本人が作曲を手掛けている。そのせいかわからないが、ライブでも時おり歌われている。彼女自身の曲でパッと思い付くのは“サマータイムブルース”か“サンキュ”くらいで、やはり作詞のイメージが強い。この曲も遊びというか実験で作ったような、打ち込み主体の音作りとなっている。
しかし歌詞を確認してみたら、
<壁にかかったフィービー・スノウ
ポスターほほえんでいる>
という一節に気づいて驚かされた。フィービー・スノウ(Phoebe Snow)とはニューヨーク生まれの女性シンガー・ソングライターで、1975年に“ポエトリィ・マン(Poetory Man)”という全米ナンバー1ヒットを獲得している(2011年に逝去、享年60歳)。
実際にこの人の部屋にポスターがあったのかどうかは知らないが、大人っぽいというか渋い趣味の女性像をイメージしてしまう。
(8)Teenage Walk(作詞:神沢礼江、作曲:小室哲哉、編曲:大村雅朗)
曲名からして10代に向けて歌われるための曲である(歌っている人間もまだ19歳だった)。そのためか最近はあまり歌われないし、私もフルで聴いたのは3回くらいかと思う。まあ、本人も観衆の年齢も10代から大きく逸脱しているから当然かもしれないが。
“My Revolution”と同様にいかにも「前向き」なイメージが強く、レコード会社が彼女をどのようなキャラクターで打ち出したそうとしていたのかが窺える。後年に観たこの曲のミュージック・ヴィデオでは「痛い」とか「しなやか」とか「りりしさ」といった字幕がバッと出てきて少なからぬ違和感を抱くものであり、正直あまり好きな世界ではない。興味がある方はネット探せば見つかるかと思われる(ここでのセーラー服のような恰好はとても可愛らしい)。
(9)嵐ヶ丘(作詞:渡辺美里、作曲:小室哲哉、編曲:大村雅朗・小室哲哉)
このアルバムを初めて聴いた時から気に入っている曲で、こればかり繰り返し流していた時期もあった気がする。
<オシャレなおしゃべりや
今日着るシャツの 色なんかよりも
嵐に打たれても ぼくにはいつでも きみだけが大事>
とやや自暴自棄ぎみな感じも含んだ思いが伝わる歌詞である。
冒頭から目いっぱいの力で歌われ、中盤でいったん静かになってサビでまた勢いをつけて最後まで突っ走るという流れは実に劇的だ。曲調やシンセサイザーの響きはいかにも小室哲哉というもので、そこにコーラスやホーン・セクションが加わり切迫した雰囲気を加速させる。
一度は生で聴いてみたいという思いもあるが、現在の彼女が歌うにはかなり厳しいものがあるだろう。この時期にあった力と勢いで歌い上げた、本作のハイライトの一つである。
(10)Lovin’ you(作詞:渡辺美里、作曲:岡村靖幸、編曲:大村雅朗)
アルバムの最後を飾るのは、いまでも節目で歌われるバラードだ。
<ぼくのなかの Rockn’ Roll
口ずさむMelody
帰り道はいつも華やいで
とがったココロをいやしてくれる
君に出会うために
生まれてきたんだと想うのさ>
ここに出てくる「君」とは、まさに渡辺美里という気がする。彼女がどのような歌手であり表現者であるかを示している名刺代わりのような曲と個人的には位置づけている。
ちなみに、
<Too young to sing the blues>
という一節は、彼女の好きなエルトン・ジョンの代表曲“Goodbye Yellow Brick Road”(73年)の中から取られたものだろう。
本作では勢いのある歌いぶりに耳を奪われがちだが、こうしたゆったりした曲を見事に歌いきている部分も見逃してはいけないだろう。一つ一つの曲を見てみると、このアルバムもけっこうバラエティは富んでいると再確認した。
「Lovin’ you」は1986年7月2日に発売された、渡辺美里の2枚目のアルバムである。同年1月22日に出た4枚目のシングル「My Revolution」が3月22日付のオリコン・チャートで第1位を獲得する大ヒット(70万枚売れたと言われている)となった。また続く“Teenage Walk”(86年5月2日発売、最高位5位)もシングル・ヒットし、その流れの中で発売された本作は2枚組という体裁でありながら第1位(年間では7位)を獲得した(オリコンでは売上枚数67万枚と記録されている)。
アルバムは1枚目が「HERE」、2枚目が「THERE」と名付けられ、それぞれ10曲が収録されている。プロデューサーは80年代のエピック・ソニー黄金期の立役者である小坂洋二、全ての編曲で今は亡き大村雅朗(97年没)が手がけ、2曲(“天使にかまれる”、“嵐が丘”)だけ小室哲哉が編曲者として名前が載っている。よって、本作の主導者は小坂・大村の二人であることは間違いない。
前作「eyes」(85年)と本作で美里はもっぱら「歌手」としての役割に徹していて「表現者」としてはまだ開花しきれていない。そういう点で私のような人間には本人がプロデュースを始める次作「BREATH」(87年)以降の作品の方に重きがいくが、見方を変えてみれば、彼女の世界観が苦手な人にはむしろ最初の2作のほうを高く評価するかもしれない。
いま私は「BREATH」以降の彼女を高く評価していると書いたが、それでも本作を貫く彼女の歌声の勢いは聴いているとねじ伏せられるような感覚におちいる。以下に記しているが、膨大な本数のライブ・ツアーやスタジアム・ライブなどをやり遂げた彼女の歌手やパフォーマーとしての基礎体力はずば抜けているとしかいえない。そんな上り調子の彼女が収められたのが本作の特徴であり魅力であろう。
思い起こせば私が彼女の「信者」だったころ、プロ野球の投手に例えてみれば「180キロくらい投げる投手」に見えたものである。そうなれば、もう他の歌手など眼中に入るわけがない。そんな時期がシングル“いつかきっと”(93年)まで続いたのである。しかしながら、剛球投手が短命なのもまた世の常でありそこから技巧派になって投手生命を伸ばすような器用さまで持ち合わせていなかったことがその後の彼女の活動が示している。
○日本の女性シンガーの先駆者として
この頃の渡辺美里の活動をたどっていくと、日本の女性シンガーとしての記録を次々と塗り替えていった時期といえる。当時このアルバムが出た時、彼女はまだ若干19歳、昨年にデビューしたばかりだったのだ。その短いキャリアで2枚組のアルバムを制作したというのだから、周囲の関係者が彼女に対してどれほど期待していたのかが想像できる。
ライブについても恐ろしいほど精力的で、4月8日からまず全国18か所19公演のライブ・ツアー「My Revolution/19歳の秘かな欲望」(~6月28日)、アルバム発売後の9月2日から全国38か所39公演のツアー「Steppin’ Now Tour」(~87年2月26日)を敢行する(声帯ポリーブのため、中断した公演もあったらしい)。その合間の8月には女性ソロ・シンガーとして初の試みであるスタジアム・ライブ(大阪球場、名古屋城深井丸広場、西武ライオンズ球場の3か所)を見事に成功させるなど、その勢いにとどまるところはなかった。
○個々の楽曲について
さきほども述べたが、個人的にはそれほど思い入れがある作品でもないので何曲か抜粋する形で紹介したい。
【HERE(ディスク1)】
(1)Long Night(作詞:渡辺美里、作曲:岡村靖幸、編曲:大村雅朗)
アルバム発表直後の7月21日にシングルとして発売され、オリコン最高位11位を記録している。彼女の初期の代表曲の一つであり、本人の思い入れも強いのか現在でもライブで披露される機会は多い。
歌詞に出てくる登場人物はどんなに辛いことがあっても夢に向かって突き進むという感じで、それは歌手としての道を歩んでいるこの人のイメージとも重なってくる。
ただ、安直なストレートさだけでなく
<Long night Long night Long night
たどり着きたい
Long night Long night Long night
あきらめないで 悲しい現実 超えるよ>
というようなフレーズの繰り返しやサビに出てくる高音のコーラスが切実な響きを与えている。力強くもせつないという彼女の作風はすでにここで確立しているといえよう。
(3)My Revolution(作詞:川村真澄、作曲:小室哲哉、編曲:大村雅朗)
渡辺美里の最大のヒット曲にして代表曲であることは論を待たない。「ニュー・ミュージック」と言われた80年代の邦楽を象徴する1曲でもあろう。また現在から見れば美里というよりも、あの小室哲哉が最初に出したナンバー1ソング、ということの方が強調されるかもしれない。しかしながら発売当時の私は小学3年生である。これがヒットした事実も知らないし音楽に対して何の興味も持っていなかった時期である。それゆえこの曲に対しての個人的な思い入れはあまり強くない。小室哲哉を必ずしも最高と思っていないことも大きいが。
かつてNHKのテレビ番組「トップ・ランナー」に彼女が出演した時に(01年3月15日放送)で司会の益子直美が、この曲に励まされた、とか、バレーの合宿所ではいつもどこかで流れていた、というようなことを語っていたのが印象的だった。彼女はまさにリアルタイムで10代にこの曲を聴いていた人である。
おそらく、
<夢を追いかけるなら たやすく泣いちゃダメさ>
という一節が体育会系の少年少女などの琴線に触れて世間に広がる大ヒットにつながったのだろう。
しかしそうした一部分だけが拡大解釈され、彼女に対して「青春応援歌」だの「前向き」だのといったイメージを強固に造り上げたように思えてならない。別に私は彼女のキャラクターにそうした側面があることを否定する気はない。ただ、それだけでもないんだけどなあ、という残念な気持ちをずっと抱いているだけのことだ。もはやそんなことを言っても仕方ない話なのだが、大ヒット曲を出すというのは必ずしも良い側面ばかりでもないことを示す一例ともいえる。
楽曲自体は実に見事である。特に冒頭のドラムスの音は心臓の鼓動のようで、新しい歌手がまさに誕生する瞬間を象徴している気がする、などと感じるのは私だけだろうか。
(6)19才の秘かな欲望(作詞:戸沢 暢美: 作曲:岡村靖幸、編曲:大村雅朗)
全盛期の彼女のステージを観た人にとっては忘れられない曲の一つではないだろうか。
ただでさえ力の必要な歌のうえに、ライブでは生声を会場に響くパフォーマンスまで加わる圧倒的なものがあった。喉に負担がかかると気づいたのか今の時期はそうしたことは行っていない。かつて自身を「全身歌手」と名乗っていた時があるが、これはその象徴のような曲である。なぜか「ribbon」で再録音されている。
(8)君はクロール(作詞:渡辺美里、作曲・編曲:大村雅朗)
大村雅朗が作曲も手掛けている珍しい曲(この曲の他に私は知らない)。作詞は美里本人で、好きな人(彼氏?)がクロールで泳ぐ姿を見つめているという着眼点も変わっている。
<太陽のまぶしさに手をかざす午後
どこかから聞こえてくる子供達の声
ひと気のないプールで
今ゆっくりターンする>
という写実的なところは「ribbon」(88年)に通じる世界観という気がする。
しかしその中に、
<はじめて着た水着を
気づくまでは濡らさない>
というような女性独特の視点が入っている点が興味深い。打ち込みを主体にしたバックでゆったりと歌われる音作りも独特で、いま聴いてもあまり古びた感じがしない。
【THERE(ディスク2)】
(1)悲しき願い(Here & There)(作詞:渡辺美里、作曲:岡村靖幸、編曲:大村雅朗)
本作を聴き返して改めて気づいた点の一つに、アルバムの半分までは美里自身の作詞だったことがある。もっと他人の作詞の比率が高いと今まで思っていたので意外な事実だった。
おそらく大江千里や佐野元春といった同じEPICソニーの先輩ミュージシャンや作詞を提供しているプロの作家を手本にしながら試行錯誤して自分の世界を築き上げていたのがこの時期だったのではないだろうか。この曲や“みつめていたい”などの歌詞をたどっていると、悪戦苦闘しながらもまだ個性を確立しきれていない感があり、しかしそれはそれで面白い気もする。次作「BREATH」によってその苦労が結実することになるが。
(5)Steppin’ Now(作詞・作曲:渡辺美里、編曲:大村雅朗)
こちらは初めて本人が作曲を手掛けている。そのせいかわからないが、ライブでも時おり歌われている。彼女自身の曲でパッと思い付くのは“サマータイムブルース”か“サンキュ”くらいで、やはり作詞のイメージが強い。この曲も遊びというか実験で作ったような、打ち込み主体の音作りとなっている。
しかし歌詞を確認してみたら、
<壁にかかったフィービー・スノウ
ポスターほほえんでいる>
という一節に気づいて驚かされた。フィービー・スノウ(Phoebe Snow)とはニューヨーク生まれの女性シンガー・ソングライターで、1975年に“ポエトリィ・マン(Poetory Man)”という全米ナンバー1ヒットを獲得している(2011年に逝去、享年60歳)。
実際にこの人の部屋にポスターがあったのかどうかは知らないが、大人っぽいというか渋い趣味の女性像をイメージしてしまう。
(8)Teenage Walk(作詞:神沢礼江、作曲:小室哲哉、編曲:大村雅朗)
曲名からして10代に向けて歌われるための曲である(歌っている人間もまだ19歳だった)。そのためか最近はあまり歌われないし、私もフルで聴いたのは3回くらいかと思う。まあ、本人も観衆の年齢も10代から大きく逸脱しているから当然かもしれないが。
“My Revolution”と同様にいかにも「前向き」なイメージが強く、レコード会社が彼女をどのようなキャラクターで打ち出したそうとしていたのかが窺える。後年に観たこの曲のミュージック・ヴィデオでは「痛い」とか「しなやか」とか「りりしさ」といった字幕がバッと出てきて少なからぬ違和感を抱くものであり、正直あまり好きな世界ではない。興味がある方はネット探せば見つかるかと思われる(ここでのセーラー服のような恰好はとても可愛らしい)。
(9)嵐ヶ丘(作詞:渡辺美里、作曲:小室哲哉、編曲:大村雅朗・小室哲哉)
このアルバムを初めて聴いた時から気に入っている曲で、こればかり繰り返し流していた時期もあった気がする。
<オシャレなおしゃべりや
今日着るシャツの 色なんかよりも
嵐に打たれても ぼくにはいつでも きみだけが大事>
とやや自暴自棄ぎみな感じも含んだ思いが伝わる歌詞である。
冒頭から目いっぱいの力で歌われ、中盤でいったん静かになってサビでまた勢いをつけて最後まで突っ走るという流れは実に劇的だ。曲調やシンセサイザーの響きはいかにも小室哲哉というもので、そこにコーラスやホーン・セクションが加わり切迫した雰囲気を加速させる。
一度は生で聴いてみたいという思いもあるが、現在の彼女が歌うにはかなり厳しいものがあるだろう。この時期にあった力と勢いで歌い上げた、本作のハイライトの一つである。
(10)Lovin’ you(作詞:渡辺美里、作曲:岡村靖幸、編曲:大村雅朗)
アルバムの最後を飾るのは、いまでも節目で歌われるバラードだ。
<ぼくのなかの Rockn’ Roll
口ずさむMelody
帰り道はいつも華やいで
とがったココロをいやしてくれる
君に出会うために
生まれてきたんだと想うのさ>
ここに出てくる「君」とは、まさに渡辺美里という気がする。彼女がどのような歌手であり表現者であるかを示している名刺代わりのような曲と個人的には位置づけている。
ちなみに、
<Too young to sing the blues>
という一節は、彼女の好きなエルトン・ジョンの代表曲“Goodbye Yellow Brick Road”(73年)の中から取られたものだろう。
本作では勢いのある歌いぶりに耳を奪われがちだが、こうしたゆったりした曲を見事に歌いきている部分も見逃してはいけないだろう。一つ一つの曲を見てみると、このアルバムもけっこうバラエティは富んでいると再確認した。
渡辺美里「BREATH」(87年)
2015年4月19日 渡辺美里
○「BREATH」概説
「BREATH」は1987年7月15日に発売された、渡辺美里の3枚目のアルバムである。オリコンでは週間1位、年間でも9位に入る大ヒットを記録した。87年5月2日に先行シングルとして発売された“IT’S TOUGH/BOYS CRIED(あの時からかもしれない)”も最高位2位のヒットとなっている。90万枚のセールスを記録した、と彼女の特集をしたラジオ番組で紹介された記憶がある。
○アルバム・ジャケットについて
彼女の顔が全面に映し出される異様なデザインは、キング・クリムゾンやU2のアルバムを参考にしたものらしい。クリムゾンはもちろん有名なファースト・アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」(69年)、U2については彼らの初期の代表作「WAR」(83年)で間違いないだろう。
そういえば亡くなった私の父親がこのCDを見て「気持ち悪い」と言っていたのを思い出す。
発売当時はレコード盤だったので、一辺が約30cmの大きさのジャケットで見たらもっと衝撃的だっただろう。そう、まだ時代はMP3どころかCDですら普及していなかったのである。ともあれ、ジャケットに関しては個人的にもあまり愛着はいまだに抱けないような気がする。
○初のセルフ・プロデュース作品という意義
初期の彼女を語る際に、共演したミュージシャンの豪華さを指摘されることが多い。小室哲哉や大江千里や岡村泰幸といった作家陣は言うまでもないが、本作より作曲家デビューする伊秩弘将はSPEEDを手掛けたことで有名になり、また編曲の西平彰は後に宇多田ヒカルとの仕事を残している。
しかし、そうした指摘は後付けというか、この頃の渡辺美里にとっては枝葉末節な要素だといえる。誰でも良かったというのは言い過ぎだろうが、この人が歌えばあとはどうでもいいという雰囲気が全盛期のこの人にはあった。それは彼女が敬愛するジャニス・ジョプリンと共通するものがある。ジャニスが初期に関わっていたバンドであるビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーはあまり高い技術が無かったと言われているけれど、それによってジャニスの歌手としての価値が薄れるものでもなかった。
過去2枚と本作が決定的に異なる点は、アルバムの「プロデューサー」として美里自身が名前を連ねたことである。それにともない本作の作詞は全て彼女自身の手によるものとなった。これは「歌手」としての役割にとどまらず「表現者・渡辺美里」という色合いも強く打ち出すことを意味している。それが本作で何よりも重要な点であると強調したい。
1曲目の“BOYS CRIED”から最後の“風になれたら”に至るまで、どこを切っても渡辺美里という世界観ができあがっている。私は音楽的知識がいまだに乏しいしプロデュースという行為も実際のところはよくわからないが、アルバムの隅々まで自分自身の色に染め上げるというのは「プロデュース」の一つの極北の姿であろう。
デビューの頃から周囲には、自分がしたいことは主張するように、と教えられてきたとどこかで語っていたことを思い出すが本作はそうした姿勢が見事に結実したものといえる。そんなこと考えると、彼女の顔が全面のジャケットもなんだか象徴的に思えてくる。
引き続き翌年に出る「ribbon」(88年)では、力強さを保ったままもっと鮮やかで開放的な世界を作り上げセールスも最高の結果を出すことになるが、もし渡辺美里を知りたいと思うなら「BREATH」と「ribbon」を聴けばだいたいのイメージは掴めるのではないだろうか。
一言でいえば、内に向かう「BREATH」、外に向かう「ribbon」というのが私の全体的なアルバムの印象である。
○当時の時代背景について
本作を語る際にはやはり当時の時代背景は切り離せないだろう。現在からすれば87年というのはバブル景気の絶頂というイメージになるだろうか。確かに調べてみれば、2月のNTT株上場にともなう「財テク」ブーム、6月には日経平均株価が2万5000円台へ突入し銀座の土地が1億円になるなどもこの年である。ただ、同年10月19日にはニューヨーク株式市場が大暴落する「ブラック・マンデー」と呼ばれる事件が起き、そうした状況は既にほころびを示していたが、90年代前半までは好景気が続いていく。
日本経済はそんな狂騒的な中で、特に努力をしなくても勝手に給料が上がっていくという現象が続いていた。それゆえ、いまでも根強い支持のある「良い大学に入って大企業に入れば一生安泰」という公式(ある時期まではそれは通用していた)がこの時代にできあがったといえよう。
しかし当時に少年時代を過ごしていた人間から見れば、そんなに明るいばかりでもなかったと記憶している。今はもう誰も騒ぐ話ではなくなったが、中学生が「いじめ」を苦に自殺したという事件が全国的に話題になったのは前年の1986年の2月のことだ。「受験戦争」という言葉も当時はよく聞いたものだが、エリートコースのレールに乗るために良い大学を入るという単一的な価値観に対して危機感を持った若者も少なくなかったのだろう。そうした時代を象徴するミュージシャンの一人が、例えば83年にデビューした尾崎豊だった。
両者は「女・尾崎」「男・美里」などと比較されていたらしいが、死のイメージがつきまとう尾崎と、格好悪いくらい生きることに執着している彼女とは方向性が全く違うと個人的は思う。ただ、当時の若者に対して歌を発信していたという点は共通するだろう。“BOYS CRIED”、“IT’S TOUGH”、“BORN TO SKIP”、“PAJAMA TIME”といった曲はそうした悩める青年のためのものであるように思えてならない。
○個々の楽曲について
(1)BOYS CRIED~あの時からかもしれない(作詞:MISATO、作曲:伊秩弘将、編曲:西平彰)
アルバムは、イントロと同時に美里の声がバーンと飛び出すこの曲から幕を開ける。冒頭から力いっぱいで初プロデュース作品の意気込みが強く感じられ、これまでの2作とは全く世界が築かれていることが一瞬でわかる。本作より参加の佐橋佳幸のアコースティック・ギターを軸にした音も新しい境地を切り開いている。
歌詞については、ニューヨークへ旅立つ好きな相手に思いを伝える、などと今までは勝手に解釈していたが改めて確認してみるとよくわからない内容だ。ただ一つ一つの言葉が率直かつ簡潔で、それがあの力強い歌声が重なると明確な世界が作り上げられていく。人によっては、ひねりが無いとか底が浅いといった見方をするかもしれないが、好き嫌いはともかくとしてこれはやはり天賦の才というものであろう。
曲名からして歌に登場するのは20代にいくかいかない青年であることは間違いない。
ただ、
<Like a child すべてを 信じてはいないよ>
と、子どもから大人になりつつある微妙な心情が歌詞にも表れている。
(2)HAPPY TOGETHER(作詞:MISATO、作曲・編曲:佐橋佳幸)
こちらは佐橋のエレキ・ギターを中心としたもので、作曲・編曲も彼が手がけている。ローリング・ストーンズあたりを意識したのだろうか、ブルースっぽい雰囲気の強いロック・ナンバーとなっている。DJ風の声、笑い声、手拍子、「ウー、ハー」と繰り返される擬音などが挿入されているが、こうした手法は以後の彼女の作品にもよく見られる。
これまでライブでは聴いたことはないが、かなり負担のかかる歌い方を終始している曲なので当然といえば当然かもしれない。
特に、
<みせかけだけのありふれたビートじゃまるで踊れやしない
だれでもみんな自由でいたいはずさ
Rocking ChairにKick! You can make me free!>
あたりの畳み掛けるような流れは、いまのこの人にはおそらく再現不可能だろう。若さと勢いと才能が作り上げたものともいえる。
それにしても、この部分の歌詞だけ見るとまるっきり佐野元春という感じだが、聴いている時には全くそんな印象は与えず完全に彼女の世界と化している。
(3)IT’S TOUGH(作詞:MISATO、作曲:伊秩弘将、編曲:西平彰)
先ほども触れたが、このアルバム唯一のシングル曲にしてヒット曲である。最近のライブで本作から披露されるものは極めて少ないが、これだけはよく取り上げられている。
神経質そうなキーボードの音と、「チュッ!チュッ!チュッ!・・・」というコーラスとの絡みで始まるイントロの部分は正直いまでもあまり好きにはなれない。ただ、曲間で何度も出てくるこのコーラスを聴いているうちに可愛らしく感じるようになった気がする。
これを書くために繰り返しアルバムを聴いて歌詞カードを読んでいたが、この曲に使われている言葉(「ウェイトレス」、「ノイズ」、「エゴ」、「スクラップ」、など)もまた佐野元春を連想してしまう。同じEPICソニーの出身とはいえ全く方向性の違う二人なので関連性など全く感じなかったが、今回そんなことを気づいてしまった。
歌を聴いている時はなんとなくはっきりした世界があるように錯覚してしまうが、この曲についても内容はそれほど明確なストーリー性があるわけではない。
ただ、
<Time is passing so fast
Hard times won’t last so long>
という一節は、悩み苦しむ時期などそんなに長くは続かないよ、と自分と同世代もしくは下の世代に投げかけているような気がする。
(4)MILK HALLでお会いしましょう(作詞:MISATO、作曲:佐橋佳幸、編曲:清水信之)
題名に出てくる「MILK HALL(ミルクホール)」とは、美里が通っていた東京都立松原高校そばにある(あった?)、夏の間だけ営業しているかき氷の店「ミルクホール石川」から取られている。
検索すると、店に関するブログが出てきた。
渡辺美里が愛したかき氷屋さん:ミルクホール石川
http://ice.hatenablog.jp/entry/20060911/1157929741
けっこう前の日記で「食べログ」の情報も途絶えがちなので、もう営業しているかどうかはわからない。それはともかく美里と佐橋、そして編曲の清水信之も松原高校の出身であり、それが縁で出来上がった曲なのだろう。そのためか歌詞には深刻さや苦悩を感じさせる表現も出てこないし、曲調も軽快なものになっている。
(5)BREATH(作詞:MISATO、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
ピアノとストリングス、そして吹奏楽器をバックにした7分を超えるバラード。レコード盤ではA面の最後を飾る曲だ。
力強くも抑制されて余裕のある歌いっぷりは全盛期の彼女ならではもので、流れるよう通して聴けるため実際ほどの長さは感じられない。
歌詞は少し大人っぽい世界を目指したように思えるが、
<くせのある文字 ゆずれない生き方も
曲がったえりも今のままでいて>
という一節は不器用な生き方をしている恋人への愛着を感じさせる。そしてそれはまた、歌っている本人の姿でもあるのだろう。
生で聴く機会はないと勝手に思っていたが、2000年に初めて西武ドームのライブに行った時にストリングスをバックに歌われた時の感動は今も生々しいものがある。
(6)RICHじゃなくても(作詞・作曲:MISATO、編曲:清水信之)
レコードB面の1曲目は、彼女の作品としては非常に珍しいスウィング・ジャズ調だ。アルバムの個々の楽曲を検討すれば音楽性はけっこう色々なものを並べているのがわかる。
ホーン・セクションをバックに、
<週末のチャイニーズカフェは
Richじゃなくても夢があふれている
ブローチ一つのドレスアップでも
小さなParty Swingしなきゃ意味がない>
という極めてストレートな世界が歌われる。特に「Swingしなきゃ意味がない」という部分はあまりにそのままで実にこの人らしい。しかしそれが凡庸な結果になっていないのは、やはり歌声の力が大きい。
ある時期までのライブではホーン隊を従えていたが、音的にも彼女の趣味嗜好が感じとれる1曲という気がする。
(7)BORN TO SKIP(作詞:MISATO、作曲:木根尚登、編曲:清水信之)
中国をイメージさせるメロディをもつこの曲は、アルバムで最も重要な曲かもしれない。勘違いかもしれないが、何かの本でこのアルバムについて「青春の痛み」と形容していたような記憶がある。この曲はまさにそうした内容で、非常に荒涼とした光景が続く。ぜひ歌詞は一読いただけばと思う。
http://petitlyrics.com/lyrics/23404
大人になっていくことへの不安や苦悩のようなものを凝縮した曲という気がするが、
<いい時代じゃないと ささやきかける大人(ヒト)達
僕達は今 この時代しか知らない>
という一節は特に秀逸で、大人の尺度ではどうにも理解できない思春期の青年の複雑な思いを見事に言い表していて未だに色褪せない響きがある。
ライブでも時おり披露される(今年の元日ライブでも歌われた)ので、彼女自身もそれなりに思い入れがある曲なのかもしれない。
(8)HERE COMES THE SUN(ビートルズに会えなかった)(作詞:MISATO、作曲:小室哲哉、編曲:西平彰)
美里が生まれた1966年にザ・ビートルズが来日を果たした。そういうわけで彼らに会う機会がなかったというテーマを歌っている。題名の“HERE COMES THE SUN”は実質的なラスト・アルバム「アビイ・ロード」(69年)の収録曲からとられている。
<12月に彼は星になった>
という一節は、1980年12月8日にジョン・レノンが射殺されたことを示している。
これもうろ覚えの記憶だが、93年(アルバム「BIG WAVE」が出たころ)の「月刊カドカワ」に載っていた彼女のインタビューで、私の世代はヒーローが不在なんです、というようなことを言っていたことを思い出す。そんな彼女のジェネレーション・ソングという気がする。
コーラスにはこの年の4月に発売された“Get Wild”でついにシングル・ヒットを出したTM-NETWORKの名前が載っている。楽曲もビートルズというよりTMの雰囲気となっている。
(9)PAJAMA TIME(作詞:MISATO、作曲:小室哲哉、編曲:清水信之)
小室哲哉が彼女に提供した曲で最も好きなのは“卒業”かこの“PAJAMA TIME”である。大ヒット曲“My Revolution”が一番有名であることに異論はないが、当時(86年)の私は小学4年生だった。よってリアル・タイムで聴いていたわけでもないし、正直にいえば、名曲とは思うものの、格別な思い入れは抱いていない。
無論このアルバムに入っている曲についても同時代でないし同じようなものなのだが、“Pajama Time”は別のところで私の記憶に残っている。アルバム「Lucky」(91年)で「信者」となった当時中学3年生の私は彼女に関する情報はいくらでもほしかった。その中で特に興味があったのはFM東京系のラジオ番組「渡辺美里の虹をみたかい」(放送期間は90年4月~93年3月)だった。しかし住んでいた地域(北海道登別市)はFM局の電波が届かないところだった。
それでも試しにある日の土曜の夜9時に窓際でラジオを持っていって周波数を合わせたら、あの“パイナップルロマンス”とイントロが流れて番組が聴こえてきたのである。夜中は電波が通りやすいことが奏功したのだ。
まだアルバムを全て揃えてなかった時でラジオで初めて知った曲がいくつかあったが、その一つがこれだった。寒さの厳しい北海道の冬の夜に、しかも窓際で聴いたこの曲はひときわ印象が残っている。そういうわけで、私にとってこの曲は冬のイメージと強く結びついている。
他の方の思い出も紹介したい。ネットでアルバムについての感想を探していたら、ライブ(99年の「うたの木オーケストラ」)でこの曲を聴いて、
<この河の流れが速すぎて 泳げない時は
この河の幅が広すぎて 渡れない時は
この河を飛べる大きな翼 今はないから
こぎ出せるボートを下さい>
という後半の部分で涙が出たというのを見つけた。私はこれを聴いて泣いた経験はないものの、最後の劇的な盛り上がり方は本当に見事だしなんとなくその気持ちはわかる。93年の「BIG WAVE TOUR」で初めて生で聴けた時は本当に嬉しかった。
本人も気に入っている作品のようで、リメイク・アルバムで再演されているしライブでも頻繁ではないが披露されてはいる。
(10)風になれたら(作詞:MISATO、作曲・編曲:佐橋佳幸)
アルバムの最後は佐橋のアコースティック・ギターを主体にした穏やかな曲で締めくくられる。ちなみに先ほど触れたラジオ番組「虹をみたかい」の前進が「風になれたら」(放送期間は87年10月~90年3月)という名前だった。
長い間このアルバムを聴いているが、この曲だけはなんだかアルバムでも異色だなあとなんとなく感じていた。その理由は歌詞を見ていて思ったが、むしろ次作「ribbon」に近い世界観だからという気がする。
一方、前年(86年10月22日)に発売されたシングル“BELIEVE”(オリコンで最高2位を記録)は本作に合っていると思うのだが、なぜか「ribbon」の方に収録されたのもなんとなく不思議だ。
「ふわり」、「ぽつり」、「くるり」、「ぽろん」と日本語らしい擬音が使われており、こうした表現も好きな人だなあと、いまさらながらに感じた次第である。
「BREATH」は1987年7月15日に発売された、渡辺美里の3枚目のアルバムである。オリコンでは週間1位、年間でも9位に入る大ヒットを記録した。87年5月2日に先行シングルとして発売された“IT’S TOUGH/BOYS CRIED(あの時からかもしれない)”も最高位2位のヒットとなっている。90万枚のセールスを記録した、と彼女の特集をしたラジオ番組で紹介された記憶がある。
○アルバム・ジャケットについて
彼女の顔が全面に映し出される異様なデザインは、キング・クリムゾンやU2のアルバムを参考にしたものらしい。クリムゾンはもちろん有名なファースト・アルバム「クリムゾン・キングの宮殿」(69年)、U2については彼らの初期の代表作「WAR」(83年)で間違いないだろう。
そういえば亡くなった私の父親がこのCDを見て「気持ち悪い」と言っていたのを思い出す。
発売当時はレコード盤だったので、一辺が約30cmの大きさのジャケットで見たらもっと衝撃的だっただろう。そう、まだ時代はMP3どころかCDですら普及していなかったのである。ともあれ、ジャケットに関しては個人的にもあまり愛着はいまだに抱けないような気がする。
○初のセルフ・プロデュース作品という意義
初期の彼女を語る際に、共演したミュージシャンの豪華さを指摘されることが多い。小室哲哉や大江千里や岡村泰幸といった作家陣は言うまでもないが、本作より作曲家デビューする伊秩弘将はSPEEDを手掛けたことで有名になり、また編曲の西平彰は後に宇多田ヒカルとの仕事を残している。
しかし、そうした指摘は後付けというか、この頃の渡辺美里にとっては枝葉末節な要素だといえる。誰でも良かったというのは言い過ぎだろうが、この人が歌えばあとはどうでもいいという雰囲気が全盛期のこの人にはあった。それは彼女が敬愛するジャニス・ジョプリンと共通するものがある。ジャニスが初期に関わっていたバンドであるビッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニーはあまり高い技術が無かったと言われているけれど、それによってジャニスの歌手としての価値が薄れるものでもなかった。
過去2枚と本作が決定的に異なる点は、アルバムの「プロデューサー」として美里自身が名前を連ねたことである。それにともない本作の作詞は全て彼女自身の手によるものとなった。これは「歌手」としての役割にとどまらず「表現者・渡辺美里」という色合いも強く打ち出すことを意味している。それが本作で何よりも重要な点であると強調したい。
1曲目の“BOYS CRIED”から最後の“風になれたら”に至るまで、どこを切っても渡辺美里という世界観ができあがっている。私は音楽的知識がいまだに乏しいしプロデュースという行為も実際のところはよくわからないが、アルバムの隅々まで自分自身の色に染め上げるというのは「プロデュース」の一つの極北の姿であろう。
デビューの頃から周囲には、自分がしたいことは主張するように、と教えられてきたとどこかで語っていたことを思い出すが本作はそうした姿勢が見事に結実したものといえる。そんなこと考えると、彼女の顔が全面のジャケットもなんだか象徴的に思えてくる。
引き続き翌年に出る「ribbon」(88年)では、力強さを保ったままもっと鮮やかで開放的な世界を作り上げセールスも最高の結果を出すことになるが、もし渡辺美里を知りたいと思うなら「BREATH」と「ribbon」を聴けばだいたいのイメージは掴めるのではないだろうか。
一言でいえば、内に向かう「BREATH」、外に向かう「ribbon」というのが私の全体的なアルバムの印象である。
○当時の時代背景について
本作を語る際にはやはり当時の時代背景は切り離せないだろう。現在からすれば87年というのはバブル景気の絶頂というイメージになるだろうか。確かに調べてみれば、2月のNTT株上場にともなう「財テク」ブーム、6月には日経平均株価が2万5000円台へ突入し銀座の土地が1億円になるなどもこの年である。ただ、同年10月19日にはニューヨーク株式市場が大暴落する「ブラック・マンデー」と呼ばれる事件が起き、そうした状況は既にほころびを示していたが、90年代前半までは好景気が続いていく。
日本経済はそんな狂騒的な中で、特に努力をしなくても勝手に給料が上がっていくという現象が続いていた。それゆえ、いまでも根強い支持のある「良い大学に入って大企業に入れば一生安泰」という公式(ある時期まではそれは通用していた)がこの時代にできあがったといえよう。
しかし当時に少年時代を過ごしていた人間から見れば、そんなに明るいばかりでもなかったと記憶している。今はもう誰も騒ぐ話ではなくなったが、中学生が「いじめ」を苦に自殺したという事件が全国的に話題になったのは前年の1986年の2月のことだ。「受験戦争」という言葉も当時はよく聞いたものだが、エリートコースのレールに乗るために良い大学を入るという単一的な価値観に対して危機感を持った若者も少なくなかったのだろう。そうした時代を象徴するミュージシャンの一人が、例えば83年にデビューした尾崎豊だった。
両者は「女・尾崎」「男・美里」などと比較されていたらしいが、死のイメージがつきまとう尾崎と、格好悪いくらい生きることに執着している彼女とは方向性が全く違うと個人的は思う。ただ、当時の若者に対して歌を発信していたという点は共通するだろう。“BOYS CRIED”、“IT’S TOUGH”、“BORN TO SKIP”、“PAJAMA TIME”といった曲はそうした悩める青年のためのものであるように思えてならない。
○個々の楽曲について
(1)BOYS CRIED~あの時からかもしれない(作詞:MISATO、作曲:伊秩弘将、編曲:西平彰)
アルバムは、イントロと同時に美里の声がバーンと飛び出すこの曲から幕を開ける。冒頭から力いっぱいで初プロデュース作品の意気込みが強く感じられ、これまでの2作とは全く世界が築かれていることが一瞬でわかる。本作より参加の佐橋佳幸のアコースティック・ギターを軸にした音も新しい境地を切り開いている。
歌詞については、ニューヨークへ旅立つ好きな相手に思いを伝える、などと今までは勝手に解釈していたが改めて確認してみるとよくわからない内容だ。ただ一つ一つの言葉が率直かつ簡潔で、それがあの力強い歌声が重なると明確な世界が作り上げられていく。人によっては、ひねりが無いとか底が浅いといった見方をするかもしれないが、好き嫌いはともかくとしてこれはやはり天賦の才というものであろう。
曲名からして歌に登場するのは20代にいくかいかない青年であることは間違いない。
ただ、
<Like a child すべてを 信じてはいないよ>
と、子どもから大人になりつつある微妙な心情が歌詞にも表れている。
(2)HAPPY TOGETHER(作詞:MISATO、作曲・編曲:佐橋佳幸)
こちらは佐橋のエレキ・ギターを中心としたもので、作曲・編曲も彼が手がけている。ローリング・ストーンズあたりを意識したのだろうか、ブルースっぽい雰囲気の強いロック・ナンバーとなっている。DJ風の声、笑い声、手拍子、「ウー、ハー」と繰り返される擬音などが挿入されているが、こうした手法は以後の彼女の作品にもよく見られる。
これまでライブでは聴いたことはないが、かなり負担のかかる歌い方を終始している曲なので当然といえば当然かもしれない。
特に、
<みせかけだけのありふれたビートじゃまるで踊れやしない
だれでもみんな自由でいたいはずさ
Rocking ChairにKick! You can make me free!>
あたりの畳み掛けるような流れは、いまのこの人にはおそらく再現不可能だろう。若さと勢いと才能が作り上げたものともいえる。
それにしても、この部分の歌詞だけ見るとまるっきり佐野元春という感じだが、聴いている時には全くそんな印象は与えず完全に彼女の世界と化している。
(3)IT’S TOUGH(作詞:MISATO、作曲:伊秩弘将、編曲:西平彰)
先ほども触れたが、このアルバム唯一のシングル曲にしてヒット曲である。最近のライブで本作から披露されるものは極めて少ないが、これだけはよく取り上げられている。
神経質そうなキーボードの音と、「チュッ!チュッ!チュッ!・・・」というコーラスとの絡みで始まるイントロの部分は正直いまでもあまり好きにはなれない。ただ、曲間で何度も出てくるこのコーラスを聴いているうちに可愛らしく感じるようになった気がする。
これを書くために繰り返しアルバムを聴いて歌詞カードを読んでいたが、この曲に使われている言葉(「ウェイトレス」、「ノイズ」、「エゴ」、「スクラップ」、など)もまた佐野元春を連想してしまう。同じEPICソニーの出身とはいえ全く方向性の違う二人なので関連性など全く感じなかったが、今回そんなことを気づいてしまった。
歌を聴いている時はなんとなくはっきりした世界があるように錯覚してしまうが、この曲についても内容はそれほど明確なストーリー性があるわけではない。
ただ、
<Time is passing so fast
Hard times won’t last so long>
という一節は、悩み苦しむ時期などそんなに長くは続かないよ、と自分と同世代もしくは下の世代に投げかけているような気がする。
(4)MILK HALLでお会いしましょう(作詞:MISATO、作曲:佐橋佳幸、編曲:清水信之)
題名に出てくる「MILK HALL(ミルクホール)」とは、美里が通っていた東京都立松原高校そばにある(あった?)、夏の間だけ営業しているかき氷の店「ミルクホール石川」から取られている。
検索すると、店に関するブログが出てきた。
渡辺美里が愛したかき氷屋さん:ミルクホール石川
http://ice.hatenablog.jp/entry/20060911/1157929741
けっこう前の日記で「食べログ」の情報も途絶えがちなので、もう営業しているかどうかはわからない。それはともかく美里と佐橋、そして編曲の清水信之も松原高校の出身であり、それが縁で出来上がった曲なのだろう。そのためか歌詞には深刻さや苦悩を感じさせる表現も出てこないし、曲調も軽快なものになっている。
(5)BREATH(作詞:MISATO、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
ピアノとストリングス、そして吹奏楽器をバックにした7分を超えるバラード。レコード盤ではA面の最後を飾る曲だ。
力強くも抑制されて余裕のある歌いっぷりは全盛期の彼女ならではもので、流れるよう通して聴けるため実際ほどの長さは感じられない。
歌詞は少し大人っぽい世界を目指したように思えるが、
<くせのある文字 ゆずれない生き方も
曲がったえりも今のままでいて>
という一節は不器用な生き方をしている恋人への愛着を感じさせる。そしてそれはまた、歌っている本人の姿でもあるのだろう。
生で聴く機会はないと勝手に思っていたが、2000年に初めて西武ドームのライブに行った時にストリングスをバックに歌われた時の感動は今も生々しいものがある。
(6)RICHじゃなくても(作詞・作曲:MISATO、編曲:清水信之)
レコードB面の1曲目は、彼女の作品としては非常に珍しいスウィング・ジャズ調だ。アルバムの個々の楽曲を検討すれば音楽性はけっこう色々なものを並べているのがわかる。
ホーン・セクションをバックに、
<週末のチャイニーズカフェは
Richじゃなくても夢があふれている
ブローチ一つのドレスアップでも
小さなParty Swingしなきゃ意味がない>
という極めてストレートな世界が歌われる。特に「Swingしなきゃ意味がない」という部分はあまりにそのままで実にこの人らしい。しかしそれが凡庸な結果になっていないのは、やはり歌声の力が大きい。
ある時期までのライブではホーン隊を従えていたが、音的にも彼女の趣味嗜好が感じとれる1曲という気がする。
(7)BORN TO SKIP(作詞:MISATO、作曲:木根尚登、編曲:清水信之)
中国をイメージさせるメロディをもつこの曲は、アルバムで最も重要な曲かもしれない。勘違いかもしれないが、何かの本でこのアルバムについて「青春の痛み」と形容していたような記憶がある。この曲はまさにそうした内容で、非常に荒涼とした光景が続く。ぜひ歌詞は一読いただけばと思う。
http://petitlyrics.com/lyrics/23404
大人になっていくことへの不安や苦悩のようなものを凝縮した曲という気がするが、
<いい時代じゃないと ささやきかける大人(ヒト)達
僕達は今 この時代しか知らない>
という一節は特に秀逸で、大人の尺度ではどうにも理解できない思春期の青年の複雑な思いを見事に言い表していて未だに色褪せない響きがある。
ライブでも時おり披露される(今年の元日ライブでも歌われた)ので、彼女自身もそれなりに思い入れがある曲なのかもしれない。
(8)HERE COMES THE SUN(ビートルズに会えなかった)(作詞:MISATO、作曲:小室哲哉、編曲:西平彰)
美里が生まれた1966年にザ・ビートルズが来日を果たした。そういうわけで彼らに会う機会がなかったというテーマを歌っている。題名の“HERE COMES THE SUN”は実質的なラスト・アルバム「アビイ・ロード」(69年)の収録曲からとられている。
<12月に彼は星になった>
という一節は、1980年12月8日にジョン・レノンが射殺されたことを示している。
これもうろ覚えの記憶だが、93年(アルバム「BIG WAVE」が出たころ)の「月刊カドカワ」に載っていた彼女のインタビューで、私の世代はヒーローが不在なんです、というようなことを言っていたことを思い出す。そんな彼女のジェネレーション・ソングという気がする。
コーラスにはこの年の4月に発売された“Get Wild”でついにシングル・ヒットを出したTM-NETWORKの名前が載っている。楽曲もビートルズというよりTMの雰囲気となっている。
(9)PAJAMA TIME(作詞:MISATO、作曲:小室哲哉、編曲:清水信之)
小室哲哉が彼女に提供した曲で最も好きなのは“卒業”かこの“PAJAMA TIME”である。大ヒット曲“My Revolution”が一番有名であることに異論はないが、当時(86年)の私は小学4年生だった。よってリアル・タイムで聴いていたわけでもないし、正直にいえば、名曲とは思うものの、格別な思い入れは抱いていない。
無論このアルバムに入っている曲についても同時代でないし同じようなものなのだが、“Pajama Time”は別のところで私の記憶に残っている。アルバム「Lucky」(91年)で「信者」となった当時中学3年生の私は彼女に関する情報はいくらでもほしかった。その中で特に興味があったのはFM東京系のラジオ番組「渡辺美里の虹をみたかい」(放送期間は90年4月~93年3月)だった。しかし住んでいた地域(北海道登別市)はFM局の電波が届かないところだった。
それでも試しにある日の土曜の夜9時に窓際でラジオを持っていって周波数を合わせたら、あの“パイナップルロマンス”とイントロが流れて番組が聴こえてきたのである。夜中は電波が通りやすいことが奏功したのだ。
まだアルバムを全て揃えてなかった時でラジオで初めて知った曲がいくつかあったが、その一つがこれだった。寒さの厳しい北海道の冬の夜に、しかも窓際で聴いたこの曲はひときわ印象が残っている。そういうわけで、私にとってこの曲は冬のイメージと強く結びついている。
他の方の思い出も紹介したい。ネットでアルバムについての感想を探していたら、ライブ(99年の「うたの木オーケストラ」)でこの曲を聴いて、
<この河の流れが速すぎて 泳げない時は
この河の幅が広すぎて 渡れない時は
この河を飛べる大きな翼 今はないから
こぎ出せるボートを下さい>
という後半の部分で涙が出たというのを見つけた。私はこれを聴いて泣いた経験はないものの、最後の劇的な盛り上がり方は本当に見事だしなんとなくその気持ちはわかる。93年の「BIG WAVE TOUR」で初めて生で聴けた時は本当に嬉しかった。
本人も気に入っている作品のようで、リメイク・アルバムで再演されているしライブでも頻繁ではないが披露されてはいる。
(10)風になれたら(作詞:MISATO、作曲・編曲:佐橋佳幸)
アルバムの最後は佐橋のアコースティック・ギターを主体にした穏やかな曲で締めくくられる。ちなみに先ほど触れたラジオ番組「虹をみたかい」の前進が「風になれたら」(放送期間は87年10月~90年3月)という名前だった。
長い間このアルバムを聴いているが、この曲だけはなんだかアルバムでも異色だなあとなんとなく感じていた。その理由は歌詞を見ていて思ったが、むしろ次作「ribbon」に近い世界観だからという気がする。
一方、前年(86年10月22日)に発売されたシングル“BELIEVE”(オリコンで最高2位を記録)は本作に合っていると思うのだが、なぜか「ribbon」の方に収録されたのもなんとなく不思議だ。
「ふわり」、「ぽつり」、「くるり」、「ぽろん」と日本語らしい擬音が使われており、こうした表現も好きな人だなあと、いまさらながらに感じた次第である。
渡辺美里「オーディナリー・ライフ」(15年)
2015年4月15日 渡辺美里
サブ・カルチャーというものに対してどうにも超えられない距離感が昔からあって、そのまま現在に至っている。それゆえ、例えば「ロックとは何か?」というような命題について論じる気持ちにはなれないし、そんなことを言う輩には全く共感を抱けなかった。2015年になった今もそういう人はたくさん存在するのだろうか?そういえばかつて「Don’t trust over 30」(30歳を超えた人間を信じるな、という意味)なる言葉を吐いていた連中はいまどこで何をしているのだろう。もう彼らにも年金や社会保険が必要な年齢になり、そうしたセリフも風化して意味がなくなってしまった。
そもそも「ロック」というものに大多数が共感できるような定義など無い。そんなあやふやな前提のままあれこれ論じたところで生産するものなどあるはずがないのだ。そんな「独りよがり」の連中が勝手に仮想敵を作り出し、自分の意に沿わない表現者を攻撃してきた。個々のロック観など自分の中で密かに抱いていればいいだろうし、そんなもののために悪罵を投げつけられる方はたまったものではない。振り返ってみると、渡辺美里という人はそういう犠牲者の代表格だったのではないだろうか。かつては叩かれても仕方ないような悪目立ちする言動をしてきた部分も否定しないが、美里はロックじゃないね、みたいな「批評」は全く大きなお世話だろう。そしてそんな無責任なことを言っていた人たちは消えてしまった。その一方で、彼女を支持する人間も同じくらい少なくなってしまったが。
私自身は1991年、中学3年の時にアルバム「Lucky」(91年)を手にしてからずっとこの人を観つづけてきた。いまデビュー30周年に突入しているが、そのうちの24年ほどお付き合いしていることになる。別にそれが神だったとかクソだったとかいう二分法で結論づけるつもりもない。ただ、38年ほどの人生の大半は彼女とともにあったということは厳然とした事実として残っているというだけだ。
しかし実は、こうやって言い切れるまでにけっこう長い時間がかかっている。90年代までは彼女をずっと聴いているなどと周囲に素直にいえる心境にはなれなかった。その原因はさきほどの「意識的な音楽ファン」といえる連中の存在が頭にあったからだろう。こうした人たちが渡辺美里を肯定するのは稀だった。しかし彼らが聴いている音楽がどれほどのものかといえば、現在では怪しいものがあるけれど。ともかく、この人の美点も欠点も全て受け入れた上で、私の人生は渡辺美里とともにありました、と自然体で言えるまで20年ほど費やしたと思う。ここまで複雑な思いをもって見てきた人も自分の人生の中でも他にはいない。
グダグダと述べてきたが、渡辺美里の30年間とは何だったのかと自分なりに整理してみたかったのだ。しかし、どうも現状ではスッキリした結論らしきものは出てきそうにない。やはり自分の半生と密接に関わっていることであり明確な位置づけをすることはできないということか。そういうことは諦めて、今回の作品について思うところを書いてみることにする。
今年の元日に渋谷公会堂でライブが行われたが、そこで4月1日に「オーディナリー・ライフ」という新作が出るという発表が彼女自身からあった。同じタイトル名でヴァン・モリソンの91年の作品があることを連想したのは会場で私だけだったと思うが、なんとなく気になる名前だとは感じた。
先行シングルの2曲(“ここから”、“夢ってどんな色してるの”)は彼女らしさがよく出ている佳曲とは思ったものの、その日に披露されたアルバム収録曲“今夜がチャンス”(ザ・モッズの森山達也が提供したと知ったのは後日のこと)が、なんだか昭和40年代くらいの歌謡曲のような印象を抱き、アルバムについての不安の方が大きくなったのが正直なところだった。
それからしばらくして、Facebookの公式ページでアルバムのジャケットと収録曲が発表された。そこでまず目を引いたのは、山口隆(サンボマスター)や片寄明人(GREAT3)など、これまでにない顔ぶれが作家陣にたくさんいたことである。しかし、先の“今夜がチャンス”を聴いた時の違和感を思いだし、余計に出来具合が心配になってきた。アルバム発売に先行してiTunes Storeに何曲か発売されたので“青空ハピネス”だけなんとなく買ってみたが、アルバムの全体像は全くつかめなかった。
そういう経緯もあり、今回について「も」本当に期待せずにいた。発売日4月1日に部屋に戻るとアマゾンから送られた本作がポストに入っていた。取り出してすぐに部屋のパソコンに入れて聴いてみる。そして1曲目の“鼓動”からかけてみた。そのままスーッと最後まで聴き通して、何度も何度も繰り返した。一晩で5回くらい流しただろうか。
本作を聴いて一番の印象は何かといえば、これまでの渡辺美里にないものを感じたということである。それはもう、自分が中学3年の頃から思い起こしても初めてのことである。
さきほど私は、彼女の新作については全く期待しないで臨んでいるというようなことを書いたが、それは少し嘘が入っている。心の底では、音楽性とか新しい挑戦とかどうでもいいから「渡辺美里らしさ」が出ていればもう十分だ、という思いがあった(それはライブ会場に行く時も同じ心境である)。
この20年の間でそんな自分の希望に適った作品といえば2000年に出た「Love GO!GO!」である。このアルバムでは調子のいい時の彼女のライブで観られるような躍動感のある声が奇跡的に収められている。しかしそれ以後は、酷いとはいえないまでも、何か煮え切らない作品が続くことになる。
今回の「オーディナリー・ライフ」は「Love GO!GO!」もしくは90年代前半あたりまでの彼女のような、彼女の存在を前面に押し出したものではない。だがそれにもかかわらず、物足りなさのようなものは感じなかった。その一番の要因は何かといえば、今回参加しているミュージシャンの空前絶後の顔ぶれだろう。そして彼らと美里との共演が非常にうまく噛み合っていることがなにより大きい。
表現者が活動を続けていくうちに自身の衰えやアイデアの枯渇により創作意欲が低下するということは避けられない宿命であるが、それを乗り切るための方法は何だろうか。一番良いのは、誰か他の人の助けを借りることである。組んだ相手に刺激され、それによって思いがけない方向に自分の表現が進んでいくこともありうるだろう。
ただ、これはあくまで一般論であって渡辺美里の場合はあてはまらないと個人的には思っていた。これまで他のアーティストと共演するにせよ、他人の曲をカバーするにせよ、目覚ましい成果があったとは言えないからだ。うまくいかない原因はわからないが、彼女がそれほど器用な表現者でないこと(他人とうまく絡めない)、そして自身のイメージなりスタイルなりを崩したくないという思いも強いのではないだろうか。またファンはファンで、彼女に対して冒険とか挑戦とかは全く求めてもいないはずである。そんなことを望むような音楽ファンはそもそもこういう歌手を聴くという選択もしないだろう。
本作の立役者は美里と共同でプロデューサーに名を連ねている佐橋佳幸だろう。これだけのメンツをかき集める人脈もさることながら、美里自身にもさまざまな提案やアドバイスをして共演のお膳立てをしたのは、佐橋自身の解説(アルバムの歌詞カードに収録されている)を読むだけでも容易に想像がつく。
これは適切な表現かはわからないが、本作は渡辺美里の作品の中でももっとも「音楽的」といえる。それは「渡辺美里ありき」という前提で作られたアルバムではないという意味だ。そんなことを書いていると「彼女の声が前面に出ていないということは、自分の望む作品ではないのでは?」という疑問も少しだけ頭をよぎった。しかし、実際にはアルバムを手にしてしばらく経ったいまも繰り返し聴き続け、これまでに経験したことのない不思議な充足感に包まれている自分がいる。
本作が彼女のキャリアにおいてどのような位置づけがされるのか、現時点ではよくわからない。ただ、30年という節目にふさわしい華のある内容であるということだけは、中3から聴いてきた人間の経験として確信をもって言える。
【個々の楽曲について】
さきほども書いたが、本作の歌詞カードには個々の曲について佐橋佳幸による解説が掲載されている。こうしたものがあるという点でも今回のアルバム制作において彼が大きな主導権を握っていたことがみてとれる。
かつて「ミュージック・マガジン」誌でどこかの泡沫ライター(名前は覚えているが紹介する価値もないので割愛する)が、俺が嫌いなのはミュージシャン自身による楽曲解説だ!などとほざいていたことを思い出す。ミュージシャンが書いてしまえばお前ごときのレベルでは仕事がなくなるからだろう。
それはともかく、聴き手をはぐらかしたいというのなら別として、何かを伝えたいと願っている表現者ならばこうした試みは個人的には歓迎したい。音楽でもなんでもいいのだが、サブ・カルチャーというのはそうした「人に伝えようとする努力」を放棄しているような気がしてならないからだ。
以下の文章は佐橋自身の文章を参照しながら、24年ほどのファン歴である私からの「おまけ」のようなものだ。本作について少しでも参考にでもなれば幸いと思いながら記すものである。
(1)鼓動(作詞・作曲:YO-KING、編曲:佐橋佳幸)
アルバムの冒頭は、彼女の作品に初めて参加の「真心ブラザーズ」YO-KINGによる楽曲。演奏は佐橋のアコースティック・ギターとDr.kyOnのアコーディオンだけという極めてシンプルな編成だ。ちなみにこの3人で「三ツ星団」としてライブ・ツアーをおこなったこともある。
こうした説明をすると美里のヴォーカルが主体になりそうに思えるが、実際には極めて控えめな感じで歌っている。
それについて佐橋の解説では、
<美里には声量を抑えて出来る限りマイクに近づいてもらい、
あたかもリスナーの耳元で歌っているかのような
唱法にチャレンジしてもらいました。>
と書いている。こうした「チャレンジ」を美里にうながすことによって、本作からは従来の彼女には見られない作風が生まれたのだろう。「Breath」(87年)や「ribbon」(88年)あたりの頃の「渡辺美里と、その他大勢のバック」という構図ではなく、彼女が演奏の方に溶け込んでいくという具合だ。そういう意味で本作について「音楽的」という表現を使ってみた。
全体的に郷愁を誘うフォーク・ソングだが、その中に語呂がいいとは思えない「ドクンドクン」という擬音が不思議なアクセントを与えている。
(2)夢ってどんな色してるの(作詞:河邉徹、作曲:杉本雄治、編曲:WEAVER&佐橋佳幸)
アルバムの先行シングルとして発売された曲で、ピアノ・ドラムス・ベースという編成のバンド「WEAVER」と先の「三ツ星団」との共演という形になっている。
このシングルでWEAVERを初めて知ることとなったが、メンバーは全員1988年生まれである。88年ということは「ribbon」が出た年だから、美里とは1世代ほど離れていることになる。それはともかくとして、キレのある演奏や瑞々しい印象を与えるサウンドは個人的にも好みの部類であり、今回のさまざまな共演の中でも最も成功した例だろう。WEAVERの力によって彼女の歌声に力強さが増しているように聴こえるからだ。
歌詞については別の機会に改めて触れたいが、作詞の河邉徹がイメージした渡辺美里という世界のような気がして興味深い。ともかく、WEAVERのライブも生で一度は観たいと感じるくらいに気に入った作品である。
WEAVER“こっちを向いてよ”
https://www.youtube.com/watch?v=SOQo1rjRFFo
それから、ネットでどなたかが指摘して気づいたのだが、一時に比べて体格もだいぶ絞られていることも注目していただきたい。そこには本作にかける彼女の並々ならぬ意気込みがあることに私たち聴き手も感じなければならないだろう。
渡辺美里 『「夢ってどんな色してるの」 ドキュメント映像&MV ショートVer.』
https://www.youtube.com/watch?v=49S19oqk_-0
(3)今夜がチャンス(作詞・作曲:森山達也、編曲:佐橋佳幸)
前の文章でも少し書いたが、本作の中でも「異色作」と個人的には感じている1曲。かつては同じエピック・ソニーに所属していたザ・モッズの森山達也との共演というのも意外だが、さらにバックにスカパラ・ホーンズ、さらにエレキ・ギターに土屋昌巳の名前まで出てくるというのには本当に驚いた。
佐橋の解説では「森山印のロックンロール・ソング」という表現をとっているが、個人的には(自分の苦手な)昭和40年代くらいの歌謡曲のような印象を元日ライブの時から受けた。具体的には何かと説明はできなが、例えば山本リンダのような・・・まあ、あくまでただのイメージとご了解いただきたい。
改めてアルバムで聴いてみると違和感はだいぶ薄まった感じはする。もはやこういう歌をうたう人も21世紀にはいなくなっただろうし貴重ではある、などと納得しながら聴いている次第だ。
(4)涙を信じない女(作詞・作曲:山口隆fromサンボマスター、編曲:佐橋佳幸、ストリングス・アレンジ:奈良部匠平)
美里とは全く縁があると思えないサンボマスター、山口隆の手による曲である。こうした人までかき集めた佐橋の人脈もすごいが、一方で往年のファンにはなじみ深い奈良部匠平の名前が出てきている。「lucky」(91年)あたりまで主に編曲で関わっていた人だ。今回は30周年の節目としてこうしたミュージシャンを呼んでいる点も本作の特徴だ。
複雑な曲調やリズムになっており佐橋は「国籍不明のサウンド」と書いているが、“今夜がチャンス”ほど個人的に違和感はなくスッと聴いている。作家陣がどんな人であろうと結局は渡辺美里の歌に落ち着くということなのか。ただ、彼女が従来のアプローチで歌っていたとしたら、ここまでの仕上がりになっていなかった気がする。佐橋のプロデュースの手腕もこのあたりでも感じとってしまう。
(5)点と線(作詞:森雪之丞、作曲:木根尚登、編曲:佐橋佳幸、ブラス・アレンジ:山本拓夫)
作曲はデビュー当時(85年)から交流のある木根尚登(TM-NETWORK)、そしてブラス・アレンジは彼女のライブでバンド・マスターを長年務めていた山本拓夫という同窓会的な顔ぶれが名を連ねている。プログラミングの石川鉄男も私のような聴き手には懐かしい名前だ。
木根がこれまで提供した曲に“eyes”、“さくらの花の咲くころに”、“kick off”など穏やかな感じのものばかりだったが、今回はホーン・セクションを中心にしたまた毛色の違うアレンジとなっている。
このあたりについては「戦後のR&Bを築き上げた先達へのオマージュ」という解説だが、そもそもR&Bとは何たるかもピンとこない私にとっては何もいえないし(「オマージュ」という言葉もなんだか好きになれない)、“今夜はチャンス”と同様、なんだか昔の古めかしい歌謡曲(またイメージだけだが和田アキ子あたり)を連想してしまう。いずれにせよ、佐橋の意図が強く出た作品なのだろう。
リズム・セクションは高橋幸宏(ドラムス)と小原礼(ベース)という豪華な布陣で、作詞はこれまた初めての森雪之丞が手掛けている。30周年の節目や「昭和」といったイメージをちりばめた歌詞で、日本を代表するプロ作詞家の言葉は美里とはまた違った世界を出している点は興味深いものとなっている。
(6)オーディナリー・ライフ(作詞:渡辺美里、作曲:渡辺美里&佐橋佳幸、編曲:森俊之)
キャロル・キングの“Natural woman”を目指したというアルバムのタイトル曲は、一転していかにも渡辺美里という調子のバラードである。「Ordinary Life」とは市井の人々の生活・人生といった意味合いだが、歌の中では「ありふれた日々」という言葉で表現されている。
<ありふれた日々が あまりに愛おしい>
という一節は、年齢を重ねるごとに受け止め方が変わってくるだろう。10代20代の人ならば、「ありふれた日」って刺激もない日のことでしょう?などと思うに違いない。しかし人生の折り返し点を過ぎてくると、そうした日々が永遠にものでないことにだんだんと気づいてくるのだ。
<夏が来るたびに
また ひとつ歳を重ねて
会いたい人がいる
もう 会えない人がいる>
<手放した夢も
失った自由も
きっと あなたへ続く>
といった部分には、たとえどんな人でも生き続けていたら様々な不幸に出会ったり苦渋を味わうことを示唆している。それはもちろん歌っている本人についても同じであり、彼女の30年の道のりを思いながら聴いているとまた胸に迫るものがある、個人的には本作で一番気に入っている曲である。
(7)A Reason(作詞・作曲:大江千里、編曲:佐橋佳幸)
こちらもデビュー時から親交のある大江千里の手による曲。間奏のサックスを演奏している中村哲は、美里のデビュー曲“I’m Free”の編曲を担当した人である。ほかにも後藤次利、村上“ポンタ”秀一とデビュー時に関わった人たちでバックを固めている。
これまでもずっと共演してきた千里なのでツボを押さえたという感じの曲だが、その中に、
<僕らはもう 道を選べないから>
という重たいフレーズが出てくるのが興味深い。それは美里であり千里のこともイメージしているのだろう。また私自身にものしかかってくる言葉である。
(8)Glory(作詞・作曲:Caravan、編曲:佐橋佳幸)
作詞・作曲を手掛けているCaravanは1974年生まれの男性シンガー・ソングライターである。FM局の友人に勧められて聴いて彼を気に入ったという美里、そして同じ時期にCaravanと知り合った佐橋との縁がこういう形に繋がったらしい。
確かに美里との相性は良いようで、本人が書いたのではと思えるまでの仕上がりになっている。Caravanの写実的な情景描写や言葉の使い方はかつての美里の世界観と重なってくるし、二人のよるコーラスも良い。この人も機会があれば生で観てみたいと思わせる。
Caravan “アイトウレイ ”
https://www.youtube.com/watch?v=JufBJdvVCzY
(9)真っ赤な月(作詞:片寄明人、作曲:伊秩弘将、編曲:有賀啓雄)
SPEEDを手掛けてその名前が広く知られるようになった伊秩弘将、そしてライブやアルバム制作で長年の付き合いのある有賀啓雄がここでは登場する。
これまでの彼女の曲では“小指”のような、感情表現を抑えて歌うスロウなバラードである。しかしそのような歌い方はこの人と相性が良くないような気がする。やはり明確に喜怒哀楽をつけてこそこの人の良さが出るのではないだろうか。別に悪いとは全く思ってないのだが、スーッと気持ちよく聴きながらもそのまま終わってしまうような印象である。
(10)青空ハピネス(作詞:渡辺美里、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
清水信之の名前を見るのも久しぶりだ。ギターの佐橋以外は全て彼が楽器などを手掛けているこの曲は21世紀版“恋したっていいじゃない”をテーマにしたものといっていいだろう。歌詞にも演奏もそれをイメージさせるものが散りばめられている。
間奏では「eyes」に収録されている“18才のライブ”でのドラムスの音が挿入されている。これを叩いていたのは、2年前に亡くなった青山純である。
正直いって、従来の彼女の枠にとどまっている印象を受けて本作の中ではあまり出来が良い部類と思えない。しかし、そもそも過去の曲の続編という意図で作ったものだし、遊び心は満載という雰囲気は楽しめるものである。
(11)Hello Again(作詞・作曲:Caravan、編曲:佐橋佳幸)
再びCaravanによる曲は、解説によるとアレンジではだいぶ実験的で凝ったことをしたようだ。それを知らなかったらバックのサウンドスケープ(音風景)には特に気にもとめなかっただろう。
もし佐橋が関わらなかったとしたら、こうした複雑な音をバックに歌うことを彼女は受け入れただろうか。聴きながらそんなことを思ってしまった。かつて何かの音楽雑誌のインタビューで、サウンド主義が嫌い、というような発言をしていたのがいまでもずっと頭に残っていたからだ。どうにでも解釈できそうな言葉だが、あまり凝った音楽をしたくないというような意味だろう。これまでのこの人の作ってきたものを考えればそう思えてくる。
渡辺美里という人は自分のスタイルというか型に強いこだわりがあるのだろう。それが彼女の明確なイメージを作りあげて成功した部分もあるが、ある時期からそれが足かせとなって表現の幅や可能性を狭めていったことも否定できない。また、器用に立ち回ることもできないことも大きかった。
そういう光景をずっと観てきた者としては、本作の多彩なゲストとの関わりや試みは少なからぬ感慨を覚えている。これ以後の活動にもこれが活かされたらと密かに願っている。果たしていつまで歌ってくれるかどうかは、よくわからないが。
(12)ここから(作詞・作曲:大江千里、編曲:佐橋佳幸)
本作の中で一番初めに世に出たシングル曲で、これも大江千里によるもの。シングルで発売されたときに日記で感想を書いているので、興味ある方は参照いただきたい。
渡辺美里「ここから」(14年)
http://30771.diarynote.jp/201405061102111592/
日記でも触れたが、これまでの彼女のイメージを踏襲しながら30年の流れを感じる部分もあり、長年共演してきた千里ならではという出来だ。美里自身も気に入っているようで、おそらくこれからのライブでも歌い続けるだろう。
そもそも「ロック」というものに大多数が共感できるような定義など無い。そんなあやふやな前提のままあれこれ論じたところで生産するものなどあるはずがないのだ。そんな「独りよがり」の連中が勝手に仮想敵を作り出し、自分の意に沿わない表現者を攻撃してきた。個々のロック観など自分の中で密かに抱いていればいいだろうし、そんなもののために悪罵を投げつけられる方はたまったものではない。振り返ってみると、渡辺美里という人はそういう犠牲者の代表格だったのではないだろうか。かつては叩かれても仕方ないような悪目立ちする言動をしてきた部分も否定しないが、美里はロックじゃないね、みたいな「批評」は全く大きなお世話だろう。そしてそんな無責任なことを言っていた人たちは消えてしまった。その一方で、彼女を支持する人間も同じくらい少なくなってしまったが。
私自身は1991年、中学3年の時にアルバム「Lucky」(91年)を手にしてからずっとこの人を観つづけてきた。いまデビュー30周年に突入しているが、そのうちの24年ほどお付き合いしていることになる。別にそれが神だったとかクソだったとかいう二分法で結論づけるつもりもない。ただ、38年ほどの人生の大半は彼女とともにあったということは厳然とした事実として残っているというだけだ。
しかし実は、こうやって言い切れるまでにけっこう長い時間がかかっている。90年代までは彼女をずっと聴いているなどと周囲に素直にいえる心境にはなれなかった。その原因はさきほどの「意識的な音楽ファン」といえる連中の存在が頭にあったからだろう。こうした人たちが渡辺美里を肯定するのは稀だった。しかし彼らが聴いている音楽がどれほどのものかといえば、現在では怪しいものがあるけれど。ともかく、この人の美点も欠点も全て受け入れた上で、私の人生は渡辺美里とともにありました、と自然体で言えるまで20年ほど費やしたと思う。ここまで複雑な思いをもって見てきた人も自分の人生の中でも他にはいない。
グダグダと述べてきたが、渡辺美里の30年間とは何だったのかと自分なりに整理してみたかったのだ。しかし、どうも現状ではスッキリした結論らしきものは出てきそうにない。やはり自分の半生と密接に関わっていることであり明確な位置づけをすることはできないということか。そういうことは諦めて、今回の作品について思うところを書いてみることにする。
今年の元日に渋谷公会堂でライブが行われたが、そこで4月1日に「オーディナリー・ライフ」という新作が出るという発表が彼女自身からあった。同じタイトル名でヴァン・モリソンの91年の作品があることを連想したのは会場で私だけだったと思うが、なんとなく気になる名前だとは感じた。
先行シングルの2曲(“ここから”、“夢ってどんな色してるの”)は彼女らしさがよく出ている佳曲とは思ったものの、その日に披露されたアルバム収録曲“今夜がチャンス”(ザ・モッズの森山達也が提供したと知ったのは後日のこと)が、なんだか昭和40年代くらいの歌謡曲のような印象を抱き、アルバムについての不安の方が大きくなったのが正直なところだった。
それからしばらくして、Facebookの公式ページでアルバムのジャケットと収録曲が発表された。そこでまず目を引いたのは、山口隆(サンボマスター)や片寄明人(GREAT3)など、これまでにない顔ぶれが作家陣にたくさんいたことである。しかし、先の“今夜がチャンス”を聴いた時の違和感を思いだし、余計に出来具合が心配になってきた。アルバム発売に先行してiTunes Storeに何曲か発売されたので“青空ハピネス”だけなんとなく買ってみたが、アルバムの全体像は全くつかめなかった。
そういう経緯もあり、今回について「も」本当に期待せずにいた。発売日4月1日に部屋に戻るとアマゾンから送られた本作がポストに入っていた。取り出してすぐに部屋のパソコンに入れて聴いてみる。そして1曲目の“鼓動”からかけてみた。そのままスーッと最後まで聴き通して、何度も何度も繰り返した。一晩で5回くらい流しただろうか。
本作を聴いて一番の印象は何かといえば、これまでの渡辺美里にないものを感じたということである。それはもう、自分が中学3年の頃から思い起こしても初めてのことである。
さきほど私は、彼女の新作については全く期待しないで臨んでいるというようなことを書いたが、それは少し嘘が入っている。心の底では、音楽性とか新しい挑戦とかどうでもいいから「渡辺美里らしさ」が出ていればもう十分だ、という思いがあった(それはライブ会場に行く時も同じ心境である)。
この20年の間でそんな自分の希望に適った作品といえば2000年に出た「Love GO!GO!」である。このアルバムでは調子のいい時の彼女のライブで観られるような躍動感のある声が奇跡的に収められている。しかしそれ以後は、酷いとはいえないまでも、何か煮え切らない作品が続くことになる。
今回の「オーディナリー・ライフ」は「Love GO!GO!」もしくは90年代前半あたりまでの彼女のような、彼女の存在を前面に押し出したものではない。だがそれにもかかわらず、物足りなさのようなものは感じなかった。その一番の要因は何かといえば、今回参加しているミュージシャンの空前絶後の顔ぶれだろう。そして彼らと美里との共演が非常にうまく噛み合っていることがなにより大きい。
表現者が活動を続けていくうちに自身の衰えやアイデアの枯渇により創作意欲が低下するということは避けられない宿命であるが、それを乗り切るための方法は何だろうか。一番良いのは、誰か他の人の助けを借りることである。組んだ相手に刺激され、それによって思いがけない方向に自分の表現が進んでいくこともありうるだろう。
ただ、これはあくまで一般論であって渡辺美里の場合はあてはまらないと個人的には思っていた。これまで他のアーティストと共演するにせよ、他人の曲をカバーするにせよ、目覚ましい成果があったとは言えないからだ。うまくいかない原因はわからないが、彼女がそれほど器用な表現者でないこと(他人とうまく絡めない)、そして自身のイメージなりスタイルなりを崩したくないという思いも強いのではないだろうか。またファンはファンで、彼女に対して冒険とか挑戦とかは全く求めてもいないはずである。そんなことを望むような音楽ファンはそもそもこういう歌手を聴くという選択もしないだろう。
本作の立役者は美里と共同でプロデューサーに名を連ねている佐橋佳幸だろう。これだけのメンツをかき集める人脈もさることながら、美里自身にもさまざまな提案やアドバイスをして共演のお膳立てをしたのは、佐橋自身の解説(アルバムの歌詞カードに収録されている)を読むだけでも容易に想像がつく。
これは適切な表現かはわからないが、本作は渡辺美里の作品の中でももっとも「音楽的」といえる。それは「渡辺美里ありき」という前提で作られたアルバムではないという意味だ。そんなことを書いていると「彼女の声が前面に出ていないということは、自分の望む作品ではないのでは?」という疑問も少しだけ頭をよぎった。しかし、実際にはアルバムを手にしてしばらく経ったいまも繰り返し聴き続け、これまでに経験したことのない不思議な充足感に包まれている自分がいる。
本作が彼女のキャリアにおいてどのような位置づけがされるのか、現時点ではよくわからない。ただ、30年という節目にふさわしい華のある内容であるということだけは、中3から聴いてきた人間の経験として確信をもって言える。
【個々の楽曲について】
さきほども書いたが、本作の歌詞カードには個々の曲について佐橋佳幸による解説が掲載されている。こうしたものがあるという点でも今回のアルバム制作において彼が大きな主導権を握っていたことがみてとれる。
かつて「ミュージック・マガジン」誌でどこかの泡沫ライター(名前は覚えているが紹介する価値もないので割愛する)が、俺が嫌いなのはミュージシャン自身による楽曲解説だ!などとほざいていたことを思い出す。ミュージシャンが書いてしまえばお前ごときのレベルでは仕事がなくなるからだろう。
それはともかく、聴き手をはぐらかしたいというのなら別として、何かを伝えたいと願っている表現者ならばこうした試みは個人的には歓迎したい。音楽でもなんでもいいのだが、サブ・カルチャーというのはそうした「人に伝えようとする努力」を放棄しているような気がしてならないからだ。
以下の文章は佐橋自身の文章を参照しながら、24年ほどのファン歴である私からの「おまけ」のようなものだ。本作について少しでも参考にでもなれば幸いと思いながら記すものである。
(1)鼓動(作詞・作曲:YO-KING、編曲:佐橋佳幸)
アルバムの冒頭は、彼女の作品に初めて参加の「真心ブラザーズ」YO-KINGによる楽曲。演奏は佐橋のアコースティック・ギターとDr.kyOnのアコーディオンだけという極めてシンプルな編成だ。ちなみにこの3人で「三ツ星団」としてライブ・ツアーをおこなったこともある。
こうした説明をすると美里のヴォーカルが主体になりそうに思えるが、実際には極めて控えめな感じで歌っている。
それについて佐橋の解説では、
<美里には声量を抑えて出来る限りマイクに近づいてもらい、
あたかもリスナーの耳元で歌っているかのような
唱法にチャレンジしてもらいました。>
と書いている。こうした「チャレンジ」を美里にうながすことによって、本作からは従来の彼女には見られない作風が生まれたのだろう。「Breath」(87年)や「ribbon」(88年)あたりの頃の「渡辺美里と、その他大勢のバック」という構図ではなく、彼女が演奏の方に溶け込んでいくという具合だ。そういう意味で本作について「音楽的」という表現を使ってみた。
全体的に郷愁を誘うフォーク・ソングだが、その中に語呂がいいとは思えない「ドクンドクン」という擬音が不思議なアクセントを与えている。
(2)夢ってどんな色してるの(作詞:河邉徹、作曲:杉本雄治、編曲:WEAVER&佐橋佳幸)
アルバムの先行シングルとして発売された曲で、ピアノ・ドラムス・ベースという編成のバンド「WEAVER」と先の「三ツ星団」との共演という形になっている。
このシングルでWEAVERを初めて知ることとなったが、メンバーは全員1988年生まれである。88年ということは「ribbon」が出た年だから、美里とは1世代ほど離れていることになる。それはともかくとして、キレのある演奏や瑞々しい印象を与えるサウンドは個人的にも好みの部類であり、今回のさまざまな共演の中でも最も成功した例だろう。WEAVERの力によって彼女の歌声に力強さが増しているように聴こえるからだ。
歌詞については別の機会に改めて触れたいが、作詞の河邉徹がイメージした渡辺美里という世界のような気がして興味深い。ともかく、WEAVERのライブも生で一度は観たいと感じるくらいに気に入った作品である。
WEAVER“こっちを向いてよ”
https://www.youtube.com/watch?v=SOQo1rjRFFo
それから、ネットでどなたかが指摘して気づいたのだが、一時に比べて体格もだいぶ絞られていることも注目していただきたい。そこには本作にかける彼女の並々ならぬ意気込みがあることに私たち聴き手も感じなければならないだろう。
渡辺美里 『「夢ってどんな色してるの」 ドキュメント映像&MV ショートVer.』
https://www.youtube.com/watch?v=49S19oqk_-0
(3)今夜がチャンス(作詞・作曲:森山達也、編曲:佐橋佳幸)
前の文章でも少し書いたが、本作の中でも「異色作」と個人的には感じている1曲。かつては同じエピック・ソニーに所属していたザ・モッズの森山達也との共演というのも意外だが、さらにバックにスカパラ・ホーンズ、さらにエレキ・ギターに土屋昌巳の名前まで出てくるというのには本当に驚いた。
佐橋の解説では「森山印のロックンロール・ソング」という表現をとっているが、個人的には(自分の苦手な)昭和40年代くらいの歌謡曲のような印象を元日ライブの時から受けた。具体的には何かと説明はできなが、例えば山本リンダのような・・・まあ、あくまでただのイメージとご了解いただきたい。
改めてアルバムで聴いてみると違和感はだいぶ薄まった感じはする。もはやこういう歌をうたう人も21世紀にはいなくなっただろうし貴重ではある、などと納得しながら聴いている次第だ。
(4)涙を信じない女(作詞・作曲:山口隆fromサンボマスター、編曲:佐橋佳幸、ストリングス・アレンジ:奈良部匠平)
美里とは全く縁があると思えないサンボマスター、山口隆の手による曲である。こうした人までかき集めた佐橋の人脈もすごいが、一方で往年のファンにはなじみ深い奈良部匠平の名前が出てきている。「lucky」(91年)あたりまで主に編曲で関わっていた人だ。今回は30周年の節目としてこうしたミュージシャンを呼んでいる点も本作の特徴だ。
複雑な曲調やリズムになっており佐橋は「国籍不明のサウンド」と書いているが、“今夜がチャンス”ほど個人的に違和感はなくスッと聴いている。作家陣がどんな人であろうと結局は渡辺美里の歌に落ち着くということなのか。ただ、彼女が従来のアプローチで歌っていたとしたら、ここまでの仕上がりになっていなかった気がする。佐橋のプロデュースの手腕もこのあたりでも感じとってしまう。
(5)点と線(作詞:森雪之丞、作曲:木根尚登、編曲:佐橋佳幸、ブラス・アレンジ:山本拓夫)
作曲はデビュー当時(85年)から交流のある木根尚登(TM-NETWORK)、そしてブラス・アレンジは彼女のライブでバンド・マスターを長年務めていた山本拓夫という同窓会的な顔ぶれが名を連ねている。プログラミングの石川鉄男も私のような聴き手には懐かしい名前だ。
木根がこれまで提供した曲に“eyes”、“さくらの花の咲くころに”、“kick off”など穏やかな感じのものばかりだったが、今回はホーン・セクションを中心にしたまた毛色の違うアレンジとなっている。
このあたりについては「戦後のR&Bを築き上げた先達へのオマージュ」という解説だが、そもそもR&Bとは何たるかもピンとこない私にとっては何もいえないし(「オマージュ」という言葉もなんだか好きになれない)、“今夜はチャンス”と同様、なんだか昔の古めかしい歌謡曲(またイメージだけだが和田アキ子あたり)を連想してしまう。いずれにせよ、佐橋の意図が強く出た作品なのだろう。
リズム・セクションは高橋幸宏(ドラムス)と小原礼(ベース)という豪華な布陣で、作詞はこれまた初めての森雪之丞が手掛けている。30周年の節目や「昭和」といったイメージをちりばめた歌詞で、日本を代表するプロ作詞家の言葉は美里とはまた違った世界を出している点は興味深いものとなっている。
(6)オーディナリー・ライフ(作詞:渡辺美里、作曲:渡辺美里&佐橋佳幸、編曲:森俊之)
キャロル・キングの“Natural woman”を目指したというアルバムのタイトル曲は、一転していかにも渡辺美里という調子のバラードである。「Ordinary Life」とは市井の人々の生活・人生といった意味合いだが、歌の中では「ありふれた日々」という言葉で表現されている。
<ありふれた日々が あまりに愛おしい>
という一節は、年齢を重ねるごとに受け止め方が変わってくるだろう。10代20代の人ならば、「ありふれた日」って刺激もない日のことでしょう?などと思うに違いない。しかし人生の折り返し点を過ぎてくると、そうした日々が永遠にものでないことにだんだんと気づいてくるのだ。
<夏が来るたびに
また ひとつ歳を重ねて
会いたい人がいる
もう 会えない人がいる>
<手放した夢も
失った自由も
きっと あなたへ続く>
といった部分には、たとえどんな人でも生き続けていたら様々な不幸に出会ったり苦渋を味わうことを示唆している。それはもちろん歌っている本人についても同じであり、彼女の30年の道のりを思いながら聴いているとまた胸に迫るものがある、個人的には本作で一番気に入っている曲である。
(7)A Reason(作詞・作曲:大江千里、編曲:佐橋佳幸)
こちらもデビュー時から親交のある大江千里の手による曲。間奏のサックスを演奏している中村哲は、美里のデビュー曲“I’m Free”の編曲を担当した人である。ほかにも後藤次利、村上“ポンタ”秀一とデビュー時に関わった人たちでバックを固めている。
これまでもずっと共演してきた千里なのでツボを押さえたという感じの曲だが、その中に、
<僕らはもう 道を選べないから>
という重たいフレーズが出てくるのが興味深い。それは美里であり千里のこともイメージしているのだろう。また私自身にものしかかってくる言葉である。
(8)Glory(作詞・作曲:Caravan、編曲:佐橋佳幸)
作詞・作曲を手掛けているCaravanは1974年生まれの男性シンガー・ソングライターである。FM局の友人に勧められて聴いて彼を気に入ったという美里、そして同じ時期にCaravanと知り合った佐橋との縁がこういう形に繋がったらしい。
確かに美里との相性は良いようで、本人が書いたのではと思えるまでの仕上がりになっている。Caravanの写実的な情景描写や言葉の使い方はかつての美里の世界観と重なってくるし、二人のよるコーラスも良い。この人も機会があれば生で観てみたいと思わせる。
Caravan “アイトウレイ ”
https://www.youtube.com/watch?v=JufBJdvVCzY
(9)真っ赤な月(作詞:片寄明人、作曲:伊秩弘将、編曲:有賀啓雄)
SPEEDを手掛けてその名前が広く知られるようになった伊秩弘将、そしてライブやアルバム制作で長年の付き合いのある有賀啓雄がここでは登場する。
これまでの彼女の曲では“小指”のような、感情表現を抑えて歌うスロウなバラードである。しかしそのような歌い方はこの人と相性が良くないような気がする。やはり明確に喜怒哀楽をつけてこそこの人の良さが出るのではないだろうか。別に悪いとは全く思ってないのだが、スーッと気持ちよく聴きながらもそのまま終わってしまうような印象である。
(10)青空ハピネス(作詞:渡辺美里、作曲:伊秩弘将、編曲:清水信之)
清水信之の名前を見るのも久しぶりだ。ギターの佐橋以外は全て彼が楽器などを手掛けているこの曲は21世紀版“恋したっていいじゃない”をテーマにしたものといっていいだろう。歌詞にも演奏もそれをイメージさせるものが散りばめられている。
間奏では「eyes」に収録されている“18才のライブ”でのドラムスの音が挿入されている。これを叩いていたのは、2年前に亡くなった青山純である。
正直いって、従来の彼女の枠にとどまっている印象を受けて本作の中ではあまり出来が良い部類と思えない。しかし、そもそも過去の曲の続編という意図で作ったものだし、遊び心は満載という雰囲気は楽しめるものである。
(11)Hello Again(作詞・作曲:Caravan、編曲:佐橋佳幸)
再びCaravanによる曲は、解説によるとアレンジではだいぶ実験的で凝ったことをしたようだ。それを知らなかったらバックのサウンドスケープ(音風景)には特に気にもとめなかっただろう。
もし佐橋が関わらなかったとしたら、こうした複雑な音をバックに歌うことを彼女は受け入れただろうか。聴きながらそんなことを思ってしまった。かつて何かの音楽雑誌のインタビューで、サウンド主義が嫌い、というような発言をしていたのがいまでもずっと頭に残っていたからだ。どうにでも解釈できそうな言葉だが、あまり凝った音楽をしたくないというような意味だろう。これまでのこの人の作ってきたものを考えればそう思えてくる。
渡辺美里という人は自分のスタイルというか型に強いこだわりがあるのだろう。それが彼女の明確なイメージを作りあげて成功した部分もあるが、ある時期からそれが足かせとなって表現の幅や可能性を狭めていったことも否定できない。また、器用に立ち回ることもできないことも大きかった。
そういう光景をずっと観てきた者としては、本作の多彩なゲストとの関わりや試みは少なからぬ感慨を覚えている。これ以後の活動にもこれが活かされたらと密かに願っている。果たしていつまで歌ってくれるかどうかは、よくわからないが。
(12)ここから(作詞・作曲:大江千里、編曲:佐橋佳幸)
本作の中で一番初めに世に出たシングル曲で、これも大江千里によるもの。シングルで発売されたときに日記で感想を書いているので、興味ある方は参照いただきたい。
渡辺美里「ここから」(14年)
http://30771.diarynote.jp/201405061102111592/
日記でも触れたが、これまでの彼女のイメージを踏襲しながら30年の流れを感じる部分もあり、長年共演してきた千里ならではという出来だ。美里自身も気に入っているようで、おそらくこれからのライブでも歌い続けるだろう。
渡辺美里「Baby Faith」(94年)
2014年9月10日 渡辺美里 コメント (2)
少し前にも触れたが、現在の渡辺美里はデビュー30周年に入っている。
かつて私は個人サイトを作ったことがあり、それに合わせてブログというものも始めたわけだが、その目的の一つが彼女についての文章を書いて載せることがあった。しかしながら誰かに強制されるというわけでもないし、まとまった文章を書くのもけっこう手間だし、ほとんど何もしないまま現在にいたってしまった。サイトはinfoseekの無料サービスを借りていたのだが、いつの間にやらサービス終了で消えてしまっている。よって、いま自分のサイトというのは持っていない。
彼女の作品についてブログに書いたこともあるが、「ribbon」(88年)や「BIG WAVE」(93年)など、片手で数えられるほどしかない。ただ、「ribbon」や「BIG WAVE」で検索してここを辿り着く人が毎週のように存在する。それはひとえに、ネット上で彼女についての情報が乏しいからに違いない。
いまさら渡辺美里について語ることなどあるのだろうか。そういう思いも無いわけではないが、自分の頭の中にあるもの何かの形で残したい気持ちも消えていない。そういうわけで、デビュー30周年の間にできるだけのことはしたいと思う。たぶんいまから5年後のデビュー35周年の頃には私の気持ちやテンションが今より上がっている可能性も低いだろう。
その足がかりに、今回は今から20年前に発売されたアルバム「Baby Faith」(94年)を、当時の思い出を交えながら触れてみたい。私の日記としてはかなり長い部類になるので、少しずつ区切って書いていく。
◯「BIG WAVE」発売以後
1993年というのは、私が渡辺美里の「信者」を辞めた年であり、その点で個人的には節目といえる年であった。「BIG WAVE」についてはブログで書いてあるので参照いただきたい。
渡辺美里「BIG WAVE」(93年)
http://30771.diarynote.jp/201104231407489768/
このアルバムを聴いて「信者」を辞めはしたものの、かといって彼女に代わる存在もいないというモヤモヤした状態がずっと続いていた。そしてその気持ちは1993年12月19日(日)北海道厚生年金会館におこなわれた『misato BIG WAVE TOUR ’93 』の札幌公演を観た時も変わることはなかった。
ネットでライブについて調べてみたら、なんとその日の演奏曲目を載せている人がいた。
YUMENO BLOG ~ 愛した季節の薫り 孤高のフォークシンガー・松山千春の世界を綴ろう~ 夢野旅人
http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11442652277.html
なかなか貴重な情報なので、この場所でも曲目を引用しておく。
~イントロダクション~
01.ジャングル チャイルド
02.IT’S TOUGH
03.恋するパンクス
04.夏が来た!
05.BELIEVE
06.PAJAMA TIME
07.若きモンスターの逆襲
08.BOYS CRIED(あの時からかもしれない)
09.JUMP
~インストゥルメンタル~
10.虹をみたかい
11.やるじゃん女の子
12.BORN TO SKIP
13.I WILL BE ALRIGHT
14.19才の秘かな欲望~NEWS ~
15.ブランニューヘヴン
16.BIGWAVEやってきた
--- --encore01---
17.Oh! ダーリン
18.恋したっていいじゃない
19.GROWIN’ UP
--- ---encore02---
20.いつかきっと
21.My Revolution(アカペラ)
これを書いている方は、
<渡辺美里 27歳。 この人に、限界という言葉はないんじゃないか。 そう思えるライブだった。 過去のライブを容易く乗り越えていく。 1993年は、間違いなく渡辺美里の黄金期だったと思う。>
と褒めちぎっているけれど、私はまったくそんな感想を抱けなかった。「生涯最高のライブ」とまで感じた(それは現在も変わらない)前年の「スタジアム伝説」(1992年8月18日、真駒内アイスアリーナ)を観たときに得た高揚感とは比較のしようもない内容であったからだ。いや別に悪くもなかったのだけど、それ以上のものはなかった。それはアルバム「BIG WAVE 」を聴いた印象と一致する。
大好きな”Pajama Time” や”いつかきっと”などの曲が聴けて良かったとか、最後の”いつかきっと”の途中で泣いて歌えなくなり、そのお詫びだったのか、最後でアカペラの”My Revolution”を一節だけ披露した(今では信じられない話だろうが、当時は”My Revolution”や”10years”はライブで必ず歌われる曲ではなかった)ことが断片的に印象に残っているが、全体としては観る者を圧倒させる内容ではなかった。
ともかく新作もアルバムも不完全燃焼という感じを抱きながら、私の1993年が終わった。当時の私は高校2年、クラスではいじめの前段階のような状態にあり円形脱毛症ができたこともあった。振り返ってもろくな思い出がない年である。あまり本題とは関係の無い話であるが。
◯2枚の先行シングル
94年に入ってしばらくは彼女についての記憶はあまり残っていない。3月21日に93年のライブなどが収められた映像作品「Misato Born8 Brand New Heaven」(VHSのビデオテープの時代だ)が出て、すぐ買ったものの通して観たのは1回くらいだったと思う(中身の記憶については全くない)。
そうしているうちに、”真夏のサンタクロース”という新曲が出るという情報が入ってきた。しかもショッキングなことに、またしてもあの小林武史が関わっているというのである。
この時点で、
「今回ももう駄目だな」
と勝手に決めつけてしまった。5月21日が発売日だから前日の20日に買ったわけだが、調べてみるとこの日は「ミュージック・ステーション」(テレビ朝日系列)に出演して新曲を披露している。
それからしばらくして「Baby Faith」という新作アルバムが9月7日に発売されるという情報が入る(これについては何も覚えてないが、音楽雑誌で知ったのだろう)。その先行シングルとして”チェリーが3つ並ばない”が8月1日に発売された。この曲はその発売日の前の7月29日に「ミュージック・ステーション」で披露されたが、”真夏のサンタクロース”以上に印象の薄い曲、というのが率直な感想だった。この時点でもう新作に対する期待はゼロに近くなった。先行シングル2枚がパッとしないのにアルバムの内容が良いという可能性は極めて低いと考えるのが自然だろう。
しかし、ここから事態が思わぬ方向へと流れていく。きっかけは徳永英明のラジオ番組(放送日はわからないが、FM東京系列の「徳永英明のRadio days」)に彼女がゲストで出て、「Baby Faith」の収録曲が紹介され、ここで初めて”初恋”と”Baby”を聴いた時だった。
「え?」
とラジオに顔を向けた。
「これは・・・前作とは勝手が違うのでは?」
と思いを新たにした。そしてアルバムの出荷日である9月6日に、学校から買える途中で「Baby Faith」(初回限定版)を手にして居間のコンポで聴いてみた。もう記憶はかなり薄れているけれど、1曲目の”あなたの全部”から”20th Century Children”までの流れを聴いた時に、
「今回は・・・良い!」
そう確信して安堵したのは間違いない。
ここまで「BIG WAVE」発売から「Baby Faith」発売日に至るところの流れを具体的に書いてきたが、当時の自分は北海道という僻地にいながらもテレビやラジオや雑誌を追いかけて、可能な限り彼女について情報を集めていたのだと実感した。
もはや自分は「信者」ではなかったはずだが、これだけ熱意をそそいだ存在はおそらく人生最初で最後だろう。それは私がまだ18歳と若かったから、というだけではない。彼女から与えられたものがあまりに大きかったとしか言うしかない。
◯「Baby Faith」アルバム概説
「Baby Faith」は94年9月7日に発売された、渡辺美里の9枚目(92年のセルフ・カバーアルバム「HELLO LOVERS」を勘定に入れなければ8枚目)のアルバムである。
プロデューサーは前作「BIG WAVE」(93年)に続いて、サザンオールスターズやミスター・チルドレンで知られる小林武史が手掛けた。「BIG WAVE」で書いた通りだが、小林武史と組んだというのは悪い意味で転機となったというのが私の見解である。だから今回もまた彼の名前が出た時はかなり失望したものだ。
しかしながら、本作は「BIG WAVE」で失ってしまった彼女の持つ力強さ・せつなさ・可愛らしさといった要素、端的にいえば「渡辺美里らしさ」がかなりの部分を取り戻している。彼女自身も「BIG WAVE」については不完全燃焼の感があったらしい。小林武史のいいようにされたのかもしれないが、今回はその小林すらも飲み込んで自分のカラーを押し出すことに成功している。
これを聴いた時には、
「渡辺美里が帰ってきた!」
と快哉を叫んだくらいだ。
しかしながらチャート的には、ブレイクしたばかりミスター・チルドレンの「アトミック・ハート」に首位の座を奪われる結果となった(最高位は2位)。「Lovin’ You」(86年)から8年続いたアルバム・チャート1位の記録もここで途絶え、売上げについても60万枚を売り上げていた前作を大幅に下回る(35.1万枚)。
今も昔も、時代を先取りしようとかトレンドに乗ろうとかいったことを考えて音楽を聴いたこともほとんど無い。
しかしそんな自分にとってもこの時は、
「なんだか時代が変わってきたようだな・・・」
と、世代交代のようなものを感じさせる光景であった。
これ以後も彼女は大きなブランクも無く活動を続けているわけだが、勢いや力を徐々に失っていくことになる。
今回この文章を書くために個々の楽曲をくり返し聴いたり歌詞カードを眺めたりしたわけだが、、その「渡辺美里らしさ」が無くなっていく序章のような部分も見て取れて、なんともやり切れない気持ちも出てきた。「BIG WAVE」以後の彼女が何を失ったかについては、最後の楽曲メモで触れてみることにする。
当時はまだ彼女に対する思いがかなり大きかったため、昔の思い出を書くだけでずいぶん長いものと鳴ってしまった。ただ、この20年間に出した作品では最高傑作と位置づけることは美里ファンの間でも異論は無い内容だとは断言したい。
◯個々の楽曲についてのメモ
(1)あなたの全部(作詞:渡辺美里 作曲・編曲:小林武史)
アルバムの冒頭は、シングル未収録のこの曲から始まる。
<深呼吸して見送る
悲しい決意で
発車のベルがホームに響く>
と別れの場面を歌っているがそれと同時に、
<夕立のあとぬけるよな 青空 広がる
新しい靴 人の波 背のびしていた>
という清々しい情景を交え、全体的にはせつないながらも爽やかという、彼女らしい歌である。
(2)20th Century Children(作詞:渡辺美里 作曲:渡辺美里/小林武史 編曲:小林武史)
浦沢直樹のマンガ「本格冒険漫画 20世紀少年」の作品名は、T・レックスの73年のヒット曲”20th Century Boy”に因んだものであるが、この”20th Century Children”もそうなのだろう。アレンジや曲調もなんとなくT・レックスを連想させる。
さきほど「渡辺美里らしさ」という表現を使ったが、この曲についてはその「らしさ」が損なわれている箇所が目立つ。
例えば、
<NO.1ギャングスターきどっても マシンガンがない>
というところは、無理やりに言葉を詰め込んだような部分が違和感を抱くというか、自分に耳にはスッと入り切れないのである。
かつては明瞭簡潔な言葉を使って写実的な美しい情景を描いたが、「BIG WAVE」での路線変更からはそのあたりが上手くできなくなった感がある。ただ曲全体としては彼女の力強い声と演奏が良く合っている。
(3)真夏のサンタクロース(作詞:渡辺美里 作曲:渡辺美里/佐橋佳幸 編曲:小林武史)
前述したがアルバム先行シングルの1枚(最高位は14位)。アコースティック・ギターのリズムを軸にしたアレンジがあっさりし過ぎてシングルしては弱いなあと当時は感じた気がする。ただ、歌詞については見るべきところがある。
彼女について否定的な印象をもつ理由の一つに、その世界観の青さというか幼さがあるだろう。しかしそもそも話であるが、ロックやポップスなどというのはティーンネイジャーに捧げる音楽である。「大人のロック」などというのは矛盾した語義である。大半の大人というのは、そうした音楽そのものを聴かなくなるのではないか。
渡辺美里は当時28歳であり、聴く方にとっても「いまさらロックやポップスなんて・・・」と思うようになり、それで彼女の歌から離れていったという側面もあったのではないだろうか。
この曲の中に出てくる、
<友達は五月に
子供が生まれ
友達のひとりはもう返らない>
という一節は、10代の人間の視点ではなくもっと年月を重ねている人のそれだろう。この曲は従来の彼女の世界観を保ちつつ30代や40代の人たちのための歌を作っていける可能性を示唆している。むろんファン離れの理由はそれだけでは無いのだけど、こうした世界を確立していけば、年齢を重ねていく支持者の心ももう少しつなぎ止められたのではないか。この曲を聴くたびにそんな無念さを勝手に感じることがある。
(4)SHOUT[ココロの花びら](作詞:渡辺美里 作曲:みやもとこうじ 編曲:小林武史)
現在のライブでたまに披露されていて本人は割と気に入ってるのかもしれないが、個人的にはあまり好きではない。歌詞はストリート感覚を出そうと試みたのかもしれないが、それは優等生的な彼女のイメージとはいま一つそぐわない気がする。
それ以上に、
<刹那的なまなざしはインスタントでチープなサヴォタージュ
反逆は静脈に針さすことでは満たされないだろう>
あたりの言葉の詰め込み方は、いつ聴いても流れが悪く無理があるように感じる。「Baby Faith」は自分の中でよく聴いているアルバムの一つだが、どうにも「BIG WAVE」以前の作品と並べる気になれないのはこの歌詞の使い方が大きい。
(5)初恋(作詞:渡辺美里 作曲:みやもとこうじ 編曲:小林武史)
歌いっぷりについてはこの曲が本作のベストだろう。前述した徳永英明のラジオの中でこれを初めて聴いたとき少なからぬショックを受けたことを今でも覚えている。
当時どこかの音楽雑誌で彼女がアルバムの個々の楽曲についてコメントがあったが、”初恋”は「ハード・ロック」だと確か書いてあった。
しかしパッと聴いた感じは、
<野原越えて 山越えて
あの丘 いっしょに登ろう
大きな くりの木の向こう
なつかしい 校舎見える>
という歌詞のように、いかにも日本的情緒のある光景である。後半の力強い歌声でドラマティックにもっていく流れはいま聴いても圧巻だ。こうした世界を作り上げることのできる表現者は他に思い当たらない。
生で聴く機会は無いだろうと勝手に思っていたが、06年に山梨で行われた野外ライブで披露し本当に驚かされた。
(6)CHANGE(作詞:渡辺美里 作曲・編曲:小林武史)
冒頭に「ヘイヘイ、ヘイヘイ」と船をこぐ時の掛け声のようなコーラスが出てくる。歌詞には航海をイメージする言葉がちらつくが、航海そのものというよりも新しい場所へ旅立つようなテーマとなっている気がする。
<20世紀も終わりに近い>
という一節は、1994年に聴いた当時は不思議に印象に残ったことが忘れられない。言葉遣いや楽曲は「BIG WAVE」の延長線上にありそれほど特色があるとも思えないが、前作よりも歌声がずっと伸び伸びとしているのが救いとなっている。
(7)BABY(作詞:渡辺美里 作曲:渡辺美里/佐橋佳幸 編曲:小林武史)
これはギターでないと出来ないメロディだと雑誌の楽曲解説で言っていたことを覚えている。
<BABYの部分 こわれたハートの真ん中で
みんな 抱きしめてる 宝物
BABYの部分 ずっとなくしちゃダメだよ
がんばって輝いていなくちゃ>
という、活字に起こしてみるとなんともたわいもない印象を受ける歌詞だが、エレキギターのカッティングと彼女の歌声がグイグイと引っ張る、可愛らしさ満開の曲である。ラジオで初めて聴いた時は”初恋”と同様に、いま聴いても胸が締め付けられるような思いのする本作のハイライトである。
(8)チェリーが3つ並ばない(作詞:渡辺美里 作曲:石井恭史 編曲:小林武史)
アルバムの先行シングルであり現在もライブではよく歌われる曲だが、初めてテレビで聴いた時から現在に至るまで、さっぱり良さがわからない。ホーン・セクションのほか様々な効果音を曲中に挿入し賑やかな雰囲気を出しているが、いま一つパッとしない仕上がりになっているのは肝心の楽曲が平凡なためだろうか。
こういう機会なので記してみるが、ライブで演奏されたらテンションの下がる個人的「3大ガッカリ」はこの曲と”ジャングル チャイルド”、そして”スピリッツ”である。
(9)こんな風の日には(作詞:渡辺美里 作曲:みやもとこうじ 編曲:Richard Dodd)
シングル”チェリーが3つ並ばない”のカップリング曲という扱いだったが、自分にとってはこちらの方が気に入っていた。力強いドラムのビートがゆっくりと盛り上げていく楽曲だがその中に、
<捨てねこ みないふりして
遠回りしても鳴き声が
耳からはなれない>
という切ない歌詞が入ったり、
<一番星と書かれたトラックが
はねをあげながら走り去ってゆく
朝の光につつまれて くじけそうな心と
青いかさ空高く とばしてみたい
こんな風の日には>
というような清新な光景が出てくるのが素晴らしい。一度ライブで聴いてみたいと秘かに願っている曲の一つである。
(10)ムーンライト ピクニック(作詞:渡辺美里 作曲:渡辺美里/佐橋佳幸 編曲:小林武史)
こちらはシングル”真夏のサンタクロース”のカップリングで、アコースティック・ギターが繰り出す軽快なジャングル・ビートに乗って、夜の街へ飛び出そうと、歌う。「SHOUT」のような妙なストリート感覚もなく、言葉の回りも悪くない。ライブ映えしそうだが実際にはほとんど演奏されておらず、私も2007年の時に2回(横浜、熊本)しかライブで聴いたことがない曲である。
(11)I Wish(作詞:渡辺美里 作曲・編曲:小室哲哉)
小室哲哉が提供した現在のところ最後の曲、と少し前まで思っていたが、91年のアルバム「Lucky」制作時にはできていたということをネットで知った。「Lucky」に収録するのには雰囲気が違うという判断だったのだろう。では、本当に二人が最後に共同作業をしたのは92年の”青空”が最後ということになるか。私にとっては別にこの二人のコンビが最高とも思っていないのであまり関心もないけれど。
<きみが飛び出した夜 冷たい雨 木々をぬらし
あの日新聞から 昭和という文字が消えた>
という歌詞は、昭和から平成へと年号が変わってまもない時期に作られた曲であることを示唆している。
アコースティック・ギターが主体なアレンジで打ち込みは使用されておらず、小室哲哉のカラーはあまり感じない。全体的に大人しく湿っぽい調子で、確かに鮮やかで力強い「Lucky」の世界観とはそぐわないだろう。むしろ次のオリジナル・アルバム「Spirits」(96年)、楽曲でいえば”キャッチボール”あたりの雰囲気に似ている気がする。
かつて私は個人サイトを作ったことがあり、それに合わせてブログというものも始めたわけだが、その目的の一つが彼女についての文章を書いて載せることがあった。しかしながら誰かに強制されるというわけでもないし、まとまった文章を書くのもけっこう手間だし、ほとんど何もしないまま現在にいたってしまった。サイトはinfoseekの無料サービスを借りていたのだが、いつの間にやらサービス終了で消えてしまっている。よって、いま自分のサイトというのは持っていない。
彼女の作品についてブログに書いたこともあるが、「ribbon」(88年)や「BIG WAVE」(93年)など、片手で数えられるほどしかない。ただ、「ribbon」や「BIG WAVE」で検索してここを辿り着く人が毎週のように存在する。それはひとえに、ネット上で彼女についての情報が乏しいからに違いない。
いまさら渡辺美里について語ることなどあるのだろうか。そういう思いも無いわけではないが、自分の頭の中にあるもの何かの形で残したい気持ちも消えていない。そういうわけで、デビュー30周年の間にできるだけのことはしたいと思う。たぶんいまから5年後のデビュー35周年の頃には私の気持ちやテンションが今より上がっている可能性も低いだろう。
その足がかりに、今回は今から20年前に発売されたアルバム「Baby Faith」(94年)を、当時の思い出を交えながら触れてみたい。私の日記としてはかなり長い部類になるので、少しずつ区切って書いていく。
◯「BIG WAVE」発売以後
1993年というのは、私が渡辺美里の「信者」を辞めた年であり、その点で個人的には節目といえる年であった。「BIG WAVE」についてはブログで書いてあるので参照いただきたい。
渡辺美里「BIG WAVE」(93年)
http://30771.diarynote.jp/201104231407489768/
このアルバムを聴いて「信者」を辞めはしたものの、かといって彼女に代わる存在もいないというモヤモヤした状態がずっと続いていた。そしてその気持ちは1993年12月19日(日)北海道厚生年金会館におこなわれた『misato BIG WAVE TOUR ’93 』の札幌公演を観た時も変わることはなかった。
ネットでライブについて調べてみたら、なんとその日の演奏曲目を載せている人がいた。
YUMENO BLOG ~ 愛した季節の薫り 孤高のフォークシンガー・松山千春の世界を綴ろう~ 夢野旅人
http://ameblo.jp/chiharu1997/entry-11442652277.html
なかなか貴重な情報なので、この場所でも曲目を引用しておく。
~イントロダクション~
01.ジャングル チャイルド
02.IT’S TOUGH
03.恋するパンクス
04.夏が来た!
05.BELIEVE
06.PAJAMA TIME
07.若きモンスターの逆襲
08.BOYS CRIED(あの時からかもしれない)
09.JUMP
~インストゥルメンタル~
10.虹をみたかい
11.やるじゃん女の子
12.BORN TO SKIP
13.I WILL BE ALRIGHT
14.19才の秘かな欲望~NEWS ~
15.ブランニューヘヴン
16.BIGWAVEやってきた
--- --encore01---
17.Oh! ダーリン
18.恋したっていいじゃない
19.GROWIN’ UP
--- ---encore02---
20.いつかきっと
21.My Revolution(アカペラ)
これを書いている方は、
<渡辺美里 27歳。 この人に、限界という言葉はないんじゃないか。 そう思えるライブだった。 過去のライブを容易く乗り越えていく。 1993年は、間違いなく渡辺美里の黄金期だったと思う。>
と褒めちぎっているけれど、私はまったくそんな感想を抱けなかった。「生涯最高のライブ」とまで感じた(それは現在も変わらない)前年の「スタジアム伝説」(1992年8月18日、真駒内アイスアリーナ)を観たときに得た高揚感とは比較のしようもない内容であったからだ。いや別に悪くもなかったのだけど、それ以上のものはなかった。それはアルバム「BIG WAVE 」を聴いた印象と一致する。
大好きな”Pajama Time” や”いつかきっと”などの曲が聴けて良かったとか、最後の”いつかきっと”の途中で泣いて歌えなくなり、そのお詫びだったのか、最後でアカペラの”My Revolution”を一節だけ披露した(今では信じられない話だろうが、当時は”My Revolution”や”10years”はライブで必ず歌われる曲ではなかった)ことが断片的に印象に残っているが、全体としては観る者を圧倒させる内容ではなかった。
ともかく新作もアルバムも不完全燃焼という感じを抱きながら、私の1993年が終わった。当時の私は高校2年、クラスではいじめの前段階のような状態にあり円形脱毛症ができたこともあった。振り返ってもろくな思い出がない年である。あまり本題とは関係の無い話であるが。
◯2枚の先行シングル
94年に入ってしばらくは彼女についての記憶はあまり残っていない。3月21日に93年のライブなどが収められた映像作品「Misato Born8 Brand New Heaven」(VHSのビデオテープの時代だ)が出て、すぐ買ったものの通して観たのは1回くらいだったと思う(中身の記憶については全くない)。
そうしているうちに、”真夏のサンタクロース”という新曲が出るという情報が入ってきた。しかもショッキングなことに、またしてもあの小林武史が関わっているというのである。
この時点で、
「今回ももう駄目だな」
と勝手に決めつけてしまった。5月21日が発売日だから前日の20日に買ったわけだが、調べてみるとこの日は「ミュージック・ステーション」(テレビ朝日系列)に出演して新曲を披露している。
それからしばらくして「Baby Faith」という新作アルバムが9月7日に発売されるという情報が入る(これについては何も覚えてないが、音楽雑誌で知ったのだろう)。その先行シングルとして”チェリーが3つ並ばない”が8月1日に発売された。この曲はその発売日の前の7月29日に「ミュージック・ステーション」で披露されたが、”真夏のサンタクロース”以上に印象の薄い曲、というのが率直な感想だった。この時点でもう新作に対する期待はゼロに近くなった。先行シングル2枚がパッとしないのにアルバムの内容が良いという可能性は極めて低いと考えるのが自然だろう。
しかし、ここから事態が思わぬ方向へと流れていく。きっかけは徳永英明のラジオ番組(放送日はわからないが、FM東京系列の「徳永英明のRadio days」)に彼女がゲストで出て、「Baby Faith」の収録曲が紹介され、ここで初めて”初恋”と”Baby”を聴いた時だった。
「え?」
とラジオに顔を向けた。
「これは・・・前作とは勝手が違うのでは?」
と思いを新たにした。そしてアルバムの出荷日である9月6日に、学校から買える途中で「Baby Faith」(初回限定版)を手にして居間のコンポで聴いてみた。もう記憶はかなり薄れているけれど、1曲目の”あなたの全部”から”20th Century Children”までの流れを聴いた時に、
「今回は・・・良い!」
そう確信して安堵したのは間違いない。
ここまで「BIG WAVE」発売から「Baby Faith」発売日に至るところの流れを具体的に書いてきたが、当時の自分は北海道という僻地にいながらもテレビやラジオや雑誌を追いかけて、可能な限り彼女について情報を集めていたのだと実感した。
もはや自分は「信者」ではなかったはずだが、これだけ熱意をそそいだ存在はおそらく人生最初で最後だろう。それは私がまだ18歳と若かったから、というだけではない。彼女から与えられたものがあまりに大きかったとしか言うしかない。
◯「Baby Faith」アルバム概説
「Baby Faith」は94年9月7日に発売された、渡辺美里の9枚目(92年のセルフ・カバーアルバム「HELLO LOVERS」を勘定に入れなければ8枚目)のアルバムである。
プロデューサーは前作「BIG WAVE」(93年)に続いて、サザンオールスターズやミスター・チルドレンで知られる小林武史が手掛けた。「BIG WAVE」で書いた通りだが、小林武史と組んだというのは悪い意味で転機となったというのが私の見解である。だから今回もまた彼の名前が出た時はかなり失望したものだ。
しかしながら、本作は「BIG WAVE」で失ってしまった彼女の持つ力強さ・せつなさ・可愛らしさといった要素、端的にいえば「渡辺美里らしさ」がかなりの部分を取り戻している。彼女自身も「BIG WAVE」については不完全燃焼の感があったらしい。小林武史のいいようにされたのかもしれないが、今回はその小林すらも飲み込んで自分のカラーを押し出すことに成功している。
これを聴いた時には、
「渡辺美里が帰ってきた!」
と快哉を叫んだくらいだ。
しかしながらチャート的には、ブレイクしたばかりミスター・チルドレンの「アトミック・ハート」に首位の座を奪われる結果となった(最高位は2位)。「Lovin’ You」(86年)から8年続いたアルバム・チャート1位の記録もここで途絶え、売上げについても60万枚を売り上げていた前作を大幅に下回る(35.1万枚)。
今も昔も、時代を先取りしようとかトレンドに乗ろうとかいったことを考えて音楽を聴いたこともほとんど無い。
しかしそんな自分にとってもこの時は、
「なんだか時代が変わってきたようだな・・・」
と、世代交代のようなものを感じさせる光景であった。
これ以後も彼女は大きなブランクも無く活動を続けているわけだが、勢いや力を徐々に失っていくことになる。
今回この文章を書くために個々の楽曲をくり返し聴いたり歌詞カードを眺めたりしたわけだが、、その「渡辺美里らしさ」が無くなっていく序章のような部分も見て取れて、なんともやり切れない気持ちも出てきた。「BIG WAVE」以後の彼女が何を失ったかについては、最後の楽曲メモで触れてみることにする。
当時はまだ彼女に対する思いがかなり大きかったため、昔の思い出を書くだけでずいぶん長いものと鳴ってしまった。ただ、この20年間に出した作品では最高傑作と位置づけることは美里ファンの間でも異論は無い内容だとは断言したい。
◯個々の楽曲についてのメモ
(1)あなたの全部(作詞:渡辺美里 作曲・編曲:小林武史)
アルバムの冒頭は、シングル未収録のこの曲から始まる。
<深呼吸して見送る
悲しい決意で
発車のベルがホームに響く>
と別れの場面を歌っているがそれと同時に、
<夕立のあとぬけるよな 青空 広がる
新しい靴 人の波 背のびしていた>
という清々しい情景を交え、全体的にはせつないながらも爽やかという、彼女らしい歌である。
(2)20th Century Children(作詞:渡辺美里 作曲:渡辺美里/小林武史 編曲:小林武史)
浦沢直樹のマンガ「本格冒険漫画 20世紀少年」の作品名は、T・レックスの73年のヒット曲”20th Century Boy”に因んだものであるが、この”20th Century Children”もそうなのだろう。アレンジや曲調もなんとなくT・レックスを連想させる。
さきほど「渡辺美里らしさ」という表現を使ったが、この曲についてはその「らしさ」が損なわれている箇所が目立つ。
例えば、
<NO.1ギャングスターきどっても マシンガンがない>
というところは、無理やりに言葉を詰め込んだような部分が違和感を抱くというか、自分に耳にはスッと入り切れないのである。
かつては明瞭簡潔な言葉を使って写実的な美しい情景を描いたが、「BIG WAVE」での路線変更からはそのあたりが上手くできなくなった感がある。ただ曲全体としては彼女の力強い声と演奏が良く合っている。
(3)真夏のサンタクロース(作詞:渡辺美里 作曲:渡辺美里/佐橋佳幸 編曲:小林武史)
前述したがアルバム先行シングルの1枚(最高位は14位)。アコースティック・ギターのリズムを軸にしたアレンジがあっさりし過ぎてシングルしては弱いなあと当時は感じた気がする。ただ、歌詞については見るべきところがある。
彼女について否定的な印象をもつ理由の一つに、その世界観の青さというか幼さがあるだろう。しかしそもそも話であるが、ロックやポップスなどというのはティーンネイジャーに捧げる音楽である。「大人のロック」などというのは矛盾した語義である。大半の大人というのは、そうした音楽そのものを聴かなくなるのではないか。
渡辺美里は当時28歳であり、聴く方にとっても「いまさらロックやポップスなんて・・・」と思うようになり、それで彼女の歌から離れていったという側面もあったのではないだろうか。
この曲の中に出てくる、
<友達は五月に
子供が生まれ
友達のひとりはもう返らない>
という一節は、10代の人間の視点ではなくもっと年月を重ねている人のそれだろう。この曲は従来の彼女の世界観を保ちつつ30代や40代の人たちのための歌を作っていける可能性を示唆している。むろんファン離れの理由はそれだけでは無いのだけど、こうした世界を確立していけば、年齢を重ねていく支持者の心ももう少しつなぎ止められたのではないか。この曲を聴くたびにそんな無念さを勝手に感じることがある。
(4)SHOUT[ココロの花びら](作詞:渡辺美里 作曲:みやもとこうじ 編曲:小林武史)
現在のライブでたまに披露されていて本人は割と気に入ってるのかもしれないが、個人的にはあまり好きではない。歌詞はストリート感覚を出そうと試みたのかもしれないが、それは優等生的な彼女のイメージとはいま一つそぐわない気がする。
それ以上に、
<刹那的なまなざしはインスタントでチープなサヴォタージュ
反逆は静脈に針さすことでは満たされないだろう>
あたりの言葉の詰め込み方は、いつ聴いても流れが悪く無理があるように感じる。「Baby Faith」は自分の中でよく聴いているアルバムの一つだが、どうにも「BIG WAVE」以前の作品と並べる気になれないのはこの歌詞の使い方が大きい。
(5)初恋(作詞:渡辺美里 作曲:みやもとこうじ 編曲:小林武史)
歌いっぷりについてはこの曲が本作のベストだろう。前述した徳永英明のラジオの中でこれを初めて聴いたとき少なからぬショックを受けたことを今でも覚えている。
当時どこかの音楽雑誌で彼女がアルバムの個々の楽曲についてコメントがあったが、”初恋”は「ハード・ロック」だと確か書いてあった。
しかしパッと聴いた感じは、
<野原越えて 山越えて
あの丘 いっしょに登ろう
大きな くりの木の向こう
なつかしい 校舎見える>
という歌詞のように、いかにも日本的情緒のある光景である。後半の力強い歌声でドラマティックにもっていく流れはいま聴いても圧巻だ。こうした世界を作り上げることのできる表現者は他に思い当たらない。
生で聴く機会は無いだろうと勝手に思っていたが、06年に山梨で行われた野外ライブで披露し本当に驚かされた。
(6)CHANGE(作詞:渡辺美里 作曲・編曲:小林武史)
冒頭に「ヘイヘイ、ヘイヘイ」と船をこぐ時の掛け声のようなコーラスが出てくる。歌詞には航海をイメージする言葉がちらつくが、航海そのものというよりも新しい場所へ旅立つようなテーマとなっている気がする。
<20世紀も終わりに近い>
という一節は、1994年に聴いた当時は不思議に印象に残ったことが忘れられない。言葉遣いや楽曲は「BIG WAVE」の延長線上にありそれほど特色があるとも思えないが、前作よりも歌声がずっと伸び伸びとしているのが救いとなっている。
(7)BABY(作詞:渡辺美里 作曲:渡辺美里/佐橋佳幸 編曲:小林武史)
これはギターでないと出来ないメロディだと雑誌の楽曲解説で言っていたことを覚えている。
<BABYの部分 こわれたハートの真ん中で
みんな 抱きしめてる 宝物
BABYの部分 ずっとなくしちゃダメだよ
がんばって輝いていなくちゃ>
という、活字に起こしてみるとなんともたわいもない印象を受ける歌詞だが、エレキギターのカッティングと彼女の歌声がグイグイと引っ張る、可愛らしさ満開の曲である。ラジオで初めて聴いた時は”初恋”と同様に、いま聴いても胸が締め付けられるような思いのする本作のハイライトである。
(8)チェリーが3つ並ばない(作詞:渡辺美里 作曲:石井恭史 編曲:小林武史)
アルバムの先行シングルであり現在もライブではよく歌われる曲だが、初めてテレビで聴いた時から現在に至るまで、さっぱり良さがわからない。ホーン・セクションのほか様々な効果音を曲中に挿入し賑やかな雰囲気を出しているが、いま一つパッとしない仕上がりになっているのは肝心の楽曲が平凡なためだろうか。
こういう機会なので記してみるが、ライブで演奏されたらテンションの下がる個人的「3大ガッカリ」はこの曲と”ジャングル チャイルド”、そして”スピリッツ”である。
(9)こんな風の日には(作詞:渡辺美里 作曲:みやもとこうじ 編曲:Richard Dodd)
シングル”チェリーが3つ並ばない”のカップリング曲という扱いだったが、自分にとってはこちらの方が気に入っていた。力強いドラムのビートがゆっくりと盛り上げていく楽曲だがその中に、
<捨てねこ みないふりして
遠回りしても鳴き声が
耳からはなれない>
という切ない歌詞が入ったり、
<一番星と書かれたトラックが
はねをあげながら走り去ってゆく
朝の光につつまれて くじけそうな心と
青いかさ空高く とばしてみたい
こんな風の日には>
というような清新な光景が出てくるのが素晴らしい。一度ライブで聴いてみたいと秘かに願っている曲の一つである。
(10)ムーンライト ピクニック(作詞:渡辺美里 作曲:渡辺美里/佐橋佳幸 編曲:小林武史)
こちらはシングル”真夏のサンタクロース”のカップリングで、アコースティック・ギターが繰り出す軽快なジャングル・ビートに乗って、夜の街へ飛び出そうと、歌う。「SHOUT」のような妙なストリート感覚もなく、言葉の回りも悪くない。ライブ映えしそうだが実際にはほとんど演奏されておらず、私も2007年の時に2回(横浜、熊本)しかライブで聴いたことがない曲である。
(11)I Wish(作詞:渡辺美里 作曲・編曲:小室哲哉)
小室哲哉が提供した現在のところ最後の曲、と少し前まで思っていたが、91年のアルバム「Lucky」制作時にはできていたということをネットで知った。「Lucky」に収録するのには雰囲気が違うという判断だったのだろう。では、本当に二人が最後に共同作業をしたのは92年の”青空”が最後ということになるか。私にとっては別にこの二人のコンビが最高とも思っていないのであまり関心もないけれど。
<きみが飛び出した夜 冷たい雨 木々をぬらし
あの日新聞から 昭和という文字が消えた>
という歌詞は、昭和から平成へと年号が変わってまもない時期に作られた曲であることを示唆している。
アコースティック・ギターが主体なアレンジで打ち込みは使用されておらず、小室哲哉のカラーはあまり感じない。全体的に大人しく湿っぽい調子で、確かに鮮やかで力強い「Lucky」の世界観とはそぐわないだろう。むしろ次のオリジナル・アルバム「Spirits」(96年)、楽曲でいえば”キャッチボール”あたりの雰囲気に似ている気がする。
渡辺美里「ここから」(14年)
2014年5月6日 渡辺美里
先日の5月2日をもって、渡辺美里がデビューから満29年を迎えた。よって30周年に突入したということになる。私が彼女のCDを初めて買った時(91年)からも20余年が経過してしまった。当時は「この人に一生ついていこう」などという尋常ではないのめり込み方だったけれど、これほど長きにわたり見続けるということは予想できなかった。
実際に考えればわかることだが、単に「好きだから」という理由で10年も20年も一人のミュージシャンなり歌手なりを追いかけることはあり得ない。こちらの熱意が冷めるというありふれた例もあれば、向こうが死んでしまったり活動を止めてしまうという場合もありうる。幸いというか、この人はブランクらしいものもなくこの29年間を歩み続けてきた。私も96年以降は、01年を除いてなんらかの形で動く彼女の姿を観ている。
思い起こせば、中学の時にテレビで「明治生命」のCMに出ていた浴衣姿の彼女に衝撃を受けてそのまま「信者」になったこと、アルバム「BIG WAVE」( 93年)を聴いて「信者」を辞めた瞬間、アルバム「ハダカノココロ」(98年)を耳にして「本当に終わったな・・・」と絶望した時など、彼女についての思いを「好き/嫌い」といった単純な二分法で語ることが自分にはできない。それは私の歴史の一部でもあるからだ。
先日の4月23日に「30周年記念第1弾シングル」という触れ込みで「ここから」が発売された。調べてみれば、なんと55枚目のシングルだという。作詞作曲は、デビュー時から交流のある大江千里だ。
あまり関心のない方は、
「いつものコンビか。代わり映えしないな」
と思うかもしれない。しかし千里の方はジャズの勉強をするため08年から4年間ニューヨークで生活して音楽学校に通っており、「boys mature slow」(12年)と「Spooky Hotel)(13年)の2枚のアルバムを発表している。私自身は未聴だが、スタイルとして彼はもうジャズのミュージシャンになってしまったようだ。これは大きな変化である。
なぜこうした転身を決意したかもよく知らないけれど、小学校4年の時にギルバート・オサリバンの”Alone Again”を聴いたのがミュージシャンのきっかけだったという人がジャズ・ミュージシャンへの志向が昔からあったとは考えづらい。私は熱心なファンでもないからこんなことを書けるけれど、やはり歌手や表現者としての限界にぶちあたったがゆえの決断だったのではないだろうか。
そんなことを考えながら、この”ここから”を聴いてみるとなかなか興味深い、というか胸に迫ってくる箇所がある。
「夢のカタチが今は違う だけど又歩き出せる」
という一節は、シンガー・ソングライターからジャズ・ミュージシャンへと表現手段が変わり「夢のカタチ」が違った千里自身の思いを美里に託して歌わせたかったのか?などと想像してしまったりして。
具体的にどうとかは言えないのだけれど、彼女のこれまで築いたカラーを活かし、簡潔にして瑞々しい作品に久しぶりになった曲だといえる。これも千里がニューヨークでの4年間で培ったものの成果なのだろう。30周年記念にふさわしい曲だ。
歌詞など日頃はほとんど見ない人間なのだが、たぶんこれまで何度も出てきたようなフレーズにも不思議に耳に残る。
「ここから」の「ここ」とはどこのこと?
「この場所」って?
「その日」っていつのこと?
というような具合に。
「そんな表現は80年代からやっていただだろう、進歩のない表現者だ」
興味のない方はそう思うかもしれない。
しかし、彼女は「こうした表現」しかできない人なのである。しかし、もう30年である。それでもう良いのではないか。いまだにそんな批判めいたことを言う方は、意識的な音楽ファンか何か知らないけれど、そんなことを言えるほど確固たるものを持っているのだろうか。ちなみに、私はそういう点でいまだに全く自信が持てないのだけど。
20代の頃の彼女と比較しても仕方ないけれど、彼女自身が大事にしている表現について有効性が失っていない部分は確かにある。”ここから”はそれを証明する一つだ。それを現在まで愚直に続けてきた彼女の存在を貴重というか尊く感じてしまう自分がいる。
30周年が続いているうちに、これまでの作品について触れてみようか。これが最後のきっかけな気がするし本格的に取り組んでみようと思う。
実際に考えればわかることだが、単に「好きだから」という理由で10年も20年も一人のミュージシャンなり歌手なりを追いかけることはあり得ない。こちらの熱意が冷めるというありふれた例もあれば、向こうが死んでしまったり活動を止めてしまうという場合もありうる。幸いというか、この人はブランクらしいものもなくこの29年間を歩み続けてきた。私も96年以降は、01年を除いてなんらかの形で動く彼女の姿を観ている。
思い起こせば、中学の時にテレビで「明治生命」のCMに出ていた浴衣姿の彼女に衝撃を受けてそのまま「信者」になったこと、アルバム「BIG WAVE」( 93年)を聴いて「信者」を辞めた瞬間、アルバム「ハダカノココロ」(98年)を耳にして「本当に終わったな・・・」と絶望した時など、彼女についての思いを「好き/嫌い」といった単純な二分法で語ることが自分にはできない。それは私の歴史の一部でもあるからだ。
先日の4月23日に「30周年記念第1弾シングル」という触れ込みで「ここから」が発売された。調べてみれば、なんと55枚目のシングルだという。作詞作曲は、デビュー時から交流のある大江千里だ。
あまり関心のない方は、
「いつものコンビか。代わり映えしないな」
と思うかもしれない。しかし千里の方はジャズの勉強をするため08年から4年間ニューヨークで生活して音楽学校に通っており、「boys mature slow」(12年)と「Spooky Hotel)(13年)の2枚のアルバムを発表している。私自身は未聴だが、スタイルとして彼はもうジャズのミュージシャンになってしまったようだ。これは大きな変化である。
なぜこうした転身を決意したかもよく知らないけれど、小学校4年の時にギルバート・オサリバンの”Alone Again”を聴いたのがミュージシャンのきっかけだったという人がジャズ・ミュージシャンへの志向が昔からあったとは考えづらい。私は熱心なファンでもないからこんなことを書けるけれど、やはり歌手や表現者としての限界にぶちあたったがゆえの決断だったのではないだろうか。
そんなことを考えながら、この”ここから”を聴いてみるとなかなか興味深い、というか胸に迫ってくる箇所がある。
「夢のカタチが今は違う だけど又歩き出せる」
という一節は、シンガー・ソングライターからジャズ・ミュージシャンへと表現手段が変わり「夢のカタチ」が違った千里自身の思いを美里に託して歌わせたかったのか?などと想像してしまったりして。
具体的にどうとかは言えないのだけれど、彼女のこれまで築いたカラーを活かし、簡潔にして瑞々しい作品に久しぶりになった曲だといえる。これも千里がニューヨークでの4年間で培ったものの成果なのだろう。30周年記念にふさわしい曲だ。
歌詞など日頃はほとんど見ない人間なのだが、たぶんこれまで何度も出てきたようなフレーズにも不思議に耳に残る。
「ここから」の「ここ」とはどこのこと?
「この場所」って?
「その日」っていつのこと?
というような具合に。
「そんな表現は80年代からやっていただだろう、進歩のない表現者だ」
興味のない方はそう思うかもしれない。
しかし、彼女は「こうした表現」しかできない人なのである。しかし、もう30年である。それでもう良いのではないか。いまだにそんな批判めいたことを言う方は、意識的な音楽ファンか何か知らないけれど、そんなことを言えるほど確固たるものを持っているのだろうか。ちなみに、私はそういう点でいまだに全く自信が持てないのだけど。
20代の頃の彼女と比較しても仕方ないけれど、彼女自身が大事にしている表現について有効性が失っていない部分は確かにある。”ここから”はそれを証明する一つだ。それを現在まで愚直に続けてきた彼女の存在を貴重というか尊く感じてしまう自分がいる。
30周年が続いているうちに、これまでの作品について触れてみようか。これが最後のきっかけな気がするし本格的に取り組んでみようと思う。
「日給月給」という言葉がある。「時給労働」といったほうがわかりやすいだろうが、働いた時間の分だけ給料に反映されるというのが現在の私の雇用形態だ。平日に休むことは前もって相談すれば可能だが、その分の収入はそっくり無くなってしまう。ボーナスどころか交通費も支給されない結構ギリギリの状態で生活している身としてはこれはなかなか辛いところだ。
しかも、休みを入れたらその分の仕事の負担も翌日以降にのしかかってくる。それも自分を苦しめることになる。しかし今日はもう数ヶ月前から予定を入れていたので行かないわけにもいかない。そうした悲壮な覚悟(というほど大層なものでもないか)をしての本日の休暇であった。
ライブは夕刻から始まるので、せっかくの平日だから何かしなければな、と考える。そして、以前の職場を回ってみようと思い立った。半年前だったらそのようなことは考えていなかった。もし「今どうしてるの?」と訊かれたら動揺して答えられなかったし、そもそも人前に出たい気分ではなかったからだ。今はその時より心境はだいぶマシになったし、リハビリのようなつもりでこうした行動をとったのである。
昼前から夕方にかけて大津の滋賀本社と中京区の本社に行き5~6人の方と立ち話をしただろうか。その途中、ラーメンを食べさせてもらったらお茶を飲ませてもらったりもした(ありがとうございました)。それ自体は楽しくて有意義だったのだけれど、みんなに共通して受けた印象は、
「なんだか疲れているのでは・・・」
というものだった。職場の状況を訊けばやはり良いこともないわけで当然といえば当然のことではあるだろう。しかし、なぜそんなことを感じ取ってしまったのか。この1年ほど色々と苦労して人の痛みがわかるようになったのだろうか。いや、そんな高尚な話ではない。当の私自身がけっこう精神的に参って疲れているから、相手にも同じような空気を感じとったのだと思う。
ところで、かつての職場を訪ねたと聞いたら、
「なんだ。辞めたのを後悔してるのか?未練があるのか?」
と思う人が多いに違いない。私が傍観者の立場ならそう思うだろう。しかし自分に関していえば、それは全くない。出会った人の一人から、残っていた方が良かったかも、と言われた。しかし辞める直前の自分の状態を定年まで25年間続けられるかといえば、それが絶対に無理だった。どこかで体か脳みそがぶっ壊れていただろう。そういう人生は全く自分の望むところでないし、それを解決するためには職場を去ることしかなかったのである。
もちろん現在も日々の生活に不安を抱いて生きているわけだが、それは会社勤めをしているころから思っていたことだ。定期的な収入が毎月確保できるからといって、将来の不安が消えるわけでもない。今の生活が経済的に苦しいからといって、(私の感覚で)「ちょっと」収入が増える代わりに精神的にはグッと辛くなるかつての職場に戻ろう、という気持ちになれるだろうか。私にはとてもそうは思えないのだが。
それはともかく久しぶりに色々な人と話をして、仕事面で相当に行き詰まっていた自分も元気をもらったというか、みんな苦しんでるわけだしもう一踏ん張りしないといけないかな、という気持ちにさせられた。そう思えただけでも今日1日は大きな意義があったと思う。
京阪電車と地下鉄を乗って心斎橋に着いたのは午後5時45分ごろだった。ライブ前に何か食べておこうとアーケード街にある「こがんこ」で回転寿司を食べる。「こがんこ」に寄ってからライブ会場に行く(またはライブ終了後に「神座」へ行く)というのは、10年くらい前はよくやってはいたが、久しぶりのパターンだ。昔は毎月のようにライブで大阪に行っていたなあとしみじみ思い出す。本日の会場であるBIG CATにしてもいつ以来だろう。道順も忘れてしまい少し迷子になる場面もあった。それでも会場15分くらい前になんとか着くことができた。すでに多くの人がたくさん階段に並んでいる。
ところで、本日のライブはちょっと特殊な仕様になっている。今夜はファンクラブ会員限定なのだ。去年の10月かそこらに会報で発表されたと記憶しているが、自分の身辺がゴタゴタしていた時期だったのでチケットの先行予約もせず、ファンクラブ自体もいつの間にか抜けてしまい(理由?そんなの経済的な問題に決まってるだろう)、そのまま月日だけが流れた。だが限定ライブで貴重な曲も聴けるかもしれない、という思いは消えずファンクラブ事務局に、再入会しようと思うんですが限定ライブの再募集とかありますかね?と問い合わせてみた。先方は、可能性はあるかもしれませんが・・・と微妙な答えではあったが、
「今は会員も少ないだろうし、チャンスはまだある」
そう確信して、月に大阪でライブがあった時に会場に再入会の手続きをとる。するとしばらくして、ライブの2次募集のハガキが届いた。ほら、思った通りである。こうして私は無事に本日のチケット確保することができた。参考までにお伝えするが、お客が並んでいた階段に「1〜100」という感じで入場番号の張り紙が貼っており、その最後尾が「300〜400」だった。それから類推すると、本日の入場者数は350人とかそんなくらいだろう。ちなみに私は328番とかそんな数字だった。2次募集で取ったからそんなものか。
面白かったのは入場の仕方で、
「215番のお客様、どうぞ」
という感じで1人ずつ入れていることであった。ライブハウスの入場で1人ずつ呼ぶのはせいぜい最初の10人くらいで、あとは10人ずつにまとめてしまうのが通例だ。このあたりに、今日のライブは特別なんだな、という雰囲気を感じ取った。
会場のBIG CATは詰め込んだら800人は入るから中はガラガラなのでは?と不安に思いながら入場した。しかしパッと見た感じ、後方にはテーブルが並べられているものの、7割くらいは埋まっているように思えた。お客がかなりスペースに余裕をもって立っていたのかもしれない。その隙間を縫ってなるべく前の方の座席を確保する。入り口ではルミカライト(ペンライト)を渡される。オープニングの時に使うものらしいが、
「うっとうしいし、早めにつけておくか」
とライトをボキッと折って発光させて胸のポケットに締まっておく。しかし、周囲おを見渡してもライトをつけている人は皆無である。
「客電が消えた頃にライトをつけるつもりなのかなあ?」
と思って待っているうちに、ポケットに入っているライトの光がどんどん弱まっている。なんだ、ペンライトって1時間くらい持つものじゃなかったのか。
「そういえばライトに何か紙が巻かれていたなあ」
と今更ながら注意書きを読んでみると、
<★発光時間は、約15分間
ライブ前に発光させてしまった場合でも、追加でお渡しすることはできませんのでご注意ください。>
だとさ。うっそお。15分しか使えないとは・・・。あまりのバカさ加減に自分がまた嫌になったものの、
「どうせ、ペンライトを振るキャラでもないですよーだ」
と思い直し開演を待つ。
しかしながら、「限定ライブだからアレとかソレとか飛び出すかな?」などとワクワクしていたわけでもない。実は彼女のデビュー日である5月2日に東京(会場はShibuya duo MUSIC EXCHANGE)でも限定ライブがあり内容も知っていたからだ。それは正規のツアーと9割は同じもので、貴重な曲といえば彼女のデビュー曲”I’m Free”と”大冒険”だけである。「それで限定ライブ?」と疑問に思う方もいるだろう。しかし個人的には何の不思議も意外性も感じない。なぜなら渡辺美里は「そういう人」だからである。ゆえに終演に至るまで下手な期待や希望を抱いてはいけないのだ。私はいつのころかそういう姿勢で臨んでいる。勝手な思い込みをしておいて「裏切られた!最低だ!」などとほざいても、それは結果として自分の責任なのだから。
開演は定刻より少し遅れて7時10分ごろに始まった。バンド・マスターのスパム春日井がルミカライトを折るよう合図をする。そうか、このタイミングで折れば良かったのか。今度からは気をつけるようにしたい。そしてキーボードから”言いだせないまま”にイントロが出てきたとき客席がワッと沸き出す。これが1曲目ならなかなか良い出だしかと思ったものの、たぶんそれはないなと直感する。そして美里本人が登場したとたん、曲は”セレンディピティー”に突然変わり出す。やはり、20年もライブを観ている私の目に狂いはなかった。
もはや彼女のライブを批判するつもりもないのだけれど、この演出(といえるかどうかわからないが)にガックリきた人が会場にかなりいただろうと思えてしかない。私は幸運にも”言いだせないまま”を聴けたし、そもそも何も考えずに1曲目を待っていたので何のダメージも受けないが。
全体的な内容としては、やはり今回のツアーと大きく逸脱するようなところはなかった。貴重な曲といえばまず、この曲を歌いのは久しぶり、と前書きしておいた”愛しき者(ひと)よ”である。これは96年のシングル”My Love Your Love (たったひとりしかいない あなたへ)”のカップリングでアルバムには収録されていない曲だ。たぶん私も聴いたことはない(96年のツアーで観た大阪公演では披露されていない)が自信はない。個人的にはその程度の思い入れの曲である。なぜこれが敢えて選ばれたのか、その理由はわからない。ファンクラブのリクエストが多かったとしたら、そのファンは何を思ってリクエストしたのかも判然としない。なによりお客の反応もそれほど良かったように見えなかった。それは当然だろうな、と思う私の感覚が間違っているだろうか。
あと1曲くらい変わった曲があるかなと思っていたら、後半では”Love Is magic”がいきなり出てくる。これも90年のシングル”恋するパンクス”のカップリング曲でアルバム未収録というものだ。この曲は密かに人気があるようで会場もけっこう盛り上がっていた。中にはパンクの客のように「オイ!オイ!オイ!オイ!」という調子になっていた連中もいて少し引いてしまう場面もあったが。あの人たちはどこであんな品のない動作を覚えたのやら。
しかしこの時点で、
「あー、貴重な曲はこれで終わりなのかなあ。やはりこんなものだったのかなあ」
とかなり気持ちは冷めていった。が、”Love is magic”が終わってから何の前置きもないまま、東京公演でも披露された”大冒険”が出た時は「やったね!」といきなりテンションが上がる。”大冒険”は私が生まれて始めて買ったアルバム「Lucky」(91年)に入っている曲で、シングルにもなっていない。にもかかわらず、あの「チリチリチリチリ・・・」というイントロが出たとたん、会場が一気に爆発したような盛り上がり方になったのはビックリする。ちなみに私はこの曲を20年前のライブ(92年8月18日、真駒内アイスアリーナ)以来聴くことができた。高校1年の時に生まれた始めたライブであり、またそれが生涯最高のライブであった。20年ぶりにこの曲が聴けたのはとても嬉しかった。けれど歌う彼女を姿を観て、
「20年前の再現というわけにもいかないんだね、お互い・・・」
という思いがちょっと頭をよぎってしまったことも正直に告白しておく。そんなことを考えながらも空で一緒に歌っていたが。さすがに「Lucky」に入ってる曲はパッと口から出てくるからね。
歌の調子も今回は良かったと思うが、5月26日に観た京都公演1日目のような神懸かった感じはなかった。その証拠に終演した後のお客は淡々とした調子で帰っていく。今夜と比較すると、終わっても延々と拍手が続いたあのKyoto Museでのライブは一体なんだったのだろう。ライブとはつくづく不思議なものである。
終演は9時20分ごろ、実質2時間10分ほどでこの辺りも正規のツアーとはあまり変わらない。しかし彼女のMCはリラックスしていたというか、ファンクラブの会員だから気兼ねなく話していたような様子だった。
その中で、長年応援してくれたファンへ謝辞のようなことを言った時に、くそ真面目なくらい真っすぐな私だけど、というようなセリフが出てきたことが今も忘れられない。なんだかんだいって20年間追いかけてきたわけだが、不器用ともいえるほど真っすぐな思い(それが作品や創作活動に必ずしも結実しているわけでもないけれど)が彼女の核であり魅力だとずっと思ってきた。その行為は関係ない人からは嘲笑の的になるようなこともあったけれど、そうした生き方をしているからこそ彼女の言葉や思いには嘘偽りがないと私は信じてこれたのだ。いや、この年になるとどうしても穿った見方をしてしまうが、もしかしたら彼女の姿にもう一人の自分を見ているのかもしれない。あまりうまくこの時代を生きていないところも実にそっくりだ。
そんな私の思いは別に誰かと共感してもらいたいとも理解してほしいとも思わない。ただ、私は私のやり方で彼女をずっと観ているのだろう。ライブが終わったら、三本締めをしている連中がいたが、私は私でこうした人たちの気持ちが全く理解できないし、理解したいとも思えない。そうだね、あなたたちもそうやってこれからも生きていくんだろうね。そんなことを思いながら会場を後にした。最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)セレンディピティー
(2)世界中にKissの嵐を
(3)Believe
(4)春の日 夏の陽 日曜日
(5)maybe tomorrow(大江千里のカバー)
(6)愛しき者よ
(7)ココロ銀河
(8)10years
(9)虹をみたかい
(10)人生はステージだ!
(11)Love is magic
(12)大冒険
(13)サマータイムブルース
<アンコール>
(14)始まりの詩、あなたへ
(15)My Revolution
(16)すき
(17)eyes
しかも、休みを入れたらその分の仕事の負担も翌日以降にのしかかってくる。それも自分を苦しめることになる。しかし今日はもう数ヶ月前から予定を入れていたので行かないわけにもいかない。そうした悲壮な覚悟(というほど大層なものでもないか)をしての本日の休暇であった。
ライブは夕刻から始まるので、せっかくの平日だから何かしなければな、と考える。そして、以前の職場を回ってみようと思い立った。半年前だったらそのようなことは考えていなかった。もし「今どうしてるの?」と訊かれたら動揺して答えられなかったし、そもそも人前に出たい気分ではなかったからだ。今はその時より心境はだいぶマシになったし、リハビリのようなつもりでこうした行動をとったのである。
昼前から夕方にかけて大津の滋賀本社と中京区の本社に行き5~6人の方と立ち話をしただろうか。その途中、ラーメンを食べさせてもらったらお茶を飲ませてもらったりもした(ありがとうございました)。それ自体は楽しくて有意義だったのだけれど、みんなに共通して受けた印象は、
「なんだか疲れているのでは・・・」
というものだった。職場の状況を訊けばやはり良いこともないわけで当然といえば当然のことではあるだろう。しかし、なぜそんなことを感じ取ってしまったのか。この1年ほど色々と苦労して人の痛みがわかるようになったのだろうか。いや、そんな高尚な話ではない。当の私自身がけっこう精神的に参って疲れているから、相手にも同じような空気を感じとったのだと思う。
ところで、かつての職場を訪ねたと聞いたら、
「なんだ。辞めたのを後悔してるのか?未練があるのか?」
と思う人が多いに違いない。私が傍観者の立場ならそう思うだろう。しかし自分に関していえば、それは全くない。出会った人の一人から、残っていた方が良かったかも、と言われた。しかし辞める直前の自分の状態を定年まで25年間続けられるかといえば、それが絶対に無理だった。どこかで体か脳みそがぶっ壊れていただろう。そういう人生は全く自分の望むところでないし、それを解決するためには職場を去ることしかなかったのである。
もちろん現在も日々の生活に不安を抱いて生きているわけだが、それは会社勤めをしているころから思っていたことだ。定期的な収入が毎月確保できるからといって、将来の不安が消えるわけでもない。今の生活が経済的に苦しいからといって、(私の感覚で)「ちょっと」収入が増える代わりに精神的にはグッと辛くなるかつての職場に戻ろう、という気持ちになれるだろうか。私にはとてもそうは思えないのだが。
それはともかく久しぶりに色々な人と話をして、仕事面で相当に行き詰まっていた自分も元気をもらったというか、みんな苦しんでるわけだしもう一踏ん張りしないといけないかな、という気持ちにさせられた。そう思えただけでも今日1日は大きな意義があったと思う。
京阪電車と地下鉄を乗って心斎橋に着いたのは午後5時45分ごろだった。ライブ前に何か食べておこうとアーケード街にある「こがんこ」で回転寿司を食べる。「こがんこ」に寄ってからライブ会場に行く(またはライブ終了後に「神座」へ行く)というのは、10年くらい前はよくやってはいたが、久しぶりのパターンだ。昔は毎月のようにライブで大阪に行っていたなあとしみじみ思い出す。本日の会場であるBIG CATにしてもいつ以来だろう。道順も忘れてしまい少し迷子になる場面もあった。それでも会場15分くらい前になんとか着くことができた。すでに多くの人がたくさん階段に並んでいる。
ところで、本日のライブはちょっと特殊な仕様になっている。今夜はファンクラブ会員限定なのだ。去年の10月かそこらに会報で発表されたと記憶しているが、自分の身辺がゴタゴタしていた時期だったのでチケットの先行予約もせず、ファンクラブ自体もいつの間にか抜けてしまい(理由?そんなの経済的な問題に決まってるだろう)、そのまま月日だけが流れた。だが限定ライブで貴重な曲も聴けるかもしれない、という思いは消えずファンクラブ事務局に、再入会しようと思うんですが限定ライブの再募集とかありますかね?と問い合わせてみた。先方は、可能性はあるかもしれませんが・・・と微妙な答えではあったが、
「今は会員も少ないだろうし、チャンスはまだある」
そう確信して、月に大阪でライブがあった時に会場に再入会の手続きをとる。するとしばらくして、ライブの2次募集のハガキが届いた。ほら、思った通りである。こうして私は無事に本日のチケット確保することができた。参考までにお伝えするが、お客が並んでいた階段に「1〜100」という感じで入場番号の張り紙が貼っており、その最後尾が「300〜400」だった。それから類推すると、本日の入場者数は350人とかそんなくらいだろう。ちなみに私は328番とかそんな数字だった。2次募集で取ったからそんなものか。
面白かったのは入場の仕方で、
「215番のお客様、どうぞ」
という感じで1人ずつ入れていることであった。ライブハウスの入場で1人ずつ呼ぶのはせいぜい最初の10人くらいで、あとは10人ずつにまとめてしまうのが通例だ。このあたりに、今日のライブは特別なんだな、という雰囲気を感じ取った。
会場のBIG CATは詰め込んだら800人は入るから中はガラガラなのでは?と不安に思いながら入場した。しかしパッと見た感じ、後方にはテーブルが並べられているものの、7割くらいは埋まっているように思えた。お客がかなりスペースに余裕をもって立っていたのかもしれない。その隙間を縫ってなるべく前の方の座席を確保する。入り口ではルミカライト(ペンライト)を渡される。オープニングの時に使うものらしいが、
「うっとうしいし、早めにつけておくか」
とライトをボキッと折って発光させて胸のポケットに締まっておく。しかし、周囲おを見渡してもライトをつけている人は皆無である。
「客電が消えた頃にライトをつけるつもりなのかなあ?」
と思って待っているうちに、ポケットに入っているライトの光がどんどん弱まっている。なんだ、ペンライトって1時間くらい持つものじゃなかったのか。
「そういえばライトに何か紙が巻かれていたなあ」
と今更ながら注意書きを読んでみると、
<★発光時間は、約15分間
ライブ前に発光させてしまった場合でも、追加でお渡しすることはできませんのでご注意ください。>
だとさ。うっそお。15分しか使えないとは・・・。あまりのバカさ加減に自分がまた嫌になったものの、
「どうせ、ペンライトを振るキャラでもないですよーだ」
と思い直し開演を待つ。
しかしながら、「限定ライブだからアレとかソレとか飛び出すかな?」などとワクワクしていたわけでもない。実は彼女のデビュー日である5月2日に東京(会場はShibuya duo MUSIC EXCHANGE)でも限定ライブがあり内容も知っていたからだ。それは正規のツアーと9割は同じもので、貴重な曲といえば彼女のデビュー曲”I’m Free”と”大冒険”だけである。「それで限定ライブ?」と疑問に思う方もいるだろう。しかし個人的には何の不思議も意外性も感じない。なぜなら渡辺美里は「そういう人」だからである。ゆえに終演に至るまで下手な期待や希望を抱いてはいけないのだ。私はいつのころかそういう姿勢で臨んでいる。勝手な思い込みをしておいて「裏切られた!最低だ!」などとほざいても、それは結果として自分の責任なのだから。
開演は定刻より少し遅れて7時10分ごろに始まった。バンド・マスターのスパム春日井がルミカライトを折るよう合図をする。そうか、このタイミングで折れば良かったのか。今度からは気をつけるようにしたい。そしてキーボードから”言いだせないまま”にイントロが出てきたとき客席がワッと沸き出す。これが1曲目ならなかなか良い出だしかと思ったものの、たぶんそれはないなと直感する。そして美里本人が登場したとたん、曲は”セレンディピティー”に突然変わり出す。やはり、20年もライブを観ている私の目に狂いはなかった。
もはや彼女のライブを批判するつもりもないのだけれど、この演出(といえるかどうかわからないが)にガックリきた人が会場にかなりいただろうと思えてしかない。私は幸運にも”言いだせないまま”を聴けたし、そもそも何も考えずに1曲目を待っていたので何のダメージも受けないが。
全体的な内容としては、やはり今回のツアーと大きく逸脱するようなところはなかった。貴重な曲といえばまず、この曲を歌いのは久しぶり、と前書きしておいた”愛しき者(ひと)よ”である。これは96年のシングル”My Love Your Love (たったひとりしかいない あなたへ)”のカップリングでアルバムには収録されていない曲だ。たぶん私も聴いたことはない(96年のツアーで観た大阪公演では披露されていない)が自信はない。個人的にはその程度の思い入れの曲である。なぜこれが敢えて選ばれたのか、その理由はわからない。ファンクラブのリクエストが多かったとしたら、そのファンは何を思ってリクエストしたのかも判然としない。なによりお客の反応もそれほど良かったように見えなかった。それは当然だろうな、と思う私の感覚が間違っているだろうか。
あと1曲くらい変わった曲があるかなと思っていたら、後半では”Love Is magic”がいきなり出てくる。これも90年のシングル”恋するパンクス”のカップリング曲でアルバム未収録というものだ。この曲は密かに人気があるようで会場もけっこう盛り上がっていた。中にはパンクの客のように「オイ!オイ!オイ!オイ!」という調子になっていた連中もいて少し引いてしまう場面もあったが。あの人たちはどこであんな品のない動作を覚えたのやら。
しかしこの時点で、
「あー、貴重な曲はこれで終わりなのかなあ。やはりこんなものだったのかなあ」
とかなり気持ちは冷めていった。が、”Love is magic”が終わってから何の前置きもないまま、東京公演でも披露された”大冒険”が出た時は「やったね!」といきなりテンションが上がる。”大冒険”は私が生まれて始めて買ったアルバム「Lucky」(91年)に入っている曲で、シングルにもなっていない。にもかかわらず、あの「チリチリチリチリ・・・」というイントロが出たとたん、会場が一気に爆発したような盛り上がり方になったのはビックリする。ちなみに私はこの曲を20年前のライブ(92年8月18日、真駒内アイスアリーナ)以来聴くことができた。高校1年の時に生まれた始めたライブであり、またそれが生涯最高のライブであった。20年ぶりにこの曲が聴けたのはとても嬉しかった。けれど歌う彼女を姿を観て、
「20年前の再現というわけにもいかないんだね、お互い・・・」
という思いがちょっと頭をよぎってしまったことも正直に告白しておく。そんなことを考えながらも空で一緒に歌っていたが。さすがに「Lucky」に入ってる曲はパッと口から出てくるからね。
歌の調子も今回は良かったと思うが、5月26日に観た京都公演1日目のような神懸かった感じはなかった。その証拠に終演した後のお客は淡々とした調子で帰っていく。今夜と比較すると、終わっても延々と拍手が続いたあのKyoto Museでのライブは一体なんだったのだろう。ライブとはつくづく不思議なものである。
終演は9時20分ごろ、実質2時間10分ほどでこの辺りも正規のツアーとはあまり変わらない。しかし彼女のMCはリラックスしていたというか、ファンクラブの会員だから気兼ねなく話していたような様子だった。
その中で、長年応援してくれたファンへ謝辞のようなことを言った時に、くそ真面目なくらい真っすぐな私だけど、というようなセリフが出てきたことが今も忘れられない。なんだかんだいって20年間追いかけてきたわけだが、不器用ともいえるほど真っすぐな思い(それが作品や創作活動に必ずしも結実しているわけでもないけれど)が彼女の核であり魅力だとずっと思ってきた。その行為は関係ない人からは嘲笑の的になるようなこともあったけれど、そうした生き方をしているからこそ彼女の言葉や思いには嘘偽りがないと私は信じてこれたのだ。いや、この年になるとどうしても穿った見方をしてしまうが、もしかしたら彼女の姿にもう一人の自分を見ているのかもしれない。あまりうまくこの時代を生きていないところも実にそっくりだ。
そんな私の思いは別に誰かと共感してもらいたいとも理解してほしいとも思わない。ただ、私は私のやり方で彼女をずっと観ているのだろう。ライブが終わったら、三本締めをしている連中がいたが、私は私でこうした人たちの気持ちが全く理解できないし、理解したいとも思えない。そうだね、あなたたちもそうやってこれからも生きていくんだろうね。そんなことを思いながら会場を後にした。最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)セレンディピティー
(2)世界中にKissの嵐を
(3)Believe
(4)春の日 夏の陽 日曜日
(5)maybe tomorrow(大江千里のカバー)
(6)愛しき者よ
(7)ココロ銀河
(8)10years
(9)虹をみたかい
(10)人生はステージだ!
(11)Love is magic
(12)大冒険
(13)サマータイムブルース
<アンコール>
(14)始まりの詩、あなたへ
(15)My Revolution
(16)すき
(17)eyes
渡辺美里 京都公演「Misato Watanabe Live House Tour 2012 セレンディピティー~人生はステージだ!~」(2012年5月26日、KYOTO MUSE)
2012年5月26日 渡辺美里 コメント (2)この5月17日より新しい勤務地に就いて無事に7日目を終えた。たかだか7日間で全てがわかるなんてことはないけれど、少し前は「生き地獄」とでもいいたい環境で働いていたことを思えば天国のようだ。収入はガクッと落ちるし3年先の保証も無い。だがこれからしばらくまた試行錯誤していきたい。
それにしても、仕事が決まった直後にこうして渡辺美里のライブがあるというのは本当に不思議だ。なにせ約1年前、10年近くいた職場を辞めたのは2011年4月だが、その最後の日に大阪で彼女のコンサートを観ているのだから。
渡辺美里 大阪公演「うたの木オーケストラ2011」(11年4月30日、ザ・シンフォニーホール)
http://30771.diarynote.jp/201105031534352971/
この時の内容は特筆したものではなかったけれど、俺の送別の意味で歌ってくれたのかなあ、などと勝手に思いながら観ていたことを思い出す。もちろん彼女と私の間に何のつながりはない。しかし、人生の節目節目で彼女のステージを観る場面は過去にもあった。
例えば、大学を出たものの仕事が見つからずに鬱々としていた2000年8月5日の西武ドームでのライブだ。この時の西武ライブは15回目という節目だったので、「これで終わりになるのでは」と予感してやむにやまれぬ気持ちで初めて足を運んだ(結果として西武は05年の20回まで続いたけれど)。そのアンコールの最後で彼女が涙ぐみながら”サンキュ”を歌う姿を観た時、
「この人に出会えて本当に良かったなあ・・・」
と自分らしからぬ感激をしたことを今でも忘れない。もう彼女のライブを初めて観た92年から20年も経つけれど、印象に残るほどの場面は数えるほどしかない。その少ない一つが00年の西武ライブだった。そしてそれは、私がかなり精神的に不安定な状況に立たされていたことも密接に関わっていたのは否定できない。そんな私に手を差し伸ばされたような、そんな気がした。
余談だが”サンキュ”は、この20年くらい恐ろしいほど実りのない創作活動を続けている彼女の中では特筆する素晴らしい曲である。ぜひ聴いていただきたい。you tubeで05年(最後の西武ライブ)の映像があったのでリンクを載せておく。
http://www.youtube.com/watch?v=Pui3DrVwAqU
そして今夜もまた、私の新しい門出を祝うかのように2年ぶりに京都でライブしてくれる彼女は、やはり特別な存在としか思えないのだ。これは完全にこちらの一方的な思い込みに決まっているのだが。内容については相変わらず期待値ゼロで臨むものの、今回の私の心境はこんなところである。
今回のツアーは名前の通りライブ・ハウス会場でおこなう。椅子の無いハコを選んだ時点で、こりゃマズいのでは、と直感したら案の定チケットは軒並み「発売中」である。しかし、定員300人のKYOTO MUSEでも完売していないというのはかりショックであった。この理由は簡単で、いつもは大阪で1公演に集まるはずのお客が、大阪(BIG CAT)、神戸(ウィンターランド)、そして京都へと分散してしまったのだろう。今年1月におこなわれたNHK大阪ホール(1417席)も当日券が出ていたのだから、こういう結果になるのも無理はない。
あと、ライブハウスなら行きたくない、と思った人もけっこういたのではと思ってしまう。もはや彼女のファンの平均年齢もけっこう高くなっているし立ち見も辛いだろう。いや、ライブが始まったとたんにむやみに立ち上がっているから、そうでもないかな。とにかく、今後はキャパを考慮ながら適当なホール会場を探したほうが賢明な気がする。
ただ、そのおかげで一般発売してからしばらくたった後でも自分はチケットを買うことができたのだから、こうした状況に感謝するほかない。これまでは「どうせ行くに決まってるのだから」と事前にさっさと確保していたけれど、先行発売をしている頃(今年の2月とか3月)はもう自分の行く末もわからない状態だったので買わなかったのだ(結局しばらくして、何も決まらないままチケットだけは取ってしまったけどね)。それを考えるといま自分がこの場所にいることだけでも実に幸福だと感じる。
KYOTO MUSEはBONNIE PINKのツアー(06年8月30日)以来だからほぼ6年ぶりに足を運んだ。私は一般発売で整理番号は「B82」、おそらく182番目のことか、会場に入った時にはもうお客が半分以上は埋まっていた。その中でもマシな場所はないかと探して真ん中辺に陣取ることにする。
スピーカーからはなぜかザ・プラターズの”煙が目に染みる”が流れている。さらにエルヴィス・プレスリーの”監獄ロック”、エディ・コクランの”カモン・エヴリバディ”など50年代の音楽ばかりが流れている。そしてバディ・ホリーの”メイビー・ベイビー”がかかるとどこからともなく拍手が起こりだす。これが今回の開演のサインなのだろうかと思ったら、案の定会場が暗くなる。そしてバンド・メンバーが、けったいなライトを両耳あたりにつけながら登場し、同じくライトをつけた本日の主役が登場してライブが始まる。
1曲目は最新アルバム「セレンディピティー」(11年)から”ロマンティック・ボヘミアン”である。なんだか今日は最初から声に力が出ているように感じる。そして続くは”パイナップルロマンス”だから早くも会場は盛り上がる。なんだか今日は濃い客層がギューッと集まったようだ。目の前では首にタオルをかけた、頭の薄いメガネのオッサンがブンブン腕を売り回している。この姿を見て、なんだかわからないけど嫌な予感を抱いてしまった。
3曲目の”ニューワールド”の演奏が始まった途端、ハウリングなど音響にトラブルが発生する。いったん中止するかと思ったら、強引に演奏を続けてしまう。これには驚いたが、あまり見たことのない光景だったので、ライブハウスという場は慣れてないのかなあと感じた。
今日もっとも驚いたのはこの直後で、久しぶりのアルバムから、と前置きした歌いだした曲についてである。しかし冒頭の歌詞は全く自分の記憶にはないものだ。なんだこの曲は?と疑問を抱きながら演奏が進んでいるうちに、これって「Lovin’ you」に入ったな?しかし曲目が出てこない、という状態にまでなる。そして中盤くらいの歌詞でようやく、あ!これは”言い出せないまま”だと思い出す。おそらくライブでは25年以上歌ってない曲であろう。もちろん私は生で聴くのは初めてである。そして同じアルバムから”Teenage Walk”という素晴らしい流れだ。
これも1曲まるまる聴くのは久しぶりである。ちゃんと調べていないけれど、もしかしたら10年ぶりくらいかもしれない。
そこから中盤にしていきなり”10years”が飛び出し、またエッ?と思う。いつも本編の最後かアンコールで出てくるこの曲を真ん中にもってきたのが意外だったから。私がこれまで観たライブでこのような展開はちょっと記憶にない。それにしても、「あれから10年も この先10年も」というフレーズは、こうして新しい節目に立っている自分にはまた違った感慨を与えてくれる。
全体としては、全17曲のうち「セレンディピティー」から7曲も演奏されていた。新作を伴ったツアーだから当然といえば当然であるけれど、会場にいる人でこのアルバムを買って聴いている方がどれくらいいるのかなと気にはなる。もはや最近の彼女の動きなど把握していない人とってはつまらなそうな曲目に感じるかもしれない。
しかし今夜の彼女は楽曲うんぬんなど問題にならないくらい調子が良かった。今年の1月に観た時よりグッと良くなっている。もし今日がそこそこのライブだったとしたら、珍しい曲(”言い出せないまま”)が出てきたし、個人的にあまり聴きたくない曲(”ジャングルチャイルド”とか”スピリッツ”とか・・・)がやらなくてスッキリした構成になったし、まあ元気だったし良いか、という程度で感想が終わっただろう。いや本音をいえば、
「今回の内容は絶対に良いはずがない」
、と強い確信をもって臨んでいたくらいである(長くこの人を観ている方なら私の気持ちは理解してもらえると思う)。だが、そんな思いは良い意味でメチャクチャに壊されてしまった。
いったい今の彼女に何が起きたのだろうか。表情も肉眼で確認できるくらいの距離にいられたので歌う姿をちらちら群衆の間から見ていたが、ともかく気合いが違うかなとそういう印象だけは受けた。またバンドのメンバーを今回から2人変えていて、彼らがまたやたら元気がいいというかステージからお客を煽って良い雰囲気と作り出している。そのあたりも影響を与えているかもしれない。
理由はともかくとして、今夜の彼女は最初から最後まで、まさに敵無し、という状態が続いた。そして、私は曲目うんぬんよりも、彼女のパフォーマンスそのものを求めていた、という事実にいまさらながら気づいた。そうでなければ、なんだかんだいって20年もライブ会場に足を運んでいなかったと思う。
再就職したばっかりで気分が高まっていただけだろう、と思う方もいるだろう。私も実はそう思いながらライブをずっと観ていた。今夜がこんなに良く思えるのはなんか変だと。しかし、嬉しことに、そうではなかった。その証拠に、”Lovin’ you”が終わって客電がついてからもお客の拍手が鳴り止まなかったのだから。いままで彼女のライブを観てきて、こうした光景は初めてみなかった。ああ、みんな同じ思いだったんだな、と。
拍手は5分くらい続いただろうか。この状況ならもしかしたら、もう1曲くらいあるか?と期待したが残念ながらそれはなく、ちらほらと会場を去る人が出てきてこの日は終演となった。ここでもう一度でてきてくれたら一生ものの体験だったのだが。いや、もしかしたら私もまた「信者」に戻ったかもしれない、と冗談を言っておく。
良いライブに出会えたのは数えるしかない、などとさっき書いたが、まさか今夜がそうした貴重な一夜になるとは信じられない。ライブ全編を通じて良かったと思えた92年8月の真駒内アイスアリーナの「スタジアム伝説」、02年4月「じゃじゃ馬ならしツアー」大阪公演、04年10月の「Blue Butterfly tour」の大阪フェスティバルホール、くらいしか思いつかない。そして今回はそれに続く記念すべき公演となった。明日もここでライブがあり当日券もある。けれど経済的な事情などで足を運べない。ものすごく残念だ。次は8月に大阪でおこなわれるファンクラブ限定ライブだけか。
ライブハウス・ツアーは全国津々浦々で9月まで続く。ぜひこの調子を継続したまま突き進んでほしい。またこれから1枚でもチケットが多く売れてくれたらと願う。
もしここをご覧になって興味をもった方は、騙されたと思って足を運んでもらいたい。20年間この人を実際に観た者からの感想だから、それなりに信憑性があるかと思う。最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)ロマンティック・ボヘミアン
(2)パイナップルロマンス
(3)ニューワールド~新しい世界へと~
(4)セレンディピティー
(5)始まりの詩、あなたへ
(6)言い出せないまま
(7)Teenage Walk
(8)10years
(9)ココロ銀河
(10)SHOUT(ココロの花びら)
(11)人生はステージだ!
(12)恋するパンクス
(13)世界中にKissの嵐を
(アンコール)
(14)maybe tomorrow(大江千里のカバー)
(15)My Revolution
(16))しなやかに跳べ!~Life goes on~
(17)Lovin’ you
それにしても、仕事が決まった直後にこうして渡辺美里のライブがあるというのは本当に不思議だ。なにせ約1年前、10年近くいた職場を辞めたのは2011年4月だが、その最後の日に大阪で彼女のコンサートを観ているのだから。
渡辺美里 大阪公演「うたの木オーケストラ2011」(11年4月30日、ザ・シンフォニーホール)
http://30771.diarynote.jp/201105031534352971/
この時の内容は特筆したものではなかったけれど、俺の送別の意味で歌ってくれたのかなあ、などと勝手に思いながら観ていたことを思い出す。もちろん彼女と私の間に何のつながりはない。しかし、人生の節目節目で彼女のステージを観る場面は過去にもあった。
例えば、大学を出たものの仕事が見つからずに鬱々としていた2000年8月5日の西武ドームでのライブだ。この時の西武ライブは15回目という節目だったので、「これで終わりになるのでは」と予感してやむにやまれぬ気持ちで初めて足を運んだ(結果として西武は05年の20回まで続いたけれど)。そのアンコールの最後で彼女が涙ぐみながら”サンキュ”を歌う姿を観た時、
「この人に出会えて本当に良かったなあ・・・」
と自分らしからぬ感激をしたことを今でも忘れない。もう彼女のライブを初めて観た92年から20年も経つけれど、印象に残るほどの場面は数えるほどしかない。その少ない一つが00年の西武ライブだった。そしてそれは、私がかなり精神的に不安定な状況に立たされていたことも密接に関わっていたのは否定できない。そんな私に手を差し伸ばされたような、そんな気がした。
余談だが”サンキュ”は、この20年くらい恐ろしいほど実りのない創作活動を続けている彼女の中では特筆する素晴らしい曲である。ぜひ聴いていただきたい。you tubeで05年(最後の西武ライブ)の映像があったのでリンクを載せておく。
http://www.youtube.com/watch?v=Pui3DrVwAqU
そして今夜もまた、私の新しい門出を祝うかのように2年ぶりに京都でライブしてくれる彼女は、やはり特別な存在としか思えないのだ。これは完全にこちらの一方的な思い込みに決まっているのだが。内容については相変わらず期待値ゼロで臨むものの、今回の私の心境はこんなところである。
今回のツアーは名前の通りライブ・ハウス会場でおこなう。椅子の無いハコを選んだ時点で、こりゃマズいのでは、と直感したら案の定チケットは軒並み「発売中」である。しかし、定員300人のKYOTO MUSEでも完売していないというのはかりショックであった。この理由は簡単で、いつもは大阪で1公演に集まるはずのお客が、大阪(BIG CAT)、神戸(ウィンターランド)、そして京都へと分散してしまったのだろう。今年1月におこなわれたNHK大阪ホール(1417席)も当日券が出ていたのだから、こういう結果になるのも無理はない。
あと、ライブハウスなら行きたくない、と思った人もけっこういたのではと思ってしまう。もはや彼女のファンの平均年齢もけっこう高くなっているし立ち見も辛いだろう。いや、ライブが始まったとたんにむやみに立ち上がっているから、そうでもないかな。とにかく、今後はキャパを考慮ながら適当なホール会場を探したほうが賢明な気がする。
ただ、そのおかげで一般発売してからしばらくたった後でも自分はチケットを買うことができたのだから、こうした状況に感謝するほかない。これまでは「どうせ行くに決まってるのだから」と事前にさっさと確保していたけれど、先行発売をしている頃(今年の2月とか3月)はもう自分の行く末もわからない状態だったので買わなかったのだ(結局しばらくして、何も決まらないままチケットだけは取ってしまったけどね)。それを考えるといま自分がこの場所にいることだけでも実に幸福だと感じる。
KYOTO MUSEはBONNIE PINKのツアー(06年8月30日)以来だからほぼ6年ぶりに足を運んだ。私は一般発売で整理番号は「B82」、おそらく182番目のことか、会場に入った時にはもうお客が半分以上は埋まっていた。その中でもマシな場所はないかと探して真ん中辺に陣取ることにする。
スピーカーからはなぜかザ・プラターズの”煙が目に染みる”が流れている。さらにエルヴィス・プレスリーの”監獄ロック”、エディ・コクランの”カモン・エヴリバディ”など50年代の音楽ばかりが流れている。そしてバディ・ホリーの”メイビー・ベイビー”がかかるとどこからともなく拍手が起こりだす。これが今回の開演のサインなのだろうかと思ったら、案の定会場が暗くなる。そしてバンド・メンバーが、けったいなライトを両耳あたりにつけながら登場し、同じくライトをつけた本日の主役が登場してライブが始まる。
1曲目は最新アルバム「セレンディピティー」(11年)から”ロマンティック・ボヘミアン”である。なんだか今日は最初から声に力が出ているように感じる。そして続くは”パイナップルロマンス”だから早くも会場は盛り上がる。なんだか今日は濃い客層がギューッと集まったようだ。目の前では首にタオルをかけた、頭の薄いメガネのオッサンがブンブン腕を売り回している。この姿を見て、なんだかわからないけど嫌な予感を抱いてしまった。
3曲目の”ニューワールド”の演奏が始まった途端、ハウリングなど音響にトラブルが発生する。いったん中止するかと思ったら、強引に演奏を続けてしまう。これには驚いたが、あまり見たことのない光景だったので、ライブハウスという場は慣れてないのかなあと感じた。
今日もっとも驚いたのはこの直後で、久しぶりのアルバムから、と前置きした歌いだした曲についてである。しかし冒頭の歌詞は全く自分の記憶にはないものだ。なんだこの曲は?と疑問を抱きながら演奏が進んでいるうちに、これって「Lovin’ you」に入ったな?しかし曲目が出てこない、という状態にまでなる。そして中盤くらいの歌詞でようやく、あ!これは”言い出せないまま”だと思い出す。おそらくライブでは25年以上歌ってない曲であろう。もちろん私は生で聴くのは初めてである。そして同じアルバムから”Teenage Walk”という素晴らしい流れだ。
これも1曲まるまる聴くのは久しぶりである。ちゃんと調べていないけれど、もしかしたら10年ぶりくらいかもしれない。
そこから中盤にしていきなり”10years”が飛び出し、またエッ?と思う。いつも本編の最後かアンコールで出てくるこの曲を真ん中にもってきたのが意外だったから。私がこれまで観たライブでこのような展開はちょっと記憶にない。それにしても、「あれから10年も この先10年も」というフレーズは、こうして新しい節目に立っている自分にはまた違った感慨を与えてくれる。
全体としては、全17曲のうち「セレンディピティー」から7曲も演奏されていた。新作を伴ったツアーだから当然といえば当然であるけれど、会場にいる人でこのアルバムを買って聴いている方がどれくらいいるのかなと気にはなる。もはや最近の彼女の動きなど把握していない人とってはつまらなそうな曲目に感じるかもしれない。
しかし今夜の彼女は楽曲うんぬんなど問題にならないくらい調子が良かった。今年の1月に観た時よりグッと良くなっている。もし今日がそこそこのライブだったとしたら、珍しい曲(”言い出せないまま”)が出てきたし、個人的にあまり聴きたくない曲(”ジャングルチャイルド”とか”スピリッツ”とか・・・)がやらなくてスッキリした構成になったし、まあ元気だったし良いか、という程度で感想が終わっただろう。いや本音をいえば、
「今回の内容は絶対に良いはずがない」
、と強い確信をもって臨んでいたくらいである(長くこの人を観ている方なら私の気持ちは理解してもらえると思う)。だが、そんな思いは良い意味でメチャクチャに壊されてしまった。
いったい今の彼女に何が起きたのだろうか。表情も肉眼で確認できるくらいの距離にいられたので歌う姿をちらちら群衆の間から見ていたが、ともかく気合いが違うかなとそういう印象だけは受けた。またバンドのメンバーを今回から2人変えていて、彼らがまたやたら元気がいいというかステージからお客を煽って良い雰囲気と作り出している。そのあたりも影響を与えているかもしれない。
理由はともかくとして、今夜の彼女は最初から最後まで、まさに敵無し、という状態が続いた。そして、私は曲目うんぬんよりも、彼女のパフォーマンスそのものを求めていた、という事実にいまさらながら気づいた。そうでなければ、なんだかんだいって20年もライブ会場に足を運んでいなかったと思う。
再就職したばっかりで気分が高まっていただけだろう、と思う方もいるだろう。私も実はそう思いながらライブをずっと観ていた。今夜がこんなに良く思えるのはなんか変だと。しかし、嬉しことに、そうではなかった。その証拠に、”Lovin’ you”が終わって客電がついてからもお客の拍手が鳴り止まなかったのだから。いままで彼女のライブを観てきて、こうした光景は初めてみなかった。ああ、みんな同じ思いだったんだな、と。
拍手は5分くらい続いただろうか。この状況ならもしかしたら、もう1曲くらいあるか?と期待したが残念ながらそれはなく、ちらほらと会場を去る人が出てきてこの日は終演となった。ここでもう一度でてきてくれたら一生ものの体験だったのだが。いや、もしかしたら私もまた「信者」に戻ったかもしれない、と冗談を言っておく。
良いライブに出会えたのは数えるしかない、などとさっき書いたが、まさか今夜がそうした貴重な一夜になるとは信じられない。ライブ全編を通じて良かったと思えた92年8月の真駒内アイスアリーナの「スタジアム伝説」、02年4月「じゃじゃ馬ならしツアー」大阪公演、04年10月の「Blue Butterfly tour」の大阪フェスティバルホール、くらいしか思いつかない。そして今回はそれに続く記念すべき公演となった。明日もここでライブがあり当日券もある。けれど経済的な事情などで足を運べない。ものすごく残念だ。次は8月に大阪でおこなわれるファンクラブ限定ライブだけか。
ライブハウス・ツアーは全国津々浦々で9月まで続く。ぜひこの調子を継続したまま突き進んでほしい。またこれから1枚でもチケットが多く売れてくれたらと願う。
もしここをご覧になって興味をもった方は、騙されたと思って足を運んでもらいたい。20年間この人を実際に観た者からの感想だから、それなりに信憑性があるかと思う。最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)ロマンティック・ボヘミアン
(2)パイナップルロマンス
(3)ニューワールド~新しい世界へと~
(4)セレンディピティー
(5)始まりの詩、あなたへ
(6)言い出せないまま
(7)Teenage Walk
(8)10years
(9)ココロ銀河
(10)SHOUT(ココロの花びら)
(11)人生はステージだ!
(12)恋するパンクス
(13)世界中にKissの嵐を
(アンコール)
(14)maybe tomorrow(大江千里のカバー)
(15)My Revolution
(16))しなやかに跳べ!~Life goes on~
(17)Lovin’ you
そういえば今の仕事に就いた頃。
「身辺が順調に回るまでは無駄な経費を使わないぞ」
と心の中で思っていた時があったような気がする。しかしこうしてライブに行ってしまうのだから人間の心はつくづく脆いものだ。いや、もともと私は我慢などできない体質だったか。もう完全に本能のままに生きているという具合である。
今年の渡辺美里は、今後のライブ日程を見る限り、けっこう活発に動くようだ。来月は大阪城ホールでおこなわれる飲酒運転撲滅キャンペーンのイベントライブに出演し、3月は小学校の同級生の塩谷哲(愛称「ソルト」)と大阪でライブを2回、4月から7月にかけてはライブハウスでのツアーもおこない、夏の恒例ライブは日本武道館で公演をするという。
しかし現在の私といえばそんな活動を逐一追いかける余裕はない。ライブハウスのツアーは大阪2公演、京都でも2公演あるけれど今のところ駆けつけられそうにない。その頃の私は一体どうなっているか、自分でもわからないからだ。
今日のライブだって本当は行くつもりなどなかった。ただ「ぴあ」からのメールで大阪でもライブがあることを知り、いちおう申し込んでみたら当選したので「買ったら行くしかねえな」と足を運んだまでである(最初から「行かない!」と決断できないところが私の弱さであるが)。実際のところライブに行ったり外食したり酒を飲むほどの経済的余裕はないのだけれど、正月に好きなミュージシャンに行くくらいの息抜きは大目に見てほしい(しかし、私は誰に許しを得ようとしているのか)
今日の席は2階席の前から2列目右側というところである。これまではファンクラブ予約で取っていたので1階の真ん中くらいだったけれど、これはもう仕方がない。スピーカーからは、レッド・ツェッペリン”ロックン・ロール”、デヴィッド・ボウイ”スターマン”、Tレックス”メタル・グルー”、スタイル・カウンシル”シャウト・トゥ・ザ・トップ”と、もうベタベタな有名曲ばかりが流れていた。
そして午後5時5分ごろ、誰が歌っているのかよくわからないジャーニーの”ドント・ストップ・ビリーヴィン”のカバーが流れ終わると会場の照明が落ちて開演である。1曲目は元日の渋谷と同じく、私の大嫌いな”ジャングルチャイルド”で幕を開けた。最悪なスタートですなあ、と内心思いながらも、いやむしろ嫌な曲が冒頭にもってこられた方が良かったかもしれないと考え直す。そして”恋したっていいじゃない”、”サマータイムブルース”と続き、私の気持ちも徐々に落ち着いてきた。しかし、ステージに立つ美里は金髪のおかしなカツラをつけているのもなんだか気になった。これも5曲目の”世界で一番遠い場所”から外したのでそれほど気にはならなかったが。冒頭は、今日はちょっとイマイチだなあ、というのが正直な印象であった。
ところで、2階席にいるのはけっこうメリットがあった。1階のお客は総立ちという雰囲気だが、こちらはそういうわけでもなく座って観ている人も多い。それに合わせてというわけでもないが、アンコールまではずっと座ってライブを観ることができた。もうお客の平均年齢もグッと上がっているのだし、みんなあまり無理をしない方がいいのではと思うだが、いかがだろう。
本日の曲目は最後に記すけれど、特に驚いたり貴重だと思った曲は個人的には皆無であった。あえていえば”グリーン・グリーン”はおそらく99年の「うたの木 オーケストラ」以来ライブで聴いてなかったと記憶する。元日ライブと照らし合わせるとアルバム「Spirits」(96年)からの選曲が目立つかな、というのが今回の特徴だろうか。
期待値ゼロでライブに臨んでいる自分としては1曲でも、
「お!これも歌ったか。意外だな」
と思える瞬間があればもう十分である。そしてここ数年の元日ライブではそんな場面がちょこちょこあったから今回はその辺りが少し残念ではあった。
面白い瞬間といえば、最後の最後で歌った”サンキュ”でキーボードの光田健一が何小節かすっ飛ばしていきなりサビの部分を演奏したことである。私ですら気付く大きなミスだったけれど、美里はとっさにサビを歌うなどフォローをして演奏は表面上なにごとも無かったかのごとく進んでいた(歌詞はガタガタになっていたけれど、全体の流れはとりあえず滞らずに済んだ)。演奏が終わって最後の挨拶をした時もそのことには何も触れてなかった。この辺りにバンドの結束力というか手腕に感心する。
そんなこともあって、興味深い光景も見れたし今日は満足しておこう。そういう感想で日記を締めたかったけれど、最後にどうしても言いたいことがある。
ライブに行ったことのある方なら説明不要だが、今日のライブでもアンコール前にまたしていも
「美里!チャチャチャ!」
が発生したのである。そしてライブ終了後は三本締めまで起こり、しかも会場の多くの人が参加してしまったのだ。なんかライブの間から無駄に大声を出している人間が目立つので嫌な雰囲気だなあと感じたが、その予想が当たってしまった。
暴言を承知で言うけれど、今夜の客層は最低最悪である。
そして、大人しい良心的なファンに代わって、空気の読めないクズどもに告ぐ。
そんなことは冷たい風の吹き荒む会場外でやれ!周囲の人まで巻き込むんじゃない!以上。
こんなこと言ってもわからない輩だけどねえ。いちおうブログという形で記録を残しておきます。
そういう後味の悪さもあり、2012年の彼女の船出はなんとなく雲行きが怪しい気がする。さて、私が今度彼女に会えるのはいつになるやら。いや、そもそも彼女のことなど思いやる余裕は今の自分には無いんだな、と寒い外を出た時にその厳しい現実に気付いてしまった。最後に今夜の曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)ジャングルチャイルド
(2)恋したっていいじゃない
(3)サマータイムブルース
(4)セレンディピティー
(5)世界で一番遠い場所
(6)BELIEVE
(7)悲しいね
(8)悲しいボーイフレンド
(9)始まりの詩、あなたへ
(10)グリーン・グリーン
(11)ムーンライトダンス
(12)人生はステージだ!
(13)パイナップルロマンス
(14)グッときれいになりましょう
(アンコール)
(15)10 years
(16)My Revolution
(17)スピリッツ
(18)Growin’ Up/Can’t Take My Eyes Off You/Growin’ Up
(19)Lovin’ You
(20)サンキュ
「身辺が順調に回るまでは無駄な経費を使わないぞ」
と心の中で思っていた時があったような気がする。しかしこうしてライブに行ってしまうのだから人間の心はつくづく脆いものだ。いや、もともと私は我慢などできない体質だったか。もう完全に本能のままに生きているという具合である。
今年の渡辺美里は、今後のライブ日程を見る限り、けっこう活発に動くようだ。来月は大阪城ホールでおこなわれる飲酒運転撲滅キャンペーンのイベントライブに出演し、3月は小学校の同級生の塩谷哲(愛称「ソルト」)と大阪でライブを2回、4月から7月にかけてはライブハウスでのツアーもおこない、夏の恒例ライブは日本武道館で公演をするという。
しかし現在の私といえばそんな活動を逐一追いかける余裕はない。ライブハウスのツアーは大阪2公演、京都でも2公演あるけれど今のところ駆けつけられそうにない。その頃の私は一体どうなっているか、自分でもわからないからだ。
今日のライブだって本当は行くつもりなどなかった。ただ「ぴあ」からのメールで大阪でもライブがあることを知り、いちおう申し込んでみたら当選したので「買ったら行くしかねえな」と足を運んだまでである(最初から「行かない!」と決断できないところが私の弱さであるが)。実際のところライブに行ったり外食したり酒を飲むほどの経済的余裕はないのだけれど、正月に好きなミュージシャンに行くくらいの息抜きは大目に見てほしい(しかし、私は誰に許しを得ようとしているのか)
今日の席は2階席の前から2列目右側というところである。これまではファンクラブ予約で取っていたので1階の真ん中くらいだったけれど、これはもう仕方がない。スピーカーからは、レッド・ツェッペリン”ロックン・ロール”、デヴィッド・ボウイ”スターマン”、Tレックス”メタル・グルー”、スタイル・カウンシル”シャウト・トゥ・ザ・トップ”と、もうベタベタな有名曲ばかりが流れていた。
そして午後5時5分ごろ、誰が歌っているのかよくわからないジャーニーの”ドント・ストップ・ビリーヴィン”のカバーが流れ終わると会場の照明が落ちて開演である。1曲目は元日の渋谷と同じく、私の大嫌いな”ジャングルチャイルド”で幕を開けた。最悪なスタートですなあ、と内心思いながらも、いやむしろ嫌な曲が冒頭にもってこられた方が良かったかもしれないと考え直す。そして”恋したっていいじゃない”、”サマータイムブルース”と続き、私の気持ちも徐々に落ち着いてきた。しかし、ステージに立つ美里は金髪のおかしなカツラをつけているのもなんだか気になった。これも5曲目の”世界で一番遠い場所”から外したのでそれほど気にはならなかったが。冒頭は、今日はちょっとイマイチだなあ、というのが正直な印象であった。
ところで、2階席にいるのはけっこうメリットがあった。1階のお客は総立ちという雰囲気だが、こちらはそういうわけでもなく座って観ている人も多い。それに合わせてというわけでもないが、アンコールまではずっと座ってライブを観ることができた。もうお客の平均年齢もグッと上がっているのだし、みんなあまり無理をしない方がいいのではと思うだが、いかがだろう。
本日の曲目は最後に記すけれど、特に驚いたり貴重だと思った曲は個人的には皆無であった。あえていえば”グリーン・グリーン”はおそらく99年の「うたの木 オーケストラ」以来ライブで聴いてなかったと記憶する。元日ライブと照らし合わせるとアルバム「Spirits」(96年)からの選曲が目立つかな、というのが今回の特徴だろうか。
期待値ゼロでライブに臨んでいる自分としては1曲でも、
「お!これも歌ったか。意外だな」
と思える瞬間があればもう十分である。そしてここ数年の元日ライブではそんな場面がちょこちょこあったから今回はその辺りが少し残念ではあった。
面白い瞬間といえば、最後の最後で歌った”サンキュ”でキーボードの光田健一が何小節かすっ飛ばしていきなりサビの部分を演奏したことである。私ですら気付く大きなミスだったけれど、美里はとっさにサビを歌うなどフォローをして演奏は表面上なにごとも無かったかのごとく進んでいた(歌詞はガタガタになっていたけれど、全体の流れはとりあえず滞らずに済んだ)。演奏が終わって最後の挨拶をした時もそのことには何も触れてなかった。この辺りにバンドの結束力というか手腕に感心する。
そんなこともあって、興味深い光景も見れたし今日は満足しておこう。そういう感想で日記を締めたかったけれど、最後にどうしても言いたいことがある。
ライブに行ったことのある方なら説明不要だが、今日のライブでもアンコール前にまたしていも
「美里!チャチャチャ!」
が発生したのである。そしてライブ終了後は三本締めまで起こり、しかも会場の多くの人が参加してしまったのだ。なんかライブの間から無駄に大声を出している人間が目立つので嫌な雰囲気だなあと感じたが、その予想が当たってしまった。
暴言を承知で言うけれど、今夜の客層は最低最悪である。
そして、大人しい良心的なファンに代わって、空気の読めないクズどもに告ぐ。
そんなことは冷たい風の吹き荒む会場外でやれ!周囲の人まで巻き込むんじゃない!以上。
こんなこと言ってもわからない輩だけどねえ。いちおうブログという形で記録を残しておきます。
そういう後味の悪さもあり、2012年の彼女の船出はなんとなく雲行きが怪しい気がする。さて、私が今度彼女に会えるのはいつになるやら。いや、そもそも彼女のことなど思いやる余裕は今の自分には無いんだな、と寒い外を出た時にその厳しい現実に気付いてしまった。最後に今夜の曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)ジャングルチャイルド
(2)恋したっていいじゃない
(3)サマータイムブルース
(4)セレンディピティー
(5)世界で一番遠い場所
(6)BELIEVE
(7)悲しいね
(8)悲しいボーイフレンド
(9)始まりの詩、あなたへ
(10)グリーン・グリーン
(11)ムーンライトダンス
(12)人生はステージだ!
(13)パイナップルロマンス
(14)グッときれいになりましょう
(アンコール)
(15)10 years
(16)My Revolution
(17)スピリッツ
(18)Growin’ Up/Can’t Take My Eyes Off You/Growin’ Up
(19)Lovin’ You
(20)サンキュ
せめてこのライブに行くまでには身辺も落ち着いているだろうと思っていたのだが、なかなかそうもいっていないのが現状だ。これから先にライブの告知があったとしても、とても行けそうにない。よって、現時点はこれが私にとって彼女の最後のライブとなっている。
しかし、この人は自分にとって節目になるような時期にはいつも現れる。大学を出てから仕事の無かった11年前、以前の会社を辞めた今年の4月、そしてこの日である。世間からみれば単なる偶然としかいえないのだが、それだけでは片付けられない部分が私にはある。かといって今日のライブに特別なにかを求めているわけでもないが、この人のライブを観て救われた気になったことが何度とあるのでそんなことを思ってしまった。
野外ライブなので一番の心配は天気だったけれど、もう暑いくらいの快晴この点は何も問題はない。会場入口の自動販売機でお茶を買って自分の席を探す。今回「プレミア席」(9000円)というのが設定されていたので選んだ。「C列」というので前から3列目かと誰もが思うだろうけど、実際は前から5列目だった。最前列と思っていたA列の前にさらに「AB列」と「AA列」が存在していたからだ。それでもずいぶん前であり、ステージから数メートルという近さなので不満はない。
開演の4時半ちかくになるとスピーカーから流れている音が大きくなる。その曲はクイーンの”WE WILL ROCK YOU”だった。そろそろ始まるのかなと思ったら、バンドから光田健一とスパム春日井が出てきて演奏を初め、それからバンドメンバーが段々と揃い出す。ステージ前で花火がバババンと鳴り、”夏が来た!”のイントロが始まって開演だ。
2曲目は先日発売された新作アルバム「Serendipity」(11年)から”ロマンティック・ボヘミアン”、新譜を出したばかりなのでここからの曲が多いかとも思ったが、実際は6曲とそれほど比率は高くなかっただろう。
複雑に気持ちになったのは”Life”が演奏された時だった。以前の日記でも書いたけれど、会場でおかしなヲタがMCの時にリクエストをしていたのがこの曲である。
http://30771.diarynote.jp/201105031534352971/
その対策のために披露したのかもしれないが、これは吉と出るか凶と出るかは半々だからだ。もしあのヲタがこれに味をしめて、◯◯を歌ってくださあい、とまた別の曲を求めてくる可能性だってある。なんなら私も、「”kick off”を歌ってくださあい。20年ほどライブを観てますが一度も聴いてませえん」と言ってやろうか(恥ずかしくて絶対にできないけれど)。しかし”life”を聴いたのはこの曲が入っているアルバム「Spirits」(96年)を出した時のツアー以来だから、15年ぶりになるだろうか。だからどうということもないが。
面白かったのは”恋したっていいじゃない”の時にギターの設楽博臣がジミ・ヘンドリックスの真似をして歯でギターを弾いていたことだ。有名な演奏法だが実際に演奏する人を観たのはこれが始めてである。それにしてもステージが近いのでバンドのメンバーなどの表情もよくわかる。サックスの竹野昌邦が終始ニコニコしながらバンドと身振りでコンタクトをとていたのが興味深かった。あれだけベテランとなるとあまり緊張などもしないのかな。
全体を通してパッと感じたのは、ライブの時間がいつもより短かったことである。2時間半くらいするのかなと思いきゃ終了したのは6時40分、2時間10分ほどだった。通常のライブでこれほど短いのは珍しい。本当にサラッと終わったという印象だった。演奏曲目もそれほど意表を突いたものがなかったこともあるかもしれないが、ともかくスーッと流れたという感じである。
会場を出る途中で私のそばにいた女性が、震災を意識したような歌詞が多かったねえ、などと話しているのを耳にした。MCでも3,11について触れていたし、そういう思いがセットリストに反映していたかもしれないが、個人的にはあまりピンとこない話であった。
これで彼女のライブの予定はなくなった。果たして自分にはまた行けるような環境を築くことができるのか。未だにそうなっていないのがもどかしい。最後に演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)夏が来た!
(2)ロマンティック・ボヘミアン
(3)すき
(4)青い鳥
(5)Life
(6)いつも笑って ちょっぴり泣いて。
(7)始まりの詩、あなたへ
(8)LOVE IS HERE
(9)SHOUT (ココロの花びら)
(10)人生はステージだ!
(11)世界中にKissの嵐を
(12)恋したっていいじゃない
(13)My Revolution
(14)サマータイムブルース
<アンコール>
(15)メロディ
(16)セレンディピティー
(17)10 years
(18)My Love Your Love(たったひとりしかいない あなたへ)
しかし、この人は自分にとって節目になるような時期にはいつも現れる。大学を出てから仕事の無かった11年前、以前の会社を辞めた今年の4月、そしてこの日である。世間からみれば単なる偶然としかいえないのだが、それだけでは片付けられない部分が私にはある。かといって今日のライブに特別なにかを求めているわけでもないが、この人のライブを観て救われた気になったことが何度とあるのでそんなことを思ってしまった。
野外ライブなので一番の心配は天気だったけれど、もう暑いくらいの快晴この点は何も問題はない。会場入口の自動販売機でお茶を買って自分の席を探す。今回「プレミア席」(9000円)というのが設定されていたので選んだ。「C列」というので前から3列目かと誰もが思うだろうけど、実際は前から5列目だった。最前列と思っていたA列の前にさらに「AB列」と「AA列」が存在していたからだ。それでもずいぶん前であり、ステージから数メートルという近さなので不満はない。
開演の4時半ちかくになるとスピーカーから流れている音が大きくなる。その曲はクイーンの”WE WILL ROCK YOU”だった。そろそろ始まるのかなと思ったら、バンドから光田健一とスパム春日井が出てきて演奏を初め、それからバンドメンバーが段々と揃い出す。ステージ前で花火がバババンと鳴り、”夏が来た!”のイントロが始まって開演だ。
2曲目は先日発売された新作アルバム「Serendipity」(11年)から”ロマンティック・ボヘミアン”、新譜を出したばかりなのでここからの曲が多いかとも思ったが、実際は6曲とそれほど比率は高くなかっただろう。
複雑に気持ちになったのは”Life”が演奏された時だった。以前の日記でも書いたけれど、会場でおかしなヲタがMCの時にリクエストをしていたのがこの曲である。
http://30771.diarynote.jp/201105031534352971/
その対策のために披露したのかもしれないが、これは吉と出るか凶と出るかは半々だからだ。もしあのヲタがこれに味をしめて、◯◯を歌ってくださあい、とまた別の曲を求めてくる可能性だってある。なんなら私も、「”kick off”を歌ってくださあい。20年ほどライブを観てますが一度も聴いてませえん」と言ってやろうか(恥ずかしくて絶対にできないけれど)。しかし”life”を聴いたのはこの曲が入っているアルバム「Spirits」(96年)を出した時のツアー以来だから、15年ぶりになるだろうか。だからどうということもないが。
面白かったのは”恋したっていいじゃない”の時にギターの設楽博臣がジミ・ヘンドリックスの真似をして歯でギターを弾いていたことだ。有名な演奏法だが実際に演奏する人を観たのはこれが始めてである。それにしてもステージが近いのでバンドのメンバーなどの表情もよくわかる。サックスの竹野昌邦が終始ニコニコしながらバンドと身振りでコンタクトをとていたのが興味深かった。あれだけベテランとなるとあまり緊張などもしないのかな。
全体を通してパッと感じたのは、ライブの時間がいつもより短かったことである。2時間半くらいするのかなと思いきゃ終了したのは6時40分、2時間10分ほどだった。通常のライブでこれほど短いのは珍しい。本当にサラッと終わったという印象だった。演奏曲目もそれほど意表を突いたものがなかったこともあるかもしれないが、ともかくスーッと流れたという感じである。
会場を出る途中で私のそばにいた女性が、震災を意識したような歌詞が多かったねえ、などと話しているのを耳にした。MCでも3,11について触れていたし、そういう思いがセットリストに反映していたかもしれないが、個人的にはあまりピンとこない話であった。
これで彼女のライブの予定はなくなった。果たして自分にはまた行けるような環境を築くことができるのか。未だにそうなっていないのがもどかしい。最後に演奏曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)夏が来た!
(2)ロマンティック・ボヘミアン
(3)すき
(4)青い鳥
(5)Life
(6)いつも笑って ちょっぴり泣いて。
(7)始まりの詩、あなたへ
(8)LOVE IS HERE
(9)SHOUT (ココロの花びら)
(10)人生はステージだ!
(11)世界中にKissの嵐を
(12)恋したっていいじゃない
(13)My Revolution
(14)サマータイムブルース
<アンコール>
(15)メロディ
(16)セレンディピティー
(17)10 years
(18)My Love Your Love(たったひとりしかいない あなたへ)
このコンサートの案内が届いた時(1月)は行くつもりはなかった。仕事で疲弊してライブに行く余裕がなかったし、コンサートの内容自体にも興味がなかったからである。それから紆余曲折があって、10年ほどいた職場を4月で去ることになった。実は会社を辞める日についても、当初は4月に決めていたわけではない。個人的には6月いっぱいにしたかったのだが、会社とのやり取りの過程で4月までということに落ち着いたのである。今日のチケットを取ったのはそれからのことだった。
図らずもこのような日に渡辺美里が大阪でコンサートをするというのは、自分と何か因縁があるのかなと思ってしまう。私は信心深い人間でないし、日頃も運だの縁だのといったものを意識しているわけではない。しかし、これは俺を送別するために開催してくれるのかなと、勝手に解釈して大阪へ向かう。
会場のザ・シンフォニーホールはJR福島駅から北へ徒歩7分ほどにある。
http://www.asahi.co.jp/symphony/
周囲の飲食店では、シンフォニーホールのチケット提示でサービス、うんぬんの張り紙がしてある。餃子の「みんみん」(漢字が出ない)は杏仁豆腐を無料で食べられるという。杏仁豆腐かあ。月餅か芝麻球(チーマーカオ)だったら入ったかもしれないが。
私の席は2階の右側だったが客席からステージがものすごく近く感じる。席数が1704と後からサイトで知って少し驚いた。実際に観た限りではかなりこじんまりとした会場だったからだ。お客の入りが7割くらいとしても、1000人以上は入ったことになる。思いのほか集まったな、というのが正直な感想だ。
ところで、純粋なオーケストラをバックに彼女が歌うツアーはこれが初めてのことである。最初の「misato ’99 うたの木 春」(99年)の時も、それ以後の「うたの木」シリーズでも、通常のバンドが混ざっているという奇妙な編成だった。そもそも「うたの木」シリーズは、「アコースティック」と冠したライブでエレキギターや打ち込みが出てくるなど理解不能な内容が多い。先日アルバム「BIG WAVE」(93年)に書いた時にも触れたけれど、彼女が新しいチャレンジをしてみてもほとんど成果を挙げていない。「うたの木」と題したライブを私はたぶん全て観たけれど、全体的に中途半端な内容で終始している。ネットで感想を調べても散々なことが書かれていると思う。
当然ながら、この日のチケットも売り切れてはいなかった。8500円という通常より高い設定でしかも内容も中途半端なものとわかっている賢明なファンならば買わないだろう。当の私も、もう「うたの木」でオーケストラは行かなくてもいいかな、と思っていたのだし。
コンサートはほぼ時間通りに始まった。冒頭はいきなり”My Revolution~第2章~”だったが、イントロだけで終わり童謡の”ふるさと”、そして大江千里のバージョンに近い”10 years”という、いかにも「うたの木」シリーズらしい、ガックリくるような始まり方だった。今回も厳しい内容になりそうだな、という思いが頭をよぎる。
演奏曲目は下に記すけれど、「行かなければ損をしていた!」という瞬間はやはりなかった。今回のツアーでしか聴けないような珍しい曲もいっさいない。敢えていてば、ルイ・アームストロングの”What A Wonderful World”は初めて披露したかもしれない。
個人的には”PAJAMA TIME”が歌われたのが唯一嬉しかったことか。しかし”PAJAMA TIME”にしても12年前に「うたの木」で披露しているから、想定内といえば想定内だが、大好きな曲なので私の餞(はなむけ)だと勝手に思ってみた。
身もふたもないことを言わせてもらえば、あえてオーケストラでする必要があるのか?という疑問は拭えない。どの曲も通常のバンド演奏の方がずっと良いのは間違いないだろう。もちろんファンもオーケストラとの共演などを望んでいる人はいないと確信している。いくら熱心なヲタでも信者でも、この一連の「うたの木」シリーズに付き合うのは苦痛だったのでないかと、自分を照らし合わせてつくづく感じる。
かと思いきゃ、アンコール時に、
「みさとぉ、”Life”を歌ってくださぁい」
と言って会場からヒンシュクを買う逞しいヲタがいるのには恐れ入った。確かコイツは去年も大阪で同じようなことを言った気がする。その時もこの日も当の美里は冷たくあしらっていたが。それにしても”Life”(96年のアルバム「Spirits」に入っている曲)なんて、本人に直接リクエストするほど聴きたい曲なのだろうか。実に不思議だ。
そんなこともありながら、2時間半ほどでコンサートは終了した。何か感慨深い気持ちになり涙でも出るかなと間抜けた思いもよぎったが、「うたの木」の内容ではそれは無理だろうとつくづく感じる。ただ、俺のためにこの日に大阪に来てくれてありがとう、と心の中で一方的にお礼を言って会場を去った。
次に彼女と会うのは8月6日の大阪城野外音楽堂だろうか。これも行く気が起きてなかったものの、全てから解放された今となっては「やっぱり行こうかな」という気持ちになりつつある。
【演奏曲目】
(1)My Revolution~第2章~(イントロのみ)/ふるさと(童謡)
(2)10 years
(3)あしたの空
(4)さくらの花の咲くころに
(5)ココロ銀河
(6)シンシアリー
(7)PAJAMA TIME
(8)My Love Your Love(たったひとりしかいない あなたへ)
<15分の休憩>
(9)What A Wonderful World(ルイ・アームストロングのカバー)
(10)My Revolution
(11)すき
(12)パイナップル ロマンス
(13)ジャングルチャイルド
(14)いつかきっと
(15)始まりの詩、あなたへ
<アンコール>
(16)Lovin’ you
(17)サンキュ
図らずもこのような日に渡辺美里が大阪でコンサートをするというのは、自分と何か因縁があるのかなと思ってしまう。私は信心深い人間でないし、日頃も運だの縁だのといったものを意識しているわけではない。しかし、これは俺を送別するために開催してくれるのかなと、勝手に解釈して大阪へ向かう。
会場のザ・シンフォニーホールはJR福島駅から北へ徒歩7分ほどにある。
http://www.asahi.co.jp/symphony/
周囲の飲食店では、シンフォニーホールのチケット提示でサービス、うんぬんの張り紙がしてある。餃子の「みんみん」(漢字が出ない)は杏仁豆腐を無料で食べられるという。杏仁豆腐かあ。月餅か芝麻球(チーマーカオ)だったら入ったかもしれないが。
私の席は2階の右側だったが客席からステージがものすごく近く感じる。席数が1704と後からサイトで知って少し驚いた。実際に観た限りではかなりこじんまりとした会場だったからだ。お客の入りが7割くらいとしても、1000人以上は入ったことになる。思いのほか集まったな、というのが正直な感想だ。
ところで、純粋なオーケストラをバックに彼女が歌うツアーはこれが初めてのことである。最初の「misato ’99 うたの木 春」(99年)の時も、それ以後の「うたの木」シリーズでも、通常のバンドが混ざっているという奇妙な編成だった。そもそも「うたの木」シリーズは、「アコースティック」と冠したライブでエレキギターや打ち込みが出てくるなど理解不能な内容が多い。先日アルバム「BIG WAVE」(93年)に書いた時にも触れたけれど、彼女が新しいチャレンジをしてみてもほとんど成果を挙げていない。「うたの木」と題したライブを私はたぶん全て観たけれど、全体的に中途半端な内容で終始している。ネットで感想を調べても散々なことが書かれていると思う。
当然ながら、この日のチケットも売り切れてはいなかった。8500円という通常より高い設定でしかも内容も中途半端なものとわかっている賢明なファンならば買わないだろう。当の私も、もう「うたの木」でオーケストラは行かなくてもいいかな、と思っていたのだし。
コンサートはほぼ時間通りに始まった。冒頭はいきなり”My Revolution~第2章~”だったが、イントロだけで終わり童謡の”ふるさと”、そして大江千里のバージョンに近い”10 years”という、いかにも「うたの木」シリーズらしい、ガックリくるような始まり方だった。今回も厳しい内容になりそうだな、という思いが頭をよぎる。
演奏曲目は下に記すけれど、「行かなければ損をしていた!」という瞬間はやはりなかった。今回のツアーでしか聴けないような珍しい曲もいっさいない。敢えていてば、ルイ・アームストロングの”What A Wonderful World”は初めて披露したかもしれない。
個人的には”PAJAMA TIME”が歌われたのが唯一嬉しかったことか。しかし”PAJAMA TIME”にしても12年前に「うたの木」で披露しているから、想定内といえば想定内だが、大好きな曲なので私の餞(はなむけ)だと勝手に思ってみた。
身もふたもないことを言わせてもらえば、あえてオーケストラでする必要があるのか?という疑問は拭えない。どの曲も通常のバンド演奏の方がずっと良いのは間違いないだろう。もちろんファンもオーケストラとの共演などを望んでいる人はいないと確信している。いくら熱心なヲタでも信者でも、この一連の「うたの木」シリーズに付き合うのは苦痛だったのでないかと、自分を照らし合わせてつくづく感じる。
かと思いきゃ、アンコール時に、
「みさとぉ、”Life”を歌ってくださぁい」
と言って会場からヒンシュクを買う逞しいヲタがいるのには恐れ入った。確かコイツは去年も大阪で同じようなことを言った気がする。その時もこの日も当の美里は冷たくあしらっていたが。それにしても”Life”(96年のアルバム「Spirits」に入っている曲)なんて、本人に直接リクエストするほど聴きたい曲なのだろうか。実に不思議だ。
そんなこともありながら、2時間半ほどでコンサートは終了した。何か感慨深い気持ちになり涙でも出るかなと間抜けた思いもよぎったが、「うたの木」の内容ではそれは無理だろうとつくづく感じる。ただ、俺のためにこの日に大阪に来てくれてありがとう、と心の中で一方的にお礼を言って会場を去った。
次に彼女と会うのは8月6日の大阪城野外音楽堂だろうか。これも行く気が起きてなかったものの、全てから解放された今となっては「やっぱり行こうかな」という気持ちになりつつある。
【演奏曲目】
(1)My Revolution~第2章~(イントロのみ)/ふるさと(童謡)
(2)10 years
(3)あしたの空
(4)さくらの花の咲くころに
(5)ココロ銀河
(6)シンシアリー
(7)PAJAMA TIME
(8)My Love Your Love(たったひとりしかいない あなたへ)
<15分の休憩>
(9)What A Wonderful World(ルイ・アームストロングのカバー)
(10)My Revolution
(11)すき
(12)パイナップル ロマンス
(13)ジャングルチャイルド
(14)いつかきっと
(15)始まりの詩、あなたへ
<アンコール>
(16)Lovin’ you
(17)サンキュ
渡辺美里「BIG WAVE」(93年)
2011年4月22日 渡辺美里
(1)ブランニューヘブン
(2)Overture
(3)ジャングル チャイルド
(4)BIG WAVEやってきた
(5)Nude
(6)I WILL BE ALRIGHT
(7)いつか きっと
(8)若きモンスターの逆襲
(9)みんないた夏
(10)さえない20代
(11)はじめて
(12)素直に泣ける日笑える日(Re-Mix)
(13)Audrey
ローリング・ストーンズのキース・リチャーズやエリック・クラプトンなど多くのミュージシャンに影響を与えたアメリカ南部のブルース・ミュージシャン、ロバート・ジョンソンはその生涯が多くの謎に包まれている。それゆえ彼に関する伝説も多い。
中でも最も有名なのは、ジョンソンの驚異的なギター・テクニックは悪魔と魂を引き換えに「十字路」で手に入れたというものである。おそらく彼の代表曲”クロスロード・ブルース”から出てきた話であろう。ちなみにミシシッピ州クラークスデールにある国道61号線と国道49号線が交わる十字路がその場所だと言われている。
「人生の分岐点」という言葉がある。ジョンソンのような極端な例はないだろうが、生きていれば様々な場面で私たちも十字路に立たされる。あの時は左に進んでしまったが、もし右に曲がっていたらどうなるだろう、などと後になって振り返ることも数知れない。いや、「十字路」などと表現したけれど、そもそも人生は立ち戻ることが出来ないのだから「逆T字路」とでもいったほうが正確だろうか。
それはともかく、渡辺美里の経歴を振り返ってみた時に最も大きな分岐点はこの「BIG WAVE」を出した時ではないだろうか。いや、彼女だけでなく私自身にとってもこの作品は、好き嫌いの枠を超えて、特別な意味を持つアルバムである。このたび人生の岐路に立っている私なので、これを機会に「BIG WAVE」について書いてみたい。
「BIG WAVE」は渡辺美里の9枚目のオリジナル・アルバムである。と書いてはみたものの、自身の曲を歌い直した前作「HELLO LOVERS」(92年)は純粋なオリジナルと言いがたい部分もあるので、そう考えれば8枚目の作品となるだろう(個人的は「HELLO LOVERS」をオリジナルのアルバムと解釈しているが)
いわゆるセルフ・カバーである「HELLO LOVERS」は彼女にとって自分のキャリア点検作業にもなったと思われるが、「BIG WAVE」を作るにあたり、彼女は色々な挑戦をして新機軸を打ち出そうと相当に意気込んでいたのは間違いない。そして、それはどうも彼女のこの時の年齢(27歳)と関係しているようだ。自身が敬愛するシンガー、ジャニス・ジャプリンを始め、ジム・モリソン(ザ・ドアーズ)やジミ・ヘンドリックスといった伝説的ミュージシャンも軒並み27歳で亡くなっている(ロバート・ジョンソンもそうだ)。
かつて周囲から、
「美里、そんなことしているとジャニスみたいになるよ」
と言われていたらしいが(この時の彼女はジャニス・ジョプリンを知らなかったそうだが)、好きなミュージシャンが27歳で夭折しているというのが彼女に強く意識されていたようだ。当時「月刊カドカワ」93年9月号などの雑誌インタビューでもそんな話を交えていたことをおぼろげながらに記憶している。そういえば彼女と生前交流があった尾崎豊も前年に亡くなっていた(享年26歳)のも彼女の脳裏にはまだ鮮明に残っていただろう。
世間的に見ても27歳といえば大学を出て会社に入って5年ほど経った頃である。それなりに仕事をこなせるようになっていく一方で、自分の人生をこのままいってもいいのかな?とか振り返るのもこのあたりからだろう。
「BIG WAVE」の発売に合わせて、この時期(93年8月3日)に特別番組「渡辺美里スペシャル93 若きモンスターの逆襲」という特別番組が深夜に放送された。私もこの番組は見ていてビデオにも録画していたが、冒頭ではこんな字幕スーパーが出てくる。
「この街にはたくさんの顔がある
それは、いつでも誰でも見ることができるけれど、見ないまま過ごしてしまう時もある。
たくさんの顔とたくさんの人間が交差する街
そんな街で、夢を追い続けて暮らしている27歳の若者達がいます
27歳・・・それは、とても微妙な年齢であると、あなたは知っていますか?
それは、この街と同じようにとても不思議なのです」
番組は彼女の音楽を紹介し、3人のカメラマンとのやり取りを交えながら、さまざま27歳(イルカの調教師や政治家志望など)を取り上げるという内容だった。「you tube」で検索したらその番組が出てきたので紹介したい(1時間ほどの番組なので5分割されている)
http://www.youtube.com/watch?v=I1JeyrBhMzc
http://www.youtube.com/watch?v=7YacMRhUlFo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=PZnNmSGgzbA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=rjRPkl7jYo4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Sf93H4YTLkw&feature=related
残念ながら内容が要約されている部分がある(彼女以外に登場する「27歳の人たち」が削除されている)。それはともかく、こうした番組を作るくらい27歳という年齢を彼女は意識していた。
そんな彼女が新作のプロデューサーに選んだのが小林武史であった。この頃の小林といえばサザン・オールスターズなどのプロデューサーというくらいの知名度だったが、92年のデビューから手掛けていたミスター・チルドレンが”CROSS ROAD”(十字路!)でブレイクするのもこの年であった。たしか「月刊カドカワ」のインタビューによれば、小林の方から「僕と一緒にしましょう」と売り込んできたと美里は話していた。彼にとってはこの時の仕事がかなり大きな経験になったらしい。しかし私としては、この両者の出会いが無かったらどうなっていたのだろう、といつも思ってしまう。
当時も今も桑田圭佑の嫌いな私にとって、関係者の小林武史が美里の新作を手がけると聞いたときは実にイヤーな気持ちになった。それから間もなくして届いたのがシングル”BIG WAVEやってきた”(93年7月1日発売)だった。これを買ったのCD出荷日だったから前日の6月30日である。学校帰りにCDショップでシングルCD(懐かしいねえ)を買って、真っすぐ家に帰って聴いてみた。
しかしパッと聴いた瞬間、「あれ?いつもと印象が違うぞ」とすぐに感じる。これまで(シングル”いつかきっと”まで)は聴いた瞬間にグッと惹き付けられるような力が彼女の音楽には確かにあった。しかし、今回のこのシングルにはそうしたものが見られなかったからだ。それはカップリング曲(この表現も今は使われないだろうな)の”素直に泣ける日笑える日”についても同様だった。この日はシングルを通しで10回聴いた。これほど1枚のシングルを続けて聴いたことは無いが(これが最初で最後かな)、それでも体や頭に曲が入ってくることはなかった。
何度も日記で書いているが、当時の私は渡辺美里の「信者」であった。自分にとって手に届かない、もう神か仏かのような存在とまで彼女を思っていた。しかしこのCDを聴いた時、
「あれ?いままでのようなマジックが無い」
と感じた。この人は必ずしも完璧な存在ではないのでは?と思った最初の瞬間である。
この先行シングルで失望した矢先、さらに酷い事態が起きる。7月12日に北海道奥尻島へ津波が襲い約200人が命を落とす大惨事だ。北海道南西沖地震である。泉谷しげるがゲリラ風な募金活動を始めたのがこの頃だが、あの津波がきっかけで”BIG WAVEやってきた”はラジオやテレビで放送自粛をされてしまう。ファンとしてはなんともやりきれない気持ちだった。そうした流れの中、7月21日にアルバム「BIG WAVE」が発売される。これも出荷日当日に買ったから手に入れたのは7月20日だ。
正直いって、これを最初に聴いたときの印象ははっきりとは覚えていない。ただ、彼女の声や音質がこれまで全く違う印象を受けたのは確かである。そして、それは全く肯定的に受け入れることができないものだった。パッと聴いて良いなと思ったのは”いつかきっと”(小林武史と組む前に作られたシングル曲)だけである。
その他の曲は軒並み「パッとしないなあ」というのが正直なところであった。ファンク色の強い最初の3曲は未だに好きになれない(ライブではほぼ必ず演奏される”ジャングル チャイルド”はもはや「嫌い」の領域である)。”はじめて”という曲の歌詞は、
「盗んだ自転車 二人乗りして」
というフレーズが出てくるが、堅物なほど生真面目な彼女の世界観にはなじまない印象を受ける。”さえない20代”にいたってはタイトルからしてなあ・・・という感じで、実際の楽曲についても「本当にさえないですねえ」と思うような雰囲気に満ちている。
確かに色々な挑戦はしている。アルバム制作に関わる人も一新されており、大江千里や小室哲哉といったいつもの楽曲提供者の名前がない。そのほか曲調や歌詞などにも変化をしようとした痕跡はいたるところで見つけることができる。だが、しかしである。こうしたことがどれほど成功しているかといわれると、私はほとんど否定的な意見しか出てこない。
これまで一番決定的に違うことは、彼女の音楽から出てくる力が大幅に無くなっていたことである。それは”BIG WAVEやってきた”を聴いた時と同じ印象であった。それはサウンドが原因なのか、彼女が歌唱法を変えたのか、そもそも彼女の力が失われたのか、そこのところがどうもわからない。もっと専門的な解説をしてくれる人が出てくることを望んでいるのだが、未だに誰もしてくれない。そこで私が今回いろいと書いてみたものの、このような印象論が限界である。
根本的なことをいうと、渡辺美里という人は器用な表現者ではない。新しいことをいくつもこなせる柔軟さを持っていない。あくまで彼女は歌手やパフォーマーという面で優れていたわけであり、新進気鋭なアーティストというタイプではないのだ。また、肝心の聴き手が彼女に対して大きな変化を望んでいたかという大きな問題もある。少なくとも私はそんなことを願ったことはこれまで一度もない。それはともかく、このアルバムを契機に多くのファンは失望し彼女から離れていった。「BIG WAVE」はオリコン1位を獲得し前作なみのセールスを記録したものの、翌年に出た「BABY FAITH」(94年)は半分ほどの売り上げに落ち込んでいるのがその証拠だ。
露骨にいえば、「BIG WAVE」は渡辺美里が新しい挑戦を無理にして失敗してしまった作品といえる。そして、その軌道修正ができないまま現在に至っているというのが私の見方である。
このアルバムを聴くたびに、
「こういう無意味な方向転換をしなければ、果たして彼女はどうなっていたのだろう・・・」
とやりきれない気持ちになるのが辛い。しかしこういう「たら、れば」の話をしても今ではもう意味がない。このアルバムは彼女自身にとってもファンにとっても十字路となる作品である。
この年も彼女のライブを観ることができたが(93年12月19日、北海道厚生年金会館)、それほど強い印象は残っていない.93年が終わる頃には彼女に対する熱意も相当に薄れていった。私の「信者歴」は2年ほどで終わってしまった。夢中になれる存在がいなくなるというのは悲しいことである一方、自分にとっては実に貴重な経験であったことも間違いない。何かにベッタリと依存するような真似はこれが最初で最後にすることができたからだ。これ以後の私はどんなものに対しても「完璧なものなどはない」という姿勢に接するようになっていく。これは自分にとって大きな変化であろう。
また、もしこの前年(92年8月18日、真駒内アイスアリーナ)に彼女のライブを観ていなかったら、自分にとってこれほどの存在にはなっていなかったことも間違いない。信者どころかファンになっていたどうかかも怪しいところだ。さらにいえば、京都というのは彼女の出身地(厳密には京都市内ではなく精華町だが)ということで頭に入っていたので、彼女との繋がりがなければ大学に京都の地を選んでなかったかもしれない。
そんなことをあれこれ考えてみると、人生にはいたるところに十字路が張り巡らされているのだろう。その時の本人は気づかないとしても。
(2)Overture
(3)ジャングル チャイルド
(4)BIG WAVEやってきた
(5)Nude
(6)I WILL BE ALRIGHT
(7)いつか きっと
(8)若きモンスターの逆襲
(9)みんないた夏
(10)さえない20代
(11)はじめて
(12)素直に泣ける日笑える日(Re-Mix)
(13)Audrey
ローリング・ストーンズのキース・リチャーズやエリック・クラプトンなど多くのミュージシャンに影響を与えたアメリカ南部のブルース・ミュージシャン、ロバート・ジョンソンはその生涯が多くの謎に包まれている。それゆえ彼に関する伝説も多い。
中でも最も有名なのは、ジョンソンの驚異的なギター・テクニックは悪魔と魂を引き換えに「十字路」で手に入れたというものである。おそらく彼の代表曲”クロスロード・ブルース”から出てきた話であろう。ちなみにミシシッピ州クラークスデールにある国道61号線と国道49号線が交わる十字路がその場所だと言われている。
「人生の分岐点」という言葉がある。ジョンソンのような極端な例はないだろうが、生きていれば様々な場面で私たちも十字路に立たされる。あの時は左に進んでしまったが、もし右に曲がっていたらどうなるだろう、などと後になって振り返ることも数知れない。いや、「十字路」などと表現したけれど、そもそも人生は立ち戻ることが出来ないのだから「逆T字路」とでもいったほうが正確だろうか。
それはともかく、渡辺美里の経歴を振り返ってみた時に最も大きな分岐点はこの「BIG WAVE」を出した時ではないだろうか。いや、彼女だけでなく私自身にとってもこの作品は、好き嫌いの枠を超えて、特別な意味を持つアルバムである。このたび人生の岐路に立っている私なので、これを機会に「BIG WAVE」について書いてみたい。
「BIG WAVE」は渡辺美里の9枚目のオリジナル・アルバムである。と書いてはみたものの、自身の曲を歌い直した前作「HELLO LOVERS」(92年)は純粋なオリジナルと言いがたい部分もあるので、そう考えれば8枚目の作品となるだろう(個人的は「HELLO LOVERS」をオリジナルのアルバムと解釈しているが)
いわゆるセルフ・カバーである「HELLO LOVERS」は彼女にとって自分のキャリア点検作業にもなったと思われるが、「BIG WAVE」を作るにあたり、彼女は色々な挑戦をして新機軸を打ち出そうと相当に意気込んでいたのは間違いない。そして、それはどうも彼女のこの時の年齢(27歳)と関係しているようだ。自身が敬愛するシンガー、ジャニス・ジャプリンを始め、ジム・モリソン(ザ・ドアーズ)やジミ・ヘンドリックスといった伝説的ミュージシャンも軒並み27歳で亡くなっている(ロバート・ジョンソンもそうだ)。
かつて周囲から、
「美里、そんなことしているとジャニスみたいになるよ」
と言われていたらしいが(この時の彼女はジャニス・ジョプリンを知らなかったそうだが)、好きなミュージシャンが27歳で夭折しているというのが彼女に強く意識されていたようだ。当時「月刊カドカワ」93年9月号などの雑誌インタビューでもそんな話を交えていたことをおぼろげながらに記憶している。そういえば彼女と生前交流があった尾崎豊も前年に亡くなっていた(享年26歳)のも彼女の脳裏にはまだ鮮明に残っていただろう。
世間的に見ても27歳といえば大学を出て会社に入って5年ほど経った頃である。それなりに仕事をこなせるようになっていく一方で、自分の人生をこのままいってもいいのかな?とか振り返るのもこのあたりからだろう。
「BIG WAVE」の発売に合わせて、この時期(93年8月3日)に特別番組「渡辺美里スペシャル93 若きモンスターの逆襲」という特別番組が深夜に放送された。私もこの番組は見ていてビデオにも録画していたが、冒頭ではこんな字幕スーパーが出てくる。
「この街にはたくさんの顔がある
それは、いつでも誰でも見ることができるけれど、見ないまま過ごしてしまう時もある。
たくさんの顔とたくさんの人間が交差する街
そんな街で、夢を追い続けて暮らしている27歳の若者達がいます
27歳・・・それは、とても微妙な年齢であると、あなたは知っていますか?
それは、この街と同じようにとても不思議なのです」
番組は彼女の音楽を紹介し、3人のカメラマンとのやり取りを交えながら、さまざま27歳(イルカの調教師や政治家志望など)を取り上げるという内容だった。「you tube」で検索したらその番組が出てきたので紹介したい(1時間ほどの番組なので5分割されている)
http://www.youtube.com/watch?v=I1JeyrBhMzc
http://www.youtube.com/watch?v=7YacMRhUlFo&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=PZnNmSGgzbA&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=rjRPkl7jYo4&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=Sf93H4YTLkw&feature=related
残念ながら内容が要約されている部分がある(彼女以外に登場する「27歳の人たち」が削除されている)。それはともかく、こうした番組を作るくらい27歳という年齢を彼女は意識していた。
そんな彼女が新作のプロデューサーに選んだのが小林武史であった。この頃の小林といえばサザン・オールスターズなどのプロデューサーというくらいの知名度だったが、92年のデビューから手掛けていたミスター・チルドレンが”CROSS ROAD”(十字路!)でブレイクするのもこの年であった。たしか「月刊カドカワ」のインタビューによれば、小林の方から「僕と一緒にしましょう」と売り込んできたと美里は話していた。彼にとってはこの時の仕事がかなり大きな経験になったらしい。しかし私としては、この両者の出会いが無かったらどうなっていたのだろう、といつも思ってしまう。
当時も今も桑田圭佑の嫌いな私にとって、関係者の小林武史が美里の新作を手がけると聞いたときは実にイヤーな気持ちになった。それから間もなくして届いたのがシングル”BIG WAVEやってきた”(93年7月1日発売)だった。これを買ったのCD出荷日だったから前日の6月30日である。学校帰りにCDショップでシングルCD(懐かしいねえ)を買って、真っすぐ家に帰って聴いてみた。
しかしパッと聴いた瞬間、「あれ?いつもと印象が違うぞ」とすぐに感じる。これまで(シングル”いつかきっと”まで)は聴いた瞬間にグッと惹き付けられるような力が彼女の音楽には確かにあった。しかし、今回のこのシングルにはそうしたものが見られなかったからだ。それはカップリング曲(この表現も今は使われないだろうな)の”素直に泣ける日笑える日”についても同様だった。この日はシングルを通しで10回聴いた。これほど1枚のシングルを続けて聴いたことは無いが(これが最初で最後かな)、それでも体や頭に曲が入ってくることはなかった。
何度も日記で書いているが、当時の私は渡辺美里の「信者」であった。自分にとって手に届かない、もう神か仏かのような存在とまで彼女を思っていた。しかしこのCDを聴いた時、
「あれ?いままでのようなマジックが無い」
と感じた。この人は必ずしも完璧な存在ではないのでは?と思った最初の瞬間である。
この先行シングルで失望した矢先、さらに酷い事態が起きる。7月12日に北海道奥尻島へ津波が襲い約200人が命を落とす大惨事だ。北海道南西沖地震である。泉谷しげるがゲリラ風な募金活動を始めたのがこの頃だが、あの津波がきっかけで”BIG WAVEやってきた”はラジオやテレビで放送自粛をされてしまう。ファンとしてはなんともやりきれない気持ちだった。そうした流れの中、7月21日にアルバム「BIG WAVE」が発売される。これも出荷日当日に買ったから手に入れたのは7月20日だ。
正直いって、これを最初に聴いたときの印象ははっきりとは覚えていない。ただ、彼女の声や音質がこれまで全く違う印象を受けたのは確かである。そして、それは全く肯定的に受け入れることができないものだった。パッと聴いて良いなと思ったのは”いつかきっと”(小林武史と組む前に作られたシングル曲)だけである。
その他の曲は軒並み「パッとしないなあ」というのが正直なところであった。ファンク色の強い最初の3曲は未だに好きになれない(ライブではほぼ必ず演奏される”ジャングル チャイルド”はもはや「嫌い」の領域である)。”はじめて”という曲の歌詞は、
「盗んだ自転車 二人乗りして」
というフレーズが出てくるが、堅物なほど生真面目な彼女の世界観にはなじまない印象を受ける。”さえない20代”にいたってはタイトルからしてなあ・・・という感じで、実際の楽曲についても「本当にさえないですねえ」と思うような雰囲気に満ちている。
確かに色々な挑戦はしている。アルバム制作に関わる人も一新されており、大江千里や小室哲哉といったいつもの楽曲提供者の名前がない。そのほか曲調や歌詞などにも変化をしようとした痕跡はいたるところで見つけることができる。だが、しかしである。こうしたことがどれほど成功しているかといわれると、私はほとんど否定的な意見しか出てこない。
これまで一番決定的に違うことは、彼女の音楽から出てくる力が大幅に無くなっていたことである。それは”BIG WAVEやってきた”を聴いた時と同じ印象であった。それはサウンドが原因なのか、彼女が歌唱法を変えたのか、そもそも彼女の力が失われたのか、そこのところがどうもわからない。もっと専門的な解説をしてくれる人が出てくることを望んでいるのだが、未だに誰もしてくれない。そこで私が今回いろいと書いてみたものの、このような印象論が限界である。
根本的なことをいうと、渡辺美里という人は器用な表現者ではない。新しいことをいくつもこなせる柔軟さを持っていない。あくまで彼女は歌手やパフォーマーという面で優れていたわけであり、新進気鋭なアーティストというタイプではないのだ。また、肝心の聴き手が彼女に対して大きな変化を望んでいたかという大きな問題もある。少なくとも私はそんなことを願ったことはこれまで一度もない。それはともかく、このアルバムを契機に多くのファンは失望し彼女から離れていった。「BIG WAVE」はオリコン1位を獲得し前作なみのセールスを記録したものの、翌年に出た「BABY FAITH」(94年)は半分ほどの売り上げに落ち込んでいるのがその証拠だ。
露骨にいえば、「BIG WAVE」は渡辺美里が新しい挑戦を無理にして失敗してしまった作品といえる。そして、その軌道修正ができないまま現在に至っているというのが私の見方である。
このアルバムを聴くたびに、
「こういう無意味な方向転換をしなければ、果たして彼女はどうなっていたのだろう・・・」
とやりきれない気持ちになるのが辛い。しかしこういう「たら、れば」の話をしても今ではもう意味がない。このアルバムは彼女自身にとってもファンにとっても十字路となる作品である。
この年も彼女のライブを観ることができたが(93年12月19日、北海道厚生年金会館)、それほど強い印象は残っていない.93年が終わる頃には彼女に対する熱意も相当に薄れていった。私の「信者歴」は2年ほどで終わってしまった。夢中になれる存在がいなくなるというのは悲しいことである一方、自分にとっては実に貴重な経験であったことも間違いない。何かにベッタリと依存するような真似はこれが最初で最後にすることができたからだ。これ以後の私はどんなものに対しても「完璧なものなどはない」という姿勢に接するようになっていく。これは自分にとって大きな変化であろう。
また、もしこの前年(92年8月18日、真駒内アイスアリーナ)に彼女のライブを観ていなかったら、自分にとってこれほどの存在にはなっていなかったことも間違いない。信者どころかファンになっていたどうかかも怪しいところだ。さらにいえば、京都というのは彼女の出身地(厳密には京都市内ではなく精華町だが)ということで頭に入っていたので、彼女との繋がりがなければ大学に京都の地を選んでなかったかもしれない。
そんなことをあれこれ考えてみると、人生にはいたるところに十字路が張り巡らされているのだろう。その時の本人は気づかないとしても。
渡辺美里 大阪公演「25th Anniversary 渡辺美里コンサートツアー2010 Wonderful Moments パレード!パレード!」(10年10月23日、NHK大阪ホール)
2010年10月23日 渡辺美里また日記を書く間隔が空いてきている。別に寝る間も無いとかいった極端な状態に陥っているわけではないが、書くことがパッと頭に浮かばない。自分の心に余裕がないのだろう。今月に入ってから1日が終わるのがアッという間だ。
日垣隆(作家・ジャーナリスト)さんは岡本吏郎(経営コンサルタント)との共著「世界一利益に直結する『ウラ』経営学」(08年。アスコム)で、
<お金とか資産には限界がなくて財産を増やすことはできるかもしれないけれど、誰にとっても自分の時間には限界があります。
だいたい35歳くらいまではがむしゃらに働いていればいいと思うのですけれど、ある時期から時間というものがどれだけ重要か、何ものにも代えがたいものなのかがわかってくる。>(P.94)
と話していた。最近は頭の中でこの言葉が幾度となくグルグル回っている。
現状では平日にライブに行くような真似は無理だ。そんな時間を作るような調整は今の自分にはできない。それゆえ今日のライブが土曜日だったのは本当に幸いだった。また開演は5時とけっこう早い時間なのもありがたい。余裕を持って家に戻ることができる。
タイトルに「25th Anniversary」と冠が付いているように、今回のツアーは新作アルバムを伴ったものではない。ファンクラブで取った今日のチケットにはこれまで出したアルバムがズラッと印刷されている。彼女のキャリアから満遍なく選曲されるのかなと予測していた。しかし冒頭は最新シングルの”ニューワールド”で、それから”ムーンライト ピクニック”、”とびだせ青春”と、少し変わった流れに感じで始まる。
今回のライブで最も驚いたのはこの次の部分で、”若きモンスターの逆襲”、そして”君の弱さ”が飛び出してきたことだ。「BIG WAVE」(93年)に収録されている””若きモンスターの逆襲”はこの年の「BIG WAVE ’93」以来の披露だと思う。私も札幌公演(93年12月19日、北海道厚生年金会館)、実に17年ぶりに生で聴いたわけだ。当時の私はまだ高校2年である。
「最近は忙しいとか辛いとかボヤいてばかりだけど、この時期の方が大変だったなあ。円形脱毛症にもなったし・・・」
そんなこと思いながらステージを観ていた。オリジナル・アルバム未収録の「隠れた名曲」の”君の弱さ”は昨年大晦日のカウントダウン・ライブのメドレーで触りだけ歌ったけれど、フル・コーラスで聴きたい!という声が大きかったので演奏したとMCで語っていた。まさか再演されると思わなかったので、この2曲は嬉しい不意打ちといえる。この時点で個人的にはもう満足な心境だった。
演奏曲目は下に記しているが、特に「今年は25周年!」という気負いはそれほど無いものの、しかしけっこう考えたかなという痕跡が見えてくる。中盤は落ち着いた感じの曲を並べ、最後は”ジャングルチャイルド”から”恋したっていいじゃない”までの盛り上がる曲、そしてアンコールは代表曲が続く。振り返ってみてれば最近のライブの流れはずっとこんな感じだったかもしれない。しかし個人的には今回の選曲が非常にしっくりときた。
おそらくその理由は、美里本人とバンドの調子が今までにないほど良かったことだろう。美里本人はこの夏に山梨のライブに比較するとずっと調子よく堂々と歌っていた。また、私はバンドの良し悪しなどあまりわからないのだが、サックスの竹野昌邦がステージ前に何度も駆け回るなど全体がいままでにないほど生き生きとした感じを受けた。彼らも演奏の出来には満足しているようで、ライブが終わった後でメンバー同士がハイ・タッチをするという光景も始めて見た気がする。
それから、あのアンコールの「美里!チャチャチャ!」が発生しなかったのがさらに良い。おかげで気持ちよく家路に付けた。このことも触れておきたい。
10月30日に行く予定だった中島美嘉のライブが中止になってガックリきていたところだったが、それをカバーして余りあるほど今夜のライブは素晴らしかった。素直にそう思った次第である。最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)ニューワールド〜新しい世界へと〜
(2)ムーンライト ピクニック
(3)とびだせ青春
(4)若きモンスターの逆襲
(5)君の弱さ
(6)素顔
(7)始まりの詩、あなたへ
(8)春の日 夏の陽 日曜日
(9)ココロ銀河
(10)シンシアリー(Sincerely)
(11)Overture/ジャングルチャイルド
(12)パイナップルロマンス
(13)新曲(”世界中にkissの嵐を”?)
(14)My Revolution
(15)恋したっていいじゃない
<アンコール>
(16)10 years
(17)サマータイムブルース
(18)すき
(19)Growin’ Up/Can’t Take My Eyes Off You
(20)Lovin’ You
日垣隆(作家・ジャーナリスト)さんは岡本吏郎(経営コンサルタント)との共著「世界一利益に直結する『ウラ』経営学」(08年。アスコム)で、
<お金とか資産には限界がなくて財産を増やすことはできるかもしれないけれど、誰にとっても自分の時間には限界があります。
だいたい35歳くらいまではがむしゃらに働いていればいいと思うのですけれど、ある時期から時間というものがどれだけ重要か、何ものにも代えがたいものなのかがわかってくる。>(P.94)
と話していた。最近は頭の中でこの言葉が幾度となくグルグル回っている。
現状では平日にライブに行くような真似は無理だ。そんな時間を作るような調整は今の自分にはできない。それゆえ今日のライブが土曜日だったのは本当に幸いだった。また開演は5時とけっこう早い時間なのもありがたい。余裕を持って家に戻ることができる。
タイトルに「25th Anniversary」と冠が付いているように、今回のツアーは新作アルバムを伴ったものではない。ファンクラブで取った今日のチケットにはこれまで出したアルバムがズラッと印刷されている。彼女のキャリアから満遍なく選曲されるのかなと予測していた。しかし冒頭は最新シングルの”ニューワールド”で、それから”ムーンライト ピクニック”、”とびだせ青春”と、少し変わった流れに感じで始まる。
今回のライブで最も驚いたのはこの次の部分で、”若きモンスターの逆襲”、そして”君の弱さ”が飛び出してきたことだ。「BIG WAVE」(93年)に収録されている””若きモンスターの逆襲”はこの年の「BIG WAVE ’93」以来の披露だと思う。私も札幌公演(93年12月19日、北海道厚生年金会館)、実に17年ぶりに生で聴いたわけだ。当時の私はまだ高校2年である。
「最近は忙しいとか辛いとかボヤいてばかりだけど、この時期の方が大変だったなあ。円形脱毛症にもなったし・・・」
そんなこと思いながらステージを観ていた。オリジナル・アルバム未収録の「隠れた名曲」の”君の弱さ”は昨年大晦日のカウントダウン・ライブのメドレーで触りだけ歌ったけれど、フル・コーラスで聴きたい!という声が大きかったので演奏したとMCで語っていた。まさか再演されると思わなかったので、この2曲は嬉しい不意打ちといえる。この時点で個人的にはもう満足な心境だった。
演奏曲目は下に記しているが、特に「今年は25周年!」という気負いはそれほど無いものの、しかしけっこう考えたかなという痕跡が見えてくる。中盤は落ち着いた感じの曲を並べ、最後は”ジャングルチャイルド”から”恋したっていいじゃない”までの盛り上がる曲、そしてアンコールは代表曲が続く。振り返ってみてれば最近のライブの流れはずっとこんな感じだったかもしれない。しかし個人的には今回の選曲が非常にしっくりときた。
おそらくその理由は、美里本人とバンドの調子が今までにないほど良かったことだろう。美里本人はこの夏に山梨のライブに比較するとずっと調子よく堂々と歌っていた。また、私はバンドの良し悪しなどあまりわからないのだが、サックスの竹野昌邦がステージ前に何度も駆け回るなど全体がいままでにないほど生き生きとした感じを受けた。彼らも演奏の出来には満足しているようで、ライブが終わった後でメンバー同士がハイ・タッチをするという光景も始めて見た気がする。
それから、あのアンコールの「美里!チャチャチャ!」が発生しなかったのがさらに良い。おかげで気持ちよく家路に付けた。このことも触れておきたい。
10月30日に行く予定だった中島美嘉のライブが中止になってガックリきていたところだったが、それをカバーして余りあるほど今夜のライブは素晴らしかった。素直にそう思った次第である。最後に曲目を記す。
【演奏曲目】
(1)ニューワールド〜新しい世界へと〜
(2)ムーンライト ピクニック
(3)とびだせ青春
(4)若きモンスターの逆襲
(5)君の弱さ
(6)素顔
(7)始まりの詩、あなたへ
(8)春の日 夏の陽 日曜日
(9)ココロ銀河
(10)シンシアリー(Sincerely)
(11)Overture/ジャングルチャイルド
(12)パイナップルロマンス
(13)新曲(”世界中にkissの嵐を”?)
(14)My Revolution
(15)恋したっていいじゃない
<アンコール>
(16)10 years
(17)サマータイムブルース
(18)すき
(19)Growin’ Up/Can’t Take My Eyes Off You
(20)Lovin’ You
我が生涯最高のライブ(1992年8月18日、真駒内アイスアリーナ)
2010年8月18日 渡辺美里いまから18年前の今日は、私がこれまでの人生で最も衝撃的な経験をした日である。もはやはっきりと思い出せないことも多いけれど、日記ではいままでこの話をしたことがなかったのでこれを機会になんとか文章にしてみたい。
当時の私は高校1年生で、北海道は室蘭市にある公立高校に通っていた。そして8月18日は確か2学期が始まった日で(北海道の夏休み期間は短く、25日くらいしかない)、その学校の始まりはいつもテストが実施される。それが終わって校舎を出ると父親が車で待っていた。そのまま3時間ほど走り札幌方面に向かう。格好は学生服だったので車中で私服に着替えていた。そうして到着した先が、1万人ほど収容できる真駒内アイスアリーナであった。ここで私は生まれて初めて「ライブ」というものを観ることになる。そしてステージに立つのは、昨日まではCDやラジオの中の存在でしかなかった、渡辺美里である。
何度も同じことを書いてるような気もするけれど、当時「明治生命」のCMで動く彼女を観てファンになって以来、彼女のパフォーマンスや歌声を生で体験したいとずっと願い続けていた。それが実現したのが今から18年前のことだった。この年の彼女は「スタジアム伝説’92」というスタジアム級の会場を回るツアーをおこなっていた。
会場がどんな感じだったかというようなことは全く覚えていない。ただ強く記憶に残っていることが2つだけある。一つは、入場する時のチラシと一緒にツアーの日程と美里の写真が印刷された下敷きが入っていたことだ。下敷きを無料でもらった記憶はいままで100本以上観たライブでも経験が無い。当時は明治生命がスポンサーについていたりと景気も良かったのだろう。
もう一つの記憶は、会場へ向かう私の前に当時STV(札幌テレビ放送)のアナウンサーだった「船守さちこ」(現在はフリーアナウンサー、音楽評論家)さんがいたことである。その頃の私はラジオやテレビでSTVに親しんでいたので、そこのアナウンサーが眼前にいるというのもなかなか新鮮な経験であった。確か、友だちも一緒に来てるんですけど、とか言っていた気がする。マスコミ関係者として無料で観ていたのだろう。あとはグッズ売り場でデビュー曲”I’m free”を入手したことくらいだろうか。そんなことをしながら客席に向かう。
座席は2階スタンド席の右側だった。北海道での彼女の人気は他府県ほどではなかったので、入りは8割くらい。場内はスモークが炊かれていて、その向こうのステージには、ライブの告知CMにも出てきた大きな大きなメリー・ゴーランドがドンと中央に置かれている。この光景には本当に驚いた。ライブが始まる前から体中に鳥肌が立っていたことが忘れられない。こうした経験もいままでの人生で空前絶後のことである。そうした異様なテンションのまま、セルフカバー・アルバム「HELLO LOVERS」(92年)バージョンの”サマータイムブルース”のイントロが鳴り、花火がボンと音を立ててついにライブの始まりである。この日の主役はメリーゴーランドの上から登場した。
初めて生で聴く美里の歌声を聴いた第一印象は、
「CDよりずっとしゃがれた声だなあ!」
だった。歌もMCもかなりガラガラ声だ。しかしながら、スタジアム規模の会場でもいっぱいに響き渡る彼女の迫力は、CDやライブ・ビデオを遥かに超えて凄まじい。
曲順もおぼろげだが、冒頭ではパイナップルロマンス”、”大冒険”、”シャララ”あたりのアップ・テンポな曲が並んだ。そして中盤の”19才の秘かな欲望”で現在は観ることのできない、スタジアムの端まで生声を響かせるパフォーマンスを披露する。これにはさらにテンションが上がる。そして本編最後では最も聴きたかった”夏が来た!”が飛び出して感無量の状態に。1回目のアンコールで”泣いちゃいそうだよ”と”JUMP”、2回目のアンコールは新曲”メリーゴーランド”、最後に”恋したっていいじゃない”という流れで、最後の最後まで勢いが止まらぬまま駆け抜けるようにライブが幕を閉じた。
驚くことにこの日の選曲には代表曲である”My Revolution”も”10 years”も入っていない。西武球場での曲目にも入っていないところを見ると、ツアーを通しても披露されなかったと思われる。この2曲は当時も人気はあったが、この時の彼女は歌うのに飽きていたのだろうか。だがこれらの曲を封印するというだけでも、あの頃の彼女がどれほど自信を持っていたかがうかがわれる。
ところで私がこの日のライブを「生涯最高」と位置づけているのは、当時の彼女がアーティストとして全盛期だった、という彼女側の要因ばかりではない。客席でステージを観ていた私自身のテンションも異常なほどに高かったからだ。そして、それもまた二度と再現できるものではないものである。
そんなライブが終わった時にはすっかり私は彼女の信者になっていた。それに対してどう思うかは他人の自由だけれど、この日を超えるライブを(彼女自身のライブも含めて)現在まで観ることができなかったことを思えば、それも自分の運命だったというしかない。
それにしても、生まれて初めて観たライブが生涯最高のものになったという事実は、私の中でずっと心の拠り所になっているような気がしてならない。人生の節目節目でこんなことを思う時があるからだ。
これほど凄いものが観られるのだったらこんな世の中でもまだ生きている価値があるかもしれない、と。
最後に、参考資料としてネットで拾ったこの日の曲目を記す。ただし、残念ながら順不同である。
悲しいボーイフレンド
19才の秘かな欲望〜NEWS
Steppin’Now
Lovin’you
Boys Cried(あの時からかもしれない)
It’s Tough
恋したっていいじゃない
シャララ
やるじゃん女の子
跳べ模型ヒコーキ
パイナップルロマンス
サマータイムブルース
恋するパンクス
Boys kiss Girls
夏が来た!
大冒険
JUMP
泣いちゃいそうだよ
青空
メリーゴーランド
当時の私は高校1年生で、北海道は室蘭市にある公立高校に通っていた。そして8月18日は確か2学期が始まった日で(北海道の夏休み期間は短く、25日くらいしかない)、その学校の始まりはいつもテストが実施される。それが終わって校舎を出ると父親が車で待っていた。そのまま3時間ほど走り札幌方面に向かう。格好は学生服だったので車中で私服に着替えていた。そうして到着した先が、1万人ほど収容できる真駒内アイスアリーナであった。ここで私は生まれて初めて「ライブ」というものを観ることになる。そしてステージに立つのは、昨日まではCDやラジオの中の存在でしかなかった、渡辺美里である。
何度も同じことを書いてるような気もするけれど、当時「明治生命」のCMで動く彼女を観てファンになって以来、彼女のパフォーマンスや歌声を生で体験したいとずっと願い続けていた。それが実現したのが今から18年前のことだった。この年の彼女は「スタジアム伝説’92」というスタジアム級の会場を回るツアーをおこなっていた。
会場がどんな感じだったかというようなことは全く覚えていない。ただ強く記憶に残っていることが2つだけある。一つは、入場する時のチラシと一緒にツアーの日程と美里の写真が印刷された下敷きが入っていたことだ。下敷きを無料でもらった記憶はいままで100本以上観たライブでも経験が無い。当時は明治生命がスポンサーについていたりと景気も良かったのだろう。
もう一つの記憶は、会場へ向かう私の前に当時STV(札幌テレビ放送)のアナウンサーだった「船守さちこ」(現在はフリーアナウンサー、音楽評論家)さんがいたことである。その頃の私はラジオやテレビでSTVに親しんでいたので、そこのアナウンサーが眼前にいるというのもなかなか新鮮な経験であった。確か、友だちも一緒に来てるんですけど、とか言っていた気がする。マスコミ関係者として無料で観ていたのだろう。あとはグッズ売り場でデビュー曲”I’m free”を入手したことくらいだろうか。そんなことをしながら客席に向かう。
座席は2階スタンド席の右側だった。北海道での彼女の人気は他府県ほどではなかったので、入りは8割くらい。場内はスモークが炊かれていて、その向こうのステージには、ライブの告知CMにも出てきた大きな大きなメリー・ゴーランドがドンと中央に置かれている。この光景には本当に驚いた。ライブが始まる前から体中に鳥肌が立っていたことが忘れられない。こうした経験もいままでの人生で空前絶後のことである。そうした異様なテンションのまま、セルフカバー・アルバム「HELLO LOVERS」(92年)バージョンの”サマータイムブルース”のイントロが鳴り、花火がボンと音を立ててついにライブの始まりである。この日の主役はメリーゴーランドの上から登場した。
初めて生で聴く美里の歌声を聴いた第一印象は、
「CDよりずっとしゃがれた声だなあ!」
だった。歌もMCもかなりガラガラ声だ。しかしながら、スタジアム規模の会場でもいっぱいに響き渡る彼女の迫力は、CDやライブ・ビデオを遥かに超えて凄まじい。
曲順もおぼろげだが、冒頭ではパイナップルロマンス”、”大冒険”、”シャララ”あたりのアップ・テンポな曲が並んだ。そして中盤の”19才の秘かな欲望”で現在は観ることのできない、スタジアムの端まで生声を響かせるパフォーマンスを披露する。これにはさらにテンションが上がる。そして本編最後では最も聴きたかった”夏が来た!”が飛び出して感無量の状態に。1回目のアンコールで”泣いちゃいそうだよ”と”JUMP”、2回目のアンコールは新曲”メリーゴーランド”、最後に”恋したっていいじゃない”という流れで、最後の最後まで勢いが止まらぬまま駆け抜けるようにライブが幕を閉じた。
驚くことにこの日の選曲には代表曲である”My Revolution”も”10 years”も入っていない。西武球場での曲目にも入っていないところを見ると、ツアーを通しても披露されなかったと思われる。この2曲は当時も人気はあったが、この時の彼女は歌うのに飽きていたのだろうか。だがこれらの曲を封印するというだけでも、あの頃の彼女がどれほど自信を持っていたかがうかがわれる。
ところで私がこの日のライブを「生涯最高」と位置づけているのは、当時の彼女がアーティストとして全盛期だった、という彼女側の要因ばかりではない。客席でステージを観ていた私自身のテンションも異常なほどに高かったからだ。そして、それもまた二度と再現できるものではないものである。
そんなライブが終わった時にはすっかり私は彼女の信者になっていた。それに対してどう思うかは他人の自由だけれど、この日を超えるライブを(彼女自身のライブも含めて)現在まで観ることができなかったことを思えば、それも自分の運命だったというしかない。
それにしても、生まれて初めて観たライブが生涯最高のものになったという事実は、私の中でずっと心の拠り所になっているような気がしてならない。人生の節目節目でこんなことを思う時があるからだ。
これほど凄いものが観られるのだったらこんな世の中でもまだ生きている価値があるかもしれない、と。
最後に、参考資料としてネットで拾ったこの日の曲目を記す。ただし、残念ながら順不同である。
悲しいボーイフレンド
19才の秘かな欲望〜NEWS
Steppin’Now
Lovin’you
Boys Cried(あの時からかもしれない)
It’s Tough
恋したっていいじゃない
シャララ
やるじゃん女の子
跳べ模型ヒコーキ
パイナップルロマンス
サマータイムブルース
恋するパンクス
Boys kiss Girls
夏が来た!
大冒険
JUMP
泣いちゃいそうだよ
青空
メリーゴーランド
25年目の節目だったら、これくらいしないとね
2010年5月26日 渡辺美里渡辺美里の公式サイトから、
「25周年記念リリース第3弾!!発売決定!!!」
というメールが届いた。シングル・コレクションに続いて、今度はアルバムのボックス・セットを出すという。内容は以下の通り。
デビュー25周年記念!
超豪華アルバムボックス発売決定!!
<タイトル>
Misato Watanabe 25th Anniversary Album Box
『Wonderful Moments 25th』
<発売日>
2010年8月25日(水)
<価格・品番>
税込39,250円(“サンキュー25周年”価格!)
品番:ESCL 20040〜20060
<内容>
1985年のデビューアルバム「eyes」から2007年リリースの「ココロ銀河」まで、発表された17タイトルのオリジナルアルバムに加え、現在では入手困難なライブアルバム「Live Love Life」を加えた全18タイトルをまとめたアルバムボックス。これまでに発表されてきた全てのフルサイズアレンジの「My Revolution」を収録した8cmCD(未発表のライブ音源も収録。)、さらに商品化されていない美里の貴重な映像集を収録したDVD、そして豪華歌詞ブックレット、アルバムのブックレットで使用されてきた写真をまとめた豪華フォトブックつき。
※20CD+1DVD=全21枚組
各CDはLPでの発売があったものは忠実に当時のジャケットをCDサイズの紙ジャケで再現!
CDで発売されていたものも今回だけの紙ジャケ仕様。
<収録内容>
1st「eyes」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
2nd「Lovin’ you」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング ※2枚組
3rd「BREATH」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
4th「ribbon」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
5th「Flower bed」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
6th「tokyo」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
7th「Lucky」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
8th「BIG WAVE」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
9th「Baby Faith」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
10th「Spirits」…Blu-spec CD仕様
11th「ハダカノココロ」…Blu-spec CD仕様
12th「Love Go Go!!」…Blu-spec CD仕様
13th「ソレイユ」…Blu-spec CD仕様
14th「ORANGE」…Blu-spec CD仕様
15th「Blue Butterfly」…Blu-spec CD仕様
16th「Sing and Roses〜歌とバラの日々〜」…Blu-spec CD仕様
17th「ココロ銀河」…Blu-spec CD仕様
●「My Revoluion」8cm CD(リマスタリング)
1.My Revolution
2.My Revolution -2章-
3.My Revolution -Dear My Songs Ver.-
4.My Revolution -2003年のLIVE ver.- ※初音源化
●ライブアルバム「Live Love Life」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
●過去の美里の貴重な映像集を収録したDVD
●シリアルナンバー入り
CD20枚、DVD1枚で3万9250円は高いのかお得なのか判断がつかないけれど(単純に枚数で割れば1枚あたり1869円ほど)、25周年の節目だしこれくらいのものを出しても良いだろうと個人的には思う。私も1セット面倒みさせてもらおうか。
ただ、また愚痴になってしまうが、セルフ・カバーアルバム「HELLO LOVERS」(92年)がこのボックスに含まれなかったのは残念でならない。セルフカバーはオリジナルアルバムでない、という判断をされたのだろう。それはそれで仕方ないが。
それにせっかくボックスを作るならば、アルバム未収録のシングルB面曲とかも・・・いや、もうこれ以上の発言は差し控えよう。15周年や20周年の時に出したベスト盤に比べれば、ずっと正当な記念商品なのだから。
しかしながら最初に内容を見た時、
「何度数えてもCDは合計19枚だけど?他に特典CDでもあるのか?」
と思っていたが、ずっと後になって「Lovin’ you」が2枚組のCDだったことに気づいた。
「25周年記念リリース第3弾!!発売決定!!!」
というメールが届いた。シングル・コレクションに続いて、今度はアルバムのボックス・セットを出すという。内容は以下の通り。
デビュー25周年記念!
超豪華アルバムボックス発売決定!!
<タイトル>
Misato Watanabe 25th Anniversary Album Box
『Wonderful Moments 25th』
<発売日>
2010年8月25日(水)
<価格・品番>
税込39,250円(“サンキュー25周年”価格!)
品番:ESCL 20040〜20060
<内容>
1985年のデビューアルバム「eyes」から2007年リリースの「ココロ銀河」まで、発表された17タイトルのオリジナルアルバムに加え、現在では入手困難なライブアルバム「Live Love Life」を加えた全18タイトルをまとめたアルバムボックス。これまでに発表されてきた全てのフルサイズアレンジの「My Revolution」を収録した8cmCD(未発表のライブ音源も収録。)、さらに商品化されていない美里の貴重な映像集を収録したDVD、そして豪華歌詞ブックレット、アルバムのブックレットで使用されてきた写真をまとめた豪華フォトブックつき。
※20CD+1DVD=全21枚組
各CDはLPでの発売があったものは忠実に当時のジャケットをCDサイズの紙ジャケで再現!
CDで発売されていたものも今回だけの紙ジャケ仕様。
<収録内容>
1st「eyes」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
2nd「Lovin’ you」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング ※2枚組
3rd「BREATH」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
4th「ribbon」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
5th「Flower bed」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
6th「tokyo」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
7th「Lucky」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
8th「BIG WAVE」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
9th「Baby Faith」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
10th「Spirits」…Blu-spec CD仕様
11th「ハダカノココロ」…Blu-spec CD仕様
12th「Love Go Go!!」…Blu-spec CD仕様
13th「ソレイユ」…Blu-spec CD仕様
14th「ORANGE」…Blu-spec CD仕様
15th「Blue Butterfly」…Blu-spec CD仕様
16th「Sing and Roses〜歌とバラの日々〜」…Blu-spec CD仕様
17th「ココロ銀河」…Blu-spec CD仕様
●「My Revoluion」8cm CD(リマスタリング)
1.My Revolution
2.My Revolution -2章-
3.My Revolution -Dear My Songs Ver.-
4.My Revolution -2003年のLIVE ver.- ※初音源化
●ライブアルバム「Live Love Life」…Blu-spec CD仕様・リマスタリング
●過去の美里の貴重な映像集を収録したDVD
●シリアルナンバー入り
CD20枚、DVD1枚で3万9250円は高いのかお得なのか判断がつかないけれど(単純に枚数で割れば1枚あたり1869円ほど)、25周年の節目だしこれくらいのものを出しても良いだろうと個人的には思う。私も1セット面倒みさせてもらおうか。
ただ、また愚痴になってしまうが、セルフ・カバーアルバム「HELLO LOVERS」(92年)がこのボックスに含まれなかったのは残念でならない。セルフカバーはオリジナルアルバムでない、という判断をされたのだろう。それはそれで仕方ないが。
それにせっかくボックスを作るならば、アルバム未収録のシングルB面曲とかも・・・いや、もうこれ以上の発言は差し控えよう。15周年や20周年の時に出したベスト盤に比べれば、ずっと正当な記念商品なのだから。
しかしながら最初に内容を見た時、
「何度数えてもCDは合計19枚だけど?他に特典CDでもあるのか?」
と思っていたが、ずっと後になって「Lovin’ you」が2枚組のCDだったことに気づいた。
本日5月2日は渡辺美里がシングル”I’m free”で「レコード・デビュー」した日である。
その年は1985年だから、そこから25年目を迎えたことになる。だからどうしたと言われたら正直にいって返答に窮するけれど。
私が彼女の7枚目のアルバム「lucky」(91年)初めて買ってからも19年の月日が経つわけだ。だからどうしたと言われたら、また返す言葉もないけれど、ともかくそれだけの年月を重ねてしまった。
あまり自慢できる話ではないけれど、中学3年から高校2年の前半くらいまでの私は明らかに彼女の「信者」だった。それは否定しない。
「この人に一生付いていこう」
そう心に決めたのは1992年8月18日、北海道は真駒内アイスアリーナで初めて彼女のライブを観た経験を抜きには語れない。あれで私の音楽観、いやもしかしたら人生観も決まったような気がする。それほどまでにあの日の体験はもの凄い経験だった。それだけは確信をもって言える。
ただ、もはや「信者」ではない私からの正直な感想を言わせてもらえば、シングル”いつかきっと”(93年)より後の彼女は迷走、いや露骨にいえば凋落の一途をたどっていくことになる。私のファン歴は、そんな姿を見続ける歴史といってもよい。しかしいまだにライブ会場に足を運んでいるというのも、不思議といえば不思議ではあるが。
98年のアルバム「ハダカノココロ」を聴いた時、
「この人は本当に終わったんだな」
と感じてしまったのをいまでもよく覚えている。彼女に対して一番失望したのはこの時期だった。
しかし、彼女のファンを辞めるという選択は私にはどうにもできない。98年から2000年くらいまでの時期の作品やライブは端から見ても辛かったけれど、それでも私はCDを買いライブ会場にも足を運んできた。
そんな中で私自身の人生もいろいろと面倒なことが起こってくる。大学を卒業するも進路がなく、そのまま社会に放り出されて路頭に迷いかけてもいた。初めて当時の「西武ドーム」(もはや西武球場にはドームがかかっていたが)のライブに行ったのもこの時だった。2000年8月5日、西武ライブ15年目の話である。この時のライブは、自分の中では本当に素晴らしかった。彼女が涙を浮かべながらに歌う”サンキュ”を聴いた時、やはりこの人を観てきて良かったと心の底から感じたものである。この時の思いを抱いてこれまで生きてきたような気もする。世間からの評価はどうか。それはもはや知る由もないが、彼女が自分に与えてくれたものはやはり大きかったとしか言うしかない。
今年はデビュー25周年ということもあり、昨日ニッポン放送でラジオ特別番組「渡辺美里のオールナイトニッポンGOLD」が放送された。らしくもなく私はメールで番組に投稿をした。その文章の中で雑誌「Quink Japan」(太田出版)で山下達郎の特集が組まれた時の彼の発言を引用している。
「右に行こうと左に行こうと、変化の時はいつでもそうやっていわれるものなんだ。たとえばあなたが小説を書いたり、映画やTVのシナリオを書いたりすればよく分かる。不特定多数の衆目に晒されると、自分が想像もしていなかった批判が登場する。始めのうちは迷ったり傷付いたりするけど、何度もそういうことに遭遇すると、結局自分のやりたいことで行くしかなくなるんだよ。一体どれくらいの比率の聴衆を代表しているのか分からないような意見に一喜一憂することをやめれば、やるべきことは自ずと見えてくるんだ。チャート1位になっても、片隅にいることから逃げられない。なら自分しかできないことをやろう、と。」
残念ながら番組では採用されなかったけれど(当たり前か)、果たして彼女はこのメッセージをどう読んでくれたのだろうか。10年経とうが20年経とうが、渡辺美里は渡辺美里を続けるしかない。良し悪しとかではなくて、もはやそれしかないと個人的には結論づけている。自分の意志の続く限りは彼女の行く末を追いかけていきたい。いまはそう考えている。
その年は1985年だから、そこから25年目を迎えたことになる。だからどうしたと言われたら正直にいって返答に窮するけれど。
私が彼女の7枚目のアルバム「lucky」(91年)初めて買ってからも19年の月日が経つわけだ。だからどうしたと言われたら、また返す言葉もないけれど、ともかくそれだけの年月を重ねてしまった。
あまり自慢できる話ではないけれど、中学3年から高校2年の前半くらいまでの私は明らかに彼女の「信者」だった。それは否定しない。
「この人に一生付いていこう」
そう心に決めたのは1992年8月18日、北海道は真駒内アイスアリーナで初めて彼女のライブを観た経験を抜きには語れない。あれで私の音楽観、いやもしかしたら人生観も決まったような気がする。それほどまでにあの日の体験はもの凄い経験だった。それだけは確信をもって言える。
ただ、もはや「信者」ではない私からの正直な感想を言わせてもらえば、シングル”いつかきっと”(93年)より後の彼女は迷走、いや露骨にいえば凋落の一途をたどっていくことになる。私のファン歴は、そんな姿を見続ける歴史といってもよい。しかしいまだにライブ会場に足を運んでいるというのも、不思議といえば不思議ではあるが。
98年のアルバム「ハダカノココロ」を聴いた時、
「この人は本当に終わったんだな」
と感じてしまったのをいまでもよく覚えている。彼女に対して一番失望したのはこの時期だった。
しかし、彼女のファンを辞めるという選択は私にはどうにもできない。98年から2000年くらいまでの時期の作品やライブは端から見ても辛かったけれど、それでも私はCDを買いライブ会場にも足を運んできた。
そんな中で私自身の人生もいろいろと面倒なことが起こってくる。大学を卒業するも進路がなく、そのまま社会に放り出されて路頭に迷いかけてもいた。初めて当時の「西武ドーム」(もはや西武球場にはドームがかかっていたが)のライブに行ったのもこの時だった。2000年8月5日、西武ライブ15年目の話である。この時のライブは、自分の中では本当に素晴らしかった。彼女が涙を浮かべながらに歌う”サンキュ”を聴いた時、やはりこの人を観てきて良かったと心の底から感じたものである。この時の思いを抱いてこれまで生きてきたような気もする。世間からの評価はどうか。それはもはや知る由もないが、彼女が自分に与えてくれたものはやはり大きかったとしか言うしかない。
今年はデビュー25周年ということもあり、昨日ニッポン放送でラジオ特別番組「渡辺美里のオールナイトニッポンGOLD」が放送された。らしくもなく私はメールで番組に投稿をした。その文章の中で雑誌「Quink Japan」(太田出版)で山下達郎の特集が組まれた時の彼の発言を引用している。
「右に行こうと左に行こうと、変化の時はいつでもそうやっていわれるものなんだ。たとえばあなたが小説を書いたり、映画やTVのシナリオを書いたりすればよく分かる。不特定多数の衆目に晒されると、自分が想像もしていなかった批判が登場する。始めのうちは迷ったり傷付いたりするけど、何度もそういうことに遭遇すると、結局自分のやりたいことで行くしかなくなるんだよ。一体どれくらいの比率の聴衆を代表しているのか分からないような意見に一喜一憂することをやめれば、やるべきことは自ずと見えてくるんだ。チャート1位になっても、片隅にいることから逃げられない。なら自分しかできないことをやろう、と。」
残念ながら番組では採用されなかったけれど(当たり前か)、果たして彼女はこのメッセージをどう読んでくれたのだろうか。10年経とうが20年経とうが、渡辺美里は渡辺美里を続けるしかない。良し悪しとかではなくて、もはやそれしかないと個人的には結論づけている。自分の意志の続く限りは彼女の行く末を追いかけていきたい。いまはそう考えている。
iTunes Storeで買えたら良かったのだが・・・
2010年3月31日 渡辺美里
3月26日より、渡辺美里の新曲”ぼくらのアーチ”がネット配信でのみ発売された。ネット配信だったら「iTunes Store」でパッと買えると最初は思ったけれど、買うことができなかった。曲を検索しても、”ぼくらのアーチ”どころか、彼女の曲すら1曲も見つからないからだ。
そこで「ソニー・ミュージック・オフィシャルサイト」の美里のページを見てみると、「ぼくらのアーチ」と書かれたバナーがあったのでクリックしてみる。すると「mora(モーラ)」という音楽配信サイトに飛んだ。確かにそこでは”僕らのアーチ”が「210円」で売っている。しかし、ここでも曲を買うことができなかった。私のパソコンはMacのため、そこのサイトには対応していなかったからである。
しかたないので次善の策として携帯から楽曲を「420円」でダウンロードして買うことにした。これでなんとか無事に購入することができたものの、携帯のスピーカーから出てくる音はやはり今ひとつなのは否めない。部屋のどこかにある携帯専用のイヤホンを探さなければそれなりの音質では聴けないだろう。ちなみにiPodなどのイヤホンでは携帯に差し込むことができない形状になっている。
iTune Storeから買えばiPodにも入れられるし都合が良いのだが、それはアップルと同業他社のソニーが許さないということなのだろう。ウォークマンで取り込んで聴け、ということか。
そこで「ソニー・ミュージック・オフィシャルサイト」の美里のページを見てみると、「ぼくらのアーチ」と書かれたバナーがあったのでクリックしてみる。すると「mora(モーラ)」という音楽配信サイトに飛んだ。確かにそこでは”僕らのアーチ”が「210円」で売っている。しかし、ここでも曲を買うことができなかった。私のパソコンはMacのため、そこのサイトには対応していなかったからである。
しかたないので次善の策として携帯から楽曲を「420円」でダウンロードして買うことにした。これでなんとか無事に購入することができたものの、携帯のスピーカーから出てくる音はやはり今ひとつなのは否めない。部屋のどこかにある携帯専用のイヤホンを探さなければそれなりの音質では聴けないだろう。ちなみにiPodなどのイヤホンでは携帯に差し込むことができない形状になっている。
iTune Storeから買えばiPodにも入れられるし都合が良いのだが、それはアップルと同業他社のソニーが許さないということなのだろう。ウォークマンで取り込んで聴け、ということか。
【ディスク1】
(1)I’m Free
(2)GROWIN’ UP
(3) 死んでるみたいに生きたくない
(4) My Revolution
(5)Teenage Walk
(6) Long Night
(7)BELIEVE
(8) IT’S TOUGH
(9) 悲しいね
(10)恋したっていいじゃない
(11)センチメンタル カンガルー
(12)君の弱さ
(13)ムーンライト ダンス
(14)すき (Apricot Mix)
【ディスク2】
(1)虹をみたかい
(2)サマータイム ブルース
(3)恋するパンクス
(4)Power -明日の子供-
(5)卒業
(6)夏が来た!
(7)クリスマスまで待てない (雪だるま Version)
(8)My Revolution -第2章-
(9)泣いちゃいそうだよ
(10)メリーゴーランド
(11)いつか きっと
(12)BIG WAVE やってきた
(13)真夏のサンタクロース
【ディスク3】
(1)チェリーが3つ並ばない
(2)シンシアリー [Sincerely]
(3)世界で一番 遠い場所
(4)My Love Your Love ~たったひとりしかいない あなたへ~
(5)一緒だね
(6)夏の歌
(7)素顔
(8)太陽は知っている
(9)新しい日々
(10)もっと 遠くへ…
(11)荒ぶる胸のシンバル鳴らせ
(12)夏灼きたまご
(13)やさしく歌って -Killing me softly with his song-
【ディスク4】
(1)YOU ~新しい場所~
(2)12月の神様
(3)ドラえもんのうた
(4)小指
(5)十の秘密
(6)トマト
(7)おねがい太陽 ~夏のキセキ~
(8)青い鳥
(9)その手をつないで
(10)yes
(11)あしたの空
(12)始まりの詩、あなたへ
(13)Home Planet -地球こそ私の家 ※ボーナス・トラック
渡辺美里が「レコード・デビュー」したのは1985年5月2日のことである。デビュー曲がケニー・ロギンスの”I’m free”のカバーだったことを知っているのは熱心なファンくらいだろう。原曲は映画「フットルース」(84年)の挿入曲で、映画のサウンド・トラックにも収録されている。それにしてもMP3プレーヤー全盛の昨今からすれば、まだCDすら一般に流通してなかったレコードの時代は隔世の感がある。
今年は2010年で、彼女がデビューしてから25年を迎える。そんな節目ということもあり、これまでの全シングルを時系列に収めた4枚組アルバム「Song is Beautiful」がこのたび発売された。
振り返ってみれば、彼女がブランクらしきものもなく今まで25年間活動してきている。同世代のミュージシャンたちはレコード契約を打ち切られたり、また逮捕された人までいることを思えば、それはそれで一つの業績といえるかもしれない。いままで出した52枚のシングル曲はそれを物語っている。
これまでも何枚かベスト・アルバムを出しているけれど、全シングル収録という形のものは初めてのことだ。数はそれほどではないけれどアルバム未収録曲もあり(”君の弱さ”、”メリーゴーランド”、”12月の神様”、佐野元春とのデュエット曲”Home Planet-地球こそ私の家”、そして最近出たシングル3曲)、それらが復活したのは歓迎すべきことだろう。
しかしながら、それならばシングルのカップリング曲も全て収録する徹底ぶりを見せてほしかった。それでたとえ倍の値段になったとしても、買う人は買う。どうせ今の彼女のCDを買う人など限られているのだから、なるべく利益率が高いほうが良い。実際、私は最初JEUGIA三条本店に入ったがアルバムは置いてなく、その近くのジュンク堂のCDコーナーでこれを見つけた。JEUGIAに置いてあったのは買われてしまったのか、それとも最初から置いてなかったのかはわからない。いずれにせよこのCDの出荷枚数などたかがしれているのだ。もはやファンの増加は見込めず、またCDそのものが売れない現代においては、ファンの囲い込みのような方策が最も効果的だと思うのだが。(ちなみにいま公式サイトを確認したら、初回限定盤は完売していた)
愚痴が過ぎてしまったようだ。改めて内容について触れることにしたい。
今回特筆するのは、全曲を新たにロンドンでマスタリングし直したことだろう。試しに”夏が来た!”を以前の音源と比べて聴いてみたけれど、やはり今回のほうが音のメリハリとかクリアさは明らかに向上している。サウンドの古くささも薄まったように感じた。数えきれないほど聴いているはずの”サマータイム ブルース”など楽曲や彼女の声が妙に新鮮に感じてしまう場面もあった。そうだ。そもそも彼女の声が好きで私はファンになったんだ、などとそんなことまで思い出しながら。
また買って聴く前までは、シングル曲の集合なんて新鮮な発見はないだろう、と思っていた。しかしそれは少し違っていた。いちおう4枚のディスクをひと通り聴いたけれど、いまはもっぱらディスク2ばかり流している。ディスク2は私が最もこの人に熱心だった時期(91年後半から93年半ばごろ)と重なるからだ。”サマータイムブルース”、”卒業”、”夏が来た!”あたりの曲がやはり自分にとって最も求心力のあるものだと改めて気づかされる。
「なんだ、俺の根本は中学生の頃から同じということか」
そんなことを思った。そしてそれは死ぬまで変わらないような気がする。
私が初めて彼女のCD「lucky」を買ったのは91年の冬だった。まだ中学3年生の時である。それからでも18年の月日が流れたことになる。
「ずっとこの人を追いかけていこう」
と心に決めたのは初めて彼女のライブを観た高校1年の夏だっただろうか。さすがにそんな「信者」だった時期はあまり長く続かなかったけれど、結果として今も彼女の歌やライブと付き合い続けている。彼女と自分を比較することが不毛なのは百も承知だが、現在まで彼女も私も平坦な道のりを歩いていなかったと思う。そして、この間がどれほど実りのあった時期かといえば、それもお互いあまり自信がない。
たとえば今の10代や20代の人たちがこれらの曲を聴いて何か感じるものがあるのだろうか、と考えてしまう時もある。それに意識的な音楽ファンから見れば、渡辺美里を中心とする80年代のEPIC SONY周辺から出ていたミュージシャンといえば、音楽性に乏しい人たちと位置づけられていることが多い。その評価に対して特に異議を唱えるつもりもないけれど、人間や芸術というものはそんなに単純に割り切れるものではないだろう。いつも思うのだが、芸術は創っている送り手と、私のような受け手の双方があって成立する。
世間の評価など、もはやどうでもいい。渡辺美里と自分が歩んだ道は何だったのか。それはこれからも続く人生の中で、自分自身で見つけるしかないのだろう。ある時期からそう考えるようになった。そしてその道はまだ継続中である。
(1)I’m Free
(2)GROWIN’ UP
(3) 死んでるみたいに生きたくない
(4) My Revolution
(5)Teenage Walk
(6) Long Night
(7)BELIEVE
(8) IT’S TOUGH
(9) 悲しいね
(10)恋したっていいじゃない
(11)センチメンタル カンガルー
(12)君の弱さ
(13)ムーンライト ダンス
(14)すき (Apricot Mix)
【ディスク2】
(1)虹をみたかい
(2)サマータイム ブルース
(3)恋するパンクス
(4)Power -明日の子供-
(5)卒業
(6)夏が来た!
(7)クリスマスまで待てない (雪だるま Version)
(8)My Revolution -第2章-
(9)泣いちゃいそうだよ
(10)メリーゴーランド
(11)いつか きっと
(12)BIG WAVE やってきた
(13)真夏のサンタクロース
【ディスク3】
(1)チェリーが3つ並ばない
(2)シンシアリー [Sincerely]
(3)世界で一番 遠い場所
(4)My Love Your Love ~たったひとりしかいない あなたへ~
(5)一緒だね
(6)夏の歌
(7)素顔
(8)太陽は知っている
(9)新しい日々
(10)もっと 遠くへ…
(11)荒ぶる胸のシンバル鳴らせ
(12)夏灼きたまご
(13)やさしく歌って -Killing me softly with his song-
【ディスク4】
(1)YOU ~新しい場所~
(2)12月の神様
(3)ドラえもんのうた
(4)小指
(5)十の秘密
(6)トマト
(7)おねがい太陽 ~夏のキセキ~
(8)青い鳥
(9)その手をつないで
(10)yes
(11)あしたの空
(12)始まりの詩、あなたへ
(13)Home Planet -地球こそ私の家 ※ボーナス・トラック
渡辺美里が「レコード・デビュー」したのは1985年5月2日のことである。デビュー曲がケニー・ロギンスの”I’m free”のカバーだったことを知っているのは熱心なファンくらいだろう。原曲は映画「フットルース」(84年)の挿入曲で、映画のサウンド・トラックにも収録されている。それにしてもMP3プレーヤー全盛の昨今からすれば、まだCDすら一般に流通してなかったレコードの時代は隔世の感がある。
今年は2010年で、彼女がデビューしてから25年を迎える。そんな節目ということもあり、これまでの全シングルを時系列に収めた4枚組アルバム「Song is Beautiful」がこのたび発売された。
振り返ってみれば、彼女がブランクらしきものもなく今まで25年間活動してきている。同世代のミュージシャンたちはレコード契約を打ち切られたり、また逮捕された人までいることを思えば、それはそれで一つの業績といえるかもしれない。いままで出した52枚のシングル曲はそれを物語っている。
これまでも何枚かベスト・アルバムを出しているけれど、全シングル収録という形のものは初めてのことだ。数はそれほどではないけれどアルバム未収録曲もあり(”君の弱さ”、”メリーゴーランド”、”12月の神様”、佐野元春とのデュエット曲”Home Planet-地球こそ私の家”、そして最近出たシングル3曲)、それらが復活したのは歓迎すべきことだろう。
しかしながら、それならばシングルのカップリング曲も全て収録する徹底ぶりを見せてほしかった。それでたとえ倍の値段になったとしても、買う人は買う。どうせ今の彼女のCDを買う人など限られているのだから、なるべく利益率が高いほうが良い。実際、私は最初JEUGIA三条本店に入ったがアルバムは置いてなく、その近くのジュンク堂のCDコーナーでこれを見つけた。JEUGIAに置いてあったのは買われてしまったのか、それとも最初から置いてなかったのかはわからない。いずれにせよこのCDの出荷枚数などたかがしれているのだ。もはやファンの増加は見込めず、またCDそのものが売れない現代においては、ファンの囲い込みのような方策が最も効果的だと思うのだが。(ちなみにいま公式サイトを確認したら、初回限定盤は完売していた)
愚痴が過ぎてしまったようだ。改めて内容について触れることにしたい。
今回特筆するのは、全曲を新たにロンドンでマスタリングし直したことだろう。試しに”夏が来た!”を以前の音源と比べて聴いてみたけれど、やはり今回のほうが音のメリハリとかクリアさは明らかに向上している。サウンドの古くささも薄まったように感じた。数えきれないほど聴いているはずの”サマータイム ブルース”など楽曲や彼女の声が妙に新鮮に感じてしまう場面もあった。そうだ。そもそも彼女の声が好きで私はファンになったんだ、などとそんなことまで思い出しながら。
また買って聴く前までは、シングル曲の集合なんて新鮮な発見はないだろう、と思っていた。しかしそれは少し違っていた。いちおう4枚のディスクをひと通り聴いたけれど、いまはもっぱらディスク2ばかり流している。ディスク2は私が最もこの人に熱心だった時期(91年後半から93年半ばごろ)と重なるからだ。”サマータイムブルース”、”卒業”、”夏が来た!”あたりの曲がやはり自分にとって最も求心力のあるものだと改めて気づかされる。
「なんだ、俺の根本は中学生の頃から同じということか」
そんなことを思った。そしてそれは死ぬまで変わらないような気がする。
私が初めて彼女のCD「lucky」を買ったのは91年の冬だった。まだ中学3年生の時である。それからでも18年の月日が流れたことになる。
「ずっとこの人を追いかけていこう」
と心に決めたのは初めて彼女のライブを観た高校1年の夏だっただろうか。さすがにそんな「信者」だった時期はあまり長く続かなかったけれど、結果として今も彼女の歌やライブと付き合い続けている。彼女と自分を比較することが不毛なのは百も承知だが、現在まで彼女も私も平坦な道のりを歩いていなかったと思う。そして、この間がどれほど実りのあった時期かといえば、それもお互いあまり自信がない。
たとえば今の10代や20代の人たちがこれらの曲を聴いて何か感じるものがあるのだろうか、と考えてしまう時もある。それに意識的な音楽ファンから見れば、渡辺美里を中心とする80年代のEPIC SONY周辺から出ていたミュージシャンといえば、音楽性に乏しい人たちと位置づけられていることが多い。その評価に対して特に異議を唱えるつもりもないけれど、人間や芸術というものはそんなに単純に割り切れるものではないだろう。いつも思うのだが、芸術は創っている送り手と、私のような受け手の双方があって成立する。
世間の評価など、もはやどうでもいい。渡辺美里と自分が歩んだ道は何だったのか。それはこれからも続く人生の中で、自分自身で見つけるしかないのだろう。ある時期からそう考えるようになった。そしてその道はまだ継続中である。