いまの派遣先で、私の他にもう一人いる派遣社員がいろいろな面でアレなことを先日の日記で触れた。

もう一人の派遣社員について(2016年4月21日)
http://30771.diarynote.jp/201605202217289103/

その派遣社員が働き始めてもう2か月近くになると思うが、相変わらず作業する動きは遅いし、周囲にいるとなんだか異臭が漂ってくるのも同様である。それでも私の場合は彼と接する時間は極めて短い(10分もないかな)。悲惨なのは、彼を隣に乗せて京都市内を車で何時間も回っている職場のボスである。

「ダメだ・・・もう死ぬわ・・・」

と業務が終わって戻ってくるたびに愚痴をこぼすのが日常になっていた。ただでさえ働きぶりが悪いうえに何だかわからない臭いを発する派遣社員に対してボスのイライラもついに頂点に達した。

「もう派遣会社に言って人を代えてもらおう」

そう決めたと、職場の人を通じて情報を知った。同じ派遣の身分の人が切られるというのはなかなか嫌なものもあるが、まあ端から見ても仕方ないとは私も正直感じた。

私の場合は3ヶ月ごとに契約を更新しているから、もう一人も同様の形に決まっている。いま契約を打ち切りを決めればおそらく来月あたりで彼もいなくなる。そうすればボスもイライラから解放されるだろう。ただ、次にやってくる派遣社員がまともだという保証はどこにもないけれど。

少し前に「派遣切り」という言葉が浸透したが、有期雇用契約の人間なんて簡単に切れると多くの人は思っているかもしれない。しかし事はそう簡単に運ばないのだ。

ボスは「仕事ぶりが駄目」と「体臭が酷い」という2つの理由を派遣会社の担当者(私の担当でもある)に伝えて契約更新を止めたいと申し出たらしい。が、担当者はすんなりと受け入れなかったという。

「うーん・・・(派遣社員について)何か改善できる部分はありませんかねえ・・・」

とか何とか言って契約の更新を延長してもらおうという態度に出てきたのである。担当者としては同じ派遣社員で長く使ってもらった方が自分の業績も良くなるからだろう。

それから担当者はその派遣社員と個人面談を行う機会を得て、かの体臭について驚くべき情報を手に入れたのであった。

彼は「健康」という理由のために、毎日ニンニクのジュースだかを飲んでいるというのだ。

ニンニクを毎日・・・もう体臭の原因の十中八九はこれに違いない。しかし自分で自分の体臭を作っているというのは、呆れるというかもう後の言葉が続かない話である。

職場にいる社員の方も「健康のためといっても、青汁や牛乳とかじゃなくて、ニンニクを選ぶって・・・」と困惑した表情をしていた。

ただ、多くの人に説明は無用かと思うが、理由は何であれ「臭い」という理由だけで契約を破棄することはできないと担当者は言ってきた。確かに「あいつバカだし臭い!だから契約終了!」などと口走ったら人権問題に発展する可能性も出てくる気がする。

そして、具体的な事例(いつ、どこで、どんな問題が起きたか)をまとめたレポートを出すよう担当者から言われたらしい。このあたりの手続きは順当で必要な話ではあるが、派遣や契約社員だからといって現場の長のレベルではたやすく切れるわけでもないのである。

今回の件で一番の被害者となっているボスは、仕事が落ち着いた夜の空いた時間を利用してレポートを打っているらしい。

聞くところによれば、

「これまでの人生で、一番悩んでいる」

という。

たしかに理不尽なことが続いたが、レポートが完成して晴れて派遣切りが成立することになるか。同じ部署にいる人間としては興味がつきない。
ここ最近は宝くじについての話題が入ってくるようになったなと思ったら、すでに今年もあと1か月を切っていたことに気づく。いつの間にか年末ジャンボ宝くじの季節になっていたのだ。

生まれてからずっと宝くじというのは買ったことがないし、これからも買わないと思う。わざわざお金を出して購入する気にはどうにもなれないからだ。

少し前までは買わない理由を、その当選確率の凄まじい低さのためだと思っていた。ネットでザッと見たところでは、年末ジャンボ宝くじの1等(7億円)が当たる確率は2000万分の1だという。交通事故に遭う確率よりも低いなどと、その低確率ぶりが形容されることもあるが、そのような数字を示されると個人的には全く購買意欲を失ってしまう。

しかしその一方で、

「買わなきゃ当たらないでしょう!」

と言い張る人も周囲にいたのを覚えている。こういう人に対しては、

1枚買って2000万分の1、10枚買っても200万分の1の確率では・・・」

などと説明するのも時間の無駄だし、何も言わずにそっとしておくことにしている。

橘玲さんはどこかの本で、宝くじを買うメリットがあるとすればくじを買う行為以外に何も労力などのリスクが発生しない、というようなことを書いていた(橘さん自身は宝くじを否定的に見ているけれど)。確かにそれはその通りである。そして、宝くじにそうした性質があるゆえに自分は嫌っているのだと最近気づいた。

自分にとって一番嫌いなものは何かといえば、パッと頭の中に浮かぶのが「既得権」である。私自身の社会人のスタートが新聞業界というオワコン産業で、しかも新聞社の子会社という場所だった。その会社に入った時は新聞社がちょうどリストラをしようとしていた時期であり、その過程で出来た会社に私は入った。もともとは本社(新聞社)の社員が担当していた仕事を3年以内に子会社の社員に引き継がせるというややこしい状況がそこにあった。

こんなことを書いて何が言いたいのかといえば、子会社の社員である私は本社の人間と同じ仕事をして業務を引き継がなければならない立場にいたということである。給料額や待遇(新聞社と子会社)が全く違う人間同士が同じ仕事をするという環境にいたわけだ。

こういう状態になるとろくなことが起きるわけがない。一番感じたのは、

「こんなのが自分の倍以上の給料をもらってるのお?」

という不満である。今さらこんなことを言っても仕方ない話だけれど、本社の人間は恐ろしいほど仕事をしない集団だった。仕事で結果を出そうが出すまいが宅配新聞の収益(これも既得権)があれば自分たちの生活は保証されているという状況にアグラをかいているのだろう。要するに公務員と似たようなものだ。

その会社に10年近く在籍したけれど先人から得たものは全く何もなかった。世間で「仕事」と呼ばれるようなことをしている人など皆無であったし、またそもそも新聞業界が果たすべき役割も既に終わっていたのだといえる。

私が入社した当時(21世紀が始まった頃)、新聞社には50代前半の「団塊の世代」がまだたくさんいた。彼らは学歴が高卒でありながら、日本が高度経済成長の途中で労働力が大量に必要とされる当時の流れに乗って運良く新聞社に入ったいわゆる「ノンキャリア」である。しかしながらたとえノンキャリアであっても「新聞社員」であることに変わりはなく、勤め続ければ年収も1000万の大台に到達する。私のいた子会社はかつて、社員の年収が500万を上回らないように、などという機密情報が漏れたことがあったが両社の待遇にはそれだけの差があった。

もし本社と子会社の社員とを比較しても能力うんぬんの差などほとんどないといえる。少なくとも給料額ほどの差異などは全く出てこないに違いない。両者を分ける要素は、生まれた時代とか環境といった個々人のレベルではどうしようもない、もう「運」としか呼べない部分であった。

しかし、既得権にしがみつくだけの連中はそんな事実を認めることはないだろう。例えば私の直属の上司だった人はコピペすらできない無能人間だったが、それでも今の自分があるのは運でしかない、などとは思わないだろう。それは彼自身のプライドが許さないからだ。

おそらく、

「運の良い人生でしたね」

とけしかけたら、

「運も実力のうちや!」

などと、ふやけた足の皮のような顔をして、恥ずかしげもなく言い返すに違いない。

だが、しかしである。ふつう私たちが「運」や「偶然」と呼ぶのは、人為ではどうにもならない超自然ともいえるような出来事に対してではないだろうか。そこには「能力」とか「努力」とかいったものとは全く関連があるはずもない。運は運でしかないし、偶然は偶然である。当事者が何かをしたから成し遂げた、というような話ではない。

書いているうちに、おかしなことが頭をよぎって日記が思い切り脱線したような気がする。しかし、自分が宝くじに対して何か嫌悪感を抱いていた要因が今回わかったような気がした。

宝くじを買って当選を願うという行為は、運や偶然といったものに何もかも委ねるということである。そこには自分が何か努力するような余地は全くないのだ。そういう非常に受動的な行為そのものに対して自分は強い違和感を抱いていたのだろう。そしてそれは、あのふやけた足の皮のような顔をした元・上司に対する感情と同じ種類のものだったのだと思う。
友人というほどには親しくないが、ある人が以前辞めた職場に復帰したがって色々と画策しているという噂を聞いた。そしてこのたび、社員としてではなくアルバイトして再雇用されるという結果になったという。

その職場というのは仕事内容は「それなり」のレベル(「よっぽどの人」でなければできる業務)であり、社員とアルバイトとでも待遇はそれほど大きくはない。ただ、そこは人員が足りていない事情もあるため今回のような処置となったのだろう。

しかし、当然のことであるが、職場にいる方々の反応は一様に厳しいものがある。

「あんな仕事、職安に行けばいくらでもあるやろ。なんで戻ってくるんや?しかも社員でなくアルバイトからなんて、ワシなら絶対やらんわ」

まさに、返す言葉もない指摘である。

個人的には、仕事が嫌になって辞めるのはまあ仕方ないとは思う。ただ、かつていた職場に戻りたがるというのは駄目だろう。

以前の職場に未練が出てくるのは、大きく分けて2つの理由が思いつく。

まず、転職先の労働条件や待遇などが以前よりグッと悪くなったという場合である。外的要因というか環境の問題だ。

これについては「リサーチ不足だ」と糾弾するのは簡単である。しかし職安に載っている条件が入ってみたら実際は全く違っていたというのはよく聞く話であり一概に労働者側を責めることもできないだろう。ただ一般論として「転職したら給料が下がる」というのは頭に入れておくべきだ。森永卓郎さんが何かの本で、2回転職すれば年収が半分になる、ということを言っていた。何も実績もない人が転職をするならそれくらい覚悟しておかないと後悔する結果になるのは必然である。また、そういうことが予測できるからこそ昨今のサラリーマンは離職など考えず、「病気」とか色々な手段で会社にしがみついて正社員という既得権を手放さないのだろう。

そしてもう一つ考えられる要因として、仕事でベストを尽くさないまま職場を去ったため不完全燃焼な思いが残っているということがあるのではないか。これはその人自身の中にある内面的な問題である。もしも職場に在籍している間に「やるだけのことをやった」という自信があれば、戻りたくなる理由などあるわけないだろう。

今回話題にしている彼にしても、お世辞にも仕事を頑張っていたとは評価されてない(これは彼を見る人間全ての意見である)。しかし周囲の評価や実績よりも、自分が仕事についてどう思っているがこの点では重要だ。

ニール・ヤングの代表曲の一つである”Hey hey my my”の一節(これは自殺したカート・コバーンの遺書にも書かれていた)に、

“It’s better to burn out than to fade away”(錆び尽きるよりは燃え尽きたい)

という歌詞があるが、仕事にしてもそういう思いで取り組まなければ次にも繋がらないだろう。

私自身に置き換えてみれば、いくつか職場を転々としているが、そこを去るにあたって未練のようなものは一切ない。どこにいっても後悔をしない働き方はしているつもりだ。10年ちかく在籍した最初の会社も同じで、特に最初の4年ほどは業界の歴史でも類をみない工夫(これは誇張ではない)をして業務に取り組んできた。

しかし、ある時にそうした努力をすることをいっさい放棄する。いくら一個人が真摯に仕事をこなしたところでその業界や会社には何も未来がない、ということを悟ったからである。そしてしばらくしてから業界そのものから足を洗うこととなる。

同じ職場に復帰するという彼は、果たして自分のおかれている環境を、また自身の人生をどのように捉えているのだろうか。彼が辞める以前と現在とでは職場はおそらく何も変わっていない。そして彼自身の意識も一緒だとすれば、かつてと同じような結果がほどなくして出てくるにちがいない。

ちなみに彼が辞めた時の話も、かつての日記で触れている。興味のある方はご参照いただきたい。

周囲がよく見えることは良いことなのか、悪いことなのか(2014年11月10日)
http://30771.diarynote.jp/201411100833273805/

19日の午前、「改正派遣法案」が衆議院を通過した。派遣社員を同じ職場で雇用するのは「最長3年」というこれまでの原則が事実上撤廃されたことになる。働く場所を替えるという手続きをとれば同じ派遣労働者を無期限で雇い続けることが可能となった、というのが今回の改正の要点だ。

私はいま派遣社員の立場なのでこの件については当事者なわけだが、こうした改正について正直あまりピンとこない。たとえ同じ派遣先で3年を超えて働くことを望んだとしても、仕事の内容が変われば条件も変わるわけで話が全く違ってくる。雇う側も雇う側で、いままで長く働いて慣れてもらった労働者を違う部署に移してまた一から働き直すというのは面倒なことである。

なぜこのように派遣法がイビツな道を歩んでいるのかは、もう原因は明らかである。

正社員の解雇規制が緩和できないからだ。

雇う側としてみれば、無駄に人件費が高く生産性が低い正社員をなんとかしたいと思うが解雇規制の厚い壁があってそれができない。正社員に手をつけられないとすれば非正規雇用の社員のやりくりでどうにかするしかない。そんなジレンマがこうした法案という形になって表れるわけである。

「解雇規制が緩和されれば、労働者を酷使するブラック企業が増えていくぞ!」

と騒ぐ人もいるだろう。確かに社員を酷使するしか能のないブラック企業が解雇規制の緩和を武器にもっと真っ黒なダークサイド企業に変貌していく可能性は否定できないだろう。

しかし、働きもしない輩が正社員という「だけ」でその立場が確保され、たとえばコピペもできないのに年収が1000万円だったりするというほうが異常ではないか。働かない人間が既得権だけでメシを食えるというのは、地球上どこの国でも「おかしい」と言われるに決まっている。これが真の意味でのグローバル・スタンダードというものだ。

だいたい終身雇用というのは、日本経済が右肩上がりの成長を続けるという「フィクション」を前提につくられた考え方である。いまのように我が国の将来が先行き不透明で会社の寿命も下がってきている状況にはあてはまらない。むやみに給料など上げられないし、5年後10年後の社員の保証も約束できない。そんなことは「考えなくてもわかるような話」であるが、既得権を手放したくない連中はそんなことは絶対に許さないんだな。

結局、派遣法に関してワーワー騒いでいる人たちは、正社員という既得権が崩れていることに危惧しているだけであって、日本経済の将来とか国民の将来といった大きな枠組みが全く見えていない輩の戯言なのだ。

論点ずらしで、

「君は派遣なんだろう?そんな安定しない身分のままで一生が終わってもいいのか?」

などと見当違いに煽ってくる人がいるかもしれない。別に私は今の状態がこのままで良いなどとは、かつての職場を去ってからも一度として思ったことはない。しかし、どこかの組織にすがってそれで安泰、などと思うほうがよっぽど世間ズレしているのではないか。

先日の時事通信社の記事(2015年6月19日)で「弱い立場の派遣社員から夢も希望も奪うのか」と正社員登用を断たれて悲観するような内容を見かけた。

しかし、私は派遣社員としてこれまで3か所の企業を渡り歩いているが、

「この会社の正社員になれたらなあ・・・」

などと思えるようなところは一つとしてなかった。正社員の仕事内容はおおむね過酷で、終業時間もかなり遅い。土日も仕事があってまともに休んでいないという人もいた。そんな中で決められた範囲の業務をこなし、まだ日も暮れていない時分に帰宅しているこちらが申し訳なく思うほどである。

正社員になったら何もかも解決するわけでもない。むしろ、よっぽど酷い目に遭う可能性もある(そういうケースのほうが多い気がする)。

そもそもの話、正社員になりたいといっても入る余地がないのだからどうしようもない。無能な社員を切るなりできるようにならなければそうした道が開けるわけがないだろう。

派遣法が衆議院を通過した日の仕事の帰り道、烏丸四条の交差点で労働組合が「労働者の危機」を訴えていた。しかし、彼らが守ろうとしているのは自分たちの既得権だけである。

正直いって「本業もろくにもせずに夕方に道ばたでワーワーわめくなよ!」と言いたくなる。メーデーの時も烏丸通を歩き回っている連中の声を聞きながら作業をしているうちに、

「こっちは仕事をサボって行進に加わる暇もないんだよ!」

とイライラしたものだ。

冷静に考えてみると、ああやって不平不満を叫んで「いいことをしている気持ちになっている」連中は、とりあえず日々の生活は保証されているという点で実は「リア充」なのではないだろうか。

26連勤を終えて、つかの間に休息にひたっていた私は、こうした人たちを見てある種の羨望のようなもの(絶対に仲間になどならないけど)を感じた次第である。
先日の日記で、現在の派遣先にいる職場のボスについて少し触れてみた。

職場のボスは「電波」の人(2015年5月31日)
http://30771.diarynote.jp/201505310130145606/

この人は、来年の3月いっぱいで定年を迎えることになっている。聞けば裕福な家の出身らしくお金も困っていないようで、定年延長という制度を使わずに組織を去る見込みだ。

日記にも書いた通り、「電波の人」であるボスがスッと消えていくことについて社内の人たちは歓迎している。そりゃあ、意味不明なところでブチ切れたり部下を「悪魔」と陰で呼ぶような人が好かれるはずもない。私も被害者の一人であるから、さっさと彼が消えてくれることは全面的に同意するところだ。

しかし社員の方々と話していると、電波ボスがいなくなったら職場が良くなるだろう、というような希望的観測を持っているようなのが少し気になる。私の場合はボスがいなくなる前には契約期間満了となるので正直どうでもいいことなのだが、ろくでもない人間がいなくなれば組織が良くなるという考えに対しては大いに疑問だ。

私の派遣先は某巨大商社の子会社の一つである。本当に大きなところなので200以上も子会社があるのだが、その中でもここは「潰れる可能性が2番目に高い」という極めて危ういところである。そんな「いつ消えてもおかしくない」会社について明るい展望を持つ人などいない。ましてや「この会社をより良い場所にしていこう!」などと思う社員など存在しないだろう。そういうことを考えれば、職場環境が改善されるということは今後ありえない。5年後、10年後は確実に悪くなっている。いや、会社自体が残っているかどうかも疑わしい。

そんな組織において、嫌な人間が消えたら職場が良くなる、というのは極めて短期的な視点ではないだろうか。

こうした問題を自然環境におきかえてみればわかりやすいだろう。例えばある地域が温暖化で急激に気温が高くなっていくとする。そして気温が下がらないままの状態が長く続けば、暑さに適応できなくなる生き物はやがて死に絶えていく。それでも生き延びようとするならば、もっと快適な場所に移動するか、突然変異を遂げてでも無理やりその環境に合わせるほかない。

要するに、会社という「環境」が根本的に変わらなければ、その中にいる生きもの(社員)が良くなることなどあり得ないのだ。新聞業界がその最たるもので、強みや魅力が一つもなくなり世間から見捨てられて業績も悪くなる一方だから、そこで働く人たちもどんどん腐っていくのみである。

経営者が変われば組織だって変わる可能性があるだろう、という言う人がいるかもしれない。理屈としてはもちろんそうかもしれないが、いつか救世主がどこからか現れて自分を救ってくれるというような「突然変異」を期待しながら現状を耐え忍んで生きていくのは非常に辛い人生ではないだろうか。少なくとも私には我慢できそうもない。

ましてや、いつ潰れてもおかしくない子会社に有能な社長など送られてくることなどあり得ない。こうして会社の枠組みや現状を考えてみると、この派遣先はもう「手詰まり」という気がしてくる。

もしも職場の人間関係に苦しんでいて、「あいつさえいなければ・・・」などと考えている人がいたとしたら、ちょっと落ち着いて会社全体を見渡してみることをお薦めしたい。

「その憎き相手が会社からいなくなったとして、はたして組織が良くなるのだろうか?」

と。

そうすれば、もっと別の視点から見えてくるものがあるかもしれない。ただ、あまりに酷い結論が導き出される可能性も否定はできないけれど。
今週は仕事に関わることで少々うっとうしい出来事があった。派遣先のボスから、「今期のミッション」なるものを書いて提出してくれと言われたのだ。ミッションとは要するに仕事の業績目標のことである。今の場所に派遣されて最初の4月にも同じことを言われたが、今回は前回の自己評価もあわせて提出というおまけつきである。

前回も今回も、私が最初に感じたのは、

「なぜ派遣社員の俺が?」

というものである。もちろん社員の人たちはこれによって給料の増減などが起きるのだが、時給労働の立場にそのような影響は発生しない(そういう説明も受けていない)。もっといえば非生産部門で働く人に業績目標を課すこと自体がまったく生産的でないし、他国にあわせてこの国も「同一労働、同一賃金」の原則を進めるべきだと思っているが、こんなものを課す輩がそこまでのレベルで給料や賃金について考えてもいないだろう。

こういうことを思い付く人はおそらく、「仕事をしているふり」をしているのだと思う。少し考えれば派遣社員に業績目標など書かせるなど無意味で無駄な行為なのはすぐわかる。

しかし、

「いや、いま社内では派遣社員の比率も増えている。彼らも正社員と同じレベルで問題意識を持って仕事を取り組むべきだ」

という感じで、正論を吐いていると勘違いしているのだろう。さきほど述べたようにこんなものはもっと高い視点で見れば全く破綻した論理である。また、こういうことを思いつく人は自分の仕事ぶりに酔っていることもあるので救いがないのだが、それに巻き込まれる方はたまったものではない。多くの人が無駄な時間を消費するうえに、誰も得する人はいないのである。

「仕事をしているふり」といえば、かつての職場をまた思い出した。

私がいた会社で最後に配属したのは、新聞広告の営業部門だった。

「新聞広告なんて今の時代、誰が載せるんだ?効果のほどは怪しいし、だいたい新聞を読む人などどれほどいるんだ?金をドブに捨てる行為だろう」

と腹の底から思っていた自分がそこに入ったのだから、この時点で私の運命は決まっていたのかもしれない。

しかしそんなことを知る由もない上司の部次長が、広告の企画を作って提出せよ、と命令を出してきたのである。新聞紙面の小さい枠を1回載せただけで10万円とかそこらを支払う人間の顔など私の頭では想像もつかなった。いきおい、企画など一つも浮かばない。

こいつは何もできないと部次長は感じたのか、

「あんたは(以前の部署で)今まで展覧会に関わっていたから、そうした企画を作ったらいいんちゃう?」

と持ち出してきたのである。

その瞬間に、

「お前は、あ・ほ・か」

と言いたくなった。

まず大前提の話だが、展覧会は金にならない。全国の美術館や博物館で黒字経営をしているところなど、大阪城など数えるほどしかないのだ。そんな業界のどこから広告費を引っ張りだせというのやら。

しかし、部次長に言われるままに企画書を作って会議に出したら、なんと了承されてしまったのである。営業の上から下まで、展覧会を取り巻く経済状況を一つも把握してないのである。ここはバカばかりだな、といまさらながらに再確認してしまった。

当の部次長にしても、

「俺がきっちり企画を立てたから、上司から許可されたんや」

と自慢げに語っていたことも忘れられない。こういう自分に酔っている人は、もうダメだと思う。

そしてそこからが悲惨だった。企画が通ったからには広告の営業をかけなければならない。新聞社は基本的に広告代理店を通じて広告のやり取りをするのだが、なぜか今回は飛び込み営業もさせられたのだ。

「こんな企画、誰が買うの・・・」

会社を出て、例えば美術館周辺の店などを回ってみるが、そんなところが新聞広告を載せる予算などあるはずがない。数件回った時点で、もうあきらめることにした。

ミッションにしてもそうだが、私は「100%無理」と思ったことは、もう絶対にやりたくないのである。もう頭が1秒も動かなくなってしまうのだ。それが度を過ぎてしまえば、もうその組織から出ていくことにも抵抗がなくなるくらいである。

「ここにハズレばかりの宝くじが10枚あります。さあ、これを買ってください!」

と言われるような心境になってくる。ハズレとわかっているくじを誰が買うだろうか。

そうして月日が経ち、企画の締切が近づいてくると、

「セールスはどうなってるんや!」

と部次長がわめき始めてきたのである。

「こんなもの売れるか、ボケ」

と内心思っていたが、部次長がワーワー言うのは止まらない。

実は私は内心、この部次長を少しかいかぶっていた。企画段階であれだけ自信たっぷりだったのだから広告を埋める勝算があるのだろうと思っていたからだ。もしも彼の手腕によって広告が埋まり企画が成功していたら、私はこの人を一生尊敬していただろう。

しかし実際に彼がすることといえば、なぜ広告が集まらないんだ、とガーガー騒ぐだけであった。

このあたりで、

「ああこいつも『仕事をしているふり』をしてるんだな・・・」

とようやく気付いたのである。

彼としては、

「私はちゃんと現場を指導して企画をつくらせ、セールスをするよう必死に指示しました。できなかったのは、全て現場の責任です。私は悪くありません」

と上司に説明して切り抜ける腹積もりだったのだろう。しかし、こんなの行為はまったく「仕事」とは言わない。

そもそも新聞屋なんて宅配新聞の定期購読料で収入の大半は成り立っているのだから、それが揺らがない限りは社員ひとりひとりの業績など微々たる要素である。だから「仕事をしているふり」さえしていたらそれで充分なのだ。(思えば、社内全体がそんな人間ばかりの会社であった)。

結局、その広告紙面は掲載されたものの、展覧会と全く関係のないところに無理を言って出してもらった広告の集まりであり、売上も微々たるものだった。

そして、紙面が載った頃、私は会社の上司に辞意を表明した。

こういうことを書くと「こちらは生活のためにやっている」だの「組織で生きるのはそんな単純な話ではない」だのと言ってくる人が出てくると思われるので、あらかじめその辺りについて触れておく。

仕事をするふりをするかどうかというのは、突き詰めればその人のライフ・スタイルの問題であり、良い/悪いといった二元論で語るような話ではない。ただ、私自身はそうした生き方はしたくないし、そんなことをしてまで正社員でいるくらいならアルバイトの掛け持ちの方が気持ちよく仕事ができる人間なのだ。

また、とにかく自分の生き方を批判するなと、意地でも自分を正当化したがる救いのない人もいるかもしれない。それに対しては、最後にこれだけを書いておく。

組織にしがみつくことについて正当化する理由など、要らないはずだ。

今月いっぱいで今の職場を離れるという人が自分の近くにいる。特別親しいわけでもないが色々と思うことがでてきたのでそれを書いてみたい。

彼が仕事を辞める理由は、休日の取得をめぐって会社の上役からめちゃくちゃ怒られたのがきっかけと噂で聞いている。その会社は仕事内容はかなり単純な部類に入るものの、仕事の振られ方がけっこうキツいものがあり、日勤・夜勤・そしてまた夜勤というような3連勤を強いられることもある。希望通りに休みを取ることも難しい。そんなことで揉めたようだ。

辞める本人の立場からすれば、

「仕事がキツいし、休みも取れない。やってられない」

という心境だったのだろう。

しかし、彼の周囲にいる人たちの目は一様に厳しい。「あいつアホや」とか「あんなの、どこいっても続かんわ」とか「すぐ辞める」などと異口同音に唱えている。しかし、それも仕方ないといえる。彼の仕事ぶりは平均以下、社員の立場なのに学生のバイトよりもできない。滑舌も悪く雑談でちゃんと受け答えをするのも厳しい。しかもアゴが弱いのか、麺類をすすることができずクチャクチャ噛んで食べたりもする(これはあまり本題と関係ないか)。

そんな彼が何年もその職場にいることができたのは、別に彼が辛抱強かったということではない。直属の上司や周囲の人たちの温情があってのものだった。

ある方が、

「Iさん(上司の方)の下で無理だったら、あいつはどこも無理とちゃうか・・・」

と言っていたが、私も全く同感である。彼はここまで「必死で生きてきた」のではない。周囲の人の協力によって「生かされた」だけである。しかし当の本人は自分のことしか見えないから、そんなことはわからず今回の決断になったのだろう。

こういう事例を見ると、つくづく「鳥瞰」とか「俯瞰」いった、世の中全体を見る力がこういう時に必要だなあと感じる。

彼に限らず、

「こんなに必死で働いているのに、休みも無いしこんな安い給料ではやってられませんわ!」

とわめく輩はどこでも存在する。これは給料の額以上の仕事をしてもらわないと組織が回らないという問題もあるが、こうした人は往々にして仕事ぶりはほとんど駄目ということが多い。その理由は簡単で、全体を見渡す力が欠けているということなのだろう。目の前の仕事だけで手一杯になる人間に難しい業務ができるはずもない。

一番おそろしいのは新聞業界で、あそこは給料以上に仕事をしている人間など一人も存在しない。彼らの収入源は、ラジオ放送が開始される以前から築き上げられた宅配新聞による。その先人の遺産を食いつぶしているだけなのだ。しかし当事者たちは、自分は必死で仕事をしているつもりでいるのだから、もう何も見えていないというしかない。

私が新聞業界の片隅から離れるきっかけをしたのは、

「自分の給料を担保しているものは何なのだ?」

という疑問が湧いたことも大きかった気がする。

私自身は新聞社の子会社で本社の半分程度の給与額だったけれど、まるで不良債権処理のような一向に収益につながらない業務ばかりやってどうして給料がもらえるのか?と気持ち悪くて仕方なかった。しかし、それが宅配新聞の収益のおかげだと理解できるまでにだいぶ時間を費やす。

だが、新聞業界がどのようなメカニズムで動いているかをわからなければ、そこを離れることもなかったかもしれない。そうなると、何も知らない方が幸せだったという結論も導き出すことも可能だろう。しかし業界も会社も、そこで働く人にも全く希望を持てない自分にはそれは無理であった。

アレクサンドロス大王が生きた時代を舞台にした岩明均氏の漫画「ヒストリエ」(講談社)の1巻冒頭で登場するヘルミアス(哲学者プラトンの弟子の一人)が、

<大地は・・・実は球形をしてたんだ>(P.7)


<ほら・・・世界の形がわかったら・・・次にする事って何だろう・・・?>(P.8)


という台詞が出てくる。物語の舞台は紀元前343年、世界は平らだと誰もが思っていた時代の話である。

地球の形がわかったら今度はそれを確かめに行こうという気持ちになる、ということなのだろう。無論私が組織を去ったのはそんなロマンに満ちたものではないが、そういう気持ちは持っておきたいような気はする。
今日は朝から空は曇っていた。降水確率は午後から80パーセントと高いため、自転車を断念して傘を持って地下鉄まで向かった。駅に着くころには小雨が降り始めていた。

「帰りはバスになるな・・・。雨の日にバスへ乗るのは嫌だなあ」

そう思いながら勤務先に着いた。それだけの一日で終わるはずだった。

だが、ある人のきっかけで大きく変わることになる。

いつものように9時半から作業をしていたら、

「おはようございます」

と数ヶ月ぶりに見る顔がそこにあった。それはいつの間にか会社から姿を消していた営業社員のA氏だった。

しかし私は特別驚くことはなかった。先週の終わりに職場のボスから、

「渡部くん、A君は知ってるか?」

と仕事中に訊かれたからだ。その時はなぜそんな質問をされたのか理解できなかった。

「ついに辞めたのかなあ」

と思ったのだが、事実はその逆だったようである。

勘の鋭い方ならこの辺りでだいたいのことは予測できたかもしれない。ちゃんと説明すれば、営業社員のA氏は「病気」を理由に休職していた人である。そしてこのたび復職したわけだが、営業ではなく私がいる内勤部門での復帰となったようだ。

我ながら歯切れの悪い書き方をしているが、それについても理由がある。

A氏について、私は会社およびボスから具体的な説明は一切もらっていないのだ。さきほど書いたことは、私が職場でボスと誰かの会話を盗み聞きした内容をもとに推測も入れながらのものである。だから、本当のことは若干異なる部分もあるかもしれない。

今朝にしてみても、ボスから彼についての説明は一切なかった。私は部外者の派遣社員とはいえ同じ職場で作業するわけである。耳打ち程度でも彼について伝えるべきではないだろうか。

しかし一番イヤだったのはA氏とすれ違った時に、

「よろしく頼むわ。(俺は)新米やし」

と言われたことだった。これには蚊も殺さないような顔をした私でもかなりカチンときた次第である。

「新米って何よ?あんたここの会社の人間で、待遇も正社員で経験もこっちより上でしょ?時給労働の派遣社員を相手に何を甘ったれた無責任なことをほざいてんだよ!うんこ食ってろ!」

などと、はらわたが煮えくり返ってしまったのだ。

そして、かつての勤務先の同じ職場で働いたこともある「自称病気」の人が脳裏に浮かんだ。

いま私が「自称病気」などという表記を使っていることについて違和感を持った方もいるかもしれない。こいつは心の病に対して理解について全くないけしからん奴だと思った人がいてもおかしくないだろう。

確かに私は(大学で心理学を専攻していたくせに)精神病などの知識は基本的に無い。ただ、心に病のある人の希望に応える形に環境を設定して復職させるというようなやり方には全く反対である。その点では「理解がない」と思っていただいて結構だ。

だいたい「自称病気」の人に対して「ああこの人は病気なんだな」と確信できる人などそれほどいるのだろうか。

大半の人は、

「あの人はやる気がなさそう」

とか

「あの人はちっとも仕事をしない」

という印象以上のものを感じないだろう。骨折や感染症などといった病気とは全く異なる性質のものだから当然ではある。だから「私は病気なんです」と言われても簡単に納得はできない。「はあ、そうですか。大変ですね」と適当に相づちを打つしかないだろう。私が「自称病気」と書いたのはその辺のことを表現したかったまでである。

では、かつて一緒に仕事をしたことのある「自称病気」のB氏について触れてみたい。彼の姿がA氏とあまりにオーバーラップしてしまったからだ。

私がかつての職場(新聞社の子会社)へ入社して、企画事業局という事業(イベント)に関する部門に配属された。その時にB氏も企画事業局に配属していた。彼の待遇は本社(新聞社)の社員であり、子会社に出向という立場である。

このあたりの経緯は複雑だが、簡単に要約すると私たち子会社の社員に仕事を引き継ぎができたら本社社員は別の部署へ異動するという労使間(会社と労働組合との間)の約束があったのである。そういうわけで、それから3ヶ月後だったろうか、B氏は企画事業局を去ることとなる。彼が次に行った先は広告局、つまり新聞広告の営業部門である。

B氏にとってそれは不本意な異動だったようで、企画事業局に戻りたい、と何かある度に愚痴をこぼしていたようである。そしてそれから3年ほど経ち、私の職場からは管理職を除き本社社員はいなくなった。これで区切りがついたと会社が考えたためか、しばらく経った異動の時期に、事業を離れた本社社員をまた事業に戻すという人事を発令したのである。

この人事がパンドラの箱となってしまった。

これを知ったB氏は「俺も事業に戻してくれ!」と激しく主張するようになったである。ほどなくして彼の姿は会社から見えなくなる。何かに理由をつけて休職したのだろう。そしてどれほど過ぎた頃だろうか、人事異動などない2月の時期にいきなり彼が滋賀の事業部門へと戻ってきたのである。そしてその次の人事異動の時期には京都の事業局へ戻り、晴れて私と同じ職場の人間となったのである・・・。

面白い共通項だが、この一連の流れについても私は職場の上司から一切の説明は無かった。事情が事情とはいえ、非公式でも部下に周知をして協力をうながすなどの処置をとるべきだったのではないか。それゆえB氏のことについても私が聞いた情報や記憶を編集しただけのことである。

大前提の話になるが、何も説明できない人事異動について納得などできない。組織の原理原則は徹底してほしいというのが私の考えである。

本当に納得がいかない話だったし、当時の事業局長と飲んだ時にB氏について切り出してみた。おそらく私は、こんな人事は覆らないんですか?というような質問をしたのだろう。すると返ってきた言葉は、産業医の言うことは社長でも反対できない、ということだった。産業医が、事業局に異動させないと快方に向かわない、などと言ったらそれに従うしかないというのである。

ここが私の一番の疑問なのだが、本人の言いなりになって希望の仕事をさせることによって病気が回復するなどということはあり得るのだろうか?

確かにその方が気持ちが楽になるかもしれない。しかしそれは、まだ治療法の確立できてなかった結核患者をサナトリウムに隔離して自然治癒を期待するようなやり方を連想してしまう。そもそも「健康」と「病気」との区別が困難な状態に対して具体的な対処法などあるはずがないのだ。

「あんなのが病気というなら、私も病気や!」

と吐き捨てた人もいたが、私も同感である。

さらに言わせてもらえば、

「病気病気と言うけれど、じゃあ五体満足になればバリバリ働くようになるのか?」

という疑問も常にあった。

少なくともB氏に関していえば、事業局に戻ってから水を得た魚のように働き出したという場面を確認することはなかった。彼について一番気になったのは、ある一つのイベントについてだけやたら熱を入れているという点だった。空いている時間があればそれに関する団体の事務所へ通って何時間も職場へ戻ってこない、ということもたびたびあった。

ある仕事について私は彼と一緒に行動しなければならない時もあったが、外に出てどこにいってるのかわからない状態も多く、彼に仕事を振ることはほとんどしなかった。具体的にいえば私が9割、彼にしてもらった作業は1割、そんなところだった。

そういう状況が続いていたので、少し嫌味のようなことを言ったら、

「渡部っち・・・それって、俺が仕事をしてないと言いたいわけぇ?」

などと、まさに働かない人間が口に出す常套句が出てきてガックリきたことも忘れられない。

彼が事業に戻ってきてからしばらく経った頃だろうか。あるイベントの時に、私の直属の上司がなにやらB氏についての話題をしていた。その時に聞いた内容が忘れられない。

「昔は別に病気のようなことはなかったんやけどなあ・・・。嫌いな仕事はしない奴やったけど」

組織人の立場で仕事を選り好みしていたという時点で、「あれはマズい奴だ」と上司は勘づくべきだったのではないだろうか。まあ、その程度の感覚しかなかったということだが。

仕事の内容などたいして関係が無い。もともと仕事をしない人間なのだ。

こういう情報が入ると、彼の「病気」の温床はずっと前から存在していたので
はないかと嫌でも思ってしまう。また、自分に合わない仕事があったら「こんなの私には無理ですわ」と言えばそれが通ってしまうような職場のあり方も拍車をかけていたのだろう。

ある時期にB氏がまとまった休みを取っていた時がある。噂を聞けば、沖縄に行ったというのだ。この辺も、それはちょっとなあ、と少なからず違和感を抱いた出来事だった。これは香山リカさんの『「私はうつ」と言いたがる人たち」(08年、PHP新書)にも似たようなことが書いていたが、自分は病気だ病気だと言っている立場の人が大っぴらにバカンスを楽しめるというのは何か整合性がともなっていない気がするのだ。人目を気にしていないというか、社会性が欠けているのだろう。

ここまできてもっと露骨なことを書かせてもらうが、

「僕は病気だし好きな仕事しかしたくないんけど、給料は満額欲しいし有休も消化したいです」

と彼が腹の中で思っているようでならなかったのだ。酷いことを言う奴だと憤る人もいるかもしれないが、いままでの事例を見てもらえばそう思っても仕方ないだろう。

私が彼に対して苦々しく思っていたもう一つの理由は、私が子会社の社員であり向こうは本社社員で立場の違いがあったことである。単に収入だけなら倍以上の差がついていた。「自称病気」という理由があるからといって、なぜもっと格下の立場の人間がその責任を負わなければならないのか?この場を借りて書くが、給料を多くもらってる人間が余計に働かないといけないのは当然である。しかし実際はコピペもできない人間が年収1000万をもらっていたというような、重篤なモラル・ハザードを引き起こす職場であった。

自分の希望の部署に戻り、好きなイベントだけやれる環境になりB氏は満足、かと端から見て思っていたら、ほどなくして「写真報道部に行きたい」と希望を出すようになったという話も聞いた。それについては現在のところ受け入れられていないようだが、B氏の仕事観もかなりデタラメなものだなと感じてしまう。

今回はかなり個人的な恨みつらみも書いてしまったが、具体的に事例を書いたほうが私の思うところも伝わりやすいと思いこういう手法を試してみた。

日本が右肩上がりの経済状態だった時は、仕事をしない社員をどう処遇するかという問題はあまり表面化しなかった。首を切る/切らないとかで問題を起こすくらいなら黙って賃金を払っていた方が良かったのだ。

しかし、今はもうそんな時代ではない。

「リストラ」と称した人員削減も経営手法の一つとして定着したし、若い人に目を向ければ就職もかつてに比べたら非常に厳しいものになっている。

端的にいえば、会社も社員も苦しくて余裕が無くなったのだ。そんな状況でB氏のような人たちに手を差し伸ばしてと言われても、私のような立場でそれは無理というものだ。実際の話、直属の上司に「あいつ病気やし、助けてやれや」などと頼まれたこともないのだから、何もしなくても問題ないはずだけどね。

そして今日の話に戻ればA氏も内勤の職場に移りたい、と休職する前に主張していたというのである。うわあ、どこかの誰かさんと同じ論理じゃねえの。

しかも、戻ってきた彼は不自然に顔が黒くなっているのが異様だ。まるで「丘サーファーで」ある。それを見た人が口々に、

「黒くなってますねえ」

と言い、ある人が、

「チャラ黒いよね(笑)」

とつぶやいたのが最高だった。チャラい感じのする黒さ、ということか。上手い!今年最高のフレーズだと思った。だが、彼が休職中をどう過ごしていたのかと思うと、また例の人と重なる気がしてくる。

明日以降の職場はどうなるのだろう。子会社の社員よりさらに格下の派遣社員の身になってからも、あの時のような思いを私はまた経験するのだろうか。そう考えると嫌な気持ちになって昼休みを過ごした。

そしてまた職場に戻ってくると、A氏の姿はなくなっていた。ボスの会話を聞いていたら、今日は初日だから2時間で終業となったそうである。会社も処遇に対して困ってるんだなあと同情する一方、こっちにも少しは情報を流せよとムッとしながら本日の業務を終えた次第である。

いましている仕事の内容は商品の出荷と入荷にともなう作業である。その作業のために必要な備品がいくつかある。ボールペン、検品印(ハンコ)、そしてカッター だ。それらを全て左胸のポケットに入れながら作業をしていたわけだが、身体をかがめている時に備品をボトボト落とすことがあり、自分でもそれが気になっていた。作業に支障が出るのはもちろん、そんなことを続けていればいずれ備品を無くすことになるだろう。

いや、既に2個あった検品印の一個は紛失しているし、ボールペンも2本ほどどっかに吹っ飛ばしている。そして先日は部屋から持ってきた自分のカッターがどこかに消えてしまった。

「このままではマズい。何か対策を立てなければ」

と思っていながらも特に何かすることもなく、ハンコやペンを落としながら作業を続けていた。

しかし連休明けの火曜日に、これは看過できないなと思われる出来事が起きた。

いつものように出勤して作業して15分ほど経った頃だろうか。届いた荷物をチェックしていた職場のボスが、

「これ・・・うちのカッターやないやろうなあ?」

と顔をしかめながら持っていたのは、先日私が見失った自前のカッターであった。
出荷の際にどこかの荷物の中に入って落としてしまい、それが返送されてきたようである。

「ああ・・・それは・・・僕のですけど・・・」

と恐る恐る言うと、

「それは・・・まずいで」

と渋い顔をしたまま、それはカッターの入った封筒らしく、その右下には、

「カッターの刃が出たまま入ってました。気をつけてください」

というメッセージが書かれていたのである。

「刃が出てたりしたら商品に傷がつくし、これからは絶対やめてや」

と言われ、

「はい、すいません」

と私も素直に謝って、

「商品に傷付いたらマズいなあ。やっぱりこれからは何か対策をとらないとなあ」

と思いながら作業に戻った。

しかしボスとしてはそれで気は収まらなかったようで、しばらくしてまた私の近くに寄って、小声でこんなことを言った。

「今回は・・・取引先のやさしいお姉さんだったから良かったけど、もし消費者にこれが行ってたら・・・何千万の損害賠償とか請求されていたかもしれないで。これからは気をつけてや」

鈍感な私でも、何千万の損害賠償、などと言われたら動揺してしまう。なんか額あたりに青い縦線が入ったような、そんな瞬間だった。

「失敗学」の専門家の畑村洋太郎(東京大学名誉教授)さんの何かの本で知ったのだが、「ヒヤリ・ハット」という言葉がある。重大な事件が起きる一歩手前でそれが発見されるという瞬間のことだ。事故になる寸前を経験して「ヒヤリ」としたとか「ハット」したという意味である。

さっきも書いた通り、これまで作業をしてきた過程で「ヒヤリ・ハット」の瞬間をいくつもやらかしている。そしてこれまでの経験からすれば、決定的なことしでかす危険性もかなり大きい気がする。少なくともカッターを荷物とともに入れることは十分にあり得る。

原因はもうわかっている。ポケットのような場所にカッターを入れて作業をしているからだ。もうそれで1日に何度も落としているし、ここをどうにかしないといけない。

それで最近は文房具店などにいって、ポケットに代わる文房具入れがないかと探している。首にぶらさがるようなものが良いかと思っているが適当なものは見つからない。

だからといって、年配の男性のようにウエストポーチを腰に付けるのはちょっと格好悪いだろうなあ。

いま派遣で働いている勤務先は、主に着物類の卸しをしている会社だ。もはや大きく成長できる分野ではないだろうが、それでも勤務先は割と手広く仕事をしていて毎週のように全国各地で展示即売会を開催している。

展示即売会といわれてもピンとこない人が大半だろうが、具体的な流れはこんな感じだ。まず、現場担当の人が必要な商品や備品(POP類など)を私のいる部署(商品の出荷をおこなっている)へ持ってくる。それらを梱包して発送業者(クロネコヤマトや福山通運など)へ渡し即売会の会場へ運んでもらう。それから担当者は現地へ向かい、そこで荷物を受け取って会場準備および即売会の運営もこなす。それが終われば売れ残った商品などを会社へ返送する。そのサイクルのくり返しだ。ちなみに売れ残った商品やPOP類には、また次の即売会で再利用されることになる。

この流れを端から見ていて気になっていたことがある。商品は会社の人が直接運ぶのではなく民間の発送業者にさせている点だ。私たちが日常生活で利用している宅急便や飛脚便と変わらないのである。いきおい、時間指定で頼んだのに届かない、とか、午前中に指定したのにもう正午になる、といった担当者からのクレームが私のボスのところにかかってくるわけだ。ボスはそのたびに業者に電話をかけて発送状況を確認し、時にはドライバーの携帯に直接電話をして「なんとも間に合わせてくれ」と催促することもある。

そうした光景を見て、なかなかの綱渡りだなと思う一方、

「こんなにしょっちゅう発送していたら、事故も起きるのでは・・・」

と心配になってくる。そして先日、その不安が現実化してしまった。

それはある日の昼休みを終えてすぐのことだった。東京で翌日から即売会をする担当者からボスに電話がかかってくる。

商品を発送する手配の段取りを間違えてしまい届かなかった。どうしても必要なものなので「いくらかかってもいいから」今日中になんとか持ってきてほしい。

要件はこんなところだった。非常にヤバい展開である。

「今日中に東京というのは、佐川やヤマトなら無理やろうなあ」

というのがまずボスの発した言葉だった。それは誰もが思うところだろう。即日配達の宅急便なんて聞いたこともない。

時計はまもなく2時を回ろうとしていた。しかし、ボスはいたって冷静でいつも通りの調子でニヤニヤしているくらいだった。

「誰かが新幹線に乗って持ってってくれたら一番良いんだけど・・・。渡部君、行ってみるか?」

などといきなり言われた。まあ、私は先日も深夜バスに乗って0泊で広島へ行ってきたような人間なので新幹線(急用なので無論「のぞみ」である)に乗って上京して時給が稼げるならこれ以上のことはない。ないのだけど、

「行きたいところですけど、僕は派遣だし、労災とかややこしいことが絡んでくるのでは・・・(笑)」

と冗談まじりに答えた。

ボスは、

「そりゃ、そうやなあ(笑)」

と言って、問題の解決に乗り出した。彼が連絡を取ったのは、近所にある小規模の運送会社だった。

「前に(運送会社の人と)しゃべった時、できるとか言ってたから・・・」

とのことだった。そしてその結果、なんと行ってくれるという返事がきたのである。急いで伝票を書き換え、荷物を再梱包し、納品先までの地図を用意した。午後3時10分ごろに運送会社の人が一人ふらっとやって来て、2、3分ほどその場で打ち合わせをしてから荷物を持って東京へと向かってしまった。その結果は確認してないけど、たぶん無事に届いたのだろう。

値段を訊いてみたら、交通費込みで4万4500円とのことである。交通費を引いたら1万5000円ほどが会社に入るというとこだが、緊急の依頼と考えればそれほど高くもないだろう。

こちらの運送会社は即売会によってはまとめて荷物を運んでもらってもいる。その判断基準はわからないが、地方のはずれにある会場などだったら小さい会社の方が大手よりも小回りがきいて便利なのかもしれない。

それにしても、荷物が無事に出荷されるまでまったく平常でいたボスには感心した。私なら、荷物がまだ届いてないんだけど、と電話が入るだけで右往左往していただろう。この辺りは経験の違いなんだろうな。
かつて10年ちかく在籍していた会社(某地方紙の子会社)が来年度入社の社員を募集しているという情報が入ってきた。サイトを調べてみると、それにともなう会社説明会も2回おこなわれると書かれている。釈然としないことが頭にいろいろと浮かんできたのでそれを述べてみたい。

まず、そもそもの話であるが、なぜ会社説明会を開催しようとしたのかという疑問がある。この3年ほどの情報は曖昧だが、かつては秋頃に社員募集を告知していた。募集を遅らせる理由は内定辞退をして逃げられるのを避けるためだったのだろうが、優れた人材を取ろうという強い意志も弱かった気がする(優秀な人は早い段階で内定しているだろう)。しかし今回は応募期間が5月下旬から6月初旬であり、それほど遅くはない。さらに会社説明会まで開くというのだから、少しでも良い人材を引っ張ろうという熱意が感じられるというものだ。そしてそれが私には違和感を抱くというか、なんかズレてるなあ、と思えてならないのだ。

まともに考えれば、良い人材が入って仕事をしてもらわなければ組織を存続させることができない。優れた社員を求めるのは会社の危機感の表れだろうし健全なんじゃないですか、と関係の無い方は思われるかもしれない。だが、果たして優れた人(厳密にいえば優れた原石)が1人や2人増えたところで組織が良くなるのだろうか。

もはや世間も関心を持っていないと思うけれど、新聞業界が厳しい状況におちいっていると言われてから久しい。それはインターネットの普及におけるメディアの構造変化、またそれに伴い「19世紀モデル」と言われるほど昔から続いてきた日本の新聞産業が悪い方向にダーッと進んでしまったことが原因である。もしも「良い社員が入らないと会社が駄目になる!」と吠えている人がいたとしたら、その人はもはや現実が見えていないと断定してよい。環境とか構造の変化という問題を、社員の良し悪しに転嫁しても何も解決しないのは明らかではないか。

穿った見方をすれば、こんなことをしても会社の業績など上がらないと分かっていて、それでも「敢えて」会社説明会を開催したという仮説も成り立つ。社会的に果たす役割もなくなった会社は、もはやするべき仕事がそこには無い。私のいた会社はまさにそれであった。そうなると「仕事をしない人」があふれてくる一方で、「こんな状況では会社が危ない!」と無駄にワーワーわめいている人間もたまに出てくる。しかしよくよくこういう人を観察してみると、実は何も仕事をしてなかったりする。組織の中ですべき仕事もないのに、できることなど無いに決まっている。こういう人を私は「仕事のふりをしている人」と呼んでいる。こういう輩が会社説明会のような無駄な仕事(?)を増やして「俺は、周囲の奴らと違って、仕事をしているんだ!」と自己満足に浸っているから救いようがない。

もう一つ疑問なのが、会社説明会をすることが誰にとって利益があるのか、ということがある。会社説明会とは、つまりその会社に関する情報を提供する機会である。そして、それは会社にとっては墓穴を掘ることと同義ではないかと思えてならないのだ。

さきほど少し触れたけれど、新聞業界はWindow95の登場以降は業績が右肩下がりで、それに対して何一つ改善点も見出せずにここまできてしまった。新聞の販売収入、新聞広告の収入、新聞というメディアの影響力、どれも著しく下がってしまった今、これから生きる若い人たちに伝えられることなどあるのだろうか。

説明会の内容には、

・営業幹部の話
・社員への質問コーナー ほか
※終了後、若手社員との交流会があります。

となっているけれど、営業幹部だの若手社員だのがいったい何を話すのだろうかと想像すると、薄ら寒いものを感じる。

将来有望な社員に入ってほしい、というのはまともな会社なら考えることには違いない。しかし将来の無い業界、先行きの無い会社に前途ある若者が入るというのは大間違いだろう。まあ、業界分析などをそれなりにしている優秀な人が新聞業界など目指さないだろうから、そういう心配をする必要もないが。

もし説明会に行く方がいるならば、

「御社は今年度より持ち株会社を設立されましたが、どのような意図があるのでしょうか?」

と訊ねていただればと思う。おそらく説明する側は目を白黒するだろうから。

170センチ後半はある坊主の男性が勤務先に現れたのは9月の後半からだったろうか。主婦の方ばかりのパートの中にあって、その長身でエプロンを着て作業する姿はなかなか異様なものがあった。年齢はまだ20歳だという。

就業形態もちょっと変わっていた。始業時間は私と同じ午前7時からだが、11時になったら「お疲れさまでした」と、いったん勤務先を離れてしまう。そして午後4時、私の業務が終わる頃にまたやってきて作業を再開するのだ。内勤の仕事が終わる午後7時まで働くらしい。

なぜこんな形になったかといえば、勤務先では朝のパートの他に午後に入れる人間も同時に募集をしていたからである。朝の勤務で応募してきた坊主の彼が面接をした際に、じゃあ午後の方もどうか?とボスが切り出して「します」と言ってこうなったらしい。

しかし、こんな歪な勤務形態がそれほど長くは続かなかった。勤務してすぐの金曜日、そして週明けの月曜日と立て続けに休んでしまう。

「I君(坊主のこと)、今日も休みだってさ。どう思う?こんなんじゃ計算が立たないじゃない!」

現場責任者の一人が、昼間の休憩所でややキレぎみにボヤいていた。

それでも坊主の彼はその後も断続的に出たり出なかったりしていった。そうして10月に入った頃、台風が通過するという日の前日だった、彼は「熱がある」ということでまた勤務先を訪れなかった。そうした連絡はボスの携帯に直接かかってくるらしい。

その翌日の朝、いつも通りに出勤すると、

「あの坊主、辞めたで」

と現場責任者の方が言ってきたのである。

「ああ、ついに・・・」

と特に意外とも思わなかった。

「やっぱり朝が辛かったんですかねえ」

とヘラヘラ笑いながら返して終わった。

しかし、あとで別の方から坊主の素性について話を聞いて少し呆れた。

「あの子、土日の水曜だったな、クラブでDJしてるんだって」

坊主頭だから野球でもしてるんじゃないかと勝手に思っていたが、DJだったとは・・・。しかしDJなんて夜行性の生き物が午前7時から仕事をするなんて土台無理な話である。ボスはそのあたりも面接で把握して雇ったのだろうか。それでも採用しなければならないくらい応募がないのか。

理由はどうあれ、朝の人員および夕方の人員を失ってしまった。そして、その代わりのメドもは立っていない。

もっといえば、パートは主婦ばかりなので色々な用事(運動会とか)で休むこともしばしばだ。先日の朝も人がいなくて、職場のボスと上の方が1人、要するに職場の2トップがパートと同じ作業をしていたのである。その光景は牧歌的といえる気がしないでもないが、「大丈夫なのかこの職場は?」と不安にもなってくる。しかし、繰り返すが、もはや私にはどうすることもできない話である。
いまの勤務先での業務が今月いっぱいと言われてしばらく経つが、特に来月以降の展望は見えていない。いちおう派遣会社から1件だけ話があったものの、年末までしか働けないなど条件があまり良くなかったので保留にした。

そんな不安定な状況の中でも現在の仕事は継続中であり、変わらず淡々と作業をしていた時の話である。手がすいた時に現場責任者の方が寄ってきて、

「派遣会社から契約を断ることってあるのか?」

というようなことを私に訊ねてきたのである。

「え?それは・・・」

質問の意図がわからずしばらく言葉に詰まってしまったけれど、話を聞くとこういうことだった。私が今月いっぱいで契約が切れるということで、現場では人が足りてないのにどうしてだ?と職場のボスに問いただした人がいたというのである。

ボスの返答はこんな感じだった。いままで4ヶ月とか2ヶ月とか1ヶ月とかバラバラの契約期間で更新していたけれど、そういう形は困る、と派遣会社が言ってきて終わりになったと。そんな説明だったらしい。

全てにおいて釈然としない話である。まず第一に私は契約期間について意義を唱えたことは全くない。となれば、派遣会社独自の判断で契約解除を切り出したことになる。そんなことはありえるのだろうか。派遣会社の立場としては1ヶ月だろうが1日だろうが契約期間を延ばしてもらって利益をあげたいと考えるのが自然だろう。

そのそもの話、契約期間がバラバラといった点を派遣会社が問題視するというのも矛盾している。不安定雇用の代名詞である派遣業が安定した雇用など口に出すものか。ただ今月から労働者派遣法が改正(ザッと内容を見た限り「改悪」な気もする)されて色々と派遣業にも縛りが出てきているのも確かだが、それは今回の件とはおそらく関係ない。

勤務先の状況に目を向ければ、この1ヶ月で派遣が1人契約解除されパートが1人辞めてしまい頭数は十分ではない。しかし、それに対する手当てはいまだにされていない。そんな中でまた派遣を一人切ることは現場としては筋が通らない。そして「なぜ?」と訊かれ、ボスが苦し紛れに発した詭弁が上の説明だったのでないだろうか。

ちなみにここのボスについて良く言う人が一人もいない。どうも自分の考えたことは杓子定規に進めていく傾向にあり柔軟な対応ができないらしい。私の契約解除も以前から決めていた計画を覆したくなかったからだろう。

ただ、そんなやり方のおかげで内勤の部署も外勤の部署も至るところでひずみが生じてきている。しかし、もはや私にはどうすることもできないのが辛いところだ。私が抜けた後に誰が穴埋めをするかも決まっていない。ボスが頑張るのかねえ。
9月25日(水)の午後8時53分、一人で近所の居酒屋のカウンターに座っていたら携帯が震え出した。発信元は登録している派遣会社である。

「ついに正式な連絡がきたか・・・」

と少し身構えて電話に出た。要件はもうわかっている。11月以降の勤務先との契約についてだ。

「契約ですが、10月いっぱいということになりました。また次の勤務先を探しますが、連絡が10月に入るかもしれませんので・・・」

「わかりました。こちらは当てもないので、よろしくお願いします」

と話を手短かにして電話を切って、再び飲み直した。

契約が終わることは、実はもう予想がついていた。その日の朝に勤務先の現場責任者から、

「残念だけど、終わるらしいで」

と聞かされていたためだ。

そもそもの話として、契約は長くて今年の11月くらいまで、と働き始める時に言われてはいた。だからほぼ予定通りとはいえる。私と同じ派遣会社の女性は9月いっぱいをもって終了となった。11月以降は派遣社員を雇わないという方針なのだろう。

それは会社の立場を考えれば自然な選択ではある。業務内容から考えると時給は高めだった(実際、近くで働いているパートの方よりも高かった)。それは早朝からの勤務という理由もあったかもしれないが、

「そんな時給、絶対払いたくないわ」

と、カウンター越しの居酒屋店長も言っている額である。しかもその上に派遣会社の取り分も乗っかってきて人件費は跳ね上がってしまう。聞けば勤務先は昨年に大規模なリストラをおこなったらしい。そんな状況の下でこの待遇のまま何年もいられるとは到底考えられなかった。

落ち込んでないと言えば、それは嘘になるだろう。いままで先方から切られたという経験はなかったからだ。いずれも自分から切り出して辞めている。バイトしていたコンビニが閉店するためクビになったということはあったけれど。

ただ一方で、ここで勤めて半年経ったあたりから体がキツく感じてきたのも否定できない。最近は慢性的な寝不足という具合で、昼間はいつも仮眠している状態になっていた。

そんな思いが錯綜しているため、10月をもって終わるのは良かったのか悪かったのか、その辺りの判断は微妙なところである。生活ができなくなる恐れが出てるのだから、本当はもっと危機感を抱くべきかもしれない。しかし10年近くいた職場を離れて最初に入った場所が6ヶ月、その次が7ヶ月半、そして今回がおよそ10ヶ月である。そんな状態を繰り返していると、まあこんなものかなあ、という気持ちになってしまうようだ。

とりあえず現状では指をくわえて派遣会社からの連絡を待つことくらいしかできない。歳も歳だし、たいして資格技能もない人間だから紹介された案件をとりあえず受けようという姿勢ではある。

ではあるけれど、

「干物をつくる仕事なんですが・・・」

とか言われたら、たぶん考えてしまうだろうな。そんなことを思いながらしばらく不安定な気持ちで日々を過ごすことになりそうである。
無駄欠勤や遅刻そして暴言などで周囲を騒がせていた朝のパートが、この9月20日をもって勤務地を去った。彼のために不愉快な思いをしながら働いていた方々も少しはホッとしたことだろう。

私もそんな一人であるが、内心ではそんなに穏やかな心境でもない。

「次は、俺の番かなあ・・・」

という思いが頭の中にちらついているからだ。

周囲の友人には少し漏らしていたけれど、9月いっぱいで現在の契約期間は終わる。そして8月下旬に派遣会社の方から更新の通知はあったものの、なんとその期間はわずか1ヶ月だったのである。

「勤務先によれば、今後のことはまだ決めかねているということなので・・・」

と電話越しの声は歯切れが悪い。まあ、もともと契約期間は「今年の11月までくらい」と事前に言われていたので、予定通りといえば予定通りではある。

それと同じ頃、職場では内勤の契約社員を一人採用した、という噂を聞く。その人が仕事を覚えたら私のお役御免ということだろうか。

契約社員を直接雇用するのが派遣社員を入れるより得なのかどうか厳密にはわからないけれど、私の時給に加えて派遣会社に支払う手数料もあるのでそんなに安い買い物でもないのは確かである。会社の理想としては時給が安くあがるパートで全てを回したいところだろう。私が会社側だったらそう判断する。

今年の1月上旬からこの場所で働いていたわけだが、「次は危ないかも・・・」と思った瞬間はこれまでにもあった。以下が私の契約期間の推移である。

最初の契約期間:3ヶ月(2013年1月〜3月)
1回目の契約更新:2ヶ月(4月〜5月)
2回目の契約更新:4ヶ月(6月〜9月)
3回目の契約更新:1ヶ月(10月)

と、すべて期間がバラバラである。その前の勤務先では3ヶ月ごとだったので、それと比較すればよけいに不安定さが目につく。

ヤバいと感じたのは契約期間が2ヶ月の時で、これを提示された時は、

「(勤務先は)これから更新しないとは言ってませんから・・・」

と派遣会社の担当が言っていたのを今でも覚えている。たぶん、この時期も次の契約が怪しかったのではないだろうか。

はっきり言うけれど、私が現在している業務は誰でもできる内容である。特殊な技術や資格など一切いらない。ただ、休憩時間以外はずっと立ちっぱなしで荷物もけっこう運ばないといけない。しかも始業時間は、午前7時だ。この時間を聞いてちょっと躊躇する人も少なくないだろう(私もそうだった)。

そんな条件のあまり良くない場所のため、パートや契約社員の定着率も高いとはいえない。毎月毎月、一人くらい誰かが消えていっている。私の代わりになるはずだった契約社員も、必要書類を提出せずに消えてしまったと聞く。

まもなく9月も終わりを迎える。私の去就については、週明けにははっきりするだろう。

ある日の昼休みのことである。休憩室で食事を終えてボーッとしていた私の向かいで、職場のボスと現場責任者の一人が並んで何やら話をしていた。

現場責任者の方はボスには顔を背けて、

「私、もう指導なんてしませんからね!」

と仏頂面で吐き捨てるような口調で言った。

それを受けたボスは、

「もう契約更新はしないから・・・。あとちょっと働いてもらって、ご苦労さん、ということで・・・」

と彼女をなだめるように話している。

これは一体なんだろう、と横で盗み聞きをしている時はわからなかった。しかし後日、こうした出来事が引き金だったらしいと知った。

朝パートにやって来るドヤ氏が、勤務地で商品を運ぶ時にちょっと危ない持ち方をしていたらしい。商品が破損したらまずいと思った責任者が彼に対してその持ち方を指導したのだ。

もし私がドヤ氏の立場だったら、

「ああ、すいません。これからは気をつけます」

と平謝りをする程度だったと思う。注意されるのは面白くないにしても、まあ、こちらに落ち度があるわけだから。

しかしドヤ氏は、

「アホンダラ。俺も商売してるからモノの大切さくらいわかっとるわ!今までこうしてやってきたんじゃ!」

と真っ向から反対したというのである。それが先ほどの二人が話をしていた日の午前に起きたわけだ。

現場責任者に対してちょっと言われたくらいでそこまでムキになるドヤ氏の幼児性も凄いけれど、その行動を支える「いままで俺はこうやって生きてきたから正しい!」とかいう類の根拠のない自信はわりと色々なところで見られる気がする。

あれは去年(2012年)の1月だったか。(ちょっと前にいた職場での)勤務を終えて京都駅の地下を歩いていた時にかつての上司(広告局長まで勤めた人)とバッタリ出くわした。その時は午後8時を過ぎており、向こうはすっかり紅い顔で絶好調な状態になっていた。そして私の顔を見るなり、日記(ブログ)を更新しろだの次の行き先を決めてから会社を辞めるべきだっただのと、酔った勢いにまかせて色々と勝手なことを言ってきたのである。

仕事が終わって疲れた身でそんなことを言われたのかこちらもムッとなり、何偉そうに喋ってんだよ、と言い返してみると、

「俺は(某新聞社の)社友やで」

と寝ぼけた(正確には、酔っぱらった、か)ことをほざいてくるではないか。

「関係ない!こっちは新聞社の子会社に所属していた人間だし、もはや上司でもなんでもないんだから」

とあしらってやったら、言うに事欠いて先方が吐いたセリフが、

「俺は、年上やで」

だったから呆れて言葉も出てこなかった。

年齢が上だとか下だとか、一つの職場に何十年勤めたとかといったそんなどうでもいいことで無条件に周囲が持ち上げてくれると思っているのだろうか。例えばレナード・コーエンが尊敬されるのはあの年齢(今年で79歳)で活動しているからではない。その作品やライブの内容に対して敬意を払われているのだ。

そういえば身内と話して口論になった時、

「お前、何を根拠にそんな偉そうなことを言ってるんだ!」

と問いただしたら、

「それは・・・お母さんがいままで生きた経験が・・・」

と同じようにボケた台詞が返ってきたことがあるような気もする。年長者というのは言うことが無くなると年齢や経験を拠り所にしようとする傾向があるのかもしれない。

しかしそれに対して、

「何が経験だ!頭がボケて体がぶっ壊れてきただけだろうが!」

とこちらは切り返した気がするが、これは話の本筋でもないのでこれくらいにしておく。

どうも人間というのは生きているだけで根拠もない自信を抱いてしまうらしい。かつての上司も身内もドヤ氏も同じ流れにいるように感じる。しかしそれは「馬齢を重ねる」という以上の意味はないだろう。「量が質を凌駕する」ということは人生には必ずしも当てはまらないのだ。経験や年齢によって尊敬されることを期待するよりも、敬意を抱かれるような人間になるよう努力する方がずっと大事だと私は考える。

それにしても、仕事が適当な上に遅刻や無断欠勤までするドヤ氏は今回の件でけっこう致命的なことを言ったのではないだろうか。おなじ職場にいる者としてはこの行方を見守りたい。

職場に朝の時間だけパートに来ているドヤ氏に関わる話は、まだある。

彼と私の始業時間は同じで、午前7時からだ。私はいつも始業開始の10分前くらいに職場へ来るようにしている。現場責任者に頼まれている雑用がありそれを片付けているからだ。ただ、そういう作業がなくても多少は早めに出勤するのが社会人のたしなみではあると思う。

しかし、問題のドヤ氏といえば、例外なく始業開始の2、3分前くらいのギリギリにやってくる(下手をすれば遅刻、または無断欠勤もする)。これはおそらく職場のボスが、始業時間の直前の出勤でいいよ、と言われたからだと思われる(私もそんなことを言われた記憶がある)。

別に私はアルバイトを管理する立場でもないし、ギリギリに出勤するくらいならそれほど気にしない。それがその人のペースだと思うからだ。しかし、ドヤ氏にはこれに「おまけ」がつく。彼は職場に着いたらまず打刻(だこく。タイムカードを押すこと)をして、それからエプロンを着て勤務を始める、かと思えば喫煙スペースに行ってタバコを吸い出すのである(さらに缶コーヒーを飲むこともある)。

これにはさすがの私も、

「それはちょっとまずいのでは・・・」

と思ってしまった。時計の針はもう午前7時を回っているのだ。勤務時間に入っているというのにどうしてここで喫煙をするのか。

現場責任者も、

「始業前にタバコを吸うの構わん。ただ、打刻してからというのはおかしい」

と私に言っていた。そして一度は彼にも注意をしたという。しかし言うこともきかないのでそれで終わりにしたらしい。その判断は賢明だったと思う。こんな輩にどう言ったところで従うわけがないのだ。

ドヤ氏の手法(?)は終業に関しても同じような手口を使う。彼の終業時間は12時までだが、「11時57分」くらいで仕事を切り上げるのを常としている。なぜそれがわかるかといえば彼が職場を離れる時に、

「お疲れさぁでしたぁ!」

みたいにデカイ声で終わりと告げるからだ。これは別に彼が礼儀正しいとかそういうものではなく、いわば「居酒屋のノリ」というか「飲食店のノリ」なのだろう。さすがに声を出さずにこういう業種はできまい。

それはともかく、ドヤ氏は12時まで働くことはまずない。理由は始業と同じことで、終わってから着替えて打刻をする頃には12時ちょうどになるという計算をしているのである。こうやって具体的に書いていると、実に彼のケチくさい魂胆が見えてイヤーな気持ちになってくる。

しかしながら、12時57分までしっかり(?)働くというのは、彼にとっては「まだマシ」な方である。酷い時には、11時50分くらいに喫煙スペースに行き、そのまま終業時間まで居座るということもあるからだ。私はこの時間はその喫煙スペース近くで作業しているが、頼みもしないのに自分の作業に彼が加わってきた時もある。

「別に一人で大丈夫ですけど・・・」

と追い払おうとしても、

「いや、手伝いますわ」

と言ってくる。

「何が、手伝います、だ。自分の持ち場に戻りたくないからといって、取ってつけたようなことするな!」

とかなり頭にきた。

こういう時に現場では、

「あれ?ドヤさんどこ行ったの?」

「いないね。帰ったんじゃないの?」

と苦笑の交じった会話が展開される。ドヤ氏は、例えは実に古いが、「腐ったみかん」だとつくづく思う(「腐ったみかん」の意味がわからない方は、ネットで適宜参照していただきたい)。

むろん、就業時間中にちょくちょくタバコを吸っているのも変わらない。彼のおかげで仕事が増えた私(彼がしない分を押しつけられたのだ)を尻目に、恍惚の表情で喫煙をしながら、

「今日は水曜日でしたよね?」

と訊いてきたことがある。

面倒くさいし彼の相手もしたくないので、

「はあ、そうですけど」

と無愛想に答えた。曜日なんて気にしてどうするんだと思ったら、

「今日は・・・週刊少年マガジンの発売日やね!」

と彼は満面の笑みを浮かびながら、そう言った。目当てのマンガでもあるのだろうか。

はー、私もなんだか腐ったみかんになりそうな心境である。

今の職場に来てからずっと普段着で仕事をしてくる。外勤の方はスーツで統一しているが、内勤は特に指定がない。パートの人たちはなぜかみんなエプロンをしているけれど、私は特に何も言われぬまましばらく仕事をしていた。

しかしある日、いつものように作業をしていたらボスが近くに来て立ち止まり、

「ヒラヒラするから・・・シャツのボタンを止めるように」

と切り出してきたのである。

「シャツが出る程度で支障のある作業でもないはずだが・・・」

と訝しく思ったものの、私の生殺与奪の権限を握っている上司である。彼からの指示は重く受け止めなければならないだろう。また、そんな些細な話で争っても何も始まらない。その時からシャツのボタンは止めて作業をすることにした。

しかし、ボスの要求はこれで終わらなかった。それから数日経って、また作業中に私のそばに来て立ち止まり、

「だらしないから・・・シャツは中に入れるように」

と再び服装に指示を出してきたのである。

これに対しては、

「うーん・・・いまどきシャツをスボンの中に入れる人ってそんなにいないんだけどねえ・・・」

とさすがに違和感を抱いてしまった。ましてや私は内勤であり、外部の人と接触するわけでもない。しかし、これまた業務命令と解釈してすぐシャツを入れた。こうしたことに対して特に若い人はこだわりを持つかもしれないが、私にとってはこの程度のことに抵抗するのは時間の無駄と思っている。そんなことを貫いて何が生まれるというのか。そう考えてしまうのだ。

そんなわけで、以後はボタンを止めるシャツは入れるで作業をするようになった。それに慣れてしまったある時、そのまま仕事を終えた帰りに大宮通を歩いていたことがある。ちょうどその姿を見た友人から、

「なにシャツを中に入れてるんや?どこのオタクが歩いてると思ったわ(笑)」

と言われてしまった。それ以来、職場を出るとすぐシャツを出してボタンを外すことにしている。

どうでもいい話をするけれど、私は自分のことを「オタク」とか「マニア」といった人種と思ったことはない。そんな域に達する知識とか勤勉さとか熱心さを持ち合わせていないからだ。ただ、そういう雰囲気の人間であるとは自覚している。これでリュックサックを背負ってウエストポーチを付けたら外見は完璧なそれである・・・絶対にしないけどね。

しかしこうした上司の指示があまりにくだらないので、ある日の昼休みに職場の方へその話を伝えたら、

「あのオッサン、アホちゃう?」

という反応が異口同音で返ってきた。内心、私もそう思っている。ただ、繰り返すが、そうした低次元のことに関しては私はさっさと妥協するようにしているから気にはならないし、すぐ相手の指示に従う。

だが、そんな素直な私もどうしても納得いかない部分が一つだけある。それは私のことではなく、朝にパートへ来るT氏の格好についてである。

実は、彼の服装について私はずーっと気になってしかたないところがあった。それは、彼がいつも短パンを履いていることである。足首が出ている程度の短パンであるが、それがいつも目に入ってくる。

例えば倉庫内作業をする場合、短パンというのはまず認められない。うるさい場所だとチノパンとか安全靴とか具体的な指定が入るだろう。台車とかフォークリフトとかが通る場所は足元が危ないからだ。今の職場は別に倉庫でもないしそんな大きい場所でもないし、小さい台車を少し使う程度の規模でしかない。ただ、それでも短パンはふさわしくないのでは・・・と思ってしまう。なんだかT氏のたたずまいが海や川へ遊びに来てるように見えてならないのだ。

そもそも、T氏から発する雰囲気がどうも「働く」ということとかけ離れているような気がする。もはや誰も彼を弁護することもないだろうから言わせてもらうけれど、最初に見た時は、

「ボス。この人はどこのドヤから拾ってきたんですか?」

という印象だった(「ドヤ」が何かご存知ない方はネットで適宜調べていただきたい)。そして実際の彼の働きぶりはどうだったかといえば、以前の日記を参照していただければと思う。ともかく、これからは「ドヤ氏」または「ドヤさん」と彼のことを呼びたい。

だが、ボスは彼の短パンに対して何か言っているような気配はない。まあ、あんな面倒くさい人間に対してあれこれ指示をする気もないのだろうけれど。

そういえば職場の人がかつて、

「渡部君、Mさん(ボスのこと)の言うことをハイハイ聞いてたらどんどん言ってくるから注意しなよ」

と忠告を受けていたことを思い出した。

うーん、それなら私も少しは面倒くさい人間になってみようか。そうしたら、今より働きやすい環境になるのかもしれない。別にそこまでストレスを感じてないけれど。

月末や月初が忙しい会社も多いだろう。私の勤務先も同じ事情で、8月1日は珍しく残業を1時間ほどしてから帰る。だが、その2時間後に職場でとんでもないことが起きるとは全く予測ができなかった。

これは今日の昼前くらいに、現場責任者の一人から直接聞いた話である。しかし、いまだに、

「あり得ない話でもないが・・・信じがたいなあ」

というのが正直な感想だ。

その現場責任者の方は私(午前7時出勤)より遅出の出勤になっていて、午前10時15分に職場にやってくる。そして午後7時とか8時くらいまで仕事をするという。その時点で職場のフロアにいる人は彼女と、これまた遅出のパートさん(基本は午後2時から6時まで)の女性1人だけである。

その日は月初ということもあり作業はたまっていて、パートのIさんも定時で終わらず残業していた。現場責任者の人とIさんは離れて別々の作業をしていた。時計の針は午後7時を回っていた頃である。

その時、遠くにいたIさんが突然、

「なんかエプロンを着た知らない男性が立っている!」

と言って駆け寄ってきたのだ。

こんな時間に誰が?と責任者の方が行ってみると、そこにはいたのは・・・朝の時間パートに来ているT氏だったのである。あの無断欠勤男のことだ。

T氏の正確な勤務時間は午前7時から11時の4時間である。よって午後2時から来るIさんは彼の顔を全く知らなかったので驚くのも無理はなかった。

いや、たとえ顔を知っている責任者にしても、目の前の出来事が把握できないでかなり困惑していた。

それでも、

「て、Tさん・・・何やってんの?」

となんとか訊ねてみる。

しかし、

「え?なんですか?今日は会社、休みなんですか?今日は何曜日ですか?」

と、いまだに現状が認識できないでいる。

「店はどうしたのよ?もう開けてるんじゃないの?」

そう。T氏の本業は居酒屋の経営なのである。正確な営業時間は知らないが、午後7時の時点でたいていの店は開けているだろう。しかし、当のT氏はそこからはるか離れた場所で、エプソン姿をしたまま立っているのだ。ちなみにエプロンはパートの人はなぜかみんな着用して仕事をしてる(私はしてません)。

「大丈夫?大丈夫?」と肩を揺さぶられ、店のことを言われて、

「あ、ああ・・・」

とようやく事情に気づいたのか、そのまま彼は職場を後にしたという。

ここからは現場責任者の話である。

「Tさんって、仕事が終わってから店の仕込みをするのよね。おそらくその後に仮眠をとってるんだろうけど、そこから寝ぼけて午前7時と午後7時を間違えたんとちゃうかなあ?いま午後7時はまだ明るいし」

「でもねえ、私らも寝ぼけて『あ、いま朝?夕方?』と訳がわからなくなることってあるけど、普通はどこかの時点で気づくでしょう?そのままこうやって行動に移すって・・・ありえへんわ(笑)」

「しかも、あの人、ここ(職場)までバスで来てるのよ(笑)。寝ぼけてバスにまで乗ってくるなんて・・・」

いろいろと話を聞いたものの、私が返した答えといえば、

「いや・・・可能性はゼロとはいえませんが、いまだに信じられないんですけど・・・」

と煮え切らないものだった。

話はさらに続く。

「今日Tさんに会ったわけだけど、昨日のことはちっとも口に出さないのよ。普通だったら『昨日はお騒がせしました』とか一言くらいあるでしょ?あの人、本当に寝ぼけてたんじゃないなあ。私も昨日のことが本当のことかどうかわからなくなってきたわ・・・」

これをご覧になった方は、すんなりと信じられるだろうか。事実は小説よりも奇なり、という言葉があるが、これはそういう類の話のような気がする。

ギリギリの線

2013年6月28日 お仕事
昨夜はものすごく久しぶりに食べ放題、それも焼肉の食べ放題に行く機会があった。その前に行ったのは何年前とかそのくらいであり、もう思い出すことすらできない。

若い人は誰もいない集まりだったので、制限時間を待たずして肉類の注文はピタッと止まってしまった。最後はみんなでアイスクリームばかり食べていたような気もする。それでも肉やガーリックライスなど栄養があるものを食べ過ぎたせいか、部屋に戻ってからも眠れずにいた。

そのまま日付が変わる時間まで起きて日記の更新などをしていたけれど、これはやはりまずかった。いつも通り午前4時30分に目を覚ましたものの、すぐに二度寝してしまったのである。気が付けば、そこから2時間の月日が流れていたわけだ。時計を見れば、6時30分を過ぎている。

あああああ。

とりあえずコンタクトレンズをはめて(裸眼ではもう作業ができないため)、ヒゲも剃らずにカバンを持って部屋を飛び出した。恥ずかしい話だが、靴下も履くことができなかった。おかげで足下は終始違和感を抱いたまま1日を過ごした。石田純一はこの状態でなんともないのだろうか。実に謎である。

外へ出るとひたすら今出川通まで突っ走った。かつて日記にも書いたけれど、この2月には自転車のカギを見失って遅れたことがある。その時はバスとタクシーを使って着いたものの、まだ6時15分とかそこらだった。今回はさらに時間が厳しい。間に合わないかもしれないなあ、と半ば諦めながらも今出川通を出ると、幸いすぐにタクシーがやってきた。この時点で6時40分ごろである。始業時間まで、あと20分だ。

運転手の方からは、

「時間は大丈夫ですか?」

と訊かれたので、

「7時までに着けばなんとか・・・」

とビクビクしながら言うと、

「ああ、道が空いてますから大丈夫ですよ」

とのことである。

だが、仕事場はちょっと入り組んでいてスッと辿り着ける場所ではない。iPhoneで住所を調べるも、出てくるのは「◯◯町××番地」だからわかりづらい(乗ったタクシーにカーナビは搭載されてなかった)。

それでも、ああでもないこうでもない、と後ろから指示を出しながら、6時53分には到着することができた。結果としていつもと出勤時間は変わりない。無事に着くまでは本当に不安だった。昨日はパートのT氏が30分ほど寝坊していたから、

「昨日はあっち(T氏)で、今日はこっち(私)かよ!」

と職場の方から思われるに決まっている。それもあって絶対遅刻だけはしたくなかった。

ただ、今回のおかげで職場に間に合うギリギリの線が把握できたのはまあ良かったことかな。今出川大宮からほぼ20分というところか。それを切ったらもうアウトである。それは身をもって知った。

このことは、寝坊してしまうとかなりダメージが大きいことを示す。早朝はバスも電車も本数は限られているし、今日のようにタクシーが都合よく止まるということも保証の限りではない。そう考えると、よくまあ半年ほど平日は欠かさずきちんと起きてきたと自分で思う。これも一つの「能力」だろう。たいした能力でもないけどね。

そのまま別に問題もなく仕事を終えることができた。気が抜けたので、思わず職場の方の一人に、

「いやー、今日タクシーで来たんですよ。寝坊したんで」

と言ってみる。すると先方はニコリともせず、

「お前は真面目に来てるから、1回や2回寝坊したって怒られないわ。もし遅れても、俺がごまかしてやるから」

という思いがけない返事がきた。別にかばわなくてもいいけれど、有り難い言葉である。やはり真面目に毎日出てくるだけでも、それなりに信用とか信頼は作られるのだなと思いを新たにした。

しかし、タクシー代1380円と帰りのバス賃220円は無駄な出費であったな。ちゃんと起きていれば発生しないお金である。

今日で6月の勤務が終わる。ここに来たのは今年1月の中旬からなので、もう半年ちかくになった。

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