あまりにもリアルに迫ってきた、励ましの言葉
2013年1月9日 就職・転職
先日に働くところが決まったので、友人知人にはメールやLINEを通じて「決まりました」と矢継ぎ早に報告をした。おそらく周囲は「あいつ、またすぐ辞めて大丈夫か?今度こそ終わりじゃないのか?」と心配になっていたと思ったからだ。
しかしながら、私の生き死になどに関心を持っている人は自分で思うよりずっと少ないのかもしれない。Facebookでも、
「いろいろお騒がせしてますが、この金曜日からまた働くことになりました。ありがとうございました。」
というコメントに対して付いた「いいね!」は6個である。こないだ大阪で食べた寒ブリ丼の写真(画像がそれ)には「いいね!」が8個付いていたというのに、である。世間は私がどうやって生きるかよりも、食べているラーメンや丼のほうによっぽど興味があるらしい。
それはともかくとして、働きます、というメッセージに対しては、
「おめでとう」
「良かったね」
「どこで働くの?」
などといくらか反応がかえってきたのでそれはそれで嬉しかった。しかし、その中に一人、ちょっと異彩を放つメールをくれた方がいた。以下がその全文である。
<そうですかぁ、ひとまずよかったです。
年齢とともに、新しい環境に馴染むのはなかなかしんどいものです。無理せずゆっくりいって下さい。
落ち着くといいですね。>
このメールは自分にとってかなり真に迫るものがあった。またこれまでと違う職場で一からスタートするにあたり、やはり不安というものは少なからず生じている。この1年でこれが3回目の職場であるが、果たして今回は長く続けられるのだろうか。
上に挙げたメールはもちろん私を励ますために送られたものに違いないけれど、それと同時に、自分の置かれている境遇を再確認させられるものでもあった。
しかしながら、私の生き死になどに関心を持っている人は自分で思うよりずっと少ないのかもしれない。Facebookでも、
「いろいろお騒がせしてますが、この金曜日からまた働くことになりました。ありがとうございました。」
というコメントに対して付いた「いいね!」は6個である。こないだ大阪で食べた寒ブリ丼の写真(画像がそれ)には「いいね!」が8個付いていたというのに、である。世間は私がどうやって生きるかよりも、食べているラーメンや丼のほうによっぽど興味があるらしい。
それはともかくとして、働きます、というメッセージに対しては、
「おめでとう」
「良かったね」
「どこで働くの?」
などといくらか反応がかえってきたのでそれはそれで嬉しかった。しかし、その中に一人、ちょっと異彩を放つメールをくれた方がいた。以下がその全文である。
<そうですかぁ、ひとまずよかったです。
年齢とともに、新しい環境に馴染むのはなかなかしんどいものです。無理せずゆっくりいって下さい。
落ち着くといいですね。>
このメールは自分にとってかなり真に迫るものがあった。またこれまでと違う職場で一からスタートするにあたり、やはり不安というものは少なからず生じている。この1年でこれが3回目の職場であるが、果たして今回は長く続けられるのだろうか。
上に挙げたメールはもちろん私を励ますために送られたものに違いないけれど、それと同時に、自分の置かれている境遇を再確認させられるものでもあった。
応募したのは遅かったが、返事がくるのは早かった
2012年12月27日 就職・転職今月に入ってから有給を消化しているけれど、その間はなるべく近所の職業安定所に通っていた。もはや私の年齢や経歴では応募できるところも限られているけれど、それでも何か行動しなければ始まらない。そうなると、それほど魅力的でもない案件でも申し込むだけ申し込んでみようと思ってしまう。
しかしながら、応募したからには履歴書や職務経歴書など必要書類を送らなければならない。手書きの履歴書が一番うっとうしいし、パソコンで作った送り状や職務経歴書にしても近所のコンビニにUSBメモリを持っていきプリントアウトしなければならない。部屋にプリンターがないからだ。そして書類を一式そろえて封筒に入れ郵便局に投函するのは本当に面倒くさい。
それでも職安で紹介状を発行してもらったら翌日までには準備して送ってはいた。ただ、12月20日に申し込んだ件についてはこの日になってもまだ何もしていなかった。
なぜかといえば、書類一式をPDF形式にしてメールで送ってくれ、と言われたからだ。いままで手書きで作っていた履歴書も、職安からもらう紹介状もである。いつも以上に手間のかかる作業だ。正直いってそれほど魅力的な条件でもないし、また自分が受かりそうもない仕事ではあった。もう放っておこうかとも一瞬は思った。
しかし応募を取りやめるためには、応募先と職安に一報いれておかなければならないのが決まりである。そうしないと、再び職安で応募した際に「こないだの応募した件はどうされましたか?」と問いつめられるに決まっている。それはそれでまた面倒な話だ。職安はまたしばらく行くだろうし。
そこで、履歴書と紹介状とUSBメモリを持って近所(といっても自転車で5分くらいか)のセブンイレブンへ向かう。そして履歴書と紹介状をPDFに変換し、USBに保存した。コンビニで何もかも作った格好である。そして昼過ぎに部屋で書類一式をメール送信した。紹介状を発行してもらってから1週間後である。かなり遅いけれど、ただこれで送ったという事実はできあがった。
しかし、驚いたのは送って2時間足らずで先方から返事が届いたことだ。内容はこうである。
<この度はご応募頂き、誠に有り難うございました。
書類一式を拝見させて頂きましたが、現在、ご応募を頂いている他の方々
との比較では、今回募集させて頂いているポストとの関係で、少々、業種・業
務のご経験に齟齬がある感を拭えず、今回面接をお願いすることは断念さ
せて頂かざるを得ないと考え至りました。
ご応募を頂いたことに、重ねて御礼申し上げます。>
予想通りの結果であった。
しかしながら、応募したからには履歴書や職務経歴書など必要書類を送らなければならない。手書きの履歴書が一番うっとうしいし、パソコンで作った送り状や職務経歴書にしても近所のコンビニにUSBメモリを持っていきプリントアウトしなければならない。部屋にプリンターがないからだ。そして書類を一式そろえて封筒に入れ郵便局に投函するのは本当に面倒くさい。
それでも職安で紹介状を発行してもらったら翌日までには準備して送ってはいた。ただ、12月20日に申し込んだ件についてはこの日になってもまだ何もしていなかった。
なぜかといえば、書類一式をPDF形式にしてメールで送ってくれ、と言われたからだ。いままで手書きで作っていた履歴書も、職安からもらう紹介状もである。いつも以上に手間のかかる作業だ。正直いってそれほど魅力的な条件でもないし、また自分が受かりそうもない仕事ではあった。もう放っておこうかとも一瞬は思った。
しかし応募を取りやめるためには、応募先と職安に一報いれておかなければならないのが決まりである。そうしないと、再び職安で応募した際に「こないだの応募した件はどうされましたか?」と問いつめられるに決まっている。それはそれでまた面倒な話だ。職安はまたしばらく行くだろうし。
そこで、履歴書と紹介状とUSBメモリを持って近所(といっても自転車で5分くらいか)のセブンイレブンへ向かう。そして履歴書と紹介状をPDFに変換し、USBに保存した。コンビニで何もかも作った格好である。そして昼過ぎに部屋で書類一式をメール送信した。紹介状を発行してもらってから1週間後である。かなり遅いけれど、ただこれで送ったという事実はできあがった。
しかし、驚いたのは送って2時間足らずで先方から返事が届いたことだ。内容はこうである。
<この度はご応募頂き、誠に有り難うございました。
書類一式を拝見させて頂きましたが、現在、ご応募を頂いている他の方々
との比較では、今回募集させて頂いているポストとの関係で、少々、業種・業
務のご経験に齟齬がある感を拭えず、今回面接をお願いすることは断念さ
せて頂かざるを得ないと考え至りました。
ご応募を頂いたことに、重ねて御礼申し上げます。>
予想通りの結果であった。
人はパンのみにて生きるにあらず、という言葉を君は知らねえな?
2012年5月17日 就職・転職今日は新しい職場で働き始める日だ。気合いを入れて朝5時に目覚ましをセットしたが、またしても4時半くらいに起きてしまった。身支度をしたりネットをしたり本を読んだりしても時間が余ってしまう。
「職場の様子がわからないし、周辺を歩き回ってみようか」
そう思い、さっさと部屋を出てバスに乗り込んだ。今度の勤務地は最寄りのバス停から一本で行けるところにある。所要時間は把握してなかったけれど、実際に行ってみたら25分程度だった。バスもあまり混んでおらず、職場まで席に座ることができた。
バス停を降りると、道の反対側のバス乗り場に、私の担当をしてくれた派遣会社のSさんが座っていた。約束の時間までまだ20分くらいあるけどずいぶん早い到着だなと感心する。そのSさんはひとまず置いて、勤務地周辺をしばらく散策してみた。そこは京都市内でもけっこう辺鄙な場所で閑静な住宅街の中にある。そして徒歩10分圏内にはコンビニすら立ってない。昼は外で食事を済ませるのはどうも無理みたいだ。こんなこともあるかと思い、バスに乗る前にローソンでパンとおにぎりを買っておいて正解だった。
15分ほど近辺を歩いてから、正面玄関でSさんと合流する。その場で勤務記録や給料振込、社会保険についてザッと説明される。社会保険については2ヶ月を超えて雇用契約が結ばれないらしい。もらえるとしたら7月からだそうだ。うわあ。それまでは病気になれないな。
何か疑問点はありませんかと言われたので、メールで労働条件の通知が届いていたのだが、勤務時間がどうも聞いてたのと違っていたのでSさんに、
「勤務時間が8時半から5時になってたけど、5時半じゃありませんか?」
と訊ねたら、
「ごめんなさーい。郵送する書面ではちゃんとしときますんでぇ」
とSさんの顔からは悪びれた様子は全くなし。まあ、可愛いから許してやるけどさ。そして私を指導してくれる勤務先のSさんが玄関に到着したら、
「では、頑張って仕事をしてください」
とSさんはその場を去っていった。早いなあ。そしていよいよ勤務開始である。
ここで詳しい仕事の内容を書くのは控えるけれど、仕事を指導するSさん、私と同じ派遣社員の男性1人、そしてパートの女性が2人というこじんまりとした職場であった。そこにほぼ1日ずっといるという具合だ。職場ではラジオ番組がずっとかかっている。これまでいた職場とはずいぶん雰囲気が違う。
私に仕事を教えてくれる方は4歳くらいしか年齢が変わらない男性で、ずいぶん親切に作業を教えてくれる。最初はできるわけないから、と無駄にプレッシャーをかけるような真似はしてこない。実際、かなり覚えることが多い業務(最初は何でもそうかな)なのでそう言ってもらえて心情としては助かった。ともかく作業をこなすだけで疲れるだけの初日だったけれど、こういう人の下でなら大丈夫かなと少し安心した。
それに比べると、少し前に半年間いた某所は悪夢としか思えないほどである。その職場で親しくしていた男性(20歳そこそこ。彼もそこを私と同時期に辞めた)に先日、働くところが決まったよ、とメールをしたらパッと返ってきたのが、
「金はいいの?」
というものだったので苦笑してしまった。本音を言えば、平日だけの派遣の仕事がそんなに待遇など良いわけがない。交通費も別途支給されるわけでもない。しかも給料は月末締めで翌月25日に支払いである。さすがにこれはあまりにあんまりだと思う。
それでも、仕事をする上での環境はかつてよりグッと改善されたことは間違いない。自分にとってはそれが一番貴重なことである。この部分は強調したい。
いまはすっかり著書も読まなくなったけれど、森永卓郎さんが仕事に関して述べていたことが今も頭に残っている。それは仕事を選ぶ基準についてであり、仕事は、
収入×苦痛の度合い
で考えよう、というようなものだった。森永さんは、楽して儲かる仕事なんて無い、という身もふたもないことを言ってからこの公式を挙げていたと思う。
給料が良くても体を酷使したり、精神的に無理がかかるような仕事をしても続かない。それで挫折でもしたら生涯年収としては逆に下がる可能性もある。いや、そもそもお金という尺度だけで人生を測るのはなかなか危険な行為ではないだろうか。確かにお金があればあるほど良いに決まってるが、それと同じくらい私は自分の時間が欲しいし無理な働き方もしたくない。健康のためなら死んでもいい、というような愚かな選択を取りたくないのである。
「金はいいの?」と言ってきた彼に対しては、
「人はパンのみにて生きるにあらず、という言葉を知らねえのか?」
と返してやりたい。よく、お金か自由か、などという青臭い二元論を聞くこともあるけれど、どちらが片方を取るというような問題ではないだろう。むしろ、この二つの要素をどうやってバランスを取るかが、その人の人生の充実度と繋がっていくと思う。
現在の私といえば、ピーク時からすれば収入は半分くらいになってしまった。しかし仕事のプレッシャーは思い切り解放されており、残業もほとんどしなくて済むようになった。そういう部分では自分の思い通りになっていっている。しかしこういう環境を整えるまで、かつての職場を去ってから1年ほど費やしてしまった。また、お金も人間関係も色々と失ったものもある。しかしどん底の状態はこれで一端は脱したと思う。なんとかこの状態を維持しながら、次の段階への足がかりを作っていきたい。そう願っている。
「職場の様子がわからないし、周辺を歩き回ってみようか」
そう思い、さっさと部屋を出てバスに乗り込んだ。今度の勤務地は最寄りのバス停から一本で行けるところにある。所要時間は把握してなかったけれど、実際に行ってみたら25分程度だった。バスもあまり混んでおらず、職場まで席に座ることができた。
バス停を降りると、道の反対側のバス乗り場に、私の担当をしてくれた派遣会社のSさんが座っていた。約束の時間までまだ20分くらいあるけどずいぶん早い到着だなと感心する。そのSさんはひとまず置いて、勤務地周辺をしばらく散策してみた。そこは京都市内でもけっこう辺鄙な場所で閑静な住宅街の中にある。そして徒歩10分圏内にはコンビニすら立ってない。昼は外で食事を済ませるのはどうも無理みたいだ。こんなこともあるかと思い、バスに乗る前にローソンでパンとおにぎりを買っておいて正解だった。
15分ほど近辺を歩いてから、正面玄関でSさんと合流する。その場で勤務記録や給料振込、社会保険についてザッと説明される。社会保険については2ヶ月を超えて雇用契約が結ばれないらしい。もらえるとしたら7月からだそうだ。うわあ。それまでは病気になれないな。
何か疑問点はありませんかと言われたので、メールで労働条件の通知が届いていたのだが、勤務時間がどうも聞いてたのと違っていたのでSさんに、
「勤務時間が8時半から5時になってたけど、5時半じゃありませんか?」
と訊ねたら、
「ごめんなさーい。郵送する書面ではちゃんとしときますんでぇ」
とSさんの顔からは悪びれた様子は全くなし。まあ、可愛いから許してやるけどさ。そして私を指導してくれる勤務先のSさんが玄関に到着したら、
「では、頑張って仕事をしてください」
とSさんはその場を去っていった。早いなあ。そしていよいよ勤務開始である。
ここで詳しい仕事の内容を書くのは控えるけれど、仕事を指導するSさん、私と同じ派遣社員の男性1人、そしてパートの女性が2人というこじんまりとした職場であった。そこにほぼ1日ずっといるという具合だ。職場ではラジオ番組がずっとかかっている。これまでいた職場とはずいぶん雰囲気が違う。
私に仕事を教えてくれる方は4歳くらいしか年齢が変わらない男性で、ずいぶん親切に作業を教えてくれる。最初はできるわけないから、と無駄にプレッシャーをかけるような真似はしてこない。実際、かなり覚えることが多い業務(最初は何でもそうかな)なのでそう言ってもらえて心情としては助かった。ともかく作業をこなすだけで疲れるだけの初日だったけれど、こういう人の下でなら大丈夫かなと少し安心した。
それに比べると、少し前に半年間いた某所は悪夢としか思えないほどである。その職場で親しくしていた男性(20歳そこそこ。彼もそこを私と同時期に辞めた)に先日、働くところが決まったよ、とメールをしたらパッと返ってきたのが、
「金はいいの?」
というものだったので苦笑してしまった。本音を言えば、平日だけの派遣の仕事がそんなに待遇など良いわけがない。交通費も別途支給されるわけでもない。しかも給料は月末締めで翌月25日に支払いである。さすがにこれはあまりにあんまりだと思う。
それでも、仕事をする上での環境はかつてよりグッと改善されたことは間違いない。自分にとってはそれが一番貴重なことである。この部分は強調したい。
いまはすっかり著書も読まなくなったけれど、森永卓郎さんが仕事に関して述べていたことが今も頭に残っている。それは仕事を選ぶ基準についてであり、仕事は、
収入×苦痛の度合い
で考えよう、というようなものだった。森永さんは、楽して儲かる仕事なんて無い、という身もふたもないことを言ってからこの公式を挙げていたと思う。
給料が良くても体を酷使したり、精神的に無理がかかるような仕事をしても続かない。それで挫折でもしたら生涯年収としては逆に下がる可能性もある。いや、そもそもお金という尺度だけで人生を測るのはなかなか危険な行為ではないだろうか。確かにお金があればあるほど良いに決まってるが、それと同じくらい私は自分の時間が欲しいし無理な働き方もしたくない。健康のためなら死んでもいい、というような愚かな選択を取りたくないのである。
「金はいいの?」と言ってきた彼に対しては、
「人はパンのみにて生きるにあらず、という言葉を知らねえのか?」
と返してやりたい。よく、お金か自由か、などという青臭い二元論を聞くこともあるけれど、どちらが片方を取るというような問題ではないだろう。むしろ、この二つの要素をどうやってバランスを取るかが、その人の人生の充実度と繋がっていくと思う。
現在の私といえば、ピーク時からすれば収入は半分くらいになってしまった。しかし仕事のプレッシャーは思い切り解放されており、残業もほとんどしなくて済むようになった。そういう部分では自分の思い通りになっていっている。しかしこういう環境を整えるまで、かつての職場を去ってから1年ほど費やしてしまった。また、お金も人間関係も色々と失ったものもある。しかしどん底の状態はこれで一端は脱したと思う。なんとかこの状態を維持しながら、次の段階への足がかりを作っていきたい。そう願っている。
またしても辛気くさい話題になるが、こういうニュースを目にすると何か書かずにはいられない。
読売新聞 5月8日(火)15時25分配信の、「就活失敗し自殺する若者急増…4年で2・5倍に」というものだ。記事はこのような文章で始まる。
<就職活動の失敗を苦に自殺する10~20歳代の若者が、急増している。
2007年から自殺原因を分析する警察庁によると、昨年は大学生など150人が就活の悩みで自殺しており、07年の2・5倍に増えた。>
厚生労働省によれば、08年4月は96.9%あった大学生の就職率が昨年(11年)4月には過去最低の91.0%までに低下したという。大きな転機はやはり08年9月のリーマンショックで、そこに東日本大震災がさらに追い打ちをかけている。私が先日受けた会社の説明会でも、リーマンショック以降は企業団体の求人が半分ほどになった、と衝撃的な話を聞かされた。
しかし、大学生の就職率が9割というのは感覚的にはあり得ない。実際は明らかにもっと悪いだろう。
私が浪人していた95年あたりから日本が不景気という空気が徐々に形成されてきたと思う。かつての、銀行はつぶれない、とか、出版業界とかギャンブル業界は不況に強いとかいうような「神話」がだんだんと崩れていった頃である。
しかしその時でも、
「いまは不景気だって言ってるけれど、それは東京あたりの話で、千葉や埼玉だったら仕事はまだあるぞ」
などと予備校の古文担当の先生が言っていたくらいで、今に比べればまだまだ呑気な段階だった。大学4回生だった99年は大学生の就職率が91.8%(当時は過去最低の数字だった)を記録した年で、卒業時点で進路が決まってない人もちらほらいたものの、学生の就職について大学も現在ほどには対策を取り組んでもいなかった。事態はまだ深刻ではなかった、今ほどには。
21世紀に入ってからは社会人になったので学生の就職事情には疎くなったけれど、世間ではIT長者のような人たちがもてはやされて、やれベンチャーだ起業だのといった言葉が行き交っていて、そうしたものに乗せられた人たちも多かったに違いない。
しかし最近ではもう景気の良い話はすっかり聞こえなくなった気がする。これからの日本は人口が確実に減っていくしGDP(国民総生産)を基準としたような「豊かさ」は徐々に失っていくだろう。
岡田斗司夫さんは「評価経済社会」と称して、これからは「お金」よりも「評価(または評判)」が重要な社会に変化していく、というような仮説をたてている。そしてお金が昔ほど必要にならなくなり、バリバリ働くことも重要じゃなくなるというようなことも言っている。
詳しくは岡田さんのブログを参照いただきたい。
http://blog.freeex.jp/archives/51323548.html
これからの世の中はどうなっていくか予測もつかないけれど、なんだか過渡期に入ったという感覚だけは自分も持っている。しかしながらそういう時代は変化に耐えられず犠牲になっていく人が出てくるのが常だ(岡田さんも、この20年は苦しいだろう、と言っている)。就職がうまくいかずに自殺する若者が増えているというのはその一つではないだろうか。
こうした時期において従来の価値観にこだわるのはなかなか危険な行為だ。かつて私が新聞社の子会社を退職し、5ヶ月ほどフラフラした末に某所の契約社員に滑り込んだ時の話である。その直後、近所にあった行きつけの小料理屋(今はない)に、なんとか働くことが決まりました、という旨を伝えた。そのとき横にいたお客さん、50代くらいの女性から、
「良かったわね。正社員なの?」
と訊かれたので、
「いや、契約ですけど」
と答えたら、
「えー?正社員じゃなきゃ駄目でしょう!私の子どももいま仕事を探してるけど、正社員じゃなきゃ心配なのよ。とにかく正社員よ!」
とまくしたてられたのには閉口した。もう論理が破綻しているから何も答える気も起きなかったが、とりあえず先方は正社員に強いこだわりを持っていることだけはよーく伝わった。このご時世、正社員になれば安泰です、なんてこともないんだけどね。
しかし、かつてこの日記でも書いたけれど、別にそれは子どものことを考えてるのではなく自分が安心したいだけなのだ。こうした親のプレッシャーも若者を自殺に追い込む原因かもしれないと感じる。
一方、今年の春に入った新入社員の6割が「今の会社に一生勤めようと思っている」と思っていると公益財団法人「日本生産性本部」の調査が明らかにしている。2000年の同調査では20.5%しかいなかったというから若者の安定志向も相当なものといえよう。
就職活動のプレッシャーが強まれば強まるほど、その疲れに負けて自殺する人も後を絶たないだろう。しかし現状では正社員にとって替わるような人生設計がほとんど提示されていない。そうしたモデルが出てこなければこうした問題も解決の糸口が見えてこないと思われる。
本来ならばこうした問題提起をしている私自身が、こんな生き方もあるよ!と何か具体例を出せたら良いのだけれど、現状では「正社員という身分を蹴って年収がガタ落ちになり定職もなくフラフラしている」というのだから何も言えない。
そしてあれから約1年、まだ私はこうした道の途上にいる。
読売新聞 5月8日(火)15時25分配信の、「就活失敗し自殺する若者急増…4年で2・5倍に」というものだ。記事はこのような文章で始まる。
<就職活動の失敗を苦に自殺する10~20歳代の若者が、急増している。
2007年から自殺原因を分析する警察庁によると、昨年は大学生など150人が就活の悩みで自殺しており、07年の2・5倍に増えた。>
厚生労働省によれば、08年4月は96.9%あった大学生の就職率が昨年(11年)4月には過去最低の91.0%までに低下したという。大きな転機はやはり08年9月のリーマンショックで、そこに東日本大震災がさらに追い打ちをかけている。私が先日受けた会社の説明会でも、リーマンショック以降は企業団体の求人が半分ほどになった、と衝撃的な話を聞かされた。
しかし、大学生の就職率が9割というのは感覚的にはあり得ない。実際は明らかにもっと悪いだろう。
私が浪人していた95年あたりから日本が不景気という空気が徐々に形成されてきたと思う。かつての、銀行はつぶれない、とか、出版業界とかギャンブル業界は不況に強いとかいうような「神話」がだんだんと崩れていった頃である。
しかしその時でも、
「いまは不景気だって言ってるけれど、それは東京あたりの話で、千葉や埼玉だったら仕事はまだあるぞ」
などと予備校の古文担当の先生が言っていたくらいで、今に比べればまだまだ呑気な段階だった。大学4回生だった99年は大学生の就職率が91.8%(当時は過去最低の数字だった)を記録した年で、卒業時点で進路が決まってない人もちらほらいたものの、学生の就職について大学も現在ほどには対策を取り組んでもいなかった。事態はまだ深刻ではなかった、今ほどには。
21世紀に入ってからは社会人になったので学生の就職事情には疎くなったけれど、世間ではIT長者のような人たちがもてはやされて、やれベンチャーだ起業だのといった言葉が行き交っていて、そうしたものに乗せられた人たちも多かったに違いない。
しかし最近ではもう景気の良い話はすっかり聞こえなくなった気がする。これからの日本は人口が確実に減っていくしGDP(国民総生産)を基準としたような「豊かさ」は徐々に失っていくだろう。
岡田斗司夫さんは「評価経済社会」と称して、これからは「お金」よりも「評価(または評判)」が重要な社会に変化していく、というような仮説をたてている。そしてお金が昔ほど必要にならなくなり、バリバリ働くことも重要じゃなくなるというようなことも言っている。
詳しくは岡田さんのブログを参照いただきたい。
http://blog.freeex.jp/archives/51323548.html
これからの世の中はどうなっていくか予測もつかないけれど、なんだか過渡期に入ったという感覚だけは自分も持っている。しかしながらそういう時代は変化に耐えられず犠牲になっていく人が出てくるのが常だ(岡田さんも、この20年は苦しいだろう、と言っている)。就職がうまくいかずに自殺する若者が増えているというのはその一つではないだろうか。
こうした時期において従来の価値観にこだわるのはなかなか危険な行為だ。かつて私が新聞社の子会社を退職し、5ヶ月ほどフラフラした末に某所の契約社員に滑り込んだ時の話である。その直後、近所にあった行きつけの小料理屋(今はない)に、なんとか働くことが決まりました、という旨を伝えた。そのとき横にいたお客さん、50代くらいの女性から、
「良かったわね。正社員なの?」
と訊かれたので、
「いや、契約ですけど」
と答えたら、
「えー?正社員じゃなきゃ駄目でしょう!私の子どももいま仕事を探してるけど、正社員じゃなきゃ心配なのよ。とにかく正社員よ!」
とまくしたてられたのには閉口した。もう論理が破綻しているから何も答える気も起きなかったが、とりあえず先方は正社員に強いこだわりを持っていることだけはよーく伝わった。このご時世、正社員になれば安泰です、なんてこともないんだけどね。
しかし、かつてこの日記でも書いたけれど、別にそれは子どものことを考えてるのではなく自分が安心したいだけなのだ。こうした親のプレッシャーも若者を自殺に追い込む原因かもしれないと感じる。
一方、今年の春に入った新入社員の6割が「今の会社に一生勤めようと思っている」と思っていると公益財団法人「日本生産性本部」の調査が明らかにしている。2000年の同調査では20.5%しかいなかったというから若者の安定志向も相当なものといえよう。
就職活動のプレッシャーが強まれば強まるほど、その疲れに負けて自殺する人も後を絶たないだろう。しかし現状では正社員にとって替わるような人生設計がほとんど提示されていない。そうしたモデルが出てこなければこうした問題も解決の糸口が見えてこないと思われる。
本来ならばこうした問題提起をしている私自身が、こんな生き方もあるよ!と何か具体例を出せたら良いのだけれど、現状では「正社員という身分を蹴って年収がガタ落ちになり定職もなくフラフラしている」というのだから何も言えない。
そしてあれから約1年、まだ私はこうした道の途上にいる。
小さくとも確かな支援〜京都橘大学の事例から〜
2009年2月17日 就職・転職2月13日に京都橘大学が、2009年卒業予定で内定を取り消された大学生について、授業料を1年間免除して卒業延期を認める方針をとった。
公式サイトはこちら。
http://www.tachibana-u.ac.jp/
支援策についての文書はこちら。
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/pdf/assistance-measures.pdf
支援を受けるためには、
・要卒単位を満たしていること。
・ 内定取消を受けた企業から本学就職進路課に「新規学校卒業者の採用内定取消通知書」が提出されてい ること、または就職ができなくなったことを証明する書類が提出されていること。
・「卒業留保願」(本学所定用紙)を提出していること。
の3点を満たしていることが条件となる。ただ、在籍料として1学期2万円は必要だ。
2月17日付の京都新聞朝刊によると、同大学では今年に入って男子学生1人が内定を取り消され、女子学生1人が就職時期の半年延期を言い渡されたという。
大学は、
「今回の措置では、内定取り消しだけでなく、就職時期の延期や内定辞退の強要を受けた学生にも柔軟に対応したい」
とも言っている。
私は大学院入試を失敗してそのまま大学を出てしまった経験があるけれど、新卒と既卒とでは就職活動に圧倒的な差が出てくる。日本の企業はまだ新卒採用が大半だ。また、大学を離れれば情報も乏しくなる。就職課もないし、パソコンのような設備も自前で工面しなければならない。ハローワークに行ったり雑誌を買って当たっていくなどの限られた方法しかなくなるのだ。
内定を取り消された人たちはまだまだ困難は続いていくことだろう。就職活動や生活にかかる経費もあるし、正直いって大学料を免除してもそれほど効果がないかもしれない。しかしながら、この困難で不透明な経済状況下において京都橘大学のような配慮を草の根で増やしていくことが打開策への着実な道につながっていくような気がする。
公式サイトはこちら。
http://www.tachibana-u.ac.jp/
支援策についての文書はこちら。
http://www.tachibana-u.ac.jp/official/pdf/assistance-measures.pdf
支援を受けるためには、
・要卒単位を満たしていること。
・ 内定取消を受けた企業から本学就職進路課に「新規学校卒業者の採用内定取消通知書」が提出されてい ること、または就職ができなくなったことを証明する書類が提出されていること。
・「卒業留保願」(本学所定用紙)を提出していること。
の3点を満たしていることが条件となる。ただ、在籍料として1学期2万円は必要だ。
2月17日付の京都新聞朝刊によると、同大学では今年に入って男子学生1人が内定を取り消され、女子学生1人が就職時期の半年延期を言い渡されたという。
大学は、
「今回の措置では、内定取り消しだけでなく、就職時期の延期や内定辞退の強要を受けた学生にも柔軟に対応したい」
とも言っている。
私は大学院入試を失敗してそのまま大学を出てしまった経験があるけれど、新卒と既卒とでは就職活動に圧倒的な差が出てくる。日本の企業はまだ新卒採用が大半だ。また、大学を離れれば情報も乏しくなる。就職課もないし、パソコンのような設備も自前で工面しなければならない。ハローワークに行ったり雑誌を買って当たっていくなどの限られた方法しかなくなるのだ。
内定を取り消された人たちはまだまだ困難は続いていくことだろう。就職活動や生活にかかる経費もあるし、正直いって大学料を免除してもそれほど効果がないかもしれない。しかしながら、この困難で不透明な経済状況下において京都橘大学のような配慮を草の根で増やしていくことが打開策への着実な道につながっていくような気がする。