それはバスに乗って部屋へ帰る途中の出来事だった。ポケットに入っていた携帯が震える。それは登録されていない番号で、「03」で始まる東京からの電話だった。しかし、いまの時間は午後9時50分である。いったい誰からだろう。

電話の主「渡部様の携帯ですか。渡辺美里ファンクラブです。いま、お電話よろしいでしょうか?」

私「いまバスの中なので・・・もうすぐ降りますけど」

電話の主「では、5分後にかけ直します」

ずいぶん遅い時間にかけてくるものだ。10分くらい経ってまた電話がきた。なぜわざわざファンクラブが電話をかけてきたかといえば、こないだ届いた大阪公演のチケットについてである(3月3日の日記を参照)。

http://diarynote.jp/d/30771/20060303.html

実は金曜日にファンクラブ宛てに「私の座席はどこなんですか?」という旨のメールを送ったのである。メールの最後に携帯の番号を記していたので、かけてきたわけだ。

電話の主は、メールの返事が遅れて申し訳ありませんと言ってから、チケットの不備があったことを再び謝り、ファンクラブで買ったチケットの引き換えを当日の会場でするという説明だった。座席を確認したら、やはり「A列」ではなく「Am列」、つまり前から13列目だった。

ちなみに大阪公演の会場である大阪国際会議場(グランキューブ大阪)には「A列」という席は存在しない。最前列は「Aa列」という表記になる。

ところで、電話の主はおそらくファンクラブのインフォメーション・テープの声の人だと思う。
この「Diary Note」を制作している人の遊び心なのか、いつのころか「アンケート機能」が搭載されている。自分でも質問を作ることもできるようだが、別に世間に聞きたいことも無いので作ったことがない。

しかし今日、ふとアンケートの質問に目が止まった。タイトルがその質問である。選択肢は「実話だと思う」「作り話だと思う」「電車男を知らない」の3つだ。私が投票した時の結果は以下の通りである。


実話だと思う
52.6%
作り話だと思う
43.0%
「電車男」を知らない
4.4%


予想はしていたけれど、本当か嘘かというのはほぼ半々だった。

電車男の元ネタである「2ちゃんねる」の書き込みの内容にはうさん臭い部分はたくさんあるようで、それを熱心に検証し指摘している人たちもいる。だが、そういう人の姿勢を見ていると、従軍慰安婦や南京大虐殺が無かったと言い張る人たちと重なって見えてくる。人の書き込みなど思い違いや間違いをゼロにするのは、自分は日記を書いているから痛感するが、非常に困難な作業なのだ。些細なミスをあげつらって全ての存在まで否定するというのは生産的な行為とはいえまい。ましてや、元ネタが「2ちゃんねる」なんていかがわしい場所なのだし、目くじらを立てるだけ無駄な気が個人的にはしている。

ところで、原作も映画もテレビドラマも観た私は、だまされたとしたら嫌なので、「本当であってほしい」という立場である。
デジタルカメラを買いました
仕事の資料のために写真をとる場面が割と多いけれど、デジカメをずっと使ってこなかった。使ってみたことがあるけれど、カメラの調子が悪くなり対処できなかった経験があって、それ以降は触ることすらしなかった。

しかし、フィルムだと取る枚数も制限されてしまうし現像にも出さなければならない。また、データとして保存することもできないので、管理するにもいろいろと不便である。

職場にはデジカメは一応あるので、買うまでもなかったかもしれない。しかし、自分のデジカメを持たない限り使い方を覚えるのは困難だろうし、スーツやカバンのような消耗品と考えて買うことにした。機種はソニーのサイバーショットで、メモリースティックを入れて4万2000円かかった。

上にある画像は、そのデジカメで取ったものである。住んでいる建物(3階建て)の屋上からの大宮通の映像である。京都のど真ん中なので、周囲はどこもこんな感じの味気ない風景だ。ちなみに、画像をクリックすると大きくなる。

恫喝

2005年8月8日 自選集
会社であまりにも酷い目に遭ったので、今日はそれについて少々述べたい。

仕事中、たまたま他の席の電話を取った。その電話口の男性の問い合わせに即答できなかったところ、急に向こうは怒りだした。そして、

「名前はなんというんだ!下の名前は!○○君(社長の名前)に言って、お前をクビにしてやるからな!」

ガチャン!

どんな立場の人間か判明できなかったけれど、そちらの質問にパッと答えられなかったからといって、社長の名前(しかも、「君」づけで)を出して「お前をクビにしてやる!」とは・・・とても良識のある対応ではない。私は横領とか粉飾決算とか悪いことはしてないから、そう簡単にはクビにできないよ。
午前9時30分、巣鴨のホテルを出てJRで秋葉原に行く。探しているものがあり、かのオタクの街ならばあるのではと店を散策してみたけれど、結局何も買わずにいた。それにしても、道も店内も「いかにも」という感じの人がいっぱいいる。ただ、ヲタの人から見ればここは快適な街なのではなかろうか。そういう人ばかりなのだから、一目をはばかることなく自分の趣味に没頭できるにちがいない。

そういう自分もその街に自然と溶け込んでいたけれど、彼らとはかなり趣味嗜好はかなり違うだろう。この日来ていたTシャツも「misato V20」などとプリントされているものだし。まあ片足くらい突っ込んでいるかもしれないが、秋葉原のような世界だけにいたいとも思わない。もっと幅広い視野を持ちたいと自分では思っている。

ちなみに秋葉原のコンビニでスポーツ紙をざっとひとまとめで買った。もちろん、昨日の西武の模様の記事のためである。公式発表によれば、3万9000人が来たという。昨年よりも1万7000人も多いではないか。

秋葉原から一転、今度は銀座の松坂屋に行く。松坂屋の4階にある「ベノア」で紅茶を買うためである。せっかくだからケーキとアイスティーを頼んで一休みした。お茶もケーキも、値段はそこそこするけれどなかなか美味しかった。しかし、秋葉原といいベノアといい、「電車男」に出てくるところばかり寄ってしまった。

それから夕方の新幹線で帰るつもりだったけれど、暑さや疲れで嫌になってきたので、2時26分発に繰り上げてもらい、6時前には自分の部屋に戻った。
大阪南港でのイベント「Magic Rock Out」から京都に帰ってきたのは朝の7時半すぎだった。帰って朝ごはんを食べおわって床についたら、3時半ごろまで眠ってしまう。会場のATCホールの通路でも、帰りの京阪電車の中でも寝ていたのに、それでもまだまだ足りなかったようだ。

今日は寒いのでずっと家にいたかったのだが、先日から大学の中に自転車を置きっぱなしにしていたのでそれを取りに行く。ちょうど大学の卒業式がおこなわれていて、晴れの衣装を身にまとった人たちがたくさんいた。だが世の中は相変わらず不況だし、卒業後の進路が決まっていて本当に晴れがましい気持ちでいる人は何人いるのだろう。卒業しても進路がなかった自分だったので、そんな疑問が自然と湧いてくる。

思えば高校は志望校に入れなかったし、大学は1年浪人したしで、卒業式において楽しかったり切なかったりといった思い出は自分には全くない。明日からまたやりきれない日々が続くんだな、という暗い思いを抱いての卒業式ばかりだった。

本日聴いたCD)
スラップ・ハッピー「ライヴ・イン・ジャパン」
96年の2月末から今日まで京都に住んでいる。その間に私が買ったり買ってもらったりした自転車は4台になる。今日はそれをについてちょっとまとめてみたい。

(1号車)同志社大学入学時、京田辺の下宿ちかくの自転車屋で買う。しばらくしてカギをなくし、ぶっ壊してそのまま使い続ける。そのまま今出川キャンパスに移ってからもしばらく乗っていた。しかし実家に帰る際に、烏丸今出川に自転車を置いたままにしたのが失敗で、戻ってきたら自転車が無くなっていた。

(2号車)1号車が無くなってすぐに買った。切り替えなど特殊な機能はついていないが1万8千円くらいした代物である。しかし、これも烏丸今出川、要するに1号車が無くなった同じ場所で紛失する。後に大徳寺交番で発見され帰ってきた。そして昨年後半、坊さんの乗ったスクーターと接触により大破した。

(3号車)その坊さんに買ってもらった自転車であるが、今年の1月、謎の紛失(単にどこに置いたのか忘れた?)を遂げる。

(4号車)3号車が無くなってしまったと簡単に思い買った自転車。買った数日後、会社の近所で3号車が発見される。しかも、こないだ後輪が大破した。

こうして見ると、自転車についてろくな思い出が無い。いまは3号車を乗っている。

(本日聴いたCD)
イースタン・ユース「雲射抜ケ声」、ジャクソン・ブラウン「孤独なランナー」「レイト・フォー・ザ・スカイ」

自転車が爆発

2004年2月16日 自選集
自転車の調子が悪い。すぐ空気が抜けてしまうのだ。マンションには幸い空気入れがあるので、空気を入れて走らせてみる。しかし、いまいち乗り心地が良く無い。ガタガタした感触ばかりが残る。

そして悲劇が訪れたのは、さらにしばらく走ってからだった。後輪が動きづらくなってくるという事態が発生する。タイヤを調べてみると、チューブがズレている。これはまずいと思い、中に押し込んだ瞬間である。

「バン!」

おいおいおい!なんだよ「バン!」て。後輪が無くなっているではないか。

周囲にいたサラリーマンの男性、犬と散歩していた人も怪訝そうな顔でこっち見ている。自転車を押してその場を通り過ぎたが、みっともないことこのうえない。

もう、これはチューブをまるまる新しいものに代えるしかない。5千円はかかると思う。こないだ自転車そのものを買い替えたばかりだというのに・・・。

(本日聴いたCD)
イースタン・ユース「旅路ニ季節ガ燃エ落チル」

喪失

2004年1月22日 自選集
今日と明日は休みである。事情により2日間ずっと自転車を会社の駐輪場に置きっぱなしにしてしまった。休みではあるものの、駐輪場まで行った。

無い。自転車が。

2日間酔っぱらっていたので、最初はどこか他の場所に置いたのではと思ったが、こころあたりを探しても、無い。

寺之内で暮らすのに自転車は必須である。日々の暮らしを考えるにつれ、暗くなった。
今日は自分にとって、ニール・ヤング来日に次ぐ記念すべき日になるのではないのだろうか。

海外で私の最も好きなミュージシャンは、アイルランドはベルファスト出身のヴァン・モリソンという人である。来日したことは一度もない。ではせめて映像でその姿を観たいと思うのがファンの願望ではあるが、かつて日本国内で唯一発売されたライブ・ビデオ「ザ・コンサート」は90年ごろに発売されて、それっきりのままだった。

先日、ネットのオークションで検索したら、なんと「ザ・コンサート」が出品されているではないか。もちろん入札し、落札したのは言うまでもない。幸運は続くもので、最初の価格1500円で落札できてしまった。

ちなみに、私の入札額は2万円である。

有終の美

2003年10月3日 自選集
トップページにずっと載せていたが、この日をもってteentrashのベースであるHIROKAZuが脱退する。3人が同じステージに経つのは今日で最後ということで、昼で会社を切り上げて心斎橋のバハマまで足を運ぶことにした。

6時半くらいにバハマの前に来るとバンドのメンバーたちが集まっていた。今日は3組のバンドが出演し、その最後に出るということだ。TOSHi君に今後のことを聞いたら、ベースとドラムスが加わる可能性もあるかもしれないと言っていた。しかし基本的には白紙の状態だという。

最後のステージについていえば、2ヶ月ほど定期的に演奏しつづけてきた成果もあり、音響にしろステージさばきにしろかなり良くなっていて、これが(3人としては)最後のステージには見えない。最後の最後ではHIROKAZuが中央に移動してヴォーカルをつとめるという演出もあった。

終わってからメンバーたちと飲む。これで4日連続で誰かと飲んでいることになる。

送別会

2003年9月30日 自選集
01年7月にいまの会社に入ったが、自分を含めて同時期に入社したのは8人である。その中の1人が今日をもって退社することになった。

送別会をしようと言ったのは自分だが、日が決まってから会議が入ってしまい途中からしか参加できなかった。一次会は焼肉、二次会は近くの「つぼ八」で11時半くらいでお開きとなる。割とあっさり終わった印象。

(本日聴いたCD)
ニール・ヤング「アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ」

2001年7月

2003年9月22日 自選集
このとき私は1年3か月の無職生活に区切りをつけ、いまの会社に勤め始めた。ニール・ヤングがクレイジー・ホースを率いて89年以来の来日をし、フジ・ロック・フェスティバルに出演したのもこの時期である。会社に入って間もないし、お金もなかったしで、苗場の会場に行くことはあっさりあきらめた。

しかし、この時のニール・ヤングのステージはそれは凄まじいものだったらしい。”ライク・ア・ハリケーン””ロッキン・イン・ザ・フリー・ワールド””パウダーフィンガー””ロール・アナザー・ナンバー”今宵、その夜”と代表曲を連発し、日付けが変わるまで演奏していたという。無理して観に行けば良かったと後悔したのは言うまでもない。もう来日も無いかなとも考えた。

しかし、あれから2年後になって再来日が突然に決まるのだから、世の中はどう転ぶのか予想がつかないものだ。高齢のミュージシャンが来日するたび、「もう最後だろうから」とチケットを取る自分がいたりする。
ニール・ヤングが来日する!!!!

しかもバックはクレイジーホース!!!!!

観たい。観たい!観たい!観たい!

というところに大阪公演も決定!

死ぬまでに絶対観たい人なので、なんとしても行く!

最終の武道館まで追っかけるかも?

磔磔

2003年3月31日 自選集
携帯に「磔磔の席、まだ空いてますよ(笑)。」というメールを受け取ったのは19時1分のことだった。富小路通というわかりづらい場所にある磔磔で、この日は高田志麻というミュージシャンが公演をしていたのである。彼女はBONNIE PINKと同じ事務所のタイスケ所属ということぐらいしか知らない。

顔見知りも来ているので行こうかなとも考えていたが、もうそんなお金も無いのであっさりあきらめた(ちなみにチケット代はたったの2000円である)。そのまま会社の人と食事をすることにした。

解散になったのは9時ごろだった。ライブもそろそろ終わったのかなと思いメールを送ってみたら、まだサイン会とかをしているらしい。そこで自転車で磔磔に向かった。着いたころにはほとんど人がいなかったが、顔見知りの3人がまだ高田志麻を待っていた。雨も降り始めていたが、昨日の京都駅で土下座をしたことなどを談笑していた。そのうちに高田志麻が出て来たので、思わず携帯で写したジョニー・マ−の画像を見せると驚いていた。彼女はスミスが好きなのだろうか。

そのまま3人と別れた後、Tsutayaで高田志麻のアルバム「あいのうた」を借りる。また、余計な出費をしたな。
ソニック・ユースの大阪公演に行くため、会社を全休にする。ちょっと早めに心斎橋まで行き、そこからしばらく歩いてラーメン屋「神座」(かむくら)に初めて入ってみた。

神座はチェーン店であるが非常に有名な店でいつも混雑しているという。しかし入った時間が4時半ごろということでガラガラだった。店の前で店員が立っているのは何かと思えば料金が前払いだという。食券を買って中に入って店員に渡す。店の中は全てカウンターになっており入り口と出口は別々になっている。店員はみなコックの格好をしていて、ラーメンはワゴンで運んでくる。壁には有名人のサインがずらっと並んでいた。

肝心のラーメンの味だが、一言でいえばラーメンらしくない味である。中華というよりはコンソメのような感じで甘い。さらに白菜が具に乗っているのも特徴であるが、とりたてて美味しいとも思えなかった。その白菜を食べた時は「どこかで食べたような味だな」と思って考えていると、ロールキャベツを思い出した。あの甘い味をどう思うかで好みが分かれるだろう。自分としては、まずくはないが、並んで待ってまでは行かないかなというところである。

食べ終わった後、心斎橋近郊で少しブラブラして、そのまま歩いて会場のなんばHachへ。すべてが終わったのは10時ごろ、部屋に戻ったのは11時半ごろだった。
今日は自分にとって、人生の転換期というか挫折というか、そういう日ではないだろうか。などと大袈裟に言うことでもないが、ついに携帯電話を買ってしまった。auの新機種でカメラ付き、値段が9800円した(それに2000円割り引きをしているが)。本日支払ったものはたいした額ではないが、毎年4万〜5万は払うことになると思うと、気が重くなる。

本音をいえば、携帯など持たないまま一生を終わりたかった。不経済だし、電磁波は体に受けるし、周囲には迷惑がかかるしで、持っていて何の得があるのかと今でも思っている。

なぜDocomoやJ-Phoneでなくauにしたかといえば、第3世代携帯のシェアはauが9割を占めているという理由からである。

(本日聴いたCD)
モリッシー「VIVA HATE」
本日、家に帰って日記を更新しようとしたら、「90日以上の日記を保存することができません」というメッセージが出た。なんじゃそりゃ。
何年も書くつもりでいたので、そんな日記を使うわけにはいかない。というわけで、いくらでも保存できるらしいこの日記に変更した。(くわしく中身を見ていないけれど・・・)
明日は仕事が終わると外に泊まるので、日記は更新できません。
目を覚ましてみれば、頭痛や下半身の痛みは収まった。熱も引いている(と思う。実際には計っていないが)。ただ、お腹の調子が悪いくらい。これならば大丈夫と思い出勤する。
今日は仕事が終わった後に約束があったので、あまり休みたくなかったのである。昼間こそうどんしか食べなかったものの、夜は中華料理屋で食べ、ビール・紹興酒・焼酎・日本酒・ウーロン茶と一通り飲んだ。これで回復しないことは無い、かな?
(本日聴いたCD)
ポール・ウェラー「イルミネーション」
酒を飲む相手が会社を離れるとほとんどいない。いざ急に飲みたくなっても、残念ながら誰もいない。いままでは、ラーメン屋でビールを一緒に頼むのがせいぜいだった。
相手がいないから飲めないというのも大人げないし、行動範囲もそれでは拡がらない。そこで、独りでどこか店に入って飲もうと決め、小さな料理屋に入る。結果をいえば、入ってしまえばどうということがない。ただ、料理を待つ間とか、日本酒を自分で酌するのは寂しい気がする。自分の他にも独りで飲んでいた人もいた。初老の男性だったが。
しかし、このまま酒びたりの生活に入るのだろうか。お金が続くわけもないので、それはあり得ないけれど。ちなみに、今夜は3、370円かかった。

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