もう世間で大きく報道されているが、ボブ・ディランが今回ノーベル文学賞の受賞が決まった。「偉大なアメリカの歌の伝統の中で新たな詩的表現を創造してきた」というのが受賞理由だという。ミュージシャンとしては初の受賞であり、それについて賛否の意見が飛び交っているのも周知の通りである。ノーベル賞というもの自体に対する否定的な見解も見かけた。私はノーベル賞について何かよく知ってるわけでもないし、ディランについては来日公演を4回観た程度の人間に過ぎない。そこで、その範囲で思ったことを書いてみたい。

まず、ボブ・ディランに続いてノーベル賞を受賞するミュージシャンがこれからは出てこないだろう、という点だ。ディランがレコード・デビューをしたのは1962年のことで、同時期にデビューしたビートルズとともに後進のミュージシャンや芸術家などに大きな影響を与えたことは別に改めて述べることもないだろう。そして、彼に並ぶような存在が70年代以後の時代に出てきたかといえば、私はパッと思い浮かばない。ディランはとりわけその難解にして複雑な歌詞について注目され論じられてきたが、他に歌詞が評価された人といえば・・・モリッシーとか亡くなったルー・リードあたりが個人的にて出てくるけれど、いずれも世間的な知名度は及ばないというのが正直なところだ。

まあ、ディランについて少しでも知っているならば、ノーベル賞のような大きな賞の一つや二つ取ってもさしたる驚きでもないのだが(実際、ピューリッツァー賞も過去にもらっているわけだし)。彼がミュージシャンに出る以前と以後でポピュラー・ミュージックのあり方が変わってしまったことを思えば、今回の受賞については大きな意外性は無いとはいえる。

ただ、今回の件で違和感を抱くことがあるとすれば、歌詞「だけ」を評価された受賞されたという点だろうか。文学とは何かという大きな問題に触れる気もないけれど、彼があくまで「ミュージシャン」であり、「詩」ではなく「音楽」を作ってきたということは間違いない。あくまで歌詞は音楽の一要素であり、それだけを強調してもディランの素晴らしさは語れないだろう。当の私自身が、歌詞はほどんど聴き取れず歌詞カードもほとんど読まないまま現在に至っている。それは彼の歌詞よりも歌声とかサウンドの方に重きをおいて「音楽」に接していたから、という説明しかできそうもない。

現時点で、ディラン側から受賞に関する公式なコメントは出ていない。これはもう、今回の件について彼はさしたる関心もないという証拠だろう。かの哲学者サルトルのように、ディランもノーベル賞の受賞を拒否するのだろうか。

実際のところ、ファンにとってはかなりどうでもいい話だったかもしれない。ディランが本当に素晴らしいのは、レナード・コーエンもヴァン・モリソンもそうだが、この2016年になってもまだステージに立ちつづけて演奏をして作品を作り続けていることなのだから。

今回をきっかけに、またディランの作品を聴き直そうか、などという思いが少しよぎったが。が、この春に観た来日公演が前回と半分くらい内容が同じだった、というアレなものだったのでずっと聴かなくなっていたのだが・・・。それはともかく、まあおめでとう、というくらいは言いたい。
アマゾンにあるヴァン・モリソンの新作アルバム「「デュエッツ:リワーキング・ザ・カタログ」(15年)のページをことあるごとに確認している。

http://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%84-%E3%83%AA%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%83%AD%E3%82%B0-%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%BD%E3%83%B3/dp/B00TKGOKFG

そして、

「〇点在庫あり」

という部分にいつも注目している。私が最初に見たときは15点ほどの在庫だったが、それから数日で在庫がゼロになったのだ。それからまた「20点在庫あり」と表示が切り替わる。再入荷されたのだろう。そしてさきほど見たときには「7点在庫あり」となっている。売り上げランキングでも「音楽>ロック」の部門で「21位」だった。一度も日本に来たこともないミュージシャンと考えてみれば、なかなか立派な数字ではないだろうか。

この光景は彼の作品が確実に売れていることを確認できるという点で非常に面白い。そして、この日本でもヴァン・モリソンを金を払ってまで聴きたいと思っている人が存在していることを知り、ファンとしては本当に胸が熱くなってくる。

ページを飛んでいただければおわかりになるが、私もカスタマー・レビューに投稿している。本作の売り上げに少しでも貢献しているとすれば、この上のない光栄だ。

この日記でも感想および、You Tubeにある全曲のリンク(違法ではありません)を張っているので、興味を持った方はぜひご覧いただきたい。

http://30771.diarynote.jp/201503280905031493/
昔の日本の歌謡曲については全く詳しくないし興味もほとんどないけれど、田端義夫のアルバムは1枚だけ持っていた。買った時期は96年から97年の間(同志社大学の田辺キャンパスに通っていた時期)、近鉄京田辺駅ちかくの古本屋で手に入れたものである。タイトルは「田端義夫全曲集」で、発売日が93年の11月21日となっている。今からもう20年前だ。しかし1曲目が”歌手生活五十五周年記念 人生の船はヨーソロ!”となっている。この時すでにそれだけのキャリアがあったわけだ。

しかし、おおよそ関心のないジャンルにいるバタヤンのCDをなぜ私は買う気になったのか。それは何かのテレビで彼の歌う姿、もっと正確にいえばギターを抱えた格好が強く印象に残っていたからなのは間違いない。You Tubeで確認できるが、アゴが乗るくらいにギターを高く持ったあのスタイルは他に観た記憶がない。

さらなる衝撃を受けたのは、ギターそのものであった。ギターの上の側面、つまりアゴが乗る部分が使い過ぎてすり減っているのだ。それはこの歌手が気の遠くなるような長い年月を歩んできたのかを音楽以上に雄弁に物語るものであった。

バタヤンについてもう一つ記憶に残っているが、テレビ番組「いつみても波瀾万丈」(日本テレビ系列)にゲスト出演したのを観た時のことである(調べてみると放送日は1993年10月31日だった。「田端義夫全曲集」の出る直前だ)。

その名の通り、ゲストの波瀾万丈な人生を紹介する番組だったが、貧乏なため小さい時から魚を売る仕事を手伝わされ周囲からバカにされたこと、右目が病気になったがお金がないため治すことができず失明してしまったこと、その2つのエピソードだけは今でも頭に残っている。もう20年も前のことで記憶は全く定かではないが、この番組でさきほどのギターを私は見たのだろうか。しかしそれはもう確認のしようもない。

97年に「高千穂・神話の里フェスティバル」で共演をしたソウル・フラワー・ユニオンの中川敬がどこかの雑誌で、ロバート・ジョンソンに会ったようだ、というような発言を見かけた記憶がある。悪魔と魂を引き換えに驚異的なギター・テクニックを手に入れた、などという伝説もあるブルース・マンである。しかしジョンソンが生まれたのは1911年だから、バタヤンとはわずか8歳しか違わない。ちなみに同い年の歌手として、ナット・キング・コールがいる。

中川が時事通信で「うたのありか〜戦前の流行り唄」という連載でバタヤンについて書いているものをネットで見つけた。

http://twitpic.com/ai4dit

<船内や呑み屋の宴から漏れ聴こえてくる唄声に耳を傾け、気に入ったら即採譜して持ち曲にしてゆくという、唄に対する並々ならぬ好奇心。ヒット曲<島育ち>もそんな具合に新橋の屋台で巡り会った運命の唄だ。>

この逸話は、1933年に音楽学者のロマックス親子によってルイジアナのアンゴラ刑務所で「発見」されたミュージシャン、レッドベリーを連想させる。殺人の罪で収監されていたレッドベリーはブルース、バラッド(伝承歌)、労働歌、宗教歌など様々な種類の歌を記憶していた脅威のミュージシャンであった。彼の音楽は録音されることになり、例えばクリーデンス・クリアウォーター・リバイバル(CCR)が”C.C.Rider”をカバーするなど、後世のミュージシャンに多くの影響を与えた。ちなみにヴァン・モリソンが最も敬愛する一人が、このレッドベリーである。

バタヤンの歌にしても我が国の遠い遠い歴史が刻まれている。終戦直後の1946(昭和21)年に出したヒット曲”かえり船”は、You Tubeにあった動画(何かのテレビ番組)ではこんなナレーションに導かれて始まる。

<「みなさま。本当に、ご苦労さまでした。この船は、日本(にっぽん)の船です。」

そんな放送のあと、船内にこのメロディーが流れてきました。

”かえり船”

田端義夫さんです。>

戦争が終わり、外地から日本へ引き揚げてきた気持ちを「実感としてわかる」という人は現在においてもはやごく少数だろう。バタヤンはそんな時代を背負いながら21世紀まで歌い続けてきた歌手だったのである。それから90歳になってもアルバムを出したというのは凄すぎてもはや形容する言葉も見つからない。

だがその長い旅も、94年をもって幕引きとなってしまった。奇しくも、翌月に歌手生活75周年を記念したドキュメンタリー映画「オース!バタヤン」が公開されるという矢先のことである。

私が知らないだけで、この国にもこのような凄い人はたくさんにいるのだろう。そうした功績が将来も評価されたり継承されるのだろうか。私はそんな使命も才能もないけれど、久しぶりに「田端義夫全曲集」を聴きながら考えてしまった。

あのボロボロのギターが脳裏にあると、その響きはまた格別な思いがする。いまはただただ合掌するばかりだ。
最近、いやこの1年ほどライブのチケット情報を見逃していることがやたらに多い。音楽雑誌もFMラジオも音楽サイトもろくに確認していないからだろう。

またSNSが発達した時代なので、気になる情報はmixiやTwitterなどに出てくるだろうという何の根拠もない思い込みも自分にはあった。たとえ情報が流れていたとしても、自分がしっかり見ていないと情報が無いことと同じである。

今回のBABYMETALのライブについても同様だった。2度あったチケット先行予約はもちろんのこと、一般販売も知らないうちに始まっていた。チケットは言うまでもなく完売である。

BABYMETALって何?という方は、You Tubeで検索していただきたい。この日記では昨年末に少し触れてもいる。

偶然出会ったBABYMETAL(ベビーメタル)について
2012年12月20日
http://30771.diarynote.jp/201212202258422293/

東京しか公演がないけれど、いつまで続けてくれるのかわからないグループである。「いつ観るの?いまでしょ!」というところだが、その割にはチケット情報に鈍感だった自分がいる。しかしもう完売したものは仕方ない。というわけで、オークションでチケットを手に入れることにした。調べていると、それほど多くはないがチケットが出品されていた。そのうちの1件で入札をしてみる。価格は1万円に設定した。定価は5500円である。

しかし、予想していたことだが、時間が経つにつれてチケットの値段がどんどんつり上がっていった。結局、1万円を超えてしまう。自分の懐事情を考えると、これ以上の競争はちょっと厳しい。

そこで他の出品を見てみると、即決価格(その金額で入札すれば落札となる価格)が8500円というのがあるではないか。

「さっきの値段の上がり方を見ると、1万円以下で落札は難しそうだな」

と判断し、この値段で手を打とうと決めて8500円の入札をした。これでめでたく落札である。

しかし、この出品に関する「注意事項」は少し違和感を抱いた。以下がそれである。

<こちらからの連絡を待たずに、オークション終了後1時間以内に以下の必要事項の連絡と24時間以内の代金支払いをお願いします。

【郵便番号】
【住所】
【氏名】
【連絡先】
【配送方法】

・期限を守れなかった場合は【落札者都合によるキャンセル】として対応させていただきますのでお気をつけください。

・いたずら入札防止、他のお取引の安全を守るため当方の情報は一切お教えすることができないことをご理解ください。

・ノークレーム・ノーリターンでお願いします。
・入札後、落札後のキャンセルは一切受け付けません。
・コンサート内容の変更や延期、中止に伴う返金返品は不可となりますのでご注意ください>

1時間以内に必要事項を送り、24時間以内に入金しろと指定するとは、なかなか強気な商売である。

「てめえ、ネットでダフ屋行為をしてるような輩が何を偉そうにしてるんだ!殺すぞ!」

という思いもなくはなかったが、こちらとしてはなんとかプラチナ・チケットを手にいれなければならない弱い立場であるし、言われる通りに必要事項を、

「取り引き修了までよろしくお願いします」

などと丁寧に応対して、入金もすぐにネットで手続きをとった。送料と手数料を含めて合計9289円となる。

チケットの発送方法については、

<・ヤマトの宅急便着払い 60サイズ 東京23区より発送
・レターパックプラス 500円
・レターパックライト 350円>

の3種類が用意されていた。レターパックプラスとレターパックライトの違いもわからないまま、ろくに調べもせずにレターパックプラスを指定する。果たしてこれで良かったのだろうか。まあ、無事に届けばどうでもいいか。

ところで、最初に入札したチケットの行方が気になるので調べてみたら、最終的に落札価格は「1万6500円」まで跳ね上がっていた。定価の3倍である。競争しなくて良かったとつくづく思う。

ところで、ライブ当日(6月30日)の時点で、私の去就は不明である。現在の仕事はとりあえず5月までの契約となっており、その後に関しては未定だからだ。そんな状況で上京してライブを観に行くと言ったら、ディスプレイの向こうからアホーアホーという声が聞こえてきそうである。しかし、私のこういう体質は昔からなのでいくら批判や説得をしても無駄なのだ。

肝心のライブはどんな様子なのかはYou Tube で「BABYMETAL」を検索したら動画がいくつか出てくるのでご覧いただきたい。去年のシンガポール公演の模様がまとまった時間観ることができるのでおすすめである。それにしても、日本もシンガポールもお客のノリは異様に高い。

そして、この空間で「キツネだお」のポーズをしながら「Xジャンプ」をするのが、今年の私の目標(?)の一つである。
先月の終わりに中島美嘉が新作アルバム「REAL」を発表した。出荷日に二条駅の大垣書店で初回盤を手に入れる。その中に、これはいつものことだが、CDを買った人の特典としてツアーのチケット先行予約の案内が封入されている。

私にとって中島美嘉の不思議な点に、その人気がどの程度のものかなのか、ということがある。私は「LOVE」(03年)のあたりからずっとライブに足を運んでいるけれど、チケットが取れなかったという経験はない。だいたいこの購入者の先行予約で申し込んでいるけれど、ずっと当選し続けている。チケット自体はいつも売り切れているわけだが、毎年紅白に出ている人のわりには競争率は思うほど激しくないというのが実感である。

今回は大阪公演が7月26日(金)、27日(土)とフェスティバルホールで設定されている。仕事が早く終わるので金曜日が希望だったが、

「やはり、万が一はずれた時のために、土曜日も申し込んでおこうか」

と「第2希望」で土曜日の公演も申し込んだ「つもりだった」。

それからしばらく経って、先日の15日(金)の午後6時にメールが届いた。件名は

<「中島美嘉」当選のご案内>

である。たぶん大丈夫だと思っていたものの、とりあえずチケットを確保できてひと安心、のはずだった。

しかし、おかしい。なんかわからないけど、「当選のご案内」が2件も届いているのである。

「おかしいなあ。なんで2件も当選通知がきているのか」

と思って詳細を確認して、ああ、と頭をかかえてしまった。メールの冒頭だけ紹介する。

<ワタベ カズアキ様

以下の内容で当選が決定しました。

「中島美嘉」CD購入者特別抽選先行(一次)
2013年07月26日(金) 18:30開演
大阪:フェスティバルホール>

もう1つは、

<ワタベ カズアキ様

以下の内容で当選が決定しました。

「中島美嘉」CD購入者特別抽選先行(一次)
2013年0 7月27日(土) 18:00開演
大阪:フェスティバルホール>

である。

何をしていたんだ、私は。第1希望とか第2希望ではなく、ただ別々に公演を申し込んでいたのではないか。しかも、おめでたいことに、2件とも当選するとは。

1件くらい外れても良かったのに。

さきほど私が彼女の人気に対してグダグダ書いた理由が多少は感じていただけただろうか。

しかし、何よりも自分の不注意や用心のなさに嫌になってくる。こんなことを日常でもするから仕事でもヘマをやらかすんだ。しかし、こういう自分の欠陥は一生治らないのだろうか。お金の工面よりも、そういう駄目さ加減を再確認したことのほうが辛い。

お金はお金で大変だ。チケット代と手数料を入れて代金は7400円。が、2枚である。カード決済なのでキャンセルは不可能である。どこで穴埋めをすれば良いのやら。

別に中島美嘉のライブを2公演を観るのはやぶさかではない。

いやあ、2日連続でライブを観れるなんて楽しみだなあ。

などと、いつから私はこの人のそんな熱心なファンになってしまったのやら。BONNIE PINKだって2日連続で観ないんだけどなあ。チケットを取れたのは嬉しいものの、なんだか後味の悪い結果である。
もういつの日かは覚えていないけれど、朝の5時半ごろのことだったことだけは確かである。その日は「radiko」を立ち上げたまま寝てしまい、くるりのメンバーがDJをしている「ラ・くるり」(JFN系列)が起き抜け状態の私の耳に入ってきた。

番組内のコーナーで、おそらくは新進気鋭のミュージシャンの曲をかけて、メンバー全員が興味を持って「もっと聴きたい!」と思ったらまるまる1曲それが流れ続ける、という主旨のものがあった。最初に紹介されたアーティストは1分くらいでブツンと切れてしまったが(気に入らなければ即終了となる)、その次に流れたのが「ベビーメタル」の“ヘドバンギャー”だったのである。

「ヘヴィメタル」をもじったそのグループ名も気になったけれど、実際の音楽もなかなか衝撃的だった。バックは確かにメタルであるが、そこに場違いな女性ボーカルが乗っかっているという実に奇妙なものであった。しかしそれがなんとも魅了的というか面白いもので、新しいものにはとんと興味を示さない自分が珍しく、

「このグループについてもうちょっと調べてみよう」

という気持ちにさせられた。そしてYouTubeで「ベビーメタル」と検索したら、この“ヘドバンギャー”のプロモーション・ビデオに出会ったのである。

BABYMETAL - ヘドバンギャー!![ Headbangeeeeerrrrr!!!!! ] (Full ver.)
http://www.youtube.com/watch?v=0GErGfHjHQ0

ライブ映像も見つかった。

BABYMETAL - いいね![ Iine! ] ~Live in TOKYO 2012~
http://www.youtube.com/watch?v=stmFt7GaM-Q

しかしこれを観たとたん、

「えー、アイドルだったのお?」

と彼女たちに対して情報ゼロだった私はけっこうな違和感を覚えてしまったのだ。どこかの個人レーベルから出てきたグループだと勝手に思っていたのも大きい(寝起きだったので記憶は曖昧だが、ラジオ番組の中でもアイドルだとか「さくら組」とかいった紹介はなかったと思う)。

だがメタルとアイドルというあり得ない組み合わせ、そして“いいね”のライブ映像の異様な盛り上がり具合などを観て、このグループに対する興味はますます高まってしまった。

比較的硬派な印象のあるカルチャー誌「STUDIO VOICE」のサイトでも彼女たちのことがけっこう真面目に取り上げられていて、この文章はぜひ一読をおすすめしたい。

「AKBからももクロまで グループアイドル・ムーヴメント Vol.6」
http://studiovoice.jp/?p=31447

タイトルの、

「ナパームデス出現以来の衝撃」

というのには笑ってしまったけれど、You Tubeでは海外からの書き込みも殺到するなど、ちょっと信じられない反響が各所で起こっている。この11月にはPerfumeよりも前にシンガポールのイベントに出演している。

しかしながら、BABYMETALに対する評価は毀誉褒貶が激しい。賛否両論が真っ二つに分かれているのだ。アイドルとメタルの融合ということで拒否反応を示す人も少なくないのだろう。両ジャンルが好きな人にとってはかなり半端な存在に見えることはなんとなく想像できる。

当の私にしても最初に映像を観た時は、

「なんじゃこりゃー!」

というのが第一印象だったし、今でもそうした思いが心の片隅に少し残ってもいる。人間というのはやはり今まで観たこともないような存在を目にすると違和感が生じてしまうのが自然なのだろう。

しかし、アイドルにもメタルにもほとんど関心のないかなり中途半端な趣味をもつ自分が彼女たちに惹かれたというのは我ながら興味深い。ロック・バンドであるくるりの番組で紹介されたというのも何やら象徴的ではないか。

こうした発見をして一人で喜んでいるのもアレなので、こないだ行きつけの某ラーメン店に行った時、そこのおかみさんに来年1月に出る新曲“イジメ、ダメ、ゼッタイ”の映像をiPhoneで紹介してみた。

これを観たおかみさんは、腹を抱えてゲラゲラ笑った末に、

「これの何がいいの?(笑)」

とストレートかつ本質的な問題提起が飛び込んできて、面食らってしまった。

思いがけない反応に狼狽した私は、

「ほっ・・・本来は融合すると思えないメタルとアイドルという2つの要素が、奇跡的なバランスの上に・・・」

と屁理屈をこねても、

「何よ、それ(笑)」

と一蹴されてしまった。あー。

しかし、BABYMETALは予備知識の無い人にとってもかなりインパクの強いものであることがこの件で証明されたといえよう(されてない?)。

さっき少しだけ触れたが、来年(というか来月)1月9日に通算4枚目のシングル“イジメ、ダメ、ゼッタイ”が満を持して発売される。

BABYMETAL - イジメ、ダメ、ゼッタイ - Ijime,Dame,Zettai (Full ver.)
http://www.youtube.com/watch?v=nDqaTXqCN-Q

既にライブでは馴染みになっている曲で、YouTubeでは11月26日に映像が出たが、アクセス数も15万に迫っている状況だ。

ここにきて世界的なブレイクへと繋がるか、それともメタルというジャンルらしく局所的な盛り上がりで終わるのか。それは想像がつかないけれど、1月9日は何かが起きると確信している。

AKB48もPerfume、そしてもも色クローバーZも間に合わなかったけれど、彼女たちのブレイクする瞬間はぜひ立ち会いたい。そして、一度ライブに参加して、手でキツネのポーズを作って「Xジャンプ」をするのが今の私の願いDEATH(です)。

ところで、本日(12月20日)はボーカルのSU-METAL(中元すず香)の15歳(!)の誕生日であり、赤阪ブリッツで「I、D、Z〜LEGEND "D" SU-METAL聖誕祭」がおこなわれた。参加したかったなあ。
もうけっこう前の話になってしまうが、Facebookで繋がっている方がこんなことを書いていた。

<好きなことばかりやって楽しそう とよく言われる
花から花へ飛びまわる蜂のようだとも

たしかにそうです
でもその代わり 手放したこと 諦めたことは人の何倍も多い
安全地帯に立ったままじゃ 自由に飛べないから>

フリーランスで仕事をしている方だから書ける実に含蓄ある言葉だ。そしてこの一文には「自由」ということの本質が表れている気がして興味深い。

「好きなことばかりやって楽しそう」と言った人は実に浅薄で表面的な見方しかできないと感じる。

もしも、

「じゃあ、自分もされてみては?」

と訊ねたら、

「いやー、そういわれても・・・アレがアレだし(笑)」

などとまともな返事もないし、ましてや実際に行動に移すことなどあり得ないだろう。その人自身、意識的にせよ無意識的にせよ、組織を離れることのデメリットを身に沁みて感じているからだ。

一方、「楽しそう」と感じたのは、フリーランスで働く魅力もあると思っているのも事実だろう。

こうして考えると、組織で働くのもフリーランスでいくのも、一長一短があるということが見えてくる。どちらかが有利でどちらかが不利、というような話でもないのである。

組織の一員として働くのは、基本的に自分の領域だけ仕事をしてその範囲内で責任を持てばよい。収入についても会社から支給されるから比較的安定してる。それが大半のサラリーマンの姿であろう。

これに対してフリーランスは、仕事に関する全てに対して責任がともなってくる。収入だって誰かが代わりに稼いでくれるわけではない。その面でも自分次第である。単純に両者を比較するとこんな感じだ。

しかし、いつの頃からか、こうした構図もなんだか変わってきてるのは誰もがうすうす気づいてくることだろう。日本全体の景気が悪くなったおかげで、組織にいるからといって安泰でなくなってきたからだ。いまのサラリーマンの多くは給与カットやリストラの恐怖に怯えながら辛い仕事にひたすら耐えているのではないだろうか。そして、それゆえフリーで生きる人に対し羨望のまなざしを送ったとしても不思議ではあるまい。

そう。フリーで仕事をする大きな魅力の一つは、組織特有のしがらみに囚われずに行動できる余地があることだろう。

だが、それは前述の多くの責任や不安定さを受け入れるということが前提になってくる。その覚悟がなければフリーで生きることはできないだろう。

ネットでもよく見かけるのだが、「自由」=「自分の好き勝手に生きること」と勘違いしている人が多いような気がする。そういう考えにはもの凄く違和感を覚えるし、例えば「周囲に迷惑をかけても自分が楽しければモッシュやダイブをしても良い自由」などというのは私にはどうしても認める気になれないのだ。そんな都合の良い話は存在しないわけで、自由というものをはき違えているとしか思えない。

佐野元春が92年に出した傑作アルバム「SWEET16」に「Rainbow In My Soul(レインボー・イン・マイ・ソウル)」という曲がある。60年代に活躍したR&Bシンガー、ジーン・チャンドラー(Gene Chandler)の”Rainbow”からの一節をタイトルに引用したこの曲は、世間ではあまり有名ではないかもしれないが、発表された当時は「新しい”サムデイ”」と評判になったことを記憶している(”サムデイ”は佐野の代表曲の一つ)。

そのサビの部分に、

<失くしてしまうことは 悲しいことじゃない>

または、

<失くしてしまうたびに 君は強くなる>

という印象的なフレーズが出てくる。この曲を初めて聴いたのはまだ16歳(おお、「SWEET16」だ)という年齢だった。それゆえ、

「何かを失って強くなるなんて、なんとなく辛辣で苦々しいが、良いフレーズだなあ」

などと抽象的な印象しか抱かなかったけれど、こうした「自由」について思いを巡らせてみると実感をもってこの一節を受け止められるような気がする。いろいろと大事なものを捨て去っていったことにより、結果として身軽になっていくということなのだろう。

フリーで生きている人には数多くの喪失体験があるに違いないと思っていたけれど、その見方は外れてなかったようだ。しかし、人生はそういう辛いことばかりでもない、ということも上のコメントや”Rainbow In My Soul”は教えてくれる。
ビートルズがシングル「ラヴ・ミー・ドゥ」でデビューしたのが1962年10月5日、今日から50年前のことである。4人のメンバーのうち2人は亡くなっており、現存する2人も70歳を超えてしまった。もはや「ロック」という言葉に新しさを感じることもないだろうが、この音楽を全世界に広めるのに最も影響を与えたバンドが彼らだったことに異論は無いだろう。

FM802ではこの日、「THE BEATLES 50th ANNIVERSARY Funky802 MEET THE BEATLES」と題して、番組内でビートルズの曲ばかり流し続けていた。私の職場ではいつも802が流れていてなんとなく聴いていた。

すると曲名がわからないが、

「あれ?この曲、ソフト・セルに似ているような・・・」

というのが耳に飛び込んできた。

ソフト・セルの曲は1枚目の「エロティック・キャバレー」(81年)に収録されている”ベッドシッター”である。

Soft Cell - Bedsitter
http://www.youtube.com/watch?v=wFaIhDLb_NE

ビートルズの曲名はこの時わからなかったが、ネットで調べたらなぜか簡単に見つかった。4枚目のアルバム「ビートルズ・フォー・セール」(64年)に入っている”エイト・デイズ・ア・エイク”である。

The Beatles- Eight Days a Week(Studio Recording)
http://www.youtube.com/watch?v=YtuybFrq7Rw

ビートルズの影響はニュー・ウェーブの時代にも及んでいたのだな、と妙に感心してしまった。

また、色々な日本のミュージシャンがビートルズに関する思い出を話しておすすめの曲を紹介するコーナーがあった。その中で私にとって親しみのある声がいきなり出てきた。BONNIE PINKである。

BONNIEは98年にジョージ・マーティンによるビートルズのトリビュート・アルバム「イン・マイ・ライフ」(98年)の国内盤ボーナス・トラックで参加している。まだ彼女の髪が赤くて私がまだファンでなかった頃の話だ。

レコード会社から、どの曲を歌いますか?と打診された時に、BONNIEがパッと思いついたのが”ブラックバード”だったという。それを伝えたら、ジョージもあの歌手には”ブラックバード”が合うんじゃないだろうかと言っていた、という返事がかえってきたという。また、かつてロンドンでポール・マッカートニーが弾き語りで”ブラックバード”を歌うのを観てウルウルきたということも話していた。

個人的にはビートルズに特別な愛着はなく、8年間という長くない活動期間に出した膨大な作品群を追いかけることも多分ないだろう。それでも、彼らの影響力は大きいんだなあ、と朝のひとときだけで感じてしまった。
毎朝起きたらパソコンの「radiko」を立ち上げてFM大阪を聴くことが多い。6時からはTOKYO FM系で全国38局に流れている「クロノス」が始まる。その中で、今週末におこなわれる「サマーソニック」の注目アーティストのベスト3を紹介していた。解説していたのは主催元の「クリエイティブマン」の坂口和義さんである。

そしてその3組とは、

1位:グリーンデイ
2位:リアーナ
3位:もも色クローバーZ

であった。妥当な線だが「俺には関係ないな」という顔ぶれである。グリーンデイは日が違うし、残りの2組が出ている時はニュー・オーダーを観ているか、帰っているだろう。

職場ではFM802が流れていて、やはりというかグリーンデイやニュー・オーダーなどサマソニへ出演するミュージシャンの曲が流れる傾向にある。私は大阪初日に参加するが、もうあと3日と迫ってしまった。

数多くのミュージシャンが参加する音楽フェスティバルを回る場合は、事前にコースをある程度は決めておくが肝心だ。サマソニの公式サイトではタイムテーブルもできている。

http://www.summersonic.com/2012/timetable/osaka0818_day.html

つい先日までは会場までの道のりすら把握してなかったけれど、もう時間もないし当日のシミュレーションをしてみたい。現場に行ったら細かい違いは出てくるだろうが、おおまかな流れはこれで行くだろう。


【2012年8月18日の予定表】

午前5時半ごろ:目覚ましはかけてないが、いつものように起きてしまう。出発までYou Tubeの映像を観て付け焼き刃な予習をする。

午前9時ごろ:部屋を出る。京阪電車で淀屋橋へ向かい、そこから地下鉄に乗り換えて「コスモスクエア」駅を下車して専用バスに乗る。

午前11時ごろ:開演してすぐくらいに会場へ到着する。。午前中は特に観たい人もいないので、グッズ売り場などを散策し、ニュー・オーダーのTシャツを見つけて購入する。それからステージの位置関係を把握しようとするが、慣れない場所ではお約束の迷子となりこの時点でかなり疲れる。適当に食事をして水分も補給しておく。そして一番大きなOCEAN STAGEへ向かう。

◯午後1時ごろ:PRINCESS PRINCESS(OCEAN STAGE)
最初に観るもの一発目がこれとは自分らしい気がする。世代的に合ってはいるけれど当時も今も思い入れは一切ない。しかしながら披露される曲はさすがに知っているものばかりで、その点では楽しめるステージであった。

◯午後2時ごろ:Perfume(OCEAN STAGE)
彼女たちを観たと、言ったら周囲から羨ましがられるであろう、もはや我が国を代表するアイドル・グループ。とはいいながら1曲もまともに聴いたこともない人間としては、周囲の異様な盛り上がりを遠くで眺めることしかできずに終わる。そしてMOUNTAIN STAGEへそそくさと移動する。

◯午後4時半ごろ:HOOBASTANK(MOUNTAIN STAGE)
MOUNTAIN STAGEに到着。とりあえずこの場所を確保しなければ何も始まらない。もうここからは離れないぞ。トリの前の前だったのでまだお客はパンパンというほどではなかった。やはりこのくらいから待たなければ。そういえば10年前のモリッシーは最前列で観たんだったなあ。今回はどうなることやら

◯午後6時半ごろ:GARBAGE(MOUNTAIN STAGE)
ニルヴァーナやフー・ファイターズなどをプロデュースしたブッチ・ヴィグのバンド。であるが、個人的には全く聴いたことがなく、事前にYou Tubeで数曲を聴いただけで終わる。よってライブには付いていくことも楽しむこともできずに終わる。しかし、次のニュー・オーダーを観るため徐々に前の方へ進んでいくのだけは忘れない。

◯午後8時ごろ:NEW ORDER(MOUNTAIN STAGE)
トリをつとめるニュー・オーダーは、個人的に唯一にして一番の目当てだ。フーバスタンクの時から陣取っていたおかげで、かなり前の場所を確保する。しかしなんだかんだで開演は予定より1時間ほど遅れた。これがフェスの常である。実際に観るニュー・オーダーは、予想通りパッとしない演奏だったものの、”リグレット”など代表的が飛び出したらさすがにテンションが上がり、彼らの前身であり個人的に最重要バンドであるジョイ・ディヴィジョンの曲が飛び出した時には、自然と涙が・・・。

◯午後9時半ごろ:ニュー・オーダー終演後
オーシャン・ステージではリアーナのステージがまだ続いているが、終演後の規制退場がうっとうしいのでそのままバスに乗って南港へ向かう。それでも部屋に戻った時は日付井が変わるころになっていた。倒れるように眠る。


以上、おそらくこんな感じで1日が終わるだろう。いま書いて思ったが、これを下敷きに当日の感想を書いておけばよかったのでは?とケチくさい思いが頭をよぎる。しかし、当日は当日で予想外の出来事があるにちがいない。さあ、これだけ準備をすると楽しくなってきたぞ。

先日の土曜日と日曜日は脱原発をテーマにした音楽イベント「NO NUKES 2012」の模様をUSTREAM中継で観ていた。といっても、熱心に観ていたのはYMOだけで、後は彼らのライブ前後に放映された特別番組に少し付き合っていた程度である。そもそもこのイベントの存在を知ったのはクラフトワークが出演するという情報をTwitterか何かで見つけただけだし、イベントの内容については公式サイトにあった下の文章くらいしか知らない。

<福島第一原発の事故から一年。
東京電力や野田首相の「事故収束」「冷温停止」といった発言とは裏腹に、
事故機は先の見えない状態が続き、本当の収束の目処は全く立っていません。
国の原発行政に対するスタンスは全く定まらず、
エネルギー行政へのヴィジョンも明確にならないままです。
避難住民の方の不安な状況は続いたままであり、
内部被ばく等、事故の影響はこれから拡大する恐れもあります。

この現状を踏まえ、日本における脱原発のメッセージを強く訴え、
二度と原発の事故という過ちをくり返さないよう、私達はNO NUKES 2012を開催します。
このイベントは、坂本龍一さんの「脱原発」をテーマにした音楽イベントを行いたいという
呼びかけに賛同したアーティスト、音楽関係者の協力によって実現することになりました。
アーティストが「脱原発」というメッセージを発信する事で、
多くの音楽ファンに原発に対する関心を強めてもらう事がこのイベントの目的です。

このイベントの収益は「さようなら原発1000万人アクション」の中心である、
「『さようなら原発』一千万人署名市民の会」に全額寄付させていただきます。

NO NUKES 2021事務局>

イベントの公式サイトはこちら。
http://nonukes2012.jp/

USTREAMのページの横では私と同じように観ていた人たちがTwitterでワーワーと感想を書いていてなかなか楽しい光景であった(最後の最後は同時視聴者が3万人を超えていた)。しかしその中に混じって、イベントは良かったけど署名はしない、というような書き込みもちらほらと見かけた。私はYMOのライブの素晴らしさに興奮した勢いでつい署名してしまったけれど、こうしたイベントの趣旨に違和感を持つ人も少なくないだろう。そういう気持ちも理解できる。私もこのイベントの情報を知る程度だったら署名など絶対にしていない。

古くは1969年にアメリカはニューヨークで行われた「ウッドストック・フェスティバル」、85年の「ライヴエイド」などチャリティというかある種の運動と連動しておこなわれる音楽イベントは数多い。しかしライブの内容はともかくとして、そのイベントの主旨までが受け入れられたかといえば怪しいところが大半だろう。

そういえばNO NUKESの企画制作にロッキング・オンが名前を連ねているけれど、ここの社長の渋谷陽一氏はウッドストックもライヴエイドも批判していたのではないか。今回のイベントについてはどういう理屈で賛同したのだろう。彼のことだから、このイベントには必然性がある、とかなんとかもっともらしいことを言っていたかもしれない。そのあたりの正確なことはわからないし今日の主旨ではないのでこの辺りにしておく。

原発に関していえば、どちらかといえば私は脱原発の立場だ。処理するのに何世代にまたがるような時間を費やす核廃棄物を放置しておくのはあまりに無責任な態度であろう。しかし、だからといって「いますぐ全ての原発の稼働を止めよ!」とも言い切れそうにない。そうしたことによって電力が不足したデメリットも容易に想像がつくからだ。いや、そもそも私は原発も福島も放射性物質も、そうしたことに対して全く無知である。

ただ、一つだけ言えることは、原発の問題は1年や2年といった短い期間でなく、死ぬまで付き合っていかなければならないということだ。なぜなら、何十年経っても解決することはないからである。好む好まないない関わらず、この国で生きていく限りはずっとのしかかってくるだろう。

だから、今回のイベントで何百万人の署名が集まったとかUSTREAMの視聴者がこれだけ訪れた、とかいった話題で終わりにしてはいけないと思う。そんなものはすぐに風化してしまう。

かといって、今の私が何かをしているわけでもない。正直いえば自分の生活を工面するだけで精一杯の状態だ。被災地に行ったわけでもないし、寄付とかをしたこともない。ただ、これから生きてる限りはこうした問題を忘れることなく何らかの形で関わっていこうと思う。本を読むなどして知識を得たいし、USTREAMで紹介された福島県双葉町のドキュメンタリー映画「フタバから遠く離れて」(10月13日より公開)も機会があれば観に行こうと思う。

予告編はこちら。
http://vimeo.com/45109825

あまり冴えないなあと自分でも思うが、こんな感じでNO NUKESに対する私の見解としたい。
もし今日、遊べるお金があったら幕張メッセで行われた脱原発イベント「NO NUKES 2012」に行っていただろうか。おそらく足を運んだだろうな。必ず私はこのイベントの趣旨に賛同したいわけでもないけれど、クラフトワークが出るというなら絶対に観たい。

いまから10年ほど前(正確には2002年12月15日、Zepp Osaka)で観たクラフトワークのステージは自分にとって最も印象に残っているライブの一つである。テクノポップの元祖と言われる彼らに対して、どうせ皿を回しているような連中に毛が生えた程度だろうとタカをくくって会場に足を運んだが、あの日の以前も以後も見ていない内容にはとんでもないショックを受けた。

通常のロックやポップスに付きもののアンプやドラム・セットなどの機材は一切なく、テーブルが4本とノートパソコンが置いてあるだけの舞台、そしてバックには大きなスクリーンがあってそこに映像が流れるという内容はもう別世界というほかなかった。その翌日に風邪で倒れたのはご愛嬌として、生のクラフトワークはもう一度くらい観たいなあという思いは今も自分の頭にくすぶっている。

このイベントの模様は多くの人の協力のもと、Ustreamで一部を生中継で配信していた。しかし、肝心のクラフトワークについては一切放送されなかった。権利関係の問題が解決されなかったのだろう。

それでも無料だから、発起人の坂本龍一によるYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)を観ようかとUstreamを開いてみた。私が覗いた時は4曲目が始まるところだったろうか。

Ustreamのサイトでは観ている人がTwitterでコメントを投稿している。私はYMOについて詳しくないけれど、とにかく代表曲がバンバン飛び出しているのはわかった(曲名をつぶやいてくれる人が多いので助かりました)。映像もクッキリとしていたし、なによりYMOの演奏が素晴らしい。かつて衛星放送で東京ドームでのライブ、また生では京都の東寺であったイベント「LIVE EARTH」(07年7月8日)でも特に印象は残ってないのに、今夜の演奏にはかなり心を動かされた。何が凄かったのかは自分でもわからないけれど、思わず1000万人目標の署名に参加してしまったほどに興奮してしまった。ライブの最後には、同時に観ていた人が1万9000人を超えていたのも驚きだ。

しかしこのイベントはまだ終わっていない。なんと明日もYMOはライブをおこない、しかも同じようにUstream中継が用意されている。時間は20時45分となっている。明日も観られるかどうか個人的には微妙だが、観たかったなあ、と思った方は意地でも時間を作っておこう。サイトのURLも記しておく。

http://nonukes2012.jp/ustream

しかし、1曲くらいクラフトワークの映像が観られたらなあ、などとどうしても思ってしまうなあ。

彼らの凄さは映像でも伝わるので、興味があったら観ていただきたい。02年の来日公演である。

http://www.youtube.com/watch?v=ZWJ5733vbFA&feature=fvsr
今朝ネットでニュースを見ていたら、MONEYzine 7月1日(日)14時0分配信の、

「ライブを録音、その場で販売『お持ち帰りCD』ファン心理をつき好評、瞬時完売も」

という記事に出くわした。

<音楽業界ではCDの新たな販売方法として、「お持ち帰りCD」に注目が集まっている。「お持ち帰りCD」は、ライブ演奏がそのまま入っているCDのこと。ライブ終了後に購入してお持ち帰りできることから、そのように呼ばれている。

 2012年1月に東京の3会場(NHKホール ・府中の森芸術劇場・渋谷公会堂)で行われた奥田民生さんのライブイベントで、その日行われたライブ演奏をCDにした『tamio okuda / Gray Ray & The Chain Gang Tour - Live in Tokyo 2012』(価格は2枚組で4,000円)を「お持ち帰りCD」として販売したところ、瞬時に完売したという。>

この記事によれば、ライブ終了後にすぐマスタリング(音直し)をして短時間で複製し、ライブ会場ですぐに販売するのだという。終演後にパッと売り出すのだから出荷枚数はどれくらいなんだ?と疑問に思ったのだが、これはかなり優れた商売といかサービスである。自分の行ったライブ音源を欲しいかと訊かれれば、全て欲しいと私なら思ってしまうからだ。

改めて強調するまでもないが、産業としての音楽は衰退の一途をたどっている。ネットで調べたら手軽に音源や映像が出てくる時代に金を出してまで聴こうという人はよほど熱心な愛好者だけだろう。レコード会社(って今も言うのかな?)が良い音楽を出さないからだ、という意見をネットで見たことがあるけれど、別に音楽業界がどうなってもいい人の声なのだろう。私も音楽産業などという大きな枠組みに関して興味はないけれど、自分の好きなミュージシャンがこれからも活動していけるのかなと漠然とした不安だけは感じている。

欧米ではその対策をとっていたのかどうか知らないけれど、ライブの入場料やグッズ代などで大きな収益をあげられるような仕組みに以前からなっている(ローリング・ストーンズは売上げの9割以上がライブからだ)。ただそのおかげでチケット代がもの凄く高騰してしまった。今でさえチケット代に割高感のある日本ではとうてい受け入れられない。

そんな状況の中でこの「お持ち帰りCD」というのはミュージシャンの新しい収入源になりうる可能性が高いのではないだろうか。また音楽ファンにとっても楽しみが増えるから一挙両得だ。ミュージシャンの立場からしてみたら、出来の悪いライブを音源化するのは嫌だという心理もあるかもしれない。しかし、CDが売れなけば他の方法を模索するしかあるまい。ぜひこの流れは広がってほしい、とは個人的に願っている。

いずれにせよ、優れたミュージシャンはライブに価値を見出さないとはいけないだろう。生の空間というのは実に貴重なものだ。そして皮肉にも、何もかもがデジタルに飲まれていくご時世にあってその価値はますます高くなっている。

何か今日の日記に引用できる部分がないかなあ、とクリス・アンダーソンの「フリー <無料>からお金を生み出す新戦略」(09年。NHK出版)をパラッとめくったら、音楽産業について触れている箇所にこう書いてあった。

<思い出に残る経験こそが、もっとも希少価値があるのだ>(P.208)

今朝、お弁当の準備をしながらパソコンでFM大阪の番組を聴いていると、「ボーカロイド(VOCALOID)」に関する話題が取り上げられていた。時流に乗っている方は「初音ミク」とセットでこの言葉を承知していただろうが、私は今日になって初めてこれを知った次第である。もちろん初音ミクについても全く知識はない。

今日の日記を書くにあたりボーカロイドについてちょっと調べたら色々と技術の話が出てきて少し嫌になってくる。それでも、歌声の録音を素材にしてかなりリアルに再構築できる技術ということくらいは理解できた。ただ、それだけではたいして関心は持たなかったと思う。しかしそのラジオ番組で「オッ」と興味を惹かれる曲が流れたのである。

それは今は亡き植木等の音声を使ったボーカロイドで加山雄三の”君といつまでも”だった。パッと聴く分には、植木等が歌ってるなあ、と思える出来にけっこう衝撃を受けた。

ただ、これはボーカロイドが歌っているということが頭にあったからかもしれないが、なんだか表現力が平板な印象に感じた。微妙なニュアンスのようなものが抜け落ちているのだろう。おそらく植木等のファンだったら余計にそう感じるに違いない。

いまやボーカロイドの楽曲を集めたアルバムがチャート1位になる時代であり、また実際の歌手のCDだって声を加工してしまうこともよく知られている。しかしそうした編集によって消えてしまったものの中に、個性というか大事な要素があるのではないだろうか。

現在の技術を駆使すればプロ顔負けの「うまい」楽曲や歌を作り出すこともできるだろう。しかしそういうものを聴いたところで、感心することはあっても心を動かされることはないだろう、というのが好きなミュージシャンを観るためだけに英国に行った自分の感想である。
先日モリッシーが10年ほどぶりに来日公演をおこなった。その感想はすでに書いたけれど、せっかくだしもう少し彼にまつわることを述べてみようと思う。

私がザ・スミスを初めて聴いたのは1枚目のアルバム「ザ・スミス」(83年)で、確か高校3年(94年)の頃だったと思う。当時も今も歌詞カードはほとんど見ないけれど、アルバム2曲目の”ユーヴ•ゴット•エヴリシング•ナウ”(YOU’VE GOT EVERYTHING NOW)のサビにある、

<仕事なんかに就いたことはないさ
やりたいと思ったことがないからね>

<仕事なんかに就いたことは一度も無いね
何故って僕は恥ずかしがり屋だから>

という部分だけは今でも不思議と頭の中に残っている。当時は、ああイギリスってこういう国なんだな、と向こうの人が怒りそうな印象を抱いた気がする。しかし現在の視点で振り返ってみれば、私はこの時から「働く」ということに対して関心というか疑問ようなものを持っていたのかもしれない。

モリッシーの作品についても歌詞の内容で印象に残っている曲が一つある。それはスミス解散から半年後に出したアルバム「VIiva Hate」(88年)に収録されており、シングル曲にもなった”Everyday Is Like Sunday”だ。

<濡れた砂の上を ゆっくり足をひきずりながら
ベンチに戻ると
服は盗まれている
この海辺の町は
閉鎖されそこねた町
ハルマゲドン—ハルマゲドンよ 来い!
はやく来い 最終戦争よ!>

「毎日が日曜日」と題したこの曲は、海辺の町、それもベンチに服を置いたら盗まれてしまうような治安の悪い町で暮らす仕事の無い若者(断定してないが、たぶんそうだろう)が、最終戦争よ来い、核爆弾よ来い、と自暴自棄な台詞を吐くという内容の歌である。

こう書くとなんとも辛気くさい印象を与えそうだが、ストリングスをバックにあのモリッシーの歌声が乗っかると不思議な気品さが出てくる。彼の代表曲の一つでもある。これを初めて聴いた時も、いかにも英国的だなあ、と感じてしまった。私のイギリスに対する偏見も相当なものだ。

すっかり日本でも定着した「ニート」の元である「NEET」は「Not in Education, Employment or Training」の頭文字を取った英国発の言葉であり、「教育、雇用、職業訓練の、いずれもしない16歳から18歳の若者」とそれなりに定義がなされている。

しかし日本における「ニート」の意味はかなり曖昧、というか決まらなにまま広まっていった。よって恋愛ニートだの社内ニートだの団塊ニートだのといった言葉も出ており、もはや何をもってニートと指すのかわからなくなっているのが現状だ。それでも、働いていない若者というのは80年代や90年代に比べてずっと日常的な風景になったのは間違いない。

そしてこの曲が発表されてから四半世紀ちかく経った現在、我が国に照らし合わせてみてもあまり違和感のない内容になっているような気がする。主人公が「NEET」であっても「ニート」であっても大差はないだろう。

だからザ•スミスやモリッシーの音楽も再評価されているのかな、と思ったがこないだの来日公演の観客数を見るとまだまだそういう時代は訪れそうもないようである。

興味があればyou tubeで聴いてみていただければと願う。

http://www.youtube.com/watch?v=y7Gee3THtb8
8月12日(金)は梅田に全員集合!
一度ならず二度までも。昼過ぎに書店で「ミュージックマガジン」を開いた時に浮かんだのがこの言葉だった。ライブ情報のページとペラペラとめくっていたら、

ニック・ロウ

という名前が出てきたからだ。

ニ、ニ、ニ、ニック・ロウ?!

リチャード・トンプソンに続いて、またしても来日情報を逃していたのだ。あまりアンテナを張りめぐらしていないせいか、こうした大事な話が自分に最近は入ってこない。しかも会場は同じビルボードライブ大阪である。公演日が8月だから既にチケットは発売中だろう。

しかし、それほど私はバタバタしなかった。iPhoneからビルボードライブ大阪のサイトを覗いてみる。予想通りチケットは残っていた。

http://www.billboard-live.com/pg/shop/show/index.php?mode=detail1&event=7709&shop=2

以前にクアトロに来日した時もチケットは完売してなかったし、今回もおそらく大丈夫だろう。やはりそうだった。ちなみに東京公演は2日間あるのに完売だ。関西在住で良かった、良かった。

安心した私は部屋に戻ってから「ぴあ」のサイトでチケットを購入した。ビルボードライブという会場では1日2回公演をする。1回で1時間ほどしか演奏しないので、もちろん(?)私は2公演ともチケットを確保した。こういう時は頭がショートしてしまうので値段も何も見ないで買ってしまう。

だが、ニック・ロウのライブは本当に素晴らしい。私はこれまで3回(心斎橋クラブクアトロ、フジ・ロック・フェスティバル、ライ・クーダーとの共演)観ているけれど、もう破格の出来である(ライとのライブは刺身のツマのように影が薄かった)。リチャード・トンプソンとはまた違った面で素晴らしいステージを見せてくれること確実だ。

まだ関西の人たちにはチケットが残されている。8月12日(金)は梅田のビルボードライブ大阪へ、ニックへの差し入れに日本酒を用意して出かけよう。

かつて大阪で、本物の人体標本を展示する「人体の不思議展」をおこなったときテレビのCMで、

「これが最後のチャンスやで」

としきりに言っていたけれど、私はニック・ロウの来日公演についてこのセリフを使いたい。なにせニックももう62歳なのだ。これを逃したら本当にもう観れないかもしれないのだ。
(1)Turning Of The Tide
(2)Gypsy Love Songs
(3)Reckless Kind
(4)Jerusalem On The Jukebox
(5)I Still Dream
(6)Don’t Tempt Me
(7)Yankee, Go Home
(8)Can’t Win
(9)Waltzing’s For Dreamers
(10)Pharaoh

「ブリティッシュ・フォーク」とか「ブリティッシュ・トラッド」という音楽ジャンルについて多くの日本人はピンとこないに違いない。代表的なバンドといえばフェアポート・コンヴェンション(Fairport Convention)とペンタングル(Pentangle)が出てくるけれど、その名前すら聞いたこともない人がほとんどだろう。

先日この日記で、先月に来日したのを知らなかったと思ったら震災の影響で中止になっていた、とワーワー騒いでいたリチャード・トンプソン(Richard Thompson)がプロとして出発したのはそのフェアポート・コンヴェンションのギタリストとしてであった。そういうジャンルの人なのでこの国における知名度もかなり寂しいものがある。mixiのコミュニティの参加人数は300人にも達していないし、日本版ウィキペディアにいたっては彼の項目すら存在しないのだ。

私が彼の名前を知ったのは高校生の頃だった。当時(93年代前半)はまだ雑誌などで音楽についての情報を割と熱心に集めていた時期で、「ミュージック・マガジン」あたりで彼の名前を知ったのだと思う。ただ、具体的に彼の何について興味を持ったのかどうかははっきりと覚えていない。フェアポートなど英国のフォーク・ミュージックに関心を持ったのかもしれないし、このころ彼のプロデュースを手掛けていたのが90年代に活躍していたミッチェル•フルーム(シェリル・クロウやロン・セクスミス、Bonnie Pinkなどと仕事をしている)だったことも関係あったような気もする。それはともかく、英国にリチャード・トンプソンという何か凄いミュージシャンでありギタリストがいる、ということが自分の頭の中にいつの間にか刻まれていたのは間違いない。

ただ、高校まで私が住んでいた北海道登別市には、トンプソンやフェアポートのCDなど手に入らなかった(フェアポートは当時、国内盤は廃盤していたと思う)。しかし翌年(95年)に大学受験を失敗し浪人生活のため札幌に来たおかげでトンプソンを始め様々な作品が手軽に手に入るようになる。この「アムニージア」(Amnesia)もその時の1枚で、中古CDショップで880円か980円か、ともかく3桁の値段で置いてあったことをよく覚えている。こういうものを「掘り出し物」というのだろう。

93年に出た3枚組アルバム「ウォッチング・ザ・ダーク ザ・ヒストリー・オブ・リチャード・トンプスン」(これも札幌の古本屋で買った)は名前の通りトンプソンの69年~92年の軌跡をたどった作品であるが、その解説でグリール・マーカス(アメリカの音楽評論家)がトンプソンの音楽についてこのようなことを書いている。

<トンプスンの曲と演奏を時間の経過とたどってみても、発展、成熟、洗練といった感覚は殆どあるいは全くない>

そして「ヴァン・モリスンやニール・ヤングと並ぶ、たぶんトンプスンは数少ない真のポップの似た者同士」とも評していた。ニールやヴァンも大好きな私としては実に嬉しい讃え方である。ちなみにこの3人は私にとっての「3大ソング・ライター」でもある。それはともかく、確かにこの3枚組CDなどでトンプソンの歴史を追ってみても、フェアポート時代から最新作(2010年)まで彼の音楽には一貫したものが流れていることをなんとなく感じられる。

トンプソンが在籍していたフェアポート・コンヴェンションというバンドは、当初ボブ・ディランやレナード・コーエンといったアメリカのミュージシャンをカバーしていたけれど、69年に出した3枚目のアルバム「アンハーフブリッキング」(Unhalfbricking)において大きな転機を迎える。英国の伝承音楽(フォーク・ソング)だった「船乗りの生涯」(A Sailor’s Life)を取り上げたのが大きな評判を呼んだのだ。「フォーク・ロック」という音楽ジャンルはディランが産みの親の一人と言われている。私には未だにこの音楽の定義がさっぱりわからないけれど(そんなことをいったらフォークもロックも同じかな)、しかしフェアポートに関していえば、電子音楽で伝承音楽を演奏するという非常にわかりやすい意味での「フォーク・ロック」という音楽を作ったグループである。

そんなフェアポートにいたトンプソンの音楽は、基本的に英国のフォーク・ミュージックに根ざしたものだといって差し支えないと思う。彼を一つの音楽ジャンルに押し込むには無理な存在であることは重々承知している。たとえば94年に出たトンプソンのトリビュート•アルバム「ビート•ザ・リトリート〜ソングス・バイ・値チャード・トンプソン」に参加したミュージシャンはロス•ロボス、R.E.M、デヴィッド・バーン、ボニー•レイット、ブラインド•ボーイズ•オブ・アラバマ、ダイナソーJRなど実に多彩な顔ぶれとなっている。トンプソンの音楽を「オルタナティブ」と称していた人もいたけれど(本人もインタビューでそう言っていたような)、その一方で彼のどの作品の中にも英国フォークを感じる部分が消えたことはない。

88年に出たこの「アムニージア」は、パッと説明しただけではピンとこないトンプソンの音楽が実に伝わりやすい形に収まった傑作である。この次に出る「フィール・ソー•グッド」(91年)はグラミー書の候補になり商業的成功もおさめた作品であるし、その次の「ミラー•ブルー」(94年)も素晴らしいけれど、個人的にはやはりこのアルバムの方が愛着は強い。どうして自分がこのアルバムが一番好きなのか。その理由を色々と自分で考えてみたけれど、やはり”Waltzing’s For Dreamers”を始め、”Reckless Kind”や”I Still Dream”、など叙情的なメロディーのある楽曲が並んでいるからという気がする。この辺りを聴いてもらえれば、彼が作曲家としても優れているかを感じてもらえるだろう。

アルバムの随所にはアラブとか中近東を連想させるメロディーが飛び出してくる。そんな雑多な音楽性が「オルタナティブ」といわれる所以だが、音楽に詳しくない方でも聴いてもらえば、確かにそんな感じだなと思う音になっている。トンプソンの音楽がいかに幅広いジャンルからできているかもパッと伝わるかと思う。ちなみに彼ははイスラム教の信者で、スーフィズム(イスラム神秘主義)を信奉している。その辺の影響も音楽に出ているのではないだろうか。

ヴォーカルについては独特で音域も狭く、多くの人に好かれるようなものではないろう。私なりに表現すれば、熱にうかされているような、そんなフラフラした印象を受ける声である。もっと露骨にいえば、しょっちゅう聴きたくなるような性質ではない。彼が商業的にあまり成功していないのも、当然といえば当然な気がしてくる。当のトンプソン自身も歌うのはあまり好きではないようだが。

しかしながら繰り返し聴いているうちに、じわじわと伝わってくる凄みのある声ではある。例えば”Can’t Win”(この曲は「塔が崩れ落ち、バッタが大地を襲うだろう」などと、歌詞も不吉なフレーズが満載だ)で垣間見える不気味なほどの迫力に接しているうちに、このミュージシャンがどれほど底知れない才能の人なのか気づくだろう(本当のところ、ライブを観てもらえば一発でわかるのだが)

もしトンプソンの作品でおすすめは?と訊かれたら、このアルバムを真っ先に挙げたい。フランク•ザッパやヴァン・モリソンと同様、「駄作が無い人」と言われるトンプソンに対してあまり下手なことを言うのは躊躇してしまうが、少なくともこのアルバムが一番良いといっても反発は起きないと信じている(日本で数少ないリチャード・トンプソンのファンを邪険にするなんて事は無いですよね?)

日本盤はとっくの昔に廃盤となっているけれど(たぶん88年に出たきり再発はされていない)、現在はiTunesストアで音源を買うことができるようになっている。もし興味があればそこで手にいれてもらえればと願う。
新作発売も来日公演も来日公演中止も、全く知りませんでした


知り合いと飲んでいた時に、最近CDをほとんど買っていないことにふと気づいた。
新作だったら渡辺美里、BONNIE PINK、eastern youthといった自分にとって特別なミュージシャンを必ず買うくらいである。昔のCDにいたっては、ブックオフなどはよく足を運ぶものの買うのはもっぱら書籍だ。

時代をさかのぼってみると、よくCDを買っていたのは高校生から01年くらいまでの時期だったと思う。01年は私が社会を出た年である。そして仕事をするようになってからはライブに行く機会が飛躍的に多くなっていった。それは自由に使えるお金が増えたためだろうが、普通は社会に出ると忙しくなってライブなどには行けなくなるという人のほうが多いだろう。我ながらおかしな人生を送っている気がする。

CDを買わなくなった理由は色々あるけれど、

「たくさん音楽を聴いたからといって必ずしも幸せになれるわけでもないし、人間性が良くなるわけでもないんだな」

と悟ったのがやはり大きかった。たくさんのCDやライブに接しているであろう音楽ライターと言われる人たちの末路を見ていると、そういう気持ちになってしまうのは仕方ない。また、正式に数えてはいないが、私の部屋には600枚くらいはCDがあるので、これをたらい回しに聴いていっても死ぬまで退屈することは無いに違いない。いずれにしても、私にとってCDとか音楽はそれなりに満ち足りている状態になっているのだろう。

ただ、音楽雑誌を読むなど情報を入れるのを怠っていると、好きなミュージシャンが来日しているのを見落とす場合も出てくることがある。今日「ミュージック・マガジン」5月号のライブ情報のページをめくったら「リチャード・トンプソン」という名前を見つけて、

「しまった!全く知らなかった!」

とガックリ肩を落とした。大阪公演は「4月23日」のビルボードライブ大阪となっていた。もう少し早くこの情報を知っていたら絶対に行っていたのに・・・。

さきほどの話に戻るが、CDを買わなくなるのに反比例してライブへ行くようになったのは、やはり、

「これを見逃したらもう二度と観られないだろうな」

という思いが頭をよぎってしまうからだろう。よって、たいして興味もないミュージシャンでも一回くらいは見ておいたほうが良いかなとチケットを買ってライブ会場に足を運んだものだ。私が観た人で鬼籍に入ったのはジェイムス・ブラウンくらいだと思うが、あと20年もすれば多くのミュージシャンは・・・という感じである。

ただ、凄いとか感動したとかいう内容のライブにはなかなか出会えないのが正直な感想だ。ポッと出のミュージシャンなどほとんど観ないので大ハズレのライブというのもほとんど記憶にないが、まあこんなもんかな、というのが大半である。しかし、10年前(01年2月24日、心斎橋クラブクアトロ)に観たリチャード・トンプソンのライブは間違いなく「凄い!」と人に言いふらせるものだった。トンプソンがエレアコ一本を抱えるのみという一見寂しそうな編成だったが、一人で3人は演奏している姿は素人目でも驚異的だった。最前列で観たあのトンプソンの勇姿をもう一度とずっと思っていた、のだったが。

せめて演奏曲目でも知りたいと思った私は、mixiのコミュニティをたどってみた。コミュニティの参加人数は300人足らずである。少ないなあ。しかし来日直後だし盛り上がっていることだろう、と最初は思ったが、ライブ情報らしきものが載っていない。いくつかのトピックを調べみると、驚愕の事実が判明した。

震災の影響で、来日が取りやめになっていたのだ。あららららぁ。

そういえば01年の時、トンプソンはタバコが嫌いなので吸わないでください、というようなアナウンスが流れていたことを思い出した。タバコの煙すら嫌がるほど神経質な人だから、放射能の漏れている国に足を踏み入れるなど論外だったんだろうなあ。

それはともかく、トンプソンの公式サイトでは来年に来日公演を再調整をしているという話も出ているという。私はすぐさま2012年に備えてトンプソンのコミュニティに入ることにした。これで来日情報を見失うこともないだろう。

トンプソンの情報といえば、3年ぶりの新作「ドリーム・アティック」(10年)が出ているのも知らなかった。国内盤も出ているようだし、見つけたら買っておきたい。これを聴きながら、来日公演を待とう。






「mixiニュース」を見ていたら、

ライブ禁止行為「退場」の波紋

というタイトルが目に止まった。それはmixi内にある「よりミク」というコラムで、執筆者は「ひよこ/mixiニューススタッフ」となっている。要するに半匿名のコラムだ。そこに今年7月31日におこなわれた「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」(以下、RJF)の一幕についてのことが書かれていた。内容はこんなものである。

今年からRJF主催者のロッキング・オン社は、モッシュやダイブといった危険行為をしたお客は即退場する、という通例より重い措置をとることにした。事の発端は、ロッキング・オン社が同じく主催する年末のイベント「COUNTDOWN JAPAN」で後遺症が残るケガ人が出たことを受けてのものだった。しかしながら、出演者の一人であるKEN YOKOYAMA(横山健)がステージに立った時、

「ロックなのに良い子でどうすんの?」

と煽動し、たちまちモッシュ・ダイブが巻き起こったという。

横山は自身のブログ「横山健の別に危なくないコラム」でこの時の経緯を書いている。彼がお客を煽ったのは、「自由であるべきコトが制限されたコトに対する怒り」が理由だったと。これに対して主催者の一人である山崎洋一郎はステージを降りた横山に対し、「あの場で闘ってくれてありがとう」、「今後もこの場で闘いを続けて欲しい」と言ったという。

このやり取りの様子を読んでいて、本当に嫌になった。ロックやポップスを取り巻く環境は全く成熟していない、ということが再確認してしまったからだ。音楽を聴いたりライブに行っても、人間は何も成長できないのだろうか。

まず、モッシュやダイブ行為に対する私自身の見解を述べたい。はっきり言って、ライブ会場であんなことしている輩ははただのクズである。なぜなら、彼らは音楽を聴いていないし、ステージも観ていないからだ。サッカー場で暴力的な言動をおこなう応援団を「フーリガン」と呼ぶが、それと同類と言ってよいだろう。私はケガなどしなかったけれど、そうした連中のおかげで不快な思いをライブ会場で経験してもいる。

モッシュやダイブはライブに付きものだ、などと戯言をいう人間も出てくるかもしれない。しかしそれは全くの認識不足である。たとえば、かつてBSでキッス(KISS)の昔の来日公演を観たことがあるけれど、お客は皆は座ってあのキッスのステージを観ていたのである。ライブ会場が昔からあんな状態だったわけではない。欧米の様子が日本に紹介され、それが輸入されただけのことである。別にモッシュやダイブというのが無くなったところで、どうということはないと思う。私の見解はそういうところだ。

ただ、現実的に考えれば大きなフェスティバルで危険行為を完全に止めることは不可能である。何万人も参加するフェスティバルに、一定数のクズが出てくることは避けられない。クズはクズなんだから、何を言っても聞くはずがない。統制することなど不可能だ。そういう困った輩をゼロにするためには、究極のところフェス自体をなくすしかないだろう。

せいぜい主催者としてできることといえば、モッシュ・ピットのように危険な場所を明確にしておく、その中で起きたことが自己責任であると周知徹底させる、しかし万が一のために救急医療体制を確立しておく。そのくらいだろう。冷静に考えれば、危険行為は即退場というのは少し行き過ぎた措置だったかもしれない。

だが当事者である横山も山崎も今後のことなど真剣に考えず、見当違いな見解を述べてお茶を濁しているだけである。

まず横山に対してだが、たとえばeastern youthの吉野寿はライブ中にダイブなどの行為出たら、観客に止めるよう諭している。それも一つの見解である。危険行為が表現の自由だというなら、今後は煽動したステージのミュージシャンに全責任を持たせるのも良いかもしれない。横山もそれくらいの覚悟をもって本当に発言しているのだろうか。社会に出たらそれなりに言動には責任がつきまとう。何の責任もとらず、「表現の自由」だとかを振りかざして「自分の思い通りにやらせろ!」とわめくのは子どもの屁理屈である。これが今年で40歳になる人間の発言とは悲しい。

山崎にしても、横山に「闘ってくれてありがとう」などと言う暇があったら、主催者としての見解を明確にし、一刻も早く今後の方針を立てるべきだ。発端となった「COUNTDOWN JAPAN」も間近にせまっているではないか。

上に述べた通り、私の見解は非常に単純でつまらないものである。しかし、このような最低限のことも考えられない連中が「表現の自由」だのと寝言を吐いているのだから情けない。もっと現実的で建設的なことをして、悲惨な事態が起こらないように努力する。それがフェスを作る人間が一番念頭に置くことではないか。

あれは確か「ロッキング・オン」誌で松村雄策がフジ・ロックで出演直前のロン・セクスミスにインタビューした時の記事だったと思うが、ロンはフジ・ロックについて、ゴミも少ないしすごく平和なフェスだね、と褒めてくれていた。ゴミも犯罪も事故もない、そのようなフェスティバルを目指してもらいたいと私個人が思っているが、いかがだろうか。

「英伝説のセッションDs死去」

9月17日の「bounce.com」のニュースにこんな見出しがあったので、なんとなく気になり見てみた。スタジオ・ミュージシャン、しかもドラマーなんて知らないだろうとは思ったけれど、やはりボビー・グラハム(BOBBY GRAHAM)という聞き覚えのない人だった。9月14日逝去、享年69歳である。

しかしながら、この人の経歴というのはなかなか凄い。ニュースにはこう書いてある。

「グラハムは、生涯で15,000ものレコードで演奏。そのなかには、キンクスの“You Really Got Me”や“All Day And All Of The Night”、ゼムの“Gloria”、ダスティ・スプリングフィールドの“I Only Want To Be With You”などといった名曲も含まれている。 」

キンクスもさることながら、ゼム、というよりヴァン・モリソンの代表曲”グロリア”でドラムを叩いていたとは!

追悼の意を込めて、今夜は寝る前に”グロリア”を10回くらい聴いてみよう。

ヴァン本人はこの訃報に接して何を思っただろうか。
ビートルズのアルバムがリマスターされて全世界で発売された。日本でも山野楽器やタワーレコードが深夜にCDを売り出すなど、関係ない人たちにとっては異様な光景もあった。夕刊フジの記事(9月11日16時56分配信)には山野楽器の風景をこう書かれている。

「9日午前零時、銀座和光の時計台の鐘が鳴るとともに「ア・ハード・デイズ・ナイト」のメロディーを響かせて発売をスタート。最初の購入者となった会社員はステレオ盤の「ザ・ビートルズ・ボックス(16枚組CD+DVD)」と、モノラル盤の「ザ・ビートルズ MONO BOX(13枚組CD)」の両方を買い込み、「順番に聴きたい」と満足げだった。ファン150人が列をなした。」

4万円ほどするボックス・セットを2つも買うとは凄い。ただ、このボックス・セットについては私も購入を少し検討した人間である。JEUGIA本店の中でうろうろしながら、予約しようかどうかしばらく迷っていた。

しかし考えるうちに、

「俺って別にビートルズのファンでもないだろう。それなのに無理して買ってどうするんだ?」

と平凡な結論がでたので、買うのをやめにした。冷静に考えれば冷静な結論が出るものである。

深夜にボックス・セットを買った会社員は「満足げだった」そうだが、私だったら「この経費の穴埋めをどこですれば良いのだろう?」と後悔していたに違いない。

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