「お引き取りください」などと言われないために

木屋町のあるところに、いつの間にか立み飲み屋ができていた。大きな提灯が店の前にあるのが印象的で気になり、何かの機会があれば入ってみようと考えていた。

仕事が終わったある日、ふとその店を思い出して木屋町へ向かった。入り口はガラスの引き戸である。

手をかけて入ろうとした瞬間に、

「会員制」

という字が目に飛び込んだ。

会員制?立ち飲みで?

少々不思議に思ったけれど、こんなものはどうせハッタリだろうと確信して中に入ってみた。

お客は3人ほどいただろうか。奥には無愛想な感じの男性店員が一人、仁王立ちしていた。私が入ってきてもニコリともせず「いらっしゃいませ」の一言もない。

その代わりに言われたのが、

「あ、すいません・・・・ここ会員制で、知らない人は入れないんですよ」

とのことだった。

へ?本当に会員制なの?と、しばし呆然とした私に対して、

「お引き取りください」

と追い討ちをかけるように店主は言ってきた。

ネットでこの店について調べてみると、最初は「常連さん」と一緒でないと入れないシステムになっているらしい。「常連さんにゆっくり飲んでほしい」という店主の希望でそうしており、取材も断っているということも知った。

基本的にお店がどのような経営をするかは、そのお店の自由である。しかしながら、そのような「一見さんお断り」という方針を掲げるなら、別に大きな提灯や目立つ看板も要らないのではないだろうか。おそらく私のように何も知らず入ってしまう人も少なくないと想像される。

また、これは「大きなお世話」になるだろうが、本当に常連にゆっくり飲んでほしいのならば椅子を用意してあげれば良いのにと思ってしまう。なぜわざわざ回転を速める立ち飲み形式にしているのか。また店の前には雑誌の切り抜きのようなものも貼ってあった。これは店の宣伝にしか見えない。このようなチグハグな経営の仕方に、店主の虚栄心が透けて見えるような気がする。

お前はこの店に入れなくて悔しいからこんなことを書くのだろう、などと邪推する方もいるかもしれない。しかしこんな不快な経験をしておいてから晴れて入店できたとして「楽しい飲み食い」などできるはずがない。「お引き取りください」などと言われたのは生まれて初めてのことであり、これからも言われることはないだろう。

ついでに言っておくが、私はお店で「特別扱い」のような接客はして欲しいと思わない。静かに飲み食いできて、料理が支払い額以上の思いができれば何も言うことはない。それだけである。何を好んで「会員制」などの店に出入りする理由があるのだろう。

今回の件で苦い経験をさせてもらったが、これを契機に「会員制」などと掲げられた店はもう足を踏み入れないことに決めた。

それから、木屋町を歩いた時には「 HOPE」と書いた提灯には気をつけていただきたい。私のような嫌な思いをする人が一人でも減るために、画像も載せておく(お店にとっても、こうしたことをしてもらった方がありがたいだろう)。
上には上がいるものだ
晴れた日は午前6時15分には、雨の日は午前5時48分(始発バスの10分前)には部屋へ出るようになって2ヶ月近くが経過した。少し前は真っ暗だった外も最近は少しずつ明るくなってきている。

午前6時台で開いている店といえば、コンビニかファーストフードばかりだ。開店が早いところといえばパンだろうけど、せいぜい早くて7時である。しかし通勤の途中、6時半ごろの時点で既に開いているお店を見つけていた。けっこう昔からやっていそうな感じのところで、ガラスケースの中にサンドイッチなどが並んでいる。

「ずいぶん早くから開けてるなあ。6時開店かな?」

と気になって、今朝はここで買ってみることにした。店の前に自転車を停めてガラスケースの前に立つと、初老の女性が、

「はい、いらっしゃいませ。今日は寒いですねえ」

と言いながら出て来た。何がおすすめかもわからないので、とりあえず目についたサラミサンドとウインナーロールを注文しながら、

「あのー、ここは何時から開いてるんですか?

と訊ねたら、

「5時からです。朝から並んでる人もいるんですよ」

という返事がかえってきた。まさか5時から開いているとは思わなかった。しかも、それを待っている人もいるとはさらに驚きである。

自分も最近は4時半に起きて7時から仕事をしてるのだが、

「3時に起きて、揚げ物とか作ってるんですよお」

と言っていたこちらの女性はさらに上を言っているわけだ。いったいこの生活を何年続けているのだろうか。並んで待って買っているお客もどんな暮らしをしているのか。そんなことを考えると頭がクラクラしてくる早朝であった。
先日FMラジオで、アーロン・ネヴィルの新作アルバムが出たことを知った。なんでもローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズが全面で参加しているという。これはなかなか魅力的そうだと思い買い求めることにした。

しかし、アーロン本人にしても彼が所属しているネヴィル・ブラザーズにしてもものすごく有名なわけではなくTSUTAYAや商業施設のCDショップでは取り扱っている可能性はほぼ無いと思われる。そこで仕事が終わってから自転車を20分ほどこいで河原町の方へ向かった。

「京都市でアーロン・ネヴィルがあるとすれば、タワレコかJEUGIAだろうな」

と、まず2店舗に絞られてくる。

「そういえばJEUGIAの三条本店がこないだ改装工事をしていたなあ」

ということを思いだし、どんな風に形が変わっているのか興味があり、まずそこに向かってみる。

だが、店の前に行ってかなり驚いた。かつては邦楽CDコーナーだったスペースが半分ほどになり、残りはギターなど弦楽器がズラッと並んでいるのである。

店舗自体もかなり縮小されたようだ。かつては地下を含めて5階はフロアがあったはずだが、いまは3階しかなくなっている。邦楽以外のコーナーはもっと悲惨な状態になっていて、R&B、ハード・ロック、ジャズ、クラシックなどが2階に全てギュッと押し込まれている。そうなると当然、品揃えも貧相にならざるをえない。目当てだったアーロンのアルバムも存在しなかった。

お店の入口に楽器を置いているのは、

「うちは楽器を専門に取り扱ってます。CDはメインじゃありません」

というJEUGIAの意思表明なのだろう。ここ数年でCDショップをどんどん閉店させていったJEUGIAだが、本店もこういう状態になってしまったというのはなんとも悲しい。CDしか買わない私としては、もはやここに寄る意味も無いと思う。

アーロンのアルバムは、もう1店舗の候補であるタワレコで無事に手に入れることができた。こちらは相変わらずの品揃えであり、新譜だったらたいていのものは手に入るだろう。もしパッとCDを買いたいと思ったら、もうこのタワレコに行くしかない。

ただ、私は元来タワレコに行く習慣が無いのである。理由はよくわからないが、ポイントカードのポイントが溜まったこともない。思えば最近はもっぱらCDはアマゾンで買って最寄りのローソンで受け取るという形ばかりになっている。置いてあるのか無いのかわからないCDを探すために河原町まで出て行くのも億劫な話だ。そういうわけで、JEUGIAの改装を機にますますアマゾンに依存していくのだろう。
いた
3連休の最後の日、早朝から鴨川沿いを自転車で走っていた。性懲りもなくヌートリアを探しに来たのだ。

前回は出町柳駅の周辺を闇雲に歩き回っただけだが見つからなかったため、今回はいそうな場所に行ってやろうと思い立つ。そしてこの映像を参考にした。

激闘! 京都・鴨川ヌートリアを追う(プTV)
http://www.youtube.com/watch?v=73gbNpgDntM&feature=related

これを近所のオジサンに見せて、ここは鴨川のどの辺りですかねえ?と訊ねたら、

「こんなに川幅が狭かったらずっと北のほうやろう」

という答えが返ってきた。なるほど、それで今回は北大路から北上してみることにした。鴨川周辺は朝から人が多い。ランニングをしている人、犬の散歩をしている人でにぎわっている。そんな中、ヌートリアを探して回っているのはおそらく自分だけだろう。それでも走っていくと、なんとなくYou tubeの映像と似ているような光景が見えてきた。

5分ほど自転車をこいだころだろうか。川をずっと見ていると、スーッと泳いでいる動物が一匹、目に入る。

いた。

見つけたのは上賀茂橋の近くだった。やはりずっと北の方にヌートリアは住んでいるらしい。しかし1時間くらいウロウロしたものの、結局2匹しか見つけることができなかった。上の映像のようには「すっげいる!」という状態では全くなかった。草の茂みに隠れているのだろうか。

画像はその貴重な(?)ヌートリアを写真に収めたものである。あまり見やすくないが、泳いでいる姿はなんとなくわかるだろうか。とりあえず、鴨川にヌートリアの生息がこの目で確認できてスッキリした次第である。

夢のあと

2012年10月6日 地域情報
夢のあと
3連休の初日は京都文化博物館の「シャガール展」を覗いた。その帰りは久しぶりにゼスト御池の「和幸」でトンカツを食べる。ここで出てくる味噌汁の具はシジミで、これがいつもの楽しみであった。

その博物館へ行く途中で映したのが、この写真であった。烏丸丸太町を少し西へいったところにある。パッと見るとただのコインパーキングだが、この場所にはかつて「松屋長崎」というお店が営業されていた。カステラのほうが有名だったかもしれないが、個人的にはマドレーヌの印象ばかりである。仕事用で買った余り(何箱か買うとサービスで1、2個おまけを付けてくれた)を食べてその味に感激し、個人的に買ったりお祝い用に持っていったりしてお世話になったものだ。1店で細々と続けていたため、予約しなければ買えない代物だった。

ネットを調べるといくつか情報が出て来ており、2010年12月24日の「京都新聞」で閉店のお知らせ(広告?)が載っていたという。ご主人がケガをしたとかいった話は聞いていたけれど、そんなに前に営業が終わっていたとは全く知らなかった。この写真を光景を見てなんとも悲しくなってくる。

その帰りに、烏丸竹屋町を東へ進んでみる。京都のラーメン・マニアで知らない人はいないラーメン店「麺屋◯竹」(めんやまるたけ)がなぜか「◯竹精肉店」に鞍替えし、しかもランチを出しているというのでどんな様子を見にきたのである。隠し撮りもどうかと思うので撮影はしなかったけれど、あの精肉店のガラスケースの横にカウンター席があって、そこでお客がラーメンを食べていた。その後ろで数人が待っていた。こんな光景、生まれて初めてである。

しばらく外で眺めていたら、自転車に乗ったお兄ちゃんが3人ほど店の前に来て、

「潰れたのか?」
「いや、奥にあるで」
「こんな有名店、閉まるわけないやろ」

と動揺しながら騒いでました。そりゃあ、ラーメン店が精肉店になっていたら誰だって驚くだろうな。しかし、◯竹は未だにラーメンは食べられるのに対して、松屋長崎のマドレーヌはもう食べられないんだよ。そう思いまた悲しくなってきた。
ヌートリアを探して鴨川へ
ヌートリアを探して鴨川へ
今週は土曜も日曜も用事が入ったのだが、朝はやく起きて自転車で出町柳の方まで出かけた。先日のTwitterの中に、「ヌートリア」が鴨川にたくさんいる、という書き込みを見つけたからだ。

You Tubeで実際に鴨川にいたヌートリアの映像があった。

ヌートリア鴨川 京都
http://www.youtube.com/watch?v=V1-DSvfKpPI

このヌートリアが何物なのかは、この「はてなブックマークニュース」のページがが便利だろう。

「ヌートリアに餌を与えないでください」 京都・鴨川に生息する特定外来生物に注意
http://b.hatena.ne.jp/articles/201208/9906

こんな生物が鴨川にウジャウジャいるとは全く知らなかった私は、これは観に行かねば!と思い立って行動したのである。

私が訪れたのは午前9時過ぎだった。川沿いはまだそれほど人はいなくて静かないつもの鴨川という佇まいである。橋の上から川全体を見渡してみるも、以前と変わった様子は特にない。

遠くから見てもわかりづらいに決まってるし、川沿いまで降りてみた。川を覗き込めば、メダカやコイや大きな亀など色々な生物が暮らしているのを確認できる。またカモやカラスやサギなどの鳥もたくさんいる。が、しばらく川べりを歩いてみるも、肝心の巨大ネズミは全く見つからない。なんだ、別に溢れるほど繁殖してるわけでもないだな。そう残念に感じた一方、自分の身近なところであんな生物がワンサカいなくて安堵したことも否定できない。

午前10時ごろ、少し歩きつかれたので出町商店街そばの「出町ふたば」で「名代豆餅」(170円)を3個買って近くのベンチで食べていた。別に珍しいものでもなんでもないが、朝早くのためか行列もできていない(普段なら嫌なくらい並んでいる)のでつい買ってしまったのである。

ともかく、それで私の今日も午前中は終わってしまった。ヌートリアはどこに行ったら見られるのだろう。本来は夜行性らしいから日暮れに出かけたら見られるのだろうか。見たいような、別に見たくもないような・・・。

今週の初めだっただろうか、自転車のブレーキがほとんど利かなくなっている。以前から一方のブレーキが全く駄目だったけれど放っておいてそのまま使っていた。しかしついに前輪も後方も使えなくなってしまったようだ。平らな道を走るくらいだったらこのまま自転車に乗っていたことだろう。だが、私は通勤でけっこうな坂を上り下りするので、ブレーキが利かないというのはとてつもなく危険だ。実際、ここ2、3日はけっこう危ない場面もあり、地面に足をつけて無理矢理ブレーキをかけるようなこともあった。

大ざっぱな私もさすがに、

「これはマズい。すぐになんとかしないと」

と感じて、帰り道に近所の自転車店へ向かう。その自転車は先月もパンク修理をしてもらったが、ちょっと対応が気になってはいた。

「どうして最初から診てくれなかったんですか、私の自転車を」(2012年8月14日)
http://30771.diarynote.jp/201208142110203548/

ご主人が中で作業していたので、

「すいません」

と声をかけると向こうは、

「どうした?」

と気さくというかぶっきらぼうな対応をしている。なんだかまた不安になってきた。

「ブレーキが利かなくなったんです。両方とも駄目で・・・」

というと、

「そうか・・・また明日きてくれるかな?いま忙しくて対応ができなくて」

店に来たのが7時ごろで、まあもう締めるような時間である。こちらもブレーキが直らないと困るのだが・・・。しかしそう言われたものは仕方ないし、無駄足で部屋に帰った。

「なんだかろうなあ。前回の対応もそうだし、この店には縁がないのかなあ」

などと思いながら。

それでも翌日、仕事帰り(自転車通勤は今日も危なかった)にまたこの店へと向かう。割と遅い時間まで開いている近くの自転車店はそこしか思い浮かばないのだ。

「すいません」

と声をかけると、

「どうした?」

と昨日と同じような対応だ。

「昨日の夜も来たんですが、ブレーキが・・・」

「ああ、昨日は悪かったな。おじさん、仕事がいっぱいあってね」

そうですか。今日は大丈夫なんですかね、おじさん。

パンクの場合だと、(修理が終わる)30分後にまた来て、とか言うがそのまま道具を持って作業を始めた。そのまま車輪を確認して、

「前輪も後輪も駄目だねえ」

と言いながら作業をヒュヒュッと進めて、

「はい、できたよ」

と言われた。10分、いやもしかしたら5分もかからなったかもしれない。

しかも、

「500円もらっておこうかな」

と言われたので、素晴らしい!としか言いようがなかった。

見直したよ、Y商会さん。何かあったらまたお願いします。

心の中でそう言いながら自転車で部屋に戻った。
京都市はこれまで管理職を対象にしてきた人事制度を全職員に拡大するなど「能力主義」を徹底するという。3月27日付の京都新聞に掲載されていた。それにともない年功重視の給与体系の見直し、希望の職場へ異動することのできるFA(フリー・エージェント)制度なども導入する。

京都市の人事課は

<組織内の「悪平等」を改め、職員がやりがいをもち働ける環境を整え、市民サービスを高めたい。>

と言っている。

このご時勢にまだ能力主義とは、つくづくお役所の動きは鈍いと思う。「悪平等」だの「やりがい」だのと言った惹句は、もう私たちはさんざん聞き飽きた言葉である。民間企業がさんざん試みて山のように積み重なった失敗例を知らないのだろうか。京都市民の一人として情けなくて仕方ない。

能力主義や成果主義などはいままでに色々とここで書いてきたので、それ以外に気になったことを今回は書きたい。

それは「FA制度」についてである。ネットで調べてみたら、「日本の人事部」(http://jinjibu.jp/)というサイトにぶちあたった。「社内FA制度」という言葉があり、

「社員が自らのキャリアやスキルを売り込み、希望する職種や職務を登録する」制度と説明がされていた。

また、

「社内公募制度や社内FA制度を導入することで、社員が職場や仕事の内容を選択できる環境が生まれ、社員のモチベーションを喚起する効果があると言われています。」

とも書いてある。能力主義や成果主義などとあわせて企業に広まった制度であることは間違いなさそうだ。

FA制度そのものの有効性や妥当性はここでは問わない。私が問題にしたいのは、公務員が自分の意志で職場や仕事の内容を選んでも良いのか、ということである。

やや硬い話になるけれど、日本国憲法の中で公務員についての規定をしている第15条の2項では、

<すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。>

と書かれている。

個人が自分の能力や特性を活かせる職場でバリバリ仕事をする、という姿そのものが美しいには違いない。しかし「全体の奉仕者」である公務員がそのような働き方をするというのは何となくそぐわない気がする。

内田樹(神戸女学院大学教授)さんが指摘するように、「労働」とは「国民の義務」であって断じて「権利」ではない。もともと「選り好み」などできない性質のものである。黙って働きなさいというのが内田さんの意見だが、公務員という立場だったらなおさらではないだろうか。私は別に公務員に対して悪意や不満はそれほど持っていないけれど、今回の能力重視うんぬんの件は京都市をおかしな方向に持っていくような気がしてならない。
関西初の「二郎系」ラーメン
この日記でラーメンについて書くのはいつ以来だろうか。もちろん、これまでずっとラーメン屋に通い続けている。ただ、書き込みをするたびに、「あいつ、またラーメン屋に行っている」という反響が多すぎるので日記に反映させなかっただけに過ぎない。

しかし、今日紹介する話は「関西初」ということなのでそれなりにニュース性があるだろう。そこで取り上げたいと思う。

10月20日午後6時、京都のラーメン激戦区である一乗寺に一軒のラーメン屋が開店した。あろうことか、その店はこの地域で1、2を争う人気店「天天有」の隣に出店したのである。その店の名前は「ラーメン荘 夢を語れ」という。

この店は、関西では類を見ない「二郎系」のラーメンである。「二郎」とは「ラーメン二郎」のことであり、ネットで検索すればごまんと出てくるだろう。ともかく量が多く、またファンも多いのが特徴のラーメンだ。

私は21日(土)の午後6時前に訪れたが、すでに何人か行列ができていて驚く。開店時間(午後6時)ちょうどに店が開いた。カウンター10席ほどしかないので、すぐに席が埋まる。「二郎系」だけあり、やはり自動販売機の食券をまず買わなければならない。慶応大学近くの「ラーメン二郎」本店で半分も食べ切ることも出来ずに店を出た身としては、迷わず「小」ラーメンを選択した。「小」は麺の量が200グラム、「並」ラーメンは300グラムとなっている(通常のラーメン屋は120〜140グラムらしい)

「二郎」に行ったことのない人はわからないだろうが、あそこではお客が店の人に、

「野菜マシマシ」
「アブラブラブラ」

とか呪文のようなことを言う。要するに、

「乗せる野菜を増やして」
「乗せる脂を増やして」

という注文なのだが、こうした独特のスタイルが「二郎系」の特徴なのだ。

もちろん、京都のお客はそうしたやり取りを知るよしもない。と思っていたら、店の人が、

「ニンニクをお入れしましょうか?」

とお客に尋ねると、

「ニンニク、野菜」
「ニンニク、野菜、アブラ」

と、的確な返事をしてくる。なるほど、並んでいたのは私と同じくラ−メン・マニアだったんだな。

かくいう私は、

「ニンニク」

だけお願いした。別に脂を増やしてほしくもないし、野菜も食べきれるか自信はなかった。そうして出てきたのが画像の「小ブタラーメン」(750円)である。一目見たときに、

「あ、楽勝だな」

と思った。麺も具も二郎ほどではない。そんなわけで野菜、チャーシュー、具は食べきってしまった。スープはさすがに体に悪そうだし2・3口すするだけで終わる。

ザッと感想を述べると、まず麺は美味しくない。太いがまるっきり弾力が無いので食べづらい。チャーシューはおそらく関西一ボリュームがあるので満足である。スープはちょっと単調な味だし脂がゴテッと浮いているので、初めはすすっても脂の味しかしない。そんなところである。

ただ、大量の麺をすすったり大きなチャーシューをほおばったりする時の快感は他店では味わえないのは間違いないものだ。とりあえず1度は試してほしいラーメン屋である。話のタネにはなるだろう。
こないだスーパーに行ったら、スープカレーのルー(と呼ぶのかどうかわからないが)やレトルト・パックが売っていた。ついに京都の家庭でもスープカレーが食べられる時代になったようである。

そして、今日もスーパーに行ってみたら密封でパックされた味付けジンギスカンが売られていたのである。しかも大手メーカーから出ていたものだ。北海道ではラムやマトンなどの羊肉が当たり前のように売られているけれど、京都などは北海道物産展で「松尾ジンギスカン」が出店するくらいだった。ラム肉は大好きなので、京都でも簡単に手に入る時代になったとしたら、これほど嬉しいことはない。

しかし、ジンギスカンは買って食べてみたものの味は今ひとつだった。量が250グラムで398円というのも高い。

スープカレーはまだ買っていない。カレーは家で作るのが圧倒的に美味しいけれど、スープカレーも同じなのだろうか。週末にでも試してみようかと思う。
29年も生きていると、因果というか、運命というか、わけのわからない出来事に見舞われる時がある。

昼すぎに、食事を外で済ませようと紫竹の方まで自転車で出かけた。大宮通をずっと北に進み、北山通から左へ曲がるとそこにはコンビニがある。その店の前にある自転車にふと目が入った。

「この自転車、見覚えがある」

すぐさま引き返してコンビニの前に戻り、自転車を確認した。

言うまでもないかもしれないが、それは先日の夜に烏丸夷川のところで盗まれた自分の自転車である。しかも、カギのついたままの状態だった。何者の仕業かわからないけれど、烏丸夷川から北山大宮まで自転車に乗って、そのまま店の前に置き去りにしたのだろう。

自分の自転車とわかっているので、そのままにしておくのは具合が悪い。しかしこの場所に自転車で来たので、乗って戻るわけにもいかない。

この日は夕方だけ出勤だったので、仕事が終わったあと地下鉄に乗って北山まで向かい、そこから15分くらい延々と歩いてコンビニまで辿り着き、そこから自転車に乗って帰った。

かくして自転車は、河原に捨てられて錆びつくこともなく、警察に発見されることもないまま、持ち主の元に戻っていった。

しかし、戻ってきた自転車と買い直した自転車、その2台の自転車を持ち主はこれからどうするのか。その結論はまだ出ていない。

まちこわし

2005年6月18日 地域情報
北大路通の京都府立大学ちかくを自転車で通っている時、ノボリが目についた。そこにはこう書いてある。

まちこわし セレマ葬儀場建設反対!

葬儀場ができることに周囲の住民が反対運動をしているらしい。近所にそんなものができては景観を損なうとか、そういうことだろう。

しかし、である。反対をしている住民は葬式をすること自体についても反対なのだろうか。身内が亡くなったとしても葬式をおこなわないのか。葬式を必要と考えているならば、葬儀場の建設もとがめることはできないだろう。

反対するならば、むしろ葬式という慣例そのものを地域ぐるみでやめる。それくらい徹底的にしてほしい。披露宴もそうだが、あんな見栄だけでやるような儀式など無くなったほうが世の中もスッキリする。

葬式の需要がなくなれば、セレマではなくとも葬儀場を建設する気などなくなるだろう。ぜひ、そうしてほしい。

市町村合併

2005年6月8日 地域情報
仕事のため夜になってから丹波町に行った。丹波町はいま不安定な状態になっている。なぜかといえば、瑞穂町と和知町との3町合併、いわゆる「市町村合併」が10月11日に控えているからである。3町が消滅して「京丹波町」が新たに発足する。

たとえば教育委員会をひとつとってみても、丹波町教育委員会・瑞穂町教育委員会・和知町教育委員会とあったのものが、10月11日になったとたん京丹波町教育委員会になってしまう。体育協会など諸団体も同じ道をたどる。

そんなゴタゴタの中にはいったため、京都市内に戻った時には夜の11時を過ぎていた。下手をしたら日付が変わっていたかもしれない。
久しぶり(18日ぶり)の休みということで正午まで眠り、それから京都駅前までブラッと出かけた。

駅地下街をふらついているとクレープを売っている店が目に入った。女の子が二人だけで働いている店である。多彩なメニューがあったので「京抹茶モンブラン」(500円)というものを頼んでみることにした。

しかし、女の子の手際が悪くてしかたがない。クリームを皮にかける際にはみ出すわ、最後に付ける栗の実を落っことすわで、さらにその栗を拾って乗せるという始末である。

私は雑な育てられ方をした人間だからあまり気にしないけれど、潔癖な人だったら「そんなものを客に出すのか!」と怒り出しかねない。人件費を抑えたいのか知らないが、誰かしっかりした人が付き添っていた方が良いのではないか。

肝心の味の方は、可もなく不可もなくであった。あれに500円出すなら、私はラーメンを選ぶよ。
最近、自分の行くクリーニング店がやたらと高いことを知らされた。そこで、近所の安そうな店に行ってみた。そこは確かに安い。スーツ上下で600円、シャツ3枚加えても1150円である。しかも、翌日の5時以降に引き取れるというのだから凄い。

しかし、これからもここを利用したいとは思わなかった。なぜかといえば、受け付けた人の愛想があまり良く無かったからだ。「いらっしゃいませ」の言葉も無い。ぶっきらぼうにシャツやスーツを扱い伝票に記入をし、「1150円です。受け取りは明日の5時以降になります」とだけ言われる。安い分サービスが無いということだろうか。なんだかアメリカみたいだ。

安ければ良い、とは思わない。日本の物価は高いけれど、それが日本の雇用を支えている働きもあるのだ。「安物買いの銭失い」という立派な言葉が日本にあるが、最近多くの人はそんな当たり前のことも忘れているのではないだろうか。

いままで使っていたクリーニング店も満足しているわけではない。値段は安くはないし、出来上がりまで3日はかかる。期日に引き取りに行っても「すいません。まだできてません」と言われたこともある。

いまのところ、私の近所では理想のクリーニング屋は、無い。

(本日聴いたCD)
パティ・スミス「ランド」

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