この国の企業の大半において、能力給だの成果主義だの年奉制だのといったものがものすごい勢いで導入されている。

成果主義について、かつて私は「死ぬまで反対」という立場だった。いまは「死んでも反対」と思っている。おおよそ客観性のない恣意的な査定などで自分の給料が決められてはたまらないというのが一番の理由である。そして、成果給を肯定する人とは密かに、経済の話はしないことにしている。そんな人はおそらく賃金のことなど何も勉強したこともないのだろう。相手にしていられない。

そんな私にさらなる理論武装をさせてくれたのがタイトルの本である。万が一でも成果主義を肯定しているという考えの方は第1章だけでも読んでほしい。ここまで書かれてしまっては、私のような人間にはもう何も言うことがなくなる。学者ゆえの現実の無知ぶりを感ずる箇所もあるが、理論的に成果主義の駄目さ加減を伝えて余りある。しかしこの本を読んでいると、成果主義うんぬんの問題でなく、日本の経営者が頭が悪すぎるということが根本だとも結論づけたくなる。年功制だろうが成果主義だろうが、運用する人間が無能ならばどうしようもないのだ。

一人でも多くの方に成果主義の間違った認識を改めて欲しいと願うばかりがこの本を薦める理由ではない。筆者が自身の著書「経営の再生」(95年)の韓国版が出された時にこんな前書きを載せていたというからである。

「この本は、経営学者としての私の反省と懺悔の本です。私は、日本で1980年代の後半から始まったバブル景気と、1990年代に入ってからのバブル崩壊に、一経営学者として立ち会いました。バブル期、私は、駆け出しながら既に大学の教壇に立ち、当時最新流行の米国流の経営理論を学生達に教えていたのです。しかし、学生達に教える一方で、自分の心の中では、こんなものは経営ではないと違和感を感じ続けていました。「経営する」とは、投資することでも、所有することでも、管理することでもない、それ以上の何かであるはずなのだと。しかし、当時いかに若輩だったとはいえ、私は何も発言しませんでした。バブル期の日本が狂っていたのにもかかわらず、当時の私には、そのこともはっきりとは見抜けませんでした。違和感をもつのがせいぜいだったのです。こんなことは何の言い訳にもなりませんが、私だけではなく、当時は経営学者も経済学者も評論家も、誰もバブル下の経営スタイルに異議を唱えなかったのです。しかしそのことを誰も清算しないままに、バブル崩壊後またそぞろ最新流行の経営理論を説いている姿を見て、私は強く自責の念にかられました。新しい理論だから正しいわけがないのです。まず事実を確認しなくてはいけません。何が間違っていたのかを検証しておかなければなりません。そのために書かれたのがこの本です。ですからこの本は、私にとっては懺悔の本なのです。」

本来ならば率先して「反省」や「懺悔」や「清算」をしなければならないのは高橋さんなどではなく、財テクなどに手を出していた愚かな経営者の方である。ちょと前の失敗をコロっと忘れて、また成果主義などと間違ったやり方を導入して失敗していくのだろう。そして7割が成果主義を肯定しているというこの国の無知なサラリーマンも経営者と同じ末路を辿るに違いない。歴史はくり返される。

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