eastern youthの新作「DON QUIJOTE」を聴く
2004年8月4日「周囲の評判が思わしくないけれど、今回のアルバムは絶対聴いて欲しい」神戸のライブのMCの際、メンバーの吉野寿は「DON QUIJOTE」についてそんなことを言っていたのをよく覚えている。
いままでのeastern youthとはまるっきり肌触りの違うシングル曲“矯正視力0・6”を発表し、いったいどんな中身のアルバムになるのか興味が尽きなかったし、また不安でもあった。
実際にアルバムを聴いてみると、やはりいままでの作品とは違う雰囲気ではある。“矯正視力0・6”が特に顕著だが、いままでの勢いが少し息を潜め、情緒的な部分が強まったという感じがする。
しかし、従来のeastern youthから大きく逸脱した作品とも思わない。パンクやメロ・コアといったような文脈で彼らを聴いてきた人には不満がでてくるかもしれない。しかし、情緒的な部分はeastern youthの音楽には非常に重要なのだ。私などはむしろ、その辺に強く惹かれたためにファンになったといってもいい。いずれにしても、同じような作風だった「感受性応答セヨ」(01年)、「其処カラ何ガ見エルカ」(03年)から一歩踏み出してみた意欲作である。
さて、これがどのような形でライブに結実するか。9月の京都公演が楽しみである。
いままでのeastern youthとはまるっきり肌触りの違うシングル曲“矯正視力0・6”を発表し、いったいどんな中身のアルバムになるのか興味が尽きなかったし、また不安でもあった。
実際にアルバムを聴いてみると、やはりいままでの作品とは違う雰囲気ではある。“矯正視力0・6”が特に顕著だが、いままでの勢いが少し息を潜め、情緒的な部分が強まったという感じがする。
しかし、従来のeastern youthから大きく逸脱した作品とも思わない。パンクやメロ・コアといったような文脈で彼らを聴いてきた人には不満がでてくるかもしれない。しかし、情緒的な部分はeastern youthの音楽には非常に重要なのだ。私などはむしろ、その辺に強く惹かれたためにファンになったといってもいい。いずれにしても、同じような作風だった「感受性応答セヨ」(01年)、「其処カラ何ガ見エルカ」(03年)から一歩踏み出してみた意欲作である。
さて、これがどのような形でライブに結実するか。9月の京都公演が楽しみである。
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