フリクション(Friction)について
2005年4月20日大学に通うために京都に住居を移してから、ものすごい数のCDを買っていた時期が2年ほどある。それまでいた地域とは比べられないほど京都の地はCDのカタログが豊かだった。輸入盤なども充実していて、日本ではまだCD化していないパンクやニュー・ウェーブの名盤も手に入れることができた。生まれてから18年間暮らしていた登別の例を挙げれば、セックス・ピストルズやクラッシュの作品ですら常備されている品物にもなっていないのである。
ディス・ヒート、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、ポップ・グループ、ジム・フィータス・・・興味本位で色々なCDを集めたものである。だが現在でも聴いているCDはほとんどない。パンクやニュー・ウェーブという時代のものでいえば、テレヴィジョン、ジョイ・ディヴィジョン、そしてフリクションくらいだろう。この時代に出てきた表現者たちにはそれなりに敬意は持っているけれど、CDを聴いて楽しくなることとは全く別問題である。
フリクションにしても、聴いていてそれほど楽しい音ではないだろう。それでも「軋轢」(80年)などのアルバムを時々引っ張りだして聴いてみたくなるのである。発売されてから25年も経っているのに、ついさっき出来た作品のような切羽詰まった感覚を覚える。音がまったく古ぼけていないのだ。
フリクションの凄さをどうにかして伝えたいけれど、文章では無理である。聴いてもらうより他にない。
ディス・ヒート、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、ポップ・グループ、ジム・フィータス・・・興味本位で色々なCDを集めたものである。だが現在でも聴いているCDはほとんどない。パンクやニュー・ウェーブという時代のものでいえば、テレヴィジョン、ジョイ・ディヴィジョン、そしてフリクションくらいだろう。この時代に出てきた表現者たちにはそれなりに敬意は持っているけれど、CDを聴いて楽しくなることとは全く別問題である。
フリクションにしても、聴いていてそれほど楽しい音ではないだろう。それでも「軋轢」(80年)などのアルバムを時々引っ張りだして聴いてみたくなるのである。発売されてから25年も経っているのに、ついさっき出来た作品のような切羽詰まった感覚を覚える。音がまったく古ぼけていないのだ。
フリクションの凄さをどうにかして伝えたいけれど、文章では無理である。聴いてもらうより他にない。
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