音楽はあくまで趣味にとどめるべき
2006年9月10日 とどめておきたこと、特記事項午後9時過ぎ、「笑いの金メダル」(テレビ朝日系列)を観た後、千本今出川を下がったところにある本屋まで自転車でフラッと出かけた。読みたい本が特にあったわけでもないので音楽雑誌の棚を調べてみると「ミュージック・マガジン」があったのでバラッとめくる。今月に発売するCDを調べるのにこの雑誌は便利だ。ただ中身はしょうもないので、ちゃんと読むことはめったにない。
そんな中、映像作品のページで渡辺美里のDVD「MISATO V20 スタジアム伝説〜最終章〜NO SIDE」が載っている。文章を書いているのは久保太郎という人で、芝居がかった表情だの、単調な歌唱だの、歌詞が説教くさいだの、以前どこかで聞いたような表現でとにかく罵倒し、あげくの果てには10点満点で「3点」を付けてくれる大サービスぶりである。雑誌を買ってちゃんと引用しようかと一瞬思ったけど、こんなもので無駄遣いをしたくないし、紹介するのも馬鹿馬鹿しい代物なので思いとどめた。
この「MISATO V20 スタジアム伝説〜最終章〜NO SIDE」は昨年12月に出たDVDボックスから昨年のライブだけを抜粋して発売したものである。ライブのほぼ全編を収めたので、2枚組で収録時間はなんと190分である。ファンの私ですらまだ1回しか通して観ていないくらいだから、久保はさぞ辛かったことだろう。
などと同情するのが今日の主旨ではない。それほど嫌だったら観なければ良いではないか。もし私が嫌いなミュージシャンのDVDを3時間も観ろと言われたら、絶対に断る。そんな真似は拷問でしかないからだ。
音楽を聴くようになってから15年ほどになるが、いつからか自分の心に決めていることがある。それは、
嫌いな音楽は無理に聴かない
ということだ。
浪人時代や大学時代には色々なジャンルのCDを買い漁っていた時期がある。さまざまな音楽を聴いて自分の世界が広がっていくに違いないという幻想を持っていたと思う。しかし、そうした気持ちもいつからか消えていった。その原因はわかっている。いわゆる「音楽ライター」という人たちの存在である。
彼らは仕事上、一般人とは比較にならないくらいの量の音楽を聴いている。たとえ嫌いなミュージシャンでも、興味のないジャンルでも聴かなければ仕事にならないのだ。そうした生活を強いられた結果、音楽ライターの大半は著しく性格が歪んでくる。大好きだったはずの音楽が憎悪の対象になってしまうのだ。さきほどの久保の文章などその典型であろう。趣味が仕事になったゆえの不幸を感じざるをえない。
中村とうよう、萩原健太、小野島大、烏賀陽弘道・・・彼らの醜態は目に余る。音楽を長いあいだ聴き続けた人生の末路がこれではあまりに情けないではないか。私は連中の後には続きたくない。
だから私は音楽をあくまで趣味にとどめたい。研究とか、ましてや仕事などにはしたくはないのである。かくて、私は現在も素晴らしい音楽人生を送っている。それは自信を持って言えることだ。
そんな中、映像作品のページで渡辺美里のDVD「MISATO V20 スタジアム伝説〜最終章〜NO SIDE」が載っている。文章を書いているのは久保太郎という人で、芝居がかった表情だの、単調な歌唱だの、歌詞が説教くさいだの、以前どこかで聞いたような表現でとにかく罵倒し、あげくの果てには10点満点で「3点」を付けてくれる大サービスぶりである。雑誌を買ってちゃんと引用しようかと一瞬思ったけど、こんなもので無駄遣いをしたくないし、紹介するのも馬鹿馬鹿しい代物なので思いとどめた。
この「MISATO V20 スタジアム伝説〜最終章〜NO SIDE」は昨年12月に出たDVDボックスから昨年のライブだけを抜粋して発売したものである。ライブのほぼ全編を収めたので、2枚組で収録時間はなんと190分である。ファンの私ですらまだ1回しか通して観ていないくらいだから、久保はさぞ辛かったことだろう。
などと同情するのが今日の主旨ではない。それほど嫌だったら観なければ良いではないか。もし私が嫌いなミュージシャンのDVDを3時間も観ろと言われたら、絶対に断る。そんな真似は拷問でしかないからだ。
音楽を聴くようになってから15年ほどになるが、いつからか自分の心に決めていることがある。それは、
嫌いな音楽は無理に聴かない
ということだ。
浪人時代や大学時代には色々なジャンルのCDを買い漁っていた時期がある。さまざまな音楽を聴いて自分の世界が広がっていくに違いないという幻想を持っていたと思う。しかし、そうした気持ちもいつからか消えていった。その原因はわかっている。いわゆる「音楽ライター」という人たちの存在である。
彼らは仕事上、一般人とは比較にならないくらいの量の音楽を聴いている。たとえ嫌いなミュージシャンでも、興味のないジャンルでも聴かなければ仕事にならないのだ。そうした生活を強いられた結果、音楽ライターの大半は著しく性格が歪んでくる。大好きだったはずの音楽が憎悪の対象になってしまうのだ。さきほどの久保の文章などその典型であろう。趣味が仕事になったゆえの不幸を感じざるをえない。
中村とうよう、萩原健太、小野島大、烏賀陽弘道・・・彼らの醜態は目に余る。音楽を長いあいだ聴き続けた人生の末路がこれではあまりに情けないではないか。私は連中の後には続きたくない。
だから私は音楽をあくまで趣味にとどめたい。研究とか、ましてや仕事などにはしたくはないのである。かくて、私は現在も素晴らしい音楽人生を送っている。それは自信を持って言えることだ。
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