危うかった出国
2007年6月16日 ヴァン・モリソンのライブ体験記
ロンドンに来て4日目、いよいよ最後である。今日も7時ごろには目が覚めた。結局、日本にいる時と体調に変化はなかったといえる。この日もKさんと一緒に食堂で朝食だが、これも今日で終わりだ。パンとコーンフレークだけの食事は、我慢できなくもないが、もう飽きてきたのでちょうどいい時期かもしれない。
私は11時までにホテルをチェックアウトしなければならないが、Kさんはもうしばらくここに滞在する。荷物を預かるから観光でもしたら?と薦められたので、昼まで外を出ることにした。「地球の歩き方」をめくるとナショナルギャラリーという美術館が入場無料らしい。大英博物館では絵がほとんどなかったので、ここを覗いてみようと地下鉄でピカデリー・サーカス(PiccadillyCircus)へ向かう。しばらく歩き中華街や公園などを抜けるとナショナル・ギャラリーが見つかった。展示物が絵のためか、ここは撮影が禁止だった。写真を撮ろうとした人が係員に注意されている。美術の知識はからっきしだが、一つだけすぐわかる作品があった。ゴッホの「ひまわり」である。バブル期に話題になった記憶がまだ残っていた。現在は時価でいくらするのだろう。
ナショナルギャラリーをザッと観てから、ロンドン三越をふたたび訪れお土産を追加で買う。そして、日本の料理や商品が売っている「ジャパン・センター」に入ってみた。公式サイトもある。
http://www.japancentre.com/?cmd=default
1階では寿司や蕎麦などが食べられ、地下の食料品店では「ハイチュー」など日本のお菓子も取り扱っている。お米も売っていたが、驚くことにアメリカ産やベトナム産だった。日本国内だったら考えられない話である。その中に「チキンカツ・カレー丼」というのが売っていたので思わず買ってしまった。エロスの像の前で食べてみる。味については日本と変わらないし美味しい。しかし、やはり値段が問題だ。そんなに量が入ってない割に3.8ポンドである。日本だったら400円くらいが妥当な金額だろう。最後の最後までロンドンの物価についてブツブツ言っていたような気もする。
午後1時、再びアールズコートに戻りKさんと合流し一緒に昼食をとる。近くに中華料理屋があり、そこで「酸辣湯」、それから「焼肉飯」というのを頼む。焼肉飯は表面をカリッと焼いた豚肉がご飯に乗っただけのもので、たいして美味しくない。酸辣湯も酸っぱさばかりが舌に残る。これがロンドンで最後の食事だが、噂どおりに食事は全体的にイマイチだったな。私はとてもロンドンに暮らす自信がない、と自信をもって言える。店を出た後、Kさんにお礼をいって別れる。この時点で午後2時ごろだった。
午後7時に出国なので、このまま地下鉄で空港に行くにはまだしばらく時間がある。そこで、ビートルズで有名なアビイロード(Abbey Road)に寄ってみようと思い、最寄りのセント・ジョンズ・ウッド(St.John’s Wood)駅まで向かう。そこからスーツケースを引きずりながら下り坂を進むのだが、途中で雨がどんどん強くなってくる。あまりにヒドいので、ここに来て初めて折りたたみ傘を取り出す。アビイ・ロードは観光客が絶えず訪れる。画像にも載せているが、ビートルズと同じように横断歩道を歩き、それを記念写真に撮っていた。ロンドンは歩行者優先だが、さすがに写真撮影をしている連中には車もクラクションを鳴らす。アビイロード・スタジオや横断歩道を適当に写真を撮った後で駅に戻る時に、黒人の男性から、
「すいません。日本の方ですか?」
と声をかけられる。日本語で話しかけられたのは初めてだ。何かの取材だろうか?と思ったら、その人は日本語で「ものみの塔」と書かれた冊子を取り出した。まさかアビイロードの近くで宗教の勧誘をされるとは!結構ですと言ったら、向こうもアッサリとあきらめて去っていった。
地下鉄でヒースロー空港へ向かいロンドンの旅が終わった。で、済むと思ったが、今回の真のドラマはここからが始まりだった。
地下鉄ピカデリー線で空港までは1本で行ける。しかし、いくら地下鉄を待ってもヒースロー行きの電車が来ない。途中にあるハマースミス(Hammersmith)駅までしかないのだ。「ハマースミスで乗り換えるのだろうか?」と不審に思いながら、とりあえず電車に乗ってハマースミスへ向かう。しかし、ハマースミスに着いても、駅の様子がおかしい。なにやら駅員と思われる黄色い服の人が大勢いる。そして、構内には張り紙もしている。どうも地下鉄がハマースミスで止まっているようだ。プラットホームにいた駅員に、空港に行きたいんですが、と尋ねると、
「アクトン・タウン(Acton Town)に行くバスに乗れ。黄色い服の人に聞け」というようなことを言われ、ポンと肩を叩かれる。訳もわからないまま駅を出て、黄色い服の人に「バスはどこですか?」と聞くと乗り場に案内される。そこには荷物を持った人がたくさんいる。みんな空港へ向かう人たちなのだろう。さてバスはいつ来るのか、と思ったら駅員が何やら大声で説明をして、再び駅に誘導される。黒人の駅員が何やら私に説明しているが・・・聞き取れない。これは、かなりまずい状況なのではないだろうか。この時点で午後4時半ごろで、気持ちもかなり動揺してくる。
言われるがままに地下鉄に乗る。私はどこへ行くんだ?そんな中、大きな荷物を抱えたアジア系の女の子2人が目に止まる。「空港に行きますか?」と尋ねたら、ハイと答えたので彼女たちにくっつくことにする。これしかもう方法は無いと思ったのだ。彼女の荷物運びを手伝いながら地下鉄に出ると、今度はなんと鉄道に乗り換えである。これで空港に行けるのだろうか。もう午後5時である。離陸の2時間前だ。
私は韓国語をしゃべれないし、向こうも日本語は無理なので英語でいろいろ話をした。彼女たちは2人とも韓国から来たという。私が7時に出国すると言えばかなり驚いていた。そのうち1人は英語を勉強するためにロンドンに4ヶ月滞在したという。私の滞在期間が4日だと言うと、また驚いていた。片言の英語しか話せないけれど、ヴァン・モリソンを観るためだけにロンドンに来たこと、さっきまでアビイロードに行っていたことなどはなんとか伝わっていたようだ。また、飛行機には間に合うと思う、などと励まされたりもした。
そうこうしているうちに午後5時半、なんとかヒースロー空港に到着である。荷物を運ぶのを手伝いながらなんとか走って日本航空の窓口に向かう。「すいません。地下鉄が止まっていて遅れました」と息を切らしながら係の人に伝えると、「ああ、大丈夫ですよ」と涼しい顔で答えが返ってくる。事情を聞くと、どうやら地下鉄が工事中だったらしい。後で知ったことだが、ロンドンの地下鉄はよく止まるそうだ。しかし、本当に危なかった。日本に帰れないのではと、一瞬ではあるが思った時もあった。
とにかく急いで搭乗手続きをする。通路側の席を取りたかったけれど、ほとんど埋まっていて真ん中の席しかなかった。飛行機自体もほぼ満席だという。乗れれば御の字だと思い納得するしかない。それからいろいろ審査をされたが、日本と比べて色々と厳しい。金属類を外して提出しなければならないし、靴も脱がされ調べられる。途中でさっきの韓国の女性に再び出会う。心配そうな顔をしていたので、たぶん間に合うだろう、と答えた。そうして空港のロビーに着いたのは午後6時10分ごろだった。飛行機に入る20分前だから、実に危うい。椅子に座ってなんとなく財布の中を見ると、もう小銭しか残っていない。用意した200ポンド、約5万円はこの4日間で吹っ飛んだことになる。残った小銭をかき集めて、近くの自動販売機でチョコレートを買った。
午後5時半、飛行機に乗り込む。少し離陸の準備が遅れ、実質的に出発したのは午後6時45分くらいだったか。なんとなく外の景色を眺めたが、特に感慨はなかった。出国して1時間ほどで夕食が出て、すぐに眠りにつく。いつの間にか飛行機の中も真っ暗になっていた。
私は11時までにホテルをチェックアウトしなければならないが、Kさんはもうしばらくここに滞在する。荷物を預かるから観光でもしたら?と薦められたので、昼まで外を出ることにした。「地球の歩き方」をめくるとナショナルギャラリーという美術館が入場無料らしい。大英博物館では絵がほとんどなかったので、ここを覗いてみようと地下鉄でピカデリー・サーカス(PiccadillyCircus)へ向かう。しばらく歩き中華街や公園などを抜けるとナショナル・ギャラリーが見つかった。展示物が絵のためか、ここは撮影が禁止だった。写真を撮ろうとした人が係員に注意されている。美術の知識はからっきしだが、一つだけすぐわかる作品があった。ゴッホの「ひまわり」である。バブル期に話題になった記憶がまだ残っていた。現在は時価でいくらするのだろう。
ナショナルギャラリーをザッと観てから、ロンドン三越をふたたび訪れお土産を追加で買う。そして、日本の料理や商品が売っている「ジャパン・センター」に入ってみた。公式サイトもある。
http://www.japancentre.com/?cmd=default
1階では寿司や蕎麦などが食べられ、地下の食料品店では「ハイチュー」など日本のお菓子も取り扱っている。お米も売っていたが、驚くことにアメリカ産やベトナム産だった。日本国内だったら考えられない話である。その中に「チキンカツ・カレー丼」というのが売っていたので思わず買ってしまった。エロスの像の前で食べてみる。味については日本と変わらないし美味しい。しかし、やはり値段が問題だ。そんなに量が入ってない割に3.8ポンドである。日本だったら400円くらいが妥当な金額だろう。最後の最後までロンドンの物価についてブツブツ言っていたような気もする。
午後1時、再びアールズコートに戻りKさんと合流し一緒に昼食をとる。近くに中華料理屋があり、そこで「酸辣湯」、それから「焼肉飯」というのを頼む。焼肉飯は表面をカリッと焼いた豚肉がご飯に乗っただけのもので、たいして美味しくない。酸辣湯も酸っぱさばかりが舌に残る。これがロンドンで最後の食事だが、噂どおりに食事は全体的にイマイチだったな。私はとてもロンドンに暮らす自信がない、と自信をもって言える。店を出た後、Kさんにお礼をいって別れる。この時点で午後2時ごろだった。
午後7時に出国なので、このまま地下鉄で空港に行くにはまだしばらく時間がある。そこで、ビートルズで有名なアビイロード(Abbey Road)に寄ってみようと思い、最寄りのセント・ジョンズ・ウッド(St.John’s Wood)駅まで向かう。そこからスーツケースを引きずりながら下り坂を進むのだが、途中で雨がどんどん強くなってくる。あまりにヒドいので、ここに来て初めて折りたたみ傘を取り出す。アビイ・ロードは観光客が絶えず訪れる。画像にも載せているが、ビートルズと同じように横断歩道を歩き、それを記念写真に撮っていた。ロンドンは歩行者優先だが、さすがに写真撮影をしている連中には車もクラクションを鳴らす。アビイロード・スタジオや横断歩道を適当に写真を撮った後で駅に戻る時に、黒人の男性から、
「すいません。日本の方ですか?」
と声をかけられる。日本語で話しかけられたのは初めてだ。何かの取材だろうか?と思ったら、その人は日本語で「ものみの塔」と書かれた冊子を取り出した。まさかアビイロードの近くで宗教の勧誘をされるとは!結構ですと言ったら、向こうもアッサリとあきらめて去っていった。
地下鉄でヒースロー空港へ向かいロンドンの旅が終わった。で、済むと思ったが、今回の真のドラマはここからが始まりだった。
地下鉄ピカデリー線で空港までは1本で行ける。しかし、いくら地下鉄を待ってもヒースロー行きの電車が来ない。途中にあるハマースミス(Hammersmith)駅までしかないのだ。「ハマースミスで乗り換えるのだろうか?」と不審に思いながら、とりあえず電車に乗ってハマースミスへ向かう。しかし、ハマースミスに着いても、駅の様子がおかしい。なにやら駅員と思われる黄色い服の人が大勢いる。そして、構内には張り紙もしている。どうも地下鉄がハマースミスで止まっているようだ。プラットホームにいた駅員に、空港に行きたいんですが、と尋ねると、
「アクトン・タウン(Acton Town)に行くバスに乗れ。黄色い服の人に聞け」というようなことを言われ、ポンと肩を叩かれる。訳もわからないまま駅を出て、黄色い服の人に「バスはどこですか?」と聞くと乗り場に案内される。そこには荷物を持った人がたくさんいる。みんな空港へ向かう人たちなのだろう。さてバスはいつ来るのか、と思ったら駅員が何やら大声で説明をして、再び駅に誘導される。黒人の駅員が何やら私に説明しているが・・・聞き取れない。これは、かなりまずい状況なのではないだろうか。この時点で午後4時半ごろで、気持ちもかなり動揺してくる。
言われるがままに地下鉄に乗る。私はどこへ行くんだ?そんな中、大きな荷物を抱えたアジア系の女の子2人が目に止まる。「空港に行きますか?」と尋ねたら、ハイと答えたので彼女たちにくっつくことにする。これしかもう方法は無いと思ったのだ。彼女の荷物運びを手伝いながら地下鉄に出ると、今度はなんと鉄道に乗り換えである。これで空港に行けるのだろうか。もう午後5時である。離陸の2時間前だ。
私は韓国語をしゃべれないし、向こうも日本語は無理なので英語でいろいろ話をした。彼女たちは2人とも韓国から来たという。私が7時に出国すると言えばかなり驚いていた。そのうち1人は英語を勉強するためにロンドンに4ヶ月滞在したという。私の滞在期間が4日だと言うと、また驚いていた。片言の英語しか話せないけれど、ヴァン・モリソンを観るためだけにロンドンに来たこと、さっきまでアビイロードに行っていたことなどはなんとか伝わっていたようだ。また、飛行機には間に合うと思う、などと励まされたりもした。
そうこうしているうちに午後5時半、なんとかヒースロー空港に到着である。荷物を運ぶのを手伝いながらなんとか走って日本航空の窓口に向かう。「すいません。地下鉄が止まっていて遅れました」と息を切らしながら係の人に伝えると、「ああ、大丈夫ですよ」と涼しい顔で答えが返ってくる。事情を聞くと、どうやら地下鉄が工事中だったらしい。後で知ったことだが、ロンドンの地下鉄はよく止まるそうだ。しかし、本当に危なかった。日本に帰れないのではと、一瞬ではあるが思った時もあった。
とにかく急いで搭乗手続きをする。通路側の席を取りたかったけれど、ほとんど埋まっていて真ん中の席しかなかった。飛行機自体もほぼ満席だという。乗れれば御の字だと思い納得するしかない。それからいろいろ審査をされたが、日本と比べて色々と厳しい。金属類を外して提出しなければならないし、靴も脱がされ調べられる。途中でさっきの韓国の女性に再び出会う。心配そうな顔をしていたので、たぶん間に合うだろう、と答えた。そうして空港のロビーに着いたのは午後6時10分ごろだった。飛行機に入る20分前だから、実に危うい。椅子に座ってなんとなく財布の中を見ると、もう小銭しか残っていない。用意した200ポンド、約5万円はこの4日間で吹っ飛んだことになる。残った小銭をかき集めて、近くの自動販売機でチョコレートを買った。
午後5時半、飛行機に乗り込む。少し離陸の準備が遅れ、実質的に出発したのは午後6時45分くらいだったか。なんとなく外の景色を眺めたが、特に感慨はなかった。出国して1時間ほどで夕食が出て、すぐに眠りにつく。いつの間にか飛行機の中も真っ暗になっていた。
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