山田昌弘氏の講演会にて
2007年9月30日昼間には小雨が降り始めていたけれど、傘を持って部屋を出る。歩いて30分近くのところにある平安会館でおこなわれる講演会に行くためだ。講師は東京学芸大学教授の山田昌弘氏である。山田さんについては本の感想もこの日記で書いたこともあった。「パラサイトシングル」や「希望格差社会」という言葉を作ったことで知られている。
http://diarynote.jp/d/30771/20070201.html
本も持っている人なので、天気が悪いにもかかわらず会場に行った。
「報道ステーション」(テレビ朝日系列)で観たままで、山田さんは飄々とした感じで話す。
「私はあまりイケイケじゃないんですよ」
と自分でも言っていた。7ページあるレジメをもとに話す内容は、たとえば「新平等社会」で書いてあることも多かったので特に自分には新鮮味もなかったけれど、一つ一つのエピソードは面白い。だが、不思議と会場で笑いは起きなかった。やはり、私を含めて、各人が身につまされるような話のためではないだろうか。
印象に残っている話では、IT化や機械化が進んでパソコンやロボットが人間に変わっていく一方で、あまりにも単純な作業は人間でないとできないというのである。山田さんは柿の種の製造過程を例にとっていて、最初の材料を入れる作業と最後の検品作業(出来の悪い柿の種を取り除く作業)は機械ができないのだ。この辺りはいまでも人間が必要なのは変わらない。しかし、こうした作業をしている人にも正社員なみの給料をあげられるか?となると嫌な話になってくる。
1時間ほどの講演が終わったあとはパネル・ディスカッションである。京都府で若年労働の支援を携わっている人、連合京都の事務局長、キャリアカウンセラーなどを交えて主に若者の就職についてそれぞれの立場から話をした。
そろそろ終わりというところで、客席にいた老人がいきなりわめきだした。パネル・ディスカッションの内容が気に入らないようで、そのあげくには山田さんに対して、あなたは実社会を知っているのかなどとと言い出したのである。学者の山田さんは労働者の現実がわからないということだろう。
相手が山田さんのような穏やかな人だからあの老人は運が良かった。これが仲正昌樹(金沢大学教授)さんあたりだったら、これが学者の現実だ!、と手も足も出ていたにちがいない。老人は関係者と少し口論をしたあと会場を出て行った。
学者や評論家は現実を知らない、という理屈はかつての自分も使っていたと思う。しかし、こうした人たちは労働者と違った立場にいるのだから、さきの老人のようなことを言っても生産性はない。学者や評論家は出てくるな、という結論にしかならないだろう。言論や表現の自由を制限するだけである。
壇上にいた山田さんも嫌な気分になっていただろうな、と勝手に想像してしまった。
http://diarynote.jp/d/30771/20070201.html
本も持っている人なので、天気が悪いにもかかわらず会場に行った。
「報道ステーション」(テレビ朝日系列)で観たままで、山田さんは飄々とした感じで話す。
「私はあまりイケイケじゃないんですよ」
と自分でも言っていた。7ページあるレジメをもとに話す内容は、たとえば「新平等社会」で書いてあることも多かったので特に自分には新鮮味もなかったけれど、一つ一つのエピソードは面白い。だが、不思議と会場で笑いは起きなかった。やはり、私を含めて、各人が身につまされるような話のためではないだろうか。
印象に残っている話では、IT化や機械化が進んでパソコンやロボットが人間に変わっていく一方で、あまりにも単純な作業は人間でないとできないというのである。山田さんは柿の種の製造過程を例にとっていて、最初の材料を入れる作業と最後の検品作業(出来の悪い柿の種を取り除く作業)は機械ができないのだ。この辺りはいまでも人間が必要なのは変わらない。しかし、こうした作業をしている人にも正社員なみの給料をあげられるか?となると嫌な話になってくる。
1時間ほどの講演が終わったあとはパネル・ディスカッションである。京都府で若年労働の支援を携わっている人、連合京都の事務局長、キャリアカウンセラーなどを交えて主に若者の就職についてそれぞれの立場から話をした。
そろそろ終わりというところで、客席にいた老人がいきなりわめきだした。パネル・ディスカッションの内容が気に入らないようで、そのあげくには山田さんに対して、あなたは実社会を知っているのかなどとと言い出したのである。学者の山田さんは労働者の現実がわからないということだろう。
相手が山田さんのような穏やかな人だからあの老人は運が良かった。これが仲正昌樹(金沢大学教授)さんあたりだったら、これが学者の現実だ!、と手も足も出ていたにちがいない。老人は関係者と少し口論をしたあと会場を出て行った。
学者や評論家は現実を知らない、という理屈はかつての自分も使っていたと思う。しかし、こうした人たちは労働者と違った立場にいるのだから、さきの老人のようなことを言っても生産性はない。学者や評論家は出てくるな、という結論にしかならないだろう。言論や表現の自由を制限するだけである。
壇上にいた山田さんも嫌な気分になっていただろうな、と勝手に想像してしまった。
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