来年からサザンオールスターズが無期限の活動休止をするというニュースを見たのはミクシィのページだったか。

本人にはどうでも良い話だが、私にとって桑田佳祐という人は「最大の敵」である。なんとか批判したいけれど、「くだらない」とか「バカだ」とか「クズだ」とか安易にいえない手強い相手という意味でそう思っている。

たとえば、桑田の曲はワンパターンだ、という批判というか難癖を見かけるけれど、それは彼の才能の大きさを証明する以外のなにものでもない。単にワンパターンで表現が乏しいミュージシャンだったとしたら、どうしてあれだけのセールスを記録できるというのか。不明瞭なボーカルにしても、突拍子も無いパフォーマンスにしても、どこかの曲のパクリだとかいう指摘も、30年も一線で活躍してきたという実績の前では「イチャモン」の一言で片付けられるだろう。

そんな実力者にもかかわらず、私は桑田のことが大嫌いである。いやむしろ、彼があれだけの人気を持続していることに対して嫌悪感を抱いているのかもしれない。

桑田佳祐という人は非常に欲望の強い人である。人気とかセールスといったものへの執着が異常にあるためここまで生きてこれたのだろう。私はそう思っている。

私が彼を本当に嫌になったのは、忘れもしない93年の12月1日におこなわれた「AAA〜アクト・アゲインスト・エイズ」というイベントを衛星放送で観た時である。この日は「エイズ撲滅」をキーワードに多くのミュージシャンが全国でライブをおこなった。日本武道館では桑田がプロデューサーを務め、昔の良い曲を歌おうという趣旨で多くのミュージシャンが他人の曲をカバーしていた。私は渡辺美里が目当てで衛星放送を観ていたが、彼女が“鉄腕アトム”や“タイムマシーンにお願い”を歌っている姿に、

「彼女のオリジナルが聴きたかったなあ。でもイベントの趣旨が趣旨だし・・・」

と諦めていたところ、桑田が最後の最後で自身の“勝手にシンドバッド”を歌い出したのである。

これには子ども心にも、

「それは反則でしょう!しかも、あんたは今日のプロデューサーでしょうが!」

と憤慨してしまった。この日のショックというか嫌悪感は相当なもので、一緒に出ていた美里に対しても、

「こんなイベントに出やがって・・・桑田のダシにされただけだろうが!」

と矛先を向けた時期もあったほどである。

しかし、思えば桑田という人はこうした手法をずっと繰り返していたのでないだろうか。長渕剛が彼を嫌っていたのは、83年の名古屋球場ライブで共演すると言ったのに前座扱いされたということに対してである。また95年にMr.Childrenと“奇跡の地球”を共演した時も、ミスチルの人気にあやかるどころか、それを踏みつけてさらに上に行こうというような意志を感じさせた。

こうした光景を見るにつけ、大物らしくない態度だなあ、とつくづく思ってしまう。たとえば同じAAAの横浜アリーナでプロデューサーを担当していた佐野元春は、イベントの時間が長引いたため自分の曲数を減らしている。そんな佐野の態度と桑田の行為とは好対照というしかない。

サザンおよび桑田に対して、最初は胡散臭いミュージシャンと感じて嫌っていた程度のレベルだったが、こんな事例も相まってひときわ強い嫌悪感が私の中で育った次第である。ラジオで曲がかかったり、テレビに映った瞬間には電源を消すのが常であった。そしてそんな生活を繰り返すうち、この10年くらいサザンや桑田の音楽に接しなかった。よって、自分としてはサザンの活動休止について別に喜ぶとかいった感情はまったく起きていない。

ところで、ウィキペディアなどで調べてみれば、サザンはいままで活動休止を何度も宣言している。だから、おそらくまたしばらくして活動再開するに違いない。桑田のあの強烈な欲望が続く限り、また見事に復活してしまうだろう。しかし、もはや私にとってはどうでも良いことである。いや、実はかつての彼に対する嫌悪感もすっかり消えているのかもしれない。だからといってサザンや桑田の音楽を聴くつもりはこれからもないけどね。

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