今日の午後は仕事で大津市の何カ所かをまわった。行きは地下鉄と京阪、帰りはJRに乗る。その間に携帯で連絡をもらっている人がいたのだが、こちらがかけても出てくれない。電車に乗っている時に返信をされても困るので、帰りの車中では電源を消すことにした。

すると不思議なほど気持ちが良くなっていた自分がいることに気づく。どうしてなのだろうかと考えた。

現代人らしくない話だが、私は持ちたくて携帯を持った人間ではない。仕事で連絡がとれないと困るという圧力がかかったから、仕方なく所持したまでである。

そして、持った結果は予想通りだった。私が携帯をかけるということは圧倒的に少ない。ほとんどは向こうからかかってくる電話である。

携帯が便利なのは否定しない。便利だからこそこれほど普及したのだろう。しかし、「便利に利用すること」と「便利に利用されること」が表裏一体だと気づいている人はどれほどいるのだろうか。携帯の電源を切った時、私はそれに気づいたのだろう。携帯に「つながれていた」自分が、一瞬だけであるが、解放されたのである。

私の大好きなバンド、イースタン・ユースに“矯正視力〇・六”という名曲に、

携帯電話を破壊して
ようやく世界とつながった

という一節がある。携帯から切り離された時間も必要なのかもしれない。せめて車中では電源を切ろうかな、考えている。

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