ヴァン・モリソン「センス・オブ・ワンダー」(84年。08年に再発。SHM-CD仕様)
(1)Tore Down a La Rimbaud 悲しみはランボーの詩と共に
(2)Ancient of Days 過ぎ去りし日々
(3)Evening Meditation [Instrumental] たそがれ時の瞑想
(4)The Master’s Eyes マスターズ・アイズ
(5)What Would I Do ホワット・ウッド・アイ・ドゥ
(6)A Sense of Wonder センス・オブ・ワンダー
(7)Boffyflow and Spike [Instrumental] 遥かなるさだめ
(8)If You Only Knew イフ・ユー・オンリー・ニュー
(9)Let the Slave Incorporating the Price of Experience レット・ザ・スレイヴ/経験の対価
(10)New Kind of Man 異邦人
〔ボーナス・トラック〕
(11)Crazy Jane on God [Alternate Take] クレイジー・ジェーン・オン・ゴッド(別テイク)
(12)A Sense of Wonder [Alternate Take] センス・オブ・ワンダー(別テイク)

ヴァン・モリソンには頑固で気難しい人というイメージがつきまとう。実際、ステージ上ではずっと仏頂面で笑顔はめったに見られない。昨年ロンドンで彼のライブに行った時に双眼鏡で表情をときどき確認したけれど、やはりニコリともしないしMCもほとんどなかった。そういうことも聴き手が彼を遠ざける要因の一つになっているかもしれない、などと思う時もある。しかし84年に出た本作「センス・オブ・ワンダー」(A Sense of Wonder)は、引きつっているように見えながらもジャケットに彼の笑顔が記録されている。これだけでも特異な作品だ。なぜあのヴァン・モリソンがこのようなジャケットを選択したのだろう。それは神のみぞ知る、というところか。

この作品以前のヴァン・モリソンは色々と難しい局面に立たされていたようだ。それは彼の伝記やアルバム解説などで垣間みることができる。70年代後半から80年代前半までのヴァンは作品の振幅が実に激しい。「イントゥ・ザ・ミュージック」(79年)のように軽やかな傑作を出したかと思えば、続く「コモン・ワン」(80年)は重たい作風になったりする。「ビューティフル・ヴィジョン」(82年)や「時の流れに」(83年)という宗教的な要素の強く出たアルバムを出して引退騒ぎが起き、ファンがあまり喜びそうもない選曲のライヴ・アルバム「ライヴ・アット・ザ・グランド・オペラ・ハウス・ベルファスト」(84年)を出す。これでもう終わりかと誰もが思った矢先に、ヴァンが笑ったこの「センス・オブ・ワンダー」が登場したのである。彼のこうした不可解な動きに当時のファンは相当とまどったらしい。

ジョニー・ローガンが伝記「魂の道のり」で指摘しているように、このアルバムの特徴は「多様性」といえよう。インストゥルメンタルやハミングだけの曲があったり、レイ・チャールズとモーズ・アリソンという彼の敬愛するミュージシャンのカバーがあったり、アイルランドのグループであるムーヴィング・ハーツとの共演もある。また“レット・ザ・スレイヴ/経験の対価”では作家ウィリアム・ブレイクの作品を歌詞に引用するという試みもしている。散漫と思える部分もなくはないけれど、かなり創作を楽しんでいたといえよう。また、ヴァン本人の歌声にも気持ちよく聴き通せる明るさがある。

正直に言うと、個人的にはこのアルバムと次の「イン・ザ・ガーデン」(86年)にはそれほど愛着があるわけではない。その理由はやはりこれ以後の作品の方を好んで聴いているからだろう。最も好きな時期のヴァンといえばやはり「ポエティック・チャンピオンズ・コンポーズ」(87年)からということになる。90年前後は「黄金の円熟期」と言われている。本作や「イン・ザ・ガーデン」はその足がかりといったところではないだろうか。

しかし、この感想を書くために繰り返し聴いているうちに、彼の歌声に引き込まれている自分に気づく。しばらく年月を重ねたら、大好きな1枚になっているかもしれない。

ちなみに、ボーナス・トラックに入っている“クレイジー・ジェーン・オン・ゴッド”は、ヴァンの敬愛するW.B.イェイツ(アイルランドの詩人、劇作家)の作品から歌詞を拝借したものである。しかしイェイツの遺族から拒否があってアルバムに入れることができず、発売自体も延期になってしまったといういわくつきの曲だ。これも彼の伝記に書かれていることである。

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