CDがなくなる日、アルバムがなくなる日
2008年9月16日 音楽「痛くない注射針」を開発したことでも知られる岡野工業の代表社員・岡野雅行さんは自著「俺が、つくる!」(06年。中経の文庫)でこんなことを書いていた。
〈ビデオカメラなどに使うフラッシュメモリーという記憶媒体がある。これは日本が開発したんだ。一パックで一万八〇〇〇円〜三万円になる。今では普及してもっと安いものが出てきたけど、もっと普及すればもっと安くなる。
このフラッシュメモリーに限らないが、記憶媒体が他にあれば、ビデオテープはいらなくなる。テープがいらなくなると、ビデオデッキの中のモーターがいらなくなる。CDもMDもそうだ。だからモーターを使って回すようなもの、駆動させるもののは将来なくなるんだ。CDやMDは記憶媒体が発達するまでのつなぎの品物なんだ。だからあまり買わないほうがいい(笑)。〉
1976年生まれの私はまさにCD世代である。レコードに移行してから随分たつし歴史もそれなりに積み重ねられたという実感はあるため、「つなぎの品物」という岡野さんの表現にはやや面食らった。
しかし、iPodに代表されるmp3プレイヤーが音楽メディアへ急速に移行されつつある昨今、岡野さんの言ったことはいよいよ現実となりそうである。
先日、大阪城野外音楽堂で渡辺美里のライブに行った時、彼女が興味深い話をしていた。10月に出る新作アルバム「Dear My Songs」を編集するためニューヨークに行った際、向こうのいわゆる「CDショップ」ではCDがもう販売しなくなったというのである。では何が売っているのかといえば、全てダウンロードである。
日本国内でも今年の8月27日、ソースネクストという会社がパソコンソフトをUSBで販売すると発表した。パソコンソフトについてはあくまでパソコンに入れてからの問題だから形態の変化にそれほど影響はないと思われる。
携帯で音楽を聴くようになってきたこの頃、音楽メディアについてもこの流れはいっそう進んでいくのは間違いない。しかし、CDがなくなっていくということに対しては格別の思いがある。
消費者は「アルバム」という単位ではなくて個々の楽曲をダウンロードするという買い方が主流になっていくだろう。それは「アルバム」という概念が消えることではないか。私が気になっているのはその辺のことである。
先日、ピンク・フロイドの創設メンバーの一人だったリチャード・ライトが亡くなった。「原子心母」(70年)や「狂気」(73年)といった一連の「コンセプト・アルバム」と呼ばれる作品で有名になったピンク・フロイドこそまさに「アルバム・アーティスト」の典型ではないか。リチャードの訃報を知り、アルバムも、それを作る人も消えていくのかなあ、という思いに駆られた。
渡辺美里はMCでまた、日本にはまだアルバムを大事にしている部分が残っている、というようなことを言っていた。正直にいってCDというメディアに強い思い入れはない。しかし、少なくとも無くなっては欲しくないと願っている。
〈ビデオカメラなどに使うフラッシュメモリーという記憶媒体がある。これは日本が開発したんだ。一パックで一万八〇〇〇円〜三万円になる。今では普及してもっと安いものが出てきたけど、もっと普及すればもっと安くなる。
このフラッシュメモリーに限らないが、記憶媒体が他にあれば、ビデオテープはいらなくなる。テープがいらなくなると、ビデオデッキの中のモーターがいらなくなる。CDもMDもそうだ。だからモーターを使って回すようなもの、駆動させるもののは将来なくなるんだ。CDやMDは記憶媒体が発達するまでのつなぎの品物なんだ。だからあまり買わないほうがいい(笑)。〉
1976年生まれの私はまさにCD世代である。レコードに移行してから随分たつし歴史もそれなりに積み重ねられたという実感はあるため、「つなぎの品物」という岡野さんの表現にはやや面食らった。
しかし、iPodに代表されるmp3プレイヤーが音楽メディアへ急速に移行されつつある昨今、岡野さんの言ったことはいよいよ現実となりそうである。
先日、大阪城野外音楽堂で渡辺美里のライブに行った時、彼女が興味深い話をしていた。10月に出る新作アルバム「Dear My Songs」を編集するためニューヨークに行った際、向こうのいわゆる「CDショップ」ではCDがもう販売しなくなったというのである。では何が売っているのかといえば、全てダウンロードである。
日本国内でも今年の8月27日、ソースネクストという会社がパソコンソフトをUSBで販売すると発表した。パソコンソフトについてはあくまでパソコンに入れてからの問題だから形態の変化にそれほど影響はないと思われる。
携帯で音楽を聴くようになってきたこの頃、音楽メディアについてもこの流れはいっそう進んでいくのは間違いない。しかし、CDがなくなっていくということに対しては格別の思いがある。
消費者は「アルバム」という単位ではなくて個々の楽曲をダウンロードするという買い方が主流になっていくだろう。それは「アルバム」という概念が消えることではないか。私が気になっているのはその辺のことである。
先日、ピンク・フロイドの創設メンバーの一人だったリチャード・ライトが亡くなった。「原子心母」(70年)や「狂気」(73年)といった一連の「コンセプト・アルバム」と呼ばれる作品で有名になったピンク・フロイドこそまさに「アルバム・アーティスト」の典型ではないか。リチャードの訃報を知り、アルバムも、それを作る人も消えていくのかなあ、という思いに駆られた。
渡辺美里はMCでまた、日本にはまだアルバムを大事にしている部分が残っている、というようなことを言っていた。正直にいってCDというメディアに強い思い入れはない。しかし、少なくとも無くなっては欲しくないと願っている。
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