ヴァン・モリソン「アストラル・ウイークス」(68年)
2008年12月31日 CD評など
(1)Astral Weeks アストラル・ウィークス
(2)Beside You ビサイド・ユー
(3) Sweet Thing スウィート・シング
(4)Cyprus Avenue サイプラス・アヴェニュー
(5)Way Young Lovers Do ヤング・ラヴァーズ・ドゥ
(6)Madame George マダム・ジョージ
(7)Ballerina バレリーナ
(8) Slim Slow Slider スリム・スロー・スライダー
先日(08年11月7日と8日)アメリカはロサンゼルスのThe Hollywood Bowlというところでヴァン・モリソンが「ASTRAL WEEKS LIVE」と題したライブをおこなった。内容は名前の通り、彼の代表作の1つであるアルバム「アストラル・ウイークス」(ASTRAL WEEKS )の全曲を演奏するものだ。この特別な2夜のために世界中からファンが駆けつけたという。また、この時の音源はCD化もされる。
いかにも企画という感じのライブをあのヴァン・モリソンが敢行したのには、今年が「アストラル・ウイークス」を世に出して40年という節目だったことが大きいだろう。2008年もこれで終わりである。今年の後半はほとんど日記の更新もままならなかった。しかし最後にこのアルバムについてだけは書いておきたい。
「アストラル・ウイークス」はヴァン・モリソンの、というよりも、英米のロック史の名盤の一つに挙げられる作品だ。ピーター・バラカン氏がアルバム解説で触れている通り、1987年にアメリカの音楽雑誌「ローリング・ストーン」が1967年から87年までの20年間に発表されたポピュラー音楽から「ベスト・アルバム100選」を出したとき、このアルバムが7位に位置づけられた。
もちろん彼の代表作としてもガイドブックの筆頭に出てくる。ファンもこのアルバムをベストに挙げる人は多い。それゆえヴァン・モリソンを初めて聴くのにこれを買った方も多いのではないだろうか。しかし果たしてこれを聴いてすんなりとヴァン・モリソンを好きになってくれるかどうか、私にはその辺が正直不安である。個人的にヴァンのアルバムでベスト5に入らないし、ベスト10も微妙なところである。凄いアルバムではあると思うけれど、好き嫌いはまた別のところにある。
私がこのアルバムを初めて手にしたのは1995年、大学受験に失敗して札幌で浪人生活をした時に近所の古本屋で手に入れたものだった。部屋に戻ってすぐ聴いたものの、
「すごく個性的なアルバムだがなんだかとっつきにくいな」
というのが第一印象だった。あれから13年ほど経ち、それまでに彼のオリジナル・アルバムをほどんど集め、2007年にはロンドンまでライブに行ったわけだが、「アストラル・ウイークス」に対する思いはいまだに変わっていない気がする。その理由をひとことで言えば、彼の他のどのアルバムとも違う雰囲気が親しめないからだ。
自分にとってそういう作品が他にあるかなと考えていたらビーチ・ボーイズ、というよりもブライアン・ウィルソンの代表作「ペット・サウンズ」(66年)が思い浮かんだ。アルバム解説で山下達郎氏がこう書いている。
〈このアルバムは、たった1人の人間の情念のおもむくままに作られたものであるが故に、商業音楽にとって本来不可避とされる、「最新」あるいは「流行」という名で呼ばれるところの、新たな「最新」や「流行」にとって替わられる為だけに存在する、そのような時代性への義務、おもねり、媚びといった呪縛の一切から真に逃れ得た希有な1枚だからである。このアルバムの中には「時代性」はおろか、「ロックン・ロール」というような「カテゴリー」さえ存在しない。〉
この部分をそのまま「アストラル・ウイークス」の説明にしても違和感は無いのではないだろうか。「アストラル・ウイークス」も時代性やカテゴリーといった概念とは無関係な作品である。
しかし山下氏はこの後、
〈にもかかわらず、こうした「超然」とした音楽にありがちな、聴く者を突き放す排他的な匂いが、このアルバムからは全く感じられない。これこそが「ペット・サウンズ」の最も優れた点といえるのだ〉
と続けている。この辺りは私と少し異なる。そのような「超然」とした雰囲気が私には近寄り難く、なんとも居心地が悪くなっていくのが否定できないのだ。
また、私がフリー・スタイルの音楽をほとんど聴かないということも大きいかもしれない。ジャズのCDはほとんど持っていない。また、ロバート・ワイアットという人がいるけれど、声は素晴らしいと思うものの音楽自体にはいまひとつのめり込めない。音楽の趣味は人それぞれであるが、私個人の志向はそういうものである。
何が言いたいかといえば、「アストラル・ウイークス」はほとんどが即興的に作られた作品だからである。録音にかけたのはたったの2日間、しかも夜だけのセッションだ。制作時間にするとわずか8時間しかない。そして参加したミュージシャンはヴァンが以前から付き合いのあったジョン・ベイン(フルート、ソプラノ・サックス)以外は、ジェイ・バーリーナー(ギター)、リチャード・デイヴィス(ベース)、コニー・ケイ(ドラムス)、ウォレン・スミス(パーカッション、ヴァイブス)といずれも一流のジャズ・ミュージシャンだった。こうした人選は、ヴァンがいかに従来のロックから離れた音楽を作ろうとしていたかが如実に表れている。
参加したミュージシャンたちはスタジオに入る日までヴァンの音楽について全く知らなかったという。その一人のリチャード・デイヴィスによると、ヴァンは無口で演奏の指示も一切なかったそうだ。楽曲についてもはっきりした体裁は無いし、色々と解釈されてきた難解な歌詞についても、ほとんど意味がないことをヴァンの伝記「魂の道のり」で作者のジョニー・ローガンが執拗に指摘している。
歌詞も楽曲も演奏も録音も、ほとんど段取りの無いままに作られたというのがこの「アストラル・ウイークス」の実体である。しかしこうして出来上がった作品は、ロックやR&Bやジャズといった従来のジャンルでは括ることのできないものになっていた。まさに「ヴァン・モリソン・ミュージック」としか言えない音楽の誕生である。その評価は今日においても有効な表現であり、いまだに時代とは無縁の魅力を放っている希有な作品となっている。
しかしそれゆえに、このアルバムを出したことによってヴァンはポピュラー・ミュージックの世界でも特異な位置を獲得してしまったといえよう。そういえば彼は「孤高の表現者」と形容されることがある。もしかすると「アストラル・ウイークス」を完成させた時にヴァンのミュージシャンとしての運命が決まっていたのかもしれない。
ご存知ない方もいるかもしれないので、付け加えておきたいことがある。今年の6月25日にワーナーの「Forever Youngシリーズ」から「アストラル・ウイークス」を含む初期3枚のアルバムが再発した。いずれもリマスターされて音質が格段に向上している。これが1800円という価格で手に入るのだから、紙ジャケットだのSHM-CDだのといったものよりお得な再発かもしれない。お持ちでない方は是非これを機に「アストラル・ウイークス」と次作「ムーンダンス」(70年)を手に入れてみてはいかがだろうか。
リマスターのおかげか、私も以前よりも親しみを持って作品に接しているような気がする。この文章を書くために「アストラル・ウイークス」をかけているが、それ以外でもディスクの再生回数が増えている今日この頃だ。もしかしたら、このアルバムを本当に好きになる日が自分に訪れるかもしれない。
(2)Beside You ビサイド・ユー
(3) Sweet Thing スウィート・シング
(4)Cyprus Avenue サイプラス・アヴェニュー
(5)Way Young Lovers Do ヤング・ラヴァーズ・ドゥ
(6)Madame George マダム・ジョージ
(7)Ballerina バレリーナ
(8) Slim Slow Slider スリム・スロー・スライダー
先日(08年11月7日と8日)アメリカはロサンゼルスのThe Hollywood Bowlというところでヴァン・モリソンが「ASTRAL WEEKS LIVE」と題したライブをおこなった。内容は名前の通り、彼の代表作の1つであるアルバム「アストラル・ウイークス」(ASTRAL WEEKS )の全曲を演奏するものだ。この特別な2夜のために世界中からファンが駆けつけたという。また、この時の音源はCD化もされる。
いかにも企画という感じのライブをあのヴァン・モリソンが敢行したのには、今年が「アストラル・ウイークス」を世に出して40年という節目だったことが大きいだろう。2008年もこれで終わりである。今年の後半はほとんど日記の更新もままならなかった。しかし最後にこのアルバムについてだけは書いておきたい。
「アストラル・ウイークス」はヴァン・モリソンの、というよりも、英米のロック史の名盤の一つに挙げられる作品だ。ピーター・バラカン氏がアルバム解説で触れている通り、1987年にアメリカの音楽雑誌「ローリング・ストーン」が1967年から87年までの20年間に発表されたポピュラー音楽から「ベスト・アルバム100選」を出したとき、このアルバムが7位に位置づけられた。
もちろん彼の代表作としてもガイドブックの筆頭に出てくる。ファンもこのアルバムをベストに挙げる人は多い。それゆえヴァン・モリソンを初めて聴くのにこれを買った方も多いのではないだろうか。しかし果たしてこれを聴いてすんなりとヴァン・モリソンを好きになってくれるかどうか、私にはその辺が正直不安である。個人的にヴァンのアルバムでベスト5に入らないし、ベスト10も微妙なところである。凄いアルバムではあると思うけれど、好き嫌いはまた別のところにある。
私がこのアルバムを初めて手にしたのは1995年、大学受験に失敗して札幌で浪人生活をした時に近所の古本屋で手に入れたものだった。部屋に戻ってすぐ聴いたものの、
「すごく個性的なアルバムだがなんだかとっつきにくいな」
というのが第一印象だった。あれから13年ほど経ち、それまでに彼のオリジナル・アルバムをほどんど集め、2007年にはロンドンまでライブに行ったわけだが、「アストラル・ウイークス」に対する思いはいまだに変わっていない気がする。その理由をひとことで言えば、彼の他のどのアルバムとも違う雰囲気が親しめないからだ。
自分にとってそういう作品が他にあるかなと考えていたらビーチ・ボーイズ、というよりもブライアン・ウィルソンの代表作「ペット・サウンズ」(66年)が思い浮かんだ。アルバム解説で山下達郎氏がこう書いている。
〈このアルバムは、たった1人の人間の情念のおもむくままに作られたものであるが故に、商業音楽にとって本来不可避とされる、「最新」あるいは「流行」という名で呼ばれるところの、新たな「最新」や「流行」にとって替わられる為だけに存在する、そのような時代性への義務、おもねり、媚びといった呪縛の一切から真に逃れ得た希有な1枚だからである。このアルバムの中には「時代性」はおろか、「ロックン・ロール」というような「カテゴリー」さえ存在しない。〉
この部分をそのまま「アストラル・ウイークス」の説明にしても違和感は無いのではないだろうか。「アストラル・ウイークス」も時代性やカテゴリーといった概念とは無関係な作品である。
しかし山下氏はこの後、
〈にもかかわらず、こうした「超然」とした音楽にありがちな、聴く者を突き放す排他的な匂いが、このアルバムからは全く感じられない。これこそが「ペット・サウンズ」の最も優れた点といえるのだ〉
と続けている。この辺りは私と少し異なる。そのような「超然」とした雰囲気が私には近寄り難く、なんとも居心地が悪くなっていくのが否定できないのだ。
また、私がフリー・スタイルの音楽をほとんど聴かないということも大きいかもしれない。ジャズのCDはほとんど持っていない。また、ロバート・ワイアットという人がいるけれど、声は素晴らしいと思うものの音楽自体にはいまひとつのめり込めない。音楽の趣味は人それぞれであるが、私個人の志向はそういうものである。
何が言いたいかといえば、「アストラル・ウイークス」はほとんどが即興的に作られた作品だからである。録音にかけたのはたったの2日間、しかも夜だけのセッションだ。制作時間にするとわずか8時間しかない。そして参加したミュージシャンはヴァンが以前から付き合いのあったジョン・ベイン(フルート、ソプラノ・サックス)以外は、ジェイ・バーリーナー(ギター)、リチャード・デイヴィス(ベース)、コニー・ケイ(ドラムス)、ウォレン・スミス(パーカッション、ヴァイブス)といずれも一流のジャズ・ミュージシャンだった。こうした人選は、ヴァンがいかに従来のロックから離れた音楽を作ろうとしていたかが如実に表れている。
参加したミュージシャンたちはスタジオに入る日までヴァンの音楽について全く知らなかったという。その一人のリチャード・デイヴィスによると、ヴァンは無口で演奏の指示も一切なかったそうだ。楽曲についてもはっきりした体裁は無いし、色々と解釈されてきた難解な歌詞についても、ほとんど意味がないことをヴァンの伝記「魂の道のり」で作者のジョニー・ローガンが執拗に指摘している。
歌詞も楽曲も演奏も録音も、ほとんど段取りの無いままに作られたというのがこの「アストラル・ウイークス」の実体である。しかしこうして出来上がった作品は、ロックやR&Bやジャズといった従来のジャンルでは括ることのできないものになっていた。まさに「ヴァン・モリソン・ミュージック」としか言えない音楽の誕生である。その評価は今日においても有効な表現であり、いまだに時代とは無縁の魅力を放っている希有な作品となっている。
しかしそれゆえに、このアルバムを出したことによってヴァンはポピュラー・ミュージックの世界でも特異な位置を獲得してしまったといえよう。そういえば彼は「孤高の表現者」と形容されることがある。もしかすると「アストラル・ウイークス」を完成させた時にヴァンのミュージシャンとしての運命が決まっていたのかもしれない。
ご存知ない方もいるかもしれないので、付け加えておきたいことがある。今年の6月25日にワーナーの「Forever Youngシリーズ」から「アストラル・ウイークス」を含む初期3枚のアルバムが再発した。いずれもリマスターされて音質が格段に向上している。これが1800円という価格で手に入るのだから、紙ジャケットだのSHM-CDだのといったものよりお得な再発かもしれない。お持ちでない方は是非これを機に「アストラル・ウイークス」と次作「ムーンダンス」(70年)を手に入れてみてはいかがだろうか。
リマスターのおかげか、私も以前よりも親しみを持って作品に接しているような気がする。この文章を書くために「アストラル・ウイークス」をかけているが、それ以外でもディスクの再生回数が増えている今日この頃だ。もしかしたら、このアルバムを本当に好きになる日が自分に訪れるかもしれない。
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