高校生のほぼ全員が携帯を持つ現代で
2009年2月26日 日常文部科学省が昨年末に全国の小学6年、中学2年、高校2年の計約1万7000人を対象に携帯に関する調査をした。その結果によれば、携帯電話の所有率は小学生が24・7%、中学生が45・9%で、高校生になると95・9%とほぼ全員になってしまうという。15年ほど前に高校生だった自分にとってはなかなか衝撃的なニュースである。
子どもに携帯は不要だという考えもあり、私もそう思う一方、もし持っていなければイジメなどの対象になりやすくなるではと想像してしまう。ネットによる誹謗中傷も含めて現代の子どもたちは、私たちが中高生だった時代とは違った問題に直面しているのだろう。
現代は携帯を持たなければ生活が成り立たない部分が多くなってしまった。そして、今の子どもたちもそれに対して何も違和感を抱いてないのだろう。
そんなご時世に私といえば、日中の間(9時半から午後6時半ごろ)は携帯の電源を切る生活を始めた。仕事に必要なのではと思う方もいるだろう。しかしこの時間帯は会社にいるので、わざわざ携帯にかけてくる必要はない。職場に電話をすれば十分である。ただし、社外に出る時は電源を入れておく。
こんなことを始めた理由はいろいろあるけれど、ともかく携帯に振り回されているような思いが強くなってきたことが大きい。そもそも私は携帯を持ちたくて持った人間ではない。就職してからもしばらく所持していなかったけれど、周囲の圧力に屈して仕方なく持ったという人間だ。プライベートでもほとんど使用しないし、仕事でも返信くらいしかかけない。もっぱら受信専用である。携帯が便利に使っているのではない。携帯によって便利に使われているだけだ。
他に経済的な理由がある。着信履歴があったらやはり返信しなければならない。それが積み重なって利用料金が1万2千円くらいになる月もある。こうした対策もどこかで打たなくては。そういう思いもあった。
携帯の電源を切ってまだ間もないけれど、余計な神経が向かなくなるだけ快適に仕事をすることができる。
ジャーナリストの斎藤貴男は携帯電話が嫌いで、人間が扱える代物ではない、というようなことを言っていた。確かに、ところかまわず送られてくる電話やメールをコントロールすることは不可能である。それでも持たなければならない人間は、少しの間でも電源を切るなどして乗り切るしかないだろう。
本音を言えば、もう携帯など手放したいのだが。
子どもに携帯は不要だという考えもあり、私もそう思う一方、もし持っていなければイジメなどの対象になりやすくなるではと想像してしまう。ネットによる誹謗中傷も含めて現代の子どもたちは、私たちが中高生だった時代とは違った問題に直面しているのだろう。
現代は携帯を持たなければ生活が成り立たない部分が多くなってしまった。そして、今の子どもたちもそれに対して何も違和感を抱いてないのだろう。
そんなご時世に私といえば、日中の間(9時半から午後6時半ごろ)は携帯の電源を切る生活を始めた。仕事に必要なのではと思う方もいるだろう。しかしこの時間帯は会社にいるので、わざわざ携帯にかけてくる必要はない。職場に電話をすれば十分である。ただし、社外に出る時は電源を入れておく。
こんなことを始めた理由はいろいろあるけれど、ともかく携帯に振り回されているような思いが強くなってきたことが大きい。そもそも私は携帯を持ちたくて持った人間ではない。就職してからもしばらく所持していなかったけれど、周囲の圧力に屈して仕方なく持ったという人間だ。プライベートでもほとんど使用しないし、仕事でも返信くらいしかかけない。もっぱら受信専用である。携帯が便利に使っているのではない。携帯によって便利に使われているだけだ。
他に経済的な理由がある。着信履歴があったらやはり返信しなければならない。それが積み重なって利用料金が1万2千円くらいになる月もある。こうした対策もどこかで打たなくては。そういう思いもあった。
携帯の電源を切ってまだ間もないけれど、余計な神経が向かなくなるだけ快適に仕事をすることができる。
ジャーナリストの斎藤貴男は携帯電話が嫌いで、人間が扱える代物ではない、というようなことを言っていた。確かに、ところかまわず送られてくる電話やメールをコントロールすることは不可能である。それでも持たなければならない人間は、少しの間でも電源を切るなどして乗り切るしかないだろう。
本音を言えば、もう携帯など手放したいのだが。
コメント