京都市はこれまで管理職を対象にしてきた人事制度を全職員に拡大するなど「能力主義」を徹底するという。3月27日付の京都新聞に掲載されていた。それにともない年功重視の給与体系の見直し、希望の職場へ異動することのできるFA(フリー・エージェント)制度なども導入する。

京都市の人事課は

<組織内の「悪平等」を改め、職員がやりがいをもち働ける環境を整え、市民サービスを高めたい。>

と言っている。

このご時勢にまだ能力主義とは、つくづくお役所の動きは鈍いと思う。「悪平等」だの「やりがい」だのと言った惹句は、もう私たちはさんざん聞き飽きた言葉である。民間企業がさんざん試みて山のように積み重なった失敗例を知らないのだろうか。京都市民の一人として情けなくて仕方ない。

能力主義や成果主義などはいままでに色々とここで書いてきたので、それ以外に気になったことを今回は書きたい。

それは「FA制度」についてである。ネットで調べてみたら、「日本の人事部」(http://jinjibu.jp/)というサイトにぶちあたった。「社内FA制度」という言葉があり、

「社員が自らのキャリアやスキルを売り込み、希望する職種や職務を登録する」制度と説明がされていた。

また、

「社内公募制度や社内FA制度を導入することで、社員が職場や仕事の内容を選択できる環境が生まれ、社員のモチベーションを喚起する効果があると言われています。」

とも書いてある。能力主義や成果主義などとあわせて企業に広まった制度であることは間違いなさそうだ。

FA制度そのものの有効性や妥当性はここでは問わない。私が問題にしたいのは、公務員が自分の意志で職場や仕事の内容を選んでも良いのか、ということである。

やや硬い話になるけれど、日本国憲法の中で公務員についての規定をしている第15条の2項では、

<すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。>

と書かれている。

個人が自分の能力や特性を活かせる職場でバリバリ仕事をする、という姿そのものが美しいには違いない。しかし「全体の奉仕者」である公務員がそのような働き方をするというのは何となくそぐわない気がする。

内田樹(神戸女学院大学教授)さんが指摘するように、「労働」とは「国民の義務」であって断じて「権利」ではない。もともと「選り好み」などできない性質のものである。黙って働きなさいというのが内田さんの意見だが、公務員という立場だったらなおさらではないだろうか。私は別に公務員に対して悪意や不満はそれほど持っていないけれど、今回の能力重視うんぬんの件は京都市をおかしな方向に持っていくような気がしてならない。

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