ボランティアは好きじゃない
2010年1月19日この1週間ほど仕事のおかげであまり落ち着くことができなかった。今日はようやく半休できたので、何か書いておきたい。
ただ、ここで書くことは誰かを批判するとかが目的ではなく、あくまで一般論でとどめることをお断りしておく。
私は仕事でさまざまなイベントと関わっている。スポーツや展覧会、シンポジウムなど内容は多彩だ。しかし、企業との取引などはそれほど多くないことに今さらながら気づく。
ではどういうところが多いかといえば、各種のスポーツ団体とか県人会とか、本業の仕事のかたわらでイベントを運営している人たちである。いずれも広い意味での「ボランティア」といって良いだろう。
私は、組織改編もあって会社自体が変わったこともあるものの、01年7月からそのような人たちと関わり続けている。だが、ここだけの話だけれど、そういう人たちで好意を抱いている人は皆無といっていい。イベントの運営というのはボランティアの人たちと共同運営の形になっている。専門的なことはボランティア、事務や雑用などは私らの仕事、おおざっぱに分けるとそんな感じで進んでいく。
しかしながら運営中に面倒な業務が生じた場合、連中は私たちにその処理を押し付けようとする。手間がかかることもあるし経費が派生する場合だってある。こちらもご多分に漏れず社内は苦しい台所事情もあるので、それは無理ですよ、などと答える場面もあった。
すると、
「あんたらは仕事だろ。こっちはボランティアでやってるんだ」
という決まり文句が飛び出すのだ。こんなセリフを繰り返し聞くうち、ボランティアというのはこんな思考回路の持ち主なんだなあと感じるようになった。奴らは「無償奉仕」を口実に逃げ道を作っているのだなあ、と。非営利で善意でやっているんだから多少のことは大目に見ろ、ということだ。そんな屁理屈は世間で通じるはずもないのだが。
もっと余計なことをいえば、金勘定もあまり考えない。世の中の経済状況がこれほど苦しい時でも経費削減などが頭に入っている人は多くないだろう。彼らはイベントが毎年変わらず続けていけるという確信があるらしい。その確信の根拠は何もないのだけれど。
そんな人たちとつき合ってから8年を過ぎてしまった。いよいよ限界になってきたような気がする今日このごろである。
ただ、ここで書くことは誰かを批判するとかが目的ではなく、あくまで一般論でとどめることをお断りしておく。
私は仕事でさまざまなイベントと関わっている。スポーツや展覧会、シンポジウムなど内容は多彩だ。しかし、企業との取引などはそれほど多くないことに今さらながら気づく。
ではどういうところが多いかといえば、各種のスポーツ団体とか県人会とか、本業の仕事のかたわらでイベントを運営している人たちである。いずれも広い意味での「ボランティア」といって良いだろう。
私は、組織改編もあって会社自体が変わったこともあるものの、01年7月からそのような人たちと関わり続けている。だが、ここだけの話だけれど、そういう人たちで好意を抱いている人は皆無といっていい。イベントの運営というのはボランティアの人たちと共同運営の形になっている。専門的なことはボランティア、事務や雑用などは私らの仕事、おおざっぱに分けるとそんな感じで進んでいく。
しかしながら運営中に面倒な業務が生じた場合、連中は私たちにその処理を押し付けようとする。手間がかかることもあるし経費が派生する場合だってある。こちらもご多分に漏れず社内は苦しい台所事情もあるので、それは無理ですよ、などと答える場面もあった。
すると、
「あんたらは仕事だろ。こっちはボランティアでやってるんだ」
という決まり文句が飛び出すのだ。こんなセリフを繰り返し聞くうち、ボランティアというのはこんな思考回路の持ち主なんだなあと感じるようになった。奴らは「無償奉仕」を口実に逃げ道を作っているのだなあ、と。非営利で善意でやっているんだから多少のことは大目に見ろ、ということだ。そんな屁理屈は世間で通じるはずもないのだが。
もっと余計なことをいえば、金勘定もあまり考えない。世の中の経済状況がこれほど苦しい時でも経費削減などが頭に入っている人は多くないだろう。彼らはイベントが毎年変わらず続けていけるという確信があるらしい。その確信の根拠は何もないのだけれど。
そんな人たちとつき合ってから8年を過ぎてしまった。いよいよ限界になってきたような気がする今日このごろである。
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