(1) Silence Kit
(2) Elevate Me Later
(3)Stop Breathin’
(4)Cut Your Hair
(5)Newark Wilder
(6)Unfair
(7)Gold Soundz
(8)5-4=Unity
(9)Range Life
(10)Heaven Is a Truck
(11)Hit the Plane Down
(12)Fillmore Jive

この4月10日にペイヴメント(pavement)の11年ぶりの来日公演を観て以来、自分の周囲にあまり良い出来事が起こらなくなっている。しかし、

「あのライブを観て、今年の運を全て使い果たしたかな」

と妙に納得している自分がいる。2010年はもう良いことはないだろう。しかし、それで一向に構わない。そう思うほどにあの日のライブは素晴らしかった。そして、誰になんと言われようとペイヴメントは自分にとって史上最高のバンドである。今日はそんな彼らとの出会いについて書いてみたい。

最初のアルバム「スランティッド&エンチャンティッド」(92年)が発売された当時、アメリカのロックは「オルタナティヴ」という言葉で形容されるミュージシャンが出てきた。オルタナティヴは特定の音楽スタイルについての呼び名ではないので言葉の定義は難しいけれど、広い意味での「パンク・ロック」、それもアメリカのパンク・ムーブメントと思ってもらえたら良いだろう。グリーン・デイのアルバム「ドゥーキー」(94年)が1000万枚も売れたのもこの頃だが、このようなストレートなパンク・ロックがアメリカで大ヒットするということは今までなかった。

他にもニルヴァーナを筆頭に、ソニック・ユースやナイン・インチ・ネイルズなど、今までのヒット・チャートには見られないようなタイプのミュージシャンがどんどん出てきたのがこの時代だ。そして、ペイヴメントもそのような文脈の中で語られるバンドの1つであった。私がこれらのアーティストに興味を持ったのは90年代後半になってからのことである。しかし、なぜかペイヴメントの名前は94年あたりから知ってはいた。札幌にもライブにやって来ており、深夜のテレビでその告知CM(”Cut My Hair”のプロモーション・ビデオが使われていた)を何度も観ている。また音楽雑誌でも彼らの名前を見かけることも多かった気がする。当時はそれなりに注目されていたということか。

しかしながら、実際にアルバムを買って聴いてみようとは全く思わなかった。これらの音楽に対してどうにも興味が持てなかったからだ。例えばナイン・インチ・ネイルズの「ダウンワード・スパイラル」(94年)を初めて聴いた時も、こんなのがチャート2位になるなんて今のアメリカって殺伐としているなあ、という否定的な印象しか持てなかった。今ではどんなものを聴いても特に拒否反応を示すようなことは無くなったから、私の趣味嗜好もずいぶん変わってしまったとつくづく感じてしまう。

当のペイヴメントにしても「ローファイ」だの「脱力系」だのといった聴き手にろくな印象を与えないような形容をされていたため、アルバムを手に取ってみる気も起きなかった。ちなみに「ローファイ(Lo-Fi)」とは、高音質の「ハイ・ファイ(Hi-Fi)」の逆を意味する言葉で、例えばラジカセなどのような粗雑な環境で録音した音を指す。なんでそんなことをする必要があるんだと疑問を持つ方もいるだろうが、メジャーな音楽に対する反発とか、保守化してしまった音楽のリアリティを取り戻すためとか、それなりの意味があったのは間違いない。当時の私にはまったく関心の無い話ではあるが。

ペイヴメントを聴くきっかけは、「UKロックファイル」(97年。音楽之友社)というブリティッシュ・ロックのガイドブックであった。この本を監修した大鷹俊一さんがジョイ・ディヴィジョン(Joy Division)のイアン・カーティスについて書いた文章でペイヴメントのことを触れている箇所がある。ペイヴメントの魅力などは色々な人が語っていると思うけれど、この大鷹さんの文章は私にとって最も説得力があり、もしペイヴメントで検索してここに辿り着いた方は、少し長い引用であるがぜひ読んでいただきたい。

「ジョイ・ディヴィジョンの影響力の深さ、広さを改めてつくづく思い知らされたのは、初来日したペイヴメントにインタヴューしたときのことだった。
ヴォーカルのスティーヴはハイスクール時代をジョイ・ディヴィジョンやニュー・オーダー、キュアー、エコー&ザ・バニーメンなどイギリスのニュー・ウェイヴ・アーティストを聞いて過ごしたという。
ストックトンなんて聞いたこともない田舎町で眩しすぎるカリフォルニアの陽差しを受けながら、イギリスの湿った雨に何十年と打たれた壁の奥から染み出したような音を吐き出し続けたアーティストたちに共感したというのだから、それはさぞかし友だちも出来にくかったことだろうが、その話を聞いて最初にペイヴメントを聞いたときからどうしてあんなに彼らの音に惹かれてきだのだろうという疑問への一番明快な答えにぶちあたったような気がした。
たぶんそれは同じ”時代の感性”を時間や環境を越えて共有できたということなのだろう。もちろんマンチェスターの街や、パンク以降激しく展開していったイギリスのシーンを色濃く反映して生まれたジョイ・ディヴィジョンの音楽を東京やストックトンに住んでいる人間が軽々に共感と言うのは無茶と思われるかもしれないが、何ものかによって頭から押しつけられる閉塞感のリアリティの質はそうは変わりはしないはずだ。
だからこそその感覚を持てない人間にとっては、ヘタクソなバンドの自己満足的な音楽にしか聞こえなかったのだろう。信じられないでしょうが当時はホントにそんな批評があったのだ。その時代の恨み辛みは忘れることはないのだけれど、ペイヴメントのような連中に出会うと、そんな積年の胸のつかえが溶けていく。」(P.66)

当時の私はパンクやニュー・ウェイブのCDもよく集めていて、その過程で出会ったジョイ・ディヴィジョンに夢中だった。これについて書くとまた長くなるのでここでは詳しく書かないけれど、彼らの最後のアルバム「クローサー」(80年)は自分にとって生涯のベスト・アルバムの1枚であり「運命の出会い」を感じた数少ない作品である。それゆえ、ジョイ・ディヴィジョンに影響を受けていたペイヴメントに対して興味を抱くのも必然のことであった。CDショップでこの「クルーキッド・レイン」を買ったのは99年の前半のことだったと記憶している。

1曲目の” Silence Kit”のふざけたようなギターのイントロを聴いた時は、たしかに脱力系とか言われるようなけだるい印象を持った。曲調はヴェルヴェッド・アンダーグラウンドやルー・リードあたりに通じる感じかな、などと最初は感じたような気がする。しかし3曲目の”Stop Breathin’”の間奏に入ったあたりまで聴き進んでいくうちに、

「このアルバムはとんでもない代物なのでは・・・」

と直感した。それはジョイ・ディヴィジョンの「クローサー」を初めて聴いた時にも似た衝撃だった。だが具体的にそれが何かと表現するのは難しい。しかしペイヴメントに惹かれたのはローファイだのオルタナティヴだのといったスタイルに対してではなく、もっともっと根本的なところにおいてである。それだけは間違いない。

音楽のスタイルとか歌詞とかいろいろ分析するのも面白い対象のバンドではあるだろう。しかしジョイ・ディヴィジョンもそうだが、自分にとって彼らがどれほど重要な存在なのかを説明するためには、そのような批評のやり方では絶対に不十分なのである。先ほどの大鷹さんの文章は、ジョイ・ディヴィジョンそしてペイヴメントの魅力の核心を見事に突いたものでありここに引用させてもらった。これを読んで同じペイヴメントのファンの方がどこか共感してくれる部分があったとすればこれ以上嬉しいことはないのだが、果たしてどうだろう。

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