(1)街の風景
(2)はじまりさえ歌えない
(3)I LOVE YOU
(4)ハイスクールRock’n’Roll
(5)15の夜
(6)十七歳の地図
(7)愛の消えた街
(8)OH MY LITTLE GIRL
(9)傷つけた人々へ
(10)僕が僕であるために

いまから18年前の1992(平成4)年4月25日、高校に入学したばかりの私は北海道のとある山の中で新入生向けの合宿に参加していた。その夜に宿舎の中で誰からともなく、尾崎豊が死んだぞ、と伝わってきたことを今でもなんとなく覚えている。

その時の私にとって尾崎豊という人のイメージはほとんど白紙に近かった。知ってる曲といえば”I Love You”のみで、きれいなバラードを歌う人、というとんでもない思い込みをしていたほどだ。いや、そもそも生前の彼の認知度はそれほど高いものではなかった。最後のアルバム「放熱の証」(92年)の初回出荷分が即日完売でミリオンセラーになったり、過去のアルバムがチャートの上位に入ったりと社会現象になるほどの人気を獲得したのは、すべて彼がこの世を去ってからの話である。

”15の夜”や”卒業”などの曲を私が知ったのももちろん彼の死後のことである。彼に対して特に嫌悪感は抱かなかったが、バイクを盗んだり校舎のガラスを割ったりといった歌詞は自分の住む世界とは違うなと思い、特にのめりこむようなことはなかった。中学生や高校生の頃の私は、ただ単に家と学校との往復の連続であり、酒もタバコも薬もケンカも女も、何一つ縁の無い生活だった。

また社会や学校に対しての問題意識も皆無だった。要するに何も考えてなかったのだと思う。それに当時の自分にはそんなことを考える余裕もなかった気がする。あの頃のことを思い出すのはあまりにも辛い部分があるので、この話はこれくらいにしたい。ともかく、学生時代の私と尾崎豊には接点みたいなものはほとんどなかったことをここでは述べておきたいだけである。

ただそんな私も社会に出て仕事で「学校の先生」という人たちと関わって嫌な思いを幾度となく経験する。

そんな時にふと、

「今頃になって尾崎豊の気持ちもわかってくるなあ・・・」

などと思う時もあった。2001年に出た紙ジャケットCDの「十七歳の地図」を手にしたのもその頃だったのだろう。私が所持している彼のアルバムはこれ1枚限りである。今日は彼の命日ということもあるので、これを機会にアルバムについて色々と感想を書きたい。

まずはこのアルバムの概要を少しまとめてみよう。1965(昭和40)年11月29日生まれの尾崎豊は82(昭和57)年10月、青山学院高等部在学中にCBS・ソニー(現在のソニー・レコード)のオーディションに合格し、翌83(昭和58)年12月1日にシングル”15の夜”とアルバム「十七歳の地図」でデビューした。この作品を作っていた時、彼はタイトル通り若干17歳であったわけである。

尾崎豊というアーティストは音楽性においてそれほど革新的なことをしている人ではない。やはり彼の魅力といえば、そのヴォーカルの存在感と歌詞の世界感になるだろう。

その世界観についてであるが、「十七歳の地図」というのはつくづく象徴的なタイトルに思えてならない。この作品は、まだ社会の仕組みや現実を知らない十代の若者がその想像力の限りを尽くして力一杯に描いた地図なのである。その色は実に鮮やかである一方、「世間の常識」や「大人の論理」といった尺度に照らし合わせてみると様々な矛盾が出てくる世界でもある。平たく言えば、ケチをつけるところが満載の作品なのだ。

「大人や社会を嫌悪してるけど、あんたも間もなく大人になって社会に出るんでしょ?」
「金のためじゃないとか言っているけど、あんただってお金は必要でしょう?」
「盗んだバイクで走り出しても、いずれガソリンが無くなるでしょう?」

こんな感じである。

その「大人の論理」は正しくて筋は通っている。そしてその論理を実証するかのように、以降の彼は創作活動でも私生活においても行き詰まっていくことになる。しかしこのような「大人の論理」が尾崎の頭に少しでも入っていたとしたら、これほどの勢いのある鮮烈な作品は作れなかっただろう。この辺りが彼の魅力であり、また同時に限界にもなっている。

生前の尾崎は何度となく、ファースト・アルバムを越える作品が作れない、と発言していたという。確かにレコード・デビューを果たして、現実のさまざまな問題に直面するようになってからは、それ以前の気持ちで創作活動をすることはもはや無理だったのだろう。「世間の常識」や「大人の論理」というものから完全に解放されているという意味において、このアルバムは彼の最高傑作である。

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