「読売新聞 」12月14日(水)11時41分配信の記事で「65歳まで再雇用義務付け…厚労省方針」というのが目に止まり読んでみた。

厚生労働省は厚生年金の支給開始年齢を引き上げることによって無収入になる時期が出てしまう人への対策のため、企業に対して希望者全員に65歳まで再雇用を義務づける方針を固めたというのである。

こんな対策は正社員という既得権を強化する以上の意味はないだろう、というのが率直な感想であるけれど、個人的は記事で書かれていたこの部分に興味がいった。

<また、契約社員などについては、勤続年数が一定期間となった場合、現在は原則3年を上限に区切られている契約期間を無期限に転換させる制度の導入も目指す。>

これだけを読んでみてもはっきりとわからない部分はあるものの、もしも契約社員が3年を過ぎても(正社員化することなく)引き続き働けるということならば、この社会に一つの可能性が開けるかもしれないと感じたからである。

私が以前いた会社でも契約社員が3年の期間満了をしたことにより雇用しなくなった事例がある。これは、契約社員を3年以上雇うことはできずそれを超える場合は正社員にする、という法律があったためだ。もし契約社員という条件のまま雇用を続けれるというのであればこうした問題も発生しなかったにちがいない。

正社員と契約社員との雇用条件はあまりにも違うは明らかに「差別」である。しかし契約社員の雇用期間だけでも改善すれば随分と違ってくるだろう。

以前に橘玲さんの「大震災の後で人生について語るということ」(11年。講談社)についての感想で、
http://30771.diarynote.jp/201110151953183136/

<アメリカの労働者というのは、高い給料の獲得を目指す「スペシャリスト」と、給料はずっと上がらないがそんなに忙しくもない「バックオフィス」と2つの働き方が存在する。スペシャリストが2割、バックオフィスが8割という比率だ。>

と書いた。契約社員への処遇が変われば働き方についてもこのような流れになっていくのではないだろうか。

そんなことをすれば企業の好き勝手にされ労働者の環境が悪くなる!と言う人もいるかもしれないが、残念ながら日本の企業は契約社員を全て正社員化する余裕などないだろう。正社員の給料すら下がっているのだから。

確かに資本主義に生きている我々にとって金は命の次に大事なものであろう。しかし死ぬほど働いてまで金を稼ぎたい、という人もそれほど多くないだろう。

いま気付いたが日本のマスメディアは終身雇用で死ぬまで悠々と暮らす人と、勝間和代やホリエモンのようにバリバリ働いて高収入を得る人と、それくらいしか「働く人」のイメージを提示していなかったのではないだろうか。それ以外はニートとかフリーターとか落伍者としかみなさない、人間の多様性を無視した実に貧相な創造力というしかない。しかし私たちはこうしたイメージを頭に刷り込まれて21世紀まで引きずっているのも事実である。

とりとめもなく書いてしまったけれど先日も、

「急増する20代の就職失敗自殺・生活苦自殺・失業自殺-若者の死因トップが自殺なのは先進国で日本だけ」
http://blogos.com/article/26901/

などという記事を見かけてやりきれない気持ちになる。自殺に走ってしまった人は本当にそれしか選択肢が無かっただろうかと。

現在の自分は偉そうなことをいえる立場ではないけれど、いままでのサラリーマン像とは違った生き方は構築できるはずだ。またそう考えなければ私たちの未来にあまり可能性は残されていない、という結論しか出てこないだろう。

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