あれから20年も

2011年12月26日
FM大阪をかけていると京都市上京区の人から、雪が降っています、というメールが読まれていた。それを聞いてエッと思い外を出てみると、積もってはいないものの確かにパラパラと降っている。仕事に支障が出なければいいが、と少なからぬ不安を覚えてしまった。

寒くなると気持ちも張りつめてくるのか、ふと昔のことを思い出すことが最近は多い。さっきも雪を見たとたん、

「そういえば自分がCDを初めて買ったのは20年前の今頃だったな」

などと突如として頭に浮かんできたのである。日付までは正確に覚えていないけれど、1991年の12月24日前後のことだったのは間違いない。そういえば自転車でデパートまで行って買ったような(雪がそれほど積もってなかったのだろう)記憶もおぼろげにある。手に入れたのは渡辺美里の7枚目のアルバム「Lucky」(91年)だった。真冬の北海道には全く似つかわしくない真っ青なジャケットである。あれから20年の月日が経ったわけだ。

だが、この間に自分が大きく変化したとか成長したかと言われたら、全く自信がない。00年に大学を卒業するも就職先を見つけるのに1年3ヶ月費やし、今年の春にその職場を去るも5ヶ月ほどまたフラフラしてしまった。そして今ももがき苦しんでいるという状態だ。同じ失敗を何度も繰り返しているだけではないかと言われたら、ハイそうです、という返事しかできない。

そもそもの話になるが、橘玲さんが「残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法」(幻冬舎、10年)」で書いている通り、人間の能力や性格というのは努力ではどうにもならない部分が大きい。

以前に私がこの本の感想を書いた時、
http://30771.diarynote.jp/201012270803395846/

<もしもぼくたちの人生が「やればできる」という仮説に拠っているならば、この仮説が否定されれば人生そのものがだいなしになってしまう。それよりも、「やってもできない」という事実を認め、そのうえでどのように生きていくのかの「成功哲学」をつくっていくべきなのだ>(P.37)

という部分を引用していた。この指摘は今も自分には絶望的なほど有効である。

私はある時期まで、自分は渡辺美里のファンです、ということを表明するのは躊躇していた時期があった。意識的な音楽ファンには彼女を認めない人が多かったからである。しかし、これまで自分は彼女から少なからぬものを与えられてきたのはまぎれもない事実である。しかしその事実を自分の中に受け入れるようになるのにも結構な時間が必要だった。

いまハッと思いついたが、ありのままの自分を認められるようになった、ということが大きな変化といえるかもしれない。結果して何も変わらないのだから、なんだか逆説的な言い方な気もしてくるが。

浜田省吾で私が最も好きな曲に”日はまた昇る”という曲がある。「SAVE OUR SHIP」(01年)というアルバムに収録されているこの曲の後半の歌詞で、

<どの道を歩いて行こうと
君は君の その人生を 受け入れて楽しみ他ない
最後には 笑えるように>

という一節が出てくる。ヴァン・モリソンを連想させる雄大なスケールのあるこの曲に乗って歌われるこの歌詞はよく自分の頭の中に出てくるものだ。

自分の人生を受け入れる準備はできている。あとは、最後に笑えるかどうか、なのだろうな。

you tubeで”日はまた昇る”のライブ音源が出て来たので、興味があれば参照いただきたい。
http://www.youtube.com/watch?v=Gl1a1kOIGwg

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