成人の日(2012年1月9日)の「朝日新聞」社説で尾崎豊について触れた内容がありそれが酷い、という感想をTwitterで佐々木俊尚さんや小田嶋隆さんがつぶやいていたので気になって確認してみた。

http://www.asahi.com/paper/editorial20120109.html

「成人の日にー尾崎豊を知っているか」という題名の本文は、

<ああ、またオヤジの「居酒屋若者論」か、などと言わずに、聞いてほしい。>

と始まる。全国紙の社説らしからぬ馴れ馴れしい口調(文体?)になっていて、まずそこに違和感を覚えた。もう最初からこの筆者は既に勘違いをしているようだが、文章が進むにつれて内容はさらにいっそう悲惨なものになっていく。

<キミが生まれた20年前、ロック歌手・尾崎豊が死んだ。その時のオヤジより少し下の26歳。雨中の追悼式に、4万人が長い長い列を作ったものだ。

 新聞には「高校を中退し、自由を求めて外に飛び出した彼の反骨精神が、僕を常に奮い立たせていた」と投書が載った。

 彼が「卒業」「15の夜」といった曲で歌ったのは、大人や社会への反発、不信、抵抗。恵まれていないわけじゃないのに、「ここではない、どこか」を探し、ぶつかり、傷つく。

 その心象が、若者の共感を呼んだ。尾崎の歌は高校の教科書にも採用されたほどだ。>

そういえば、尾崎豊が亡くなったのは20年前(92年)だったか、とこの文章は思い出させてくれたけれど、私にとってのメリットはそれだけだった。そして文章はこのように続く。

<ところが最近は、うんざり顔をされることが多いらしい。

 オヤジと同世代、精神科医の香山リカさんは毎年、大学の授業で尾崎豊を聴かせ、感想を問うてきた。ここ数年「自己中心的なだけじゃないか」「何が不満かわからない」と、批判的な意見が増えているという。

 教室に居並ぶのは、親や世の中に従順な若者たち。キミと同い年なら、石川遼くん?

 でも、就活の道は険しいし、滑り落ちたら、はい上がるのは難しい。時代は、尾崎のころよりずっとずっと生きづらい。

 だけどキミたちは「自分にスキルが欠けるから」と、どこまでも謙虚だ。格差も貧困も「自己責任さ」と、受け入れてしまっているようにみえる。

 尾崎豊はどこへ行ったのか。>

ここまで読んでいただいた方にちょっとお尋ねしたい。

この文章は何を書いているかわかりますか?

正直に言うが、この筆者が一体なにを述べたかったのか、私にはさっぱり理解できない。根本的なことをいえば、文章の論理が破綻していて前後が全くつながっていないのだ。エッセイだというのならまだ許せる気もするが、これは新聞の社説である。社説というのは新聞社としての見解を示す場ではないのか。それがここまで支離滅裂なのはかなりまずい、と思う。

それでも無理矢理に行間を推測してみれば、こんな流れだろうか。

尾崎豊は反骨精神を持った若者だった。
→それに比べて現在の若者は従順で謙虚だ。
→若者よ、もっと怒れ。当事者意識を持て。

ということをこの文章はどうも言いたかったようである。

筆者は自分の文章を「オヤジの『居酒屋若者論』」とわざわざ前置きをしているのもこの酷い文章を書いた言い訳にしたかったからかもしれない。これはもう、最近の若者はなっとらん、という以上のものではないのだから。おそらく書き直す時間が無いためこんな前置きを後でつけたのではないだろうか。

あまりの文章の不味さにそればかりを指摘してしまったけれど、私が本当に悲しいというか情けないと思ったのは、尾崎豊についての知識や愛着がこの著者から全く感じられないことであった。4万人が追悼式に参列しただの、高校の教科書に採用されただの、多くの若者に支持されただの、全て彼が死んでからの出来事である。ファンだったら、それがどうした、というレベルの話でしかない。彼のミュージシャンとしての本質とか魅力とは何の関係もない話である。

おそらく筆者は、尾崎が亡くなって20年というのをたまたま見つけて(ここまでは目の付けどころが良かったかも)、断片的な(どーでもいい)事実を繋ぎ合わせてこの文章をでっち上げたにちがいない。残念ながら私のようなヲタにはそういう流れがパッと見えてしまうのだ。そういえば12年ほど前に、英語で歌詞を書くミュージシャンは三流だ、と駄文を書いたのも朝日新聞社(アエラ)の社員だった。なんだかなあ。

どうも批判めいた文章になってしまったかもしれない。しかし私は別にこの社説を書いた人に何か言いたいという気持ちはないし、怒りのようなものも一切ない。ここまで次元の低い人と争うというのは自分の品位を落とす以外のなにものでもないからである。単に、日記のネタになるかなあ、という思いで社説を読んでみたけれど、その内容が予想以上に酷かったというだけの話だ。

ちなみに尾崎豊については、私もアルバム「十七歳の地図」(83年)の感想に絡めてに書いたことがある。興味があれば一読いただいて、社説の人との違いを見てもらえればと思う。
http://30771.diarynote.jp/201004251140469326/

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