ハドソンの消滅
2012年1月22日
最近は仕事をこなすだけに日々になったためか、ただでさえ見てないニュースを余計に見なくなってしまった。せいぜいYahoo!のトップに目を通る程度である(しかしそれすらも題字だけで中身もろくに確認しないけれど)。
しかし先日、
「ハドソン3月1日付けで消滅へ」
という文字が目に入った時、小学校の頃の記憶がバッと甦ってきた。Yahooのトップに載るほどのニュースだろうかとも思ったけれど、本日はハドソンについての思い出を中心に書いてみたい。
ハドソンはもともと1973年に北海道の札幌市で設立された有限会社だった。「ボンバーマン」や「桃太郎電鉄」といったゲームで全国的にその名を知られることになる。しかしゲーム自体もさることながら、「16連打」(1秒間に16回ボタンを押す)の技を持つ「高橋名人」(本名:高橋利幸)が在籍している会社としてファミコン愛好者以外にも広まったと思う。
私は現在まったくテレビゲームの類で遊ぶことはなくなったけれど、80年代に小学生を過ごしていたため完全なファミコン世代であった。だからハドソンという名前にもそれなりに愛着というか思い入れはある。
もう本の題名も覚えてないけれど、高橋名人の自伝(ネットで調べた限りでは86年に祥伝社から出た「名人はキミだ!ーファミコン戦士に告ぐ」に間違いないと思う)を小学生時代に読んだことがある。その内容はもちろんほとんど覚えていないのだが、一つだけ印象に残っているエピソードがあった。それはハドソンがゲームを制作する際の方針というかこだわりについてである。
高橋名人によれば、ハドソンは残り1ビットの容量まで使い切ってゲームを作る、というようなことが書いてあった。その具体例として出したのが当時発売されたばかりのファミコンソフト「忍者ハットリくん」(86年)である。
you tube にゲームの動画があったので参照いただきたい。
http://www.youtube.com/watch?v=OzZC7AQ2Jqs
この最後でハットリくんの父上がチクワに混じって投げてれる鉄アレイはもともと発案されていたものではなく、容量の計算間違いで余ったビットを使って加えたアイデアだというのである。この話は子どもの自分にも何らかの感銘を与えたらしい(具体的に何かといったら説明もできないが)
そういえば当時のコナミが「2メガの大容量」と銘打って「がんばれゴエモン!からくり道中」(86年)や「キングコング2」(86年)といったゲームのテレビCMを流していたが、これは「2メガバイト」ではなく「2メガビット」のことである。いまのゲームに比べたらカスみたいな容量(2HDフロッピー・ディスクの5分の1以下だとか)だが、昔のゲーム会社はそうした制約の下で数々の名作を作っていたわけである。そのアイデアは今でも感心するものが多いし、それが日本をゲーム大国にする礎となったのは間違いない。
それしても、ハドソンがそのコナミ(コナミデジタルエンタテインメント)に吸収されると聞いた時にも少し驚いた。ある時期からコナミの傘下にあったらしいけれど、高校生あたりで記憶が止まっていた人間としてはなかなか意外に感じる。スクエアとエニックスがくっついたほどの衝撃は無いけれど、ゲーム業界も離合集散が激しいのだろうな。
しかし先日、
「ハドソン3月1日付けで消滅へ」
という文字が目に入った時、小学校の頃の記憶がバッと甦ってきた。Yahooのトップに載るほどのニュースだろうかとも思ったけれど、本日はハドソンについての思い出を中心に書いてみたい。
ハドソンはもともと1973年に北海道の札幌市で設立された有限会社だった。「ボンバーマン」や「桃太郎電鉄」といったゲームで全国的にその名を知られることになる。しかしゲーム自体もさることながら、「16連打」(1秒間に16回ボタンを押す)の技を持つ「高橋名人」(本名:高橋利幸)が在籍している会社としてファミコン愛好者以外にも広まったと思う。
私は現在まったくテレビゲームの類で遊ぶことはなくなったけれど、80年代に小学生を過ごしていたため完全なファミコン世代であった。だからハドソンという名前にもそれなりに愛着というか思い入れはある。
もう本の題名も覚えてないけれど、高橋名人の自伝(ネットで調べた限りでは86年に祥伝社から出た「名人はキミだ!ーファミコン戦士に告ぐ」に間違いないと思う)を小学生時代に読んだことがある。その内容はもちろんほとんど覚えていないのだが、一つだけ印象に残っているエピソードがあった。それはハドソンがゲームを制作する際の方針というかこだわりについてである。
高橋名人によれば、ハドソンは残り1ビットの容量まで使い切ってゲームを作る、というようなことが書いてあった。その具体例として出したのが当時発売されたばかりのファミコンソフト「忍者ハットリくん」(86年)である。
you tube にゲームの動画があったので参照いただきたい。
http://www.youtube.com/watch?v=OzZC7AQ2Jqs
この最後でハットリくんの父上がチクワに混じって投げてれる鉄アレイはもともと発案されていたものではなく、容量の計算間違いで余ったビットを使って加えたアイデアだというのである。この話は子どもの自分にも何らかの感銘を与えたらしい(具体的に何かといったら説明もできないが)
そういえば当時のコナミが「2メガの大容量」と銘打って「がんばれゴエモン!からくり道中」(86年)や「キングコング2」(86年)といったゲームのテレビCMを流していたが、これは「2メガバイト」ではなく「2メガビット」のことである。いまのゲームに比べたらカスみたいな容量(2HDフロッピー・ディスクの5分の1以下だとか)だが、昔のゲーム会社はそうした制約の下で数々の名作を作っていたわけである。そのアイデアは今でも感心するものが多いし、それが日本をゲーム大国にする礎となったのは間違いない。
それしても、ハドソンがそのコナミ(コナミデジタルエンタテインメント)に吸収されると聞いた時にも少し驚いた。ある時期からコナミの傘下にあったらしいけれど、高校生あたりで記憶が止まっていた人間としてはなかなか意外に感じる。スクエアとエニックスがくっついたほどの衝撃は無いけれど、ゲーム業界も離合集散が激しいのだろうな。
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