今日は仕事が入っておらず、実に貴重なお休みの日である。にもかかわらず、午前8時台に京阪電車で大阪へ向かっていた。こないだ履歴書を送った会社から面接の連絡があったので足を運んだのである。3日前に電話があったので、けっこう急な話ではあったけれど、もう自分にはそれほどチャンスもないだろうし受けられるだけ受けようとは思っている。

知人の一人に、面接に行くから、とメールを送ったら、

「また辞めるの?」

と返信があったので苦笑する。今いる場所は辞めるために働いているのだ!と言いたい。

10時に会社を訪問し面接は10分ほどで終わった。もうちょっと積極的に自分をアピールする部分が足りなかったかな、と反省しながら外を出る。

「こんなに早く終わって、これからどうしよう?せっかくだし街をふらついてみようか」

などと一瞬思ったけれど、今月は特にお金がないし(あったことはこれまで一度もないが)、そういう気分にはならなかった。とりあえず会社のあった本町から大阪駅まで歩くことにした。

考えてみれば、こんな早い時間に大阪の街中を歩くというのは初めてな気がする。ひたすら北上すると朝日新聞社があり、その横で新生「フェスティバルホール」が建設の途中であった。淀屋橋にあったホールがここに移転するのか。そういえば山下達郎のフェスティバルホール最後の公演を立ち会ったなあと思い出す。そして、新しいフェスティバルホールができたとしても、達郎氏はライブをしないだろうなあとも思う。

それにしても、大阪の街から見上げた青空はなんだか不思議と新鮮に感じた。なんだか日常から解放されたような、そんな気分にとらわれた。この半年ちかく厳しい状況が続き、ため息をつきながら空を見つめるような場面があまりにも多かったからかもしれない。この日記を書く間隔が空いてきているのも、そうした気分が原因の一つである(いや、寒い日が続いているのが最も大きいかな)。

良いか悪いかはわからないけれど、京都に比べて大阪の景色のほうが大きく変化している。街を歩いているだけでそれを実感した。

歩いているうちに、

「この辺りで働くという選択肢もありかな」

という気持ちにだんだんとなってくる。今日は面接で足を運んできたものの、これまでは大阪まで行こうという気持ちがそれほど高かったわけでない。あくまで京都市近郊にターゲットを絞って求職活動を続けていたのだ。だが京都の求人の絶対数がまず少ないし限界を感じてきている。

また、就職活動だけが問題でもない。ここ最近、自分を取り巻く人間関係も色々と変化がおとずれている。12年くらい前はほとんど知り合いもいなかった状態であったけれど、その頃に戻るような予感がある。なんだか時計が逆転して回っているような、そんな感覚に襲われる。こういう時はもっと怒ったり泣いたりしたらいいのではと思うのだが、不思議と私にはそんな人間らしい感情がおこらない。つくづく欠陥のある性格だと思うけれど、もはや自分ではどうにもならないのだろう。

つねづね天涯孤独を自認している自分であるから、周囲に知り合いがいなくなったとしても、元の鞘に戻るだけかもしれない。ただ別に望んでこんな生き方を望んでしているわけではない。結果としてそうなってしまうのだ。しかしもう35年以上も自分をやってきているわけで、その運命というか先行きはある程度予想がたつ。人並みの人生は歩めない。それならその事実を受け入れてこれからを生きるしかないだろう。

週間天気予報によれば、明日から気温も暖かくなっていくようだ。しかし、私の周りに果たして春は訪れるのだろうか。3月4月になっても冷たい春のまま、しかも夜明けもやって来ないような。そんな思いに囚われているこのごろである。

今日の昼前にある方から、日記を拝見してますよ、とメールをいただいたので書いてみることにした。が、なんじゃこの内容は、というものになってしまったなあ。

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